さまざまな京都の大学による講演を受講できる「京都アカデミアウィーク」が2019年10月に東京・丸の内で開催されました。今回は、2019年に藤原定家の写本「定家本(青表紙本)」が新たに発見されたことでも話題になった、古典の傑作『源氏物語』を勉強してきました!
『源氏物語』が大きく動き出す、光源氏のターニングポイント「賢木の巻」。
会場は新丸の内ビル「京都アカデミアフォーラム」。取材に伺った講演は「『源氏物語』への招待―賢木の巻の「暁」を読む―」。同志社女子大学の吉海直人先生による講演です。
同志社女子大学 吉海直人先生
『源氏物語』といえば絶世のイケメンである光源氏の奔放な恋愛にはじまり、愛憎、失意、苦悩、そして源氏が亡くなった後の物語が描かれています。古典の教科書の定番だし、与謝野晶子から谷崎潤一郎、瀬戸内寂聴など現代語訳もたくさん。もちろんドラマや映画などの映像化もされているのでご存知の方は多いでしょう。
偶然にも、当日は藤原定家が書き写した『源氏物語』の第5巻「若紫」が見つかったと発表された日。すでに発見されている「定家本」は国の重要文化財ですし、発見された「若紫」は今後の源氏物語研究に大きな影響を与えると吉海先生。「(今日のテーマの)賢木の巻だったら、タイミングがよかったのに」と、ちょっと残念そうな先生に会場の緊張もゆるみ、和やかな雰囲気で本題が始まりました。
約120人が参加し会場は満席に
その「賢木の巻」は第10巻。実は吉海先生は昨年のアカデミアウィークにも登壇され、第9巻「葵の巻」を解説されました。「葵の巻」では、光源氏の最初の正妻、葵の上が六条御息所(光源氏の恋人)の生き霊によってとり殺されるというショッキングな事件が繰り広げられます。
“生き霊”は紫式部が『源氏物語』で作り出した言葉。「賢木の巻」にはたくさんの造語があるそう
「賢木の巻」は光源氏にとって大きなターニングポイントが描かれていると吉海先生。後ろ盾だった父親の桐壺帝が亡くなり、初恋から慕い続けていた藤壺(桐壺帝の中宮でありながら光源氏との不義の子を産む)も出家する。反・光源氏からの圧力も強くなっていきます。
さまざまな出来事が起こる中でも、先生が取り上げたのは、六条御息所が娘の斎宮と共に伊勢に下向する別れのシーン。
光源氏は六条御息所とよりを戻すつもりはない。でも、このまま伊勢に下向させると恨みを持って物の怪が出てしまうかもしれない。そこで光源氏は六条御息所のご機嫌をとり、気持ちよく去ってもらおうとします。しかもそれが演技ではなく自然体だから癖が悪い。女性達はメロメロに喜んで騙されちゃう。でもそれが許されるのがイケメン中の超イケメンなのかもしれないですけど。
『源氏物語』は教養が試される?人生経験によっても楽しみが変わる。
「賢木の巻」には、名場面・名文にあふれる『源氏物語』の中でも、吉海先生がベスト10にあげるシーンがあるといいます。ところが古典の教科書に取り上げられることがほぼありません。
はるけき野辺を分け入りたまふより、いとものあはれなり。秋の花みなおとろへつつ、浅茅が原もかれがれなる虫の音に、松風すごく吹きあはせて、そのこととも聞きわかれぬほどに、物の音ども絶え絶え聞こえたる、いと艶なり。
名文のひとつと挙げられた一節。朗読された吉海先生のお声がとても趣があり流麗なんです。
この場面は晩秋に向かいつつある旧暦の9月7日、光源氏は京都から六条御息所がいる嵯峨野の野宮(斎宮が神様に近づくために心身を清める施設。現在は“源氏物語の宮”として野宮神社がある)に向かっています。
現代の私たちが読んでも情景が浮かぶようなこの文章には、「松風」「こと(琴)」という言葉が書かれています。先生によれば、そこから「琴の音に 峰の松風通ふらし いづれの緒より 調べそめけん」(『拾遺集』四五一番)の斎宮女御の歌が踏まえられていることがわかるんだそう。
さらに嵯峨野といえば、そこに咲く花は女郎花ということもわかるとのこと。こうして先生に教えてもらうことで、情景がよりいっそう鮮やかに、具体的になります。
吉海先生は『源氏物語』について「文章がよいとか、リズミカルであるとかではなく、その言葉の裏側にいろいろなものが引用されていて教養が試される。知識や経験によって源氏の中身が変わる、作品が変わる」と。つまり読み手によって源氏物語の楽しみが変わると言うこと、なるほど。
野宮神社には日本最古の鳥居の様式・黒木鳥居がある。(光源氏が黒木鳥居から野宮に入ってくるシーンが描かれた資料を見る参加者)
ついに“暁の別れ”がやってくる、「賢木の巻」クライマックスへ。
とうとう別れの時がやってきました。「伊勢に行かないで、京都に残って。私を置いて行かないで」と涙ながらに訴える光源氏(相手に対して気がないのに…)。それがどんなシーンだったのか?「暁」という言葉が決め手になるとおっしゃる吉海先生。
暁の 別れはいつも露けきを こは世に知らぬ 秋の空かな(90頁)
暁の別れはいつも露の涙にくれるけれど、今朝は経験したことのない悲しい秋の空だ、光源氏の心情がうかがえます。
「暁」とは午前3時~5時。紫式部はストレートな表現をしていませんが、光源氏は六条御息所と別れるため、嵯峨野の野宮で暁の時まで共に過ごしたことがわかります。こうして読者の想像力を掻き立てるんですね。
先生のお話を聞いていると社会、運命、環境、季節、そして男女…私の脳内劇場では “機微”が幾重に交錯してエロさを漂わせながらドラスティックに美しく展開されていきます。
ところが読み進めていくと、帰京した光源氏が野宮を回想するシーンで、時間表現が「曙」となっているのです。
野の宮の あはれなりし曙も みな聞こえ出で たまひてけり(124頁)
帰京した光源氏は野宮のあわれな曙の出来事として話しています。
従来の時間表現では、暁→東雲→曙→朝ぼらけ→朝のような順で解釈されていたのが、最近の研究で「暁」と「曙」は同じ時間帯とされる説も出てきているそうです。
「暁と曙、こんな短く流されてしまいそうな所にも紫式部は力を込めて書いているんです」と吉海先生。
「時間の流れではなく、時間の重なり。午前3時を過ぎた男と女の別れ、別れの時間、暁の時間をどう描写されているか、いろいろな時間表現を知ることで物語が深く読める」と吉海先生。別れたくないのに引き裂かれるように帰らないといけない…野宮の別れは、大人の男女の切なさが描かれています。
「みなさんもう17歳の光源氏の恋には共感できないかもしれませんが(会場笑)、歳をとったら歳をとった源氏の楽しみ方が、若い人は若い人の楽しみ方をすればいい。『源氏物語』はどの年齢層にも非常に許容する作品です」と締めくくられました。
「『源氏物語』はわからなくても読める、わかったらもっと面白くなる。それが源氏物語を読むことにつながっていきます」
『源氏物語』は古典の授業で興味を持っても、なかなか手が出しにくい作品ではないでしょうか? 70年におよぶ時代が描かれた3部構成全54巻という超大作。いろいろな経験を積んだ大人だから読んでおくべき物語かもしれません。みなさんは誰の現代語訳にしますか?私はまずは「あさきゆめみし」(大和和紀著)から、コミック作品ですけど。