ギャラリーラウンジにオーディオルーム、スタジオ、カフェ、再現された“村上さんの書斎”まで—。10月1日にオープンした村上春樹ライブラリー(正式名称:早稲田大学国際文学館)は、大学の研究施設と聞いてイメージするのとは少々、様相が異なる空間。
風通しがよくて、ほどよくカジュアル。
「物語を拓こう、心を語ろう」—施設コンセプトに込められた空間の魅力に迫ります。
特徴的なトンネルがお出迎え。真っ白な外観がすがすがしい村上春樹ライブラリー。
階段本棚で体感する村上ワールド
建物外部のトンネルとともに、ライブラリーを象徴する「階段本棚」。
村上さんが母校に、執筆資料や蔵書、翻訳された書籍、コレクションのレコードなどを寄託・寄贈したことをきっかけに、既存の研究・教室棟から斬新なリノベーションを経て誕生した村上春樹ライブラリー。
村上春樹文学のみならず、国際文学、翻訳文学を研究・発信していく施設です。
場所は、東京都新宿区の早稲田大学早稲田キャンパス。
まず驚かされるのが、設立に際して集まった顔ぶれ。当館の設計を手がけたのは、新国立競技場の設計でも知られる建築家・隈研吾さん。そして、総額約12億円の改築費用を全額寄付したのは、ファーストリテイリング代表取締役会長兼社長の柳井正さん。実は村上さんと柳井さんは、早稲田大学の同期生なのだそう。
隈さんも柳井さんも、村上文学ファンであることから今回のタッグが実現したといいます。
村上さんの作品を「現実と非現実をつなぐトンネルのようだ」と話す隈さんは、その思いを館の内外を結ぶモチーフとして表現しています。
「階段本棚」で村上ワールドを体感。
流線形の木のトンネルから館内に一歩入ると、吹き抜けの「階段本棚」が目に飛び込みます。左右には書籍がずらり。約1500冊、多すぎず少なすぎない絶妙の冊数に、ムクムクと読書欲がそそられます。
開館時の企画内容は、「現在から未来に繋ぎたい世界文学作品」と「村上作品とその結び目」。たとえば、「時代と人間」のテーマでは、『ねじまき鳥クロニクル』『モンテ・クリスト伯』『サピエンス全史』などが並びます。こちらの選書を担当するのは、さまざまな場所で人と本との出会いをつくる屈指のブックディレクター集団BACH。
階段は、その場に腰かけて本を読めるように設計されているので、気になる本をゆっくり読めるのも魅力です。
棚の中やステップのあちこちに現れるフィギュアたち。
羊男もお待ちかねのギャラリーラウンジ
オーガンジーに隔てられた先にはギャラリーラウンジが。
階段本棚を挟むようにして1階に位置するのは、ギャラリーラウンジとオーディオルーム。
まずは、ゆらゆらとやさしく揺れるオーガンジーをくぐって、ギャラリーラウンジへ。
オーガンジーのこの一枚がなんとも魅惑。まるで異世界へ誘われるよう。
ここには、デビューした1979年から2021年までの村上春樹作品がケース内に展示されているほか、世界各国50以上の言語で翻訳された作品たちが並びます。もちろん、展示されている作品以外は手に取って読むことも可能です。
同じ物語でも言語が変われば、装丁はさまざま。たとえば、アメリカ版ではちょっとオリエンタルなものが、ヨーロッパ版では概念的…といったふうに、捉え方が異なっているのがよくわかり、表紙を見ているだけでも飽きません。
ギャラリーラウンジには、村上さんが翻訳した作品も並びます。
『ノルウェイの森』や『ダンス・ダンス・ダンス』などの各国語訳も。
室内には「このささやかなライブラリーが、学校や国境の壁を自由に抜けて、あなたにとって、『息をしやすい学びの場』となることを、心から祈っています」と、村上さんからのメッセージも。
さらに奥へ進むと、村上さんが自作中に描いた「羊男」の大きな絵や、『1Q84』の繭(まゆ)をモチーフにしたコクーンチェア(おこもり具合が読書に最高!)が待ち受けていて、ファンにはたまらない空間です。
壁には作中に登場する「羊男」が! ここで読書すれば、どっぷり村上ワールドへ。
アナログサウンド×読書の至福体験
村上さんの自宅で鳴っているサウンドのエッセンスを伝えるオーディオルーム。
「空間から音が鳴る体験を味わってほしい」というライブラリーの思いがこめられているのが、オーディオルーム。イヤホンを通したデジタルサウンドに慣れた若者たちに、アナログサウンドの魅力を伝えようと、オーディオシステムは、徹底してこだわったものが揃えられました。
村上さんのオーディオアドバイザーである小野寺弘滋さんがオーディオシステムの選定・セッティングを担当。
室内には「ピーター・キャット」で使われていたレコードもあり、当時のお客さまが来た際には、懐かしむ様子が見られるとか。
自宅からお気に入りの村上作品を持ってきて、ここで読書する来館者もいるそう。ヴィンテージの北欧家具がしつらえられた室内で、素晴らしいサウンドに身をゆだねつつ村上作品に浸る…、これ以上ない読書体験ですね。
「村上春樹の仕事場」に静かに興奮!
「村上さんの書斎」。プレーヤーやチェアなどは実際に使われているものと同じ製品が。書斎への自由な立ち入りはできないので、ガラス越しに堪能。
地下1階に降りると、村上さんの書斎を再現した部屋が現れます。デスクやチェア、iMacなどのほかに、アメリカで実際に乗っていた車のナンバープレートや、拾った小石(本人私物!)、レコードなどが置かれています。
一枚板の特注デスクに背もたれのない椅子、かなりのこだわりがあるという鉛筆まで…、執筆環境を目の前にして、おさえられない静かな興奮。ファンなら細部まで見逃せませんよ。
学生運営のカフェで村上さん好みのコーヒー&ドーナツ
カフェ「オレンジキャット」。
書斎の向かいに広がる「オレンジキャット」は、早稲田大学の学生3人が主体となって運営するカフェ。在学中のジャズ喫茶経営をかけがえのない経験だったと考える村上さんが、学生自身によるカフェ運営を希望したそうです。
「学生だけでなく、一般の方にたくさん来ていただけているのがうれしい」と話すのは、運営メンバーの一人、林楽騏さん(早稲田大学1年生)。メニューの考案を手がける石丸紗羽さん(早稲田大学4年生)は、「作品とのさりげない繋がりを意識しました」と、こだわりを明かします。
たとえば、パニーニには「DANCE」(スモークサーモンと玉ねぎ)や「WONDER LAND」(きゅうりと自家製ローストポークとチーズ)とネーミング。「作品へのリスペクトをこめながら、作品を知らない方でも楽しんでもらえるように」と印象的なワードを用いています。
さらに、ハンドドリップでいれるコーヒーには、村上夫妻の好みを取りいれるというこだわりも。
林楽騏さんは「すごい方が携わるライブラリーなので、身が引き締まります」。カフェはメニューの考案からアルバイトの採用まで、すべて学生で運営。
「ピーター・キャット」で使われていたというグランドピアノ。
カフェ・ラウンジには、村上さんがかつて自宅で愛用していたというカップボードやダイニングテーブル、さらには「ピーター・キャット」で使われていたグランドピアノもあり、驚くばかり。書斎を眺めながらコーヒーを飲むもよし、ダイニングテーブルで文学を語らうもよし、さまざまな楽しみ方ができるぜいたくな空間です。
村上さん1番のお気に入りというシュガードーナツは、ハンドドリップコーヒーと相性抜群。
ライブラリーで一般開放されているのは、地下1階から2階まで。2階には、企画展が行われている展示室や海外発信を見据えたスタジオ、交流スペースとなるラボがあり、これからもさまざまな企画が実施される予定です。
2階の展示室では現在、隈研吾さんによるリノベーションの過程などを公開中。隈さんのスケッチやスタディ模型など貴重な資料を楽しめます。※2022年2月4日まで
建物の中はもちろん、外へ出ても気持ちがいい村上春樹ライブラリー。ここにいると、本を読み、誰かと語り、文学や翻訳の世界へ、もっともっと飛び込んでみたくなります。
「誰もがカジュアルに書物に触れ、交流ができる風通しのいい空間を目指しています。地下1階のカフェからは、“村上さんの書斎”や、村上さんが足繁く通っていた演劇博物館も見えて、本の世界に浸りながら、美味しいコーヒーやドーナツを楽しむことができます。」(早稲田大学国際文学館 針生彩さん)。
海外からの取材もすでに行われていて、各国の村上ファンが来館できる日を心待ちにしている様子。世界が注目する日本のスポットになる日も、もうまもなくです。