昨年秋のある日、なにげなくSNSを開くと、タイムラインの音楽家や音楽愛好家たちがいつになく騒然としていた。どうやら、世界中の伝統音楽を無料で聴けるすごいデータベースが公開されたらしい――そう、それが今回紹介する「Global Jukebox」である。
Cultural Equity協会のアナ L.C.ウッド博士、慶應義塾大学のパトリック・サベジ准教授をはじめとする17名の研究チームによって開発された「Global Jukebox」には、世界各地の1,000以上の民族から採集された5,700件以上もの音声データが掲載されている。いつものWebブラウザからアクセスして、地図上の好きな場所をクリックするだけで、いとも簡単にその地域の伝統的な音楽を再生できる。しかもそれぞれの音声データには豊富なメタデータが付与されており、「カントメトリクス」という手法による比較分析だってできるのだ。
今回は、そんな夢のようなオンラインツール「Global Jukebox」を使って、広い世界を探検してみよう。
気の向くままに世界を冒険しよう
「Global Jukebox」にアクセスすると、黒っぽい背景に世界地図が表示されていて、その上にカラフルなドットがたくさん散らばっている。このドットに、その地域で採集された音声データが詰まっているのだ。広い世界にはこんなに多彩な音楽が存在するんだと思うと、すでにわくわくする。
好きなドットをクリックすると、その地域の音楽を集めたプレイリストの再生が始まる。ためしにアフリカ大陸の東部、エチオピアのあたりをクリックしてみると、不思議な響きの歌が聴こえてきた。しばらく聴いていると、リズミカルな太鼓と管楽器の音が加わった。ふだん、いわゆる「西洋音楽」に慣れ親しんでいる筆者にとっては馴染みがない音楽なのだが、太鼓のリズムに合わせて自然と身体が動き出す。
次に訪れたのは、南米・ペルー。なんともいえず落ち着く女性の声、これはシピボ族の子守唄(Lullaby)だそう。よく聴くと、後ろから子どもの声も聴こえてくる。音楽というものが、人々の暮らしの中から生まれてきたのだとよくわかる。この地域(Peruvian Amazon)に関しては「Work Song」「Fishing Song」「Pottery-Making Song」など、生活に密着したさまざまな歌が採集されている。
なお、このデータベースの原文は英語だが、Google翻訳機能が搭載されているため、日本語表示も可能だ。
ほかにもいろんな地域を探検したあと、そろそろ自分の故郷に帰ろうと、日本の関西地方をクリックしてみた。どんな歌が掲載されているのかな、と楽しみにしていたら、なんと流れてきたのはお経だった。
こうしていろんな地域の音楽を聴いたあとだと、お経もたしかに「音楽」の一つとして捉えられる。たまに法事などで唱えることがある「般若心経」も、かなり個性的な民族音楽として聴こえてくる。むしろ、これまでそういった発想にならなかったのが不思議だ。自分の知らない音楽に触れられるだけでなく、すでに知っている音を「音楽」として捉え直すこともできる。「Global Jukebox」、面白いツールだ。
知りたい気持ちを満たしてくれる豊富なメタデータ
初めて出会う音楽を聴いていると「これはなんだろう?」「もっと知りたい」という好奇心が湧いてくるもの。「Global Jukebox」では、豊富なメタデータを手がかりにその好奇心を満たすことができる。
例えばウズベキスタンで採集されたこちらのバラードを聴いていて、語りの伴奏に使われている弦楽器の味わい深い音色が気になったとしよう。そこでメタデータの「Instruments」という項目を見てみると、すぐに「タール(Tar)」という楽器だとわかる。
ここでYouTubeで「Tar」と検索して演奏動画を視聴してみると、さっきのバラードが弾き語られていた様子をいっそうリアルに想像できるだろう。現代のタール奏者のライブ動画を見れば「伝統音楽」のイメージが変わるかもしれない。さらに、メルカリにタールが出品されていることに気づけば、自ら演奏にチャレンジすることだってできる。こうして「Global Jukebox」をきっかけに、一人ひとりが興味関心を深め、音楽の世界を広げていけるのだ。
「カントメトリクス」で世界の音楽を比較分析
さてここで、先ほど取り上げたバラード「Shakhnoz-Huliar」のメタデータをもう一度見てみよう。
「Note」という項目を見ると、この音声が収録されたCDの解説文が掲載されていて、そこでは西洋音楽的な分析がなされている。最後の音は「F(ファ)」だが、調性的な中心は見かけ上「E♭(ミのフラット)」であり……Fから始まるイオニア旋法だが、例外もあって……云々。
こうした視点での分析は、西洋音楽に慣れ親しんだ者が音楽の構造を理解するのに役立つ部分もあるが、分析対象が西洋音楽でない以上、取りこぼしてしまう部分もある。そもそも専門用語がたくさん登場していて、よくわからないと感じる人も多いのではないだろうか。
そこで、このデータベースの真骨頂、「カントメトリクス(計量音楽学)」による分析データの出番である。カントメトリクスとは、音楽を37の要素にもとづいて分析する手法。ひとりで歌われているのか、声はどのように響かせるのか、フレーズの長さはどのくらいかなどの要素について、段階評価していく。
民族音楽学者のアラン・ローマックスらによって1960年代に開発されたこの手法は、音楽を五線譜上に記録して評価する西洋音楽的な分析とは異なるアプローチである。同時に、五線譜を読めない人にとっても理解しやすい分析方法といえるかもしれない。
「Global Jukebox」では、すべての音声データについて、このカントメトリクスによる分析データをグラフのかたちで表示できる。つまり、音声データの特徴をひと目で把握できるのだ。これを活かして、いくつかの地域の音楽を比較して類似点や相違点を探したり、ある地域の音楽に共通するパターンを見出したりできる。また逆に、任意の特徴を設定し、それに当てはまる音楽を検索表示する機能もある。もっと知りたい人には、カントメトリクスの手法そのものを学ぶコースも準備されているから驚きだ。
音楽を通じて歴史や文化を学べるツアーも
もう一つ、ぜひ試してほしい機能が「Journeys」である。これは、さまざまなテーマで選曲されたプレイリストに沿って各地を巡るツアーのようなもの。それぞれのプレイリストには、テキストや画像による詳しい解説がついていて、音楽をめぐる旅をしながら伝統音楽の成り立ちや社会的背景を学べる仕組みだ。
筆者もいくつかの旅に出てみたが、中でも印象的だったのは「Jewish Music as a Global Diaspora(グローバルなディアスポラとしてのユダヤ音楽)」である。
読み応えのある解説文と実際の音声データに加え、「地図をたどりながら聴く」という行為によって、ユダヤ音楽が、ひいてはユダヤの人々がいかに離散していったか、そしてどのように文化の混合が生じたかがよくわかる。このように実感を伴う学びは、「Global Jukebox」ならではだと感じた。
音楽に出会うだけでなく、音楽を通じて人類の歴史や文化を学べる。「Global Jukebox」の大きな魅力がここにある。
多様なものたちがつながりあう世界
こんなふうに「Global Jukebox」で遊んでいるうちに、筆者の中で「多様性」という概念の捉え方が変わってきたように思う。これまでは多様性といえば、何か全然違うものが、ばらばらに存在している様子をイメージしていた。しかし「Global Jukebox」で世界を探検し、多様な音楽を聴き、その背景にある歴史や文化を学んでみると、捉え方が変化した。「多様性」を構成する一つひとつの要素は、一見ばらばらなようで、本当はすべてつながりあっているのではないかと思うようになったのだ。
ある地域のある村に住む人が、暮らしの中で歌を口ずさみ、それが長い年月をかけて少しずつ変化しながら違う村に伝わっていく。そうやって生まれた異なる色彩の音楽が、どこかで出会い、混ざり合い、新しい色を作っていく。そんな音楽の歴史をイメージしてみると、多様な世界は無限のグラデーションでできていて、今の私も、その中のひとつのドットかもしれないと思えてくる。こんなわくわくする気持ちをくれる「Global Jukebox」は、本当に夢のようなツールだ。