普段めったに出会うことのない希少な生き物たち。身近にいるはずなのに、よく知らない生き物たち――。そんな「文字通り珍しい生き物」「実は詳しく知られていない生き物」の研究者にお話を伺う連載企画「珍獣図鑑」。
研究者たちはその生き物といかに遭遇し、どこに魅了され、どんな風に付き合っているのか。もちろん、基本的な生態や最新の研究成果も。生き物たちと研究者たちの交流が織りなす、驚きと発見の世界に誘います。
第20回は「カヤネズミ×畠佐代子先生」です。それではどうぞ。(編集部)
町のネズミとぜんぜん違う、草地に適応したカヤネズミ
「ネズミ」と聞くと、都会の裏路地や下水溝の中を走り回ってゴミを漁る姿がまっさきに思い浮かぶかもしれない。多くの人がネズミに対してあまりよい印象を持っていない理由は、その不潔なイメージのせいだろう。しかしカヤネズミの生態は、そういう人間の生活にうまく取り入ったネズミたちとはずいぶん違うようである。
カヤネズミの「カヤ」は茅葺きの「カヤ」。
「まず住んでいる場所がぜんぜん違います。カヤネズミの『カヤ』は漢字で書くと『茅』となり、昔は茅葺き屋根の材料などに使われていたオギ、ススキ、ヨシなどの背の高い草、専門用語で高茎草本と呼ばれるグループの草のことです。そういう草が生えている草地で一生を過ごすネズミなんです」
草にからませてバランスをとるための長い尻尾。
草を掴むために180°開くようになった後ろ足の指。
そして、障害物に引っかかりにくいように小さくて体に沿うような形の耳。カヤネズミの体は草地の生活に最適化されているのだ。
「そういう生き物を草地性の生き物といいますが、カヤネズミも草地に適応した体を持っています。
大人のカヤネズミの大きさは頭から尻までがだいたい6センチくらいですが、尻尾は7センチくらいになります。この長い尻尾を器用に草に巻きつけて体を支えたりするんです。
さらに後ろ足の小指と親指が中三本の指に対して直角に開けるようになっていて、ものを握るのがうまいですね。これも草を掴んで移動するのに有利な特徴です。
体重がすごく軽くて7,8gくらい、骨の重さが体重に占める割合も5%しかありません。鳥と同じくらい骨をスカスカにしてまで軽量化することで草の上に無理なく乗れるんです。
それから、おもしろいのが耳ですね。世の中のネズミのイラストって、だいたい耳が大きく描かれてると思うんですよ。そういう大きな耳は地上を走り回るネズミの特徴で、たしかに音を集める上では有利なんですが、草地ではあちこち引っかかって動きにくいんです。なので、カヤネズミの耳は小さい上に顔の側面に沿うようについています。」
イソップ物語の「都会のネズミと田舎のネズミ」ではないけれど、草地に住むカヤネズミと街に住むネズミは別物のよう。
骨をスカスカにして耳も小さく引っかかりにくいようにして……聞いていると、相当ストイックに草地に適応しているようすが伝わってくる。どんなふうにして生活しているんだろうか?
草を編んで丸い巣を作る。
「エノコログサ(ネコジャラシ)のようなイネ科の草の種子だったり、バッタのような昆虫などを食べて暮らしています。
一番の特徴は草を編んで巣を作ることですね。人間の握り拳くらいの大きさで丸い形をしています。外側は荒く編んだ草で作り、中には細かく裂いた柔らかい草を入れた二重構造になっています。さらに秋や冬になって気温が下がるとフワフワしたススキやオギの穂を入れて保温性を高めます。雨水が入ってきにくく、さらに中に詰めるものを加減することで冬は温かく、夏は風通しよく涼しくすることができる優れものです。ススキやオギの穂には種子がついているので冬場の食料にもなりますね」
す、すごい……!そんなに器用なネズミだったなんて!フワフワの布団兼食料にくるまれて冬越しするなんて、人間に例えると炬燵+みかんみたいな状態だ。うらやましい。
草地に適応したがゆえに、草地減少の影響をもろに受ける
カヤネズミの生活できる草地は減少する一方だ。
草で巣を作り、草地でとれる種子や昆虫を食べて暮らすカヤネズミ。しかし現代では肝心の草地が減ってきていることで生息数が激減してしまっているようだ。
「日本はもともと森林の多い国です。温暖湿潤で木が育ちやすいから、洪水や草刈りなどによる植生の撹乱がなければ草地にも木が生えてどんどん森林に遷移していってしまいます。そんな地理的条件を反映しているのか、日本に生息する哺乳類で草地性のものはカヤネズミとハタネズミの2種類しかいません。
昔は茅葺き屋根の材料をとったりするために人里の近くに茅原が維持されていました。東京の茅場町のように、日本中にある『茅』がつく地名としてその名残を見ることができます。ほかに草地ができやすいのが、定期的に発生する洪水で植生がリセットされる河川敷です。
現代では茅葺き屋根のための茅原はほぼ残っておらず、河川改修が進んだことで河川敷の草地も縮小しています。
そんなわけで、国土に占める草地の割合は100年前の約13%から近年ではなんと1%以下にまで減少してしまいました」
なんと、草地がそんなに減っていたとは!
「草地に適応して生きているカヤネズミは他の環境では生きていけません。野外での寿命も平均1年程度と短い上に、昆虫のように飛んで逃げるということもできない。つまり今いる場所がダメになったときに一時的に遠い別の場所に避難して、環境が回復してから戻ってくる、ということができないんです。
生息範囲こそ北は宮城から南は鹿児島までと広いですが、生息が確認されている地域の8割でレッドリスト(絶滅が心配されている生き物のリスト)に記載されている状態です」
街で見かけるドブネズミ・クマネズミ・ハツカネズミみたいに別の環境に適応するということができなかったわけか。少ない草地になんとか生きていたのが、人間の生活の変化で生息地が減ってしまっていると。
「自然保護と言うとどうしても木を植える方向に話が流れがちですが、じつは森林の面積はこの100年でほぼ変わっていません。『本当に減っているのは草地なんだよ』というと驚かれることが多いですね。
草地がなくなるのは人間にとっても困ることが多いんです。たとえば河川の樹林化という現象です。これは河川改修などで洪水が起きにくくなったことで本来なら木が生えなかった河川敷や川の中州が森になっていく現象なんですが、木が水をせき止めてしまうため川の流量が増えた時にいっきに水位が上がってしまう原因になります」
河川敷や中州に木が繁茂しているところは見たことがある。木が生えるのは自然なことだと思っていたけれど、人為的な河川改修で川が氾濫しなくなったせいだったのか。
草刈りにひと手間かけることで、保全の光が見えてきた
生息地を刈り払う草刈りはカヤネズミの大敵。でも、やらないわけにはいけない事情がある。
草地と切っても切れない関係にあるカヤネズミ。しかし人間の生活圏の近くにあることが多い草地はその影響を受けやすい。長年カヤネズミの研究をしてきた畠先生だが、生息地が根こそぎ消えてしまうということを何度も経験したという。
「大学院にいたときはよく木津川でフィールドワークをしてたんですが、忘れもしない1年目の6月10日のことです。いつも行っている堤防ののり面に出たら、そこにあるはずの草地が残らず刈り払われていました。ほんの2日前までそこにカヤネズミの巣があって、中に赤ちゃんがいて観察していたんです。カヤネズミの赤ちゃんは生後3週間くらいで独り立ちするんですが、まだとてもそういうことができるような日数ではなくて、それがとてもショックでした。
そのときはまだ知らなかったんですが、木津川の堤防は年に2回、春と秋に草刈りが入るんですね。でもこれは堤防の定期検査をするために必要な作業だから、やらないという選択肢はないんです。
草刈り自体はやったうえで、もう少し生き物に影響を与えないやり方はないかを考えました」
定期的に行われる河川改修や堤防の検査のための草刈り。環境の保全とどう折り合いをつけるかが課題となってくる。
それは悲しい。それで、どうなったのでしょう?
「一度にすべての草を刈り取るから逃げ場がなくなって全滅してしまう。そこで考えたのが、予定地を区分けした上で時期をずらして草刈りを入れて、生息地から追い出されたカヤネズミが逃げ込める草地を常に確保しておくという方法でした。
予定地をABCに分けて、まずAの草を刈る。Aの草がある程度回復したら次にBを刈る。同じようにしばらくしてからCを刈る。こうすれば追い出されたカヤネズミが隣の草地に逃げ込むことができると考えたんです。
幸いにも相談を持ち込んだ国土交通省の河川事務所から『2、3回に分けて刈るくらいなら協力できる』という回答が得られ、その年の春の草刈りを3回にわけてやっていただきました。結果、なんの対策もしなかったときに比べて巣の数が7倍になったんです」
すごい、効果てき面だ。
「この『分けて刈る』やり方は2013年に京都の桂川で河川改修工事があったときにも応用して、工事の前と後で巣の数が変わらないという結果を残しました。このときは、一部が灌木林になりかけていた草地がリセットされることで工事前よりもむしろよい草地になるというありがたい誤算もありましたね」
なるほど、適切なやり方で手を入れることで放っておくよりもよい結果が出ることもあるということか。
カヤネズミについて知り、調査に参加してもらうために立ち上げた全国カヤネズミ・ネットワーク
カヤネズミ観察会の様子。
畠先生が研究と同じくらい力を入れているのが、自身が代表を務める全国カヤネズミ・ネットワーク(http://kayanet-japan.com/)だ。全国の有志が集めたカヤネズミ情報を集約するほか、カヤネズミや草地の生き物について広く知ってもらうための観察会や各種イベントを企画している。そこまでする原動力はなんなのだろうか?
「文系から理系に鞍替えして大学院に進んだ動機が、動物のために何かできるようになりたいという思いだったというのがまずあります。カヤネズミの研究は前任者の引継ぎという形で始めましたが、フィールドに通い詰めるうちに保全への思いは強くなっていきましたね。
これも大学院1年目のことですが、カヤネズミの子育てを調べるために通っていたオギ原が、翌年に再訪してみたら泥の山になっていたということがあったんです。地主の人と話してみたら『駅の工事で出た土砂を置く場所がほしいって言われたから、貸してあげた』って。でももっと悔しかったのはその次の言葉でした。『そんな貴重なネズミがいると知ってたら、貸さなかった』と言われたんです」
それは悔しいし悲しい。たしかに、環境保全は一部の有識者や愛好家だけが行動してもあまり意味がないのである。草刈りの時期をずらすのも、土砂の置き場を別の場所にするのも、行為自体はそれほど難しいことをしているわけではない。大切なのはより多くの人が自然保護のために「ちょっと譲る」ことだと畠先生は言う。
「農家の方が『カヤネズミは稲を荒らすから見つけたら駆除している』と言っているのを聞いて違和感をもったことがあるんです。私がそれまで田んぼに住むカヤネズミを観察してきた経験では、カヤネズミは稲の茎や葉を使って巣を作ることはあっても、お米そのものはほとんど食べないという印象を抱いていました。
そこで、彼らがいったい何を食べているのかをきちんと調べてみることにしたんです。糞に含まれるDNAを分析することで食べたものがわかるんです。結果として、米はほぼ食べていないことがわかりました。わずかに米が検出されたサンプルは休耕田からとってきたもので、つまり稲刈りが終わった後の地面に落ちている米を食べる程度なのではないかと。
そして米の代わりにたくさん検出されたのが、イネの敵である雑草の種子やバッタでした。
稲に巣を作ってしまうカヤネズミは一見すると邪魔者なのかもしれませんが、こちらがちょっと譲ってあげることで田んぼを作っている人間にとっても良いことがあるということがわかったのは大きな収穫でした。
カヤネズミについての正しい知識を多くの人に知ってもらうことが保全に繋がっていくという思いも強くなりました」
そういった経験から、全国カヤネズミ・ネットワークでは生息地などの情報交換以外にもカヤネズミについて知ってもらう活動をいろいろ試行錯誤しているという。中には遊び心のある企画も。
世界農業遺産に指定された静岡の茶草場(茶畑の横に植えられたススキ。細かく切って茶畑の地表に撒くことで茶の質が向上する)とそこに住むカヤネズミをあしらったイラスト。川柳コンクールの賞品のクリアファイル用に、カヤネズミ・ネットワーク会員のイラストレーターが描いてくれたんだとか。
「カヤネズミと川柳をかけ合わせることで、カヤネズミは知らないけど川柳なら興味がある、という人にリーチしたらいいと思って企画しました。ほかにも、カヤ原カフェといってカフェの中にカヤ原を再現してみたり、動物園と企画展をしたり、手探りながらいろいろやっています」
もっと多くの人にカヤネズミについて知ってもらいたい。そう考えて行動する畠先生だが、カヤネズミの見た目の愛らしさゆえにSNS等で間違った情報が拡散されることがあるのを見て頭を悩ませることもあるのだそう。
「チューリップの花の中に入ったカヤネズミの写真がものすごい勢いで拡散されたときはほんとうに脱力しました。中には『うちの庭のチューリップにもカヤネズミが来るかも』なんて本気で言う人まで出てくる始末で。撮影者はこれはアートであって生態写真ではないと明言していましたが、そういう情報が抜け落ちてしまったんでしょうね。
カヤネズミが減っているのは生息地の草地が減っているからなのに、チューリップ畑に住むネズミだと思われるとそこまで理解が進まなくなってしまうんです。
正しい情報と保全のための知識を一人でも多くの人に届けて、実践してもらえるよう取り組んでいきたいですね」
【珍獣図鑑 生態メモ】カヤネズミ
オギ、ススキ、ヨシなどの背の高い草地に生息するネズミ。草を編んで握り拳くらいの大きさの丸い巣を作る。イネ科の植物の種子や昆虫などを食べる。草に絡めるための長い尻尾、物を掴みやすい手の構造、軽い体と邪魔にならない構造の耳など、草地での生活に最適化した体をもつ。