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  • date:2021.8.5
  • author:岡本晃大

田舎の昔話だけじゃない。関西学院大学の島村先生に聞いた、『ヴァナキュラー』で始める身近な民俗学

セミナーガイド顔写真島村

今回お話を伺った研究者

島村恭則

関西学院大学 社会学部 教授

1967年東京生まれ。沖縄県・宮古島の民俗宗教・シャーマニズム研究から出発し、現在も那覇という都市の複雑な成り立ちに注目した研究を行うほか、大学キャンパス内の都市伝説から韓国の怪談等にいたるまで、多岐にわたるフィールドを調査。著書に『民俗学を生きる』(晃洋書房)、『日本より怖い韓国の怪談』(河出書房新社)、『みんなの民俗学 ヴァナキュラーってなんだ?』(平凡社)などがある。

日本でもっとも有名な民俗学研究といえば、柳田國男が岩手県遠野地方(現在の遠野市)を訪れ、その地域の伝承をまとめた『遠野物語』で間違いないだろう。民俗学にまったく興味のない人でも、その名前は聞いたことがあるのではないだろうか? そのせいか、私たちが民俗学にたいして抱く印象はどうしても「田舎の伝承を調べる学問」というものになってしまいがち。

 

そんな従来の民俗学のもつイメージを、「ヴァナキュラー」という言葉で払拭しようと試みるのが、関西学院大学社会学部の島村恭則先生だ。

 

「『遠野物語』のような研究は民俗学のごく一部なんです。民俗学は本来もっと自由で、カジュアルで、普段の生活で見聞きするものも研究対象にできてしまう学問です」

そう語る島村恭則先生にお話を伺った。

民俗学は覇権主義に対抗するための盾だった

基本的なところから質問させてください。民俗学とはどういうものなのでしょうか?

 

民俗学は18世紀末のドイツで始まった学問です。当時のヨーロッパはフランスやイギリスを中心とした啓蒙主義(非合理的な古い考えや習慣を打破し、科学や理性を重んじる考え方のこと)の時代でした。近代化が比較的遅れていたドイツでは、その影響を受け、流れに乗り遅れるなという掛け声のもと、自分たちの土着のことばや文化を軽視したり否定したりするようになってしまいました。

 

これに対して「いやそれはおかしいだろう」と主張したのがヘルダーという人です。外国のものを取り入れるのもいいけど、もとからあった自分たちの文化も大事にしなくちゃいけないだろうと。彼は最初、ドイツの民謡を集めていたんですが、これが同じような境遇の国々にも広まっていきます。ロシア語の浸食を受けていたバルト三国やフィンランドなどですね。それが各地に広がる過程で、民謡だけでなく民話や祭りや衣食住、その他いろいろなことを記録に残すようになりました。

 

純粋な興味本位で始まったものかと思ってました! 自分たちの文化を守るための運動だったんですね。

 

啓蒙主義や覇権主義(フランスやイギリスなど大国が強大な権力を拡張させようとすること)への対抗ですね。なので、ヨーロッパで民俗学が盛んな国というのはどちらかというと小国だったり、大きな国の中でも例えばフランスのブルターニュ地方とか、イギリスのスコットランド・ウェールズ・アイルランド(19世紀当時。後にイギリスから独立)のような周縁的な地域でした。

 

調査対象が人間の生活であるところやフィールドワークを中心にすえているところが、素人目には文化人類学と似ているような気もします。

 

たしかに、やっていることだけを見ると似ているかもしれません。ただ、文化人類学のほうは、もとはといえば、イギリスやフランス、アメリカなどの強大国が、植民地主義を背景に、非ヨーロッパ圏の人びとの文化を調べることから始まった学問。一方、民俗学のほうは、啓蒙主義や覇権主義に対抗する文脈の中で、自分たちやその周囲の文化に着目して始まったわけです。出発の地は、ドイツやその周りの弱小国。ちなみに、そういうこともあって、東ヨーロッパの小国など、現在でも民俗学が盛んな国では文化人類学はそれほどでもないということが少なくないです。

 

こういうと、日本には民俗学も文化人類学も両方あるんじゃないの?と思われるかもしれませんが、これは文明開化といわれるような急速な西洋文明の流入期と、その後よその国を植民地化していた時期の両方を経験したという歴史を反映しています。

 

なお、二つの学問は成立過程が違うというだけで、対立しているわけではなく、重なり合っていたり、協業関係にあったりしていますので、くれぐれも誤解のないようにお願いします。

江戸のヒマ人たちが作り上げた、近代以前の民俗学の系譜

先生の著書を拝読したのですが、そこで紹介されていた研究テーマは、喫茶店のモーニング文化、大学キャンパスの都市伝説、子供を躾けるためにお母さんが考えたお化けやおまじないなどなど、「え、そんなのが民俗学なの、というか大学でやる研究になるの!?」というようなものも多くて驚いてしまいました。誰もが当事者として見聞きしたことのあるものからスタートする研究が多くて。

(左上)午前中限定でコーヒー+軽食のセットを格安で提供する「モーニング」メニュー。誰が考え出したのか、またモーニング文化の盛んな地域には共通点があるのだろうか? (右上)ある家庭では、新品の靴をおろす際にわざわざ靴底などに落書きする『儀式』が必ず行われるという。聞き取りをするうちに、少なくない家に同じような『儀式』の習慣があることが明らかになった。どうしてそんなことをするのだろうか? (下)関西学院大学に代々伝わる『関学七不思議』。「大事な試合や試験の前に神学部の学生に出会うと、うまくいく」「時計台の前庭の芝生には、どんなに晴れた日でも常に湿っている一角が存在する」etc。あなたの通っていた(通っている)学校にもこんな伝承がなかっただろうか?  これらの研究については、島村先生の著書『みんなの民俗学 ヴァナキュラーってなんだ?』(平凡社)に詳しい。

(左上)午前中限定でコーヒー+軽食のセットを格安で提供する「モーニング」メニュー。誰が考え出したのか、またモーニング文化の盛んな地域には共通点があるのだろうか?
(右上)ある家庭では、新品の靴をおろす際にわざわざ靴底などに落書きする『儀式』が必ず行われるという。聞き取りをするうちに、少なくない家に同じような『儀式』の習慣があることが明らかになった。どうしてそんなことをするのだろうか?
(下)関西学院大学に代々伝わる『関学七不思議』。「大事な試合や試験の前に神学部の学生に出会うと、うまくいく」「時計台の前庭の芝生には、どんなに晴れた日でも常に湿っている一角が存在する」etc。あなたの通っていた(通っている)学校にもこんな伝承がなかっただろうか?
これらの研究については、島村先生の著書『みんなの民俗学 ヴァナキュラーってなんだ?』(平凡社)に詳しい。

 

「合理的でないもの、覇権主義でないもののための学問」というのが、歴史的経緯をふまえて私が見出した民俗学の定義です。その範囲で面白いものは何でも調べてやればいいと思っています。

 

さきほどドイツで生まれた民俗学が世界に拡散したと言いました。明治時代の日本にもそれが入ってきましたが、実はそれ以前にも、民俗学という名前はついていないにしろ、それに近いことは行われていたんです。江戸時代の都市部なんかではとくに盛んでした……ヒマ人が多かったのかもしれませんね。江戸幕府公認の学問は朱子学(儒学)でしたが、そうした正統派の学問にはカテゴライズできないけれどなんか面白いなと思ったこと、役には立たないしお金にもならない市井で見聞きしたことを熱心に調べた記録が随筆という形でたくさん残されているんです。

 

例えば「どこそこの子供が失踪して、数か月後に元気に帰ってきた」とかそんな話がひたすら書かれている。で、彼らはまたそれを研究しちゃってるわけです。この話と似た内容の言い伝えがどこそこにあって、そこにはこういう法則性があるのではないか、とかね。

そうした随筆の数々は『日本随筆大成』というシリーズにまとめられて刊行されているという。

そうした随筆の数々は『日本随筆大成』というシリーズにまとめられて刊行されているという。

 

めちゃくちゃ面白いヒマの潰し方ですね! まさしく大人の自由研究だ。そして先生の研究はその流れを汲んだものであると。

 

もし彼らが現代に生きていたとしたら、私の研究と同じようなことをしたと思いますよ。最近話題になったものだと、新型コロナウイルスの感染拡大に関連して流行ったアマビエやアマビコのような、疫病の発生とかかわって出現する怪物についての話も随筆として残されています。こうした随筆は、民俗学にとって宝の山です。

『ヴァナキュラー』で民俗学についた間違ったイメージを退散すべし

市井を歩いて気になったものを深掘りするという点で考現学に近いような気もしますね。こういう民俗学なら、現代でも積極的に参加してみたいと思う人が多そう。どうして「民俗学は田舎の風習を調べる学問」というイメージが定着してしまったのでしょうか?

 

日本の近代民俗学のはしりと言えるのは柳田國男ですが、彼自身や周囲の研究者は江戸の随筆については把握していたし、それらを研究してもいました。明治生まれの人間から見れば江戸時代なんてついこのあいだのことなんで当然です。

 

ただ同時に、柳田は弟子たちに、文献研究よりも、農村・山村・漁村に直接出向いての聞き取り調査が最優先だと教えました。これにはもちろん理由があって、江戸時代の随筆というのは圧倒的に都市部で書かれたものが多かったんですね。でも、調べてみると紙に書かれたものになっていないだけで似たような話は僻地にもたくさんある。それを知っている人が残っているうちに、記録しておかないといけないと考えたんだと思います。

 

この「とにかく現地に行って農村・山村・漁村の伝承を調べなければ」という話が時代が下るにつれてだんだん一人歩きを始めて、やがて出発点であったはずの「市井のことなら好奇心に任せて何でも調べよう」という部分が希薄になっていきました。

柳田國男(1875~1962)出典:Wikipedia

柳田國男(1875~1962)出典:Wikipedia

 

もったいないですね。そこが一番面白そうなところなのに。してみると、先生の研究は民俗学のエッセンスを取り戻そうとする運動でもあるわけですね。

 

そうなんです。そこで私が引っ張ってきたのが『ヴァナキュラー(Vernacular)』という概念なんですよ。

 

『ヴァナキュラー』は、20年くらい前からアメリカの民俗学界隈で使われ出した言葉です。英語圏ではもともと民俗学の研究対象のことをフォークロア(Folklore)と呼んでいたんですが、このフォークロアという言葉が一般的な英語話者の間では「田舎で古くから伝えられている風習」としてだけ受け取られていた。でもアメリカの民俗学というのは、都市をフィールドとした研究を盛んに展開していました。ストリートミュージシャンとか、地下鉄の落書きなんかを対象にした研究がたくさんあるんです。それで、そうした民俗学の実態を正確に表現できる言葉はないかとなったときに、アメリカの研究者たちが使い始めたのがヴァナキュラーです。

 

ヴァナキュラーは直訳すると「俗な」というような意味の形容詞です。日本語の「民俗」とほぼ同じですね。わざわざ民俗をヴァナキュラーと言い換える必要はないといえばないのですが、フォークロアと同じように民俗という言葉にも「田舎で古くから伝えられている風習」のようなイメージがなきにしもあらずなので、一新するためにもありかなと。言葉の意味的にも「合理的でないもの、覇権主義でないもののための学問」という私の提唱する民俗学の定義ともぴったりですし。

 

なるほど。ヴァナキュラーという言葉は日本ではまだまだ馴染みがないですが、民俗学の一番魅力的な部分を知ってもらうためにも積極的に使っていきたいですね。

ヴァナキュラー的思考で退屈知らず、その極意は……

今取り組んでおられるテーマは何ですか?

 

これは民俗学のいいところなんですが、複数のテーマを同時進行することができるんです。気になったことをとりあえず書き留めておいて、「機が熟したな」と感じたときに引き出してくる。おかげで研究でスランプになったことがありません。常に興味を引く何かをストックしておけるので、退屈せず楽しく暮らすことができますよ。

 

それはそれとして。今一番力を入れているのは、沖縄県那覇市についての研究です。大学4年生のとき、宮古島に数カ月間住み込んで宗教儀礼に関する調査をしたことがあるんですが、それ以来沖縄について見聞きしたことがずいぶんと貯まってきました。来年(2022年)は沖縄返還50周年という節目の年でもあり、それらを一冊にまとめて出版する予定です。

 

那覇というのがまた、面白い街です。琉球国から日本国沖縄県へ、戦前のモダン都市から戦後の焼野原へ、そして、アメリカ占領期を経て再度日本に返還され……現在では激動の歴史を反映したように「迷宮都市」と呼ばれるほど雑然としているところもあります。かと思うと「京の着倒れ、大阪の食い倒れ」ならぬ「首里の着倒れ、那覇の食い倒れ」なんていう価値観が残っていたりする。首里の一帯は琉球王朝の士族、首里城勤めの気位の高い人たちが住んでいた土地で、今でも「首里に住んでいる人はステータスが高い」などといわれているんです。

那覇市内の景観1

那覇市内の景観

那覇市内の景観

 

ぜひ読んでみたいです。そして、民俗学をやってたら一生退屈しないというのも素晴らしいですね! 街の風景や日常の生活からヴァナキュラー的なものをすくいとるにはどうすればいいのでしょうか?

 

基本的には直感なんだけど、その直感の正体をいくつかに分けてみると、まずは物語を感じさせるもの。家と家の間の路地裏なんかでも、同じ物はこの世に二つとなくて、そこを覗いているとそこにしかない物語を感じますよね?  あるいは、ロードサイドにあるショッピングモールなんかはどこに行っても同じようなものがあるけれど、それだってそこを舞台に唯一無二の物語が展開されている場であるはずです。これらは生活感のあるものと言い換えてもいいかもしれない。

 

次に合理的には割り切れないもの。都市伝説や怪談なんかは言わずもがな。「縁起物」ってありますよね。関東だったら「酉(とり)の市」の熊手、関西だったら「十日えびす」の福笹。おめでたい飾り物です。自分で商売している人の中には、毎年あれを5万円とか10万円くらい使って買ってきて店やオフィスに飾る人がけっこういる。サラリーマンにはない発想。「なんでそこまでするんですか?」と聞いてみると、「こういうのをケチると商売がうまくいかなくなる」「縁起物だからね」という答えが返ってきます。

 

人間ってときに合理性からはみ出したことをしてしまうことがあります。そういうものがヴァナキュラーになりやすいです。

浅草・酉の市で売られている縁起物の熊手。毎年、これを数万円分買う人もいる。「どうしてそんなことを......?」という疑問から研究がスタートする。

浅草・酉の市で売られている縁起物の熊手。毎年、これを数万円分買う人もいる。「どうしてそんなことを……?」という疑問から研究がスタートする。

 

興味をひくものを見つけたとして、アプローチのコツなどはありますか?

 

以前はどうだったのか、過去を掘り下げてみることです。そうすると、そのものが今の状態に至った経緯が見えてきます。それから、他の土地に似たものを見つけて比較してみること。そこに共通するものがあれば、ある種の法則性みたいなものが発見できて話のスケールが膨らむし、違いを見出すことができれば個別性について議論することができます。

 

あと、これは特に大事なことなんですが……

 

はい。

 

気になったこと、思いついたこと、調べたことはとにかくノートか何かに書き留めておくことをオススメします。私がこれまでつけてきたノートを先日数えてみたら、150冊を越えていました。これが私のネタ帳であり、民俗学者としての資産ですね。

島村先生の研究ノート。現在はモレスキンのものを使っているとか。各ページには、見聞きしたことが図解も交えてびっしりと記録されている。

島村先生の研究ノート。現在はモレスキンのものを使っているとか。各ページには、見聞きしたことが図解も交えてびっしりと記録されている。

 

150冊! すごい数ですね。

 

江戸時代の随筆なんかも、基本的には整理されず聞いた順番に書きつけてあるので、書いた本人にとってのネタ帳的なものだったのかもしれません。当時は互いに書いたものを見せあって情報交換をしたりもしていたようです。その記録を編集してまとめた曲亭馬琴という人もいます。

 

そうそう、情報交換といえば、かつてはどの国でも民俗学の雑誌上で読者同士が情報交換するコーナーが盛んだったんですが、南方熊楠(1867~1941 民俗学者、博物学者)はほとんど毎回このコーナーに投書していました。雑誌の発行元がロンドンだったので、シベリア鉄道経由で数週間かけて送ってね。今ではインターネットがあるから、そういうことをはるかに少ない労力でできますね。

 

 

 

調べものをするにはかつてないほど恵まれているといえる現代。ヴァナキュラーな視点を意識して街を歩いてみてはどうだろうか。ひとたび好奇心のドミノ倒しがおこれば、世界を見る解像度がグッと細かくなるはずである。


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