ほとんど0円大学 おとなも大学を使っっちゃおう

年末大特集 2021年 TOP10記事発表

2021年12月23日 / まとめ, トピック

早いもので、2021年も残すところわずかとなりました。

メディア、人権、アートに珍獣、数学、サイエンス、大学発商品‥ などなど、今年もさまざまな記事をお届けしてきた「ほとんど0円大学」。2021年、もっとも読まれたのはどんな記事でしょう?

年末恒例の、ほとんど0円大学の年間ランキング、トップ10の発表です。

※PV数(閲覧回数)によるランキング


《10位》 画家・山口 晃の独特すぎる表現はどこから? 京都芸術大学 公開連続講座「日本芸能史『型と創造』」レポート

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画家の山口晃さんによる講義のレポートです。すべてが画家自身の実践に裏打ちされた、絵の「型と創造」にまつわる探索。その奥行きははかり知れません。 記事はこちら!

 

《9位》 福島県立医科大学の医師がレッスン。コロナうつ予防に役立つ『笑いヨガ』をやってみた

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笑いの効用は、うつ予防に認知症予防、痛みの軽減、アンチエイジング‥。「笑う門には福来る」のも道理です。

笑いは感情じゃない、行動だ。おかしくなくても笑え!  記事はこちら!

 

《8位》 松坂桃李が大学広報マンに!NHK土曜ドラマ『今ここにある危機とぼくの好感度について』誕生秘話を聞く

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大学の広報マンが、次々に巻き起こる不祥事に振り回され、追い込まれていくブラックコメディー(NHK総合、2021年4月~5月放送)。ドラマにこめた思いを、制作プロデューサーにお聞きしました。 記事はこちら!

 

《7位》 珍獣図鑑(10):アメーバ状からキノコのように変身! だけど菌類じゃなく動物でも植物でもない、不思議でカワイイ単細胞、変形菌

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ユニークな生物の研究を紹介するシリーズ『珍獣図鑑』からランク入り。「変形菌」の研究にいそしむのは、5歳で変形菌に魅入られ、7歳にして研究の道に入りこんだ現役大学生。その研究成果を語ります。 記事はこちら!

 

《6位》 珍獣図鑑(9):日本から35年ぶりに新種エントリー! ゴキブリの概念を覆す美麗種、ルリゴキブリ

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「人が嫌う虫を研究したい」と、南の島で瑠璃色の新種ゴキブリを発見した研究者(とゴキブリ)が登場します。

珍獣も珍獣ですが、研究者も研究者です。(褒めています) 記事はこちら!

 

濃い顔ぶれが続きます。

《5位》 珍獣図鑑(8):見た目はクワガタ、暮らしは海、大人は断食…これがウミクワガタの生きる道

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ウミクワガタ=海のクワガタ…そんなド直球なイメージで泳いでいるクワガタを想像したけど、写真を見てビックリ。色以外ほぼ正解ですやん! なにこれ、溺れないの? と心配になっちゃうほどクワガタなんですが…いったい何者なんですか?…記事本文はこちら 

 

『珍獣図鑑』シリーズに登場する生き物はどれも言葉を失うヘンテコさですが、ダンゴムシの仲間でありながらクワガタ風の外見を獲得しているというこの虫も、多くの人の心をとらえたようです。

 

《4位》 活火山がないのに有馬温泉が湧くのはなぜ?その謎を解明した、神戸大学マグマ学者に聞いてみた。

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温泉が恋しい季節になった。箱根や草津温泉など関東の温泉地に思いを馳せると、活火山がセットになって浮かんでくる。しかし関西の温泉に思いを馳せると…あれっ、近畿には活火山ってないのではー?! 温泉といえば活火山から生まれていると思い込んでいたけれど、そうじゃない温泉もあるらしい。記事本文はこちら

 

「いい湯だな~」と有馬温泉に浸かっているみなさん! その湯の熱さは、有馬の地下プレートの “若さ” と “軽さ” に由来しているようですよ。

 

《3位》 研究者の質問バトン(3):ネアンデルタール人はどうして絶滅したの?

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ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)は、約40万年前に出現し、約4万年前に絶滅したと考えられている化石人類。進化史上では私たちホモ・サピエンスと同じ時代を生きてきた「きょうだい」とも言える存在です。なぜホモ・サピエンスが現代まで生き残り、ネアンデルタール人が絶滅したのか記事本文はこちら

 

いろいろな仮説が立てられていますが、何せ昔のことで、なかなかシッポがつかめないもよう‥。

 

《2位》 クレーンゲーム攻略の鍵は「物理」の教科書にあり。鹿児島大学・小山教授が伝授するプライズゲットの技と心得

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クレーンゲーム。「これは取れるだろう」と思っても実際やるととれない。クレーンゲームでプライズを上手くとれるようになったら楽しいはずだ…そう思っていたとき、「クレーンゲームのプライズゲットを力学的に考察する」という話題を講義にとりいれている物理学者がいることを知った。記事本文はこちら

 

クレーンゲームに挑戦する際の心得は「心、技、体、物理」なのだそうです。

 

そして、1位は・・

《1位》 珍獣図鑑(14):交尾は生涯一度きり。なのに10年以上産卵を続ける女王アリの秘密にせまる

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「地球上の全人類の重さと全アリの重さはほぼ同じ」というトリビアを聞いたことのある人は多いと思う。この話が本当かどうかはさておき、この世界には途方もなくたくさんのアリが今も暮らしていることは間違いない。そんな膨大な生息数を支えるべくせっせと産卵を続ける女王アリの生態について、甲南大学の後藤彩子先生にお聞きした。記事本文はこちら

 

アリ社会の厳格な分業制と生殖戦略に、自然界の厳しさがかいま見えます。「もっと結婚飛行したい」とかいう甘い願いを抱く余地はなさそうです。

***

 

「ほとんど0円大学」の記事は全体に味が濃い目ですが、トップ10にはとりわけ個性の強い顔ぶれがそろった印象です。

昨年と同様、コロナに翻弄されて大変な一年でしたが、今後も大学が発信するさまざまな発見や驚きに出会い、楽しんでいただければ幸いです。

みなさま、本年もありがとうございました。よき新年をお迎えください。

 

 <ご参考> 
過去のランキング

2020年版2019年版2018年版2017年版2016年版2015年版

 

アジアの女神は変幻自在? 龍谷ミュージアム特別展「アジアの女神たち」レポート

2021年11月4日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

 

この秋、龍谷ミュージアム(京都市)にて特別展「アジアの女神たち」が開催されています。

登場するのは、先史時代の土偶からインドの女神、仏教に取りこまれた女神や観音など多彩です。ミュージアムの語源である「ムセイオン」が女神(ムーサ、ミューズ)をまつる場所だったという当初の役割に立ち返り、龍谷ミュージアムの開館10周年を記念する展覧会となっています。

 

女神の歴史的な背景についてお聞きしながら鑑賞すればさらに面白そうだと思い、展覧会を担当した学芸員の岩井俊平先生(龍谷ミュージアム准教授)に見どころを伺ってきました。

展示は太古の女性像にはじまり、インド周辺の女神、それらが仏教に取り込まれ、変貌するさまを追っていきます。

 

女神像の起源

 

展示会場に足を踏み入れると、まず迎えてくれるのがこの像です。

重文 訶梨帝母坐像 平安時代後期・12世紀 奈良 東大寺(写真提供:奈良国立博物館)

重文 訶梨帝母坐像 平安時代後期・12世紀 奈良 東大寺(写真提供:奈良国立博物館)

 

やさしい表情で、腕に子どもを抱いています。豊穣や多産の神・訶梨帝母(かりていも)で、「鬼子母神(きしもじん)」の名でも知られています。

この像は、日本に現存する訶梨帝母像としては最古の可能性があるとのこと。まさに展覧会の「顔」にふさわしい品格を感じます。

 

もっと古い時代の女性像はどんなものでしょう。

女性土偶 北シリア 前5500年頃 平山郁夫シルクロード美術館

女性土偶 北シリア 前5500年頃 平山郁夫シルクロード美術館

 

豊満な胸や足腰の表現が特徴的です。「豊穣に対する切実な願いが込められているのでしょう」と岩井先生。人をかたちづくった人形(ひとがた)は世界のいろいろな地域で見られますが、最古のものはどれも女性像だそうです。

 

岩井先生が「本展覧会のイチおし」というのがこちらの土偶です。

重文 円錐形土偶 山梨 鋳物師屋遺跡 縄文時代中期・前3000年頃 南アルプス市ふるさと文化伝承館

重文 円錐形土偶 山梨 鋳物師屋遺跡 縄文時代中期・前3000年頃 南アルプス市ふるさと文化伝承館

 

大きくふくらんだお腹に手を添えている姿は、妊娠した女性をあらわしています。胴の中は空洞で、かつては中に「鳴る子」という玉が入っており、振ると音が鳴るようになっていたとのこと。豊穣、多産を願うもので、何らかの儀式で使われたと考えられています。

※後期(10/19~11/23)は複製品の展示となります

 

本当に同じ女神? インドから日本へきた女神

 

岩井先生によると、この展覧会の見どころのひとつは「対応関係にある女神を比較して見ていただけるところ」とのこと。たとえば、繁栄、豊穣などの吉祥をもたらす女神「吉祥天」は、吉祥をつかさどるインドの女神「ラクシュミー」が仏教に取りこまれたものです。

吉祥天を見てみましょう。

重文 吉祥天立像 平安時代・10世紀 奈良 薬師寺

重文 吉祥天立像 平安時代・10世紀 奈良 薬師寺

 

写真は、薬師寺の吉祥天像です。この像の近くに、その起源にあたるインドの女神「ラクシュミー」も展示されていますが、豊満な胸や腰に、動きを感じさせるポーズで、見た目だけでは上の吉祥天像のルーツだとはとても思えません。文化とか風土の違いが感じられて面白いところです。

 

冒頭でご紹介した、子どもを抱いた女神・訶梨帝母(かりていも)も、もとはインドの豊穣・多産の女神「ハーリーティー」が仏教に取りこまれ、日本に伝わったものです。(ちなみに「かりていも」という読みは、「ハーリーティー」の音がもとになっています)

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ハーリーティーはどんな姿でしょう。

ハーリーティー倚坐像 スワート(パキスタン) 2~3世紀

ハーリーティー倚坐像 スワート(パキスタン) 2~3世紀

 

エキゾチックな風貌ですが、子をいつくしむ母の表情は日本の訶梨帝母と変わらないようです。

 

ちなみにハーリーティーは地元のローカルな信仰の対象であったものを、おそらくは仏教を布教するときに「ハーリーティーは実は仏教の女神です」ということにして、仏教に取りこんでいったのではないかということです。わりとざっくりしているというか、よく言えば柔軟な感じです。

 

女神は、やさしげなものばかりではありません。中にはちょっと怖そうな女神も登場します。

ドゥルガー立像 インド 20世紀 国立民族学博物館

ドゥルガー立像 インド 20世紀 国立民族学博物館

 

女神が足で踏みつけているのは、魔王です。悪者をこらしめる正義の味方のような感じでしょうか。

「男の神様たちが、自分たちの力では退治できなかった悪魔を滅ぼすためにつくった女神です。血みどろな感じでして‥」と岩井先生。展示会場には、この女神が悪魔をやっつける様子を描いた参考資料も紹介されていますが、なるほど血の海です。(それほど生々しい描写ではないので、ご安心を)

この女神は「ドゥルガー」という名で、インドではいまでも絶大な人気があるそうです。

 

変幻自在の弁才天

 

悪魔を滅ぼすような女神は、日本にも伝わってきたのでしょうか? 実はある種の弁才天がその特徴を受けついでいることがわかっています。

弁才天というと七福神の一人で、琵琶を持った福の神というイメージです。そのイメージ通りの弁才天も展示されていますが、弁才天にもいくつかのバリエーションがあるとのこと。先ほどの戦闘的な女神ドゥルガーの系譜をつぐ弁才天は、腕が8本あり、弓や刀や斧など持ち物すべてが武器という、戦闘モードの(とても弁才天とは思えない)弁才天です。

 

ところで、この展覧会で私がもっとも強い印象を受けたものの一つが、下の像です。

弁才天立像 鎌倉時代・13~14世紀 兵庫 鶴林寺

弁才天立像 鎌倉時代・13~14世紀 兵庫 鶴林寺

 

こちらも弁才天の一種ですが、頭の上に鳥居が建っていて、さらにとぐろを巻いた蛇が載っています。その蛇の顔が老人になっているという異様さですが、この蛇は宇賀神(うがじん)という名の穀物の神で、これを頭に載せた弁才天は「宇賀弁才天」と呼ばれるそうです。

頭上に載っているものには度肝を抜かれますが、財宝や福徳の女神とのことで、弁才天らしいご利益がありそうです。

鳥居や蛇を、もっと「ドーン」と盛った感じの弁才天像も会場には展示されていて、私はそちらもけっこう好きだなと思いました。当時の人々の切実な思いとか、原初的なエネルギーを感じます。また、なんとなく現代の関西人のノリに通じるものも感じます。

 

観音の性別は‥

 

展覧会の最後をかざるのは、観音像です。

ところで観音といえば、男性と女性、どちらのイメージをお持ちでしょうか?

私は「なんとなく女性」というイメージでしたが、発祥の地であるインドでは、はっきりと「男性」だったそうです。

インドから日本に伝わるまでの間に、女性的な雰囲気で表現されたり、観音ではない女神が観音と同一視されたりということが起こりました。

 

これについて岩井先生は「もとのサンスクリット語では男性名詞と女性名詞の区別があったのに対し、東アジアの言語ではその区別がないことが関係しているかもしれません」といいます。また、観音の慈悲深いイメージが、女性と結びついて違和感がなかった可能性もあるようです。

 

展示されている観音像はどれも信仰の対象だと思いますが、なかには美術工芸品としてもとても美しいと感じるものもあり、印象に残っています。

 

* * *

 

さまざまな女神を見てきましたが、人々の願いを託され、イメージがふくらみつづける様子を見ていると、女神は「なんでも引き受けてくれるお母ちゃん」のようにも思えてきます。

 

こうした像をお寺などで拝観すれば、人の信仰心のようなものをより強く感じるのかもしれません。

一方こうした展覧会で、ひとつの女神が地域によりさまざまに姿を変えながら信仰されてきたことを知ると、人間の本質的に変わらないところと、同時にいかに違うものかということを体感することができて、とても興味深いです。それぞれの視点で楽しめる展示ではないかと思います。

 

ときにはスマホを置いて、本を手に ~読書や本に関する記事まとめ

2021年10月7日 / まとめ, トピック

今回は「読書の秋」にちなみ、読書や本にまつわる記事を集めました。本に囲まれ、ゆったりできるスペースや図書館などの話題をご紹介します。お出かけがてら、人の気配を感じながら本を手に取るのもいいですね。

 

* * *

 

●都心の本の杜! 國學院大學「みちのきち」で本とともに憩う。
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(C)國學院大學

 

最初にご紹介するのは、國學院大學のキャンパス内にあるフリースペース。なんとも落ち着けそうな空間です。

本離れが進む中、「紙の本」を手にとってもらいたいという思いから大学内につくられたスペースで、一般の方も利用可能です。

「みちのきち」とは不思議な名前ですが、“未知”のことを既知に変える “基地”、人生(”道”)の迷いに向き合う”基地”‥などの意味がこめられているそうです。

記事はこちら! ※記事中の【教授のおススメ本】のコーナーは取材時(2018年4月)の特集です

 

●神戸大からすぐの「ink BOOKS and COFFEE」でゆったり時間。

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本に囲まれてゆっくりできそうな空間をもう一つ。
レコードから流れる音楽も心地よく、日常を離れてリフレッシュできそうです。

記事はこちら!

 

●明治大学「現代マンガ図書館」がリニューアル! ここでしか見られない企画展と超レアなお宝を見学

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今年(2021年)リニューアルしたマンガ専門図書館の紹介記事です。

建物の1階で開かれている常設展や企画展の展示を自由に見ることができ、熱心なマンガ好きでなくても気軽に楽しめそう。会員登録をすると、2階の閲覧室も利用できます。

記事はこちら!

 

このリニューアルにより、現代マンガ図書館と「明治大学米沢嘉博記念図書館」のカウンターサービスや閲覧室が一体化されています。リニューアル前の様子について知りたい方は、下のリンクより「コミケの父、その偉業に感涙!明治大学米沢嘉博記念図書館でマンガとサブカル、懐かしのコレクションを手にとる。」 の記事もどうぞ。

記事はこちら!

 

●京都国際マンガミュージアムで知った、ジャパンクールの底力!

東にマンガ博物館あれば、西にマンガミュージアムあり。ということで、京都のマンガミュージアムの紹介です。

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京都精華大学と京都市の共同事業で開館したミュージアムです。「マンガを自由に読める場所」としか認識していませんでしたが(それも間違いではないのですが)、江戸期の戯画浮世絵から明治・大正昭和初期の雑誌、戦後の貸本や海外の作品なども所蔵していて、展示やワークショップなどで公開・活用されているそうです。

建物は昭和初期に建てられた小学校の校舎が活用されていて、古い建物に興味がある人にとっても気になりそうな存在です。

記事はこちら!

 

●大阪大学発「紙の電子ペーパー」が未来を変える。

少し異色なところで、サイエンス系の話題も。

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「紙の電子ペーパー」は、その名の通りディスプレイが紙でできており、電極や電源も紙の材料を使ってつくられています。

取材した先生の「紙」へのこだわりぶりは徹底していて、導電材料を紙に均質に塗る方法も、伝統的な紙漉きの原理を応用しているとのだとか。よく分からないけど、なんかすごそうです。

記事はこちら!

* * *

 

感染対策に気をつけながらも、いろいろな場所に出かけやすくなったのはうれしいことです。

ご紹介した施設、お店は予約は不要ですが、人数制限が設けられている所もあります。ウェブサイトなどで最新の情報をご確認のうえ、お出かけください。

どう変わる? コロナ後の文化と観光 ~ 京都産業大学シンポジウム 参加レポート

2021年9月9日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

2021年7月4日、京都産業大学にて『ポストコロナ社会の文化と観光を考える』をテーマとしたシンポジウムが開催されました。

本年4月から同大学の文化学部京都文化学科に観光文化コースが開設されたことを記念し、山極壽一先生(総合地球環境学研究所所長、京都大学名誉教授)の基調講演や、4名のパネリストによる意見交換を行い、新たな京都観光の姿を探るシンポジウムでした。

 

私自身は神社仏閣や散策が好きで、コロナ前はよく京都に出かけていました。コロナ禍により観光が強制的に停止させられ、その後の再開を展望するとき、「観光」はどんな姿を見せるんだろう。そんな興味を抱いて参加しました。

 

観光文化コース開設記念シンポジウムのプログラムは下の通りです。

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祇園で舞われる「京舞」披露

最初に京舞井上流の舞踊家・井上安寿子さんによる京舞が披露されました。

京舞井上流は江戸時代に京都で生まれ、能の舞などに影響を受けて発展してきた日本舞踊です。京都の五花街のうち、祇園甲部の舞妓さんや芸妓さんが舞うのがこの井上流で、井上さんはそこで舞の指導をされています。

 

特別公演の演目は『蛍狩』。うちわと蛍籠を手にした娘さんが蛍を追い、蛍火に恋心を重ねて舞うというもの。

『蛍狩』を舞う井上安寿子さん

『蛍狩』を舞う井上安寿子さん

 

わずかな顔の傾き、ちょっとした仕草、視線の置き方の変化で、女性の思いが伝わってきます。抑制が効いているからこそ、舞手から発せられる「気」のようなものが感じられるのです。

山極先生登場 ~ ゴリラ研究と観光の関係

京舞の後、今春、京都産業大学に開設された観光文化コースの設置の趣旨と教育内容を紹介、学長挨拶に続き、山極壽一先生の基調講演がありました。

 

山極先生は元京都大学総長で、ゴリラの研究で知られる人類学者です。
「ゴリラの研究と観光になんの関係があるんだろう」と思いましたが、先生はゴリラの研究を通じて人間社会を見ていて、今という時代を生きる人間が観光に何を求めるのか、という観点から話されました。

基調講演を行う山極壽一先生

基調講演を行う山極壽一先生

 

人類が農耕牧畜を始め、定住生活を行うようになったのは、約1万2000年前。人類の歴史の中では比較的最近のことで、本来は食料を探して動き回る「遊動生活」(狩猟採集生活)の生き方が合っているそうです。

 

最近はAIやITの発展により、一つの土地にしばられない生き方が再び可能になりつつありますが、このような社会では、ものを所有することよりも所有物を少なくして動き回り、「行為」「体験」することに価値がおかれます。「観光においても体験が重視される」とのことで、先生自身が関わった滞在型のエコツーリズムについて紹介されました。

(エコツーリズム‥地域ぐるみで自然環境や歴史文化など、地域固有の魅力を観光客に伝えることにより、その価値や大切さが理解され、保全につながっていくことを目指していく仕組み)

 

コロナ禍で対面での会話・会食、芸術やスポーツなどが制約を受けたことで、これらが人間の暮らしに欠かせないものであることが浮き彫りになっています。コロナ後の観光は、小規模で滞在型、感染予防の意識をもつことに加え、五感を通じた交流が合う、という提言をされました。

 

人類はすっかり定住生活になじんでいると思っていましたが、今でも遊動生活(狩猟採集民の生活)が合っているという指摘は意外に感じました。定住生活よりはるかに長い間、引き継がれてきた遊動生活のDNAは簡単に消えるようなものではないということでしょうか。

これからどうなる? 京都観光

次は、「京都から展望する文化と観光のゆくえ」をテーマとしたパネルディスカッションです。

パネルディスカッションの風景

パネルディスカッションの風景

 

パネリストはそれぞれ「京舞」「日本庭園」「観光行政」など、京都の文化や観光の分野で仕事をされている方々です。現状やこれまでの課題について、どのようにお考えでしょうか。

 

前半では、それぞれの専門分野の現状やコロナ前の課題、コロナ後についての予測を順にお聞きし、後半ではコロナ後の観光への期待を伺う形で進められました。

 

最初に、京舞を披露した井上安寿子さんから京舞井上流の歴史や現状についての紹介がありました。

京舞井上流について解説する井上安寿子さん

京舞井上流について解説する井上安寿子さん

 

京舞井上流は江戸時代後期に創始され受け継がれてきましたが、舞を披露する舞妓さんや芸奴さんは人と接することが仕事なので、コロナ禍では大変苦しい状況におかれています。

 

井上さんは「日本舞踊は体で伝えるものなので、稽古をしないとなまってしまう」と、人数を減らして時間を区切って稽古したり、小規模な舞の会を企画したりしていることを紹介。「できることを精一杯やるしかない」と現状を報告されました。

「コロナで人が来なくなり、当初は喜んでいた」

続いて、日本庭園史を専門とするマレス エマニュエル先生(京都産業大学 文化学部准教授)です。

エマニュエル先生はフランス出身で、最初は観光客として来日しました。その後庭師の見習いになり、さらに研究者となったという経歴の持ち主です。

日本庭園史を専門とするマレス エマニュエル先生

日本庭園史を専門とするマレス エマニュエル先生

 

観光客として庭を見ていたときは、庭の「現在」の美しさを楽しんでいましたが、その後、庭師の見習いになると、「この庭を今後どうしていけばよいか」と常に「未来」を見ていくことに。さらに研究の対象になると、木の種類を記録したり石のサイズを測ったりと、庭がこれまでにどのようにつくられてきたかという「過去」に目を向けるようになりました。

 

「現在・過去・未来」と3つの時間軸で庭を見てきたエマニュエル先生は、「庭は生き物で、変化していくもの」だといいます。庭そのものが変化することもあれば、使われ方が変化する(貴族の別荘が寺院になり、さらに回遊式庭園になるなど)こともあります。

コロナ前まではキャパシティを超える観光客を受け入れてきた京都の庭園。コロナの後は、どう変化するのでしょう。

エマニュエル先生によると、コロナの影響で突然観光客が来なくなって、庭の維持管理に関わる人が「庭が生き生きしている」「庭が呼吸できる」などと話していたそうです。ところが、それがあまりにも長引くと収入が入ってこなくなり、コロナ前とは別の悪循環に陥ります。

 

今後について、エマニュエル先生は「無鄰菴(むりんあん:明治の元勲と言われる山県有朋が左京区に造営した別荘で、現在は京都市の所有)で人数制限をして、夜に蛍を見る催しがあったように、今後はこのような少人数・予約制・季節限定のようなイベントが増えていくのではないか」と予測します。

 

続いて、京都市で観光行政に携わる秋山正俊さん(京都市産業観光局MICE推進室室長)です。

京都市で観光行政に携わる秋山正俊さん

京都市で観光行政に携わる秋山正俊さん

 

秋山さんは、コロナ前に起こっていた問題として観光地や市バスなどの混雑、マナーの問題を指摘しました。京都市が2025年に向けて策定した「京都観光振興計画2025」では、「市民生活と観光の調和」を掲げています。

 

コロナ前のオーバーツーリズムと、その対極にあるコロナ禍の状況。今後について、秋山さんは「コロナをきっかけに、自然に着目するエコツーリズムや、近場での観光が今まで以上に注目されている。キャッシュレス化や予約制の導入、少人数でゆっくりと体験するような観光は、コロナ後も残るのではないか」と予測します。

コロナでつらいのは、人と交流できないこと

この日、パネルディスカッションでファシリテーターをつとめたのは、文化政策や観光政策を専門とする平竹耕三先生(京都産業大学文化学部教授)です。ディスカッションの後半は「コロナ後の観光に期待すること」をテーマに、『人との交流』にスポットを当てて進められました。

ファシリテーターをつとめた平竹耕三先生

ファシリテーターをつとめた平竹耕三先生

 

平竹先生は「コロナでつらいのは、人と交流できないこと」だといい、コロナ後は(オーバーツーリズムによる混雑などで)観光客と住民が対立しない、「自然な形で交流が生まれる観光」を期待します。

また、たとえば週4日は会社で働き、副業として週1~2日、自分の特技を生かして地元で観光に携わるといった働き方の変化への期待も口にされました。

 

エマニュエル先生からは、「交流による変化」への期待の声が上がりました。フランス人は庭を見ると植物に注目しますが、日本では庭は石を中心に解説されることが多く、求めるものとのズレがあるそうです。

「お互いの視点が組み合わされば、有意義な庭の見方ができるのではないか」との意見です。

 

私自身、コロナ禍になる前は観光客(特に外国人)を見かけると、いろいろな国の人に自国の文化を楽しんでもらえることが嬉しく誇らしく、「文化交流は世界平和につながる」と思ったものです。エマニュエル先生の「文化が交流を生み、学び合い、多様性を認め合うことにつながる」というお話は深くうなずけるものでした。

 

『人との交流』という点について、京都市の観光行政に携わる秋山さんは「観光の本質だ」と述べられ、また京舞の井上さんは「花街でもオンラインのイベントなどの取り組みを行ったが、やはり生でご覧いただきたいと思う。肌や空気で感じていただきたい」と期待をこめます。

このことは、最初に井上さんの舞を拝見したときに実感しました。舞手の「気」のようなものが感じられたのは、生で観たからこそだったと思います。

 

最後にファシリテーターの平竹先生が「思いやり、信頼にもとづく交流が必要」「これまでは旅先で知り合い友だちになることが多かったが、これからはSNSなどで知り合い、友だちを訪ねる観光という逆の流れも増えるのでは」という意見で、ディスカッションを締めくくりました。

持続可能な観光へ向けて

コロナ後に向けて人との交流を重視されていた点、日時予約制の継続が予測されていた点は、登壇者のみなさんの意見が一致していました。平竹先生が最後に話していた「思いやり、信頼にもとづく交流」という言葉も、観光の理想の姿を表していて印象に残ります。

 

コロナ禍で人が来なくなって「(庭が呼吸できるから)当初は喜んでいた」というエマニュエル先生のお話は、オーバーツーリズムの課題を象徴していると感じます。コロナ収束後は単に元通りに復活するというのではなく、文化財や自然、そこに暮らす人の生活が守られ、価値を分かち合えるような循環が生まれるといい。コロナを機に流れを仕切り直し、持続可能な観光に切り替わる転換点になったと、何年か後にふり返ることができればと思います。

 

画家・山口 晃の独特すぎる表現はどこから? 京都芸術大学 公開連続講座「日本芸能史『型と創造』」レポート

2021年7月20日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

成田国際空港のパブリックアートや、2019年の大河ドラマ「いだてん」のタイトルバック画、小説の挿画など、幅広い制作活動を展開する画家・山口晃さん。

 

10数年前、美術館で山口さんの作品を初めて見たときの驚きは忘れられない。一見、どこかで見たことがあるような《洛中洛外図》だが、よくよく見ると、描かれた人物の身なりは江戸時代から明治・大正、現代と思われるものが入り交じり、一つの画面で時代が行ったり来たりする上に、京都タワーは大きめのローソクに置き換えられ、随所にダジャレが仕込まれ(たとえば『仁和寺』は、『みんな「ぢ」』で厠(かわや)に行列ができている、といった具合)、虚実ないまぜになった画面に、時間を忘れて見入った記憶がある。

その独特すぎる発想はいったいどこから来るのだろう?

 

先日(2021年5月31日)、山口さんが講師として京都芸術大学の公開講座「日本芸能史『型と創造』」に登壇されると知り、講義の様子を取材させていただいた。

公開連続講座「日本芸能史」は日本舞踊、絵画、能、狂言、華道、歌舞伎など各界の第一人者を講師に招いて開催される講義。通常は対面講義だが、今回は感染症対策のため、山口さんはオンラインで登壇し、学生はオンライン、一般受講者は実会場(京都芸術大学 春秋座)での受講となった。

 

<講師プロフィール>

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撮影:曽我部洋平 Courtesy of Mizuma Art Gallery

 

山口 晃(やまぐち あきら)

1969年、東京都生まれ、群馬県桐生市に育つ。1996年、東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻(油画)修士課程修了。

日本の伝統的絵画の様式を用い、油絵という技法を使って描かれる作風が特徴。都市鳥瞰図・合戦図などの絵画のみならず立体、漫画、インスタレーションなど表現方法は多岐にわたる。

山口晃《新京都百景 志賀街道 子安観音》 2017 紙にペン、水彩 33.3 × 24.2 cm  (c) YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery

山口晃《新京都百景 志賀街道 子安観音》 2017 紙にペン、水彩  33.3 × 24.2 cm (c) YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery

 

 講義は、講座の司会進行、企画・コーディネーターを務める京都芸術大学教授の田口章子先生のあいさつからスタート。

まずは山口さんの著書『ヘンな日本美術史』から、次の一節を紹介された。

 

「『洛中洛外図というフォーマット自体は古いものです。その古さの上に乗って見るから、そこに差異を見つけた人がかえって新しさを感じられる面があります』。これを読んで、絶対、この講義にご登壇いただきたいと思った」と、講義を依頼したきっかけを話された。

『ヘンな日本美術史』(山口晃/著)を手にする田口章子先生

『ヘンな日本美術史』(山口晃/著)を手にする田口章子先生

 

この後、山口さんにバトンタッチ。『型と創造』について、山口さんはどんな視点で語ってくださるのだろう。

 

「今回はすべて自分の体験から話すという講義になると思います」と切り出した山口さん。著書『ヘンな日本美術史』に書いたような日本の古い絵にアプローチしたのは、自身の制作の行き詰まりがひとつの契機になったという。自分が絵を描き続けていく原動力として日本の古い絵に目をとめた、と、著書について紹介。

 

子どものころからひたすらお絵描きが好きで、その延長で美術大学に行ったというから、さぞ順風満帆に絵の道を歩まれてきたのかと思いきや、その過程では「自分が引き裂かれる」経験があったという。まずはその話を最初にしたい、と話し始められた。

 

「描きだすと、なんか友だちがやって来る感じなんですね」

 

子どものころ、広告の裏紙などにボールペンやエンピツで絵を描いていた山口さんは、目に入るいろいろな絵をマネしたり、自分が“ビビッ”ときたものを描いたりしていたという。

 

「そこにおいては自分の内面の心の動きと言うんですかね、そこにさざ波が立つっていうのが重要な動機になってまして。描きだすと、なんか友だちがやってくる感じなんですね。絵を描くときにだけやってくる友達がいて、描いているとその友だちと遊んでいるような感じ

 

そういう行為であったお絵描きが、自分から引き離される最初の経験が、小学校の図画工作の時間だったという。

図画工作の絵は、時間内に描いて提出しなければならない。そのような外的な要因で絵の終わりが決められることが、たいへん辛かったそうだ。

それにもだんだん慣れてくると、絵が“分離”したという。「学校で描く絵と、家で描く絵」とに分かれていったのだ。

 

お絵描きそのものは何不自由なく楽しんでいたが、ある年代から、自分がイメージしたものを描こうとすると手が追い付かないようになった。美大に行けば、手の技をイメージに追い付かせる方法が学べるのではないかと思った山口さんは、美大を志向するようになる。

 

山口さんが進学した大学には日本画科と油絵科とがあり、より自然主義的な描写力に支えられた油彩画のほうが汎用性があるのではないかと考え、油絵科を選択。

 

ただ美大で描く絵は、単に絵を技能として学ぶのではなく、「絵画のあり方」といったものからアプローチするものだった。

 

「油絵具というメディウム(画材)で描くとき、そして美術史というものの流れの先端に自分を位置づけてやっているときに、非常な息苦しさと、どうにもならない行き詰まりがおこった」と述懐する。

 

「ある日突然、筆が動かなくなった」

 

山口さんが、大学1年のときに描いた絵《洞穴の頼朝》を見せてくださった。

山口晃《洞穴の頼朝》1990 カンヴァスに油彩 116.7×91cm 撮影:長塚秀人 ©︎YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery

山口晃《洞穴の頼朝》1990 カンヴァスに油彩 116.7×91cm 撮影:長塚秀人 ©︎YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery

 

描線を主にする日本絵画と、色彩の中に輪郭線を消していく西洋絵画の交点を描き出そうとしたものだという。

これを描こうと思ったきっかけの一つは、山口さんが高校の国語で読んだ『移動の時代』(中村光男著)という評論だった。そこには「明治以来の文化が西洋の模倣に過ぎず、日本的な内発性を欠いているのではないか」ということが書かれており、山口さんはこれを読んだとき「美術がまさにそうだ」と思ったという。

《洞穴の頼朝》を見せる山口さん

 

それまでに出来ていった日本の美術が西洋の範に沿わず、生き埋めになる。西洋美術というものを範として倣い続けていて、そこに日本的な内発性というものは発揮しようがないのではないか、と。

 

「内発的な日本美術というのは、今、可能なんだろうか?」と考えた山口さんは、「日本美術の歴史や西洋美術の歴史というものを自分で追体験したうえで美術をやってみれば、内発的な推進力が生まれ、それが生き埋めにされない絵ができるのではないか」と考え、自らやってみることにした。

 

そうして描いたのが《洞穴の頼朝》だったが、大学2年のときに、「もののみごとに行き詰まった」という。

 

「ある日突然、筆が動かなくなったんですね。何にも(頭に)うかばない。手が全然動かない。まったく描こうという気がおきなくなって、いたずらに日が過ぎて、なんでだろうなぁ、って思いながらもさっぱりわかんなんくて。何だろうなぁ、何だろうなぁ、と」。

 

そんなふうに思いながらも、「ふと気づくと、家に帰ると、お絵描きしていた」という。

 

「なんで、こっち(お絵描き)は続いて、学校で描く絵がさっぱり進まないんだろう」と思ったときに、気が付いた。

 

「私が内発しているのは油絵でもなければ、 “なんちゃって日本” 的なよろいかぶとでもない。ただロボットを描いたりカブトムシを描いたりしていた、あのお絵描きなんだ」と。

 

そして、「戻ろう」と思った。

どこに戻るのかというと、「お絵描き」しかない。

 

美術から「おりる」

 

「お絵描きに戻ろう」と思ったものの、その時、非常に恐ろしかった記憶があるという。美術から「おりる」感じだったのだそうだ。

 

美術予備校に行っていたとき、江戸川乱歩や夢野久作の世界が好きだった山口さんは、モデルの人物の後ろに赤い月を描いたことがあった。そのとき予備校の先生に「これはデッサンをできるようになってから描こうか」と、諭すように言われた。

そのとき、「これは外でやっちゃいけない」と自分でフタをしてしまった。これがダメなら、たぶんメカも描いちゃいけない、けっこういろんなもの描いちゃいけない。そういうのは美術じゃないんだ、と。

 

また、日本画を描く同級生から聞いた話があった。ふつう日本画は墨と岩絵の具で描くものだが、アクリル絵具を使って描いた学生の前を、教授がスーッと素通りしたという。

「範疇を外れるということは、居なかったことにされることだ」と、その時思った。

 

「美術大学しか知らないような人間からするとそれは恐怖で、そういう恐ろしさがあったんですけども、その恐ろしさに飛び込まないことには、もう自分は絵が描けないから、もういいや、と。お絵描きに戻して、そこで先生方が素通りしても、それはしょうがない

 

そこで山口さんが描いたのが、下の絵だった。

山口晃《大師橋圖畫》1992 紙にペン、油彩 116.5×181cm 撮影:長塚秀人 ©︎YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery

山口晃《大師橋圖畫》1992 紙にペン、油彩 116.5×181cm 撮影:長塚秀人 ©︎YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery

 

橋の上を旅の一行が通りがかっていて、その橋の上になぜか家屋がくっ付いていて、そこでいろいろなことが繰り広げられている。クラフト紙(荷物を包むような紙)に、ペンで描かれている。

 

この絵が、幸か不幸か、それほど排斥を受けなかったという。

 

「やっぱり、自分から出たものっていうのは、ある程度人の足を止めさせるものがあるんだなあ、と。そのとき、作品の生まれるところ、というのを教わったような気がしたんですね」

 

その『型』になる心の動きは何なのか

 

そのころ『やまと絵展』(1993年)を東京国立博物館で見た山口さんは衝撃を受ける。油絵で「やってはいけない」と言われたことが全部されている、だがこの絵の強さは何なんだろう、と。

 

(やまと絵‥中国風の絵画「唐絵」(​からえ)に対し、日本的風物を主題にした絵画。平安時代以降に発達)

 

今までやってきた絵とはまったく違う絵画原理でできているものを見て、「これは一体どういうものが内発したことによってできあがっている世界なのか」と、様式性、型、というものに、目を止めるようになる。

 

たとえば古い絵だと当たり前のように思って見てしまうが、パース(遠近)が全くつかず、雲を見下ろすように描かれている。

あれはいったい何なのか、「その型になる心の動きは何なのか」を知りたくて、大学の卒業制作のときにやってみた。

 

下の絵がその作品。パースがつかず、低いところに雲がある。

山口 晃《深山寺参詣圖》1994 カンヴァスに油彩 170×210cm 所蔵:群馬県立館林美術館 撮影:宮島径 ©️YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery

山口晃《深山寺参詣圖》1994 カンヴァスに油彩 170×210cm 所蔵:群馬県立館林美術館
撮影:宮島径  ©️YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery

 

こうした絵を見たり描いたりするときに、山口さんが注意したのは「考えない」ことだという。

 

「考えないというのは、現代人の自分の考えでそれを判断しないっていうことですね。現代というのは西欧的な思考が入ってますけど、それ以前のものを諮るときに、現代的な解釈をしすぎない」

 

古美術を見るときに山口さんが自戒しているのは「わかった気にならない」こと。ではそれは、自分はわかってない、と思うことかというと、それすらも違うという。

 

「『わかったか、わかってないか、わからない』という、ものすごく中途半端な状態をとり続けるという、‥究極においてはわからないものに向き合い続けるっていうんですかね」

 

“実感” に対する正直さ

 

わかった気にならない、現代的な解釈をし過ぎない。そんな風に日本の古い絵と向き合った山口さんが気づいたことがある。

 

例えば子どもの絵というのは基本的に遠近感がない。視点をどこにおいて見ているのかというと、「なんとなく上から」で、雲も平気で画面に入ってくる。その雲は、写実的な雲というより、一度頭に入った雲、自分が認識した雲を再構成している。

 

子どもの絵以外に、こういうことがどこで起こるのかというと、地図を描くときだ。

平らな地面を歩いたときに見てきた記憶の集積が紙に描かれて、地図になる。見たものを再構築することで、地図の画面が生まれている。

 

「パース(遠近)がつかないっていうのは、人の『実感』によるのではないか」と、そこで気づいた。

 

たとえば、今ここで幅10メートルある道が、遠くの方では見かけ上細くなるが、実際に道が細くなったとは思わない。透視図法を知っていれば描けるが、実際には細くなっていないものを細く描くというのは、「生理的にはものすごく気持ち悪い」ことなのだという。

 

「ある種のプリミティブともいえるような、感覚に対しての正直さ。視覚に対してではなく、視覚で “認知”した、認知のほうに対しての正直さというのが、日本の美術の型ではないか」と山口さんは考えた。

 

ちなみに、西洋の透視図法的な絵の描き方は自然に見えるが、実は型のひとつなのだそうだ。透視図法はどうしてもゆがみが生じる。ゆがまないために消失点をたくさんつくると、今度は直線が曲がるという。

 

ただ「直線の物は直線に描いた方がいい」という “実感” で、西洋の人は透視図法を選びとっている。

透視図法も、日本の様式的に見える絵も、どちらも「どの段階の “実感” にもとづいて絵にするか、という違いでしかないのではないか」と山口さんは考える。

 

『型』を描いて見えてきたもの

 

山口さんが、河鍋暁斎という幕末の絵師が描いた絵を見せてくれた。

7_暁斎

 

一見似たような足の写生に見えるが、よく見比べると、画面の上の方の足は線の調子が均一なのに対し、下側の足は筆の入りと止め、線の抑揚が大きい。

 

線が均一なほうは、形を覚えるために描かれたもので、足首のあたりに “真(しん)”と小さく書きこまれている。

なぜそのような絵を描いたかというと、墨という描き直しのできない画材で、しかも輪郭線を残す様式では、一気呵成に描くことが大事になる。そのためには、形を覚えておいて「見ずに描ける」ことが必要なのだという。

 

いっぽう下側の、線の抑揚が大きいほうの足には “画(え)”と書きこまれている。

山口さんによると、形を覚えるために描いた“真”の絵は、暁斎に言わせると、“画” ではないのだという。“真”とされているものに筆意(筆づかい、運筆)が加わったものが “画” であって、筆意なきものは画ではない。その筆意をどう獲得するかというのが、絵描きの最初の修練なのだそうだ。

 

では、『型』は何を伝えているものか?

 

山口さんは自分で描いてみて、「心をはたらかせる」ということが見えてきたという。

 

「それが筆意の差ですね。カッと入って、スーッと引いた線と、ぎゅうっと入った線とで、描く側の心の波立ち具合が変わってくる」

 

そこにさらに、絵師それぞれの身体性が出る。グワッと引く人もいれば ざっ、ブワッと、描く人も‥(と、擬音をまじえ、描く身振りをしながら説明してくださった)。

 

線というものは絵師の三次元運動の断面であり、一本の線でも非常に触覚的な、絵師が触った跡というものがある。そういうものには絵師の身体性、あるいは精神性が転写されるものなのだという。

 

「その転写する『もと』、つまり絵師の身体性とか精神性というものを、型というのは誘発させるもので、型を通して自分の心のどこがどう動いて、どこに向かおうとしたかを知るのが、型の一番大事なところで、型の『形を守る』ことではない」と。

 

型の形を守ろうとするだけで、型の内側ではたらくものに思いを致さないと、簡単に絵は死ぬ。

「それは絵に限らず、いろんなところで多分起こる」とも。

 

絵における創造性

 

美術というのは「創造」がテーマの一つとしてあって、新しくなければならない、ということが脅迫観念としてある。だが美術における新しさとは、表現者個人が「真円性」を獲得するところにおいて成し遂げられるのではないか、と山口さんは言う。

 

山口さんがいう「真円性」とは、『未だ現出し得ていない本来の自分になる』というような意味で使われているようだ。自分という人間の “根っこ” みたいなものができてきたときに、ある型を通すと、あるものが表現されてくる、別の型を通すとまた別のものが現れて、‥ということを繰り返すことによって、『自分』というものになっていく。それは時間軸や成熟という意味では未来に向かうものであると同時に、個人の内面では、自分のもっとも根源的なものに近づいていく。

 

そしてセザンヌの例を挙げて、次のように解説されていた。

「セザンヌは近代絵画の父といわれますが、彼が従ったものというのは自分の感覚(サンサシオン)なんですね。彼は風景を見たときに自分に訪れてくる感覚の強さに堪えられないほどで、気が狂いそうになる、という話をしている。ただその感覚に向き合って、サンサシオンの導きに最もかなう表現をつきつめていったものが、結果的にかつてなかったものとなり、西洋絵画の歴史を動かすんです」

 

「でも彼がやったことは、彼のまったき本来性に還って、そこに起こった心情を絵にすべて転写するっていうことで、‥ですから、絵においての創造性というのは、実は自分のいちばん古いところ、本来の自分というものと関係しているんですね

 

型というものは、絵描きの使うべき身体、心を誘発し同期させて、より本来的な自分というものに気づかせる。そうして自分の根っこというべきところに到達したときに、それは真に新しいものになり得る。そういうものの一助として、型というものがあるではないか、と締めくくられた。

 

* * *

 

オンラインでの登壇となり「会場の反応がわからず心細い」と言いつつも、ご自身の歩んできた道について、『型と創造』について、語りつくされた。

すべてが実際の制作にもとづいた思索と実践に裏打ちされ、絵を切り口に人の心や身体感覚、認知のしくみ、人の個性化にまで迫っているのには感嘆するほかなかった。

 

絵を描く上での迷いや行き詰まり、それを乗り越えていく過程についても率直に語っておられ、その生身の声を聞けたことは、これから道を歩んでいく学生にとってどれほど貴重な指針になるだろうと思う。

 

講義の後では質疑応答の時間が設けられ、学生からいくつかの質問が寄せられていた。

河鍋暁斎を模写しているという学生からの「模写で形を完璧に追うことより、筆意を大事にした方がいいですか」という質問に対しては「形を覚える段階と、筆を走らせる段階をわけたほうがいい」とアドバイス。「反復して、形を覚えて意識せず描けるようになると、使える『意識の層』が変わる」とのお話だった。

 

型の役割や用い方についてのお話は、講義の中でも語られていたように絵や美術の世界に限定されない普遍性をもつもので、その意味でも、後を引く面白さだった。

 

 

落語で学ぶ 笑いと文化、コミュニケーション ~ 大阪樟蔭女子大学 『半日落語デー』レポート

2021年7月8日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

6月23日、大阪樟蔭女子大学(大阪府 東大阪市)で『半日落語デー』があり、落語家で同大学客員教授の桂かい枝さんによる授業が行われました。

 

これまでに落語を聞きに行ったり、落語体験教室のようなものに顔を出したりしたことはありますが、大学で半日にわたり落語の授業とはめずらしいですね。どんな授業なんだろう、と興味津々で足を運んでみました。

桂かい枝さん

 

桂かい枝さんは1969年、兵庫県生まれ。1994年に上方落語の五代目桂文枝に入門。「落語の面白さを海外の人にも伝えたい」と1997年より古典落語の英訳を始め、英語による落語公演を開始しました。

 

2007年より大阪樟蔭女子大学で『Performance English(英語落語)』の授業を始め、今では同大学の『笑いは人をつなぐ』『大阪・上方のことば文化』という科目でも授業プロデュースや講師を務めています。

この日は、その3科目の授業が連続して行われました。学生は各授業入れ替え制で、一般非公開です。

 

最初の授業は『笑いは人をつなぐ』。

笑いで人を引き付ける力やコミュニケーション力を身につけることをめざす授業です。心理学や古典芸能の専門家などによるリレー講義で、今日が桂かい枝さんの出番。

 

「これまでに落語を一度も見たことがない」という人も含む約20人の学生を前に、まずは落語のイロハを実演をまじえて解説します。

「これが見台(けんだい)‥」落語家の前に置かれている小さな台について説明。

「これが見台(けんだい)‥」落語家の前に置かれている小さな台について説明。

 

落語が「オチ(落ち)がある物語」であること、顔や視線の向きの変化で瞬時に登場人物を切り替えることなどを、実演しながら解説。言葉と体の動き、小道具の扇子と手ぬぐいだけで、ありとあらゆるものを表現します。

扇子を箸に見立てて‥うどんをいただきます。

扇子を箸に見立てて‥うどんをいただきます。

 

実演付きで基本的なことを解説した後は、『初天神』(はつてんじん)という古典落語を披露。

年の初めの天神祭で「あれ買って、これ買って」とねだる子どもと、「アカンアカン」と渋る父親との軽妙なかけあいが繰り広げられます。

「飴、買うてー」

「飴、買うてー」

 

たった一人で複数の人物を演じ分けるだけあって、表情やしぐさ、声色の豊かなこと。

「言葉だけで人物や風景を想像していただくのが落語の醍醐味」だそうです。

 

いつ、どんな風にはじまった? 落語の起源

 

実演に続いて、落語の歴史や文化にまつわる解説がありました。

 

落語の起源ですが、もとは浄土宗のお坊さんが始めたものだったそうです。お坊さんとの結びつきはちょっと意外ですが、かい枝さんによれば、仏教の法話を聞きながらついウトウトする人の目を覚ますため、笑い話をしたのが始まりなのだとか。

落語を生業とする人が現れたのは、それから100年ほど経ったころ。元禄文化が花ひらき、京、大坂、江戸に、それぞれ「落語家の祖(そ)」と呼ばれる人物が現れます。

スライドに写っているのは落語家の祖の一人、露の五郎兵衛という人物。京都の北野天満宮の境内などで活躍しました。

スライドに写っているのは落語家の祖の一人、露の五郎兵衛という人物。京都の北野天満宮の境内などで活躍しました。

 

京、大坂では、境内などの屋外で演じていたため、通行人の足を止めようと派手でにぎやかに。一方、はじめから座敷で演じていた江戸ではじっくり聴かせる人情ものが好まれ、それが東西の芸風の違いを生みました。

 

海外の話芸についても紹介がありました。ちょっと面白いなと思ったのは、トルコの『メッダ』と呼ばれる話芸です。

トルコの話芸『メッダ』。もとは宗教的な話でしたが、徐々に世俗的な内容に変化しました。

トルコの話芸『メッダ』。もとは宗教的な話でしたが、徐々に世俗的な内容に変化しました。

 

少し高い台の上に座り、何かをしゃべっている様子が落語にそっくり。

落語の小道具は手ぬぐいと扇子ですが、メッダではハンカチとステッキ(杖)です。地理的にはずいぶん離れた国ですが、似てますねぇ。

 

 

2つ目の授業は『Performance English(英語落語)』です。

 

英語落語の授業では学生自身が英語落語を演じ、英語の表現力やコミュニケーション力、伝統文化の発信力などを高めることをめざしています。毎回、小咄(こばなし)を練習して、桂かい枝さんのアドバイスを受け、表現をブラッシュアップしていきます。

これまでは画面越しでしたが、まずはかい枝さんの落語を生で拝見。

こちらの授業に参加しているのは国際英語学科で学ぶ4人の4年生。4月からオンライン授業が続き、この日が初の対面授業となりました。

 

この後、学生さんも順番に高座(こうざ:落語の舞台)に上り、“Library(図書館)”という小咄を披露。練習の成果を見ていただきます!

初の高座ですが、みなさん堂々としたもの。人物のキャラクター表現や間の取り方、視線の置き方などについてかい枝さんからアドバイスを受け、より伝わる表現をめざします。

英文を5回、10回と単調に復唱してもなかなか身に付きませんが、相手(観客)に伝えることを意識して発声や顔の表情を工夫し、くりかえし練習することで、実際のコミュニケーションの場で使える表現が身に付くというわけです。

 

初めて高座に上がってみての感想は「緊張した」というのもあれば、「家からのオンラインよりやりやすかった」という声も。これを踏まえて、今後は本格的な英語落語のお稽古に進みます。

 

落語そのものの面白さもさることながら、演じる学生さんたちのイキイキした表情に、こちらも笑顔になってしまいます。

英語落語の授業では、練習の成果を披露する発表会を行っています。今年はオンラインでの発表会を予定(一般非公開)。写真は、2018年2月に開催された「第11回 英語落語発表会」の様子です。

英語落語の授業では、練習の成果を披露する発表会を行っています。今年はオンラインでの発表会を予定(一般非公開)。写真は、2018年2月に開催された「第11回 英語落語発表会」の様子です。

 

 

この日最後の授業は『大阪・上方のことば文化』。

大阪を中心に、広く上方文化(京都・大阪で育まれた文化)の知識や理解を深める授業です。

受講人数はこの日行われた授業で最も多い約50名。みなさん国文学科の1年生です。

受講人数はこの日行われた授業で最も多い約50名。みなさん国文学科の1年生です。

 

前回までの授業で 「田辺聖子作品にみる上方芸能と大阪ことば」などを学び(作家の田辺聖子さんはこの学校の卒業生)、今日はいよいよ実演を観るということで、学生さんたちも前のめり。

 

1つ目の授業と同じく落語についての基本的な知識を実演をまじえて教えてもらった後、『初天神』を鑑賞。ちなみに『初天神』の舞台は大阪です。目の前でくり広げられる話芸に、にぎやかで陽気な上方落語を肌で感じることができたのではないでしょうか。 

 

コロナ禍を経て、落語家が思うこと

 

午後1時にスタートして、すべての授業が終わったのは6時ごろ。桂かい枝さんは文字通り半日しゃべりっぱなし、演じっぱなしで、さすがに「話のプロ」も少し大変だった様子です。

 

授業の後には、質疑応答が行われました。

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『大阪・上方のことば文化』の授業を担当している国文学科の古川綾子准教授から「コロナ禍による長い活動休止期間を経て、改めて落語の可能性について感じることは?」と聞かれ、オンライン落語会を行ったときの観客の反応を紹介。

落語はテレビや動画サイトなどでも見ることはできますが、オンライン落語会では観客も画面に顔を出し、他の人といっしょに笑い合えたことが喜ばれたといいます。

 

人といっしょに笑い合うことは、本当に人間にとって失え得ないことだと、いったん失ったことでわかった」と、かい枝さん。

人と気軽に集まりづらい生活が続く中、他の人と同じ空間に集い、たくさん笑った後にその言葉を聞くと「本当にその通りだ」としみじみ思います。

 

* * *

 

落語は、今の多くの人にとって幼い頃から自然に親しむものではないかもしれませんが、ちょっとした慣れや前知識があれば楽しめるもの。やはり「笑うっていいなぁ」と、単純に幸せな気持ちになります。

 

大阪樟蔭女子大学では、もともと英語落語の発表会なども一般に公開していて、今回の『半日落語デー』も、コロナ禍でなければ一般の方に見ていただきたかったとのこと。いずれ気兼ねなく集まり、楽しめる日がくるのではないかと思います。

 

“趣味の園芸”とどうちがう? 花と緑で人を癒やす園芸療法について専門家に聞く

2021年6月17日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

初夏から夏にむかうこの季節、色とりどりの花や緑があふれています。

花と緑の風景に心癒やされる人は多いと思いますが、そんな植物の力を利用した「園芸療法」というものがあるのをご存じでしょうか。

園芸療法とはどんなことをするのでしょう。 “趣味の園芸”とはまた違うものなのでしょうか?

 

園芸療法の専門家にお話を伺うため、日本で唯一の公的な園芸療法教育機関である兵庫県立淡路景観園芸学校、兵庫県立大学大学院のキャンパス(兵庫県・淡路島)を訪れました。

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兵庫県立淡路景観園芸学校、兵庫県立大学大学院のキャンパス

 

兵庫県立淡路景観園芸学校が設立されたのは1999年。3つの課程があり、その中の一つ(景観園芸専門課程)を発展させる形で、兵庫県立大学の研究科(専門職大学院)が開設されました。

 

今回は学校のキャンパスにある『園芸療法ガーデン』をご案内いただきながら、園芸療法課程の講師をつとめる金子みどり先生にお話を伺いました。先生自身もこの学校で学び、現在は園芸療法の実践・教育・研究に携わっておられます。

園芸療法ガーデン

左:園芸療法ガーデン入り口。園芸療法の教育、調査・研究の場でもあります。 右上:訪問時はチューリップが見ごろでした。 右下:『触れる花壇』。手で触る感触を楽しめる植物が植えられています。

 

■園芸療法とは

 

――園芸療法と、「趣味の園芸」とは違うものなのでしょうか?

 

園芸の作業を行うことは変わらないんですが、園芸療法の場合、加齢や障がい、病気などの理由でなんらかの支援を必要とする方を対象にします。

相手の方の健康状態やニーズに合わせて活動のねらいを設定し、そのねらいに合わせた園芸活動を行います。

趣味の園芸との主な違いを表すと、下の表のようになりますね。

図1_園芸療法と趣味の園芸のちがい

 

こうした園芸療法を行う場合、相手の方の障がいや病気、支援方法、植物の栽培などについて、専門的な知識や技能が必要です。そうした知識・技能を身につけ、支援者として関わっていくのが園芸療法士ということになりますね。 

 

花や緑といった植物は、それだけで私たちに安らぎや元気を与えてくれます。趣味の園芸は、そういった植物や園芸活動が主役になります。

園芸療法では、支援の必要な方が主役です。園芸療法士は、主役が輝けるように、植物や園芸活動の魅力を使ってプログラムを作り、演出し、進行を支えます。舞台に例えると、園芸療法プログラムの脚本家、演出家、黒子を兼ねたような存在ですね。

 

――なるほど。園芸療法はどんな方を対象に、どのような場所で行われているのでしょう。

 

高齢の方の場合、主に高齢者施設(特別養護老人ホームやデイサービスなど)に暮らしていたり通ったりしている方が対象となります。障がいのある方の場合は、障がい者支援施設に入所していたり、通ったりしている方もいらっしゃいますね。

 

医療の分野では、主に病院の精神科や回復期リハビリテーション病棟、緩和ケア病棟などの患者さんが対象となります。

教育の分野では、学校(小中高、特別支援学校)や幼稚園・保育園などの子どもたちに対して行うこともあります。

 

園芸療法が行われる場所は、こうした医療・福祉・教育関連の施設が多いですが、健康な方を対象に公園や団地で行うこともありますよ。その場合は健康維持や介護予防、コミュニティの活性化などが目的となりますね。子育て支援や、引きこもりの人へのアプローチとして行うこともあります。

 

――活動の内容は具体的にはどのようなものですが?

 

花や野菜の栽培、フラワーアレンジメントなどの創作活動、香りや触覚など五感を使うプログラムなどがあります。

写真提供(「栽培」の写真): NPO法人 園芸療法と歩む会

写真提供(「栽培」の写真): NPO法人 園芸療法と歩む会

 

栽培は、花や野菜の種まきや苗の植え付け、水やり、収穫など。家庭の園芸と大きく変わりませんが、何を育てるか、どんな作業を行うかなどは、相手の方に合わせて決めています。

写真提供(上左): NPO法人 園芸療法と歩む会

写真提供(左): NPO法人 園芸療法と歩む会

 

創作活動には、生け花や押し花、草花を使った小物づくり(リースづくりなど)があります。

図11_2

 

上の写真はフラワーアレンメントの一種ですが、吸水性のあるスポンジをお弁当箱に入れて花を挿しています。

どなたにも取り組んでいただきやすいプログラムです。

 

料理や食品の加工(梅酒、梅干し、ジャムづくりなど)もありますよ。

下はかりんの実。収穫して、かりん酒をつくったりします。

かりん実1

 

香りを利用するプログラムもあります。

花や葉の香りを直接かぐほか、ハーブ(ミントやローズマリーなど)やキンセンカなどの花びらをお湯にうかべて手を浸す手浴(しゅよく)も喜ばれますね。

 

手浴組み写真

 

植物に手で触れる活動もあるんですよ。こちらの葉に、ちょっと触ってみてください。

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(細く柔らかな毛がびっしり生えていて、動物の毛皮みたい。ビロードのような手触りで、とても柔らかいです。)

 

ラムズイヤーという植物(英語で 『子羊の耳』という意味。和名は『ワタチョロギ』)です。ふわふわとして柔らかく、みなさん驚かれます。つい触ってしまいたくなりますね。

 

緑のある公園や庭を散策したり、葉ずれや鳥の声、せせらぎの水音など、自然の環境音に耳を傾けたりすることもあります。

どの活動でも、支援するスタッフや他の参加者との間に会話が生まれたり、気持ちを共有したりすることができますね。人とのかかわりも、大切な要素です。

 

――いろいろな活動があるんですね。活動の内容は、どのように決めるのでしょうか。

 

たとえば栽培の場合、植物の世話をするという役割をもち、その生長を見ることで意欲が生まれ、自分が役に立っているという感覚をもつことができます。そうした効果をめざし、意欲の低下や自信の喪失がみられる方に対して計画します。

また、意欲や自信をもつことは、認知機能を保つことにもつながります。高齢者や認知症の方に対し、認知症の進行予防を目的に行うことも多いですね。

栽培では水やりや収穫などで継続的に体を動かすので、身体の機能回復や体力の維持・向上をめざしたい場合などにも行います。

図16

特別支援学校の生徒がカモミールの花を乾燥させているところ。ハーブの入浴剤になります。

 

障がいのある方に就労支援として行ったり、人との会話や状況の読み取りに課題がある方に、社会的スキルの向上をめざして行ったりすることもあります。 

 

フラワーアレンジメントなどの創作活動の場合、たとえば全身の筋力が弱くなっていても、手先を動かす機能が保たれていれば取り組んでいただくことができます。花を見たり活けたりすることに興味がある方、クラフト作業を楽しめる方には満足感を持っていただきやすく、おすすめすることが多い活動です。

 

 

どの活動も本人の思いや心身の状態に合わせて計画・実施しますが、周りの人とのコミュニケーションが生まれ、「できること」が引き出されて生活の質の向上が期待できるところは共通していますね。

 

図3_園芸療法でできること

 

 

――相手の方の状態に合わせて活動内容を計画していくところに、園芸療法士の専門性が発揮されるんですね。

  実施された方の反応はどのようなものですか?

 

農家で生まれ育ったという90歳代の方が、栽培しているミニダイコンを見て「根元まで土入れて、お日さんに当てて、夜露にも当てて」と、スタッフに教える側になることがありました。その方は認知症の症状があったんですが、ミニダイコンの栽培が昔の経験を思い出すきっかけとなったようです。

 

ふだんの生活で発揮することのない力が、実はたくさん潜んでいるということですね。園芸療法は、そんな力を引き出すきっかけづくりになります。

 

創作活動でも、自身の健康に不安を感じていた認知症の方がフラワーアレンジメントを作りあげ、笑顔になったりされます。自分らしさを発揮できて、自信につながるのですね。

図5

(写真はイメージです)写真提供:NPO法人 園芸療法と歩む会

 

 

――植物の力を借りて、その人らしく生きることを援助することができるんですね。

  先生が園芸療法を行ってきた中で、特に印象に残っているエピソードはありますか?

 

病院の緩和ケア病棟で園芸療法を行っていたとき、水栽培のクロッカスをお持ちしたことがあります。

相手の方はもと小学校の教員だった70歳代の女性でした。根っこがあちこちの方向にたくましく伸びている様子を見て、「私はこの根っこみたいに、人とちがう方向に行っていたのね」と、自分の生き方をふり返っていらっしゃったことがありました。

 

私たちと同じように生まれ、生長し、いずれ枯れるものだからこそ、そのように感じられたのではないでしょうか。クロッカスの姿に自分の生き方を重ねていらっしゃったのが印象的でした。

■園芸療法を日常生活に取り入れる方法

 

――金子先生は、園芸療法士になる前は保健師として働いておられたんですね。

  どのようなきっかけで、園芸療法士へ転身されたんですか?

 

私が保健師として勤めていたのは企業の健康管理室だったんですが、会社の成果主義に疲れて健康管理室に足を運んでこられる方も多かったです。私自身もそのような企業風土に疲れを感じていましたが、休みの日に片道1時間半かけて家庭菜園に通い、一日中畑仕事をするとすっかり元気になって、「また一週間がんばろう」と思えました。

 

あるとき新聞で園芸療法のことが紹介されているのを見て、「これは私が毎週家庭菜園でやっていることと同じだ!」と。いろいろと調べて、学校で本格的に学ぶことにしました。

 

――体は健康でも、ストレスや精神的な疲れを感じている方は多いと思います。

  園芸療法のエッセンスを日常生活に手軽に取り入れる方法はあるのでしょうか。

 

切り花を飾ったり、部屋に観葉植物を置いたりされる方もいらっしゃいますね。

2020年の調査で、家で植物を育てている方の半数以上(54.3%)が、植物を育てて「穏やかで安らいだ気持ちになった」と回答しています(※)。
コロナ禍で、自宅でのリモートワークをしていた方への調査でも、部屋に植物を置いていた方の6割近く(59.2%)が「心が落ち着く」と答えています(※)。

部屋に植物を置くのは、手軽な方法ではないでしょうか。

   ※引用元:令和2年度制作「こんなときこそ植物のすごい癒しの力を」全国鉢物類振興プロジェクト協議会

 

ラベンダー

ラベンダー

 

栽培するなら香りのよいものに目を向けてもいいですね。例えばラベンダーの香りは副交感神経を刺激し、リラックスした気分になる効果があります。

 

創作活動もストレス軽減に役立ちます。フラワーアレンジメントの場合、ストレスの指標ホルモン(唾液中コルチゾール値)が、フラワーアレンジメントの後では有意に低下するという結果が出ています。

グラフ1_ストレス指標変化__210616

白井はる奈他(2012)地域在住の中高年成人に対するフラワーアレンジメントの介入効果―心理面の変化と唾液中コルチゾール値に着目して―.佛教大学保健医療技術学部論集第6号

 

 

――気分がよくなるだけでなく、体にいい影響があることが明らかにされているんですね。

 

緑のある環境に身を置いたり、道端に咲いているような身近な草花に目を向けたりするだけでもいいんですよ。

本物の植物でなくても、心地よさを感じる自然景観のビデオや写真、絵を見るだけで、脳がリラックス状態になることがわかっています。

「やってみてもいいな」「やってみたい」と思えることを意識してみるといいですね。

 

――草花を眺めて心が和むのは多くの人が経験していることだと思いますが、科学的な裏付けがあることを知ると、

  納得しますね。意識して取り入れてみたいと思います。

 

■園芸療法ガーデンのご案内

 

今回は学校の広い庭を案内いただき、草花と触れ合いながらの取材となりました。本当に気持ちがよく、植物がもつ癒しの力を実感しました。

 

園芸療法ガーデンでは、紹介した内容のほかにも興味深いものを拝見できました。

DSC_0019_2

 高さの違う花壇が並んでいます。なぜ高さが違うのかというと・・

 

花壇組み写真1

左の低いほうの花壇は、車いすに座るとちょうど良い高さ(約60 cm)。

右の高いほうの花壇は、立ったまま作業ができ、腰に負担がかからない高さ(約80cm)になっています。

 

しゃがんだ姿勢を続けるのは、たしかに辛いことがありますね。自分が園芸をする際は、無理のない姿勢を心がけたいと思います。

 

学校の庭は365日、一般に開放されています。ぶらぶら歩くだけでも気持ちがいいですが、ボランティアガイドによる案内も定期的に行われています。解説を聞くといろいろな工夫を知ることができて、より楽しめますよ。

淡路景観園芸学校の庭。一般の人も自由に出入りできます。

淡路景観園芸学校の庭。一般の人も自由に出入りできます。

 

 

科学と思想が出会う場所 ~宇宙に関する記事まとめ!

2021年6月10日 / まとめ, トピック

先月の皆既月食(2021年5月26日)はご覧になれたでしょうか?  来月は七夕、天文ファンでなくても天の川を見上げる方は多いでしょう。

「ほとんどゼロ円大学」にもたくさんの宇宙関連の記事があります。中には宗教や哲学との関連を感じさせるものも。今回は、宇宙に関するいろいろな話題をまとめてみました。


* * *

●お寺を宇宙に打ち上げる!?
   奇想天外な新ビジネスを生み出した、京大発ベンチャー「テラスペース」代表をインタビュー!

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お寺を宇宙に打ち上げるというプロジェクトを立ち上げた北川貞大さんへのインタビュー。お寺を宇宙に浮かべて地理的な制約をなくし、日常に仏教を取り戻すというミッションを掲げておられます。

「お寺が宇宙に行ったら、地理的な制約がさらに増すのでは」などと考えてしまう一般人とは、思考のスケールがちがいます。

記事はこちら!

 
●科学・芸術・遊びの境界を揺さぶるミニチュア宇宙線モニタの開発秘話

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 2020年2月。あるツイートが話題になりました。

『ブラックホールなどからやってくる「宇宙線」が飛び込んでくるとピカッと光るモニタを作りました。』『「宇宙線で光るインスタレーション作品」とか興味ある芸術家さんいませんか?』

宇宙線がアートとどうつながるのでしょうか。ツイートの投稿主、理化学研究所の榎戸輝揚さんへのインタビューです。

記事はこちら!

 

 ●金星に生命は存在するか!? 驚きのニュースの真相を京都産業大学・佐川英夫先生に聞いてみた。

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地球のお隣の星・金星に、生命が存在する(かもしれない)間接的な手がかりが見つかったというお話です。

NASAの長官が「地球外生命探査史上最大の発見」とコメントしたとのことですが、その真相は?

記事はこちら!

 

 ●哲学×映画『メッセージ』:私たちは未来を予期して生きている? 傑作SFを哲学で読み解く

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異星人と人類との邂逅を描いたSF映画『メッセージ』。

言語やコミュニケーション、時間などのテーマに踏み込み、さらに家族をもつことについて、生きることについて、さまざまに思考を誘発する映画という、新潟大学の宮﨑裕助先生へのインタビュー記事です。

記事はこちら!

 

 ●地球外知的生命は必ず存在する! SETIの第一人者、兵庫県立大の鳴沢真也さんに聞いてみた。

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SETIとは「地球外知的生命探査」(Search for Extra-Terrestrial Intelligence)のこと。

「地球外知的生命の放送を受信した」「私のイメージしている知的生命の姿は、肉体を持たないメモリー内のデジタル信号」…聞けば聞くほどSFのようですが、研究に取り組む根底には『私たちは特別な存在なのか?』という哲学的な問いがあるとのこと。

記事はこちら!

 

●銀河に満ちる「ダークマター」を探していたら、未知の素粒子を発見か!?
  科学ニュースを神戸大学の先生に聞いてみた。

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2020年6月、ダークマターの探索実験で未知の素粒子発見か、というニュースが駆け巡りました。宇宙の成り立ちに関わる超重要な、そして正体不明の物質。

「何かはわからないけど、何かある」。科学者の探究心をかきたててやみません。

記事はこちら!

 

* * *

 

どれもこれもスケールの大きなお話でした。
まあまあ(かなり)難しいお話もありましたが、個人的には、宇宙と自分との関係(超新星爆発でばらまかれた元素がまわりまわって自分の体を構成していることなど)に気づかせてくれるものに引かれます。

これからも、さまざまな分野の専門家が見知らぬ地平をひらいてくれることを期待します。
そしてできれば、物理と化学が苦手でも、その素晴らしさを理解できることを。

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