ほとんど0円大学 おとなも大学を使っっちゃおう

  • date:2023.9.26
  • author:鈴木 絢子

「エビデンス偏重」に物申す! 大阪大学・異分野の研究者が本音で語る「客観性の落とし穴」とは。

AIを使ったフェイクニュースの増加も取り沙汰される昨今。あなたは未知の情報の正確性を、何をよすがに判断していますか? 科学的根拠などの「客観性」を重視する人も多いと思いますが、今回の講座では「客観性の“落とし穴”」をテーマにするといいます。えっ、客観性があればそれでいいわけじゃないってこと? 落とし穴って一体どこにあるんだろう? そんな疑問を解決すべく、8月25日に開催された講座を受講してみました。

敵か味方か? 質的アプローチと量的アプローチの関係

SpringX超学校とは、さまざまな分野のスペシャリストから学び、対話するプログラム。グランフロント大阪北館2SpringXで開催されているこの講座を、オンラインで視聴しました。

 

今回ご紹介するのは「エビデンスと共に考える『いのち』と『くらし』を豊かにする講座」シリーズ、第5回「客観性の落とし穴?」です。講師は、大阪大学大学院人間科学研究科教授の村上靖彦先生と三浦麻子先生。さっそく村上先生が、6月に上梓した書籍『客観性の落とし穴』(ちくまプリマー新書)の内容を紹介しながら、今回の対談の意図を語りました。

 

村上先生の専門は哲学、現象学(基礎精神病理学・精神分析学博士)。医療現場や貧困地区の子育て支援の現場などで当事者にインタビューを実施し、個々の経験を重視することで社会的・文化的背景の理解を深める質的な研究を行っています。

 

「僕自身はインタビューや参与観察の手法で研究を続けていて、一人のインタビューで本を書くこともあります。でもこれについて『サンプルが少なすぎる』とか『一人だけのコメントでは客観性が足りない』とか言われることがあるんです。客観性が足りないことは悪なのか。この疑問が、僕が本を書いた動機でした」

書籍を手にする村上先生。「先生の言っていることに客観的な妥当性はあるのですか?」という学生の指摘に違和感をもったことも、執筆のきっかけに

書籍を手にする村上先生。「先生の言っていることに客観的な妥当性はあるのですか?」という学生の指摘に違和感をもったことも、執筆のきっかけに

 

エビデンスが示せる量的アプローチでなければ客観性がないと思われ、客観性がないと思われれば「それってあなたの感想ですよね」なんて、どこかで聞いたような言葉で切り捨てられてしまう――そんな機会が増えたことに、村上先生は危機感を抱いたのかもしれません。

 

「例えば偏差値は客観的データですが、それだけで人をジャッジするような今の社会の風潮は、いわゆる優生思想の発想に行きつくおそれもあると思います。客観性のみで真理をつかまえられると考える人がいるのなら、それは違うんじゃないかと思うんですが……三浦先生、どうでしょうか?」

村上先生がこう疑問を投げかけた相手は、同じく大阪大学大学院で教授を務める三浦麻子先生。ビッグデータやテキストマイニングなどを用いた社会心理学を専門としています。

村上先生と三浦先生。研究者同士の議論もみどころ

村上先生と三浦先生。研究者同士の議論もみどころ

 

ちょっと難しいですが、社会のあり方を「傾向や分布がわかるたくさんの客観的データ=量的アプローチ」で研究する三浦先生に、「少ないけれどじっくり掘り下げた、当事者性のあるデータ=質的アプローチ」という、正反対ともみえる方法をとる村上先生が意見を求めた、というわけです。二人とも大阪大学感染症総合教育研究拠点の教授も兼任しており、2020年以来のコロナ禍に共同研究を行ったそうです。

三浦先生が扱うのはスライドにあるようなデータ。左の『異なる景色』は村上先生と共同研究を行ったインタビュー調査

三浦先生が扱うのはスライドにあるようなデータ。左の『異なる景色』は村上先生と共同研究を行ったインタビュー調査

 

村上先生の問いに対し、「もちろん私も、量的データだけが正しいなんて思っていません」と答える三浦先生。

「この複雑なコロナ禍を、客観的な量的アプローチだけで読み解くのは無理だと確信していました。だからこそ村上先生に共同研究をお願いしたわけで、質的研究と量的研究は敵同士なんかではなく、どちらもなくてはならない両輪だと思いますよ」

愚問だと言わんばかりに、データやエビデンスばかりを偏重することを否定しました。その一刀両断ぶりは清々しいほどですが、しかし三浦先生自身も「落とし穴」を感じることがあるようです。

 

「統計的手法でものごとを数値化することを初めて経験した学生が、瞬間的に『無双状態』になるのをよく目にします。まずは分布を見ろといつも言っているのですが、“回帰分析”とか、いきなり難しいことをやりたがるんですよね。こうした例からも、数値のエビデンスが人の心をつかむのに利用されやすい側面はあるかもしれないと思っています」

 

新しいことを覚えたときに万能感を覚える気持ちは、わかる人も多いはずです。まして量的アプローチで扱う膨大な数のデータを使いこなすことができたら、ひょっとすると神様のような感覚になってしまうのかもしれません。データ自身に罪はなくても、使い方が悪ければ…というリスクについて、三浦先生はさらに語ります。

 

「でも実は、人を動かすには、数値よりも、言葉は悪いですがお涙ちょうだい的なエピソードのほうが効果的であることもわかっているんです。問題は量的か質的かといった測定方法ではなく、悪意とデータが結びつき、誤った使い道で利用されることです。私は世の中は数値だけでは測れないということを学生に伝えたいと思っているし、優生思想のような考え方が正しくないと知らしめるためにこそ量的研究があると考えています」

真実はいつもひとつ!――ではない、複雑な現実の世界

村上先生はここまでの話を受けて、「三浦先生は『まず分布を』と指導されているそうですが、そこに注目すると何が見えるのでしょう?」と尋ねました。そこは確かに気になるところ。専門家でない限り、集めたデータの読み解き方さえ想像しにくいのではないでしょうか。そして量が膨大になるほど個のイメージがぼんやりし、数字以外の「意味」が薄まってしまうような……。村上先生もその点が気になったようです。

 

「例えば同じ診断名の人を集めても、30人いれば30通りの全然違った経験があるはず。僕はその個別性と、マイナーな属性に注目して研究しているのですが――」

30人の対象者を「30のサンプルサイズ」と捉えてしまうと見えなくなるものがあるとしたら、その見えなくなるものこそが、村上先生の着目したいものなのでしょう。この問いに三浦先生は、「量的統計でこそ見えるマイノリティーもいる」と答えました。

 

「分布を見ることで、平均から外れた層が少なからずいることがわかります。コロナ禍の調査でいえば、感染対策を絶対にしない人たちの割合は岩盤のように動かなかった。少数派のすべてをつかむにはもちろん足りない部分もあると思いますが、『こんな風に人々の意見が分散しているんだ』という全体像をつかみ、多様であることを可視化することが重要なのです」

 

確かに少数派の存在をつかむには、多数派のあり方も理解しておく必要があります。村上先生も「僕のやっていることは、スコープが小さくて限定的なこと。例えば西成でインタビューをしたときは、貧困の統計データを読み込んでから行いました。客観的数値のデータの上に乗っかる形で僕の研究があるわけですもんね」とうなずきました。

 

質的研究と量的研究は反対のものであるかのように始まったこの対談ですが、実は互いに補い合うべきもので、むしろ敵ではなく味方同士であることがわかってきた気がします。

 

「三浦先生と話していて気付いたのは、質と量の視点をごちゃごちゃにして考えることがまずいんだということです。方法論の違いで見えてくるものは変わるし、そもそも僕は真理は多様なものだと思っています。悪意とデータが結びついてしまうことは、質的データでももちろん起きている。そこは世界観というか、倫理観といってもいいと思うのですが、それを研究者がどう提示するかがすごく大事なんだなと」

 

当事者性を重視する村上先生の調査では、現場に近いあまり、「正しくない世界観」に飲まれてしまうこともあるといいます。貧困層や病気の人の周囲には多くの支援者がいて、本人や支援者の考え方に偏りがあると、研究もそれに引っ張られるリスクがあるのだとか。村上先生は言葉を選びながら説明しましたが、そうした事態を防ぐために必要なものは、やはり「客観性」なのではないでしょうか。三浦先生も「私たちの手法はどちらも必要で、研究の両輪であるべき」と何度も繰り返しました。

「今日は学びがありました」と締めくくる村上先生に三浦先生が「そんな学生みたいなこと言わないの!」と返し、会場では笑いが起こりました

「今日は学びがありました」と締めくくる村上先生に三浦先生が「そんな学生みたいなこと言わないの!」と返し、会場では笑いが起こりました

 

この日二人の意見が合った一番大きなポイントは「真実は一種類ではない」ということでした。印象的だったのは三浦先生の「教え子でも『このデータは客観的に測定したんだから妥当性がありますよね?』なんて聞いてくる学生もいます。でも、妥当性が必ずあるなんていうことは甚だしい誤解」という言葉。私たちは、ともすると学問に「唯一の正解」を期待してしまいがちです。揺らがないはずの数値データならなおさら、そこに単純明快な答えがあると思ってしまうのではないでしょうか。不安なときほどその傾向は強くなり、コロナ禍には、手探りを続ける研究者よりも「何かを迷いなく断言してくれる人」の言葉が求められたように思います。

 

しかしこの率直な対談を聞いて感じたのは、研究者こそ悩んで迷って、多様で複雑な世界と向き合っているということ。客観性や数値データによる「エビデンス」を、複雑な世界を単純化するための道具程度に考えるなら、それこそ三浦先生の言う「甚だしい誤解」なのではないでしょうか。村上先生の考える「落とし穴」も、同じようなところにありそうです。

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