この秋、龍谷ミュージアム(京都市)にて特別展「アジアの女神たち」が開催されています。
登場するのは、先史時代の土偶からインドの女神、仏教に取りこまれた女神や観音など多彩です。ミュージアムの語源である「ムセイオン」が女神(ムーサ、ミューズ)をまつる場所だったという当初の役割に立ち返り、龍谷ミュージアムの開館10周年を記念する展覧会となっています。
女神の歴史的な背景についてお聞きしながら鑑賞すればさらに面白そうだと思い、展覧会を担当した学芸員の岩井俊平先生(龍谷ミュージアム准教授)に見どころを伺ってきました。
展示は太古の女性像にはじまり、インド周辺の女神、それらが仏教に取り込まれ、変貌するさまを追っていきます。
女神像の起源
展示会場に足を踏み入れると、まず迎えてくれるのがこの像です。
重文 訶梨帝母坐像 平安時代後期・12世紀 奈良 東大寺(写真提供:奈良国立博物館)
やさしい表情で、腕に子どもを抱いています。豊穣や多産の神・訶梨帝母(かりていも)で、「鬼子母神(きしもじん)」の名でも知られています。
この像は、日本に現存する訶梨帝母像としては最古の可能性があるとのこと。まさに展覧会の「顔」にふさわしい品格を感じます。
もっと古い時代の女性像はどんなものでしょう。
女性土偶 北シリア 前5500年頃 平山郁夫シルクロード美術館
豊満な胸や足腰の表現が特徴的です。「豊穣に対する切実な願いが込められているのでしょう」と岩井先生。人をかたちづくった人形(ひとがた)は世界のいろいろな地域で見られますが、最古のものはどれも女性像だそうです。
岩井先生が「本展覧会のイチおし」というのがこちらの土偶です。
重文 円錐形土偶 山梨 鋳物師屋遺跡 縄文時代中期・前3000年頃 南アルプス市ふるさと文化伝承館
大きくふくらんだお腹に手を添えている姿は、妊娠した女性をあらわしています。胴の中は空洞で、かつては中に「鳴る子」という玉が入っており、振ると音が鳴るようになっていたとのこと。豊穣、多産を願うもので、何らかの儀式で使われたと考えられています。
※後期(10/19~11/23)は複製品の展示となります
本当に同じ女神? インドから日本へきた女神
岩井先生によると、この展覧会の見どころのひとつは「対応関係にある女神を比較して見ていただけるところ」とのこと。たとえば、繁栄、豊穣などの吉祥をもたらす女神「吉祥天」は、吉祥をつかさどるインドの女神「ラクシュミー」が仏教に取りこまれたものです。
吉祥天を見てみましょう。
重文 吉祥天立像 平安時代・10世紀 奈良 薬師寺
写真は、薬師寺の吉祥天像です。この像の近くに、その起源にあたるインドの女神「ラクシュミー」も展示されていますが、豊満な胸や腰に、動きを感じさせるポーズで、見た目だけでは上の吉祥天像のルーツだとはとても思えません。文化とか風土の違いが感じられて面白いところです。
冒頭でご紹介した、子どもを抱いた女神・訶梨帝母(かりていも)も、もとはインドの豊穣・多産の女神「ハーリーティー」が仏教に取りこまれ、日本に伝わったものです。(ちなみに「かりていも」という読みは、「ハーリーティー」の音がもとになっています)
ハーリーティーはどんな姿でしょう。
ハーリーティー倚坐像 スワート(パキスタン) 2~3世紀
エキゾチックな風貌ですが、子をいつくしむ母の表情は日本の訶梨帝母と変わらないようです。
ちなみにハーリーティーは地元のローカルな信仰の対象であったものを、おそらくは仏教を布教するときに「ハーリーティーは実は仏教の女神です」ということにして、仏教に取りこんでいったのではないかということです。わりとざっくりしているというか、よく言えば柔軟な感じです。
女神は、やさしげなものばかりではありません。中にはちょっと怖そうな女神も登場します。
ドゥルガー立像 インド 20世紀 国立民族学博物館
女神が足で踏みつけているのは、魔王です。悪者をこらしめる正義の味方のような感じでしょうか。
「男の神様たちが、自分たちの力では退治できなかった悪魔を滅ぼすためにつくった女神です。血みどろな感じでして‥」と岩井先生。展示会場には、この女神が悪魔をやっつける様子を描いた参考資料も紹介されていますが、なるほど血の海です。(それほど生々しい描写ではないので、ご安心を)
この女神は「ドゥルガー」という名で、インドではいまでも絶大な人気があるそうです。
変幻自在の弁才天
悪魔を滅ぼすような女神は、日本にも伝わってきたのでしょうか? 実はある種の弁才天がその特徴を受けついでいることがわかっています。
弁才天というと七福神の一人で、琵琶を持った福の神というイメージです。そのイメージ通りの弁才天も展示されていますが、弁才天にもいくつかのバリエーションがあるとのこと。先ほどの戦闘的な女神ドゥルガーの系譜をつぐ弁才天は、腕が8本あり、弓や刀や斧など持ち物すべてが武器という、戦闘モードの(とても弁才天とは思えない)弁才天です。
ところで、この展覧会で私がもっとも強い印象を受けたものの一つが、下の像です。
弁才天立像 鎌倉時代・13~14世紀 兵庫 鶴林寺
こちらも弁才天の一種ですが、頭の上に鳥居が建っていて、さらにとぐろを巻いた蛇が載っています。その蛇の顔が老人になっているという異様さですが、この蛇は宇賀神(うがじん)という名の穀物の神で、これを頭に載せた弁才天は「宇賀弁才天」と呼ばれるそうです。
頭上に載っているものには度肝を抜かれますが、財宝や福徳の女神とのことで、弁才天らしいご利益がありそうです。
鳥居や蛇を、もっと「ドーン」と盛った感じの弁才天像も会場には展示されていて、私はそちらもけっこう好きだなと思いました。当時の人々の切実な思いとか、原初的なエネルギーを感じます。また、なんとなく現代の関西人のノリに通じるものも感じます。
観音の性別は‥
展覧会の最後をかざるのは、観音像です。
ところで観音といえば、男性と女性、どちらのイメージをお持ちでしょうか?
私は「なんとなく女性」というイメージでしたが、発祥の地であるインドでは、はっきりと「男性」だったそうです。
インドから日本に伝わるまでの間に、女性的な雰囲気で表現されたり、観音ではない女神が観音と同一視されたりということが起こりました。
これについて岩井先生は「もとのサンスクリット語では男性名詞と女性名詞の区別があったのに対し、東アジアの言語ではその区別がないことが関係しているかもしれません」といいます。また、観音の慈悲深いイメージが、女性と結びついて違和感がなかった可能性もあるようです。
展示されている観音像はどれも信仰の対象だと思いますが、なかには美術工芸品としてもとても美しいと感じるものもあり、印象に残っています。
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さまざまな女神を見てきましたが、人々の願いを託され、イメージがふくらみつづける様子を見ていると、女神は「なんでも引き受けてくれるお母ちゃん」のようにも思えてきます。
こうした像をお寺などで拝観すれば、人の信仰心のようなものをより強く感じるのかもしれません。
一方こうした展覧会で、ひとつの女神が地域によりさまざまに姿を変えながら信仰されてきたことを知ると、人間の本質的に変わらないところと、同時にいかに違うものかということを体感することができて、とても興味深いです。それぞれの視点で楽しめる展示ではないかと思います。