江戸時代、長崎の平戸や出島を通じて交易を始めた日本とオランダ。その後、シーボルトが出島からオランダのライデンに帰ったことから、ライデンは西洋における日本研究の中心地となりました。世界で初めて日本研究の学科が設置されたのもライデン大学だと言われています。そこで非常勤講師を務める鈴木隆秀さんは、大学3年生(日本の大学4年生に当たる)を対象に「Business Japanese(ビジネス日本語)」を教えています。大学1年生で40%近くが落第するという厳しいオランダの大学で、鈴木さんが見た教育の本質を探ります。
授業は100%日本語、習慣や考え方をディスカッション
――9月から新学期が始まりましたね。
コロナの影響で昨年度は大学の授業がすべてオンラインでしたが、この新学期で初めて対面授業が再開されています。やっとキャンパスライフが始まって、大学の街であるライデンは賑やかさを取り戻していますね。
――ライデンの大学について教えてください。
学士号が取れるという意味でいうと、オランダの大学は「WO(研究大学)」と実務のための教育に主眼が置かれている「HBO(高等職業教育機関)」に分けられます。「Universiteit」と名前がついている、いわゆる研究大学はオランダに14校あるそうですが、その中でもライデン大学は1575年に設立された最も古い大学です。
『大鏡』より大学の建物に刻まれた菅原道真の短歌。
シーボルト時代の1830年植樹のケヤキ。丁寧に手入れされています。
1575年というと日本では織田信長が鉄砲を導入したとして有名な「長篠の戦い」があった年です。その後、シーボルトが長崎の出島からライデンに移ったことが当地の日本研究の礎となったと言われています。大学附属の植物園には、今もシーボルトの時代に植えられたケヤキやフジなどが元気に枝を伸ばしていますよ。
また、幕末には西周や津田真道が幕府の留学生としてライデン大学で学んだこともよく知られています。西周は日本への帰国後に「哲学」「知識」「科学」「芸術」などの言葉を創り出した人物ですが、もしかしたらそれはライデン大学で学んだことに端を発しているのかもしれない、なんて考えると、ライデン大学と日本にはただならぬ結びつきがあるようにも感じられます。
現在はというと、医学部や法学部などに日本からの研究者が来ていたり、博士課程、修士課程、各学部に在籍している日本人がいたり、日本各地の大学からの交換留学生もよく見かけます。日本人の教員も案外いて、人文学部のキャンパスでは日本語を耳にするのもめずらしいことではありません。
ライデン大学のシンボル「アカデミーヘボウ」。もともとは1447年に建設された修道院。
――鈴木さんがライデン大学に勤められたきっかけは?
日本では18年間テレビ局に勤務し、番組制作や広告枠を販売する営業、報道記者を経験しました。その後2016年にオランダのライデンに移住したんですが、しばらくして、ライデン大学で開講していた「Business Japanese」の担当講師に応募してみないか、と声をかけてもらって履歴書を提出したのがきっかけです。私自身、大学時代に日本文化と日本語を専攻していたこと、またそれまでの社会経験を評価してもらったのかなと想像しますが、大学時代、日本語の先生になりたかった夢がこのような形で叶うとは思ってもいなかったので、不思議なご縁を感じました。
――鈴木さんが担当されている「Business Japanese」はどんな講座ですか?
授業の内容は大きく2つに分かれていて、一つは実務的な語学のパートですね。例えば、敬語の使い方や仕事の電話で使う日本語などというものです。もう一つは、日本人の仕事における行動様式や考え方を理解してもらうパートです。
例えば「サービス残業」や「根回し」などという言葉をキーワードにして、最近の記事を読んで、日本人がどんな考えでその行動を取っているのかとディスカッションしたり、さまざまな見方を紹介したりしています。毎回、「その考え方は理解できる」とか「よくわからない」とかいろいろな反応があって、それは私もやりがいを感じる部分ですね。オランダ人の学生にしてみれば、日本はやはり「東洋の不思議な国」なのかなと感じさせられることも多いです。
授業の一コマ。この日のテーマは「サービス残業」。
――何人ぐらい、どんな人たちが受講していますか?
約60人の学生が3つのグループに分かれて受講しています。あくまで語学の講座なので、1つのグループが大きくなりすぎないように設定されています。学生の顔ぶれもさまざまですよ。ストレートで大学に入ってきている人は全体の3割くらいじゃないかと思います。オランダの場合、小学校で留年するケースもよくあるので、数年ずれている人もいますし、中学高校で大学進学コースでない学校に進んだ人が、やはり大学で勉強したいと回り道してきて、20代後半で大学3年生を迎えているという方も少なくないんですね。退職して大学に入り直しているような方も毎年1人くらいはいますね。日本研究の学生は、マンガや歴史、料理などがきっかけで日本に興味を持つ人が多いようです。
――授業は英語とかオランダ語になるんですか?
私が大学で担当している講座は、全て日本語で授業をしています。3年時の私の授業を受けるまでに、多くの学生は日本語がペラペラになっているんですよ。授業では実際の記事などを参照しながら、例えば「年功序列」とか「板挟み」のような、オランダ人の学生にはわかりにくいような言葉も当たり前のように使っています。
私は大人向けのカルチャースクールでもいくつかの日本語クラスを担当しているんですが、一般的な日本語のクラスと比べて、また外国語としての日本語であることを考えると「Business Japanese」の授業はかなりハードルが高いと思います。大学として単位を出す正規の講座なので、当然と言えば当然なのですが。私自身は、相手が日本語学習者だからといってあまり手加減することなく、なるべく自然に聞こえるような日本語を話すように努めています。
ライデン大学では、講座の全ての授業が終わると、講師に学生からの授業評価が届く仕組みになっているんですが、実務的でよかったと評価してくれる方もいれば、日本語の説明が難しくてわからないという評価もあって、毎年その成績表をもらっては一喜一憂しています。
板書もすべて日本語。白熱すると、身振りが大きくなりがちと鈴木さん。
今学期最初の授業では、着物のジャケットで登壇。
1年で約40%がドロップアウト、詰め込み勉強は自分で。
――ゼロから始めて、3年生でそこまで日本語ができているのはすごいですね。
日本語の知識がゼロだった人たちがたった3年で大人となんとか議論ができるレベルに到達する、というのはそれだけ家で勉強しているんだと思います。日本研究の学生は1年生の段階で、ひらがな・カタカナは1か月でマスターさせられて、漢字もかなりの数を覚えなければなりません。ものすごく詰め込まれていると思うのですが、その詰め込みは学びの前提であって、大学のカリキュラムはさらに高度な学びのために構成されているとも感じます。
私自身はオランダにもう5年もいるのに、英語もオランダ語もあまり上達していないので、その点からもオランダの学生は本当にすごいなと、心から尊敬しています。
――進級もかなり厳しいんでしょうか?
1年生の時点で40%近くがドロップアウトすると聞いています。授業についてこれないと容赦なく「さよなら」なんですよね。おそらく卒業できないであろう学生を放置しておくと、本人にとっても大学にとっても不幸な結果を招くので、早めに軌道修正できるように、との配慮から取られている措置だと聞いたことがあります。これはライデン大学に限らず、オランダの大学ならどこに行ってもその傾向があると思います。1年で落第してしまった学生は、専攻を変えたり、大学を中退したりすることになるようです。
私の講座は3年生向けなので、卒業間近という段階ですが、それでもテストに合格しない人を通すわけにはいきません。オランダの大学では「テストは6割取れれば合格」という考え方があって、100点満点のテストでは55点を取れれば四捨五入して6割に達するので合格ですが、54点だと失格です。追試もありますが、そこで53点、54点だとかわいそうですが、どうしようもないんですね。残念ながらテストに合格できない学生も毎年何人か出てきます。そういう方は留年して、翌年また受講しに来ます。
留年した学生の中には、年度の初めに「今年は絶対に卒業したいので、どうしたら単位が取れるかアドバイスをください」などとメールを送ってきたりして、目の色を変えて課題に取り組む学生を毎年複数見かけます。そういう方々はきちんと合格して卒業していきますよ。
日本研究専攻3年生のみなさん。
――学生がみなさん優秀なんですね。
卒論のテーマを聞くと、そう感じますね。例えば、「日本の高齢者の万引き」について書いた学生がいたり、日本企業で女性が直面する「ガラスの天井」について書いた学生がいたり。オランダ人の大学生ですよ(笑)。日本人の大学生でもそこまで調べたら大したもんだ、というテーマをオランダ人の学生が当たり前のように取り上げていることに、いつも驚かされます。ちなみに「高齢者の万引き」をテーマにした方は、日本研究と同時に法律の「犯罪学」を専攻していて、それぞれの専攻をうまく掛け合わせた卒論を書いていたようです。このように「法学と日本研究」、「日本研究と薬学」など、二つの専攻を学ぶ「ダブルメジャー」の学生もよく見かけます。
「やりたい」を尊重するオランダの教育
――何のために大学に行くのか。
日本では「まずは大学を出てから」みたいなところがあるじゃないですか。大学に行くこと自体が目的になっている、というんでしょうか。オランダの場合は「大学を出たから偉い」という価値観はあまりないと思います。社会でも他人を評価する意味合いで「あの人はどこどこの大学を出ている」ということはほとんど聞かないですし、実際にそれで評価が上がったり下がったりすることもあまりないと思います。
日本では本人がやりたいかやりたくないかにかかわらず、「いい大学に行かせたい」という親の願望や「いい大学に行かないと」という周りからのプレッシャーが強いような気がするんですが、オランダでは「あなたはどうしたいの?大学に行きたいんだったら、何年かかっても応援するよ」「行きたくないのに行ってもしょうがないよね。それなら止めよう」と個人の意思を尊重する価値観の方が強いように思います。
親が子どもに期待するのはどこの国でも同じだと思いますが、「僕は勉強したい」「僕は働きたい」という意思はあくまで個人のもの、というのがオランダでの一般的な認識ではないかと思います。
人文学部のキャンパスLIPSIUSのエントランス。
LIPSIUSのカフェで人気のクロケットとパン。
デン・ハーグキャンパスのカフェではビールが飲めるという。
――オランダは「子どもの幸福度が高い」と日本では注目されていますが、それをライデン大学の学生に感じることはありますか?
勉強方法というか、学習環境が小学校・中学高校・大学で大きく変わることもあって、子ども時代の幸福度の高さを大学生に感じるかと言われてもあまりピンと来ないというのが正直なところです。
オランダの小学生はほとんど宿題がないし、休みもたくさんあるし、すごく自由で子どもらしい時間を過ごせる時期だとされているんですね。日本でよく注目されているのは、オランダのこの初等教育の部分ですが、これが中学高校になると状況は一変します。とくに大学進学コースの「ヒムナジウム」に行けば、英語、ドイツ語、フランス語のほかに、ギリシャ語やラテン語もあります。
オランダの中学高校に通っている日本語補習校の中学生たちに聞くと、中学高校の6年間はみんな本当に大変で、寝る間もないんだと言いますよ。日本でよく言われるオランダの「宿題のない世界」というのは小学校の間だけで、その後はかなり大変なようです。大学に行くようになって、ようやく自分のやりたいことがある程度自由にできるようになるので、大学での勉強が厳しくてもやりがいをもって打ち込めるんじゃないでしょうか。
――中学、高校は意外と詰め込み教育なんですね。
そう聞きます。ただ、幸福度の高さ、との関連であえて言うなら、12歳まで小学校で自由にやってきて、自主的にやりたいことをやるという姿勢は、あとあと効いてくるような気がします。中学高校でみっちり詰め込まれた後で「はい、じゃあここからは自由ですよ」と言われた時に、すぐに動き出せるというか。「どうしていいか分からない」みたいなことにはならないんじゃないでしょうか。やってみて「ちょっと違うな」と思えば自分で変えられるので、大学で専攻を変えるのがめずらしいことではないというのも、こういうところからきているのかもしれないですね。
それから、子ども時代に「焦らされていない」ことが、大学生になって生きてくるのかもしれません。小学校での留年がめずらしいことではなく、「一浪」とか「一留」とかいう言葉もありませんし、何歳までに就職しなくちゃいけない、という世間のプレッシャーもありません。焦らされているとやっぱり、「やりたいことを見つけなきゃ」とか「卒論どうしよう」とか思ってしまうものですが、誰も尻を叩いていない。やりたいことを見つけるのはあくまで自分だということで、オランダでは、自分でやりたいことを見つけられるかどうかが何より大事なのではないかなと思います。
キャンパス前には自転車がぎっしり並ぶ。
――自主性がすごく重んじられている感じですね。
卒論のテーマにしても、自分で見つけてくるわけですよね。先生に「何の卒論を書いていいか分からないです」みたいな人は少ない印象です。私の講座でも、最初に「卒論でやりたいテーマは何ですか」なんて聞くと、全員がはっきり答えられるんですよ。「自民党の権力」とか、「かんざしのデザイン」とか、「東京裁判の考察」とか、みんな持っているんです。「分かりません」ということがほとんどないんです。そういうのを見つけるのが大学での学びであって、それを目的に来ているんだ、という意志を感じますよね。
――日本研究の卒業生の進路は?
あまり把握していないんですが、人それぞれですね。オランダの大学は3年制で、早ければ4年で修士が取れるので、修士課程に進む学生も多いです。
日本企業に就職する人は毎年数人いるかいないか、だと思います。もちろん成績や日本語力にもよりますが、卒業生を思い浮かべてみると、大使館で働く人とか、日本との取引をつくって自分で起業している人とか、日本の大学院に留学する人とか、十人十色です。
日本に全然関係のない会社に勤める人も多いですよ。それを聞くと、「せっかくそこまで日本語を勉強したのにもったいない」などと思うのですが、「いやいや、日本語はただ好きでやっていただけだから」みたいなことを学生に言われると、私はまだまだ「自分の知識やスキルを貨幣価値に置き換えて、それを最大化するのが当然」というような、悪しき効率主義に染まっているんだなと感じます。
年齢もさまざま、紆余曲折を経た学生のみなさんが好きなことを積極的に、ただしハイペースで高度な内容を要求されながら、厳しい環境で学んでいる姿を見ると、「学力」ではなく「学ぶ力」や「学ぼうとする力」こそが大事で、それが巡り巡って社会にもたらす効果は大きいと感じます。それはライデン大学で日本語や日本文化を学んだから何かに役立てる、というような短絡的なことではなくて、「学ぶこと」そのものに価値を見出し、学びの経験や応用を通じて広く社会に還元していくというか、つまるところ、より大きな視野で「学び」の価値を最大化することにつながっているのかなと思います。これはオランダの社会に、「学びたい」という一人ひとりの思いを見守り育んでくれる懐の深さがあるからこそ実現できていることのようにも見えます。
私の長男は今年、オランダの小学校に通い始めたばかりですが、これからどのように学んでいくのかとても楽しみです。私自身も日本語、オランダ語、そしてオランダの社会について、もっともっと学んでいくつもりです。
天気が良い日の昼休みは、運河沿いのテラスが人気スポット。