今、最も人気と影響力のある音楽文化の1つ、ヒップホップ。発祥の地アメリカでは2017年に音楽消費のトップが「ヒップホップ・R&B」となり、初めて「ロック」を超えました(※1)。日本のアイドルがラップをするのも珍しくなくなりましたし、K-POPもヒップホップ抜きには語れません。
この現代を代表する文化・ヒップホップを独自の視点で研究しているのが、音楽学者のマーク・カッツ(Mark Katz)博士です。全米最古の州立大学であるノースカロライナ大学チャペルヒル校(UNC)音楽学部の教授を務めています。
これまでカッツ氏は、ヒップホップを含むさまざまな音楽とテクノロジーの関係について研究し、ヒップホップDJの歴史書を出版するなどして話題を呼んできました。また、大学の授業で「DJプレイ」を教えているといいます。
カッツ氏はさらに、外国との関係を構築するためにアメリカのヒップホップアーティストと世界各地の若者との交流の機会を設けるアメリカ政府の外交プログラム「ネクストレベル(Next Level)」のディレクターを務め、世界中を飛び回ってきた経験を持っています。そして2019年には、その経験をもとに『ビルド――分断された世界におけるヒップホップ外交の力』を出版したばかりです(※2)。
「世界の大学!」シリーズ第4回目は、現代の音楽研究の先端を走る研究者の一人、マーク・カッツ氏へのメールインタビューを敢行。ヒップホップ外交の意義とは?DJの授業とは?気になる話題について語ってもらいました。
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マーク・カッツ氏と近著の『ビルド』[Photograph by Kristen Chavez]
――まず、これまでの研究について教えてください。研究テーマのどういった点に関心を持たれたのでしょう?
私の研究は主に、音楽テクノロジー、特に録音テクノロジーに焦点を当てています。私の仕事は、シンプルですが重要な観察がもとになっているんです。つまり、録音(recording)は単に記録する(record)のではないということ。録音は、それが記録するものに影響を及ぼすということです。
フォノグラフ(蓄音機)、CDプレイヤー、カラオケ、音楽ストリーミングといったテクノロジーは、私たちがどんな風に聴いたり、演奏したり、曲を作ったりするのかを左右します。これが、私の最初の本『音を捕まえる――テクノロジーはいかに音楽を変えてきたか』で書いたことです(※3)。
のちに出版した『グルーヴ・ミュージック――ヒップホップDJのアートと文化』では、スクラッチやミキシングといった、ヒップホップの要素として発展したテクニックの歴史と美学について掘り下げています(※4)。
――大学でもDJを実践する授業をしているそうですね。
ノースカロライナ大学チャペルヒル校で「DJのアートと文化」という授業を行っています。かなり専門的なコースのように思われるかもしれませんが、学生たちとたくさんの、幅広い重要なトピックを話し合うことができています。例えば、アートへのデジタルテクノロジーの影響だとか、起業精神の話題とか、性暴力について(というのも、DJが演奏する場であるクラブで、たびたび発生するからです)、そして音楽の歴史におけるLGBTQ(※5)コミュニティの貢献について、などです。また、この授業では音楽の作り方や選曲の組み立て方も学びます。学生たちは創作の機会を楽しんでいますね。
――ヒップホップと外交の関係を扱った新しい著書『ビルド』について教えていただけますか。
『ビルド』では魅力的な事象について考察しています。つまり、ヒップホップアーティストを、アメリカ政府代表で世界中を周る文化大使として起用するという事象です。この本の根っこにあるのは、人々を出会わせ、理解を促し、平和を促進するアートの力についての話です。
ですが、ヒップホップ外交はとても危ういものでもあります。やり方を間違えれば、ミュージシャンを搾取し、人々やその国を誤って表象し、不和の種をまく可能性があります。
私はアメリカ合衆国国務省が設けたヒップホップ文化外交プログラム「ネクストレベル」のディレクターとしての経験をもとに、この本を書きました。ヒップホップ外交はコミュニティを築きあげ(build)、傷を癒す力がある。けれども、それはかなりの慎重さ、自分自身に関する知識、効果的な行動への注意力を必要とします。
チュニジアでのネクストレベルの活動。現地のDJと、ネクストレベルのメンバーであるDJ(右)がコラボレーション[Photograph by Mark Katz]
――今、さまざまなところで敵と味方の対立が作り出され、分断されていく状況が見られる一方、経済はグローバルな規模でつながっています。そうした時代に、ヒップホップ外交はどんな意義を持つのでしょうか?
ヒップホップは普遍的(universal)ではありませんが、しかし今、世界で最も普及しているアート、文化です。今日ヒップホップが重要ではない国はありませんし、ネクストレベルが訪ねた場所(30カ国以上)ではどこでも、ヒップホップを通じて人々が強いつながりを作り出せることを見てきました。
世界には(私のいるアメリカ国内にも)厳しい分断があり、人間はますます共通の土台を見つけるのが難しくなっていると思います。
異なる国、文化、宗教、人種などの人々が協力し得る一つの方法を、ヒップホップは示しています。だからこそ、ヒップホップ外交には非常に期待できると考えています。
ネクストレベルという外部の視点が介入することで、普段は接触しない人々同士が出会うきっかけにもなるという。写真はインドネシアでのプログラム[Photograph by Mark Katz]
――カッツさんは、ネクストレベルのディレクターとして、さまざまな地域を巡ってこられましたよね。何か印象に残っている出来事はありますか?
ネクストレベルの旅で、実にたくさんの意義深い体験をしてきました。それは小さな、個人的な瞬間のこともよくあります。例えば、お互い言葉が通じない人たちが、一緒にダンスをしたら友達になったのを目にしたときとか。ラッパーと、バングラディシュの民謡歌手が、知り合ってすぐに素晴らしい歌を即興で作ったこともありましたね。
ネクストレベルを通して、対立する集団が連携するようになったという状況に居合わせたこともあります。ウガンダでのことでしたが、いがみ合っていた2つのラッパーグループが、ネクストレベルのワークショップで一緒にやる機会を経て、互いにもっと理解し合うようになりました。
海外へ行くだけでなく、海外からもミュージシャンを招く。ノースカロライナ大学チャペルヒル校でのサイファー(複数人で行う即興ラップ)の様子[Photograph by Mark Katz]
――『ビルド』には、ヒップホップ外交というものの曖昧さや、「ヒップホップ」と「外交」との相容れなさのことも書かれています。ヒップホップ外交の難しい点はどういったところでしょうか?
2つの特に難しい点を挙げたいと思います。1点目は、訪れる場所や出会う人々のことを充分に知ることは決してできないなかで、相手を誤解しないように、相手の言葉や行動を間違って解釈しないようにするということです。こういうわけで、私はヒップホップ外交を「両義性の領域」と呼んでいます。
もう1つの難しい点は、自分たち自身に関する知識です。アメリカ人の多くは、自分たちの国と世界中の国々との関係についての歴史を知りません。アメリカ合衆国が、帝国であり、自国の利益のために他の人たちの静かな暮らしを害するべく、権力を行使してきたということがわかっていません。私たちは、アメリカ人として、海外を旅するときに、自分たちの特権性と世界の中での位置づけをなかなか意識できないことがよくあります。この自分たち自身に関する知識の欠如が、別の地域の人たちと付き合うときに、誤解をしたり、攻撃を加えたりすることにつながることがあります。
――カッツさんは、ヒップホップが、バラバラになった世界をつないだり、他者への理解を深めたり、心の傷を癒やしたりする可能性について書いています。ヒップホップ以外の文化についてはどう思われますか。そうした可能性を持ちうると考えていますか?
ええ、多くのタイプのアートや文化が人々をつなぐ可能性を持っていると思います。実際、どんなタイプのアート、あるいは文化もその力を持っています。ヒップホップだけではありません。ヒップホップは、世界的に大変人気があるという意味で珍しいですけど。例えば、日本ではブルーグラス(※6)の音楽が人気だと思いますが、こういう音楽や文化は、アメリカの人々と日本の人々がつながりを持つための手段になると思いますね。
――ありがとうございました。
DJターンテーブルの前に立つカッツ氏[Photograph by Johnny Andrews]
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今回、ヒップホップのような文化と外交との関係について、また他の国の誰かと接するときのことについて、興味深いお話を伺うことができました。DJの授業も、一度受けてみたいものです。
註――――――――――――
※1 ニールセンのレポート参照。
※2 『ビルド』…原題:Build : The Power of Hip Hop Diplomacy in a Divided World. (New York: Oxford University Press, 2019). アメリカ政府の文化外交の歴史(ジャズミュージシャンを起用したジャズ外交など)を踏まえた上で、カッツ氏自身も携わってきた近年のヒップホップ外交の取り組みが論じられています。この本のコンセプトなどは今回のインタビューでカッツ氏が語ってくれています。
※3 『音を捕まえる』…原題:Capturing Sound: How Technology has Changed Music. (Berkeley and Los Angeles: University of California Press, 2004, rev. ed. 2010). 特定のジャンルに限らず、さまざまな側面から録音テクノロジーと音楽の関係を論じた、カッツ氏の初の著書。例えば、現在のクラシック音楽でバイオリンを弾くときに欠かせないビブラートですが、この技法が多用されるようになった重要な背景として、20世紀前半の録音テクノロジーの存在を指摘。レコードに音が固定されて繰り返し聴かれるようになったとき、バイオリニストたちがビブラートをかけて音の高さの不安定さを隠そうとした、また、体の動きが見えないので音だけで感情表現を行おうと試みた、といったいくつかの理由を挙げています。まさに「録音は単なる記録ではない」というわけです。
※4 『グルーヴ・ミュージック』…原題:Groove Music: The Art and Culture of the Hip Hop DJ. (New York: Oxford University Press, 2012). 『音を捕まえる』でもDJについて1章を割いていたカッツ氏による3冊目の単著(2冊目はバイオリンに関する本)。ヒップホップが誕生した1970年代から、2011年までの、ヒップホップDJの歴史を描いています。たくさんのインタビューを交えた、ヒップホップ好きにはたまらない本です。
※5 LGBTQ…Lesbian(レズビアン)Gay(ゲイ)Bisexual(バイセクシュアル)Transgender(トランスジェンダー)Questioning(クエスチョニング)あるいはQueer(クィア)の頭文字で、様々な性のあり方を言い表す言葉。クエスチョニングは性のあり方が定まっていない(またはあり方を定めていない)こと。クィアは元々「変態」といったニュアンスの蔑称でしたが、規範的な性のあり方とは異なる複雑なアイデンティティを指す言葉として肯定的に捉え直されるようになりました。
※6 ブルーグラス…アメリカ南部の音楽スタイルの一つ。ギターやバンジョー、マンドリンなどの生楽器を主に使います。日本では1960年代ごろから人気となり、数多くの大学でブルーグラスのバンドが結成されました。現在マスメディアなどではあまりピックアップされませんが、多くの愛好家たちに支えられ、日本全国各地でブルーグラス・フェスティバルが開催されている、熱い音楽です。