キノコって、不思議な魅力がありますよね。ときにはその毒で人を死に至らしめる危険な食べ物でありながら、お菓子のモチーフになったり、生地や小物の模様になったり、映画や文学でキーアイテムとして登場したり……。ニューヨークを訪れていた筆者は、コロンビア大学でキノコに関する公開講座が行われるという情報を入手。見知らぬ土地でのイベントに胸を躍らせながら、参加してきました。
「鉄の胃袋を持つオヤジ」マッキルベイン
公開講座「キノコの見分け方(How to Identify a Mushroom)」が行われたのは、ニューヨーク・マンハッタンの北西に位置する、名門・コロンビア大学。去る11月15日の夜に、同大学科学社会センター(Center for Science and Society)が主催する「ニューヨーク科学史講座シリーズ(New York History of Science Lecture Series)」の一環として行われました。
講師は、科学史を専門とするブラッド・ボールマン(Brad Bolman)博士。著書『ドッグ・イヤー:ビーグル犬学の歴史(The Dog Years: A History of Beagle Science)』では、アメリカにおいてビーグル犬が研究室の実験動物として盛んに利用されるようになる過程を検証しています。こちらもとても面白そうです。
開場はこぢんまりとしたセミナー室で、参加者は約20人。講座の様子はライブ中継もされており、30人ほどがオンラインで参加(講座スライドより)
今回の講座は、「キノコをどう見分けるか」というキノコの判別方法自体ではなく、「キノコはどう見分けられてきたか」というキノコの判別方法の歴史がテーマです。
英語圏で初めて書かれた総合的なキノコ判別ガイドブックのひとつとしてボールマン先生が挙げたのは、1900年に初版が出版された『アメリカのキノコ1000(One Thousand American Fungi)』。「食べられるキノコの選び方と調理法、毒のあるキノコの見分け方と避け方」という副題から伺えるように、この本はキノコ狩りを楽しむ素人向けに書かれたものです。
この本の著者は、チャールズ・マッキルベイン(Charles McIlvaine)。彼は専門的な教育を受けた植物学者や菌類学者ではなく、アメリカの南北戦争で大尉の位に就いていた軍人で、退役後にキノコに魅了されて“専門家”になったそう。マッキルベインは、現在では毒キノコと認識されるようになった数多くのキノコを平気で食べており(!)、「鉄の胃袋を持つオヤジ(Old Iron Guts)」というニックネームを付けられるほどだったとか。
左:チャールズ・マッキルベイン 右:マッキルベイン 『アメリカのキノコ1000』
マッキルベインは読者に、自分の目でキノコの外観や胞子の色をよく確かめ、本に記載の説明文と照らし合わせて種類を特定するよう、呼び掛けています。
マッキルベインの著作をはじめとし、20世紀初頭のアメリカで刊行されたキノコ判別ガイドブックが斬新だったのは、挿絵が豊富にあるということでした。なんと、それまでの“キノコ本”は基本的に文章だけだったのです。
「図版は絶対に必要」と考えたマッキルベインはキノコの絵を自分で何枚も描き、著書に掲載しました。そのせいで出版費用は当初予定していた金額を大幅に超えてしまい、私費を投じざるを得なかったそうです。その額、当時の$3000、つまり現在の$87,000=約1300万円!
マッキルベインによるキノコの図版。「正確さのために芸術性を犠牲にしなければいけなかった」とマッキルベインは釈明していますが、十分に芸術的です。
「色」の問題
カラー図版があればキノコの判別も精度が上がりそうだと思いますよね。しかし実は、この「色」というのはかなり厄介な問題だったとボールマン先生は指摘します。
なぜなら、「どの色を何色と呼ぶか」の基準が当時はまだ決められていなかったから。確かに、「その色がどんな色か」を言葉で意思疎通するのは物凄く難しそうです。
国や言語の違いを超えた色彩の規格化は、19世紀後半から20世紀前半にかけての植物学や動物学などにおける喫緊の課題で、多くの研究者がこの難問に取り組みました。その一人が、イタリアの植物学者ピエール・アンドレア・サッカルド(Pierre Andreas Saccardo)です。サッカルドは1891年に『クロモタキシア(Chromotaxia)』を出版し、この世に存在する色を50に分け、それぞれにラテン語と英・仏・独語の名前をつけました。
サッカルドの色彩チャート
しかし、サッカルドの色彩チャートは、「たったの50色では自然界の色を正確に表現できない」という反論を受けます。同時代の他の学者たちは、色をより多くの種類に分類したり、「色は名前でなく番号で呼ぶべき」だと主張して色に数字だけをふったりと、様々な方法を考案します。
ただ、色の識別にはもうひとつ大きな問題がありました。それは……紙に印刷した色のサンプルが、月日が経って色あせ、変色してしまうこと!すでに実用化されていたカメラは被写体を客観的に捉える道具だと目されるようになっていましたが、そのカメラをもってしても、色を正確に写し取るのはまだ至難の業でした。結局、色の国際標準化はさらなる年月を要することになりました。
世界的キノコ愛好家ネットワーク
この時代、積極的にカメラでキノコの写真を撮影していたのが、アメリカ人のカーティス・ゲーツ・ロイド(Curtis Gates Lloyd)です。
マッキルベインの友人でもあったロイドは、独学で真菌学を学び、家業の製薬業で得た富をキノコ研究につぎ込んだ
ロイドは、世界中のキノコ愛好家たちに地元でとれたキノコのサンプルを送るように呼び掛け、それらを写真に撮り、自身が刊行する雑誌『真菌学ノート(Mycological Notes)』で公開、この雑誌を愛好家らに郵送するという活動を長年にわたり続けました。希望があれば、送られてきたキノコの種類を特定して返信までしていたそう。同じキノコに違う名前が付けられるという分類上の問題と格闘しながらも、ロイドはこの一連のサービスをすべて無料で提供していました。
こうして、英領インドの官僚、ブラジルの聖職者、ニュージーランドの小学校教師兼植物学者、そして日本のアマチュアまで、世界の幅広い地域から様々なキノコがアメリカにいるロイドのもとに送り届けられ、各地のキノコの知見が世界中のキノコ愛好家と共有されました。それまで博物館や大学も同様の取り組みを行ってはいましたが、これだけ大きなネットワークが、しかも市民レベルで展開されるのは類のないことだったそうです。
左:ロイド『真菌学ノート』1902年4月号表紙 右:『真菌学ノート』1904年6月号より イングランドから送られてきたキノコの写真
マッキルベインやロイドの後、科学技術の進歩とともに真菌学は大きく発展しましたが、それでもキノコは“知れば知るほど謎が深まる”存在で、わからないことだらけだそうです。また、インターネットやSNSといった革新的な情報共有プラットフォームや、AIによるキノコ判別アプリなどの真新しい技術が生まれた今でもなお、「自分の目でよく見ること」がキノコの見分け方の核心であり続けているともボールマン先生は指摘し、約1時間のレクチャーを締めくくりました。
レクチャーの後は、30分ほどの質疑応答へ。会場からだけでなくオンラインで参加している方からもたくさん手が上がり、ボールマン先生がキノコを研究テーマにした理由、西洋以外におけるキノコの専門知の蓄積、キノコがゴミを分解して環境問題改善に貢献する可能性など、多様な視点から活発なディスカッションが行われました。
人類がキノコに傾けてきた情熱を垣間見て、おおいにキノコ・ロマンが掻き立てられた筆者。私もガイドブック片手に、キノコ狩りしてみようかなあ!
謝辞:本レポートの執筆にあたっては、コロンビア大学のスタッフの方々、およびボールマン先生に直々にご協力いただきました。ありがとうございました!
講座終了後もたくさんの質問を受けるボールマン先生