死神というと、黒いローブをかぶって大きな鎌をもった姿を想像する人が多いと思う。こうしたイメージはおもに西洋で流布した死神の姿がもとになっている。
死神に注目して博士論文に仕上げ、著書にまでしてしまったのが大谷亨先生だ。ただし、大谷先生が関心をもったのは鎌にローブの死神ではない。名前も姿もまったく違う中国の死神である。その名前を「無常鬼」(もしくは単に「無常」)という。
著書名はずばり、『中国の死神』
ある日、X(旧Twitter)のTLにインパクトのある書影が流れてきた。表紙の中央にはおっさんの人形の写真が載っているのだが、この人形の顔色がすこぶる悪い。しかも口からは真っ赤な長い舌がだらんと出ていて、その周りは血で濡れている。まるで縊死しているようだ。そしてその表情とは裏腹に、頭にはパーティー帽子のような円錐形の愉快な帽子をかぶっているのである。
インパクトのある書影はこちら。大谷亨著『中国の死神』(青弓社)
気になったのでさっそく買って読んでみることにした。
『中国の死神』と題されたこの本、難しい専門書かと思いきや、中国各地で採集された無常のカラー写真がふんだんに配されていて、読んでいてとても楽しい。ところどころに大谷先生がフィールドワーク中に体験した珍道中がコラムとして挟まれていて、こちらも思わず吹き出してしまうほどおもしろい。そして肝心の本編は、各地の廟や文献から収集された膨大な無常が探偵のような手つきで整理され、その知られざる来歴があぶり出されていく、まるでミステリー小説のような内容となっている。
書籍の内容をここで詳述することはしないが、私が一番驚いたのは無常の外見である。当初、表紙のおっさんは「死神(無常)」によって殺された人かなにかだと思っていたのだが、そうではなかった。「無常そのもの」だったのである。
前述した西洋の死神がただただ怖ろしいイメージであるのとちがって、無常はどことなくコミカルである。もちろん初見で「殺された人に見える」と感じたくらいだから、コミカルというのもやや語弊があるのだが、なんだろう……やっぱりちょっと可笑しいのだ。
白と黒のペアで現れて魂をさらっていく死神、無常
大谷先生の無常研究について詳しく知りたい人は著書を読んでいただくとして、ここでは無常に出会ったきっかけや、本に書ききれなかった最新の無常事情などをまじえて伺ってみたいと思う。
白無常・黒無常のペアで現れる
——普通の人は無常と言われてもピンときません。そもそも無常ってなんなのか、簡単に教えてください。
「一言で言うと、やはり死神ですね。普段は冥界にいるんですが、寿命が尽きた人のもとにやって来て、その魂を捕らえる存在です。
一般的には、白い服を着た『白無常』と黒い服を着た『黒無常』のペアでやって来ると言われています。
この二人には性格の違いがあって、白無常の方は死神でありながらときに貧者を助ける財神のような一面を見せます。例えばこんなお話があります。
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あるところに博打に狂って多額の借金を作った男がいた。もはやこれまでと首をくくろうとしたところ、白無常が現れる。白無常の帽子をかぶると姿を消せるという噂を思い出した男は、帽子を貸してくれと白無常に懇願する。白無常は渋るが、根負けして『過度な悪事をしないように』と忠告のうえ3日間だけ帽子を貸すことに。はたして、約束はあっさり破られ、男は帽子を使って姿を消し、盗みを繰り返す。ところが、約束の3日をすぎた翌朝、不注意で帽子に穴を開けてしまう。しかたがないので白い糸で帽子を繕いふたたび盗みに入ったところ、糸が消えずに残り、それがもとで逮捕される。これまでの悪事も露見し、重い罰を課せられたのだった。
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死神のエピソードとは思えないようなお話ですが、こうしたある種の滑稽譚に登場するのはほぼ白無常です。反対に黒無常は情け容赦がない、残酷な性格として描かれるケースが目立ちます」
——ただ単に死をもたらすだけでなく、ときに願い事を叶えてくれる存在として伝えられることもあると。ところで、舌を出してるのはとても可笑しく見えるんですが、どういう意味があるんでしょうか?
「『首つり自殺をした人が無常になった』という伝承があって、だから白無常は舌が出ているというのが通説です。一方、これはまだ漠然と考えているだけなので本にも書かなかったのですが、中国に限らず多くの地域で魔除け的な存在は舌を出した姿で描かれます。なので、ひょっとすると無常の舌を出した造形にも深層的な意味があるのかもしれません」
——なるほど、首吊りの姿だと思うとやはり少し怖いですね。
「そう、コミカルだったり怖かったり、二面性のある存在なんです、無常というのは」
無常は死神だけど親しみやすい?
寿命が尽きた人間の魂を連れ去ってしまうかと思えば、悪事の手助けをしてくれることもある、まるでトリックスターのような無常は、現在でもお祭りの日に(そのかぶり物が)街を練り歩いたりする、中国の庶民にとってはポピュラーな存在だという。
廟のお祭りでは無常に扮した人が街を練り歩くのだという
——なぜそこまで庶民に人気なのでしょう?
「まず、無常が神様としてはランクが低い存在だというのが、重要な理由としてあげられます。人間の世界でもそうですが、たとえば学校や会社で困ったことがあったときに、いきなり校長先生や社長に相談に行くのはやや気が重いですよね。なので、新人教師とか1年上の先輩とか、自分にとってより身近な存在にまずは相談しがちです。神様に対しても同じような心理が働くみたいです。
また、意外かもしれませんが、死神であるということも親しみやすさにつながっています。宝くじを当てたいとか、パチンコで勝ちたいとか、そういう我々庶民が抱きがちな俗っぽい願いごとってきちんとした神様のところにはもって行きにくいらしいんです」
——なるほど。たしかにさきほどの姿が見えなくなる帽子を貸してくれる話なんかも、まっとうな神様ならそもそも取り合ってくれなさそうです。
「今、無常信仰がもっとも盛んなのは東南アジアなんですが、少し前まではアウトローな人たちの信仰する神様という扱いだったようです。今でこそ無常を祀る廟があちこちに建てられて、一般の人たちにも人気がありますが」
無常との出会いは古い新聞に掲載された一枚の挿絵だった
——著書『中国の死神』にはフィールドワークで採集したという無常のカラー写真がたくさん収録されていますが、大谷先生が初めて無常と遭遇したときの状況を教えていただけますか?
「『中国の小人と巨人』というテーマで修士論文を書いていた時のことです。『点石斎画報』という古い新聞をペラペラめくっていると、ある記事の挿絵にひょろ長い帽子をかぶって長い舌を吐き出した奇妙なキャラクターが描かれていました。脳髄にビビビッとくるものを感じたので、修士論文をほっぽらかして調べてみると、無常という死神であることがわかりました。しかも、中国ではかなり有名な存在だといいます。ところが、それ以上の情報がなかなか出てこない。それもそのはず、無常はその知名度の高さとは裏腹に、ほとんど研究がなされていなかったんです。『これはいいテーマになる!』と確信しました」
『点石斎画報』に掲載された無常の挿絵
——そうした偶然と直感がのちの無常採集・研究につながったと。ところで、大谷先生が一番気に入っている無常っていたりします?
「無常であれば平等に愛してる、と言いたいところですが、山東省で見つけた『吉大哥(ジーダーグー)』と呼ばれる無常はとくに気に入っています。そいつは片方の靴が脱げていて、手にきゅうりを握っているというヘンテコないで立ちなんです。
当初は『かわいいレア無常ゲット!』くらいのノリでした。しかし、後に中沢新一(思想家・人類学者)さんの『人類最古の哲学』(講談社)という本を読んでいるときに、ある興味深い記述を見つけたんです。その本によると、この世とあの世を往来し、死や富をもたらす両義的存在というのがユーラシア各地に伝承されているそうなんですが、それらの共通項として、片足がなかったり、片足を引きずっていたり、片方の靴が脱げていたりする特徴があるというんです。吉大哥そのものですよね……。それ以来、靴脱げの造形に対する見方がガラリと変わりました。かわいいだけじゃなくて神話的な深みを秘めていたんだなと」
山東省で発見された靴脱げ無常
——それはおもしろい!『中国の死神』では、無常が生まれる過程で他の中国妖怪から影響を受けた可能性が示されていましたが、議論の射程が一気にユーラシア全体にまで広がったわけですね。
今この瞬間も広がり続ける無常信仰、底知れない中国民俗学の世界
——片方の靴が脱げていて、手にはきゅうりを握っているという姿は前述の白無常・黒無常の類型に当てはまらない異質なものです。さらに著書の中では金門島(台湾の離島)で採集されたブサカワ無常(大谷先生が命名)も収録されていました。無常というのは、今も種類が増え続けているものなのでしょうか?
「爆増中ですね。先ほども言ったとおり、現在もっとも無常信仰が活発なのは東南アジア、とくにマレーシアやシンガポールなんですが、そうした無常信仰最前線の地域では新種の無常が続々と誕生しています。あ、ちょっと僕のコレクションを持ってきてもいいですか?」
おもむろに席を立つ大谷先生。
戻ってくると、その手にはカラフルな無常の神像が。
「これは白無常です」
「これは黒無常。ここまでは一般的な無常ですね」
「これは金銭的なご利益に特化した金銭伯という無常」
「これは親孝行な孝子爺という無常」
——なんでもありなんですね。
「ある意味そうですね。まだ入手できていない新種無常の像もいろいろあるんですが、コンプリートを目指しています。というわけで、『中国の死神』は大陸編として無常の歴史をまとめましたが、今後は東南アジアにも研究の手を広げて、無常信仰の新たな展開について調べていきたいなと思っています」
——ワクワクしますね!それと同時に、これだけ広がりのある「無常」というテーマが今までほぼ手つかずだったことに驚かされます。
「でも実はそれって別に不思議なことじゃないんです。だって、そもそも中国は単純に気が遠くなるほど国土が広大なわけで、先人が手をつけていないものなんてそこらじゅうにごろごろ転がっている。中国民俗学の最大の魅力はそんなとらえどころのなさにあるとさえ個人的には思っています」
——無常信仰をはじめこれまで重視されてこなかった庶民文化なんかは特に開拓のしがいがあるジャンルかもしれませんね。
「まさにそうですね。日本に流通する中国情報も、政治経済系の話題か、そうでなければ中国の珍奇さを嘲笑するB級中国系の話題に偏っていますよね。実にもったいない。自戒を込めて言いますが、これだけ未知のものが手つかずの状態にあるんですから、テンプレ化した切り口でカビの生えたネタを使いまわしている場合じゃないはずです」
─珍奇なものを茶化さないで真正面から真面目に語るという姿勢が、もしかすると『中国の死神』が好評を得ている最大の理由かもしれませんね。
「だとしたらたいへん嬉しいですね。個人的なモットーとしても、天下国家を真面目に語るのと同じように、ときに珍奇にあるいは陳腐に見える普通の人々の生活をクソ真面目に語っていきたいなと思っています。また、そんな態度こそが日本人のより深い中国理解にもつながっていくのかなと、自分の研究にほんのちょっとでも意義があるとすればそこらへんかなと考えています」
知らないものがごろごろしている、と言われれば嫌でも好奇心が湧いてくるというもの。「中国にちょっとでも関心のある人は、ぜひ彼の地を訪れてビビビっとくるなにかを探してほしい」と大谷先生は語る。中国渡航のハードルがまだまだ高い昨今、まずは『中国の死神』を手に取られてみてはいかがだろうか。いい予行演習になること請け合いである。