食べるものと食べられるもの、殺し、殺され、交わり、ひとつの“いのち”を紡いでいく。 “いのち”とは何だろう?その重みとは?斬新な企画展「いのちの交歓 ―残酷なロマンティスム―」。前編に引き続き、後編ではもう一つの目玉であるトークセッションをレポートします!
映画上映などが行われた関連イベントは、テーマも面白ければ、登壇者も個性豊かで魅力的!大学教授はもちろん、探検家、邦楽家、現代アート作家・・・と、みなさん+αの肩書きを持っている方々でした。6回の開催のうち、取材では「いのちとイノチの間を考える」をテーマにしたトークセッション「いのちの裂け目―山伏×芸術×猟師」に参加してきました。
登壇者は、写真家でありながら山伏、著述家である井賀孝さんと、映像作家で猟師である井上亜美さんが登場。トークセッションの司会は、今回の企画展をキュレーションした学芸員の石井 匠さん(前編でも紹介)です。
いのちを尊ぶ山伏といのちを糧とする猟師。山を舞台に相反する2つの職業がどんなトークを展開するのか、どんどん興味が膨らんでいきます。
その前に、二人のゲストの紹介を。
司会をする学芸員の石井さん(左)。立ち見が出るほどの盛況ぶりでした
井賀孝さんは、かつてはブラジルで格闘技を中心とした写真を撮っていたそうですが、ある時、日本人なのに日本を撮っていないことに気づいたそう。和歌山県出身で、高野山や熊野など山と宗教が密接な地域だったこともあって「日本=山」という思いがあり、山伏の存在を知って修行に飛び込んだそうです。
学芸員の石井さんが「石が踊っている」と表現した、富士山で竜巻の強風にあおられ身を守りながら撮影された作品「不二之山_新」。モノクロ光景が、より霊的な力が強調している
(C)井賀孝
井賀さんが撮影した、荘厳な富士山の作品群がモニターに映し出されます。「二つとない独立峰であること、足元が凍るほど何人たりとも寄せつけない冬の富士山の神聖さ」。井賀さんが富士山を撮る理由です。「夏に何十万人もの人が訪れて疲れた富士山が、冬の間に生き返り、鋭気を養い、霊気を蓄えていく」とも語っていました。なるほど霊峰・富士山はパワーが違う、心にストンときました。
富士を霊山として登拝する信仰組織「富士講」は修験道に由来するとも言われています。なるほど、富士山と山伏がつながってきました!
撮影時のエピソードとともに作品を解説する井賀さん(C)井賀孝
「大滝を龍神としたように、いろんなものには神が宿っている。八百万の神、山全体を神仏として捉えるのが日本人の感性」と井賀さん。仏像だけではなく滝、大きな岩や木にもお札である碑伝(ひで)をあげて行く。山で修行を積む山伏は、神秘的な光景によく遭遇するそうです。
日本人のとしてDNAに刻み込まれたような山伏の修行光景の数々。自然に魂に響いてくる
(C)井賀孝
そんな井賀さん、山伏の奥駆修行についてまとめた著書『山をはしる』を執筆。300ページを超えるにもかかわらず写真が10ページ程度とか・・・写真家なのにビックリです!
次に、映像作家であり猟師の井上亜美さんが紹介されました。山をガシガシとかきわけて獲物を狙うクールで力強い猟師のイメージとはかけ離れた、柔らかで可憐な20代女子でした。「撃つことは撃たれること。自分に返ってくるダメージも大きい」と話す井上さん、狩猟免許を取得したのは大学院生活の時だったそうです。
言葉を選びながら、一つひとつのシーンを丁寧にそして冷静に解説されている井上さん
(C)岡本太郎記念館
井上さんは福島県と宮城県の県境、丸森町出身。祖父が猟師で、子供の頃から鹿や山鳥がごく普通に食卓に乗っていたそうです。けれど東日本大震災後、放射線量の高い丸森町では狩猟の獲物は食べることができなくなったそう。
祖父は食べない“いのち”を獲ること(駆除)を拒んで猟師を引退、どんどん元気を失っていったそうです。切ないですね。
そのような状況で撮られたのが1作目の「猟師の生活」。そして、おじいちゃんとのコミュニケーションをとり、記録に残すために作られたのが2作目の「じいちゃんとわたしの共通言語」です。
会場から笑いも起きた「熊出没注意!」の看板の後ろに猿が出没するシーン、井上さんが普段猟をしている京都での一コマ
(C)Ami Inoue (C)岡本太郎記念館 (C)藤原彩人
この2作、井上さんは猟師として山に入るため、狩猟シーンのほとんどをお友達が撮影されたそうです。井上さんが編集をする際にこだわったのが、狩猟や解体など衝撃的で血なまぐさいシーンを省き、ドライな視点で目の前に起きた事象をそのまま映像として伝えること。淡々と描かれた狩猟のプロセスによって、見る側は“いのち”を奪うという残酷で深遠な行為を素直に受け止めることができたのかもしれません。
4.5次元「石の間」で上映中の井上さんの作品、その前には供物のような鹿の骨が展示されている。
(C)Ami Inoue
3作目の「まなざしをさす」はフィルム写真を流すという趣向を凝らした映像作品。カメラを持っての狩猟に違和感をおぼえた井上さんは、この作品では自分の目でしっかり見ることを大事にしたいと思ったそうです。デジタルではなくアナログのカメラを使用した、小さなファインダーから広がる狩猟の世界。1枚1枚の重みが伝わってきました。
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ゲストの紹介が終わると、トークセッションがスタート!山を舞台に活躍する山伏と猟師、一体、共通するものと相反するものとは?会話の中で織りなされた言葉が、一つひとつ染み入ってきました。
石井学芸員(以下:石井) お二人の話には共通点や対照的なところもあると感じました。井賀さんは写真家としての視点と山伏との視点の違い、また二つが切り替わるのはどういった瞬間ですか。
井賀 山伏のほか、文章も書くので著述家としての自分もありますが、何者かと聞かれたら写真家だと答えます。切り替えるというよりも、すべて一本筋が通っているので。山を撮ることが日本を撮ることになると思い、行者として山に入った。写真家じゃなければ山に入っていなかったですね。
石井 岡本太郎は「生きることが芸術だ」、生活の中にふつうに芸術があると言っているんですね。井上さんはカメラを持って山に入ることに違和感を持っているようですが、それでもやり続けるのですか。
井上 「人間は常に表現をしながら生きている」。大学時代の先生の言葉です。私も制作する時にわざわざ作らなくても、そこにはもう美しいものがあるという考えになっています。井賀さんにも通じるかと思いますが、自分が当事者になることで、その世界に入って行きやすくなる。だからカメラにとらわれず、もう少し広い視点でいろんな記録の仕方があると思っています。
井賀 井上さんのおじいちゃんは、動物が食べられなくなったから猟を止めた。それはよくわかる。昔はレジャーで山に入る人はいなくて、修行で入るか、山の恵みをもらいに行くしかない。実は僕、狩猟免許を持っているんです。まだ一度も撃ったことはりませんけど(笑)。
英語でshoot(撃つ)には撮影するという意味もあります。井上さんは、獲物が現れた時はどっちだろうと思っていたんです。だけど、ほとんどをお友達が撮影してご自身が編集することによって作家性を出していると納得した。
1、2作目は映像なのに、3作目はなぜ写真なのか疑問でしたが、フィルムは空間とか、対象とか、デジタルよりもしっかりと一枚を切り取ることを大切にするから。僕はフィルム世代だし納得がいきました。
井上 私も狩猟を記録しよう、目の前の光景を残したいという気持ちからフィルムカメラが思い浮かびました。大型ビデオを持参したり、ビデオを体に付けたり、いろいろ試してみたけれど、映像には残っても自分が経験した狩猟の感覚が伝わってこなかった。フィルムだったら近いものが引き出せるかもしれない。そんな思いで自分が銃を持てない期間に参加した狩猟でカメラを持って山に入り、それが初めてしっくりきた瞬間でした。
井賀 登山家で狩猟もする服部文祥さんの密着取材で、山に入り鹿に遭遇したんです。春日大社では神の使いとされている鹿、山伏の感覚では神々しくて大切にしなければいけない存在。でも服部さんは、いかに獲って喰うかを考えていた(笑)。同じ山の中で、同世代の人間が鹿一頭をまるで違う視点から見ていた。それが面白くて狩猟免許を取ったんです。それをSNSに載せたら山伏の偉い方から「鉄砲はダメ」だとメールがきました。取得する前に言ってほしかった(笑)。
石井 今回のタイトルでもある「いのちの裂け目」では山伏と猟師を芸術でつなげています。山伏は殺生が禁じられ鉄砲もダメだと言われている。かたや猟師はそれを食べる。まさに対照的で、いのちの捉え方がだいぶ変わると思います。井上さんは撃つことが撃たれることだとおっしゃっていましたが、井賀さんのお話を聞いてどう考えられていますか。
井上 私にとっては小さな頃から祖父の獲ってきた動物の肉を食べていたので、自分で獲って食べるということは自然な行いです。食べるという行為が、私の中ではその動物を全部いただいた感じになるんです。
石井 山伏が山に入るって、山に食べられることなんじゃないかな?富士山のような異界というか、厳しい冬に魂が復活するような場所、そんな中に入って行く行者達は山に食べられてまた返ってくるようなイメージがあるんです。
井賀 食べられるという感覚は持ったことはないですね。必ずしも山伏の修行には表現者として入らなくてもいいのかもしれない。でも僕は今年の夏も行こうと思っていて、生命力というのでしょうか、生命エネルギーを感じて元気になるんですね。
石井 井上さんも作品を作るというより、猟で山に入ることが生活の一部になりつつある。井賀さんも、自分の人生を生きていく1年のサイクルの中でなくてはならないものになっている。おそらく縄文時代の人達は、美術なんて考えはまったくなくて、土器は日常生活で使うただの調理用の土鍋だった。それを後世の人が見ると芸術、美術になり、今はそれが当たり前になっているのは不思議ですね。
最後に、石井さんはこう結びました。
石井 万人が芸術家であるべきだと岡本太郎は考えていました。つまり、生きること自体が芸術なんですね。ふだんの生活の中に芸術を取り入れていただけると、より豊かに生きられるのではないかと思います。このトークセッションには答えはありません。この展示を通し、人間と動物、それ以外の物との、いのちの結び直しができればと思っています。
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芸術をつなぎに“いのち”で結ばれた山伏と猟師。この山に入るという2つの職分と、それぞれの深大な役割を知ることができた「いのちの裂け目―山伏×芸術×猟師」トークセッション。岡本太郎の感想をぜひ聞いてみたいと思いました。