“北極”と聞いて思い浮かぶのは? ホッキョクグマ、犬ぞり、探検家、真っ白い氷の世界……でしょうか。でも、何年も前から「北極の氷が融けている」といわれており、どうもイメージとは様子が変わってきているようです。自分では決して行くことのない場所だけに、余計に興味が募るもの。北極のリアルを知りたくて、北海道大学水産学部の公開講座「凍る海のふしぎ」にオンライン参加しました。
(トップ画像:16 Aug 2020 (C) S. Graupner)
今回の講師、野村大樹先生(北海道大学 北方生物圏フィールド科学センター 准教授)
北極海の海氷が減ると、地球温暖化がさらに進むことに
「凍る海のふしぎ」は、北海道大学水産学部公開講座「海をまるごとサイエンス!」(全5回)の第1回講座。北方生物圏フィールド科学センターの野村大樹准教授が講師を務めました。野村先生は北極や南極など極域研究が専門。今回の講座も、実際に数ヵ月間にわたり北極に滞在して行った研究をもとにしているとのことで、北極での生活も垣間見られるとワクワクしました。
野村先生が参加したのは、MOSAiC(モザイク)計画。北極海の海氷現象(海水が凍る現象)が引き起こす地球規模の影響について研究するというプロジェクトです。
プロジェクトについて触れる前に、1980年から2016年にかけて、北極海の海氷の面積を調べたデータが紹介されました。それによると、最も氷が少なくなる夏(9月ごろ)も、最も氷が多くなる冬(3月ごろ)も、どちらも明らかに右肩下がりになっています。
「海氷が減っているのは夏だけじゃない。これが重要です。夏に温度が上がって、冬になっても温度が下がらず、氷ができにくくなっている。北極海の海氷は、凍りにくく、かつ、融けやすくなっているのです」と野村先生は説明しました。
北極の氷が減っているとは知ってはいましたが、こうしてデータで示されると思っている以上に深刻な状況なのでは?と危機感を覚えます。衛星写真はさらに衝撃的です。1980年に比べると、2016年の写真では北極圏の氷の大きさが半分くらいになっているように見えます。
1980年から現在までの北極海の海氷の現象の様子。グラフ青線が3月、赤線が9月の海氷の面積を示している
海氷には、太陽光を宇宙に跳ね返すことで温暖化を防ぐ役割があります。その他に、「氷ができるプロセスも重要」と野村先生。液体は塩分などの不純物がないところから凍るため、海氷に含まれなかった塩分や栄養によって、その周囲の海水の比重が大きくなり、深く沈み込むことで循環が起こります。ところが、海が凍らなくなるとその循環もなくなります。海に栄養が循環しなくなるとプランクトンが減り、魚が減り……。私たちの食生活にも影響が出てくるのだそうです。
MOSAiC計画は、温暖化防止にも海の循環にも大きな役割を持つ北極海の海氷を調べるために行われました。ドイツの砕氷船を北極海の氷原に閉じ込めた状態で、2019年9月から2020年10月にわたってフィールド観測を行うというもの。世界20ヵ国から合計440人の研究者が参加した、史上最大規模の北極海研究観測でした。野村先生は「1年以上にわたって氷の中で観測できるという夢のような研究」だと、MOSAiC計画を表現。同様の研究観測が以前に行われたのは、もう30年も前になるというので、いかに貴重な計画だったかがわかります。
ほとんど外部との接触はなく、船で寝起きし、氷の世界に閉じこもって研究に没頭する。宇宙ステーションで生活するようなものでしょうか。筆者は何の研究もできませんが、非日常的な環境で長期間過ごすという経験には憧れます。もっとも、研究者であっても期間中ずっと北極海にいるのは仕事や家庭の都合上なかなか難しく、ほとんどの研究者は交代しながらの参加。野村先生が参加したのも、2020年7月から10月でした。
もともとMOSAiC計画では、砕氷船はつねに氷原内に位置するようにし、海氷とともに南下する予定でした。ところが、野村先生が現地に行ったときには、砕氷船は氷原から出てしまっていたそうです。これも海氷の融け方が早いからなのでしょう。大急ぎで北上し、船を係留できる海氷を探したといいます。
写真を見ると、海氷の上にはところどころにメルトポンドと呼ばれる水たまりができ、川のようになった場所もありました。雨が降ると一気に海氷が融け、さらに水たまりが広がるのだとか。北極海に雨が降るとか、海氷の上にも水たまりや川ができるなんて、自分にとっては意外な話ばかりで驚きましたが、考えてみれば地球上どこでも雨が降る可能性はあるわけですね。
メルトポンドを調査する観測隊員
楽しかった氷の上の生活。ホッキョクグマに研究を邪魔されることも
北極海での研究生活は、どのようなものだったのでしょうか。
海氷の上・下・内部に観測機材を取り付けてデータを取ったり、ヘリコプターやドローンで上空から撮影したり、船から歩いていける場所にステーションをつくって定期的に観測したり。野村先生は、なんと水深4211メートルの地点から海水を採取したのだとか。
メルトポンドについても新たな発見があったといいます。
「メルトポンドから、オキアミの死骸や珪藻が見つかりました。ただの水たまりだと思っていましたが、実はメルトポンド内で生物が死んだり生まれたりしている。この生物によって、海洋や大気との間で二酸化炭素循環が起きていることがわかりました」と野村先生。メルトポンドのサンプル採取には、野村先生が日本から持って行った「おたま」が活躍したとか。そんな話を聞くと、難しそうな研究もちょっとだけ親しみが湧いてきます。
また、ホッキョクグマに研究を邪魔されたこともあったといいます。大切な機材がホッキョクグマにかじられていたり、ホッキョクグマが近くにいるせいで船から降りることができなかったことも。そんなときは、ホッキョクグマがどこかに行ってしまうのを待つしかないそうで、3、4日外に出られなかったこともあったとのこと。「貴重な研究時間を削られた」と野村先生。映画やドラマの撮影では雨待ち・晴れ待ちという言い方をしますが、熊待ちをするなんて北極海ならではですね。
野村先生は、砕氷船内での生活の様子も紹介してくれました。長期間にわたる船内生活で、食べ物をどうするのかは気になるところ。もちろん、最初から1年分の水や食料を船に積んでおくわけにはいかないので、途中で何度かロシアやスウェーデンから砕氷船で補給に来たそうです。水や食料、そして、ドイツの砕氷船なのでやはりドイツビールもたっぷり補給。同時に、研究者の交代も行います。
船内のトイレやシャワーはごく普通に使えて快適で、さらにサウナや水風呂も完備。野村先生もよく利用して、研究で疲れた心身をリフレッシュしていたそうです。
氷の上での生活はすべてが楽しかったという野村先生。ドイツビールはおいしくて飲みまくったと話しましたが、食べ物だけは少し苦労したようです。料理は基本的にドイツ料理で、ハムやニシンの酢漬けが毎晩のように出ていたとのこと。
「ドイツ料理はおいしいのですが、毎日ハムばかりだと……。酒の肴にはよいのですけども」と、持ち込んだ日本食でしのいでいたと話しました。
数々の課題を乗り越えながら極域で生活することも、MOSAiCに課せられた挑戦のひとつだ
今回の講座では、簡単には行けない北極海での研究について、裏話を交えながらお話いただき、地球温暖化について改めて考える機会にもなりました。講座の最後に野村先生は「今、北極海がどういう状況にあるのか、しっかり調べて伝えていきたい」とおっしゃりました。地球は温暖化していないとする説もありますが、今回紹介されたデータを見る限り、北極海の海氷が減っているのは一目瞭然です。決して他人事でなく、遠い未来の出来事でもありません。真剣に考えなければいけないことだと感じました。
なお、凍る海の話や海氷の役割、北極海観測の話などは、野村先生の著書『凍る海の不思議 インドア派研究者の極域奮闘記』(北水ブックス)にまとめられています。興味のある方はぜひご覧ください。