7月3日、京都工芸繊維大学の附属図書館・美術工芸資料館の主催で、美術史を専門とする同大学美術工芸資料館館長の並木誠士先生と、京都産業大学名誉教授で蒔絵師の下出祐太郎先生による講演・対談イベント『高台寺蒔絵 –魅力の解明と伝統技術の継承-』が開催されました。
イベントは大学内の60周年記念館(校門の後ろに見える白色の建物)で開催。当日は、開催直前まで大雨でしたが、たくさんの方々が聴講に来られていました。
そもそも高台寺蒔絵って何?
イベントは、まず並木先生の講演からはじまりました(今回のテーマ「高台寺蒔絵」は桃山時代を代表する蒔絵の様式)。「高台寺蒔絵」というのは、桃山時代後期に登場します。
漆は古くから調度品や装飾品に使われてきましたが、その表現はさまざま。「高台寺蒔絵」は、ざっくりいうと漆黒の地に金粉が施された蒔絵(まきえ)が特徴で、京都・高台寺に祀られた豊臣秀吉と北政所(きたのまんどころ/通称:ねね)の厨子(ずし)※に、この時代の装飾美、蒔絵の技術がつまっていることから、これに似た特徴をもつものが総称として「高台寺蒔絵」と呼んでいるそうです。
※仏像や仏舎利、経典、位牌など、大切なものを納める箱のこと。
並木先生によれば、「桃山時代というと、狩野派の金屏風の鮮やかなもののイメージがあって、漆の表現でもそういったものが見られるのですが、高台寺蒔絵というのは黒がベースで表現がかなり異なる。私は主に美術史絵画史が専門で(漆芸や蒔絵は)専門外なのですが、この表現の変遷は美術史的に重要だと考え、論文を書いたこともあるんです」と話されていました。
高台寺蒔絵は、日本美術史におけるターニングポイントではないかと話す並木先生。
いつの時代も流行は変化していくものですが、これから古い漆工芸を見るときには着目してみたいポイントになりました。実物の蒔絵は、下記サイトよりご覧いただけますので、ご興味のあるかはぜひチェックしてみてくださいね。
【参考サイト】
高台寺公式HP「高台寺蒔絵」
https://www.kodaiji.com/makie.html
漆は世界最古の塗料!?
続いて、下出先生が登壇され、漆の歴史についてのお話から始まりました。
漆といえば、黒や朱色のお椀、おせちなどを入れるお重、あるいは仏壇など「塗りもの」のイメージがあるかと思いますが、この塗料は、ウルシの木という木の樹液から搔きとっていること、ウルシの木は、日本をはじめ東アジアに生息しているので、漆は東アジア全域で接着剤や塗料として使われてきたことが紹介されました。
東アジアに生息しているウルシの木のマップ。
日本の漆の歴史はとても古く、福井県の鳥浜貝塚遺跡で出土した約12,600年前の櫛(くし)に使われていたり、北海道垣ノ島B遺跡で発掘された約9,000年前のものに漆を使った形跡があるとのこと。「漆は、縄文草創期から使われているんです」という下出先生の言葉に、日本の工芸美術に興味のある筆者は驚きましたが、実際、漆は世界最古の塗料ともいわれるそうです。
漆の上に金紛を蒔きつける華麗な装飾美「蒔絵(まきえ)」
豊臣秀吉と北政所の厨子の扉を“復元的制作”された蒔絵師でもある下出先生は、作り手として専門である漆や蒔絵の歴史、高台寺蒔絵の調査・分析で行ったこと、感じたことをお話されました。
今回参加されていた方は、蒔絵について知っている方が多かったようで、詳しい説明はなかったのですが、蒔絵というのは、漆で模様を描き、漆がかたまらないうちに、金や銀などの金属粉を蒔きつけて(付着させて)加飾する技法(加飾したもの)をいいます。
下出先生がおっしゃられるには、蒔絵は他の国でも見られますが、蒔絵の技法は日本独自に発展したとのこと。「戦国時代には、キリスト教の布教のためにも蒔絵が使われたんですよ」とスライドとともに紹介されました。
宣教師たちのもとでつくられた宗教用具。その後、蒔絵の美しさはヨーロッパの王侯貴族にも伝わったそうです。
蒔絵師から見た「高台寺蒔絵」の特徴
一般に高台寺蒔絵と呼ばれるものは、先にご紹介したように漆黒のベースに金の蒔絵が施されているのが大きな特徴ですが、蒔絵師である下出先生によれば、「蒔絵にはいろんな表現方法があり、高台寺蒔絵は『平蒔絵(ひらまきえ)』という技法が使われているのがひとつの特徴」とのこと。
この平蒔絵のほか、金紛が透けてきらきら見える「絵梨地(えなしじ)」や、蒔絵を引っ掻くように描く「針描(はりがき)」など、戦国時代に発展した技術が採用されているところが技術的な特徴なのだそうです。
豊臣秀吉の家紋として知られる五七桐紋。厨子の扉にも描かれているのですが、技法を変え3色に見えるよう表現されていることが紹介されました。
秀吉と北政所の厨子の蒔絵は、粗く仕上げられている!?
ところで、本イベントに向けて、下出先生が“復元的制作”された厨子の扉が京都工芸繊維大学の美術工芸資料館に展示されたのですが、制作するうえで超高精度カメラが用いられたため、その際はさまざまな発見があったといいます。
「超高精度カメラでは肉眼では見ることのできないところまで見られるので、当時の人が蒔絵にどんな金粉を使っていたのか?」ということまで分析でき、「厨子の扉は、三色の金表現が見られるが、どのように表現しているのか?」ということも分析と再現を試みてわかったそうです。
超高精度カメラでは、肉眼では判別できないこともわかり、この調査で、この蒔絵にどのような金粉が使われていたのかもわかったそうです。
また、下出先生がその際に驚いたというのが、「蒔絵の仕上げがとても繊細なところと、ものすごく雑に仕上げられたところがあって、複数の人でつくられているとは思いますが、ふつうならあり得ないというか、なぜやり直さなかったのだろうという箇所がいくつもあった」ということだったそうです。
蒔絵を超高精度カメラで撮った写真を見ると、指紋が蒔絵の上に残っていたり、漆をえぐっている部分があったりという箇所がいくつも見られたようです。
「はじめは、なぜこんな雑なんだろう…」と思ったそうですが、繊細に仕上げられた部分を考えると辻褄が合わず、「何が何でも完成させなければならない…といった事情があったのでは?」と推察されていました。
こうした事情から、この制作は“復元”ではなく、当時制作するときにもし時間があったら、「こうしたのではないか?」という工程を加えて“復元的制作”と位置付けて制作されたそうです。
謎があることで魅力が増す「高台寺蒔絵」
下出先生の豊臣秀吉と北政所の厨子の調査と分析でわかったこと、とりわけ仕上げに不可思議な箇所が見られたことは、当時の事情を考える上で重要な発見とのことですが、その扉に使われている「モチーフもなぜこれが採用されたのか?」など、謎が多いそうです。
講演後に行われた対談では、謎を解き明かす話題が中心に。
講演後に行われた対談では、高台寺蒔絵の解明されていない謎と魅力について話し合われました。
筆者は、当時における豊臣秀吉、北政所の存在、菩提を祀る厨子であることを考えれば、もう少しいろいろわかりそうなのに、真相はわからないことがたくさんあるのだと傾聴していました。文化財の調査では、新たな事実がわかったり、こうした謎が浮かびあがってきたりすることが、面白さなのだと感じました。
【参考サイト】
YouTubeでもアーカイブ配信されているので興味がある方はチェックを!
講演・対談イベント『高台寺蒔絵 –魅力の解明と伝統技術の継承-』(2022年8月31日まで公開)
本イベント後、下出先生が復元的制作された厨子の扉が見られるよう特別に資料館を開館するということで、間近で見てきました。自由閲覧だったのですが、イベントに参加された方はほとんどの方が来られ、じっくりと鑑賞されていました。
講演後だけに、記憶に残る鑑賞となりました。
実物の厨子を観るため高台寺へ
今回のイベントに参加後、せっかくの機会だからと高台寺へも足を運んでみました。高台寺は京都の紅葉スポットとして有名ですが、美しい庭は新緑の季節でも見ごたえがありました。
高台寺外観。
霊屋(おたまや)の中は撮影不可のため、3~5メートル先にある厨子を見ることしかできませんでしたが、いつもならスッと通り過ぎてしまう、秀吉の家紋「五七桐紋」がいたるところにあることに気づいたりして、楽しいひとときとなりました。
秀吉の家紋「五七桐紋」。
ちなみに、筆者が拝観した7月3日は七夕茶会の日で夜間拝観ができたのですが、今年は8月1日~18日も夜間特別拝観期間になるようです。少し涼しくなる時間にご覧いただくのはオススメですし、ご興味を持ってくださった方はぜひお訪ねください。
※コロナ禍のため、詳細は高台寺公式HP等でご確認ください。
https://www.kodaiji.com/