ご先祖様をずっとたどっていくと、われわれはみんな狩猟採集民だった。そのころ人間は何を感じ、どんな生活をしていたのだろうか?
そんな人間と自然のプリミティブな関係について研究しているのが、北海道大学文化人類学研究室の山口未花子先生だ。山口先生のフィールドである北米ユーコン準州の先住民の集団では、さまざまな野生動物から肉や皮を得る生業が残っているという。彼らは小さなリスからヘラジカやカリブーのような大型哺乳類、また時によってはオオカミにまで狩りの対象を広げるというのだ。
筆者は『北方先住民族の狩猟と毛皮』と題してYouTube上で行われた講演会で山口先生の研究について知った。雄大な森や川に囲まれた土地で、人と野生動物がよりそうユーコン先住民の暮らしは、なんて魅力的なんだろう。もっと詳しく知りたいと思い、お話を伺った。
人間と野生動物の濃密な関係を求めてユーコンへ
——大学では動物生態学を専攻されていたそうですが、なぜ文化人類学者として狩猟採集民を調査するようになられたのでしょうか?
子供のころから動物が好きで、大学ではノウサギの冬場の土地利用について調べていたんですが、里山で現地の人の話を伺いながらフィールドワークするうちに、ある1種類の動物についてというよりは人間も動物も一緒くたにしたその地域の生活史みたいなものに興味が湧いてきました。でも、動物生態学の手法だとそういう数値化できない部分はどうしても余計なものとして削ぎ落されてしまうんです。
そこで、大学院から人類学に専攻を変えました。人類学って、決められた研究手法みたいなものがないんですね。自由度が高くて、余計なものをどんどん付け加えることができるんです。調査対象に狩猟採集民を選んだのも、そこには人間と野生動物の濃密な関係が残されていると考えたからです。
山口さんも一目見てその雄大さに息をのんだというカナダ東部ユーコン準州の光景。ユーコンには8つの言語グループからなる14の先住民自治政府があり、人口4万2千人のうちの25%を占めている
——狩猟採集民の中でもユーコン先住民を対象にされた理由はなんですか?
先住民が暮らすカナダ北西部ユーコン準州は、北方なので植物由来の食料が利用しにくい分、野生動物への依存が大きいのに、人々は動物を家畜化するということをしていないんです。人間と動物の濃密で初源的な関係が残っているんですね。この地域は今でこそ定住化が進み、狩猟採集とそれ以外の生業が併存する混合経済と呼ばれる状態に移っていますが、第二次世界大戦の頃に外界とつながる道路ができるまでは森の中をテントをもって移動する遊動生活をしていました。それで狩猟採集だけに頼った生活の記憶を持つ人が残っていたんです。
群れで行動する動物がいないのも大きな特徴です。私が調査に入ったのはユーコンの南部でしたが、もう少し北の方にいくと数万頭のカリブーの群れがいる地域もあります。そういう土地では自然とカリブーに大きく依存することになります。あるいは大量の鮭が遡上してくる地域でも同じです。
——なるほど、同じ物ばかり狩って食べている地域もあるんですね。生活する分には便利なんでしょうけど、少し単調な気もしますね。
ええ。たくさんの種類の動物を利用している地域の方が面白いと思ったのも、ユーコン南部の先住民を研究対象に選んだ理由です。
狩猟採集文化を受け継ぐユーコン先住民の社会は”超”個人主義。でも、日本人と似たところも
——現地ではどんな調査をされたんでしょうか?
先住民の自治政府は65歳以上のメンバーを「古老」として認定しているんですが、その古老の一人に弟子入りしました。具体的には、ボートで移動してライフルでヘラジカを仕留める狩猟に同行したりしました。
猟場で古老と焚き火を囲む。移動中はなかなかゆっくりと話ができないため、こういう時間はいろいろ教えてもらうのに貴重だったそう
——弟子入り! なんだかすごく厳しそうなイメージがあります。
カナダ政府や自治政府から調査の許可をとるまではたいへんでしたけど、狩猟の同行自体は意外にすんなり許してくれましたよ。古老たちも町にいるときよりずっと楽しそうで和気あいあいとしていますし。
ただ、一番困惑したのがですね。
——はい。
狩猟採集を基本としてきた彼らの社会は個人主義がすごく強くて、それゆえ約束という概念が希薄なんです。たとえば、これは古老とは別の人なんですけど、「山岳地帯のカリブー猟に同行させてください」と頼んでOKしてもらえたはずなのに、しばらくたってから、あれどうなったのかな?と思って聞いたら「あ、もう行っちゃったよ」って。
——他人との約束よりも、自分の気が向いたタイミングやしたいことが優先されると。日本人とはだいぶ違いますね。逆に、日本人と似てるなと思ったところなんかはありますか?
自然や動物にある種の人格を認める感覚は、人間と自然を対立したものとしてとらえるキリスト教的な自然観よりは日本人に近いと思います。
それに、風貌もわれわれに似ています。北米先住民はモンゴロイドとルーツがかさなりますから。友人が都会で子供を病院に連れて行ったら、虐待の嫌疑で警察を呼ばれたなんていう話もありました。ヨーロッパ系カナダ人の医者が蒙古斑を知らなくて、殴られてできた痣だと思ったんですね。それを聞いて「日本人にも蒙古斑があるよ」と言ったら喜ばれたりもしました。
——ユーコン先住民と日本人の共通点は蒙古斑だった......。
そういう外見的なシンパシーもあって「家の孫と結婚しないか」なんて誘われたこともあります。ただ、人類学で長期のフィールド調査をやってる人だとだいたい一度はこういう誘いを受けるみたいで、学会で集まったときに盛り上がる話題の一つだったりします。
——「人類学者あるある」だ。
もっとも重要な動物であるヘラジカには特別な葬送儀礼が施される
ヘラジカの解体。ヘラジカは現生する北方の偶蹄類でも最大級の動物であり、体高は3mほどにもなるという
——ヘラジカの肉は他の動物、たとえばカリブーやビーバーやウサギなんかと比べて特別な食べ物という扱いだそうですが、やっぱりヘラジカは美味しいですか?
美味しいです!
カリブーの肉も食べましたが、ヘラジカのほうがコクのある味で美味しいと感じました。ユーコンの人たちも同じ意見で、特に内陸の先住民100人に聞いたら99人くらいはヘラジカが一番好きだと答えると思います。
ヘラジカ肉を煮たもの
——いいなあ、一度食べてみたいものです。そうそう、狩った動物にほどこす”送り”の儀式があるそうですね。
私の弟子入りした古老は狩ったヘラジカを解体するときに、まず気管を切り取ってそばにある木の枝に吊るしていました。人によって少しずつ違って、後ろ足の大腿骨とか舌の先を切り取って森に残してくる人もいます。
——どういう意味があるんでしょうか?
基本的には全て再生儀礼です。肉や皮は贈り物として人間が受け取るけれど、魂は森に返してやる。そうすることで、しばらくすると魂がまた肉と皮をつけて、ヘラジカになって戻ってくるという考え方です。狩猟は動物を殺す行為ではあるけれど、命の循環を根本的に断ち切ってしまうような行為ではないんですね。
解体に際して、切り取った気管をそばの木の枝に吊るす
——ユーコン先住民の動物観や死生観が反映された行いなのですね。
動物を解体するときにはまず目玉をくり抜くというのも決まっていました。気管を森に残す儀式は大きな動物にしかやらないんですが、これは肉を食用にする動物すべてに対して行われる行為です。
なんで目玉をくり抜くのかというと、動物の種類ごとに集合意識みたいなものがあって、目玉を通して見たものを共有していると彼らは考えているんですね。目玉をつけたまま解体すると、仲間の体が切り刻まれるところを集合意識に見られてしまう。これは非常によくないこととされています。
ヘラジカは皮まであまさず利用する
——肉や皮はヘラジカからの贈り物であるという話が先ほど出てきました。肉は食用として、皮はどのように利用するのでしょうか?
まず、1か月から半年ほどかけて、皮を鞣し(なめし)*ていきます。
*動物の皮を柔らかく、また腐敗しないようにして、衣服の製造などに利用できるよう加工すること。鞣す前のものを皮、後のものを革と区別する。
この地域の伝統的な鞣し方は脳しょう鞣しといって、獲物の脳や脊髄を使って皮を柔らかくします。
【カスカ流・皮鞣しの工程】
① 木枠に皮をぴんと張って肉と油を除去
② 脳と脊髄を水と混ぜて皮に塗る
③ 燻す
④ ②で使った水につけて柔らかくする
⑤ 皮を破らないように注意しながらスクレイパーでこする。
⑥ ④と⑤をひたすら繰り返す
⑦ 乾いてもパリパリにならないようになったら完成!
ナイフやスクレイパーを使って皮を鞣す。この写真は、木枠に張った皮から余分な肉や脂をナイフで取り除いているところ
工程が進んで”革”の状態に近づいたもの
若い人たちは鉄でできたスクレイパーを使うことも多いんですが、古老世代に言わせると鉄製の道具は皮を破ってしまうのでよくないそうです。彼らは石を割って自作したスクレイパーを使います。
——ものすごく根気と体力がいりそうです......。
はい。私も手伝いましたが腰とか腕がすごく痛くなります。でも現地ではおじいちゃん・おばあちゃんほど皮鞣しに熱心なんですよ。若い世代は工場に委託して鞣してもらったり、場合によっては皮を森に放置してきちゃったりすることもあるんですが、それは伝統的な動物観からするとすごくいけないことなんです。
それに、手鞣しした革は工場で鞣した革よりも通気性がよく丈夫になるようです。
ヘラジカの革でつくったモカシン(北米先住民が伝統的に作ってきた一枚革から作る革靴)
押し寄せる変化の波
——革は製品にして売ったりもするんですか?
本来は自然から得たものを換金することに抵抗があるんですが、最近は「加工したものならいい」というふうに考え方が変わってきたようです。鞣した革も売ることがありますが、生皮を売ることは今でもありません。
先住民の社会は、本来は”贈与”によって結ばれているものなんです。財産をため込むということはしないし、必要なものはみんなでシェアします。というのも今でこそ一家に一台冷凍庫がありますが、自然の状態では肉なんて1週間もすれば腐りますし、遊動生活では持ち運べる物も限られていますから。人に物を無償であげたり、もらったりすることの方が自然なんです。
——貧富の差の生じにくい平等な社会なんですね、本来は。
難しいのは、お金が入ってくるとそういうことができなくなるんですよ。彼らも自然からとれたものは肉でも薬草でもシェアするんですが、お店で買ったものは、親族はともかく他人に無償であげたりはしないみたいです。定住化して貨幣経済に組み込まれていく中で、どうしてもお金の面では差が出てきています。
贈与を基本にする先住民社会も、少しずつ貨幣経済寄りの考え方に変わってきている
——貨幣経済のほかに、北方の暮らしは地球温暖化の影響なんかも受けそうです。
ものすごく影響が出ています。ユーコン南部で一番大きなのは、河川洪水です。昔は全然そんなものなかったのに、2010年くらいから始まって、2、3年に1回は集落が水浸しになる被害が出ます。
個々の狩猟採集者はものすごくよく自然のことを観察していて、「川のこの中州に生える植物が、昔より高く生長するようになった」とか「日照りが強くなってベリーのブッシュが枯れてしまった」とか、彼らの目線でも温暖化の影響は顕著にとらえられています。
——狩猟採集技術の継承などはできているんでしょうか?
若い世代は学校にも通わないといけないし、狩猟採集のための膨大な技能を全部習得するには時間が足りないようです。
それに、先ほども述べたように「自分がそのときやりたいと思ったことをやる」というのが基本姿勢なので、本人がその気にならないことを無理矢理学ばせるわけにもいきません。古老たちも「若いやつらは伝統的なやり方を学びたがらない」とか愚痴るんですけど、本人が教えてくれと言ってくるまではなにもしないんです。
そんなわけで、狩猟、道具作り、薬草集め等々、全部を一人でできるジェネラリストというのは、古老たちの世代がほぼ最後なんじゃないでしょうか。
手製のかんじき。自然から得たものだけで作ることができるが、そのためには知識と技術が必要だ
ただ、都会に出て定住した人たちの子供の世代が、自分たちのアイデンティティを先住民のコミュニティに見出すという流れはあるようです。そういう人たちがユーコンに戻ってきて伝統を継承しようと頑張ったりとか。
——明るいニュースが聞けてうれしいです。最後に、山口さん自身が調査を通じてユーコン先住民的な考え方や感じ方をするようになったことはありますか?
カナダから日本に戻ってきて2、3日は人の多いところにいるのが耐えられないようになりました。カナダで森の中を歩いているときは、身体感覚が拡張されるというか、些細な変化だとか動物の痕跡なんかを逃さないために五感を研ぎ澄ました状態で周囲を観察するように自然となってるんです。その状態で人ごみとかに入っちゃうと、もう気持ち悪くて......。帰国してしばらくすると感覚が鈍化して慣れるんですけどね。
——日本で普通に生活するということが、人間のもつ野生の感覚を抑えつけることで成り立っているということでしょうか。山口さん、今回はお時間とっていただきありがとうございました。
狩猟採集民の社会には、全員でモノを共有することや自然へのシンパシーなどなど、現代日本では希薄になった感覚が色濃く残されていた。反面、先細りしていく伝統的なライフスタイルや格差の拡大などの問題は日本社会にもおおいに通じるところがある。
地球上に残された数少ない狩猟採集の文化が今後どう変化していくのか、見守っていきたいと思う。