京都は歴史ある街……というイメージはきっと誰もが抱いたことがあるし、実際に京都を訪れると街並みや寺社仏閣などを見て体感することができると思います。でも意外と、名所について知る機会はあっても、街そのものの歴史や文化について考えたことは少ないかもしれません。京都の8大学が連携し、さまざまなテーマの講演会を開催する「京都アカデミアウィーク」では、京都外国語大学の南博史教授の講演「京のまちなかミュージアムをめぐる〜小学校、大学、通りを知ると京文化のコアを学べます」で、街歩きの中ですぐに注目できるきっかけを教えてくださいました。
なお、「ほとんど0円大学」では、これまでも京都アカデミアウィークの講演をレポートしています。ぜひこちらもご覧ください。
平安時代に起源のある通りが現存する京都
講演のテーマは「通り」「小学校」「大学」。この3点から、京都という街の歴史と文化を掘り下げていきます。まず、よく知られた京都の通りの数え歌を一緒に歌ってみることからスタートしました。「まるたけえびすに おしおいけ あねさんろっかく たこにしき〜♪」筆者にとって耳馴染みのあるこの歌、正確に歌える方はどれぐらいいらっしゃるのでしょうか。
筆者は京都と東京の2拠点生活を始めて2年経ちましたが、まだまだ咄嗟に「河原町丸太町」や「三条堀川」がどこなのか思い浮かばないまま……東西を走る通りと南北を走る通りを組み合わせる京都独特の場所の表現方法は、まるでExcelのセルのようだなと初めは思ったものです。でもこれをマスターすると、だいぶ京都の地図に馴染めるのですよね。東西、南北それぞれ通りの名前を説明してもらいながら口ずさんでみると、知らない通りやややこしい名前の通りも親しみが感じられ、京都中心部の地理がなんとなくつかめてきます。
京都といえば碁盤の目! いつになったら全部覚えられるのか……(講義スライドより)
京都の通りの名前はそのまま商店街の名前になっているところも多く、京都の街中の生活を支えてきたお店が残っているのも特徴だそう。なかでも今回は、三条通りについて詳しくお話しくださいました。
まず驚いたのは、三条通りの起源は、平安時代にあった三条大路まで遡ること。「大路」から「通り」に呼び名が変わり道幅は狭くなったものの、江戸時代には東海道の終着地点として栄えていたそう。なんと、1000年以上の間、三条通りは京都のメインストリートだったのです。今でも旅館や銀行、郵便局が残っているのは、往時の名残なんだとか。そうした歴史ある街並みの保存が、「三条通りまちづくり協議会」を中心に進められており、京都市の歴史的景観地区にも指定されているそうです。
平安京時代の三条通。近世になってからは、高瀬川の水運で瀬戸ものを扱うお店が増えたそう(講義スライド「平安京左京の三条大路(山田邦和作図)」より)
特徴的な建物として挙げられたのは、旧日本銀行京都支店。この建物が完成したのは明治時代で、現在は京都文化博物館の別館として使用されています。東京駅などで知られる辰野金吾が設計を手がけた、レンガ造りが印象的な建物です。南先生が指摘されていたのは、今では歴史的建造物として認められているこの建物が、当時の人々にとっては非常に近代的な建物であったこと。木造建築に慣れていた明治時代の人々には、現代の高層ビルのように思えたはずだとおっしゃっていました。たしかに、町家のような伝統建築とレンガ造りの近代建築が同居した風景は、三条通りが京都のメインストリートであり、最先端であったことの証のように感じます。
京都文化博物館別館
京都では全国に先駆けて小学校が作られていた!
続いて、ふたつ目のテーマ「小学校」に移ります。京都の文化と小学校? 少し意外な組み合わせな気もしますが、いったいどのようなか関わりがあるのでしょうか。江戸時代の京都では、東西・南北をはしる通りによって区切られた「町組」と呼ばれる自治組織が運営されていたそう。つまり、道を挟んでそれぞれの区画が一つの街を形成していたわけです。ここでも一つ目のテーマ「通り」が重要になってくるのですね。
明治時代にはこの「町組(番組)」の再編成が進められ、その際に生まれたのが、小学校と町組会所を兼ねた「番組小学校」だそうです。南先生の解説によると、「それまでの京都には、漢学・国学・心学を学ぶ私塾や読み書きを習う寺子屋が数多くありました。それらをベースにしながら、『番組小学校』は単なる教育機関としてではなく、交番・保健所・防火楼としても機能する施設として発展しました。いわば、府の出先機関や総合庁舎でもあったのです」とのこと。こうした優れたシステムが、明治政府による小学校の整備よりも先にされていたのです。
さらに、「番組小学校」の土地や教職員の給与は、町内のお金持ちなどが負担していたというのも興味深いです。京都という街が伝統的に教育へ高い関心を持っていたことを示していることがわかり、京都が今でも大学の街として知られる礎は、こういった文化にあるのかもしれないと思いました。南先生によれば、今ではさまざまな学区が人口の減少によって統廃合されていますが、未だに「あそこの学区とは文化が違う」といった会話はなされるそうです。「番組小学校」は地域の文化に深く根ざしているのですね。
元貞教小学校跡地は京都美術工芸大学 東山キャンパス鴨川七条ギャラリーに、元龍池小学校校舎活用は京都国際マンガミュージアムに、元弥栄中学校跡地は漢検 漢字博物館・図書館 漢字ミュージアムになっているなど、実際に訪れることができる小学校跡地もあるので、お話しいただいた小学校の歴史を思い出しながら、今度ぜひ足を運んでみたいと思います。
京都外国語大学 国際貢献学部 南教授
大学の街、京都を楽しむ
最後のテーマは「大学」。京都市内には58の短大・大学・大学院があり、人口の10人に一人は学生とのこと。これは日本で一番の比率なんだそうです。なんとなく「京都は学生の街」というイメージを抱いていましたが、数字で見ても納得ですね。地域との連携に取り組んでいる大学も多く、京都工芸繊維大学や京都光華女子大学には、町家を活用したキャンパスもあるそう。
京都の街にとって大きな存在となっている大学なので、せっかくならぜひ訪れてみたいところ。そこで南先生からのご提案は、「大学ミュージアムが穴場!」でした。大学が運営する美術館、博物館、資料館といった形で、教材や研究資料として蓄積されてきたさまざまな美術品、歴史資料などを収蔵し、一般公開されているのです。15大学16施設が加入している京都・大学ミュージアム連携があり、スタンプラリーなどのイベントも企画されているそうなので、京都を訪れる際にはお出かけ先の候補に入れてみましょう。「ほとんど0円大学」でも、大学ミュージアムのレポート記事を多数掲載していますので、ぜひ参考にしてみてください。
京都市内の大学ミュージアムがわかりやすく掲載された地図(「京都・大学ミュージアム連携スタンプラリー」より)
京都の文化を学ぶための3つの視点「通り」「小学校」「大学」はどれも身近に感じられ、京都市内を歩いているときに、ふと思い出して嬉しくなるような豆知識が盛りだくさんでした。街歩きをより楽しむヒントになりそうです。南先生が50年にわたって地域の方々と活動されてきて、また大学で学生と一緒に街の中で活動されてきて感じられたこと、そして「京都の街を楽しんでもらいたい」という想いが伝わってきました。筆者は3つのテーマではとくに「通り」の成り立ちや歴史に興味をもったので、これまでぼーっと歩いていた道も、いろいろ調べたり石碑に足を止めたりするなどして、京都の文化に触れる機会にしていきたいと思いました。