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  • date:2023.1.26
  • author:岡本晃大

名古屋大学と南山大学の博物館連携講座で学ぶ、快適な洞窟暮らしの始め方

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原始時代の生活というと、なんとなく洞窟暮らしを想像する人は多いと思う。これはフィクションの影響も大きいのだろうが、実際、日本でも縄文時代には洞窟や岩陰を住居として生活していた人たちがいたようである。

でも、具体的にはどんな生活をしていたのだろう?

そんな疑問に答えてもらうべく、名古屋大学博物館・南山大学人類学博物館連携講座・第3回「岐阜の縄文人に学ぶ洞窟・岩陰での暮らし方-九合洞窟と根方岩陰-」をオンラインで聴講した。

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加藤大智先生(南山大学大学院人間文化研究科)

 

前半の講義をしてくださるのは南山大学大学院の加藤大智先生だ。岐阜県高山市の根方岩陰遺跡(ごんぼういわかげいせき)を例にとり、どんな資源をどれだけ使っていたか、またそれが時間の経過とともにどう変化してきたのかを整理することで洞窟生活の実態に迫る。

廣瀬允人先生(木曽広域連合・埋蔵文化財調査室)

廣瀬允人先生(木曽広域連合・埋蔵文化財調査室)

 

後半は木曽広域連合・埋蔵文化財調査室・廣瀬允人先生による九合洞窟遺跡(くごうどうくついせき)の紹介だ。洞窟・岩陰を「物件」と呼ぶ廣瀬先生の講義を通して、居住に向いた洞窟選びのコツを教えていただく。

この講義を聞けば、明日文明が滅んでもとりあえず住居の確保には困らないかも......!?

長期間にわたる生活の跡が残る根方岩陰遺跡

「縄文時代の住居というと教科書にも載っている竪穴式住居を思い浮かべることが多いと思います」

加藤先生はそう切り出した。たしかに、竪穴式住居は有名だ。ただ、現代でも持ち家・賃貸論争があるように、あえて竪穴式住居を建てない(建てられない)選択をした人々がいたというところから、今回の話が始まるのである。

自分で一から作る住居と比べて洞窟・岩陰が優れているところは、それこそ賃貸物件のようにすでにあるものをそのまま使えるということだ。

岐阜県内の判明している洞窟・岩陰遺跡は約20か所。今回主に紹介する根方岩陰遺跡は高山市の郊外にある。

岐阜県内の判明している洞窟・岩陰遺跡は約20か所。今回主に紹介する根方岩陰遺跡は高山市の郊外にある。

 

●地図はこちら(Google マップ)→ 根方岩陰遺跡

 

根方岩陰遺跡は南山大学が1963年に発掘調査した遺跡だ。発掘前の段階で上に公民館を建てるための工事が入ってしまったため、縄文時代中期より後の層は失われている。さらに層の堆積が不安定であるなどの問題はあるものの、縄文時代の飛騨地方の生活がどのように移り変わってきたのかを知るための貴重な資料であることに変わりはない。

発掘調査時の様子。昔のことなので写真も白黒だ。画像のちょうど真ん中あたりにもともとの地面があったため、岩の色がここを境に上は黒っぽく、下は白っぽくなっている。

発掘調査時の様子。昔のことなので写真も白黒だ。画像のちょうど真ん中あたりにもともとの地面があったため、岩の色がここを境に上は黒っぽく、下は白っぽくなっている。

 

「地層というのは深いところほど古く、浅いところほど新しいわけですが、根方岩陰遺跡では深度220cm位のところを最深部としてそこから上を便宜的にPhase1~Phase5に分けています」

 

具体的には新しい地層から古い地層に向けて

Phase1(縄文時代前期初頭、今から約7000年前~6000年前)

Phase2(縄文時代早期末~前期初頭、約7000年前)

Phase3(縄文時代早期末、約7500年前~7000年前)

Phase4(縄文時代早期後半、約8000年前~7500年前)

Phase5(縄文時代早期中葉、約10000年前~8000年前)

と分けられる。一番地面に近いのがPhase1である。

4000年以上という長期間にわたって使われてきたことで、層ごとの出土品の違いを見ることでこの時代の生活の変遷をたどることができるそうだ。

道具類や動物の骨、さらに貝製品が出土。そこからわかることは?

出土した動物の骨や歯や角。最も多く狩猟されていたのは、今日でも生息数が多いシカとイノシシだ。

出土した動物の骨や歯や角。最も多く狩猟されていたのは、今日でも生息数が多いシカとイノシシだ。

 

いずれの層からもたくさんの動物の骨が出土した。全期間を通じて盛んに利用されていたのはシカとイノシシで、ほかにもクマやカモシカのような大型動物からサル、さらにムササビやウサギといった小型のものに至るまで、幅広く狩猟対象にしていたことがわかったという。

 

「ほかにも食物の加熱などに利用された土器、狩猟に使われた石鏃(せきぞく。矢じりのこと)や獣を解体したり革をなめすのに使うスクレイパー、粘土や貝でできた装身具なども出土しました。こうした多くの家財が出土していることからも、短期的な滞在ではなく長期間そこに住んでいたことがわかります」

 

なるほど、狩猟の途中の仮住まいなどではなく、本格的にここに定住していたというわけか。

出土した石器の材料として利用されていたのが下呂石、チャート、黒曜岩。それぞれ産地から根方岩陰遺跡までの距離が異なるため、利用のされ方にも違いがあるという。

出土した石器の材料として利用されていたのが下呂石、チャート、黒曜岩。それぞれ産地から根方岩陰遺跡までの距離が異なるため、利用のされ方にも違いがあるという。

 

「堆積岩であるチャートが根方岩陰遺跡周辺でも入手できるのと違って、火山岩である下呂石や黒曜岩は離れた場所でしか産出しません。つまり、前述の貝製品が海岸地域から運ばれてきたのと同じように、他地域の産物が流通していたということです」

 

これはすごい!縄文時代といえば地産地消で生活していたイメージがある。しかし、実際はこの頃すでに物のやりとりをするためのネットワークのようなものがあったというわけだ。

入手経路の違いは使い道にも反映されているようで、近場で手に入るチャートは大きな石器、逆に最も遠くから運んでこなければならなかった黒曜岩は小型の石器に使われていたことがわかっているのだそう。またPhase4やPhase5の層からはほとんど出土しなかった黒曜岩が、Phase2やPhase3の層からはスクレイパー類や石鏃として見つかるなど、時期によって利用される石の種類にも差が見られる。

出土品の点数はPhase2でピークを迎える。Phase3で動物の骨類ががくんと減少している原因としては、約7300年前の鬼界カルデラの噴火に伴って放出された鬼界アカホヤ火山灰が影響している可能性が考えられる。鬼界カルデラは薩摩半島(鹿児島県)南方約50kmにある海底火山だが、その噴火によって九州地方の縄文文化に壊滅的な被害を与えただけでなく、飛散した火山灰の痕跡を日本列島のほぼ全域に見ることができる。

出土品の点数はPhase2でピークを迎える。Phase3で動物の骨類ががくんと減少している原因としては、約7300年前の鬼界カルデラの噴火に伴って放出された鬼界アカホヤ火山灰が影響している可能性が考えられる。鬼界カルデラは薩摩半島(鹿児島県)南方約50kmにある海底火山だが、その噴火によって九州地方の縄文文化に壊滅的な被害を与えただけでなく、飛散した火山灰の痕跡を日本列島のほぼ全域に見ることができる。

 

「出土品の数はPhase5で最も少なく、そこから増えていってPhase2で最も多くなります。このことから、Phase5の段階では短期間の利用に限られていたのではないか、そこから時代が進むに従って季節的な利用、さらに定住へと拡大していったのではないかというのが私の推測です」

 

最後に、加藤先生は洞窟・岩陰での暮らし方として

・身近な資源(動植物、チャートetc)を利用すること

・流通品(黒曜岩、貝製品etc)を利用すること

が大切だといって講義をまとめられた。一見相反する指針のようだが、身の回りのもので自給しつつ、遠くから運ばれてきた物を積極的に受け入れることで、縄文文化が洗練され、発展してきたのだろうという印象を受けた。

最後に紹介された洞窟の3Dモデルを構築する技術を見て「あ!」と思った。先日ほとゼロで紹介したバイオフォトグラメトリ(http://hotozero.com/knowledge/kyushu-univ_bio-photogrammetry/)と同じ技術(むしろこちらの地質学的な利用の方が本家)だ。

最後に紹介された洞窟の3Dモデルを構築する技術を見て「あ!」と思った。先日、本サイトで紹介したバイオフォトグラメトリ(http://hotozero.com/knowledge/kyushu-univ_bio-photogrammetry/)と同じ技術(むしろこちらの地質学的な利用の方が本家)だ。

 

縄文人も悩んでいた!物件選び選びのアレコレ

動物考古学を専門とする廣瀬先生。遺跡から発掘された動物遺存体(動物の骨・歯・角などの遺物)を自分で解析することも多いという。そんな先生は洞窟・岩陰を物件と呼ぶ。我々が家やマンションを選ぶときと同じように、縄文人にも居住地選びのこだわりがあったのではないかというのが廣瀬先生の見解だ。

 

「みなさんは物件を選ぶときにどういうことを重視されるでしょうか?間取り、見た目、陽当たりなどでしょうか?ここでは岐阜の縄文人はどういった基準で居住に使う洞窟・岩陰を選んでいたのか、長良川流域の遺跡群を例に考えていきます」

濃尾平野の北側、長良川流域に連なる5つの遺跡群。ただし、東の端にある鹿苑寺岩陰はほとんど調査されていないため今回は除外する。

濃尾平野の北側、長良川流域に連なる5つの遺跡群。ただし、東の端にある鹿苑寺岩陰はほとんど調査されていないため今回は除外する。

 

「九合洞窟、岩井戸岩陰、渡来川北遺跡、港町岩陰の4つの遺跡です。あまり遠く離れた遺跡同士だと条件が違い過ぎるため比較しても意味がないのですが、これらは狭い地域に隣接してあるため好都合でした」

 

手始めに洞窟・岩陰についてそれぞれ開口部の方角を調べたところ、それぞれ南向き、西向き、北向きであることがわかったのだそう(渡来川北遺跡は洞窟や岩陰ではなくオープンな立地の遺跡)。見事にバラバラだ。

九合洞窟遺跡内部を前述のフォトグラメトリで3D化したもの。こうした3D化は内部の空間を直感的に把握するのにとても役立つのだ。その反面、とにかくたくさん写真を撮らないといけないので「2回現地に通ってようやく完成しました」とのこと。

九合洞窟遺跡内部を前述のフォトグラメトリで3D化したもの。こうした3D化は内部の空間を直感的に把握するのにとても役立つのだ。その反面、とにかくたくさん写真を撮らないといけないので「2回現地に通ってようやく完成しました」とのこと。

 

前述の遺跡群の中で、九合洞窟遺跡はもっとも早い縄文時代草創期から利用されていたことがわかっている。

「縄文時代早期に利用され始めた岩井戸岩陰、港町岩陰よりも開始時期が早いこの九合洞窟遺跡に注目することで、縄文人の洞窟・岩陰選びの基準がわかるのではないかと考えました」と廣瀬先生。

 

本州・四国・九州で見られる多くの洞窟・岩陰遺跡は、圧倒的に南向きが人気。

本州・四国・九州で見られる多くの洞窟・岩陰遺跡は、圧倒的に南向きが人気。

 

ここで、本州・四国・九州各地の洞窟・岩陰遺跡の開口方位をまとめた円グラフが提示された。結果は一目瞭然、圧倒的に南向きが人気だ(全部で41ある遺跡のうちの22、実に53.7%。この割合は南西や南東を含めるとさらに増える)「南向きの物件に住みたい」この嗜好は、この1万年ほど変わっていないと見える。

やはり、九合洞窟は日当たりを意識して選定されたんだろうか?南向きではない岩井戸岩陰や渡来川北遺跡は、他によい場所がないからしかたなく使っていたということ?

イノシシの骨が決め手になった!

九合洞窟遺跡の調査は名古屋大学が実施した1950年の第1次調査と1962年の第2次調査の計2回。第1次調査で掘った場所は攪乱(後世の人間の手で遺跡が乱され、出土品の年代がわからなくなること)が激しかったため、発掘された動物遺存体は70年に渡り未整理の状態だった。

 

次に廣瀬先生が注目したのが、60年以上前に行われた九合洞窟遺跡の調査の結果である。この調査では土器は多く出土したが石器の出土は比較的少なかった。また洞窟内で石器を製作した形跡もない。そこで利用されたのが先生の専門でもある動物遺存体だ。

 

「第2次調査で見つかった動物遺存体は数が少なくデータとしては満足できるものではなかったため、未整理の状態で保管されていた第1次調査の出土品を利用することにしました。これまでは攪乱の影響を受けていると考えられていましたが、当時の報告書等を精査した結果、最深部から出土したものについてはその限りではなくデータとして使えると判断したためです」

 

何十年も前の調査で得られたデータを分析し直すなんて考えただけで気が遠くなりそう……。しかし何千年も前のことを調べる考古学者にとっては、そのくらい朝飯前なのかも。

保存されていた動物遺存体はイノシシとシカの骨を中心に様々な生き物を含んでいたが、廣瀬先生がとくに注目したのがイノシシの下顎骨。イノシシの子は決まった季節にしか生まれず、さらに歯の状態を見ることで生まれてからの時間の経過が推測できる。よって、下顎骨を見れば1年の内のおおよそいつ死亡したか(この場合はいつ狩猟されたか)がわかるのである。この個体は冬に狩られたと推定された。

保存されていた動物遺存体はイノシシとシカの骨を中心に様々な生き物を含んでいたが、廣瀬先生がとくに注目したのがイノシシの下顎骨。イノシシの子は決まった季節にしか生まれず、さらに歯の状態を見ることで生まれてからの時間の経過が推測できる。よって、下顎骨を見れば1年の内のおおよそいつ死亡したか(この場合はいつ狩猟されたか)がわかるのである。この個体は冬に狩られたと推定された。

 

「冬に狩られたイノシシが出土したわけですから、この洞窟は少なくとも冬場は利用されていたことになります。そうすると、やはり気になるのは陽当たりです」

 

そこで、冬の南中高度(太陽が真南にきたときの地平線との角度)を調べて洞窟内の日光の差し込み方をシミュレーションしてみた。するとどうだろう。洞窟内の遺物が集中して発見された場所(=日中に人が集まって作業していた場所)には陽が当たっていたことがわかったのである。ここに至って、縄文人が九合洞窟を選んだ理由を探る謎解きにもようやく筋道だった解釈がつけられた。彼らは日当たりのよい場所を求めていたのだ。

西向き、北向きの岩陰は日差しを避けるのに向いている。

西向き、北向きの岩陰は日差しを避けるのに向いている。

 

「じゃあ、西向きや北向きの岩陰はなんに使われていたんだということになりますが、こちらは逆に日差しを避けようとしていたのではないかと考えられます。実際、これらの遺跡の中で遺物が集中している場所は、南側の壁際のような昼間でも日光があたらないところでした」

 

縄文時代早期に入り気候が温暖化していく中で、避暑など利用目的が多様化していったのではないかというのが廣瀬先生の解釈だ。縄文時代の人々は決して場当たり的に居住地を選んでいたのではなく、目的に応じて吟味していたのである。

 

「もし住む洞窟を選ぶなら、季節や目的、居住する人数や標高などいろいろ考えて選ばないといけません」

先生はこのように結論を述べた後「他の話は忘れても構わないんですけど、これだけは覚えて帰ってほしい......」と前置きしてから「洞窟の中で絶対に焚き火をしないでください。最悪一酸化炭素中毒になって死んでしまいます」と言われた。

たしかに、これだけいろいろ説明された後では、洞窟に住んでみたいという気持ちがないといえば嘘になる。ただ、物件選びはあくまで新生活のスタートラインにすぎないのだ。実際に生活する段になれば、さらに多くのノウハウが必要になることは間違いない。そのあたりを縄文人がどう解決していたのか、これからの研究で明らかにされるにちがいない。

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もし洞窟居住文化が今日まで存続していたら......という設定で先生方が作った資料。遊び心があっておもしろいと思うと同時に、「西暦2000年台初期の人類が洞窟で生活していた証拠」として未来の考古学者をおおいに困惑させてくれそうでワクワクするのだった。

もし洞窟居住文化が今日まで存続していたら......という設定で先生方が作った資料。遊び心があっておもしろいと思うと同時に、「西暦2000年台初期の人類が洞窟で生活していた証拠」として未来の考古学者をおおいに困惑させてくれそうでワクワクするのだった。

 


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