ようやくマスクを外せる場面が増えてきた今日この頃。長いコロナ禍では疫病退散の妖怪「アマビエ」も注目を集めました。「むかし、むかし、あるところに……」ではじまる昔話にも、鬼や山姥などの不思議な存在が登場しますが、それらはすべて人の心がつくりだしたもの。「昔話は時代や社会、人の心を反映している」という大阪樟蔭女子大学の黒川麻実先生に、昔話の魅力を伺いました。
昔話は「人々の心や暮らしを表す遺伝子」
黒川先生は昔話の研究を専門にされていますが、先生にとって、昔話のいちばんの魅力って何でしょうか?
「最も魅力を感じているのは、昔話の変容と社会との関係性です」。黒川先生は、もともと小学校の先生を志していて、教材研究がきっかけでこの道に進んだそうです。「昔話の歴史的な変化に注目して分析すると、それぞれの時代の人の考え方が反映されて変化してきていることが浮かびあがってきて、その面白さにのめりこんでしまいました。昔話はまるで遺伝子のようです」
そうした研究のひとつが、小学校の教科書にも載っている民話「三年とうげ」です。このお話は韓国の民話として紹介されていますが、実は京都の三年坂に似た言い伝えがあるとのこと。
「三年とうげ」のあらすじは、下のようなものです。
~「三年とうげ」あらすじ~
転ぶと三年しか生きられないといわれている「三年とうげ」。
決して転ばぬよう気を付けていたのに、おじいさんが石につまづいて転んでしまいました。
「あと三年しか生きられない」と思い悩んだおじいさんは、病気になって寝込んでしまいます。
ある日、近くに住む少年が見舞いに来て、おじいさんにもう一度「三年とうげ」で転ぶよう助言します。
「1度転べば三年、2度転べば6年、たくさん転べば、うーんと長く生きられるよ」
おじいさんは、少年の助言通り三年とうげに行き、もう一度、転がります。
おじいさんは楽しくなってしまい、峠からふもとまで転がり、その後は長生きしたのです。
一方、京都の三年坂にも「転んだら三年のうちに死ぬ」という言い伝えがあったそうです。ある老人が三年坂で転んでしまい、周囲の人々が心配したところ、老人は「年寄りだからいつ死ぬかしれないと思っていたのに、あと三年は生きられる」と喜んだ、といった話が江戸時代の文献に見られたそうです。
京都の三年坂と「三年とうげ」との関係は以前から指摘されていましたが、黒川先生は詳細な分析を通じて、その影響関係を明らかにしています。例えば「たくさん転んだら長生きできる」と老人に教える人物は、少年のほかにも医者や孫、老人の妻など、様々なパターンがあるそうです。
また、「迷信を信じてはいけない」という教訓的要素や「年寄りを大切にしなさい」といった儒教的要素にフォーカスが当てられているお話は教科書でよく見られるなど、時代や場所によって昔話の内容が「変化」するのだそう。
黒川先生
地域により登場人物が変わる昔話はほかにも数多く、黒川先生は「田螺息子(たにしむすこ)」という昔話を例に挙げて、登場するタニシが地域によってサザエやナメクジ、カエルなどに変化することも紹介。そこから見えてくるのは「特定の作者がいないという昔話の匿名性と、時代や地域が特定されていないことによる可変性」。
「昔話の特性を一言で言うと “遺伝子”。昔話は人々の口から口を介して伝わったもの。その時代を取り巻く人々の心性や状況、場所によって変化するものです。その変化の背景や要因を探っていくのが面白い」と、魅力を語ってくれました。
昔話のマイルド化? タヌキが改心する「かちかち山」
昔話には時代や社会のあり方が反映されているとのことですが、わたしたちがよく知っている「桃太郎」のような話でも、そうしたことは起こっているのでしょうか?
「大人世代が読んでいた昔話と今の子どもたちが読んでいるものも結末が違う場合がありますし、江戸時代と現代とでも変わっている場合があります。
例えば桃太郎は桃から生まれたということになっていますが、江戸時代のお話では、桃を食べたおじいさんおばあさんが若返って子作りをするパターンや、桃ではなく箱や箪笥から桃太郎が登場するパターンも存在します」
若返って子作り、箱や箪笥から登場……それは初耳です。
「元々、様々なパターンが存在していた桃太郎ですが、昔話はまさに “遺伝子”。時代と共に、例えば教科書に載せるに堪えうる内容であるもの、口承ではなく筆で書き残されたものなど、より “伝わりやすい” 遺伝子だけが生き残り、私たちの元へと届くこととなったのです」
さらに最近では、桃太郎の鬼退治のくだりも「退治される鬼がかわいそう」と、桃太郎の “続編”として、最後に鬼と仲良くなるお話もつくられているのだとか。まさに遺伝子のように、今の時代に合わせて “進化”しているのですね。
大阪樟蔭女子大学のキャンパス内に2019年開設された「しょういん子育て絵本館」で絵本を紹介する黒川先生。同館は6000 冊を超える絵本を所蔵している
昔話には残酷なシーンも多いですが、「最近では残酷さをやわらげているものも増えています」と黒川先生。「例えば『かちかち山』の場合、もとの話ではタヌキはおばあさんをだまして撲殺して、さらにおばあさんに扮装した上、婆汁を作っておじいさんに食べさせるという話なんです」
えっ、婆汁……。しかも、それをおじいさんに食べさせるとは。それではあまりに残酷すぎるというので、近年では婆汁のくだりを省くようになってきているそうです。
物語の結末も、もともとは、かちかち山でやけどを負わされたタヌキが火傷の痕にトウガラシを塗られたあげく、土船に乗せられ川に沈んでしまうという徹底ぶりですが、最近ではタヌキが改心するストーリーも登場しているのだとか。たしかにマイルドで文明的になっている印象です。
さまざまな「かちかち山」の絵本
私は何年か前、山の中で野生のタヌキと出会ったことがありますが、ジャンプと宙返りで威嚇するタヌキと山道で向かい合い、かなり怖い思いをした経験があります。婆汁の話はたしかに刺激が強すぎる気がしますが、自然と人間との距離が今よりはるかに近かった時代、人々は野生動物の怖さをよく知っていたのではないかと思います。
マネをする隣のお爺さん
「かちかち山」には自然と人間との関係があらわれているように感じますが、人間関係を反映した昔話というのもあるのでしょうか。
黒川先生が例に挙げたのは、「マネをする隣のおじいさん」。マネをする隣のおじいさんが出てくる話は「おむすびころりん」「花咲じじい」「こぶ取りじいさん」「笠地蔵」などたくさんありますが、すべて正直者のおじいさんがうまくいっているのを見てうらやましくなった隣のおじいさんが、マネをしてさんざんな目にあう話です(このパターンの話は、昔話研究の世界では「隣の爺(じじい)型」とよばれているそうです)。
黒川先生によると、外国の昔話と比較すると「隣のおじいさん」が登場するのは日本とアジアの一部だけ。「隣の爺型からは、昔の村社会が見えてきます」と黒川先生。
「昔話の中でも『火種を貸しとくれ』と、隣のいじわるなお婆さんが善良な老夫婦の住む家を訪ねて、事の次第を聞く……というシーンがよく登場しますが、このようなことは、昔では日常茶飯事だったとか。昔の日本の生活様式が、まさに『隣の爺型』に表れているのだといえます」
昔話が生まれ育ったころとは社会も大きく変わり、昔話の内容も変化し続けてきましたが、富や繁栄へのあこがれ、残酷さ、賢さ、死をおそれる気持ちなどは、時代を経ても変わらないかもしれません。時代を写しながら、わたしたちの変わらないものを物語っている。それが昔話なんだな、と先生の話を聞いて改めて感じました。