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科学が苦手でもオモシロイ!樟蔭美科学研究所で化粧品づくりの科学の世界をのぞいてみる

2022年4月19日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

外出の機会が減り、化粧の手抜きに歯止めがかからない。やや反省モードにあったとき、「化粧品づくりの楽しさをわかりやすく紹介!」「化粧品の科学をのぞいてみよう」という魅力的な誘い文句が目に入りました。化粧品の広告は日々目にしますが、つくる人の目線で話を聞く機会はめずらしい。樟蔭美科学研究所によるシンポジウム「高校生・大学生のための化粧品の世界~化粧品の科学を覗いてみよう~」に参加してみました。

 

樟蔭美科学研究所は、大阪樟蔭女子大学が新制大学として創立70周年を迎えたのを機に2020年に設立。

「美を通じて社会に貢献する大学」として、学問領域(人文科学、社会科学、自然科学)を超えて美に関する研究が進められています。

学内だけでなく他大学や企業の研究者も参画する研究所という位置づけで、このシンポジウムも学外の研究者や化粧品コンサルタントを講師に迎え、化粧品に興味のある高校生、大学生や一般の人を対象に、それぞれの専門分野から化粧品づくりの楽しさを紹介いただきました。

化粧品って科学なの?

講演のトップバッターは南野美紀先生(武庫川女子大学客員教授、大阪樟蔭女子大学非常勤講師)。「化粧品って科学なの?~夢を届ける化粧品は科学でできている!~」というテーマです。

南野 美紀 先生

南野 美紀 先生

 

南野先生は化粧品会社で商品開発や基礎研究などの経験を積み、自身の化粧品会社を立ち上げ、大学で化粧品教育にも携わっておられます。

化粧品は夢を売る商売なのでなかなか中身の話を聞いていただけるチャンスがない」という南野先生。化粧品が、中学や高校で学ぶ科学とどのようにつながっているのかというお話を聞かせていただきました。

 

化粧品が何からできているかというと、まずは水。そして肌を健やかにするには油も必要になります。

水と油は混ざらないので、水と油を混ぜるために、油に混ざりやすい部分と水に混ざりやすい部分を一つの分子の中に持った界面活性剤が必要になります。水と油と界面活性剤を知るということが化粧品をつくる第一ステップになります。また、メイクアップ化粧品では、パウダーなどに使われる「粉体」というものも登場します。

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ここでは、水と油と界面活性剤について見ていきましょう。

水と油にもいろいろあって‥

水は身近な存在ですが、実は化粧品技術者からすると結構厄介なものなんだそうです。水の分子には極性(分子の中の電荷の偏り)というものがあり、水分子どうしがくっつきやすい。極性があって表面張力が高いので、水をぽたっと落としても、丸い水滴になろうとして広がらない。肌になじみにくいということになります。

化粧水が肌になじむのは、「水にいろいろな保湿成分が入ると、表面張力がおさえられた状態になるから」ということです。

油にも色んな種類がありますが、よく使われるものが油脂と呼ばれるもの。身近なものでは、植物油、天ぷら油が油脂の仲間です。化粧品の原料になる油脂は、植物から採取して圧搾、精製したもので、これを加水分解してグリセリンと高級脂肪酸をつくったりしています。

 

さて、油というとなんでもかんでも混ざりそうなイメージですが、静かに加えていくと、下図のように層にわかれるのですね。ビンの一番下にあるのは、ごま油。その上に米油、次にオリーブオイル。比重が違うので、静かに入れると混ざらない。

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オイルクレンジングなどに入っている高級脂肪酸が上にもう一層乗り、さらに軽い油の炭化水素。これで5層になります。

層になった油も、一旦混ぜてしまうと均一になります。ここに水を入れると、振って混ぜても、油とは混ざらない。比重の問題で混ざらないのではなく、水の表面張力が高いので混ざらないという理屈になります。

 

そこに界面活性剤を溶かしたエタノールを入れて混ぜてみると……混ざりました。これが乳化です。

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乳化は溶けているわけではなく、油の中に水が分散している状態。「溶ける」と「分散する」は全然違うということです(高校生は覚えておくと大学入試に役立つそうです)。

 

乳化には水の中に油が分散するタイプ(例:牛乳やマヨネーズなど)、油の中に水が分散するタイプ(例:バターなど)があり、そのちがいについても解説。

化粧品の場合、たとえば乳液を水に入れて振ると、すぐに真っ白になります(下図左)。反対に、汗に強いメイクアップベースは混ざらない(同右)。

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左側の乳液は水の中に油が分散するタイプ(「O/W型」とよばれる)で、右側のメイクアップベースは油の中に水が分散するタイプ(「W/O型」)。

このように「つくる化粧品によって、どのタイプの乳化物にするかを決める」そうです。

 

化粧品技術は幸せをもたらす技術なので、使い心地とか使用実感、機能などを考えながらつくっていくことになる」という南野先生。

易しい言葉と身近なものを例に、化粧品の科学の入り口を見せてくれました。

化粧品をホントに効かせるには?

さて、こうしてつくられたスキンケア化粧品。その効果を出すには、効かせたいところに効かせたいものを届ける必要があります。

化粧品をホントに効かせるには? ~成分を届ける技術を知ろう!~」というテーマでお話しいただいたのが、徳留嘉寛先生(佐賀大学特任教授)です。

徳留 嘉寛 先生

徳留 嘉寛 先生

 

たとえばサンスクリーン(日焼け止め)は皮膚の表面で光を跳ね返すことを目的としているため、皮膚の表面にある必要があります。美白剤の場合は、メラニンが表皮の最も深いところにある基底層の色素細胞で作られるので、ここに届ける必要があります。抗しわ剤の場合は、ヒアルロンやコラーゲンをつくる線維芽細胞が皮膚の真皮にあるので、そこまで送達したい。……という具合です。

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サンスクリーン以外は皮膚の中に届ける必要があるわけですが、皮膚の中に化合物を入れるにあたって、カギの一つになるのが成分の大きさです。物質固有の大きさを示す「分子量」という指標があり、分子量500以下のものは皮膚内に入りやすいとされています。もう一つのカギは、皮膚の表面は皮脂膜で覆われているので、適度に脂に溶けることが重要とされます。

*分子の質量を 12C 原子の質量を 12 とした相対質量で表したもの。単位はない。

 

ここでは分子量について考えてみましょう。化粧品の成分としてよく見かける成分の分子量はどんなものでしょう。

例えばヒアルロン酸。保湿剤です。分子量がなんと120万もあります。500 しか入らないのに120万。これは皮膚には入らなそうだと想像できます。

一方、美白剤などで使われているビタミン Cは分子量が180。これはある程度皮膚に入りそうですね。

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この「皮膚に入る・入らない」が皮膚のどの部分で制御されているかと言うと、皮膚の一番外にある角層と呼ばれているところで制御されています。

角層には体の中からの水分蒸散を防ぐという重要な役割がありますが、水分が出ていかないということは、外から中にも入りづらいということでもあります。でも実はごく小さな隙間のようなものがあって、小さいものは通ることができます。角層は角質細胞と角層細胞間脂質というものでできていて、下図の角層細胞間脂質のところをメインに化合物が通ることができると言われています。

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角層の厚さは大体サランラップぐらいの厚さ(約20マイクロメートル)とされています。分子量が大きいものは、この角質細胞と角層細胞間脂質の隙間を通りにくいとされています。でも、通路をうまく広げたりすることができれば、通りやすくすることができます。その技術は経皮吸収技術と呼ばれていて、徳留先生が研究されている研究領域です。

巨大分子・ヒアルロン酸を皮膚に入れるには

分子量の大きいものを皮膚の中に入れる方法はいくつかありますが、徳留先生が研究されているのは「イオンコンプレックス」という方法です。

マイナスの電気を持っているものとプラスの電気を持っているものを組み合わせると、互いに絡まりあって複合体をつくるといわれています。ヒアルロン酸は分子量120万という巨大分子ですが、マイナスの電荷を持っているので、プラスのものをくっつけると、ぎゅーっと凝縮して、丸い粒のようになる。

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この粒なら通路を通ることができるでしょうか? 皮膚に塗って蛍光顕微鏡で撮影したものを見せていただくと、ヒアルロン酸(下図の緑色の部分)が、皮膚の中に入り込んでいるのがわかります。

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分子量500しか入らないところに分子量120万のものが入っていて、「本当に衝撃的だった」とのこと。

徳留先生は企業との共同研究にも取り組んでいて、この技術も商品化されています。徳留先生いわく、研究をやっていて面白いことは、世界で誰も知らないことを自分が明らかにできること。そして消費者を幸せにできるのだから「こんなにいい職業はない」と、研究の面白さとやりがいを語ってくれました。

 

徳留 先生

徳留先生

 

光で彩るメーキャップ

スキンケア化粧品を届けたいところに届けたら、あとはメイクで仕上げです。

次に紹介するのは「光で彩るメーキャップ ~光のマジックで自然な仕上がりを実現!~」。講師は髙田定樹先生(大阪樟蔭女子大学教授、樟蔭美科学研究所所長)です。

髙田 定樹 先生

髙田 定樹 先生

 

メーキャップで自然な美しい仕上がりを得るには、科学的に考えると三つのポイントがあるそうです。「色彩」「光沢感(質感)」「形態」。この三つをうまく整えれば、美しい化粧肌ができあがるとのこと。

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まずは色彩です。色彩の補正を考える前に考えておかなければならないのが、人の皮膚の光学特性です。

たとえば博多人形のような人形の顔の光の反射と、人間の皮膚での反射の仕方というのは全く別のものです。

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プラスチックなどでできた人形の顔に光が当たると全ての光が反射しますが、人間の生体皮膚の場合は、光が当たって表面で反射する量はたったの5%。残りの95%ぐらいは皮膚の中にもぐり込んでいって、皮膚の中のメラニン色素や血流中のヘモグロビンなどの色素に吸収されたり散乱したりして、光が入ったところとは違うところへ出て行く。それが人間の皮膚の光学的な特異性だそうです。

 

ここで美しい皮膚とくすんだ皮膚での反射率のちがいに注目すると、くすんだ肌に赤や青の光を足せば、きれいな肌に補正できるとのこと。

「それなら赤いメーキャップをして赤みを増やそう」というのが従来のメーキャップの考え方ですが、これをすると逆にくすんでしまいます。水彩絵の具で絵を描くときに、色を混ぜれば混ぜるほど色がくすんで暗くなるように、混ぜると色の明度が下がる。そうではなく、「光で色を混ぜよう」というのが、今回のお話です。光で色を混ぜるとどんどん明るくなっていきます(加法混色)。

 

では、どうやって化粧品に光をプラスすればいいのか?「発光体でも乗せるのか」という話ですが、そうなんです。ただし発光ではなく、光を反射するものです。

 

下の図のように、「マイカ」(雲母ともよばれる)という板状の粉体の表面に、二酸化チタンの薄膜をくっつけると、光が当たった時に赤い光が反射します。

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二酸化チタンの薄膜が100nm だと赤く反射し、膜厚を155nmにすると緑、131 nmにすると青色の光を反射するそうです。

このような発光体を使って色彩補正するのが「光のメーキャップ」というわけです。

肌の光沢とカタチ 美しく見せるテクノロジー

美肌の三要素、光沢についてはどうでしょう。肌にツヤを出したりツヤを消したりして光沢を調整するのですが、ツヤを出すには、光を強く反射する板状の粉体を、ツヤを消すには光を乱反射させる球状の粉体を使います。

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(近年はマイクロプラスチックが問題になっているため、代替材料への置き換えが進んでいます)

肉眼で見えないところにいろんな技術が詰め込まれています。

 

美肌の三要素、最後は形態です。形態を整えるには顔の輪郭などのマクロな補正と、毛穴や小ジワなどのミクロな補正の2つがあります。

 

マクロの補正は、たとえば小顔に見せるには顔の輪郭を暗く、中心を明るく見せて立体感を出せばいいというわけで、立体感を生むパウダーを紹介いただきました。顔全体に均一に塗れば立体的に見えるという便利なものです。

一方、毛穴や小じわなどミクロの補正では、皮膚表面の凸凹をどうやって消すかということが問題になります。

 

解決のヒントになるのが、下の写真です。水の入ったビーカーにガラス棒を入れると、水の中にガラス棒があるのがはっきり見えます。ところが、水の代わりにある液体を入れるとガラス棒が見えなくなってしまう。

これはなぜかと言うと、ガラス棒と全く同じ屈折率の液体を入れているためです。同じ屈折率になると存在がわからなくなる

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同じように、凸凹のある皮膚に、皮膚と同じ屈折率の化粧品を塗り込んで穴を埋めれば、穴がなかったかのように見えることになる。その上に球状の粉体(パウダーなど)をのせると、さらに効果は上がります。

このように、「色彩」「光沢」「形態」の補正を光の力を使って科学的に行うと、美しい肌に見せることができるというわけです。

 

こうしたメーキャップを応用すると、例えば抗がん剤治療で皮膚に反応が出ている人や、色素沈着や紅斑などがある人の皮膚を光学的に補正することができます。

また、事故などで顔の一部に欠損がある方にも、土台をシリコンで作り、その上に光のメーキャップをして、あたかもそのくぼみがなかったかのように見せることができ、外観に問題を抱えている人が社会生活を送りやすくなります。

化粧品の力によって社会に貢献していきたい」という髙田先生。光のメーキャップの原理と効果を、とてもわかりやすくお話しくださいました。

* * *

 

このほかにも、岡野由利さん(株式会社CIEL取締役)から、肌トラブルの仕組みや化粧品の安全性・有効性を確かめるプロセスについて、化粧品コンサルタントの堀越俊雄さんからはボディウォッシュなどの泡の技術について、また武庫川女子大学客員教授の神田不二宏先生からはデオドラント製品の開発について紹介いただきました。

科学オンチの私も、化粧品がさまざまな科学的知見を動員し、効果を検証してつくられていることを知ると、うまく活用して心地よく過ごしたいという気持ちになります。

 

今回のシンポジウムは、化粧品を「つくる」ことに焦点を当てた内容でしたが、進路を考える高校生や大学生に向けて、興味関心に沿ったさまざまな学問分野も紹介されました。ファッションとしての化粧なら被服学、美学、文化人類学など。化粧と心の関係は心理学、商品として売るにはマーケティングなど、化粧品を学ぶ間口は広そうです。

 

平等院鳳凰堂に響く天上の音楽を聴く――京都市立芸術大学 オンラインセミナーをレポート

2022年3月17日 / コラム, 体験レポート

あれは何年前のことでしたか、宇治の地で目にした菩薩さまの印象は忘れがたいものでございました。

優しい表情で、木目の彫りあともみずみずしく、流れる雲に乗って祈り、舞い、楽器を演奏するさまは楽しげですらあり…。

 

極楽浄土で阿弥陀如来をとりかこみ、笛や琵琶などの楽器を演奏する菩薩像。浄土教美術の中でさかんに描かれていますが、平等院鳳凰堂で見た雲中供養菩薩はとりわけ優美で軽やかで、忘れられない印象でした。

そこで奏でられる音楽はどのようなものでしょうか。

 

2月17日、京都市立芸術大学のセミナー『平等院鳳凰堂に響く天上の音楽』で、関連する音源を解説とともに聴くことができると知り、ぜひ聴きたいと思い参加しました。

講師は同センター所長の渡辺信一郎先生です。

プロフィール

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渡辺 信一郎 京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター所長。専門は中国楽制史、中国古代史。著書に『中国の国家体制をどうみるか――伝統と近代』(共編著、汲古書院)『中国古代の国家と楽制――日本雅楽の源流』(文理閣)など。

極楽浄土の管絃楽

平等院は、藤原道長の別荘を子の藤原頼通が1052年(永承7年)寺院に改めたもの。その翌年に建立された鳳凰堂の内部には雲中供養菩薩像が懸けられ、極楽浄土の光景が表現されています。

©平等院 

©平等院

平等院鳳凰堂内部 ©平等院 

平等院鳳凰堂内部 ©平等院

 

菩薩像は全部で52体あり、その多くが手に楽器を持ち、音楽を演奏しています。菩薩はどのような音楽を演奏しているのか、「楽器の編成に注意しながら耳を澄ませて聞いてみましょう」と、お話がはじまりました。

 

まずは数ある菩薩像より、四体の菩薩像の楽器を紹介いただきました。

 

・箏(そう)
雲中供養菩薩像 南16号 ©平等院 

雲中供養菩薩像 南16号 ©平等院

 

お箏(こと)です。

 

・曲頸(きょっけい)琵琶
雲中供養菩薩像 北2号 ©平等院

雲中供養菩薩像 北2号 ©平等院

 

琵琶のネック(首)の部分が折れ曲がっているので、この名がついています。

 

・腰鼓(ようこ) 
雲中供養菩薩像 北4号 ©平等院

雲中供養菩薩像 北4号 ©平等院

 

腰にかけて両手で打ちます。日本ではもう使われていない楽器ですが、中国では現役だそうです。

 

・揩鼓(かいこ、すりつづみ) 
雲中供養菩薩像 南14号 ©平等院

雲中供養菩薩像 南14号 ©平等院

 

皮を擦って音を出します。中国でも日本でも廃れましたが、法隆寺に由来するものが一つだけ残っています(上野学園日本音楽資料室所蔵)。

 

このほか、鳳凰堂の菩薩が演奏している楽器の種類は、全部あわせると20種類。

篳篥(ひちりき)、横笛(おうてき…現在の竜笛 りゅうてき)、答笙(とうしょう…現在の笙 しょう)、太鼓や鞨鼓(かっこ)など、現代の雅楽でおなじみの楽器もあれば、ハープのような楽器や、16枚の鉄片をたたいて、鉄琴のようにさまざまな高さの音を出す金属楽器など、今では使われなくなったものも数多くあります。

これらすべての楽器がそろっての合奏は、まさに極楽浄土にふさわしい華やかなものだったのではないでしょうか。

天上の音楽のふるさと

下の図は、菩薩像とほぼ同じ時期に作られた舞樂圖『信西(しんぜい)古楽図』とよばれるものです。

ここに描かれているのは、唐の時代に中国から伝わった「唐楽」という音楽の楽器で、これらと菩薩像の楽器がほぼ一致していているとのこと。菩薩像の楽器の多くが、唐から伝わったものであることがわかります。

『信西古楽図』(京都市立芸術大学芸術資料館所蔵) 図の右上の楽器は写真で紹介された腰鼓、その下には揩鼓が描かれている。 

『信西古楽図』(京都市立芸術大学芸術資料館所蔵) 図の右上の楽器は写真で紹介された腰鼓、その下には揩鼓が描かれている。

 

唐の音楽と一口でいっても、当時の中国宮廷で演奏された音楽は、西は朝鮮半島、南はカンボジアやインド、西は中央アジアのブハラ、サマルカンド、カシュガルなどから来た音楽、と非常にバリエーション豊か。その多くが当時の中国にとって外国音楽という国際的なものでした。

 

これらの音楽のうち、日本に伝えられて平等院鳳凰堂に響くことになるのは、下の地図の赤丸のあたりにある涼州(りょうしゅう)という所の「西涼楽(せいりょうがく)」、それにさらに西方の音楽が融合した「胡部楽(こぶがく)」とよばれる音楽なのだそうです。

*現在の中国甘粛省武威市

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涼州は古くから中国と西アジアを結ぶ交通の要衝でした。涼州を西へ行くと有名な敦煌の遺跡があり、そこにも菩薩が楽器を演奏する様子が描かれた壁画があります。

敦煌第220窟壁画

敦煌第220窟壁画

 

ここに描かれている楽器は鳳凰堂のものと同じで、演奏されている音楽も同じく仏教関係のものだったとのこと。「遠く敦煌まで響き合う音楽であるということがお分かりになると思います」と渡辺先生。

 

西涼楽の起源をさらにさかのぼると、中国系の音楽と、イラン系の人々が暮らしていた砂漠のオアシス都市の音楽がルーツになっているそうで、鳳凰堂に響いているのは大変国際的な音楽だったということになります。セミナーでは、この起源と楽器の変遷についても丁寧に解説いただきました。

大陸に響く音楽

最後にお待ちかねの演奏鑑賞です。平等院鳳凰堂の菩薩像が演奏しているのと同じ「胡部楽」の曲を復元した〈甘州(かんしゅう)〉という舞楽を聴かせていただきました。

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間断なく響きつづける笙の音、高い笛の音、低くやわらかな琵琶や箏の音色。ゆったりとくりかえされるメロディに耳を傾け、雲中供養菩薩のやさしい姿を思い浮かべると、しだいに頭がうっとりぼんやりして、実におだやかな心地で天上界へいざなわれます。

 

砂漠のオアシス都市にもルーツをもつことを思って聴くと、砂漠をラクダがゆく風景にも似合う気がしました。平等院鳳凰堂の音楽に、思いがけずはるかな大陸の広がりを感じられたのが印象的でした。

 

『蝶々夫人』だけではなかった 音楽のジャポニスム~京都市立芸術大学のセミナーをレポート

2022年2月22日 / コラム, 体験レポート, 大学を楽しもう

日本のマンガやアニメを愛好する海外の人は多いですが、今から100年以上前にも、西洋が日本ブームに沸いた時代がありました。浮世絵の模写を残したゴッホや、日本風の橋がかかった池を描いたモネなど、19世紀西洋の画家たちが日本の美術に強い関心をもち、その影響を受けたことはよく知られています。

 

では、音楽は? この頃、音楽にも日本ブームというものはあったのでしょうか。

『19世紀西洋音楽が描く「日本」』というテーマで京都市立芸術大学伝統音楽研究センターのオンラインセミナーが行われると知り、拝見しました。

講師をつとめるのは同センター特別研究員の光平有希先生です。

講師プロフィール

顔写真

光平 有希さん 京都市立芸術大学伝統音楽研究センター特別研究員、国際日本文化研究センター総合情報発信室特任助教。音楽療法史、東西文化交流史、日本表象西洋楽曲(ジャポニズム音楽)を研究テーマとする。

 

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19世紀~20世紀にかけて出版された楽譜(シートミュージック)の出版地や出版社を調査中(左から2人目)

こんなにあった! 日本をイメージした曲

 「日本をイメージして西洋で作られた楽曲といえば、どのような音楽を思い浮かべますか?」と最初に光平先生が問いかけました。

日本の長崎を舞台にしたオペラ《蝶々夫人》でしょうか‥。オペラに全くくわしくない私も、特に有名な劇中歌〈ある晴れた日に〉は、知らず知らずのうちに耳にしていました。また、ドビュッシーの交響詩《海》の楽譜に、北斎のような絵が使われているのも見たことがあります。

資料(楽譜2点) 個人蔵

資料(楽譜2点) 個人蔵

 

《蝶々夫人》も《海》も、オーケストラの演奏による大曲ですが、実はその100年くらい前から、日本を題材にしたピアノ曲や歌曲がサロンや家庭などで愛好されていたそうです。

所蔵:国際日本文化研究センター

所蔵:国際日本文化研究センター

 

上の写真は「シートミュージック」とよばれる一枚刷りの楽譜です。日本でいうと江戸時代の終わりから明治時代にかけてのものですが、この頃に日本をテーマにした曲がこれほど多く作られていたとは驚きです。

 

今回はこの中からピアノ用に編曲されたものを主に紹介いただくのですが、それまでにも宣教師などとして来日し、日本の音楽に接していたヨーロッパ人はいました。彼らは日本の音楽にどのような印象をもっていたのでしょう。

音楽にすら聞こえなかった? 宣教師と日本の音楽との出会い

キリスト教伝来期の16世紀、日本で約30年間暮らしたポルトガル人宣教師フロイスの日本音楽評は、下のような具合です。

(お渡し用)伝音セミナーPPT1024_5b

さんざんな言いようですが、フロイスが生まれた16世紀のヨーロッパはオルガンを中心とした教会音楽が隆盛を誇った時代。「自らの聴覚文化にない音色に大きなカルチャーショックを受けたのでしょう」と光平先生は説明します。

 

17世紀末に、オランダ商館の医師として日本に滞在したドイツ人ケンペルも、笛や太鼓のお囃子について「味気なく、他愛ない」「歌い方はいかにも下手」と辛辣極まりない言葉を残しています。

西洋音楽で育った耳に日本の音楽がまったく異質なものだったことは分かりますが、「そこまで言わなくても」というけなしぶりです。

日本の音楽を採譜していたシーボルト

オランダ商館の医師として19世紀に来日したシーボルトは、その著書『日本』の中で日本の楽器を精密な図版で紹介しています。

所蔵:国際日本文化研究センター

所蔵:国際日本文化研究センター

 

シーボルトは自分のピアノを日本に持ち込むほどの音楽好きだったそうで、日本で耳にした音や音楽を採譜し、それをもとにした作品づくりをドイツ人の作曲家に依頼しています。そこで生まれたのが作品集《日本の旋律》です。

 

実際に一部の演奏を聞かせていただいたところ、モーツァルトかハイドンの小品のような明るく軽快なピアノ曲でして、特にわかりやすく日本の旋律が織り込まれている感じではありません。

ただ軽快な中にもやや哀愁を帯びた節回しがあり、そこにほんのりと和のフレーバーが漂っていた気がします。

西洋音楽の手法で表現されていますが、日本の音楽が西洋に伝えられた最初期の例として、歴史的な意義は大きいのだそうです。

シートミュージックの時代

《日本の旋律》は、冒頭でも少し登場した「シートミュージック」と呼ばれるもののひとつです。

所蔵:国際日本文化研究センター

所蔵:国際日本文化研究センター

 

シートミュージックが欧米で量産された19世紀から20世紀初頭は、それまで貴族や教会のためだった音楽を中産階級の市民も楽しむようになった時代。シートミュージックに現れる「日本」は、一般の人がどのように日本をみていたのかを知る手がかりとして、おもしろい資料なのだそうです。

 

先ほどの《日本の旋律》を下地にして作られた〈日本の舟歌〉という曲もあります。作曲したのは、ピアノの教材でおなじみのバイエルです。

所蔵:国際日本文化研究センター

所蔵:国際日本文化研究センター

 

こちらの演奏も聞かせていただきましたが、「日本の伝統的な音階やリズムは認められず、タイトルにのみ日本が表象されているイメージを抱きます」と光平先生。私も同感でした。

 

バイエルが  〽 ハァ~ ドッコイ~ ドッコイ~  という雰囲気の舟歌を作っていたら大変面白かったんですが、バイエルが日本の舟歌を実際に聞く機会はなく、作曲の参考にした曲も日本の旋律をそれほどわかりやすく再現していないので、無理もありません。

あのベートーヴェンが<ジャポニカ・ワルツ>?

バイエル〈日本の舟歌〉の10年ほど前に出版された〈ジャポニカ・ワルツ〉という曲には、ベートーヴェンの名が堂々と記されています。

(お渡し用)伝音セミナーPPT1024_14b

 

「おお、あのベートーヴェンが日本を題材にワルツを!」と思いたいところですが、発売時期や作風などから、本人によるものではないと考えられています。「楽譜の出版社が買い手の目を引くためにベートーヴェンの名前をつけ、キャッチ―なタイトルにして販売促進を期待したのでしょう」とのこと。

 

販売促進を期待して日本をタイトルに入れるというのもおもしろい話です。シートミュージックは商品としての色合いが非常に濃く、最新の事件やイベント、スポーツから社会問題まで、世間のさまざまな関心事が曲の主題になったそうで、西洋の人々の好奇心や想像をかきたてていた「日本」もその一つだったということのようです。

 脱・「タイトルだけ日本」

ここまで見てくると、日本の音楽は「見かけだおしの販促ツールか」と嘆きたくなりますが、何といっても日本がまだ鎖国していた時代のことです。手に入る情報が非常に限られている中、一般の人が日本に強い関心をもち、「日本」を感じさせるタイトルの楽譜を買い求めていた状況がうかがえます。

 

開国前後を境に、この状況は一変。ちょんまげ姿で欧米を訪問した幕末の使節団、万国博覧会への参加、堰を切ったように流入した美術工芸品、欧米各地で興行した日本人の芸人一座等々による空前の日本ブームを背景に、日本の伝統的な音階を用いたオペラ『黄色い王女』(サン=サーンス作曲、1872年)や、日本の当時の流行歌が使われた喜歌劇『ミカド』(1885年)など、日本の音階や旋律を取り入れた作品が現れるようになります。

 

ちなみに『ミカド』は、日本を舞台に当時のイギリス政府を風刺したドタバタ喜劇で、ロンドンで初演され、672回ものロングランを達成しています。

『ミカド』の劇中歌をアレンジしたピアノ曲〈ミカド・ポルカ〉の楽譜 所蔵:国際日本文化研究センター

『ミカド』の劇中歌をアレンジしたピアノ曲〈ミカド・ポルカ〉の楽譜 所蔵:国際日本文化研究センター

 

『ミカド』の約10年後には、ピアノ曲集《日本楽譜Nippon Gakufu》が出版されます。

作曲したのは、いわゆる “お雇い外国人”で、東京音楽学校で教鞭をとるかたわら日本音楽の研究にも熱心に取り組んだディットリヒというオーストリア人の音楽家です。日本のメロディに西洋的な和声を組み合わせ、日本の音楽になじみのない西洋人にも違和感なく受け入れられるようアレンジされています。

ディットリヒ作曲《日本楽譜Nippon Gakufu》 所蔵:国際日本文化研究センター

ディットリヒ作曲《日本楽譜Nippon Gakufu》 所蔵:国際日本文化研究センター

 

演奏を聞かせていただくと、聞きなれた〈さくらさくら〉のメロディが時折はっとするような新鮮な響きに彩られていて、新しい音楽が生まれているという印象を受けます。

そして20世紀

日本をイメージした音楽は、この後どのように変遷をとげていくのか。20世紀初頭の流れについても紹介いただきました。

オペラ『蝶々夫人』(プッチーニ作曲)の初演は1904年。〈さくらさくら〉〈君が代〉〈お江戸日本橋〉〈越後獅子〉〈かっぽれ〉などのメロディが織り込まれています。

この頃には日本の旋律や邦楽理論、文化的背景などの情報が大量に流入。プッチーニも劇作家ベラスコの脚本による『蝶々夫人』の芝居を観て感動し、オペラ化に向け日本の楽譜を収集するなど研究を重ねて作曲したそうです。

 

日本の詩歌もさまざまな言語に翻訳され、1910年代以降は俳諧や和歌をテーマに据えた作品が多く発表されます。

歌曲《3つの日本の抒情詩》(ストラヴィンスキー作曲、1912~1913年)も、そのひとつ。ストラヴィンスキーが「万葉集」「古今和歌集」の紀貫之らの和歌に感銘を受けて作曲したものです。

 

この曲はセミナー終了後に聴いてみたのですが、「異文化との接触が、長い時間をかけてこういうところに到達するのか」という感慨を抱きました。どこにも日本のメロディは見当たりませんが、たしかに日本だ、と言いたくなるような何か。

「日本の文化を咀嚼し、新しい表現方法として作品に落とし込むというジャポニスムの流れ、作品の特徴がこの時期にはよく見られます」と光平先生が解説してくれました。

 

♪  ♪  ♪

 

オンラインセミナーで紹介いただいた曲の中から特に印象に残ったものをピックアップしてご紹介しましたが、「この時代に、日本をイメージした曲がこんなにもたくさんあったのか」ということが、やはり一番印象に残っています。浮世絵を皮切りにブームを招いた日本の文化や風俗は、当時の西洋の人たちにとって相当衝撃的だったのかもしれません。

参考情報

一部の曲については、下記サイトにくわしい解説が掲載されています。(一部音源あり)

○国際日本文化研究センター「日本関係欧文史料の世界」(ライブラリー:図書6ページ・7ページ)

https://kutsukake.nichibun.ac.jp/obunsiryo/book

 

年末大特集 2021年 TOP10記事発表

2021年12月23日 / まとめ, トピック

早いもので、2021年も残すところわずかとなりました。

メディア、人権、アートに珍獣、数学、サイエンス、大学発商品‥ などなど、今年もさまざまな記事をお届けしてきた「ほとんど0円大学」。2021年、もっとも読まれたのはどんな記事でしょう?

年末恒例の、ほとんど0円大学の年間ランキング、トップ10の発表です。

※PV数(閲覧回数)によるランキング


《10位》 画家・山口 晃の独特すぎる表現はどこから? 京都芸術大学 公開連続講座「日本芸能史『型と創造』」レポート

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画家の山口晃さんによる講義のレポートです。すべてが画家自身の実践に裏打ちされた、絵の「型と創造」にまつわる探索。その奥行きははかり知れません。 記事はこちら!

 

《9位》 福島県立医科大学の医師がレッスン。コロナうつ予防に役立つ『笑いヨガ』をやってみた

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笑いの効用は、うつ予防に認知症予防、痛みの軽減、アンチエイジング‥。「笑う門には福来る」のも道理です。

笑いは感情じゃない、行動だ。おかしくなくても笑え!  記事はこちら!

 

《8位》 松坂桃李が大学広報マンに!NHK土曜ドラマ『今ここにある危機とぼくの好感度について』誕生秘話を聞く

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大学の広報マンが、次々に巻き起こる不祥事に振り回され、追い込まれていくブラックコメディー(NHK総合、2021年4月~5月放送)。ドラマにこめた思いを、制作プロデューサーにお聞きしました。 記事はこちら!

 

《7位》 珍獣図鑑(10):アメーバ状からキノコのように変身! だけど菌類じゃなく動物でも植物でもない、不思議でカワイイ単細胞、変形菌

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ユニークな生物の研究を紹介するシリーズ『珍獣図鑑』からランク入り。「変形菌」の研究にいそしむのは、5歳で変形菌に魅入られ、7歳にして研究の道に入りこんだ現役大学生。その研究成果を語ります。 記事はこちら!

 

《6位》 珍獣図鑑(9):日本から35年ぶりに新種エントリー! ゴキブリの概念を覆す美麗種、ルリゴキブリ

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「人が嫌う虫を研究したい」と、南の島で瑠璃色の新種ゴキブリを発見した研究者(とゴキブリ)が登場します。

珍獣も珍獣ですが、研究者も研究者です。(褒めています) 記事はこちら!

 

濃い顔ぶれが続きます。

《5位》 珍獣図鑑(8):見た目はクワガタ、暮らしは海、大人は断食…これがウミクワガタの生きる道

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ウミクワガタ=海のクワガタ…そんなド直球なイメージで泳いでいるクワガタを想像したけど、写真を見てビックリ。色以外ほぼ正解ですやん! なにこれ、溺れないの? と心配になっちゃうほどクワガタなんですが…いったい何者なんですか?…記事本文はこちら 

 

『珍獣図鑑』シリーズに登場する生き物はどれも言葉を失うヘンテコさですが、ダンゴムシの仲間でありながらクワガタ風の外見を獲得しているというこの虫も、多くの人の心をとらえたようです。

 

《4位》 活火山がないのに有馬温泉が湧くのはなぜ?その謎を解明した、神戸大学マグマ学者に聞いてみた。

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温泉が恋しい季節になった。箱根や草津温泉など関東の温泉地に思いを馳せると、活火山がセットになって浮かんでくる。しかし関西の温泉に思いを馳せると…あれっ、近畿には活火山ってないのではー?! 温泉といえば活火山から生まれていると思い込んでいたけれど、そうじゃない温泉もあるらしい。記事本文はこちら

 

「いい湯だな~」と有馬温泉に浸かっているみなさん! その湯の熱さは、有馬の地下プレートの “若さ” と “軽さ” に由来しているようですよ。

 

《3位》 研究者の質問バトン(3):ネアンデルタール人はどうして絶滅したの?

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ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)は、約40万年前に出現し、約4万年前に絶滅したと考えられている化石人類。進化史上では私たちホモ・サピエンスと同じ時代を生きてきた「きょうだい」とも言える存在です。なぜホモ・サピエンスが現代まで生き残り、ネアンデルタール人が絶滅したのか記事本文はこちら

 

いろいろな仮説が立てられていますが、何せ昔のことで、なかなかシッポがつかめないもよう‥。

 

《2位》 クレーンゲーム攻略の鍵は「物理」の教科書にあり。鹿児島大学・小山教授が伝授するプライズゲットの技と心得

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クレーンゲーム。「これは取れるだろう」と思っても実際やるととれない。クレーンゲームでプライズを上手くとれるようになったら楽しいはずだ…そう思っていたとき、「クレーンゲームのプライズゲットを力学的に考察する」という話題を講義にとりいれている物理学者がいることを知った。記事本文はこちら

 

クレーンゲームに挑戦する際の心得は「心、技、体、物理」なのだそうです。

 

そして、1位は・・

《1位》 珍獣図鑑(14):交尾は生涯一度きり。なのに10年以上産卵を続ける女王アリの秘密にせまる

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「地球上の全人類の重さと全アリの重さはほぼ同じ」というトリビアを聞いたことのある人は多いと思う。この話が本当かどうかはさておき、この世界には途方もなくたくさんのアリが今も暮らしていることは間違いない。そんな膨大な生息数を支えるべくせっせと産卵を続ける女王アリの生態について、甲南大学の後藤彩子先生にお聞きした。記事本文はこちら

 

アリ社会の厳格な分業制と生殖戦略に、自然界の厳しさがかいま見えます。「もっと結婚飛行したい」とかいう甘い願いを抱く余地はなさそうです。

***

 

「ほとんど0円大学」の記事は全体に味が濃い目ですが、トップ10にはとりわけ個性の強い顔ぶれがそろった印象です。

昨年と同様、コロナに翻弄されて大変な一年でしたが、今後も大学が発信するさまざまな発見や驚きに出会い、楽しんでいただければ幸いです。

みなさま、本年もありがとうございました。よき新年をお迎えください。

 

 <ご参考> 
過去のランキング

2020年版2019年版2018年版2017年版2016年版2015年版

 

アジアの女神は変幻自在? 龍谷ミュージアム特別展「アジアの女神たち」レポート

2021年11月4日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

 

この秋、龍谷ミュージアム(京都市)にて特別展「アジアの女神たち」が開催されています。

登場するのは、先史時代の土偶からインドの女神、仏教に取りこまれた女神や観音など多彩です。ミュージアムの語源である「ムセイオン」が女神(ムーサ、ミューズ)をまつる場所だったという当初の役割に立ち返り、龍谷ミュージアムの開館10周年を記念する展覧会となっています。

 

女神の歴史的な背景についてお聞きしながら鑑賞すればさらに面白そうだと思い、展覧会を担当した学芸員の岩井俊平先生(龍谷ミュージアム准教授)に見どころを伺ってきました。

展示は太古の女性像にはじまり、インド周辺の女神、それらが仏教に取り込まれ、変貌するさまを追っていきます。

 

女神像の起源

 

展示会場に足を踏み入れると、まず迎えてくれるのがこの像です。

重文 訶梨帝母坐像 平安時代後期・12世紀 奈良 東大寺(写真提供:奈良国立博物館)

重文 訶梨帝母坐像 平安時代後期・12世紀 奈良 東大寺(写真提供:奈良国立博物館)

 

やさしい表情で、腕に子どもを抱いています。豊穣や多産の神・訶梨帝母(かりていも)で、「鬼子母神(きしもじん)」の名でも知られています。

この像は、日本に現存する訶梨帝母像としては最古の可能性があるとのこと。まさに展覧会の「顔」にふさわしい品格を感じます。

 

もっと古い時代の女性像はどんなものでしょう。

女性土偶 北シリア 前5500年頃 平山郁夫シルクロード美術館

女性土偶 北シリア 前5500年頃 平山郁夫シルクロード美術館

 

豊満な胸や足腰の表現が特徴的です。「豊穣に対する切実な願いが込められているのでしょう」と岩井先生。人をかたちづくった人形(ひとがた)は世界のいろいろな地域で見られますが、最古のものはどれも女性像だそうです。

 

岩井先生が「本展覧会のイチおし」というのがこちらの土偶です。

重文 円錐形土偶 山梨 鋳物師屋遺跡 縄文時代中期・前3000年頃 南アルプス市ふるさと文化伝承館

重文 円錐形土偶 山梨 鋳物師屋遺跡 縄文時代中期・前3000年頃 南アルプス市ふるさと文化伝承館

 

大きくふくらんだお腹に手を添えている姿は、妊娠した女性をあらわしています。胴の中は空洞で、かつては中に「鳴る子」という玉が入っており、振ると音が鳴るようになっていたとのこと。豊穣、多産を願うもので、何らかの儀式で使われたと考えられています。

※後期(10/19~11/23)は複製品の展示となります

 

本当に同じ女神? インドから日本へきた女神

 

岩井先生によると、この展覧会の見どころのひとつは「対応関係にある女神を比較して見ていただけるところ」とのこと。たとえば、繁栄、豊穣などの吉祥をもたらす女神「吉祥天」は、吉祥をつかさどるインドの女神「ラクシュミー」が仏教に取りこまれたものです。

吉祥天を見てみましょう。

重文 吉祥天立像 平安時代・10世紀 奈良 薬師寺

重文 吉祥天立像 平安時代・10世紀 奈良 薬師寺

 

写真は、薬師寺の吉祥天像です。この像の近くに、その起源にあたるインドの女神「ラクシュミー」も展示されていますが、豊満な胸や腰に、動きを感じさせるポーズで、見た目だけでは上の吉祥天像のルーツだとはとても思えません。文化とか風土の違いが感じられて面白いところです。

 

冒頭でご紹介した、子どもを抱いた女神・訶梨帝母(かりていも)も、もとはインドの豊穣・多産の女神「ハーリーティー」が仏教に取りこまれ、日本に伝わったものです。(ちなみに「かりていも」という読みは、「ハーリーティー」の音がもとになっています)

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ハーリーティーはどんな姿でしょう。

ハーリーティー倚坐像 スワート(パキスタン) 2~3世紀

ハーリーティー倚坐像 スワート(パキスタン) 2~3世紀

 

エキゾチックな風貌ですが、子をいつくしむ母の表情は日本の訶梨帝母と変わらないようです。

 

ちなみにハーリーティーは地元のローカルな信仰の対象であったものを、おそらくは仏教を布教するときに「ハーリーティーは実は仏教の女神です」ということにして、仏教に取りこんでいったのではないかということです。わりとざっくりしているというか、よく言えば柔軟な感じです。

 

女神は、やさしげなものばかりではありません。中にはちょっと怖そうな女神も登場します。

ドゥルガー立像 インド 20世紀 国立民族学博物館

ドゥルガー立像 インド 20世紀 国立民族学博物館

 

女神が足で踏みつけているのは、魔王です。悪者をこらしめる正義の味方のような感じでしょうか。

「男の神様たちが、自分たちの力では退治できなかった悪魔を滅ぼすためにつくった女神です。血みどろな感じでして‥」と岩井先生。展示会場には、この女神が悪魔をやっつける様子を描いた参考資料も紹介されていますが、なるほど血の海です。(それほど生々しい描写ではないので、ご安心を)

この女神は「ドゥルガー」という名で、インドではいまでも絶大な人気があるそうです。

 

変幻自在の弁才天

 

悪魔を滅ぼすような女神は、日本にも伝わってきたのでしょうか? 実はある種の弁才天がその特徴を受けついでいることがわかっています。

弁才天というと七福神の一人で、琵琶を持った福の神というイメージです。そのイメージ通りの弁才天も展示されていますが、弁才天にもいくつかのバリエーションがあるとのこと。先ほどの戦闘的な女神ドゥルガーの系譜をつぐ弁才天は、腕が8本あり、弓や刀や斧など持ち物すべてが武器という、戦闘モードの(とても弁才天とは思えない)弁才天です。

 

ところで、この展覧会で私がもっとも強い印象を受けたものの一つが、下の像です。

弁才天立像 鎌倉時代・13~14世紀 兵庫 鶴林寺

弁才天立像 鎌倉時代・13~14世紀 兵庫 鶴林寺

 

こちらも弁才天の一種ですが、頭の上に鳥居が建っていて、さらにとぐろを巻いた蛇が載っています。その蛇の顔が老人になっているという異様さですが、この蛇は宇賀神(うがじん)という名の穀物の神で、これを頭に載せた弁才天は「宇賀弁才天」と呼ばれるそうです。

頭上に載っているものには度肝を抜かれますが、財宝や福徳の女神とのことで、弁才天らしいご利益がありそうです。

鳥居や蛇を、もっと「ドーン」と盛った感じの弁才天像も会場には展示されていて、私はそちらもけっこう好きだなと思いました。当時の人々の切実な思いとか、原初的なエネルギーを感じます。また、なんとなく現代の関西人のノリに通じるものも感じます。

 

観音の性別は‥

 

展覧会の最後をかざるのは、観音像です。

ところで観音といえば、男性と女性、どちらのイメージをお持ちでしょうか?

私は「なんとなく女性」というイメージでしたが、発祥の地であるインドでは、はっきりと「男性」だったそうです。

インドから日本に伝わるまでの間に、女性的な雰囲気で表現されたり、観音ではない女神が観音と同一視されたりということが起こりました。

 

これについて岩井先生は「もとのサンスクリット語では男性名詞と女性名詞の区別があったのに対し、東アジアの言語ではその区別がないことが関係しているかもしれません」といいます。また、観音の慈悲深いイメージが、女性と結びついて違和感がなかった可能性もあるようです。

 

展示されている観音像はどれも信仰の対象だと思いますが、なかには美術工芸品としてもとても美しいと感じるものもあり、印象に残っています。

 

* * *

 

さまざまな女神を見てきましたが、人々の願いを託され、イメージがふくらみつづける様子を見ていると、女神は「なんでも引き受けてくれるお母ちゃん」のようにも思えてきます。

 

こうした像をお寺などで拝観すれば、人の信仰心のようなものをより強く感じるのかもしれません。

一方こうした展覧会で、ひとつの女神が地域によりさまざまに姿を変えながら信仰されてきたことを知ると、人間の本質的に変わらないところと、同時にいかに違うものかということを体感することができて、とても興味深いです。それぞれの視点で楽しめる展示ではないかと思います。

 

ときにはスマホを置いて、本を手に ~読書や本に関する記事まとめ

2021年10月7日 / まとめ, トピック

今回は「読書の秋」にちなみ、読書や本にまつわる記事を集めました。本に囲まれ、ゆったりできるスペースや図書館などの話題をご紹介します。お出かけがてら、人の気配を感じながら本を手に取るのもいいですね。

 

* * *

 

●都心の本の杜! 國學院大學「みちのきち」で本とともに憩う。
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(C)國學院大學

 

最初にご紹介するのは、國學院大學のキャンパス内にあるフリースペース。なんとも落ち着けそうな空間です。

本離れが進む中、「紙の本」を手にとってもらいたいという思いから大学内につくられたスペースで、一般の方も利用可能です。

「みちのきち」とは不思議な名前ですが、“未知”のことを既知に変える “基地”、人生(”道”)の迷いに向き合う”基地”‥などの意味がこめられているそうです。

記事はこちら! ※記事中の【教授のおススメ本】のコーナーは取材時(2018年4月)の特集です

 

●神戸大からすぐの「ink BOOKS and COFFEE」でゆったり時間。

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本に囲まれてゆっくりできそうな空間をもう一つ。
レコードから流れる音楽も心地よく、日常を離れてリフレッシュできそうです。

記事はこちら!

 

●明治大学「現代マンガ図書館」がリニューアル! ここでしか見られない企画展と超レアなお宝を見学

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今年(2021年)リニューアルしたマンガ専門図書館の紹介記事です。

建物の1階で開かれている常設展や企画展の展示を自由に見ることができ、熱心なマンガ好きでなくても気軽に楽しめそう。会員登録をすると、2階の閲覧室も利用できます。

記事はこちら!

 

このリニューアルにより、現代マンガ図書館と「明治大学米沢嘉博記念図書館」のカウンターサービスや閲覧室が一体化されています。リニューアル前の様子について知りたい方は、下のリンクより「コミケの父、その偉業に感涙!明治大学米沢嘉博記念図書館でマンガとサブカル、懐かしのコレクションを手にとる。」 の記事もどうぞ。

記事はこちら!

 

●京都国際マンガミュージアムで知った、ジャパンクールの底力!

東にマンガ博物館あれば、西にマンガミュージアムあり。ということで、京都のマンガミュージアムの紹介です。

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京都精華大学と京都市の共同事業で開館したミュージアムです。「マンガを自由に読める場所」としか認識していませんでしたが(それも間違いではないのですが)、江戸期の戯画浮世絵から明治・大正昭和初期の雑誌、戦後の貸本や海外の作品なども所蔵していて、展示やワークショップなどで公開・活用されているそうです。

建物は昭和初期に建てられた小学校の校舎が活用されていて、古い建物に興味がある人にとっても気になりそうな存在です。

記事はこちら!

 

●大阪大学発「紙の電子ペーパー」が未来を変える。

少し異色なところで、サイエンス系の話題も。

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「紙の電子ペーパー」は、その名の通りディスプレイが紙でできており、電極や電源も紙の材料を使ってつくられています。

取材した先生の「紙」へのこだわりぶりは徹底していて、導電材料を紙に均質に塗る方法も、伝統的な紙漉きの原理を応用しているとのだとか。よく分からないけど、なんかすごそうです。

記事はこちら!

* * *

 

感染対策に気をつけながらも、いろいろな場所に出かけやすくなったのはうれしいことです。

ご紹介した施設、お店は予約は不要ですが、人数制限が設けられている所もあります。ウェブサイトなどで最新の情報をご確認のうえ、お出かけください。

どう変わる? コロナ後の文化と観光 ~ 京都産業大学シンポジウム 参加レポート

2021年9月9日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

2021年7月4日、京都産業大学にて『ポストコロナ社会の文化と観光を考える』をテーマとしたシンポジウムが開催されました。

本年4月から同大学の文化学部京都文化学科に観光文化コースが開設されたことを記念し、山極壽一先生(総合地球環境学研究所所長、京都大学名誉教授)の基調講演や、4名のパネリストによる意見交換を行い、新たな京都観光の姿を探るシンポジウムでした。

 

私自身は神社仏閣や散策が好きで、コロナ前はよく京都に出かけていました。コロナ禍により観光が強制的に停止させられ、その後の再開を展望するとき、「観光」はどんな姿を見せるんだろう。そんな興味を抱いて参加しました。

 

観光文化コース開設記念シンポジウムのプログラムは下の通りです。

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祇園で舞われる「京舞」披露

最初に京舞井上流の舞踊家・井上安寿子さんによる京舞が披露されました。

京舞井上流は江戸時代に京都で生まれ、能の舞などに影響を受けて発展してきた日本舞踊です。京都の五花街のうち、祇園甲部の舞妓さんや芸妓さんが舞うのがこの井上流で、井上さんはそこで舞の指導をされています。

 

特別公演の演目は『蛍狩』。うちわと蛍籠を手にした娘さんが蛍を追い、蛍火に恋心を重ねて舞うというもの。

『蛍狩』を舞う井上安寿子さん

『蛍狩』を舞う井上安寿子さん

 

わずかな顔の傾き、ちょっとした仕草、視線の置き方の変化で、女性の思いが伝わってきます。抑制が効いているからこそ、舞手から発せられる「気」のようなものが感じられるのです。

山極先生登場 ~ ゴリラ研究と観光の関係

京舞の後、今春、京都産業大学に開設された観光文化コースの設置の趣旨と教育内容を紹介、学長挨拶に続き、山極壽一先生の基調講演がありました。

 

山極先生は元京都大学総長で、ゴリラの研究で知られる人類学者です。
「ゴリラの研究と観光になんの関係があるんだろう」と思いましたが、先生はゴリラの研究を通じて人間社会を見ていて、今という時代を生きる人間が観光に何を求めるのか、という観点から話されました。

基調講演を行う山極壽一先生

基調講演を行う山極壽一先生

 

人類が農耕牧畜を始め、定住生活を行うようになったのは、約1万2000年前。人類の歴史の中では比較的最近のことで、本来は食料を探して動き回る「遊動生活」(狩猟採集生活)の生き方が合っているそうです。

 

最近はAIやITの発展により、一つの土地にしばられない生き方が再び可能になりつつありますが、このような社会では、ものを所有することよりも所有物を少なくして動き回り、「行為」「体験」することに価値がおかれます。「観光においても体験が重視される」とのことで、先生自身が関わった滞在型のエコツーリズムについて紹介されました。

(エコツーリズム‥地域ぐるみで自然環境や歴史文化など、地域固有の魅力を観光客に伝えることにより、その価値や大切さが理解され、保全につながっていくことを目指していく仕組み)

 

コロナ禍で対面での会話・会食、芸術やスポーツなどが制約を受けたことで、これらが人間の暮らしに欠かせないものであることが浮き彫りになっています。コロナ後の観光は、小規模で滞在型、感染予防の意識をもつことに加え、五感を通じた交流が合う、という提言をされました。

 

人類はすっかり定住生活になじんでいると思っていましたが、今でも遊動生活(狩猟採集民の生活)が合っているという指摘は意外に感じました。定住生活よりはるかに長い間、引き継がれてきた遊動生活のDNAは簡単に消えるようなものではないということでしょうか。

これからどうなる? 京都観光

次は、「京都から展望する文化と観光のゆくえ」をテーマとしたパネルディスカッションです。

パネルディスカッションの風景

パネルディスカッションの風景

 

パネリストはそれぞれ「京舞」「日本庭園」「観光行政」など、京都の文化や観光の分野で仕事をされている方々です。現状やこれまでの課題について、どのようにお考えでしょうか。

 

前半では、それぞれの専門分野の現状やコロナ前の課題、コロナ後についての予測を順にお聞きし、後半ではコロナ後の観光への期待を伺う形で進められました。

 

最初に、京舞を披露した井上安寿子さんから京舞井上流の歴史や現状についての紹介がありました。

京舞井上流について解説する井上安寿子さん

京舞井上流について解説する井上安寿子さん

 

京舞井上流は江戸時代後期に創始され受け継がれてきましたが、舞を披露する舞妓さんや芸奴さんは人と接することが仕事なので、コロナ禍では大変苦しい状況におかれています。

 

井上さんは「日本舞踊は体で伝えるものなので、稽古をしないとなまってしまう」と、人数を減らして時間を区切って稽古したり、小規模な舞の会を企画したりしていることを紹介。「できることを精一杯やるしかない」と現状を報告されました。

「コロナで人が来なくなり、当初は喜んでいた」

続いて、日本庭園史を専門とするマレス エマニュエル先生(京都産業大学 文化学部准教授)です。

エマニュエル先生はフランス出身で、最初は観光客として来日しました。その後庭師の見習いになり、さらに研究者となったという経歴の持ち主です。

日本庭園史を専門とするマレス エマニュエル先生

日本庭園史を専門とするマレス エマニュエル先生

 

観光客として庭を見ていたときは、庭の「現在」の美しさを楽しんでいましたが、その後、庭師の見習いになると、「この庭を今後どうしていけばよいか」と常に「未来」を見ていくことに。さらに研究の対象になると、木の種類を記録したり石のサイズを測ったりと、庭がこれまでにどのようにつくられてきたかという「過去」に目を向けるようになりました。

 

「現在・過去・未来」と3つの時間軸で庭を見てきたエマニュエル先生は、「庭は生き物で、変化していくもの」だといいます。庭そのものが変化することもあれば、使われ方が変化する(貴族の別荘が寺院になり、さらに回遊式庭園になるなど)こともあります。

コロナ前まではキャパシティを超える観光客を受け入れてきた京都の庭園。コロナの後は、どう変化するのでしょう。

エマニュエル先生によると、コロナの影響で突然観光客が来なくなって、庭の維持管理に関わる人が「庭が生き生きしている」「庭が呼吸できる」などと話していたそうです。ところが、それがあまりにも長引くと収入が入ってこなくなり、コロナ前とは別の悪循環に陥ります。

 

今後について、エマニュエル先生は「無鄰菴(むりんあん:明治の元勲と言われる山県有朋が左京区に造営した別荘で、現在は京都市の所有)で人数制限をして、夜に蛍を見る催しがあったように、今後はこのような少人数・予約制・季節限定のようなイベントが増えていくのではないか」と予測します。

 

続いて、京都市で観光行政に携わる秋山正俊さん(京都市産業観光局MICE推進室室長)です。

京都市で観光行政に携わる秋山正俊さん

京都市で観光行政に携わる秋山正俊さん

 

秋山さんは、コロナ前に起こっていた問題として観光地や市バスなどの混雑、マナーの問題を指摘しました。京都市が2025年に向けて策定した「京都観光振興計画2025」では、「市民生活と観光の調和」を掲げています。

 

コロナ前のオーバーツーリズムと、その対極にあるコロナ禍の状況。今後について、秋山さんは「コロナをきっかけに、自然に着目するエコツーリズムや、近場での観光が今まで以上に注目されている。キャッシュレス化や予約制の導入、少人数でゆっくりと体験するような観光は、コロナ後も残るのではないか」と予測します。

コロナでつらいのは、人と交流できないこと

この日、パネルディスカッションでファシリテーターをつとめたのは、文化政策や観光政策を専門とする平竹耕三先生(京都産業大学文化学部教授)です。ディスカッションの後半は「コロナ後の観光に期待すること」をテーマに、『人との交流』にスポットを当てて進められました。

ファシリテーターをつとめた平竹耕三先生

ファシリテーターをつとめた平竹耕三先生

 

平竹先生は「コロナでつらいのは、人と交流できないこと」だといい、コロナ後は(オーバーツーリズムによる混雑などで)観光客と住民が対立しない、「自然な形で交流が生まれる観光」を期待します。

また、たとえば週4日は会社で働き、副業として週1~2日、自分の特技を生かして地元で観光に携わるといった働き方の変化への期待も口にされました。

 

エマニュエル先生からは、「交流による変化」への期待の声が上がりました。フランス人は庭を見ると植物に注目しますが、日本では庭は石を中心に解説されることが多く、求めるものとのズレがあるそうです。

「お互いの視点が組み合わされば、有意義な庭の見方ができるのではないか」との意見です。

 

私自身、コロナ禍になる前は観光客(特に外国人)を見かけると、いろいろな国の人に自国の文化を楽しんでもらえることが嬉しく誇らしく、「文化交流は世界平和につながる」と思ったものです。エマニュエル先生の「文化が交流を生み、学び合い、多様性を認め合うことにつながる」というお話は深くうなずけるものでした。

 

『人との交流』という点について、京都市の観光行政に携わる秋山さんは「観光の本質だ」と述べられ、また京舞の井上さんは「花街でもオンラインのイベントなどの取り組みを行ったが、やはり生でご覧いただきたいと思う。肌や空気で感じていただきたい」と期待をこめます。

このことは、最初に井上さんの舞を拝見したときに実感しました。舞手の「気」のようなものが感じられたのは、生で観たからこそだったと思います。

 

最後にファシリテーターの平竹先生が「思いやり、信頼にもとづく交流が必要」「これまでは旅先で知り合い友だちになることが多かったが、これからはSNSなどで知り合い、友だちを訪ねる観光という逆の流れも増えるのでは」という意見で、ディスカッションを締めくくりました。

持続可能な観光へ向けて

コロナ後に向けて人との交流を重視されていた点、日時予約制の継続が予測されていた点は、登壇者のみなさんの意見が一致していました。平竹先生が最後に話していた「思いやり、信頼にもとづく交流」という言葉も、観光の理想の姿を表していて印象に残ります。

 

コロナ禍で人が来なくなって「(庭が呼吸できるから)当初は喜んでいた」というエマニュエル先生のお話は、オーバーツーリズムの課題を象徴していると感じます。コロナ収束後は単に元通りに復活するというのではなく、文化財や自然、そこに暮らす人の生活が守られ、価値を分かち合えるような循環が生まれるといい。コロナを機に流れを仕切り直し、持続可能な観光に切り替わる転換点になったと、何年か後にふり返ることができればと思います。

 

画家・山口 晃の独特すぎる表現はどこから? 京都芸術大学 公開連続講座「日本芸能史『型と創造』」レポート

2021年7月20日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

成田国際空港のパブリックアートや、2019年の大河ドラマ「いだてん」のタイトルバック画、小説の挿画など、幅広い制作活動を展開する画家・山口晃さん。

 

10数年前、美術館で山口さんの作品を初めて見たときの驚きは忘れられない。一見、どこかで見たことがあるような《洛中洛外図》だが、よくよく見ると、描かれた人物の身なりは江戸時代から明治・大正、現代と思われるものが入り交じり、一つの画面で時代が行ったり来たりする上に、京都タワーは大きめのローソクに置き換えられ、随所にダジャレが仕込まれ(たとえば『仁和寺』は、『みんな「ぢ」』で厠(かわや)に行列ができている、といった具合)、虚実ないまぜになった画面に、時間を忘れて見入った記憶がある。

その独特すぎる発想はいったいどこから来るのだろう?

 

先日(2021年5月31日)、山口さんが講師として京都芸術大学の公開講座「日本芸能史『型と創造』」に登壇されると知り、講義の様子を取材させていただいた。

公開連続講座「日本芸能史」は日本舞踊、絵画、能、狂言、華道、歌舞伎など各界の第一人者を講師に招いて開催される講義。通常は対面講義だが、今回は感染症対策のため、山口さんはオンラインで登壇し、学生はオンライン、一般受講者は実会場(京都芸術大学 春秋座)での受講となった。

 

<講師プロフィール>

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撮影:曽我部洋平 Courtesy of Mizuma Art Gallery

 

山口 晃(やまぐち あきら)

1969年、東京都生まれ、群馬県桐生市に育つ。1996年、東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻(油画)修士課程修了。

日本の伝統的絵画の様式を用い、油絵という技法を使って描かれる作風が特徴。都市鳥瞰図・合戦図などの絵画のみならず立体、漫画、インスタレーションなど表現方法は多岐にわたる。

山口晃《新京都百景 志賀街道 子安観音》 2017 紙にペン、水彩 33.3 × 24.2 cm  (c) YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery

山口晃《新京都百景 志賀街道 子安観音》 2017 紙にペン、水彩  33.3 × 24.2 cm (c) YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery

 

 講義は、講座の司会進行、企画・コーディネーターを務める京都芸術大学教授の田口章子先生のあいさつからスタート。

まずは山口さんの著書『ヘンな日本美術史』から、次の一節を紹介された。

 

「『洛中洛外図というフォーマット自体は古いものです。その古さの上に乗って見るから、そこに差異を見つけた人がかえって新しさを感じられる面があります』。これを読んで、絶対、この講義にご登壇いただきたいと思った」と、講義を依頼したきっかけを話された。

『ヘンな日本美術史』(山口晃/著)を手にする田口章子先生

『ヘンな日本美術史』(山口晃/著)を手にする田口章子先生

 

この後、山口さんにバトンタッチ。『型と創造』について、山口さんはどんな視点で語ってくださるのだろう。

 

「今回はすべて自分の体験から話すという講義になると思います」と切り出した山口さん。著書『ヘンな日本美術史』に書いたような日本の古い絵にアプローチしたのは、自身の制作の行き詰まりがひとつの契機になったという。自分が絵を描き続けていく原動力として日本の古い絵に目をとめた、と、著書について紹介。

 

子どものころからひたすらお絵描きが好きで、その延長で美術大学に行ったというから、さぞ順風満帆に絵の道を歩まれてきたのかと思いきや、その過程では「自分が引き裂かれる」経験があったという。まずはその話を最初にしたい、と話し始められた。

 

「描きだすと、なんか友だちがやって来る感じなんですね」

 

子どものころ、広告の裏紙などにボールペンやエンピツで絵を描いていた山口さんは、目に入るいろいろな絵をマネしたり、自分が“ビビッ”ときたものを描いたりしていたという。

 

「そこにおいては自分の内面の心の動きと言うんですかね、そこにさざ波が立つっていうのが重要な動機になってまして。描きだすと、なんか友だちがやってくる感じなんですね。絵を描くときにだけやってくる友達がいて、描いているとその友だちと遊んでいるような感じ

 

そういう行為であったお絵描きが、自分から引き離される最初の経験が、小学校の図画工作の時間だったという。

図画工作の絵は、時間内に描いて提出しなければならない。そのような外的な要因で絵の終わりが決められることが、たいへん辛かったそうだ。

それにもだんだん慣れてくると、絵が“分離”したという。「学校で描く絵と、家で描く絵」とに分かれていったのだ。

 

お絵描きそのものは何不自由なく楽しんでいたが、ある年代から、自分がイメージしたものを描こうとすると手が追い付かないようになった。美大に行けば、手の技をイメージに追い付かせる方法が学べるのではないかと思った山口さんは、美大を志向するようになる。

 

山口さんが進学した大学には日本画科と油絵科とがあり、より自然主義的な描写力に支えられた油彩画のほうが汎用性があるのではないかと考え、油絵科を選択。

 

ただ美大で描く絵は、単に絵を技能として学ぶのではなく、「絵画のあり方」といったものからアプローチするものだった。

 

「油絵具というメディウム(画材)で描くとき、そして美術史というものの流れの先端に自分を位置づけてやっているときに、非常な息苦しさと、どうにもならない行き詰まりがおこった」と述懐する。

 

「ある日突然、筆が動かなくなった」

 

山口さんが、大学1年のときに描いた絵《洞穴の頼朝》を見せてくださった。

山口晃《洞穴の頼朝》1990 カンヴァスに油彩 116.7×91cm 撮影:長塚秀人 ©︎YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery

山口晃《洞穴の頼朝》1990 カンヴァスに油彩 116.7×91cm 撮影:長塚秀人 ©︎YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery

 

描線を主にする日本絵画と、色彩の中に輪郭線を消していく西洋絵画の交点を描き出そうとしたものだという。

これを描こうと思ったきっかけの一つは、山口さんが高校の国語で読んだ『移動の時代』(中村光男著)という評論だった。そこには「明治以来の文化が西洋の模倣に過ぎず、日本的な内発性を欠いているのではないか」ということが書かれており、山口さんはこれを読んだとき「美術がまさにそうだ」と思ったという。

《洞穴の頼朝》を見せる山口さん

 

それまでに出来ていった日本の美術が西洋の範に沿わず、生き埋めになる。西洋美術というものを範として倣い続けていて、そこに日本的な内発性というものは発揮しようがないのではないか、と。

 

「内発的な日本美術というのは、今、可能なんだろうか?」と考えた山口さんは、「日本美術の歴史や西洋美術の歴史というものを自分で追体験したうえで美術をやってみれば、内発的な推進力が生まれ、それが生き埋めにされない絵ができるのではないか」と考え、自らやってみることにした。

 

そうして描いたのが《洞穴の頼朝》だったが、大学2年のときに、「もののみごとに行き詰まった」という。

 

「ある日突然、筆が動かなくなったんですね。何にも(頭に)うかばない。手が全然動かない。まったく描こうという気がおきなくなって、いたずらに日が過ぎて、なんでだろうなぁ、って思いながらもさっぱりわかんなんくて。何だろうなぁ、何だろうなぁ、と」。

 

そんなふうに思いながらも、「ふと気づくと、家に帰ると、お絵描きしていた」という。

 

「なんで、こっち(お絵描き)は続いて、学校で描く絵がさっぱり進まないんだろう」と思ったときに、気が付いた。

 

「私が内発しているのは油絵でもなければ、 “なんちゃって日本” 的なよろいかぶとでもない。ただロボットを描いたりカブトムシを描いたりしていた、あのお絵描きなんだ」と。

 

そして、「戻ろう」と思った。

どこに戻るのかというと、「お絵描き」しかない。

 

美術から「おりる」

 

「お絵描きに戻ろう」と思ったものの、その時、非常に恐ろしかった記憶があるという。美術から「おりる」感じだったのだそうだ。

 

美術予備校に行っていたとき、江戸川乱歩や夢野久作の世界が好きだった山口さんは、モデルの人物の後ろに赤い月を描いたことがあった。そのとき予備校の先生に「これはデッサンをできるようになってから描こうか」と、諭すように言われた。

そのとき、「これは外でやっちゃいけない」と自分でフタをしてしまった。これがダメなら、たぶんメカも描いちゃいけない、けっこういろんなもの描いちゃいけない。そういうのは美術じゃないんだ、と。

 

また、日本画を描く同級生から聞いた話があった。ふつう日本画は墨と岩絵の具で描くものだが、アクリル絵具を使って描いた学生の前を、教授がスーッと素通りしたという。

「範疇を外れるということは、居なかったことにされることだ」と、その時思った。

 

「美術大学しか知らないような人間からするとそれは恐怖で、そういう恐ろしさがあったんですけども、その恐ろしさに飛び込まないことには、もう自分は絵が描けないから、もういいや、と。お絵描きに戻して、そこで先生方が素通りしても、それはしょうがない

 

そこで山口さんが描いたのが、下の絵だった。

山口晃《大師橋圖畫》1992 紙にペン、油彩 116.5×181cm 撮影:長塚秀人 ©︎YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery

山口晃《大師橋圖畫》1992 紙にペン、油彩 116.5×181cm 撮影:長塚秀人 ©︎YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery

 

橋の上を旅の一行が通りがかっていて、その橋の上になぜか家屋がくっ付いていて、そこでいろいろなことが繰り広げられている。クラフト紙(荷物を包むような紙)に、ペンで描かれている。

 

この絵が、幸か不幸か、それほど排斥を受けなかったという。

 

「やっぱり、自分から出たものっていうのは、ある程度人の足を止めさせるものがあるんだなあ、と。そのとき、作品の生まれるところ、というのを教わったような気がしたんですね」

 

その『型』になる心の動きは何なのか

 

そのころ『やまと絵展』(1993年)を東京国立博物館で見た山口さんは衝撃を受ける。油絵で「やってはいけない」と言われたことが全部されている、だがこの絵の強さは何なんだろう、と。

 

(やまと絵‥中国風の絵画「唐絵」(​からえ)に対し、日本的風物を主題にした絵画。平安時代以降に発達)

 

今までやってきた絵とはまったく違う絵画原理でできているものを見て、「これは一体どういうものが内発したことによってできあがっている世界なのか」と、様式性、型、というものに、目を止めるようになる。

 

たとえば古い絵だと当たり前のように思って見てしまうが、パース(遠近)が全くつかず、雲を見下ろすように描かれている。

あれはいったい何なのか、「その型になる心の動きは何なのか」を知りたくて、大学の卒業制作のときにやってみた。

 

下の絵がその作品。パースがつかず、低いところに雲がある。

山口 晃《深山寺参詣圖》1994 カンヴァスに油彩 170×210cm 所蔵:群馬県立館林美術館 撮影:宮島径 ©️YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery

山口晃《深山寺参詣圖》1994 カンヴァスに油彩 170×210cm 所蔵:群馬県立館林美術館
撮影:宮島径  ©️YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery

 

こうした絵を見たり描いたりするときに、山口さんが注意したのは「考えない」ことだという。

 

「考えないというのは、現代人の自分の考えでそれを判断しないっていうことですね。現代というのは西欧的な思考が入ってますけど、それ以前のものを諮るときに、現代的な解釈をしすぎない」

 

古美術を見るときに山口さんが自戒しているのは「わかった気にならない」こと。ではそれは、自分はわかってない、と思うことかというと、それすらも違うという。

 

「『わかったか、わかってないか、わからない』という、ものすごく中途半端な状態をとり続けるという、‥究極においてはわからないものに向き合い続けるっていうんですかね」

 

“実感” に対する正直さ

 

わかった気にならない、現代的な解釈をし過ぎない。そんな風に日本の古い絵と向き合った山口さんが気づいたことがある。

 

例えば子どもの絵というのは基本的に遠近感がない。視点をどこにおいて見ているのかというと、「なんとなく上から」で、雲も平気で画面に入ってくる。その雲は、写実的な雲というより、一度頭に入った雲、自分が認識した雲を再構成している。

 

子どもの絵以外に、こういうことがどこで起こるのかというと、地図を描くときだ。

平らな地面を歩いたときに見てきた記憶の集積が紙に描かれて、地図になる。見たものを再構築することで、地図の画面が生まれている。

 

「パース(遠近)がつかないっていうのは、人の『実感』によるのではないか」と、そこで気づいた。

 

たとえば、今ここで幅10メートルある道が、遠くの方では見かけ上細くなるが、実際に道が細くなったとは思わない。透視図法を知っていれば描けるが、実際には細くなっていないものを細く描くというのは、「生理的にはものすごく気持ち悪い」ことなのだという。

 

「ある種のプリミティブともいえるような、感覚に対しての正直さ。視覚に対してではなく、視覚で “認知”した、認知のほうに対しての正直さというのが、日本の美術の型ではないか」と山口さんは考えた。

 

ちなみに、西洋の透視図法的な絵の描き方は自然に見えるが、実は型のひとつなのだそうだ。透視図法はどうしてもゆがみが生じる。ゆがまないために消失点をたくさんつくると、今度は直線が曲がるという。

 

ただ「直線の物は直線に描いた方がいい」という “実感” で、西洋の人は透視図法を選びとっている。

透視図法も、日本の様式的に見える絵も、どちらも「どの段階の “実感” にもとづいて絵にするか、という違いでしかないのではないか」と山口さんは考える。

 

『型』を描いて見えてきたもの

 

山口さんが、河鍋暁斎という幕末の絵師が描いた絵を見せてくれた。

7_暁斎

 

一見似たような足の写生に見えるが、よく見比べると、画面の上の方の足は線の調子が均一なのに対し、下側の足は筆の入りと止め、線の抑揚が大きい。

 

線が均一なほうは、形を覚えるために描かれたもので、足首のあたりに “真(しん)”と小さく書きこまれている。

なぜそのような絵を描いたかというと、墨という描き直しのできない画材で、しかも輪郭線を残す様式では、一気呵成に描くことが大事になる。そのためには、形を覚えておいて「見ずに描ける」ことが必要なのだという。

 

いっぽう下側の、線の抑揚が大きいほうの足には “画(え)”と書きこまれている。

山口さんによると、形を覚えるために描いた“真”の絵は、暁斎に言わせると、“画” ではないのだという。“真”とされているものに筆意(筆づかい、運筆)が加わったものが “画” であって、筆意なきものは画ではない。その筆意をどう獲得するかというのが、絵描きの最初の修練なのだそうだ。

 

では、『型』は何を伝えているものか?

 

山口さんは自分で描いてみて、「心をはたらかせる」ということが見えてきたという。

 

「それが筆意の差ですね。カッと入って、スーッと引いた線と、ぎゅうっと入った線とで、描く側の心の波立ち具合が変わってくる」

 

そこにさらに、絵師それぞれの身体性が出る。グワッと引く人もいれば ざっ、ブワッと、描く人も‥(と、擬音をまじえ、描く身振りをしながら説明してくださった)。

 

線というものは絵師の三次元運動の断面であり、一本の線でも非常に触覚的な、絵師が触った跡というものがある。そういうものには絵師の身体性、あるいは精神性が転写されるものなのだという。

 

「その転写する『もと』、つまり絵師の身体性とか精神性というものを、型というのは誘発させるもので、型を通して自分の心のどこがどう動いて、どこに向かおうとしたかを知るのが、型の一番大事なところで、型の『形を守る』ことではない」と。

 

型の形を守ろうとするだけで、型の内側ではたらくものに思いを致さないと、簡単に絵は死ぬ。

「それは絵に限らず、いろんなところで多分起こる」とも。

 

絵における創造性

 

美術というのは「創造」がテーマの一つとしてあって、新しくなければならない、ということが脅迫観念としてある。だが美術における新しさとは、表現者個人が「真円性」を獲得するところにおいて成し遂げられるのではないか、と山口さんは言う。

 

山口さんがいう「真円性」とは、『未だ現出し得ていない本来の自分になる』というような意味で使われているようだ。自分という人間の “根っこ” みたいなものができてきたときに、ある型を通すと、あるものが表現されてくる、別の型を通すとまた別のものが現れて、‥ということを繰り返すことによって、『自分』というものになっていく。それは時間軸や成熟という意味では未来に向かうものであると同時に、個人の内面では、自分のもっとも根源的なものに近づいていく。

 

そしてセザンヌの例を挙げて、次のように解説されていた。

「セザンヌは近代絵画の父といわれますが、彼が従ったものというのは自分の感覚(サンサシオン)なんですね。彼は風景を見たときに自分に訪れてくる感覚の強さに堪えられないほどで、気が狂いそうになる、という話をしている。ただその感覚に向き合って、サンサシオンの導きに最もかなう表現をつきつめていったものが、結果的にかつてなかったものとなり、西洋絵画の歴史を動かすんです」

 

「でも彼がやったことは、彼のまったき本来性に還って、そこに起こった心情を絵にすべて転写するっていうことで、‥ですから、絵においての創造性というのは、実は自分のいちばん古いところ、本来の自分というものと関係しているんですね

 

型というものは、絵描きの使うべき身体、心を誘発し同期させて、より本来的な自分というものに気づかせる。そうして自分の根っこというべきところに到達したときに、それは真に新しいものになり得る。そういうものの一助として、型というものがあるではないか、と締めくくられた。

 

* * *

 

オンラインでの登壇となり「会場の反応がわからず心細い」と言いつつも、ご自身の歩んできた道について、『型と創造』について、語りつくされた。

すべてが実際の制作にもとづいた思索と実践に裏打ちされ、絵を切り口に人の心や身体感覚、認知のしくみ、人の個性化にまで迫っているのには感嘆するほかなかった。

 

絵を描く上での迷いや行き詰まり、それを乗り越えていく過程についても率直に語っておられ、その生身の声を聞けたことは、これから道を歩んでいく学生にとってどれほど貴重な指針になるだろうと思う。

 

講義の後では質疑応答の時間が設けられ、学生からいくつかの質問が寄せられていた。

河鍋暁斎を模写しているという学生からの「模写で形を完璧に追うことより、筆意を大事にした方がいいですか」という質問に対しては「形を覚える段階と、筆を走らせる段階をわけたほうがいい」とアドバイス。「反復して、形を覚えて意識せず描けるようになると、使える『意識の層』が変わる」とのお話だった。

 

型の役割や用い方についてのお話は、講義の中でも語られていたように絵や美術の世界に限定されない普遍性をもつもので、その意味でも、後を引く面白さだった。

 

 

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