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  • date:2024.1.30
  • author:岡本晃大

珍獣図鑑(22):海を渡るサワガニ!遺伝子解析で明かされた分散の歴史と驚くべき能力とは

今回お話を伺った研究者

竹中將起

信州大学学術研究院理学系 特任助教

2019年に信州大学大学院博士課程修了。基礎生物学研究所(日本学術振興会特別研究員)、筑波大学生命環境系(特任助教)をへて2022年より現職。カゲロウやカワゲラ、トビケラといった水生昆虫を対象とした研究を進めるかたわら、近年は日本列島全域からサンプルを集めてサワガニの生物系統地理研究に取り組む。


普段めったに出会うことのない希少な生き物たち。身近にいるはずなのに、よく知らない生き物たち――。そんな「文字通り珍しい生き物」「実は詳しく知られていない生き物」の研究者にお話を伺う連載企画「珍獣図鑑」。

研究者たちはその生き物といかに遭遇し、どこに魅了され、どんな風に付き合っているのか。もちろん、基本的な生態や最新の研究成果も。生き物たちと研究者たちの交流が織りなす、驚きと発見の世界に誘います。

第22回は「サワガニ×竹中將起先生(信州大学 特任助教)」です。それではどうぞ。(編集部)


 

サワガニはありふれた生き物である。

海のカニたちのように高級食材として珍重されることはないし、山の近くの川に行けば簡単に採集できるので生き物好きの人々の話題に上ることもあまりない。けれどその採集の手軽さゆえに、子供の頃に飼育したことがある人は多いと思う。

 

そんなサワガニの「どこにでもいる」性質を逆手にとった研究をしているのが、信州大学の竹中先生のグループだ。

日本全国のサワガニの遺伝的なつながりを調べていく中で、伊豆半島や関東の一部に住むサワガニと、遠く離れた九州・南西諸島のサワガニとが遺伝的にきわめて近縁であるという予想外の結果が得られたという。

なぜだろう?

そこにはサワガニの驚くべき能力が隠されていたのである。

一生を内陸ですごすカニ、サワガニ

サワガニ。

サワガニ。(長野県で撮影)

 

身近な生き物であるがゆえに、あらためて考えると「どこにでもいる」「見た目がかわいい」以外にほとんどサワガニについて知らないことに気がついた。驚きの能力の前に、サワガニの生態について教えていただくことに。

 

「『沢のカニ』という名前の通り、河川の上流域であったり、山間部を流れる渓流に生息しているカニです。

春から初夏にかけての繁殖期にはメスは卵や生まれた稚蟹をおなかに抱えて保護します。

特徴的なのは卵から生まれてくる時の姿です。海に住んでいるカニや、モクズガニのように河川と海を行き来する両側回遊性のカニは卵からプランクトンの状態で生まれます。このプランクトン期は海で過ごさないと成長できないので彼らは海から離れて生活することができないんですが、サワガニの稚蟹は、成体とほぼ同じ姿で生まれるため一生を内陸で生活できます」

 

なんと、サワガニ以外のカニは海に出ないと成長できないと! むしろこっちのほうが意外。

 

「そうなんです。そもそもサワガニの遺伝子解析をしようと考えたのも、この海に下らないという性質に注目したからです。

私の専門は生物系統地理という分野で、日本列島の生き物がどこからやってきて、どういうふうに生息域を広げていったのかといったことに興味がありました。海峡や急峻な地形で細かく区切られた日本列島はこうした研究に適しています。生き物の集団が分断されることで遺伝子に変異が蓄積しやすく、そうした変異を比較することでその生き物がどうやって伝播していったかが推測できるからです。

同じような理由で、研究対象にはあまり移動しない生き物が適任です。というのも行動範囲が広い生き物だと、同じ遺伝子をもった個体が広範囲に拡散してしまうので地域性が出にくいんです。

カニにしても、プランクトン期にいったん海に下ってしまうとそこから先はどこまでも移動できてしまいます。その点サワガニは、陸を歩いて移動はできるんですけど、生まれた川からそう遠くまでは移動しないはず。だから生物系統地理の研究としては最適だと考えました」

 

なるほど、そこから全国のサワガニを解析し始めたと。

 

「数が必要な研究の対象としてはほんとにいいと思います。すぐに見つかりますから、とりあえず現地に行きさえすれば捕れる。別の目的で遠出をしたときに、同行者にちょっと待っておいてもらって捕りに行ったりもしましたね。あとは遠出する知人にお願いしたり。

しかも、これは私も驚いたんですけど、サワガニってあんなにありふれた生き物なのに体系的な研究があまりされてこなかったことがわかりました」

サワガニが生息する渓流。

サワガニが生息する渓流。

 

特定の地域に生息するサワガニに関する研究はあったものの、日本全国のサワガニを比較した研究は見つからなかったという竹中先生。

研究のブルーオーシャンは身近なところに転がっていたというわけか。

そして順調にサンプルの数を増やしながらサワガニの系統地理解析を進めていく中で、不可思議なデータに行き当たったという。

屋久島のサワガニの親戚が伊豆半島に?

「あるとき後輩が『琉球列島で採集した個体と伊豆半島で採集した個体が近縁です』と言って解析したデータを持ってきたんです。

いや、そんなわけないやろと。初めは実験ミスかなにかのせいだと思ったんですが、何度確かめても同じ結果が出るんですね」

 

これはなにか面白いことが始まる予感……。起承転結の転にあたる展開だ。

 

「もともとサワガニ属は東南アジアとか台湾とか、南方に起源をもつ生き物です。それが琉球列島や日本列島が陸続きだった時代に陸地を伝って徐々に北上して分布を広げてきたのだろうと考えていました。

伊豆半島に生息する系統が、隣接する関東地方の系統よりも遠く離れた琉球列島の系統に近縁だというのは、この仮説では説明できないことなんです。

 

これを説明するには、陸伝いに伝播したグループとは別に、琉球列島から海を渡って直接伊豆半島に移動したグループがいると考えるしかないなと」

陸地を伝って分布が広がったのであれば、地理的な近さと遺伝的な近縁の度合いが比例していなければおかしい。ところが、伊豆半島に孤立した系統(のちに三浦半島や房総半島の系統も)が遠く離れた琉球列島の系統と極めて近縁だったという。(プレスリリースより引用、一部加筆)

陸地を伝って分布が広がったのであれば、地理的な近さと遺伝的な近縁の度合いが比例していなければおかしい。ところが、伊豆半島に孤立した系統(のちに三浦半島や房総半島の系統も)が遠く離れた琉球列島の系統と極めて近縁だったという。(プレスリリースより引用、一部加筆)

 

一生内陸で過ごすと思われていたサワガニが海を越えて移動していたかもしれないと! これは大発見! しかしどうしてそんなことが可能だったんだろう?

海水でも平気だった!サワガニが持っていた驚きの能力

「私たちが一番気になったのもそこなんです。先ほど説明したようにサワガニは生まれてから死ぬまで淡水の中で生活するカニです。文献によっては明確に『海水中では生きられない』と書かれているものもあります。仮に洪水などで海まで流されることがあっても、別の場所に漂着するまで生きてられないんじゃないかと。

一応確かめてみるかということになって、海水と同じ濃度の塩水を入れた容器でサワガニを飼育する実験をしてみました。そうしたらなんと、驚くべきことに2週間たってもほとんどの個体が生き残っていたんです!」

 

すごい、定説がくつがえったわけだ!

「海水中では生存不可」が定説だったサワガニ。しかし実験してみた結果、2週間たっても多くの個体が生存していた。

「海水中では生存不可」が定説だったサワガニ。しかし実験してみた結果、2週間たっても多くの個体が生存していた。

 

「そうなんです。しかもサワガニはただ海水中で生きられるだけではなくて、淡水と海水を行き来する他のカニと比べても塩分に対する高い順応力を持つことがわかりました。そうしたカニは普通、川が海に注ぎ込む汽水域と呼ばれる淡水と海水が混ざりあう環境でしばらく体を慣らしてから本格的に海に下るんです。

ところがサワガニはそうした順応期間なしにいきなり海水に入れても平気だということが分かったんです。はじめはちょっと信じられませんでした」

 

海水と無縁の環境で生きているサワガニが塩分に対して高い耐性をもっていたなんて、本当に驚きだ。2週間も生きられるなら運の良い個体は海を越えて新天地にたどりつけそう。

 

「もちろん、新天地にたどりついたからと言ってすぐにそこに定着できたとは思えません。先住のサワガニとの競争に負けて淘汰されたものの方が多かったでしょう。

南西諸島に行くとサワガニの住んでいそうな渓流がそのまま海に注いでいるような環境を頻繁に見ることができます。そういう場所では増水によってサワガニが海に流されてしまうことも多かったと考えられます。

長い時間をかけて多くのトライアンドエラーが繰り返されて、伊豆半島のような定住しやすい場所に流れ着いたごく一部の系統だけが今日まで残ったんだと思います」

急峻な地形をもつ離島では、平野部を介さずに山から海へ注ぐ渓流が多く見られる(写真は南西諸島ではなく佐渡島)。サワガニの生息地と海が隣接しているこういった場所では、海に流されるサワガニも多かったはずだ。

急峻な地形をもつ離島では、平野部を介さずに山から海へ注ぐ渓流が多く見られる(写真は南西諸島ではなく佐渡島)。サワガニの生息地と海が隣接しているこういった場所では、海に流されるサワガニも多かったはずだ。

 

伊豆半島が定着するのに都合がよかった理由はなんだろう?

 

「伊豆半島はもともと独立した火山島だったものがプレートの動きで本州に合体してできた半島です。合体した時期はおよそ60万年前と比較的歴史が浅く、そのため今日でも伊豆半島には独特の生物相が残っているんです。サワガニが渡来した頃はまだ本州と合体する前で、陸伝いに伝播してきた系統がいない空白地帯だったのかもしれません」

 

なるほど、競争相手がいない状態だった可能性が高いと。

 

「同じような条件の地形である三浦半島や房総半島でも漂着した個体の子孫が見つかるのでは?と思って調べてみたところ、まさしくそういう系統が見つかりましたね」

 

サワガニの分布は日本列島の地質形成と対応しているわけですか。どんどん話が大きくなるな。

赤だけじゃないサワガニの色。じつは隠蔽種がたくさんいるかも

素朴な疑問だけれど、伊豆半島は現在では本州と接続して、サワガニについていえば琉球列島起源の系統と本州の系統の生息域が陸上で接している状態だ。同じサワガニ同士、交配で遺伝子が混ざっちゃうことはないのだろうか?

 

「いわゆる浸透交雑ですね。そういう例も見つかっています。

有性生殖する生き物のDNAは、ミトコンドリアDNAが母親、核DNAが父親・母親両方から受け継いだものですが、ミトコンドリアが伊豆の系統、核が本州の系統というサワガニが見つかっています。つまり伊豆の母親と本州の父親の間で生まれた個体がすでにいるわけです。

まだ詳しいことはわかりませんが、徐々に交雑が広がりつつあるという可能性もあります」

 

60万年という途方もない時間のようだが、そのくらいではまだ混ざらないと。

 

「伊豆半島はサワガニ以外でも固有の生物が観察される場所です。陸続きになったあとも生き物の移動を妨げるなんらかの障壁があるのかもしれません。ただ種によっては本州との新棟交雑が完了してしまっているものもいるので、そうなる場合とならない場合で何が違うのかはよくわかっていません。

交雑といえばおもしろいのが、伊豆・三浦・房総の系統はみんな青い色をしているんですが、関東の丹沢山地にも青いサワガニが見つかっています。つまり遺伝子的には本州の系統なのに、体色だけは伊豆の系統と同じものがいるんです。海を越えて持ち込まれた青い体色という形質が本州の系統に伝播したのかもしれません」

 

青いサワガニがいるとは!

 

「一般的にカニといえば赤というイメージを持たれる人が多いですが、サワガニについていえば赤、黒、褐色、青、そしてまれに金色の個体が見つかるなど、体色は多様です。」

代表的な赤系の体色(C)のほかに、黒系(A)、褐色系(B)、青系(D)などが存在する。まれに金色のサワガニが見つかることもあるとか(それぞれA:長野、B:佐渡、C:九州、D:伊豆で撮影)(プレスリリースより引用)

代表的な赤系の体色(C)のほかに、黒系(A)、褐色系(B)、青系(D)などが存在する。まれに金色のサワガニが見つかることもあるとか(それぞれA:長野、B:佐渡、C:九州、D:伊豆で撮影)(プレスリリースより引用)

 

「海流で分散した伊豆系統のサワガニが青い体色をもつというのもそうですが、ほかの地域でもサワガニの色には強い地域性があります。ただ同じ地域に2つ以上の体色が存在する例もあって、体色の決定は遺伝的な要因というよりも生息環境によるものであるとこれまでは言われてきました」

 

ここまで見た目が違うならもう別種では?と思ってしまうけれど、遺伝子レベルでの別物かはわからないと。

 

「体色による線引きが可能かはまだわかりませんが、現在サワガニと呼ばれている種がいくつかに分かれる可能性はありますよ。

これまでも屋久島のヤクシマサワガニや甑(こしき)島のコシキサワガニのように島ごとに種分化したサワガニはいくつも記載されてきましたが、今回の研究で九州や四国に生息するサワガニも、ほとんど別種といっていいほど遺伝的に離れていることがわかりました。これらは外見による区別が困難ないわゆる隠蔽種の可能性があります。近い将来に、我々がサワガニと呼んできた生き物がさらにいくつかの種に分かれるかもしれません」

 

地域変異の大きな生き物が、詳しく調査された結果何種類にも細分化されるというのはままあることだが、サワガニにもその波が来るかもしれない。これはなんだかワクワクしてくる。

 

「フィールドでは地形と生物の関係みたいなことを意識しているので、「この場所とこの場所だと遺伝的に分かれるんじゃないかな?」みたいな小さな仮説をたてながら採集しています。それを実験室に持ち帰って解析したら、実際その通りになってたりとか。前述の三浦半島や房総半島で採集した個体が海流で分散してきた系統だったのは、まさにその仮説が当たった例です。今後もそういったフィールドでの感触と実験室での裏付けを両輪にした研究をしていきたいです」

 

【珍獣図鑑 生態メモ】サワガニ

サワガニ。

一生を河川の中・上流域で過ごす淡水ガニ。日本列島の青森以南で普通に見られ、捕獲が簡単であるため子供たちからの人気も高い。地域によって青、黒、褐色、赤などの体色が見られ、ごくまれに金色の個体が発見されることもある。きれいな水にしか住めないため、水質階級I(綺麗な水)の指標生物ともなっている。

 

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