立命館大学のグローバル人材育成広告キャンペーン「RPG」のインパクトがすごい。(後編)
いわゆる大学の宣伝ポスターとは違った表現で、攻める大学が増えている。そんな中、ほとゼロが取り上げたのは立命館大学の「RPG (RITSUMEIKAN PROJECT IN GLOBALIZATION) 」と銘打ったキャンペーン広告。大学広告の従来のイメージを打ち破るような鮮烈なビジュアルと、「世界とまみれて、世界を変える。」というメッセージが若い世代の心をつかんでいる。その理由や同大学が目指すグローバル教育のあり方を取材してみた。前回の続きをお送りする。(メイン画像:Illustration by Akagi)
世界と、まみれる
後編ではまず、キャッチコピーで使われている「まみれる」について掘り下げてみたい。少しネガティブ寄りの表現でもあるワードであり、「世界とまみれて、世界を変える。」の「と」も気になって、心がざわつく。それが狙いなのか?
「留学とかグローバルとか言うと、エリート向けのものという印象があるのを払しょくしたかった。本学のグローバル教育の本質をメッセージにしました」と語るのは広報課・桜井真純さん。「グローバル教育には、教科書や授業の中で得られる知識や教養だけではなく、体験を通じて自分の中にある常識の壁を壊し、新たな価値観を加えていくことが求められます。ぶつかり、まみれながら、自分になかった見方を体得していくようなプログラムの特色を一言で言い表した言葉なのです」。
辛いことや回り道することもいっぱいあり、失敗して当たり前。へこむこともあると思うが何度もチャレンジをし、「世界とまみれ」、もまれるからこそ、どこに行ってもくじけないタフな精神力や前向きに進んでいく力が培われる。語学だけでなくそういうマインドもきちんと身につけられるプログラムを在学中にぜひ経験してください、という思いが込められている。
RPGゲームの世界観を借りるのは、大学広告としては突き抜けた表現。「やり過ぎじゃないのか」というような声も一部にはあったというが、このメッセージが一番伝わるやり方を模索し続けた結果なのだ。
注目された「エスノセントリズム」
次に取り上げるのは、広告テーマの一つとなっていた「エスノセントリズム」。自民族・自己文化中心主義のことで、自分が持っている価値観や常識が正しいという思い込みから生まれる。
大学の広告としては、その思い込みを払拭していく「国際教養科目」で文化やものごとの捉え方の違いを理解し、いったんは相手を受け入れ歩み寄る力を手に入れようという内容なのだが、広告を打ち出していたちょうどその頃、アメリカでは大統領選がありトランプ氏の思想傾向としても自国主義がクローズアップされていた。
国際教養科目を担当する堀江未来教授がエスノセントリズムや排外主義について語った内容が、今年初め、オンラインビジネス誌に掲載された。「エスノセントリズムという言葉に関心を持たれたビジネスパーソンの方もいらっしゃったようです」(桜井さん)。
そんなエスノセントリズムに関連して、立命館大学の国際教育プログラムの一つ、「キャンパスアジア・プログラム」※に参加した学生の感想が興味深い。
※中国、韓国、日本の学生が4年間それぞれのキャンパスを移動し、他国の学生とルームメイトとなって生活しながら学ぶプログラム
外国人と2人で何かをテーマに話していて意見が食い違うことがあると、相手が間違っていると思いがちだが、国が異なる3人で話してみると、自分が間違っているかも、と思うというのだ。そうなると、他の人はどう思うのだろうという新たな関心も湧いてくる。
堀江教授によると、人は誰でも親や社会から「常識」や「社会のルール」を刷り込まれて育ち、新しい情報を得ても「自分がすでに知っている枠組み」の中でしか物事を認知できず、枠組みから外れる他者に違和感や嫌悪感を抱いてしまいがちになるのだそうだ。先ほどの学生は、キャンパスアジア・プログラムを通じて、自分の「枠組み」を外す経験をしているのだ。
エスノセントリズムのイラストには骸骨が描かれ、これまた広告の「常識」を覆すような暗いトーンになっている。知らず知らずのうちに陥る差別や偏見の入り口に立っているという怖さを表現するとこうなるのだろう。
落とし穴から抜け出すには多様性に触れる経験が必要であり、それがグローバル教育プログラムの重要なポイントの一つとなっている。自分の当たり前が通じない中で自分を試し多様な人々との信頼関係を構築することは、これからのクローバル時代を生きる人に必要な学びなのだ。
「RPG」キャンペーンには、まだ続きがあるとのこと。次はまた、どんな面白い世界を見せてくれるのか期待したい。