普段めったに出会うことのない希少な生き物たち。身近にいるはずなのに、誰にも振り返られなかった生き物たち――。そんな「文字通り珍しい生き物」「実は詳しく知られていない生き物」の研究者にお話を伺う連載企画「珍獣図鑑」。
研究者たちと生き物との出会いから、どこに魅了され、どんな風に付き合っているのか。そしてもちろん基本的な生態や最新の研究成果まで。生き物たちと研究者たちの交流が織りなす、驚きと発見の世界に誘います。
第15回目は「タガメ×大庭伸也准教授(長崎大学 教育学部 中等教育講座)」です。それではどうぞ。(編集部)
水生昆虫の王者タガメ、生きていくには王の名にふさわしく大量の餌が必要
大庭伸也先生(湿地にて)
タガメという昆虫をご存じだろうか? 人によっては「なにそれ、メダカの間違いじゃないの?」と思われるかもしれないが、その大きさ(水生昆虫としては日本最大種)ゆえに水生昆虫の王者と呼ぶ人もいるほどのかっこいい虫なのだ。
ただ、王者の名とは裏腹に現代日本のタガメたちはかなり肩身の狭い思いをしているようだ。実際、日本中どこに行っても絶滅危惧種のリストの常連である。水生昆虫が好きな筆者も、これまで数回、山間部の湿地で見たことがあるだけだ。
そんなレアな昆虫であるタガメに魅了されて、調査、研究、果ては保全のための田んぼ作りまでしておられるのが、長崎大学の大庭伸也先生だ。全身全霊を注いでタガメに入れ込む大庭先生。タガメとのファースト・コンタクトはどんなものだったのだろう?
「子供のころから昆虫が好きで、祖父が田んぼをやっていたこともあり水生昆虫が気になってはいましたね。ただ、当時はタガメを野外で見かけたことはなくて、買ってもらったタガメを1年くらい飼育したのが最初の体験です」
タガメ。
タガメは、40年ほど前にはすでにそこらの水田で気軽に採集できるものではなくなっていたということか。現代の日本でタガメを観察したい場合、どんなところに行けば出会える可能性があるのだろう?
「主な生息地となるのが、流れのない淡水です。具体的に言うと水田とか溜池ですね。流れの遅い河川で見つかることもあります。脊椎動物を中心に食べるので、繁殖するためにはそれらの多く生息する環境が必要です」
タガメの生息する溜池。
水田や溜池にいる脊椎動物と言うと……、魚とかカエルとか?
「カエルのような両生類やドジョウ、メダカといった魚類なんかが中心ですね。珍しいところだとカメとかヘビとか、海外の大型のタガメだと水鳥を捕食したという記録もあります。他の水生昆虫のような無脊椎動物を食べることもありますが、やはり脊椎動物の方がタンパク質の量が圧倒的に多いので人気です。幼虫の場合はとくに顕著で、幼虫はオタマジャクシが餌の中心なんですけど、それ以外のものを食べて育った場合と比べて成長がずっと早いです」
カメやヘビ! そんなものを襲って食べちゃうなんてすごい。なんて貪欲な昆虫なんだろう。
トノサマガエルを捕食するタガメ。消化酵素には麻酔作用もあり、打ち込まれた獲物は抵抗できなくなってしまう。
時には甲羅の隙間を狙ってカメを捕食することも。写真のカメはクサガメの子供だ。
ヒバカリ(小型のヘビ)を捕食するタガメ。
「タガメの餌のとり方は体外消化といって、前足で捕まえた獲物に口の針で消化酵素を流し込んで、溶けてドロドロになったのを吸引するんです。生き物は一般的に自分より小さな相手を捕食することが多いですが、この体外消化だと捕まえられる範囲であれば自分より大きな獲物も捕食することができます。生まれたばかりの幼虫は1㎝くらいしかないんですが、それでも自分の3倍くらいの大きさがあるオタマジャクシを捕まえて食べてしまいますね。
食べる量もすごくて、幼虫は成虫になるまでの約1カ月半の間に100匹以上のオタマジャクシを食べます。お腹がすくと自分よりも小さな幼虫を共食いしちゃうこともあるので、飼育するときは気を遣いますね」
自分よりもずっと大きなオタマジャクシに吸いつくタガメの幼虫。
タガメが生きていくには大量の生きたエサが必要なのだな。それにしても、たった1カ月半で幼虫(約1㎝)から成虫(最大でオスは55mmくらい、メスは65mmくらい)まで成長するのは脅威の成長スピードだ。
「水田や溜池といったような人間の作った湿地を利用するようになる前は、梅雨時に河川が増水して一時的にできた水たまりなんかを使って繁殖してたんじゃないかと思うんです。そういった場所というのは、8月になる頃には蒸発してなくなってしまいますから、短期間で羽のある成虫になってもっと安定した水場を求めて飛び去る必要があったんじゃないでしょうか。
同じカメムシ目の水生昆虫でナベブタムシというのがいるんですが、こっちはタガメとは対照的に成虫になるまで1年以上かかります。なぜかというと、川の底の砂地に生息していて、水がなくなる心配がないからゆっくり時間をかけて成長するんだと考えられます」
タガメの天敵は、なんと意外なアレだった
なるほど、生息環境の違いが成長戦略の差につながっているわけか。それにしても、水生昆虫であるタガメが羽を使って飛ぶ姿はなかなか想像できない。頻繁に遠くまで移動するものなのだろうか?
「背中にマーキングして行動を追跡する調査方法があるんですが、これによって多くのタガメが一晩で数キロ移動することがわかっています。すごいのだと、1カ月半後に十キロ以上離れたところで見つかった個体もいます。
なんでそんなに移動するんだろう?と思って、飛翔後の個体と湿地に留まっていた個体を比較してみたことがあるんですが、その結果、飛行中の乾燥によって軽くなった分を補正しても、飛翔後の個体の方が体重が明らかに軽いことがわかりました。先ほども言ったようにタガメは大量の餌を消費するので、おそらく餌が豊富な場所を求めて移動しているんじゃないかと考えられます」
新天地を求めて飛んでいくわけだ。
「ところが、この飛行の最中に街灯などの光に引き寄せられてしまうタガメがとても多いんです。タガメは羽を出す前に胸部に熱をためて体を乾かす準備動作をするんですが、光に引き寄せられて着地して、また熱をためて飛び立って、その先でまた光に誘われて……ということを繰り返しているうちに、体が乾燥しすぎて死んでしまう。あるいは、イタチなどの小動物に食べられてしまう。虫を引きつけやすい水銀灯が主流だった頃には、これで犠牲になるタガメが今以上にかなり多かったはずです」
なんと、タガメにも他の虫のように光に誘引される性質があったのか!そして人間の出す光がタガメの天敵だったとは。
(左)飛行するために、胸部に熱をためているタガメ。(右)飛行意思のないタガメ。
卵を守るはオスの役目
灯火に誘われる以外に、どんな脅威にさらされているんだろうか?
「タガメに見られる行動として、メスが産んだ卵をオスが守るということが挙げられます。メスが一度に産む卵はだいたい80個くらいですが、これは水中だと酸欠で死んでしまうので水面よりも高いところにある植物などに塊にして産みつけられます。この卵塊は、放っておくと今度は乾燥で死んでしまうので、オスが定期的に水をかけたり敵を追い払ったりして世話をするんです」
植物の茎に産み付けられた卵塊とそれを抱き抱えて守るオスのタガメ。
タガメはイクメンだったのか!
「卵塊を襲いにくる敵というのは大きく分けて2つあります。一つは卵を食べにやってくるアリです。これについては、タガメが異性を惹きつけるために分泌しているトランス-2-ヘキセニルアセテート(trans-2-Hexenyl Acetate)という芳香のある物質がアリを寄せ付けないための防御物質としても機能していることを我々の研究で突き止めました」
卵塊にたかるアリ(飼育環境にて)。父親タガメの出す防御物質(トランス-2-ヘキセニルアセテート)がないと、アリは容易に卵塊に到達してしまうことが大庭先生たちの研究によって示された。
父親タガメが立派に保護の役割を果たしたということか。ところで、もう一つの敵というのはなんなのだろう?
「ここが興味深いところで、もう一つの敵というのは他でもない、同じタガメのメスなんです。彼らはオスが守っている卵塊を破壊して、フリーになったオスと交尾して、自分の卵を守らせようとします。タガメはオスよりもメスの方が体が大きいので、だいたいはオスが競り負けてしまいますね。
トランス-2-ヘキセニルアセテートは防御物質としての役割以外に性フェロモンとしても機能するわけですから、これを分泌すると敵であるメスが寄ってきてしまう。つまり交尾が終わったらこの匂いは出さないはずなんです。なのに、抱卵中のオスがどうやらこの匂いを出しているらしい。どうしてだろう?というのが、その研究の着眼点でした」
諸刃の剣……。なかなかうまくいかないものだなあ。
トランス-2-ヘキセニルアセテートの瓶を見せてくれる大庭先生。人工的に合成することもできるのだという。果物みたいな匂いがするとかしないとか。
「カメムシは臭い匂いを出すことで有名ですよね。あの匂いも、多くの種でアリ避けとして機能することがわかっています。それが同じカメムシ目のタガメにも引き継がれているんです。ただ、カメムシの匂い物質がヘキサナールという水に溶けやすい化合物であるのに対して、タガメの出すヘキセニルアセテートは水に溶けにくいという特徴があります。水で流されてしまわないように水中生活に適応して進化しているんです」
こんなところにカメムシの特徴が引き継がれていたとは驚きだ。そういえば、カメムシ目の昆虫には子守りをするものが多いと図鑑で読んだことがある。オスが背中に卵を背負って世話するコオイムシなんていう虫もいたような。
タガメと同じカメムシ目の水生昆虫であるコオイムシは、メスがオスの背中に産卵して、オスは卵が孵化するまでそれを守って生活するという、驚きの生態をもつ昆虫だ。
「たしかに、カメムシは子守りをする種が多いですが、ほとんどの場合はメスが子の世話をします。
コオイムシの卵を背負う生態がどうやって進化してきたのかは、まさに今取り組んでいるテーマの一つです。コオイムシのオスが一度に背負える卵の数はだいたい80個くらいなんですが、メスが一度に産める卵の数は多くても40個ほどです。つまり1匹のオスの背中に複数のメスの卵が同居しているわけです」
それは不思議だ。タガメみたいにメスが他のメスの卵を破壊したりはしないんだろうか?
「コオイムシでは、むしろ他のメスの卵をすでに背負っているオスの方が、フリーのオスよりもモテるという結果が出ています。そしてタガメのような雌雄の体格差がありません。たくさんの卵を背負える大きなオスの方が有利なので、オスの体が大きく進化するような淘汰圧がかかったのだと考えられます」
タガメとコオイムシは似たような環境に住んでいて、分類上も同じカメムシ目、さらに外見も大きさ以外は似ているけれど、生存のために立てた戦略は全然違うということか。面白いなあ、生き物は。
外来種、農薬、そして水田の減少、タガメを取り巻く数々の困難
昔はそこかしこの湿地で普通に観察できたというタガメも、今ではほとんどの地域で絶滅危惧種に指定されている。その原因は灯火やアリ以外にもいろいろあるようだ。
「捕食者という点では、アメリカザリガニやウシガエルなどの外来種が脅威です。とある生息地である年に卵塊の数が激減したことがあって、詳しく調べたところウシガエルが侵入していました。トラップを仕掛けてウシガエルを駆除したら元通りに回復したのですが、どこでもそううまく駆除できるわけではありません。平野部でとくにタガメの生息地が減っているのは、前述した灯火が多いことに加えて外来種の侵入が起こりやすいことも原因だと考えています」
駆除用のトラップにかかったウシガエル。外来種の駆除や拡散防止は、タガメに限らず日本在来の動植物の保全にとって喫緊の課題だ。
最近は昔に比べて農薬を減らした農業をやろうという動きもあるけれど、そういったことがプラスに働いたりはしないんだろうか?
「タガメは水質変化に弱いため、もちろん農薬を使わないに越したことはないと思います。ただ、それ以上に生息地になる水田や溜池が減ってきているという問題がありますね。減反政策の影響だったり、農家の後継者がいない問題だったり、あるいは圃場整備が入ってコンクリートで護岸されてしまったり。ただ、今継続的に調査している生息地のように圃場整備が入っていても安定して生息しているところはあるんです。どうしてそういうことが可能なのか?といったことのヒントが見つかればいいと思っています」
効率的に農業をするためには農薬や圃場整備をゼロにするのは難しいかもしれないが、タガメが生息できる環境との間で落とし所を見つけることができれば、今後の保全にも光が見えてきそうだ。
「私が大学院生の頃から調査させてもらってた水田なんかは、農家のお爺さんが亡くなって米作りをやめちゃったんです。水田は放っておくと水がなくなって陸地化してしまうので、地権者にお願いして水田として維持するお手伝いをしています。なかなかないですよ、保全や研究のためにここまでしないといけない生き物というのは。
ただ、外来種の駆除にしても水田の維持にしても誰かがしないといけないことなので、今後も続けていきたいと思います」
【珍獣図鑑 生態メモ】タガメ
日本最大の水生昆虫。肉食で、時には自分よりも大きな魚や両生類などの脊椎動物を捕食する。かつては水田や溜池で普通に見られる昆虫だったが、生息地である湿地の減少や外来種の侵入などによって現在では多くの地域で絶滅危惧種に指定されている。オスが卵の世話をする行動をとるが、このときオスから分泌される物質が天敵であるアリに対する防御物質として機能していることが近年証明された。