梅雨の晴れ間となった6月17日(土)、横浜市内のフェリス女学院大学山手キャンパスで同大学主催の「ジェンダーでクラシック音楽を考える」というイベントが開催されました。
「ジェンダーとクラシック音楽?」。筆者は正直、その結び付きや関係性がまったくわかりませんでした。だからこそ知りたいという好奇心が湧き、あまり経験のないクラシック音楽の生演奏にも惹かれてイベントに参加してきました。その模様をレポートします。
ジェンダーとクラシック音楽との関係
対談された井上先生(左)と吉原先生(右)
2023年4月、ジェンダー教育・研究拠点として同大学内に新設された「ジェンダースタディーズセンター」。その開設記念の一環として催されたのが今回のベントです。1部は「音楽家にとってのジェンダー、音楽教育のジェンダー化とは?」がテーマの対談、2部は同大学音楽学部の教員と学生による「ジェンダーとセクシュアリティからクラシック音楽を聴きなおす」をテーマにした演奏会が開かれました。
対談の登壇者は、アメリカ文化史、アメリカ=アジア関係史、ジェンダー研究などを専門とするハワイ大学教授の吉原真里先生と、音楽学、音楽文化史、音楽社会学を専門とするお茶の水女子大学准教授の井上登喜子先生です。
クラシック音楽は19世紀のヨーロッパで生まれた音楽で、実はジェンダー規範と結び付きが強いといいます。そもそもクラシック音楽は、ジェンダー化された歴史・文化の中で発展してきた音楽だというのです。
当時に活躍した有名な音楽家として一般的に知られているのは、モーツァルトやベートーヴェン、シューマン、リスト。たしかに男性ばかり。一方で、同時代にクララ・シューマンのように優れた女性ピアニスト兼作曲家や、ピアノ曲「乙女の祈り」の作曲者バダジェフスカのような作曲の才能に溢れた女性音楽家がいたことはあまり知られていません。女性の社会的地位が低かった当時、彼女たちの才能が正当に評価されなかったという側面もあるのかもしれません。こうした背景を受けて、日本のクラシック音楽界も男性中心のビジネスになっているそうです。
井上先生からは、ジェンダーにまつわるご自身の経験が語られます。「楽曲研究をする場合、かつては、『女性作曲家の作品を研究したい』と言うと周りに止められました。『そんな二流の音楽を研究しても意味がない。研究するならキャノン(古典的名作や傑作)だ』と。偉大な男性作曲家の作品なら研究価値があるとされてきたんです」。研究の対象となる音楽家や楽曲にもジェンダーバイアスがあることに、正直驚いてしまいました。
日本のクラシック音楽におけるジェンダーステレオタイプ
中村大三郎の屏風絵「ピアノ」(左)、『レッスンの友』の表紙(右上)、ヤマハ音楽教室の様子が映されます
「クラシック音楽におけるジェンダー化はピアノが象徴的です」と話す吉原先生。19世紀のヨーロッパでは、ピアノを習い、弾くことは、“女子のたしなみ”“女子としての教養”と位置付けられていて、家庭内でピアノを弾く行為自体が女性的だと認識されていたというのです。
スクリーンに映されたのは、日本画家の中村大三郎の屏風絵「ピアノ」。日本でも、江戸時代にオランダから持ち込まれたとされるピアノが、大正時代には上流階級の女子のたしなみになっていたようです。「振袖でピアノを弾くのはさぞかし大変だったんじゃないかと思います(笑)」と吉原先生。日本のクラシック音楽におけるジェンダーについて事例を織り交ぜながら話が進みます。
吉原先生は今、「ピアノのお稽古と日本人」をテーマにした本を書くためにさまざまな調査をしているそう。そこらから見えてきたのは、ピアノ=女の子というジェンダーステレオタイプ(固定的な思い込みやイメージ)だといいます。「例えば1963(昭和38)年に創刊されたピアノ・レッスン誌『レッスンの友』のバックナンバーで表紙を飾っているのは女の子率が圧倒的に高いですし、1962(昭和37)年~1983(昭和58)年までNHKで放送されたピアノのレッスン番組『ピアノのおけいこ』に出演してピアノを習う子どもは女の子が多いんです」。
井上先生からはある問いが会場に投げかけられました。「小中学校の音楽の授業を思い出してみてください。習うのは、バッハやモーツァルト、ベートーヴェンなど男性作曲家の曲がほとんどではありませんでしたか?」。筆者は、「わかるわかる」と深くうなずいてしまいました。井上先生は、「音楽教育もジェンダー化されている」と話します。こうした教育を通して、多くの人がクラシック音楽といえば男性作曲家や彼らの曲をイメージするようになってしまうと警鐘を鳴らします。「音楽は『作曲する人』『演奏する人』『聴く人』がいて成立する芸術。音楽教育自体を考える必要があると思います」と井上先生は語気を強めました。
会場のフェリス女学院は、音楽学部を擁し、音楽教育の現場でもあります。女子大における音楽教育のメリットについても議論がなされました。女子大は、女性に高等教育を提供するのが目的の場。だからこそ、意識的にジェンダー教育・研究がなされやすい環境といえます。「そうした環境で音楽の専門知識や技能・表現力を磨くことができるだけでなく、音楽を『作曲する人』『演奏する人』『聴く人』すべてがジェンダーに基づいていることを体感的に学べる貴重な場所だと思います」と吉原先生。
プロの音楽家をはじめ男性中心のビジネスになっているクラシック音楽界では、クラシック音楽に関わる仕事をする人も男性中心だといいます。「今後はもっと多様になるべき」と話す井上先生はこう続けました。「例えば、学生だけでオペラの舞台製作をすることになったとします。歌手や演出家、舞台監督などの手配、営業や広報活動などさまざまな仕事が発生しますが、そうしたことを『女子だけ』で経験できるのは女性のリーダーシップ教育にもつながります」。井上先生のこの言葉は、参加していた学生たちへのエールにも聞こえました。
「BLM」や「#MeToo運動」によるクラシック音楽界の地殻変動
クラシック音楽界の将来に向けた話で盛り上がった対談後終盤
昨今、世界を揺るがしている「Black Lives Matter」や「#MeToo運動」といった社会運動などを受けて、クラシック音楽界をはじめとするアメリカの芸術界が地殻変動的に変わりつつあるといいます。
吉原先生のご著書『「アジア人」はいかにしてクラシック音楽家になったのか?─人種・ジェンダー・文化資本』は、約20年前にアメリカのクラシック音楽界で活躍する多数のアジア系アメリカ人音楽家へのインタビューを通して書かれたもの。当時はまだ女性としてさまざまな偏見や障壁を感じているにもかかわらず、構造的差別についてフェミニズムのような政治的な言語や理論を使って語るアジア人音楽家はとても少なかったそうです。
「今、20年越しに同じ人たちにインタビューさせてもらい変化を調査しているのですが、以前と比べると、ジェンダーや人種などが持つ構造的な力を理解して、積極的に異議申し立ての発言や行動や連帯をする音楽家が増えています」と吉原先生。クラシック音楽界ではより積極的に演奏者や指揮者に女性を登用する動きも出てきているといいます。さらにここ数年で、「オーケストラやオペラカンパニー、コンサートホールなどを運営する人」「コンサートプログラムを作る人」「コンサートを企画する人」などこれまで男性中心だったクラシック音楽に関わる仕事、特に運営に携わる人の多様化も進んでいるようです。
井上先生いわく、意思決定を下すリーダー的ポジションで女性が活躍する姿も見られるようになったそう。国内外にいる女性指揮者を例に挙げて教えてくれました。「米国のメジャー・オーケストラの音楽監督を務めた初の女性指揮者マリン・オルソップは有名ですし、指揮者の世界的登竜門『ブザンソン国際若手指揮者コンクール』で日本の沖澤のどかさんが優勝したニュースは記憶に新しいところです」。女性をはじめ多様な人がもっと参入できるようになればクラシック音楽文化がよりダイナミックに生き生きとしたものになっていくのかもしれません。
クラシック音楽界におけるジェンダーにまだまだ課題はありつつも、最後は希望が持てるお二人の話で対談は締めくくられました。
クラシック音楽の心地の良い世界へ
「トゥナイト」を歌い上げる土屋先生(右)と西先生、ピアノは音楽学部副手の峯梨良さん
休憩を挟んで2部に。司会を務めた音楽学部の土屋広次郎先生の軽妙なトークに会場からは何度も笑いが起きていました。演奏会では、「男性作曲家の影となった女性作曲家」「アメリカ近代作曲家たちとセクシュアリティ」という2つのテーマの基にセレクトされた計7曲を堪能。
最初の曲はバダジェフスカの「乙女の祈り」。清らかでのびのびとした旋律が会場中に響き渡りました。次はクララ・シューマンの歌曲「3つの詩より<風雨の中を彼がやって来た>」。講師の西由起子先生が美しいソプラノで情熱的な恋の歌を歌い上げます。当時に思いを馳せながら聴く彼女たちの作品は感慨深いものがありました。その後も素晴らしい演奏や歌が続き、ただただ聴き入るばかりでした。
「男らしく」「女らしく」といったジェンダーバイアスだけでなく、クラシック音楽のように、身近にありながらも気づかないジェンダーがあると学ぶことができたイベント。演奏会の余韻に浸りながら山の手キャンパスを後にしました。