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  • date:2025.12.9
  • author:児嶋美彩

【ことわざと研究】「嘘も方便」を心理学の視点で考える―京都橘大学・田口恵也先生

今回お話を伺った研究者

田口恵也

京都橘大学 総合心理学部 総合心理学科 助教

名古屋大学大学院 教育発達科学研究科 心理発達科学専攻 博士後期課程 博士課程修了後、大阪大学大学院人間科学研究科の特任研究員に。2025年4月より現職。大学時代から現在にいたるまで、向社会的な嘘と外的・内的適応との関連について研究に取り組んでいる。共著に「欺瞞と嘘発見の科学入門」(福村出版)がある。


昔から言い伝えられてきた教訓や知恵などを短い文で表した「ことわざ」は、世代から世代へと受け継がれ、現代を生きる私たちにも気付きを与えてくれる。そんなことわざが筆者は好きで、子どもたちに話をするときにもよく引用している。しかし、あるとき11歳の娘から指摘をされた。

「それって本当? 今の時代には合っていないかもよ」

衝撃だった。悔しいが、確かに娘が言うこともことわざによっては一理あるかもしれない。というわけで始まったのが、今を生きる専門分野の研究者はことわざをどう見るのかを掘り下げ、ライターなりに読み解いてみる企画「ことわざと研究」。記念すべき第1回目は、嘘をメインテーマに研究をしている京都橘大学 総合心理学部の田口恵也先生に「嘘も方便」について聞いた。


 

「嘘も方便」――相手のことを考えたり、物事を円滑に進めたりするには、嘘も必要だということわざだ。どうやら、一説によると語源は仏教と言われていて、法華経の中では嘘を使って火事から子どもを守る例え話が書かれているらしい。仏すらもある種の嘘は「良し」としているのだ。しかし一方で、ことわざの中には「嘘つきは泥棒の始まり」なんてものもある。果たして、「嘘も方便」が適用されるような嘘は、どのようにして決まるのだろうか。

相手のためについた嘘がもたらす抑うつ傾向

約10年、嘘をメインテーマに研究を続けている京都橘大学 総合心理学部の田口恵也先生は「『嘘も方便』を相手のためにつく嘘、『嘘つきは泥棒の始まり』を自分が利益を得るための嘘と仮定した場合、この2つは二項対立ではなくグラデーションになると考えています。嘘をつく背景には多様な動機が存在しますから、一義的に善悪を判断することは非常に難しい。嘘は実に曖昧な概念なんです」と教えてくれた。

卒論のテーマに掲げて以来、今日に至るまで「嘘」の研究を続ける田口先生

 

「曖昧だからこそ、研究の興味が尽きません」とほほ笑む田口先生の研究は、相手を傷つけないためや相手を喜ばせるためにつく「優しい嘘」に焦点を当てることから始まった。心理学研究では、こうした相手のための優しい嘘は「向社会的な嘘」と呼ばれ、社会的な利益や他者の幸福のために機能する、まさに「嘘も方便」としての役割を担っているという見方があるそうだ。

 

しかし、田口先生は「たとえ優しい嘘であろうとも、嘘をついた側には何らかの心理的負担があるのではないか」と考えていた。そこで、2021年、東海地方の大学生263名を対象にアンケート調査を実施。すると、優しい嘘を多く使う人ほど、友人関係が良好であったが、同時に抑うつ傾向も高いことが確認された。

向社会的な嘘と抑うつ傾向の関連性:友人関係の良好さによる抑うつの軽減効果と、嘘をつくことによる直接的な心理的負担を示す予測モデル

 

調査では、相手のためにつく「向社会的な嘘(優しい嘘)」と、自分を守るための「利己的な嘘」の2種類を、合計16項目設定し、使用傾向を測定。特に、向社会的な嘘については「嘘をつく本人の犠牲を含むか」という点も考慮して質問を作成し、回答は「全くあてはまらない(1点)」から「よくあてはまる(6点)」の6段階評価で行われた。

 

その他にも、人間関係がどの程度うまくいっているかを示す「友人関係の良好さ」や、一般的な心の健康度を示す「抑うつ」なども測った。詳細な調査項目は以下。

 

まず、調査への回答データについて、統計的な分析をしたところ、優しい嘘は人間関係が円滑になる効果(.19※)をもつことが明らかになった。その一方で、同程度に関係が良好な人同士を比べた場合には、優しい嘘を用いる傾向が高いほど「抑うつが高い」(=心の健康度が低い)ことも明らかになった(.15※)。つまり、「嘘も方便」といわれるような優しい嘘は、人間関係をよくする側面だけではなく、嘘をついた本人が感じる心理的負担も伴うことが示唆されたのだ。

※数字はパス係数によるもの

 

「この研究を経て、嘘をついた本人の精神に与えるマイナスの影響(自尊感情の低下といったメンタルヘルスへの影響)を深堀りしてみたいと思いました」と、田口先生は話す。

優しい嘘は誰のため?「方便」は嘘をつく側の言い訳か

この結果を聞いたとき、筆者はふと、小学1年生だった娘が泣きながら帰ってきた日のことを思い出した。理由を聞くと、登下校班の全員がいつも同じアイドルの話題で盛り上がっているのだという。てっきり仲間外れにされたのかと思いきや「同じ話題に入りたくて自分も好きだと話を合わせたけど、嘘をついてしまった自分が嫌になったし、もし嘘だとバレたら嫌われるかもしれない」と、ポロポロと涙を流したのだ。

 

その話をすると、田口先生は「嘘をつくのは、相手がどういう状態なのかを推測し、本音を抑え込むという高度なテクニックが必要です。相手にバレないようにしなければと考えながら言葉を発するのは、思っているよりもストレスになります。そうしたものに耐えきれずに心理的負担を感じる人は多いかもしれませんね。あるいは、嘘をついてしまった罪悪感に苦しむ人もいるでしょう。なぜ優しい嘘をついた本人が心理的負担を抱えてしまうのか、その詳しいメカニズムは現在まさに究明中です」と、教えてくれた。

 

そして、ひと呼吸置くと「ただ、優しい嘘、すなわち『嘘も方便』は、嘘をつく側の言い訳という見方もできると思うんですよね」と、つぶやいた。「相手のためを思って嘘をついたとしても、受け手が好意的に感じなければ『嘘も方便』は成立しないのではないかと思うのです。また、相手のための嘘だとしつつも、振り返ってみると自己利益のための嘘だったというケースもあるでしょう。良い嘘と悪い嘘にはっきりとした境界線はないものの、受け手によってその捉え方は変わるのではないかというのが私の考えです」

 

改めて、娘が小1だった頃の出来事を思い返す。あの嘘は、グループ間の盛り上がりを下げないようにする相手への思いやりも多少はあっただろう。しかし、それよりも「話を合わせなければ」という“ごまかし”のほうが大きかったのではないか。その意味では、方便ではなく自己防衛のための嘘だったとも考えられる。だから、罪悪感にさいなまれてしまったのかもしれない。

 

冒頭であげた法華経の中に出てくる例え話は、嘘によって命を守っているのだから、嘘をつく側もつかれる側も嫌な思いはしていないはずだ。しかし、思い返してみると「嘘も方便」を免罪符のようにして嘘をついた経験が、筆者にも少なからずある。田口先生は「もちろん、嘘が相手に良い影響を与えることもありますし、嘘をつく背景にはさまざまな動機がひそんでいますから、一概には言えないんですけどね」と笑ったが、田口先生の話を聞いていると、「嘘も方便」は互いを思い合う気持ちがあってこそ成立することわざなのだと強く感じた。そのことを胸にとどめ、自分の発言と向き合うことが人間関係や物事を円滑にするのだろう。

優しさの連鎖で成り立つ「嘘も方便」

それにしても、ここまで曖昧な概念をもつ嘘を研究対象にしようと思ったのは、一体なぜなのか。田口先生に尋ねると、少しはにかんで教えてくれた。

 

「原点は母です。母は、私が大学生になるまで『サンタクロースはいる』と言い続けていて……私が真実に気づいていることはわかっているだろうに、あの手この手で信じ込ませようとしていたんですよ。このときに、嘘は悪だとされるけれど、人を楽しい気持ちにさせてくれる嘘はどうなのだろうと考えたことが、この研究を始めたきっかけです」

田口先生(右)2~3歳の頃。この写真を見ていると、無垢な笑顔を守るための愛ある嘘だったのだろうと感じる

 

何歳になっても、ワクワクしたクリスマスを過ごしてほしい――そんな、親の愛から生まれた嘘は、全世界にあふれているのではないだろうか。嘘をつかれた田口先生は1ミリも嫌な気持ちになっていないし、それどころか研究者としての道を歩む動機にまでなっている。これぞ正しい「嘘も方便」のありかたなのかもしれない。

田口先生、大学院生の頃。本格的に研究者の道へ

 

最後に、田口先生に今後の目標を聞いてみた。

 

「嘘についてやってみたい研究はまだまだたくさんありますが、最終的には優しい嘘をついたときになぜ心理的負担を感じるのか、そのメカニズムを解明することです。嘘による過度なしんどさがあるならば、外部から何か手助けにつながる対処法を考えていきたいと思っています」

 

そうほがらかに笑う田口先生は、もともとカウンセラーをめざしていたそうだ。きっと、適切な対処法を見つけることができれば、救われる人は多いだろう。

 

「嘘はつかないに越したことはないとはいえ、まったく嘘をつかない人は本音ばかりを話して人間関係がうまくいかず、辛い思いをしているかもしれません。研究によって、ほどよい本音と建前を使いこなせるサポートができるようになれば理想的ですね」とも話してくれた。もしもそんな未来が訪れたら「嘘も方便」ということわざは、どんな見え方をするのだろうか。そのときを楽しみに待ちたい。

 

 

(編集者・ライター:児嶋美彩)

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