前回は追手門学院大学・井出明准教授に、ダークツーリズムとはなにか、悲しみの跡をたどる旅が人々に何をもたらすのかをうかがった。
今回は、先日世界遺産登録が決まった“明治日本の産業革命遺産”も取り上げ、より深くダークツーリズムの本質について迫る。
からだで受け取る記憶。
井出先生自身は、ダークツーリズムという言葉を知らないまま偶然に、悲しみの跡をたどる経験をすることになったという。学部では経済学を学び、修士号は憲法、博士号は情報学で取得したという学際型の研究者であった井出先生。博士号の審査をしてもらった教授の縁で、京大の防災研究所の仕事を情報学の専門家として手伝い、さまざまな被災地を訪れる機会を得た。
「ITと社会との関わりをテーマに研究していました。確かに、ITは記憶や悲しみを受け継ぐ有力な手法の一つですが、ITでは拾えない部分、現地に行かなければわからないことが絶対にあるということがわかりました」
もともと旅行が趣味だった井出先生は、それ以来、旅に出た時に意識的に悲しみの跡も見に行くようになった。サイパンに行けば泳ぎもするが戦争の跡も見た。仕事とプライベートの両面から、現場で得られる驚きや悲しみ、感動はコンピュータでは伝えられないということを実感したという。現場で何を受け取ることができるのか、岡山県長島にあるハンセン病療養所を例にとって先生は話してくれた。
ハンセン病療養所の旧事務所(現・長島愛生園歴史館)。
「岡山のハンセン病療養所は、東京ドーム51個分の広さがあります。端から端まで歩くと4キロぐらいあって非常に疲れるし、何ともいえない最果て感があります。隔離施設だったから人里離れた場所にあり風光明媚ですが、美しい景色を見ながら歩いていると突然、とんでもないものに行きあってしまいます。それは”監房”の跡でした。ここでは、逃走した者を多く収監したそうです。また、懲戒権は園長が持っていたため、裁判が行われることもなく、園内がいわば治外法権であったことがわかります。こんな美しい場所で、こんな残酷な人権侵害があったことを知り、いろんな感情や思考が浮かんで来ます。からだを使って感じるということが重要なのです」
現場から直接伝わってくる悲しみは深く心に突き刺さるし、現地へ行って受け取る情報は予想以上に多く、地域や場所、関わった人々へと興味の対象も広がる。より深く広く悲しみを受け継ぐ方法が、ダークツーリズムということなんだろう。
戦争や災害を中心に起こってきたダークツーリズムの研究は、次第にその対象を広げてきているという。前述のハンセン病療養所もその一つだが、他にも宗教弾圧や人身売買、強制労働、刑務所にも悲しみの記憶がある。
「網走刑務所は高倉健のイメージがありますが、実はさまざまな歴史を背負っています。初期は西南戦争で負けた西郷軍の兵士を収容し、強制労働をさせて北海道の線路を作っていきました。その後は、治安維持法違反の思想犯です。犯罪の中にはこのように社会が作りだすものもある。それもダークツーリズムの対象になります」
こうして拡大していくものをきちんと追いかけたいと、井出先生は話す。
良いことも悪いことも地域の資産として。
熊本県荒尾市と福岡県大牟田市にまたがる三池炭鉱・万田坑跡
ダークツーリズムの悲しみを承継する方法論は、今、被災地の再生や観光資源の開発などに真剣に活用され始めている。
「ダークツーリズムが一般化するまでは、地域振興というとあくまでもいいところしか見せないのが普通でした。しかし、今ではここにたくさんの悲しい記憶があるということを見せることで、地域への理解を深めるという方向に動いています。例えば先日世界遺産に登録された長崎の軍艦島。古き良き日本を見に行くというような観光から始まりましたが、在日韓国・朝鮮人の方々から炭鉱の徴用※の歴史も紹介して欲しいという声があがったのを受けて、案内も拡充されつつあります。これは、同じく世界遺産登録された荒尾・大牟田の産業遺産でも見られる傾向です。ダークツーリズムを通じて、良いこと、悪いことを含め、地域を多面的に見ることができるようになります。水俣にしろ広島にしろ、地域のアイデンティティの中に、公害があり被ばくがある。よく、人の傷跡をえぐってどうするのだ、と批判されることがあるのですが、そういう悲しみがあったことを含めて今があるのだから、光と影の両者を見せることで、地域を深く愛してくれる人に出会うことができると思います」
被災地の一部にはやはり抵抗感が強いが、最近は被災地の中からも講演や原稿の依頼が来るようになり、ダークツーリズムの本来的な意味が理解されつつあるのを感じるという。
「東南アジアの津波の被災者も、アメリカの9.11の被害者も、アウシュビッツの関係者も、ダークツーリズムという言葉でつながっていける。より一般化した概念でダークツーリズムが使われるよう、正しい理解を広めるのが研究者としての務めだと思っています」
目をそむけたくなるような悲しいことが確かにあったことを知って、人はそれまでと同じではいられない。ダークツーリズムで受け継ぐ悲しみの記憶は、一人ひとりの日常を変えていくだろう。それがどんなに小さく私的なものであっても、たくさん集まりつながればいつか世の中を変えていける力になるかもしれない。ダークツーリズムとは、過去と未来をつなぎ、世界の人々をもつなぐ祈りを込めたフックに違いない。
※徴用
戦前は、合法的な行政手続きに基づき、国民を国家の命によって労働に従事させることができた。戦争末期には、朝鮮半島に暮らす人々もこの対象となり、炭鉱や工場に動員された。今日、韓国政府はこれをさして“強制労働”と呼ぶが、あくまでも合法的な国家活動であるとする日本政府とは見解が対立している。