日本古来の文化や歴史が今も息づく街として、国内・海外を問わず多くの観光客が訪れる京都。最近は京都特有の建物である町家を利用したレストランやゲストハウスなどが人気を集めていますが、町家で受けられる大学の講座があることをご存知ですか? 2004年から15年以上続く同志社女子大学の人気公開講座「町家で学ぶ京都の歴史と文化」に参加してきました。
リアルな町家にお邪魔できる
講座は土曜日の14時からということで、ちょっとお出かけ気分で会場の「京まちや平安宮」に到着。住宅街の中ながら、江戸時代から続く老舗の油店やおしゃれなイタリアンレストランなど、風情ある町家が並ぶ一角にあります。
京まちや平安宮の外観。ここで大学の講義が開かれているとは、知らなければ全くわからない
二間ほどの和室に入ると、網代を敷いた畳の上に、前方は座布団、後方は椅子で席が設けられていました。講師の先生の演台やスクリーンも低めの位置に設置され、その向こうの簾戸や簾越しに目に入るお庭の緑が美しい。大学の教室で行われる公開講座とは全く違う、雅な雰囲気です。
ここは普段は住居として使われているとのこと。そのためか、床や柱の使い込まれた風合い、家具やしつらえなどもしっくり馴染んで感じられます。これが本物の町家…。また、当日は気温が高く暑い日でしたが、室内はエアコンなしでもひんやりしていたのが驚きでした。
簾をはめ込んだ建具「簾戸」が涼しげ
魅力的だからこそ、常に開発の手に晒されてきた京都のまちづくり
京都の文化、歴史、芸能、まちづくりなど、毎回、多種多様なテーマのもと、各分野のプロフェッショナルのお話を聞くことができる本講座。今回のテーマは「住み続けられるまちづくり」。講師の弁護士の玉村 匡先生がこれまで携わってこられた京都の景観問題などを事例に、京都のまちづくりに私たちがどう関わっていけるのかについて話していただきました。
他の都市に比べると、京都は歴史的な建築物や街並みをきちんと整備して保存し、まちの魅力を発信し続けているイメージがあります。2007年に実施された、建築物に対する高さやデザイン規制を厳しくした「新景観政策」も話題になりました。
しかし、これは昔から確立されていたわけではなく、時代時代でさまざまな開発とそれに対する住民の活動が繰り返され、辿り着いたまちづくりの価値観だったのです。
今の京都にある“残念”な風景
まずは、現在の京都市で見られる光景の解説から。両側をマンションとマンションに挟まれた小さな町家、低い屋根が連なる界隈に突如として建てられた巨大な高層マンションなど、開発によって歴史的な街並みが壊されてしまった痕が残っています。
高い建物と建物のわずかなスキマに町家がぽつんと取り残されている
巨大マンションが建った界隈の模型。俯瞰で見ると、低層建築が多い周辺での違和感が大きいことがわかる
印象的だったのは、両側町のマンションの話。京都は元来、通りを挟んだ両側で1つの町(両側町)を形成し、1つのブロックに複数の町が背中合わせで存在していました。ところがその区割りを無視してブロック内を突き抜けるようにして大きなマンションが建ったことで、1つの建物の中に2つの町が存在する状態に。最終的に住所はどちらかの町になったそうですが、開発は景観という見た目の問題だけでなく、町名や区割りといった、まちそのものが持つ歴史や文化まで壊してしまうこともあるのだと知りました。
2つの町を突き抜けて大きなマンションが…
住民の努力によって認められた景観利益
日本の法律では、基本的に建築は自由で、建てさせたくないなら条例などで規制をかける、というしくみになっています。しかし、これにより規制の“穴”を狙われ、住民が思ってもみなかったような開発計画が持ち上がる、ということが繰り返されてきました。
まちづくりの議論のなかで重要なポイントとなった事例が東京の国立マンション事件でした。近隣住民の努力によって美しく整備された並木通り。条例により景観形成重点地区にも指定されていたが、一部分だけ私有地で高さ規制がなかったため、高層マンションが建てられてしまいました。最終的に住民側が敗訴してしまったものの、地裁の判決で言及された「建築自体は適法だが、以前から住民は景観形成の努力を行っており『景観利益』が存在する」という考え方のインパクトはとても大きく、その後のまちづくりに影響を与えました。
並木通りの景観を無視して建てられたマンション
この考え方を利用して京都で玉村先生が携わったのが、船岡山のマンション問題。
山の斜面に建てられたマンションは、下から見上げるとかなりの高さになり、それまでの地域の景観を壊すものでした。しかし開発側は、斜面の上から見たときの接地面を基準に、それより低い部分を「地下」であると主張したため、高さや容積率の法的規制を逃れることができてしまったそう。
このケースは国立の事例と異なり、地域住民は景観の規制などを意識的に行っていたわけではありませんでした。それでも、街並みがその状態で保たれていることで、景観利益を享受していると認められました。マンション建設自体を取りやめることは叶わなかったものの精神的苦痛などは認められて実質的な勝訴に。また、これを経て京都市には新しく条例ができ、斜面地で同様の建築はできないことになりました。
今日も明日も、街並みが変わらないことが価値――新景観政策
その他にも、世界遺産・銀閣寺の近くにある半鐘山や岩倉の一条山(通称モヒカン山)の開発、柳水町のマンション建設など、さまざまな問題が京都で起こり、そのたびにまちづくりに対するさまざまな議論が交わされました。
そして2007年に新景観政策が実施されるに至ったのです。「街並みが今日、明日と変わらないこと、安心して住みつづけられることが価値である」という考え方が世間の共通認識になった。1900年代から住民たちが言い続けてきたことがようやく認められた瞬間でした。
新景観政策により、街区の高さ規制が45m→31m、内部地区は31m→15mなど大幅に強化された
まちづくりのお手本にしたいドイツのしくみ
日本では、都市計画の決定に関わるのは行政のみですが、ドイツでは、地域住民の生活との折り合いをつけ、この地域をこう開発するという詳細計画をまとめ、議会で承認を受け、さらにその計画通りでないと建築ができません。「計画なければ建築なし」の精神が貫かれ、自治体や住民が意見を言いやすく、厳しく規制がかけられるしくみが整っているそう。
さすがドイツ。でも、そんな先進的な取り組みは日本では無理じゃない…?と内心思いかけますが、玉村先生はそんなことはない、と熱く語ります。
たとえば、公聴会の開催、都市計画案の縦覧、都市計画の提案、パブリックコメント、建築協定の策定、地域景観作り協議会の設置などなど…。正直大変ではあるけれど、制度はある。京都の姉小路界隈では住民の人々がまちづくりにとても意欲的で、できることはほぼ全て取り組んでいるそうです。
このような活動がさらに広がっていけば、新景観政策や斜面地条例ができたときのように、日本の都市計画制度そのものをドイツのように変えることもできる。今あるものをうまく使いながら、住み続けられるまちづくりに積極的に関わっていってほしい、という先生のメッセージで講演は幕を閉じました。
お菓子とお茶をいただきながらの質疑応答
約1時間半の講演後は、お茶の時間として京都の和菓子とお茶が振る舞われました。毎回、講演のテーマに合わせてセレクトしているそうで、今回は「和菓子もなかなか存続が難しい」ということで、7月で閉店される「亀屋廣和」のお菓子と冷たい新茶。もっちりとした食感と黒糖の上品な甘みは初めて食べるおいしさで、新茶も乾いた喉を潤してくれました。 ※現在、町家講座では和菓子のふるまいを行っていません。
京町家で京都のお話を聞きながら京菓子とお茶をいただく…なんと贅沢な時間
こちらをいただきながら、質疑応答タイムです。京都と同様、街並みが美しい神戸在住の方や、京都で町家ゲストハウスを運営している方などから質問が寄せられました。ちょうどこの日の前日に施行されたばかりの民泊新法の話も飛び出し、熱心な意見が交わされました。
終了後も、玉村先生がお持ちの、京都市の用途地域や高さ制限、デザイン制限などが示された地図を見ながら、話に花が咲いていました。
五山の送り火の「大文字」や「妙」「法」などが見える範囲は、その眺望が守られるよう絶対高度規制がかけられている
まさに住宅街の中にある町家で聞くからこそ、実感がわく講演でした。会場を出て町家が並ぶ通りを歩きながらも、ちょっと感慨に浸ってしまったり…。
ちょっと変わった町家体験をしたい方、ディープな京都について学びたい方にぜひおすすめしたい町家講座。大学が休みでない時期は毎月開催されているそうなので、気になるテーマがあれば参加してみてはいかがでしょうか。