大阪大学豊中キャンパスには、ハイキングできる山がある。といっても標高77.3m。この「待兼山」はかつて『枕草子』に登場し、今も大阪大学の前身、旧制浪速高等学校の卒業生や地域住民に親しまれている。そんな歴史ある待兼山を歩く「植物探検隊」イベントに参加した。
予約開始20分で席が埋まることもある「植物探検隊」。春と秋に開催されており、今回(10月末)は30名弱が参加した。栗原佐智子先生(大阪大学21世紀懐徳堂・招へい研究員)の解説を聞きながら山を歩き、大阪大学総合学術博物館に立ち寄った後、講義を聞くという流れだ。
小さな山といえど皆さん山歩きの完全装備。まだ蚊がいるとのことで虫除けスプレーを盛大に吹き付けまくって出発した。
栗原先生が葉の見分け方、植物の魅力を紹介
遊歩道に入ると、キャンパス内とは思えないほど自然豊か!キャンパスの周囲にはモノレールや阪急電車が走りいたって街中なのだが、こんな里山があるとは驚き。いい意味でほったらかし状態なため、かつて植栽された樹木もそのまま残っているのだという。
キンモクセイやカイヅカイブキなどはその代表格で、旧制浪速高等学校時代から残る樹齢90年以上の巨木もあり、近年、昆虫ではアブの新種が発見されるなど貴重な場所だということがわかる。
普段は一般開放されていないこんな山深いところも!
葉の裏にカタツムリ発見♪
この日見た数多くの植物の中から、ほんの少しご紹介。
(左)三角形の実が服に…。くひっつきむしと言われるが、正式にはアレチヌスビトハギ(覚えられない)
(右)セイタカアワダチソウ。道端でもときおり見かける
(左)ゲンノショウコの果実。ミコシグサ。形がおみこしに似ていることからミコシグサとも呼ばれる
(右)くるくるっとした形がかわいいコウヤボウキの花
山歩きと博物館見学が終わったら、講義室で栗原先生によるミニ講義がスタート。
待兼山には弥生時代からから人が出入りし、古墳が発見されているとか、「(恋人などを)待ちかねる」といった歌枕として『枕草子』や和歌にも多数登場したなど、はるか昔から身近な山として親しまれていたことが紹介された。江戸時代の観光案内本にも描かれているのだが、今と違って木がほとんどない!これは木が木材として運び出されていたからだと考えられる。時代はとぶが1919年には大正天皇が行幸した。
山中に残る行幸碑
歴史ばかり聞いていると遠くに感じてしまうが、親しみがわくエピソードもある。
以前、植物探検隊に旧制浪速高校の卒業生が参加した際、先生にいろいろな思い出話を聞かせてくれたそうで…
「GHQに接収されていたことや、木が少なくなったのでどんぐりをまいたとか、当時は松茸がそこら中に生えていて、鍋に入れて食べていたなんてお話も聞きました」。
そこら中に松茸!!いい時代…。
「山に記憶が残っているんです」と栗原先生。「弥生人や清少納言の時代から現代まで、待兼山そのものに魅力があるんですね。植物を見るだけでなくその歴史を知って自然に親しんでほしい」。
“小さな山”という印象が“歴史的な場所”にがらりと変わった。植物探検隊に参加できるチャンスは年2回だが、遊歩道は一般開放されている。これからの季節、街中からすぐのプチハイキングに出かけてみては。
草花に詳しい人にもうれしい植物に関する講義も。この日は「雑草」がテーマ