AIが何でも答えてくれる世の中になっても、神様や怪物が活躍する神話・伝承のロマンは色あせない。それは古代の人々の想像力をとおして、世界の驚異を再発見できるからではないだろうか。たとえば大地はどうやって生まれたのか、地震や水害はなぜ起こるのか――こうした驚きや疑問は、現在では地球科学という学問に結実している。
そんな壮大な神話・伝承の世界と地球科学のつながりを学ぶのに格好の場所がある。島根県松江市と出雲市にまたがる「島根半島・宍道湖中海ジオパーク」だ。島根大学で古生物学・地質学を研究し、ジオパークの教育普及活動にも取り組む入月俊明先生に、大地と人がおりなす出雲地方の歴史、そしてジオパークの役割についてたっぷり教えていただいた。
お話を伺った入月俊明先生
「国引き神話」が息づくジオパーク
そもそもジオパークとは、大地や地球を意味する〈geo〉と公園を意味する〈park〉をあわせた言葉だ。「簡単に表現すると、地球科学的に意義のある場所や景観が計画的に保全され、観光や教育などに活用されている地域、ということができるでしょう」と入月先生は教えてくれた。国内のジオパークには日本ジオパーク委員会が認定する日本ジオパークとユネスコが認定する世界ジオパークの2種類があり、日本全国のジオパークの数は2023年3月現在でなんと46箇所にのぼるという。意外に身近な存在のようだ。
そのうちのひとつ、島根半島・宍道湖中海ジオパークは、島根半島と中国山地、その間に挟まれた出雲平野や汽水湖である宍道湖と中海と、さまざまな地形を含むエリアである。島根大学が旗振り役となり、自治体や地域の人々の熱心な取り組みによって2017年に日本ジオパークに認定されたそうだ。そこで一体どんなことが学べるのだろうか?
「島根半島・宍道湖中海ジオパークには、『出雲国風土記の自然と歴史に出合う大地』というサブタイトルがついています。風土記とは、全国各地の文化や歴史、伝承などを記録した書物ですが、そのなかで唯一ほぼ完全な形で内容が現代に伝わっているのが、733年にできた出雲国風土記なのです。島根県には当時記された景観がまだ多く残っていることもあり、出雲国風土記に代表されるような歴史や文化を育んだ大地を地球科学的な視点で見てみよう、というのがこのジオパークのコンセプトとなっています」
スサノオノミコトのヤマタノオロチ退治や国譲り神話をはじめ、超有名な神話・伝承が数多く伝わる出雲地方だが、そのなかでも出雲国風土記に登場する「国引き神話」はとくに地元で親しまれているそうだ。「『くにびきマラソン』に『くにびき国体』、島根ではとにかくいろいろなものに『くにびき』という言葉がつきます」と入月先生。
「国引き神話とは、神様(八束水臣津野命・やつかみずおみつぬのみこと)が国をつくったときに、出雲は小さすぎるので、韓国(新羅の岬)、隠岐島(隠岐・佐岐)、能登半島(越の都都)から4つの土地を綱で引っ張って繋ぎ合わせた……という神話です。このつなぎ合わされた土地が島根半島で、綱を結えつけた山が三瓶山と大山、綱は海岸線になったといわれています」
土地を引っ張ってきてつなげてしまうなんて突飛な発想に思えるが、言われてみれば島根半島の不思議な形、どうやってできたのかとても気になる。それを知るためには、出雲国風土記よりもさらにずっと昔に遡る必要があるそうだ。
神様が海の向こうから土地を引っ張ってきて島根半島を作った!?
地質や地形から見えてくる大地の歴史
入月先生によると、島根半島・宍道湖中海ジオパークの地質学的な個性として、「数千万年前から現在に至るまでの特徴的な地層や岩石を連続的に、比較的コンパクトなエリア内で見ることができること」があるという。まず見てほしいのが出雲地方の地質図。塗り分けられた色だけを見ても、島根半島側と中国山地側、その間に挟まれた平野と宍道湖・中海エリアで組成が全く違うことがわかる。
島根半島・宍道湖中海ジオパークの地質図.入月俊明ほか(2023)島根半島・宍道湖中海ジオパーク(松江・出雲)の岩石・地層パンフレットをもとに改変
この図を頭に入れつつ、時系列に沿ってその成り立ちを教えてもらった。
中国山地側は主に花崗岩からなる古い岩石があり、日本列島がまだ大陸の一部だった頃のものだそうだ。約2000万年前には火山活動によって大地が割れ、湖や川ができた。島根半島を形作っている地層はこれ以降にできたもので、湖や川だった頃の泥の上についたワニの足跡や、スッポンやビーバーの化石も見つかっているという。さらなる火山活動で裂け目は広がり、海水が流れ込んで日本海ができる。
日本海ができる前に川や湖だった地層から発掘された様々な化石
1500万年前頃には、フィリピン海プレートが沈み込むことで現在のように曲がった形の日本列島の形が徐々にできてくる。このときから中国地方は押し上げられるように隆起したそうだ。ジオパークにはこの時期の火山活動などに由来するダイナミックな地形・地質がたくさん残っている。島根半島にある国の天然記念物の「多古の七ツ穴」はその代表だ。それだけではなく、生物相も豊かだったようだ。「東日本の日本海側は当時深い海の底だったため、この時期の化石はあまり産出しないのですが、中国地方の日本海側は海が押し上げられて浅かったため、貝や魚、アシカやアザラシ、クジラの骨といったたくさんの化石が見つかっています」。
火山活動によって複雑に入り組んだ地質が形成され、もろいところが海水に侵食されて洞窟のようになったものが「海食洞」。9つもの海食洞が連なる「多古の七ツ穴」(松江市島根町多古)は巨大な生き物の巣のようにも見えてくる。写真提供:召古裕士氏
「鬼の洗濯板」と呼ばれる海岸地形(松江市島根町須々海海岸)。海底の斜面を砂や泥の混じった乱泥流が流れ降り,砂と泥が交互に重なった層ができ、堆積岩となる。その地層が海面上に隆起し、波の侵食を受けることで細かく割れやすい泥岩の層がへこみ、独特の凸凹が形成される。写真提供:召古裕士氏
1200万年前ごろには、フィリピン海プレートに押された海底がシーツの皺のように隆起して、現在の島根半島にあたる土地が海底から姿を現す。島根半島を南北方向に切って断面を見てみると、地層はぐにゃぐにゃに曲がり(褶曲)、いくつもの断層が走っている。
「この地層の褶曲や断層が、現在見られる山や谷といった地形ときれいに一致しているんです。さらによく見ると、島根半島全体は山と山の間にできたくぼみ(折絶)によって4つのブロックに分かれていることがわかります。古代の人々は、この景観を見て国引き神話を生み出したのではないでしょうか」
山地~平野部~島根半島の断面図。点線は地層が傾いたり、曲がっていること(褶曲)を示し、黒い太線は地層がずれていること(断層)を示す。
島根半島は地形によって4つのサブエリアに分けることができ、それらは4つの土地に相当する。各土地の境目を折絶と呼んでいた。図版提供:島根半島・宍道湖中海(国引き)ジオパーク推進協議会
国引き神話で大陸から土地を引っ張ってきたという点も、4つの土地をつなぎ合わせて島根半島ができているという点も、科学的な仮説と比較してみると当たらずとも遠からずなのだ。神話が真実とは言えないものの、景観から大地の記憶を読み解こうとした古代の人々の想像力にはただただ驚嘆するしかない。
さて、時は下って縄文時代ごろ。海面上昇によって中国山地と島根半島の間に海が入り込み、深い湾ができる。さらに、中国山地から流れ出た土砂が島根半島でせき止められて、平らな砂州や入り江が発達する。これが現在の出雲平野で、山地と半島の間に取り残された海が宍道湖・中海という汽水湖になった。
こうして長い時間のなかで、何度も複雑な過程を経て現在の景観が出来上がってきたのだ。神話や伝承よりもさらに壮大な大地のロマンを感じるのは筆者だけではないだろう。
大地の恵みに支えられた出雲地方の人々の営み
人の営みにも目を向けてみよう。島根半島が大陸から吹きつける北風を防ぐ壁の役割を果たしたため、平野部には人が住み着き、港ができた。古代においては大陸に面した日本海側が交易の拠点となっていたため、いろいろな人が海を渡って出雲平野にたどり着き、住み着くようになる。こうしたなかで豊かな文化が育まれていった。「土砂の堆積によって年々広がってゆく土地、そして海の彼方からやってくる人々との交流から、国引き神話が生まれたのかもしれません」。
島根県の特産品である宍道湖のシジミや出雲蕎麦などの食材は言うに及ばず、出雲地方の伝統産業である製鉄も大地の歴史の上に成り立っている。
日本列島が大陸の一部だった頃の大地を構成する花崗岩は、鉄を多く含んでいる。そのため、出雲地方では花崗岩由来の砂粒の中から砂鉄を取り出して製鉄する技術が発達したそうだ(もののけ姫にも登場する「たたら製鉄」がこれにあたる)。砂粒を洗い流して砂鉄を取り出す鉄穴流し(かんなながし)が行われていたのが、中国山地から宍道湖へと流れ込む斐伊川(ひいかわ)。一説によると、度々氾濫を繰り返して人々を苦しめた斐伊川はあのヤマタノオロチのモデルになったとも言われている。
それだけでなく、製鉄は地形すらも変えてしまう。鉄穴流しで流された砂が斐伊川の河床に大量に溜まったために、周囲の平地よりも海抜が高い「天井川」になっているそうだ。
砂の堆積により天井川となった斐伊川
島根県と関わりの深い石材も大地の恵みの産物だと入月先生。出雲日御碕灯台や美保関灯台をはじめ建材や石畳に使われている森山石は、日本海ができる前の湖や川などに堆積した砂や泥に由来する堆積岩で、島根半島東部で産出する。一方、軟らかくて加工がしやすいため石灯籠や狛犬などに用いられる来待石(きまちいし)は、火山活動が活発だった1400万年前頃に火山灰と砂が混ざって海底に堆積した結果できた堆積岩で、松江市で採掘が行われている。こうした人間の営みもまた、大地の歴史の一部として未来に残っていくのだ。
石造灯台としては日本一の高さを誇り、国の重要文化財にも指定されている出雲日御碕灯台(写真右手)にも森山石が使われている。眼下に広がる大地は、1600万年前の海底下にあった流紋岩の溶岩ドーム(ドーム状の地形をした溶岩)で、柱状節理(溶岩の冷却時の収縮に伴う割れ目)が顕著に発達している。
過去と現在を知り、未来を予測する研究の舞台
島根半島・宍道湖中海ジオパークは学んで楽しむだけでなく、最新の学術研究の舞台でもある。どんな研究が行われているのだろうか。
「私たちが現在主に取り組んでいるのは、宍道湖・中海の湖底の堆積物を採取して縄文・弥生時代の気候変動の様子を調べる研究です。堆積物に含まれるプランクトンや小型底生生物などの非常に小さな化石を調べることで、当時の気温をはじめとする環境変化がわかるのです。中海は過去に干拓事業が行われ、現在またそれをもとに戻そうという動きもあり、人間の活動が環境に及ぼす影響がダイレクトに観察できる貴重なスポットです。過去から現在に至る環境の変化が明らかになれば、私たちの活動が未来の環境に及ぼす影響も予測できるようになるかもしれません。
さらに昔、人間が登場する以前の地質時代に関しては、学生といろいろな場所で化石を採取して環境変化や生物の進化を追っています。たとえば私の研究室所属の博士後期課程のある学生は、日本海に魚類がどのように入ってきて多様化していったのかを化石から明らかにしようとしています。珍しいところでは、日本最古の鮎の化石も島根から見つかっているんですよ」
宍道湖で柱状堆積物を採取する
宍道湖南岸工事現場での化石調査
低地で汽水湖が発達している島根半島・宍道湖中海ジオパークは、とても研究に適した場所なのだそうだ。そんな貴重な学術的基盤を支え、未来に向けた提言を行っていくことが大学の役割なのだと入月先生は語ってくれた。
最後に、ジオパークや身近な景観を楽しむためのポイントは?
「特徴的な景観を目にしたときに、どうしてそんな景観ができたのかを想像してみるといろいろな発見があります。そのとっかかりとして、地元のジオガイドさんに案内してもらうのもいいでしょう。目で見るだけでなく特産品を味わったり、シーカヤックなど体験型のレジャーに挑戦したりと、その土地を五感で楽しんでみてください。
研究者として一番嬉しいのは、風景や地形を入り口にして地球科学に興味を持ってくださることです。高校では地学を教わらなかったという人も多いのですが、地球そのものを扱う大切な学問です。大地の恵みはもちろん、地震や火山活動といった自然災害について知ってうまく付き合っていく上でも、ジオパークを活用していただければと思います」
山々や海岸線、あるいは街なかのちょっとした起伏にも大地のロマンは隠されている。古代の人々になったつもりで想像を膨らませてみてはいかがだろうか。