ほとんど0円大学 おとなも大学を使っっちゃおう

  • date:2021.7.6
  • author:南 ゆかり

観光は「不要不急」ではない。大阪観光大学観光学研究所所長に聞く、社会を救う観光とは。

今回お話を伺った研究者

山田 良治

大阪観光大学副学長、同大学観光学研究所所長、和歌山大学名誉教授

経済学・農学博士(京都大学)。2008年、国立大学初の観光学部として設置された和歌山大学観光学部のメンバーとして、大学院修士課程、博士課程の設立の陣頭に立つ。2021年、大阪観光大学観光学研究所ブックレットシリーズ創刊号『観光を科学する―観光学批判』を刊行。

コロナ禍で「観光」はある種ズタズタになった。観光に関わる産業はもちろん、観光が好きな人には本当に苦しい時期が続いているだろう。と言いつつ、私自身はそれほど観光に餓えておらず、その苦しみがもうひとつピンと来ていない。むしろ、コロナ禍を経験して初めて、人はこれほどまでに観光したかったのかと気づき、そんな観光とは一体何なのかが気になってきた。「観光学批判」という大胆な副題の本を出された山田良治先生なら、「そもそも観光って?」という疑問にも答えていただけそうな気がしてインタビューさせてもらった。

「人間は労働する動物」ゆえの観光学

―先生の「観光学批判」という刺激的な副題の著作を拝見しました。

 

私自身は経済学が専門で、書名に「観光」という言葉が入る本を書いたのは初めてなんです。その意味ではデビュー作なのですが、それにしては挑発的だったかもしれませんね(笑)。この本で言いたかったのは、今、そしてこれからの観光学には、今までの観光学とは根本的に違ったものが求められていくのではないかということです。

『観光を科学する―観光学批判―』(観光を見る眼 創刊号)(山田良治著、晃洋書房、2021年5月発行)

『観光を科学する―観光学批判―』(観光を見る眼 創刊号)(山田良治著、晃洋書房、2021年5月発行)

 

―どのような点でしょうか。

 

大まかに言えば、一つは、観光する側の視点に立つということです。これまでの観光学が扱っていたのは、どうすればインバウンドを増やせるかとか、どうすれば観光で地域振興ができるのかとか、観光を供給する側の目線に立つものが中心でした。もちろん、そうした問題もとても重要な問題です。しかし、観光学の最も基本に据えられるべきなのは、観光をするわれわれにとって、生活をし人生を生きていく上で観光が一体どのような意味を持つのかということではないかと考えています。

 

―いわば市民にとって、「観光とは何か」ということですね。

 

ええ。そして、もう一つは、観光に関わる様々な現象を貫く大きな流れを見出すということです。観光学は、個々の現象のコレクションではなく、それらの幹になる部分は何かということを追究していく必要があるだろうと思っています。

 

―先生は観光現象を貫くものを何だと考えておられるのですか。

 

簡単に言うと、労働です。人間は労働する動物で、労働することがその他の動物との決定的な違いです。たとえば、蜂が巣をつくる場合には、できあがった蜂の巣を意識してやっているのではありませんが、大工さんは家の完成図を頭に描いて家をつくりますね。このように人間の労働とは、目的を持って自然や人と関わることと言えます。さらに人間は、労働を通じて知識や技能を高め、自分を成長させ変革しようと意識的に行動します。本能的な欲求に従いながらも、社会的な意識に基づいて自分をコントロールできるのが人間です。

 

―労働は、観光を含む余暇とは、正反対の位置にある気がしますが…。

 

そう思うのは当然です。それは、労働の対価として賃金をもらう賃労働が一般的になったからです。賃労働は、目的もどのように行うかも自由ではなく、その成果も自分のものでないなど、いろいろな意味で拘束されています。今私たちは、たとえば夕方5時まで労働をし、それ以外の時間は余暇として日常空間で過ごしたり、たまには遠出や旅行など非日常空間で過ごしています。しかし、そんなふうに労働時間と非労働時間が分離されたのはこの200~300年ぐらいの話で、それまでの人類は労働時間という感覚を持っていませんでした。

 

―自給自足というか、衣食住をすべて自分でまかなうような生活をイメージすればいいですかね。

 

その頃は、労働の目的やそのプロセスを決めるのも自分で行い、労働の成果である生産物も自由に消費するという形で自己完結され、その限りで日々の生活を主体的に行うことができました。これに対して賃労働は一般的に、目的もプロセスも自分で決められない、生産物も自分のものではない、自由のない状態です。そこで、労働時間と非労働時間は分離されていったのです。

 

一方で、非労働時間としての余暇にも労働を目的としているものがあります。料理をつくったり家庭菜園をしたり絵を描いたりするのもそうですし、観光地に行って地元の焼き物やガラス工芸などを経験する体験型観光メニューもよくありますね。

 

―なるほど、余暇でも労働をしていますね。自分がやりたいからやる自由さがあるかどうかが違うだけです。

 

そうですね。われわれが生きていく上で観光の持つ意味を考えていくのが観光学の課題だと言いましたが、それは、人間の生活というメダルの表側を賃労働をしている拘束的な状態、裏側をそれ以外の自由な労働や消費の活動だと捉え、両方の関係の中で考えていく必要があるということです。余暇や観光のあり方は、労働時間の実態がどうであるかにものすごく影響を受けて変わってきています。観光だけ見るのでなく、人間の日常生活全体の中での観光の意味を見る必要があると思います。

観光のもつ意味が、これまで思っていたものから解きほぐされ広がっていく(写真はイメージ)

観光のもつ意味が、これまで思っていたものから解きほぐされ広がっていく(写真はイメージ)

非日常空間で見つかる答えとは

―では、観光の持つ意味についてうかがいます。人の生活や生きることにどう関わっているのでしょうか。

 

観光は、余暇の中でもとくに非日常の空間で過ごす余暇と考えていいと思いますが、非日常空間で過ごすインパクトは非常に大きなものがあります。1970年代、旅行業界のキャッチフレーズには、「自分探し」「自分発見」といったものがたくさんありました。裏を返せば、日常空間の中にいると様々な矛盾を感じ、自分は何者か、どうしたらいいのかという葛藤が強くなるということです。探さなければならない自分がある状態とは、一言でいうと、疎外感です。昔の村落共同体の中で生活しているような人たちには、自分を探すというような感覚は毛頭なかったでしょうし、現代社会になって生まれてきた感覚ということができるでしょう。そのような時に、たとえば海外で違う雰囲気の社会的空間に触れたりそこで生活したりすると、自分が持っていた意識がいかに特殊なものであるか、どのような特徴を持ったものであるかがわかる。その意味で、自分というものを改めて発見する感覚が持てるし、生き方をいろいろ考えていける作用があるのですね。

 

―今の時代は、1970年代より多様な価値観が認められてきているとは思いますが、疎外感自体は強くなっているかもしれません。

 

「つながり孤独」という言葉をご存じですか。スマホが発達してみんなとつながっているようでいて、どれだけ「いいね」をもらえるかに関心が集中し、それがもらえなければ孤独になってしまう。学生と接していても、これはコロナ以前からですが、人と人とのつながりに非常に敏感で、破綻を怖がるためか、親密につながることを非常に恐れているようです。いまはやりの言葉で言えば、一定のディスタンスを取りたがります。低成長時代特有のサバイバル競争の中、人と人とのつながりがいろんな形で遮断され、不安感が強いのだと感じます。孤独の問題は、疎外感の典型的な表れ方だと思います。観光・余暇について探求することは、このような孤独病や引きこもりといった社会問題に対しても、大きな役割を果たすと考えています。

 

―それはどういうことでしょうか。

 

余暇や観光は、鑑賞したり創造したりコミュニケーションしたり、自分で自由に考えた目的のために主体的に行います。その経験によって、たとえば、いろんな食事を体験することで多様かつ高度な味覚が発達したり、いろんなジャンルの音楽を聞いたりすることによって美しい音楽を享受する力が生まれます。人と関わるコミュニケーションの力もそうでしょう。私はそれを単に「楽しむ力」と呼んでいるんですが、これらは、その人の価値観や生きがいにつながる大切な能力であり、孤独、引きこもりに対するある種のワクチンとして作用すると思うのです。いかに楽しむ力を高度に持った市民として成長していくかは、余暇活動や観光が非常に大きな役割を果たすはずです。しかし、残念ながら日本では、余暇や観光は「不要不急」の活動、あるいは贅沢と考えられてきました。とくに仕事中心だった男性は、各種文化活動などの余暇活動を訓練してこなかったことで、引退後の引きこもりという社会問題にもつながっています。

「楽しむ力」は自然に任せていても育たないと山田先生。どう育てていくかは教育にとっても大きなテーマだという(写真はイメージ)

「楽しむ力」は自然に任せていても育たないと山田先生。どう育てていくかは教育にとっても大きなテーマだという(写真はイメージ)

観光が孤独問題を解決できる!?

―孤独の問題に対処する観光学ならではのアプローチとして、どんなことが考えられますか。

 

あるNPOの活動で、引きこもっている40代の男性を行ったことのないところに連れて行き、1時間だけ自分で自由に回って戻ってきてもらうという試みがテレビで紹介されていました。その男性は最初すごく怖がっていましたが、最後には、それをやることができてとてもよかったと話していました。これは非日常の空間に移動する観光と本質的には同じ取り組みであり、その効用の一例と考えられます。また、認知症の高齢者が、観光地でコミュニケーションをしながら楽しむ時間を過ごせるような環境を意識的につくっていくことも今後の大切な課題だと思いますね。私自身は、孤独問題の本質を社会科学の視点から解明したいという目標があり、それによって少しでも問題の解決に貢献できればと思っています。

 

―お話を聞きながら、今まであまり観光をして来なかったことを後悔し始めているのですが。

 

いや、まだ間に合いますよ(笑)。ただ仕事をリタイアしてからというのでは遅い場合があるので、できれば今から観光や余暇を楽しんでください。私がこんなことを考えるようになったのは、余暇活動や労働の意味や、自由で主体的に鑑賞・創造・交流を行うことの楽しさを身をもって感じてきたからだと思います。高校時代は、音楽と体育が得意で、音楽では合唱に力を入れ、大学・大学院時代にはフルートやピアノを1日何時間も練習して、趣味として楽しめるようになりました。スポーツでは、北アルプスをほとんど全山踏破しました。そんな中で今でも覚えているのは、高校時代、いい演奏をしたり聞いたりした時に感動して涙が出てきて、この感動するというのは何なのかという疑問を強く感じたことです。

ご自身を「大の遊び人間」という山田先生。仕事、研究に限らず、様々な余暇活動を全力で楽しんできたという

ご自身を「大の遊び人間」という山田先生。仕事、研究に限らず、様々な余暇活動を全力で楽しんできたという

 

―それが原点なのでしょうか。本質を究めたいという志向がその頃からあったんですね。

 

自由時間をどう過ごすかに人格が現れるとも言われます。ぜひ、人生を楽しんでいただきたいですね。ガンジーはこんな意味のことを言っています。「明日死ぬつもりで今日を生きよ。永遠に生きるつもりで学べ」。今さらそんなことを勉強してもなんて言わないで、永遠に生きるつもりになって、何でも挑戦してみてください。

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