餅業界の革命児、謎の冷凍餅現る!
今の世の中、スーパーに行けばさまざまな冷凍食品が並んでいる。そんな中、関西大学と和菓子屋がタッグを組み、自然解凍するだけで作りたてのような柔らかな食感が楽しめる、画期的な冷凍餅を開発した。
餅と言えば、モチモチの食感が命ながら、常温で放置しているとすぐに硬くなる&カビが生える上、冷凍保存するともっと硬くなる。そんなデリケートな性質も承知の上で昔から愛されてきた、日本人にとってのソウルフードだ。そんな歴史と伝統ある餅の世界に突如現れた、常識を覆す革命児! それにしてもわざわざ冷凍用の餅を開発するなんて、よほどの餅好きが作ったんだな……なんて事を密かに思いつつ、かく言う私もかなりの餅好き故、この餅はいかにして生まれたのか、誕生の軌跡を辿ってみることにした。
冷凍庫の中で繰り広げられる悲劇
今回のキーパーソン、関西大学化学生命工学部 河原秀久教授
まずは、この特殊な冷凍技術の鍵を握るという、関西大学化学生命工学部の河原秀久教授の元へ。なぜこの餅は、モチモチ食感を失わない冷凍保存が可能なのだろうか?
「そもそもお餅に限らず、食品を家庭用の冷凍庫で長期保存した場合、少なからず品質の劣化を感じませんか? 例えば、ご飯や餃子の皮などが白くなって、解凍後も硬くて食べられないとか。これは、冷凍デンプン加工食品でおきる『白ロウ化』という現象のせいです。また、肉・魚・野菜などを冷凍保存して解凍した場合、肉汁などが発生して食感が悪くなります。これは、酵素反応などで品質が劣化して起こる『ドリップ流出』という現象のせいなんです」
確かに、ご飯の冷凍焼けも、ストックしておいた市販の冷凍加工食品にこびりついた霜も、解凍した生肉から滴り落ちる肉汁も、我が家ではお馴染みの光景。冷凍だから仕方がない! と割り切って、深く考えたことはないけれども。そんな私に向かって、河原教授はこうした現象のメカニズムを解説してくれた。
「『白ロウ化』は、氷が固体から気体になる『昇華』に伴い、冷凍食品が乾燥することで起こります。『ドリップ流出』は、小さい氷の結晶が溶けた後、再凍結により大きい氷の結晶に結合する『再結晶化』によって、冷凍食品の組織が破壊されることで起こります」
ふむふむ。と言う事は、冷凍庫の中では氷の結晶が気体になったり、一旦溶けてまた凍ったりしてるってこと!? 冷凍庫ってずっと変わらず低温をキープしてるんじゃ!?
「実は、家庭用の冷凍庫に食品を入れても、完全には凍らないんですよ。90数%ぐらい凍っていて、一部分は凍りません。しかも、家庭用の冷凍庫は霜が付かないように、霜取り機能があるでしょう? あれは空気や温度を上下させて霜を防ぐという仕組みなんです。だから、冷凍庫内では不均一な温度変化が起きていて、その度に氷の結晶が昇華したり再結晶化したりで、食品の品質はどんどん劣化します。それに、氷の再結晶化に関しては、結晶が大小あれば、たとえ温度が一定な場合でも進んでしまうんです。とにかく、食品を長期間冷凍保存するのは良くないですね」
そうなんですね……と、しばしフリーズ。これまで、冷凍食品は日持ちするけど美味しくないという意識はあったものの、その真相を聞くと、驚きとショックを隠し切れない。ふと、自宅の冷凍庫に眠っている食品のことが気にかかる……。
冷凍餅の秘密は「不凍タンパク質」にあり
冷凍庫の秘密を教えてくれた河原教授の解説は、ここで一気に核心へ。
「そこで私は、氷の結晶を制御して、こうした冷凍食品の品質劣化を招く現象を抑制できる物質『不凍タンパク質』の研究を始めました。そして、世界で初めてカイワレ大根から抽出することに成功し、実用化にこぎつけたんです。例の餅も、この『不凍タンパク質』を使うことで、冷凍後に自然解凍しても柔らかいんですよ」
そうだ、今日は冷凍庫の秘密ではなく、冷凍餅の秘密を聞きに来たのだった! 若干目的を見失っていたところに、3つのキーワードが突き刺さる! 不凍タンパク質? 世界初? カイワレ大根?
「『不凍タンパク質』は、氷点下の環境で氷の結晶に結合し、形態変化や再結晶化などを防止する能力を持つ物質です。昔から世界各地で研究されていて、これまでにも寒冷地に生息する魚、植物、昆虫、カビ、キノコなどから、低温環境に適応するために欠かせない物質として抽出されていました。でも、実用化するには遺伝子組み換え技術を利用するしかないと。こうした状況に対して、私はなんとか天然のままで使える、食品に添加しても安心・安全な『不凍タンパク質』はないものかと、研究を続けてきました」
なるほど。そうして行き着いたのが、カイワレ大根?
「始めは冬野菜に着目したんです。あらゆる冬野菜を調べた結果、最も多く『不凍タンパク質』が含まれているのは大根でした。次に市場を調べると、食用大根の9割が漬物用ということで、私は漬物に使わない葉っぱを利用することにしたんです。と言うのも、『不凍タンパク質』を実用化するには、材料を大量に仕入れて工場で大量生産する、いわゆる工業化をして安定供給を図ることになります。なので、食用大根とバッティングすると大根の価格高騰を招いてしまう……といった問題についても、あらかじめ考えながら進める必要があったんです。でも、研究の結果残念ながら、気温が低い11月~5月に収穫される大根葉以外からは、『不凍タンパク質』は抽出できないことが判明しました。工業化するには、年中確保できることも必須条件です」
大根の9割が漬物用! という小ネタにも驚きつつ、工業化の壁の厚さに唸る。では、この窮地を救うのが、あのヒョロっと頼りない感じのカイワレ大根?
「そうです。大根の種子とカイワレ大根の種子は同じなんですよ。カイワレ大根なら大量に工業生産されている野菜ですし、なんとかなるかも……と試してみたところ、上手くいったんです」
カイワレ大根、恐るべし。こうして、あらゆる条件をクリアし、安心・安全なカイワレ大根由来の「不凍タンパク質」が世に放たれた。世界初の快挙である。
なぜ、餅なのか
現在「不凍タンパク質」は、冷凍餅以外にも、米飯やうどん、ぎょうざ、卵加工品など、さまざまな冷凍加工食品に採用されているそう。もしかしたら、すでに無意識のうちに口にしているかもしれない。ちなみにこの「不凍タンパク質」は、パッケージの原材料名の部分には「カイワレダイコン抽出液」などと明記される液体状のもので、例えば冷凍麺ならたった0.02~0.2%(対生地)と、少量の添加で絶大な効果を発揮している。
冷凍餅の不思議な冷凍技術の謎は解けた。でも、これはまだ開発物語の序盤にしか過ぎない。そもそも、なぜ餅なのか? 河原教授って大の餅好き? それとも、最近餅の需要が異常に高まっているとか?
「あのお餅は、堺市にある『浜寺餅 河月堂』という和菓子屋さんとの共同開発なんです。関西大学と堺市は地域連携協定を結んでいるのですが、その関係でこの『不凍タンパク質』のことを知った河月堂のご主人が連絡をくださって。お餅にも使えないかということで、協力させていただくことになったんです」
第2のキーパーソン、和菓子屋店主の登場である。なぜ冷凍餅が生まれたのか。その核心に迫るには、この店主にも話を聞く必要がありそうだ。正に、餅は餅屋! というわけで、私は河原教授に別れを告げ、次なる舞台「浜寺餅 河月堂」へと向かった。
(後編へつづく)