2021年3月6日(土)、学習院大学大学院人文科学研究科身体表象文化学専攻で2008年から教鞭を執られた、夏目房之介先生の最終講義「マンガ研究はなぜ面白いのか」がオンラインで配信されました。夏目先生といえば日本を代表するマンガコラムニストで、マンガ研究・評論の著書やNHKの「BSマンガ夜話」出演などで知られる方。夏目先生が大学で教えたマンガ研究とはどのようなものなのでしょうか?
最終講義の第一部は、「『現代マンガ学講義』の現在」。2020年度に先生が行った23回にわたるオンライン授業を一気に振り返るという内容です。第二部は夏目先生の教え子である三輪健太朗先生(跡見学園女子大学専任講師)を司会に、中条省平先生(学習院大学教授)と佐々木果先生(学習院大学非常勤講師)を交えた鼎談が行われました。
コロナ禍前の対面授業では、教室を歩きながら、アドリブ満載、人生論を語るなど、雑談のおもしろい先生として知られた夏目先生。オンライン授業でそれがなかなかできなかったのが、ちょっぴり残念そうです。
23回の講義はこのラインナップで行われたそう(最終講義スライド資料より)
一つひとつじっくり聞きたいような内容ですが、時間の関係もありすごいスピードでの振り返りでした。この中から、いくつかのお話をピックアップしてご紹介します。
世界や昔のマンガ、視線誘導からマンガ表現を知る
夏目先生はマンガ表現論の代表的な立場として、マンガ表現論の限界、批判、それに対する対応といったさまざまなものを捕捉し、さらにマンガ研究の先端部分も織り込みながら講義を行ってきたといいます。
そのきっかけとなったのは、1992年に手塚治虫の死を受けて書いた自著『手塚治虫はどこにいる』(ちくまライブラリー)。この一冊を書き上げたことで、これから本格的にマンガ研究の道に進もうと決心されたそうです。
ただマンガと言っても、どれほど私たちはマンガを知っているでしょうか? 夏目先生によれば「私はマンガをたくさん読んでいる!」と思い込んでいる学生がたくさんいて、その経験がいかに乏しいものかを感じてもらうために、ご自身のコレクションからさまざまな国・年代のマンガの現物やレプリカを紹介するそうです。
「我々は氷山の一角どころか、氷山をカキ氷にしてひと掬いしたぐらいしか知らない」と夏目先生。昔の作品、海外の作品……空間と時間の異なる作品にたくさんふれると、マンガを捉える視点が大きく広がりますね。
次に夏目先生がふれたのは「視線誘導」。この言葉、夏目先生がNHKの「BSマンガ夜話」でお話しされ、一般化したようです。
私たちは無意識に流れるようにストーリーを読んでいますが、スライドでは石ノ森章太郎の60年代のマンガを使い、読者の視線がどのように入り、流れていくのかを説明されていました。それと同時に「日本の絵巻物にはコマ枠はないけれど、そこには物語があり時間の推移がある。今のマンガのコマと比較することで、視覚を拡張化し、さらにコマの概念を相対化していく」ために絵巻物との比較も授業では行ったそうです。
マンガビジネスの歴史とこれから。そしてオタク文化の発祥まで
授業の後期に入ると、夏目先生は井上雄彦の『リアル』第1巻の表紙をいきなり見せ、内容を知らない学生にどんなマンガだと思うか聞くといいます。たいていの答えは「学園ものの不良マンガ」。実はよく見ると人物と共にバスケットボールが描かれているのですが、そこに気がつく人はほとんどいないとか。私たちは中身を知る前に冊子の大きさ、絵の雰囲気、タイトルなど色々な要素や、自分のイメージでジャンルを読み取り、マンガと出会っているといいます。よーく見て作品を選ばないと、いいマンガとの出会いをスルーしてしまっているかもしれません……
では、どんなジャンルがあると私たちは考えているのでしょうか。
ジャンルを図解したのがこちら(最終講義スライド資料より)
この図では簡単に(a)群は年代や性差によるカテゴリー、(b)群はスポーツや恋愛といった定番のカテゴリー、(c)群がマンガに限らず映画や小説などのメディアにわたって存在している大きなカテゴリーとなっています。
これが、私たちの頭の中はもちろん、メディアや流通、制作者側にも重層化されて成り立っており、作品づくりや他のビジネスにも派生しているといいます。
そんなマンガ市場が描かれていると夏目先生が紹介したのが、先生曰く“人のやらないことをやるおもしろいマンガ家”鈴木みその『銭』と『ナナのリテラシー』。マンガ月刊誌の収支や市場の裏側がわかりやすく描かれている作品なのだそう。また、中堅のマンガ家層がどんどん薄くなり、ものすごく売れているごく一部と、売れない多数の人々に分化しているという、日本社会の縮図的な一面のお話にも及びました。
ここからはマンガの中身というより、ビジネスのお話が中心に(最終講義スライド資料より)
夏目先生によれば、日本はマンガ雑誌が長く生き延びてきたので、「マンガ雑誌連載」が中心にあるという考え方が長く定着していました。マンガというカルチャーの周辺にアニメ化、ゲーム化、グッズ化、いわゆるメディアミックスがあったのですね。しかしこの10年でデジタル(インターネット・電子書籍・SNS等)の存在はとても大きくなりました。変わってゆくインフラの中で、どんなビジネスに関連してマンガが存在しているのか、今の日本社会にどうはめ込まれ、社会で成立しているのかを、図解を通して知ることが、この回の講義のねらいだったのだそう。なんとなく知っているメディアミックスも、図で見るとわかりやすく、デジタルの進化で今後これがさらに複雑化していきそうですね。
次は、歴史をさかのぼります。「マンガは日本で独自に発達した、と思っている学生が非常に多い。輸入物としてのマンガというのを強調した」と夏目先生。明治期に輸入された英国の『PUNCH』誌(1841年創刊の風刺画新聞)など輸入物からの影響のもと、黄表紙などの要素はありつつも日本の風刺画誌が創刊され、(日本)近代マンガの祖となったそうです。
その後の日清、日露、日中戦争にもマンガは大きく関わっています。例えば『のらくろ』。敵国への人種差別的な表現がたくさんあり、当時、そういった表現が流行したというお話もありました。
最後は、60年代のカウンターカルチャーやオタク文化の発祥について。60年代の社会の変化というと、例えばお見合い結婚と恋愛結婚の比率が逆転するのだとか。
「それが何を意味するかというと、コミュニティが変わっていくんですね。農業社会から始まった戦後の日本が、重工業社会を通り抜けて、さらに高度消費社会へ入っていく。その交点でコミュニティが完全に組み変わっていく。ということは、人の関わり方そのものが変わるんです。だってお見合いと恋愛ですからね」と夏目先生。
そして70年代終わりには高度消費社会に突入。それが実はオタクを生んだのではないかといいます。「高度消費社会で、日本では少なくとも消費というものと生産・創造が一致していった。それが二次創作というものを含めたオタクの形態。高度消費社会が生み出した日本的な消費形態が、オタクではないか」と仮説を述べられました。
「自分の言ってきたマンガ表現論の限界をどう超えていくか、あるいは批判に対してどう答えていくかをやってきました。ただ、残念ながら、まだまだマンガ表現と歴史社会をうまく接続できているとは言えません。今後の私の課題になると思う」と、最終講義を締めくくられました。チャットにはYouTuberになってマンガ表現講座を続けてほしいとのコメントが次々に。
子どもの頃からマンガが大好きな私にとって、あっという間の1時間。そのまま第二部も視聴させていただきました。夏目先生が着任された経緯から、マンガ研究をアカデミックにすることのメリットとデメリット、電子書籍拡大によるマンガづくりへの課題など話題は広がり、お人柄が伝わるちょっとゆるい感じが時間を忘れさせてくれる鼎談でした。最終講義はYouTubeでアーカイブ動画が公開中です。
また、講義の概要については、学習院大学身体表象文化学会の学会誌『身体表象』第4号にも掲載しているとのことです。みなさんぜひ、チェックしてください。