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東京駅直近の博物館「インターメディアテク」で骨格標本作りについて聞いてきた

2023年10月10日 / 話題のスポット, 大学を楽しもう

日本の政治経済の中心である東京・丸の内。その高層ビル街の一角に見る人の好奇心を刺激する不思議な空間が存在することをご存知だろうか。その名をインターメディアテク(IMT)、日本郵便株式会社と東京大学総合研究博物館が協働運営する入館料無料の博物館である。

 

今回お話を伺ったのは、このインターメディアテクの一角で毎月3日間ほど、来館者と触れ合いながら展示品となる交連骨格標本を製作している中坪啓人さんだ。

博物館の展示品作りという、ほとゼロでもあまり取り上げてこなかったテーマ。その気になる作業内容から、博物館に展示する上で「良い標本」とはどんなものなのかといったことまで、掘り下げて聞いてみた。

東京駅から歩いて5分、おしゃれな商業施設の中に突然現れるヴンダー・カンマー

東京駅・丸の内南口を出ると正面にそびえる超高層ビル「JPタワー」。低層階部分に昭和モダニズムを代表する歴史建築である旧東京中央郵便局舎を保存しつつ、その上に新しい高層ビルが建っている、建築マニアの間で腰巻きビルと呼ばれる構造だ。

インターメディアテクが位置するのは5階ある歴史建築部分のうちの2・3階部分。周りはおしゃれな店が軒を連ねる商業施設である。

現在は商業施設として利用されている旧東京中央郵便局舎。インターメディアテクが位置するのはその2・3階部分だ。

現在は商業施設として利用されている旧東京中央郵便局舎。インターメディアテクが位置するのはその2・3階部分だ。

エスカレーターを降りてすぐのエントランスを抜けると、そこには博物館が。

エスカレーターを降りてすぐのエントランスを抜けると、そこには博物館が。

 

買い物客や仕事帰りの人々が大勢行き交う商業施設の中にあえて設置されたのは、その場所的意外性からなにか新しいものが生まれるのではないか、普段博物館に来ないような人たちにも展示を訴求できるのではないかという期待からである。

インターメディアテクという名称も、各種の表現メディアをつなぐことで新しい文化を創造することを目的とした「間メディア実験館」に由来しているそうだ。

展示物にはミンククジラや

展示物にはミンククジラや

マサイキリンのような大型の動物も!ここが駅前のビルの中だということを忘れそうになる。

マサイキリンのような大型の動物も!ここが駅前のビルの中だということを忘れそうになる。

月に3日、展示室の片隅に作業机を置き、展示品の交連骨格標本を組み立てる

ヌートリアの骨を組み立てる中坪さん。作業机の周辺には骨の組み立てに使う道具のほか、来館者から時折寄せられる質問に答えるための資料が用意してある。(※撮影の為にマスクを外しています)

ヌートリアの骨を組み立てる中坪さん。作業机の周辺には骨の組み立てに使う道具のほか、来館者から時折寄せられる質問に答えるための資料が用意してある。(※撮影の為にマスクを外しています)

 

そんなインターメディアテクの片隅で、月に3日間ほど展示品である骨格標本作りを実演するのが、インターメディアテク寄附研究部門特任研究員である中坪啓人さん。

 

骨格標本とは死んだ動物の骨を取り出し、長期間保存するための処理をしたもののことである。骨を組み立てて動物が生きていた頃の姿を再現したものを、とくに交連骨格標本と呼ぶこともある。材料になる動物の死骸は、飼育下で死んだものや野外で事故死・自然死したり、有害駆除により捕殺されたものが持ち込まれたものだ。

その製作には

 

・記録 死んだ動物についての、サイズなどの情報を記録する

・剥皮 動物の皮を剥ぐ

・除肉 内臓、筋肉、腱、さらに脳に代表される神経などを取り除く

・溶解 手作業で取り除けなかった軟部組織を溶解し除去する

・脱脂 骨の中の油分を取り除く

・漂白 脱色し骨を白くする

・組み立て 骨を解剖学的に間違いのない姿に組み立てる

・付属物の製作 主に台座を木で、支柱を金属で作る

 

といった工程がある。

このうち、感染対策や薬品の取り扱いに注意が必要な「記録」から「漂白」までは専用の作業スペースで行うため、展示室で中坪先生が実演しているのは「組み立て」である。

ニホンザルの骨格。バラバラになった骨は平面的に収納できてあまり場所をとらないため、多くの収蔵品は組み立てられていない状態で保管される。ただ、このままだと生前の姿を想像することが難しい。

ニホンザルの骨格。バラバラになった骨は平面的に収納できてあまり場所をとらないため、多くの収蔵品は組み立てられていない状態で保管される。ただ、このままだと生前の姿を想像することが難しい。

動物を内側から支える骨格の構造を見ることができるのが、交連骨格標本の面白いところなのだ。

動物を内側から支える骨格の構造を見ることができるのが、交連骨格標本の面白いところなのだ。

組み立ては技術的に安定した針金がいい

 

多くのパーツから構成される動物の全身骨格を解剖学的に正しい状態に組み上げるのに地道な作業が求められるのはなんとなく想像がつくところ。では、具体的にはどういうことをしているのだろうか。

 

――バラバラの骨を組み立てるのは、どうやっているんでしょうか?

 

「骨の中に針金を通して繋いでいきます。ドリルで骨の両端の関節面に穴をあけて、片方の穴から針金を入れ、内部に骨髄腔と呼ばれる空間のある骨はそこを経由して、反対側の穴から出します。これを繰り返すことで1本の針金で複数の骨をひと繋ぎにします。作業をご覧の方からはよく「ビーズ細工みたい」と言われます。針金の一番最後の端を『コイル留め』というやり方で巻いてドリルの穴よりも大きく、抜けないようにしたら固定完了です。

小さな動物だと、骨と骨をつなげる関節靭帯だけを残して、それ以外を除去して作ります。つまりそもそも骨がバラバラにならないような作り方をします。接着剤は基本的には使わないようにしています」

 

――接着剤なしで!ものすごい労力がかかりそうです。

 

「おっしゃる通り、接着剤を使った場合に比べると作業時間が6倍くらいかかります。それもあり、欧米の博物館を中心に接着剤を使った組み立てがすでに主流です。

ただ、針金にも有利な点はたくさんあって、まず保存性が実証されているということです。東京大学の前身である第壱大學区医学校に解剖学教師として招聘されたウィルヘルム・デーニッツが持ち込んだ教材なんかがそうなんですが、150年くらい前に針金で組み立てられた標本がまだきちんと残っています。それに対して、接着剤が骨に与える影響や、樹脂である接着剤が紫外線や温度・湿度の変化によってどのくらい経年劣化するのか、どのくらいの期間接着が保てるのかといったことはまだまだ未検証です。

衝撃に強いことも針金のよいところです。標本が揺れたり倒れたりした時に、接着剤だと接着面に負荷が集中して割れてしまうことがあるんですけど、針金は適度にしなることで負荷を分散させてくれます。輸送時の振動に加えて、地震が多い日本ではとくにこの点は大きいですね。

さらに一度組み立てたものを分解できるのも針金のいいところです。日本の博物館はこの可逆性を重視する傾向があります。展示用に組み立てたものをバラバラの状態に戻して研究用に使うことがあるんです。逆に、欧米の博物館ではそういったことはあまりしないようで、そのため接着剤の利用が進んでいるという事情もあるようです。

バラバラとまではいかないまでも、大まかに分解できるだけでも他館への貸し出しなどの輸送がしやすくなるのも利点ですね。標本の活用できる範囲が広がります」

 

――なるほど、輸送しやすさ。そういう視点もあるんですね。

 

「ただ、接着剤でもいったん接着したものをきれいに剥がすことのできる製品などが出てきていますから、試しに使ってみたりはしています。アクリル樹脂みたいにガチガチに固くなるのではなくて、ある程度は接着面の柔軟性が維持されるようなものだと衝撃にも耐えてくれるのかなと思います」

 

まだまだ技術の進歩の余地があるということか。これはおもしろい!

組み立ては最終工程、実はきれいな骨にするまでが大変

 

――動物の死骸から白くて綺麗な骨を取り出すには、どんな作業が必要なんでしょうか?

 

「骨を構成するリン酸カルシウムの構造物をいためずに、肉や脂などの軟組織を除去する工程を『骨にする』と呼んでいます。皮や肉を刃物を使って手作業でおおまかに除去し、それだけでは取り切れない軟組織は酵素を使って処理します。

骨格標本を作り始めた当初は水酸化ナトリウムの入った水で煮て肉を溶かしたりしていたんですが、あるとき鍋の蓋を開けたら全てが溶けてしまってなにも残っていないことがありました。水酸化ナトリウムやパイプ洗浄剤(これも骨格標本の指南書などでよく登場する)に含まれる次亜塩素酸ナトリウムはリン酸カルシウムの方にも重大なダメージを与えてしまうんです。

現在はどこにでも売っている食器用洗剤に含まれるプロテアーゼというタンパク質を分解する酵素を主に使っています。骨にダメージを与えずに軟組織を分解できるのが利点です。具体的には、電気で保温できる容器を60℃に設定し、中にお湯と一緒に肉がついた骨と酵素(洗剤)を入れます。あとは3〜6時間ほどつけておけばOKです。

ほかに『温浴法』と呼んでいる方法もあります。70〜80℃のお湯で出汁を取って取って取り切って、骨だけにする方法だと考えてください。お湯を煮立たせない、骨をいきなりお湯に入れず、水から煮るようにする、骨に急激な温度変化を与えないなどの注意点はありますが、使用するのは水道水と水温維持のための炊飯器だけなのでお手軽です。

最初の3日くらいで筋肉がほぐれてきて、さらに4日くらいで軟骨や腱が柔らかくなります、それで骨の外側のクリーニングは終わりです。もう2週間ほど、週に1回の頻度でお湯を交換しながら処理を続けることで、骨の内側の骨髄をなるべく溶かし出します」

 

――めちゃくちゃ時間がかかりますね!

 

「次の工程はさらに長いですよ! 酵素を使った処理では骨の中にある骨髄の油分を取り切ることができないんです。なのでアセトンとアルコール類の混合液に浸して脱脂を行います。期間は3ヶ月ぐらい。最後にアセトンを少しとって揮発させて、そこに脂が残らないようなら脱脂は完了です」

骨の内部に残った骨髄や油脂を取り切るには長い時間が必要。残留すると劣化の原因にもなるので、おろそかにできない作業だ。

骨の内部に残った骨髄や油脂を取り切るには長い時間が必要。残留すると劣化の原因にもなるので、おろそかにできない作業だ。

 

「ほかに骨を白くする漂白という工程もありますね。脱脂の前か後のどちらかに過酸化水素水を使って行います。殺菌や消臭目的で実施し結果的に漂白されることもあるのですが、あくまで見た目が綺麗になるだけで保存性には影響しないのではないかと考えています。

 

ここまでで骨から余計なものを取り除く作業は終わり。最後に、骨の強度を高めたり、汚れが直接骨につかないないようにするために文化財用のアクリル樹脂に浸して骨全体をコーティングしたら完成です」

 

展示場で見られるのは骨格標本作りのごく一部分であって、ここにいたるまでにすさまじい労力と時間が投入されている。その工程についてはさらに細かいテクニックなどについてもお話を聞かせてもらったのだが、ここでは話を再度骨の組み立てに戻そう。

ときには演出も。ポージングは奥が深い

――組み上がった骨のポージングがいきいきとしていますね。

 

「インターメディアテクは来館者に、まず自分の目で観て確かめ、自分で考えてもらう場所を目指しています。限られた滞在時間の中でいかに展示物と向き合ってもらうかということを考えてまずやったことが、(動物の種名以外の)説明文をつけないということです。それでも展示物をチラッと見て、名前をちょっと読み、視界に入れている程度で満足してしまう来館者も少なくありませんでした。せっかく実際に目で見る機会なので短い時間でも展示物に意識を向けてほしい、そのために交連骨格標本はどうしたらよいか課題は残りました。

 

その解決策としてやったのが、ポージングに動きをつけるということです。これは言葉遊びですが動物というのは『動く物』と書きます。さらに骨というのは体を支える支持器官であると同時に筋肉と同じ運動器官でもあります。機械に例えると骨は部品の一つです。その部品が機械の一部として機能している様子を見せてこそ、来館者に訴えかける力を持たせられるのではないか。そう考えて、実験館として実践を通して試してみることにしました」

シャイヤーという品種の馬の骨格。前足を上げていななく姿は、古典馬術でクールベット(Courbette)と呼ばれる動作を参考にした。この品種が軍馬として使われた背景と初代館長の要望でこの姿勢に決めたんだとか。

シャイヤーという品種の馬の骨格。前足を上げていななく姿は、古典馬術でクールベット(Courbette)と呼ばれる動作を参考にした。この品種が軍馬として使われた背景と初代館長の要望でこの姿勢に決めたんだとか。

 

――そんな意図があったんですか。

 

「そのために絵画などに見られる構図を参考にすることもあります。たとえばこれは中国漢時代の石刻に描かれたウマと人の姿ですが、

出典: 『四川成都漢墓磚畫像』 (『造形上のウマのポーズ表現に見るPoetical Realityの分析』(柴田 1994 美術解剖学雑誌)に掲載されたものを改変)

出典: 『四川成都漢墓磚畫像』 (『造形上のウマのポーズ表現に見るPoetical Realityの分析』(柴田 1994 美術解剖学雑誌)に掲載されたものを改変)

 

前後に伸びた馬の四肢と、逆に縮まった体幹や騎乗者の対比が扇形の配置を作ることで、全体として躍動や疾走を演出しています。

 

ポイントはこの扇形で、これはひょっとして上下を逆にしてもいいんじゃないかと考えて、構図を流用して作ったのがこのイヌの骨格標本です」

画像17

 

――かっこいい!

 

「ほかにも、顎が上がっていると疲れているように見えるので下げ気味に、さらに体重が加わっている指はより大きく曲げて、体重が加わっていない指はよりだらんとさせるなど、対比させてわかりやすくするための演出も加えています。絵画の技法にも躍動感を感じさせるために一人の人物の動作の中に複数の時間軸を盛り込むアニメーションのような方法があるそうです。そうしてできたものは解剖学的には完全な正確さではないんだけど、展示を見た人にその姿を強く印象づけることができるのではないかという、これも実験的な試みです。

 

ただ繰り返すようですが解剖学の教育には不向きなので、そういう目的で作るときには演出を加えないように注意しないといけません。なにかを作るのには目的があって、その目的が達成されるものがいいものなんじゃないかと考えます」

 

――なるほど。デザイン工学の話にも通じるような気がします。

 

「支柱を曲線的に加工しているのも同じような理由ですね。支柱がまっすぐだと、見る人に『支えられて立っている』という印象を与えてカカシみたいになってしまう。そうじゃなくて、自立しているんだというふうに捉えてもらいたいんです。

 

それにね、動きのある姿の方が作りやすいんです。直立不動姿勢の標本も作ったことがあるんですが、左右対称になってないんじゃないかとか、照明の当たり方で見え方が変わってるんじゃないかとかそんなことばかり考えないといけなくて、神経がすり減って辛かったですね」

一冊の本との出会いから、今の仕事が始まった

――どうして骨格標本作りをするようになったのでしょうか?

 

「国立公園の管理や動物調査をする人を養成する専門学校に通っていたんですが、そのころに出会ったこの本がきっかけです。当時「この本、半額でいいよ」と言われたのでそれにつられて買いました。

骨格標本作製法(八谷昇・大泰司紀之著、北海道大学出版会)

骨格標本作製法(八谷昇・大泰司紀之著、北海道大学出版会)

 

それまではそこまで骨に興味があるというわけではなかったんですが、本が手に入ったからやってみるかということで。当時、とある公園でカラスが死んでいるっていうことを聞きつけて、それを拾ってきて見よう見まねで作ったのが最初ですね。自分の技術っていうのは、この本に書いてあることの延長なんです。

 

卒業後はOBのつてで国立公園で働いたこともあります。そのときのおもな仕事が、冬山のエサ不足で死んだシカを処理するというものだったんですが、その死んだシカを骨にして、公園のビジターセンターの展示物にしたりもしていました。

専門学校のOB3人で参加した国立公園での一冬の仕事。そのとき3人そろいで入手した解体用のナイフは今でも現役だそう。

専門学校のOB3人で参加した国立公園での一冬の仕事。そのとき3人そろいで入手した解体用のナイフは今でも現役だそう。

 

その仕事のあと、これまた学校の後輩のつてで東京大学の総合研究博物館に出入りし始めました。はじめは無給でしたが、それが1ヶ月単位でお金が出るようになって、アルバイトになってパートタイムになって、非常勤になり今にいたります」

 

研究熱心なその姿からは少し意外だが、決して熱烈にこの仕事を志していたというわけではなかったと。職人気質というのは強い志望動機の中から炎のように立ち上がるのではなく、単調に見える繰り返しの中で少しずつ育まれるものなのかもしれない。

 

そんな中坪さんだが、最近は海外の品評会にも作品を持ち込んでいるという。

 

「今年の2月にオーストリアのザルツブルクで開催されたヨーロッパ剥製大会の骨格標本部門に作品を持っていきました。そのときは分解できるように作ったカラスの骨格標本をスーツケースに押し込んで、壊れないか心配しながら持ち込みました」

世界中の標本製作者が作品を持ち込んで出来を競うヨーロッパ剥製大会。持ち込んだのはハシブトガラスの交連骨格標本だ。

世界中の標本製作者が作品を持ち込んで出来を競うヨーロッパ剥製大会。持ち込んだのはハシブトガラスの交連骨格標本だ。

細かく分解できるようにして、壊さないよう梱包するのに苦労したのだとか。

細かく分解できるようにして、壊さないよう梱包するのに苦労したのだとか。

 

ちなみに剥製大会への参加は仕事ではなくプライベートで、費用もすべて自分で負担したとのこと。やはり熱意がすごい。

中坪さんは来館者の見えるところで作業しているから注目を集めやすいが、ここインターメディアテクに限らず全ての展示物や収蔵品にはそれを作った人がいて、博物館はそういう表から見えない人々の個人的研鑽によって支えられているのだ。次に展示物を見るときは、製作者の意図や注目してほしいポイントに思いを馳せてみるのも面白いかもしれない。

 

 

自宅のゲルで暮らすモンゴル研究者に聞いた、遊牧社会で生き抜くのに必要な力

2023年9月28日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

家畜の餌となる草を求めて広大な草原を転々とする遊牧民の生活。最近はノマド・ワークなどという言葉が普及するくらい、その場所や人に縛られないイメージは定住生活者を魅了してやまない。

文化人類学者としてモンゴルの遊牧文化を研究する堀田あゆみ先生も遊牧民とその文化に魅了された一人である。研究と実益を兼ねてモンゴルの移動式住居ゲルを自宅の一部として使用しているという。

今回は、なんとそんな堀田先生の自宅ゲルにお招きいただき、専門である遊牧文化のモノの所有についてのお話やゲルのあれこれについて伺ってきた。

住宅地に突如現れる遊牧民の住居・ゲル

7月の中頃、取材のため教えてもらった大阪府内の住所に向かった。場所は日本のどこにでもありそうな古い住宅地で、道は細く複雑だ。だだっ広いモンゴルの草原とはまるで対照的なこの場所で、どんなふうにゲルが登場するのだろう?そんなことを考えながら車を走らせていたら、大きな空き地があるでもなく、民家の軒先に寄り添うように建てられたゲルが現れた。

緩衝地帯があるわけでもない。住宅地にいきなり、ゲル。これはおもしろい。

 

「民家」の方のインターホンを鳴らし、挨拶もそこそこに上がらせていただく。ゲルを建てるために四角い敷地の縁に沿うようにL字型の木造家屋を建て、中央のスペースにウッドデッキを作ってその上にゲルを設置しているのだという。家からウッドデッキに出る扉を開けると、目の前にゲルの扉がある。堀田先生はこうして、その時の気分や天気によって二つの世界を行ったり来たりしているのだ。

では、われわれもゲルの世界にお邪魔させていただこう。

ウッドデッキに続く扉を開くと、そこにはゲルの入口が!

ウッドデッキに続く扉を開くと、そこにはゲルの入口が!

 

ゲルとは、モンゴル遊牧民の移動生活に最適化された組立式の住居である。

 

移動を頻繁に繰り返すゲルの構造で重視されるのは、軽さと組み立て・解体の容易さだ。カラマツの木で作った部材を格子状に組んだ壁と天窓から放射状に組まれた屋根棒、さらに真ん中で屋根を支える2本の柱。釘は使わず、部材同士を紐で結んで組み上げる。壁と屋根を羊毛フェルトで覆い、最後に外側に白い布をかぶせて紐で固定したら完成である。慣れると大人3~4人で、設営に2時間、解体に1時間くらいしかかからないらしい。

 

夏は壁の覆いとフェルトをまくり上げて風通しよくすることで涼しく、冬は地面と接する部分に盛土をして気密性を高めることで暖かく過ごせる優れものだ。丸い形は風を受け流すのに最適で、軽量ながら強風に吹き飛ばされるということもまずない。

ゲルには「部屋割り」というものは存在しないが、場所によって役割分担はある。一番奥(入り口から見て反対側)はホイモルといって、ゲルの中で一番大切な場所だ。通常は仏壇や家族写真など、家族以外の人に見せたいものが置かれている。

ゲルには「部屋割り」というものは存在しないが、場所によって役割分担はある。一番奥(入り口から見て反対側)はホイモルといって、ゲルの中で一番大切な場所だ。通常は仏壇や家族写真など、家族以外の人に見せたいものが置かれている。

そして入り口から見て左側は男性のスペース、右側が女性のスペースだ。客人がきたときの対応は男性側、家事は女性側で行われる。

そして入り口から見て左側は男性のスペース、右側が女性のスペースだ。客人がきたときの対応は男性側、家事は女性側で行われる。

雨が少ないモンゴルでは、採光と風通しのため夏の日中はゲルの天窓はほぼ開けっぱなしだ。天窓から下がっている赤い紐は、強風が吹いた時に重しを吊るしたり、家族総出で掴まってゲルが吹き飛ばされないようにするために使用される。

雨が少ないモンゴルでは、採光と風通しのため夏の日中はゲルの天窓はほぼ開けっぱなしだ。天窓から下がっている赤い紐は、強風が吹いた時に重しを吊るしたり、家族総出で掴まってゲルが吹き飛ばされないようにするために使用される。

 

このように、モンゴルの気候と移動を繰り返す遊牧民の生活に最適化されたのがゲルなのである。気になる日本の風土にマッチするのかどうかについて堀田先生に聞いてみたところ……ずばり「向いていない」とのこと。モンゴルで使われているものをそのまま持ってくると、やはり雨の多さや湿度の高さが致命的であっという間に腐食が進んでしまうらしい。

そこで、モンゴルで調達した部材を使いつつ、フェルトを諦め、さらに外側の布を防水シートに交換している。土の上にじかに設置しないのも湿気対策の一環だ。

「設置しっぱなし」もよくないので定期的に解体と設営をしている。堀田先生曰く「一箇所に留まることを退廃とみなす」という遊牧民の価値観をそのまま反映した住居がゲルなのだ。

たいへんである。よほどのゲル愛、モンゴル愛がなければここまでできまい。

 

ゲルから「家屋」の方に戻った我々(日本の7月のゲルの中は蒸し暑いのだ)は、まずモンゴルに情熱をかけ、研究までするようになったきっかけを聞いてみることにした。

きっかけは「自然と人間の共生」

「私は子どもの頃『人間と自然の共生のバランス』を探ることに関心がありました。どこまでなら共生でどこからが搾取なのか、みたいなことをもやもやと考えてたんですが、その頃たまたま遊牧民の生活について知って興味を持ったんですね。

 

モンゴルに関する本をいろいろ読んでいると、遊牧民の生活は自然と共生していて、しかも彼らはモノにあまり執着しないということが書いてあったんです。

どうやったらそんな境地に至れるんだろう? 同じ人間なのに…と、衝撃を受けるのと同時に、『自然と人間の共生』のヒントがここにあるんじゃないかと感じました」

 

モンゴルに関心をもった堀田先生は高校卒業後にモンゴル語を学ぶための留学をした。モンゴルの首都ウランバートルでホームステイするうちに、そこで見た光景に違和感を覚えたという。

 

「話を聞くためには言葉がわからないとダメだろうと思い語学留学をしました。そのときは遊牧民的な草原の生活はできなくてウランバートルのアパートでホームステイをしたんですが、不法投棄されたゴミが目立つのが気になったんです。またアパート地区の周りには地方から移住してきた人たちがゲルで暮らす地区があったんですが、そのゲル地区でゴミの野焼きが原因の大気や土壌の汚染が問題になり始めた時期でもありました。そういったものを見ていて、どうも本で読んだ話と違うなあと感じ始めたんです」

遊牧地域におけるゴミ処分の様子。

遊牧地域におけるゴミ処分の様子。

 

「帰国後は大学に進学して『ウランバートルの廃棄物処理システム』について調べ、修士課程では『住民の環境意識』をテーマにしました。そしてその過程で根本的な疑問を抱きました。

当時日本のJICA(国際協力機構)やその他の国際機関がモンゴルのゴミ処理システムを改善する事業をしていましたが、ゴミとか廃棄物というもののとらえ方が我々とモンゴル人ではたして同じなのかと。都市で生活しているとはいえ数世代前までは草原で遊牧をしていた人々なので、ゴミに対する認識にも遊牧民の価値観が反映されているのではないかと考えたんです。

そしてゴミについての認識を知るためにはまずモノについての認識を知らなければなりません。ゴミというのはモノが最終的に行きつく形態ですから。そこで、博士課程の研究で今日まで続く『モンゴル遊牧民の物質文化』というテーマをやることにしたんです」

「遊牧民はモノに執着しない」は幻想!?

ゲルでの住み込み調査(2016年2月)

ゲルでの住み込み調査(2016年2月)

 

遊牧民はモノをどう捉えているのか?

そんなテーマで研究を始めた堀田先生だが、実際にゲルの中で遊牧民とともに生活しはじめると彼らのモノに対する並々ならぬ執着に圧倒されっぱなしであったという。

 

「遊牧民のモノに関する研究というのはこれまでにもあるんですが、それらはモノの量に注目したものが主流でした。たしかに彼らの持ち物は日本人に比べれば少ないですし、今風に言うとミニマリスト的理想を実践しているように見えるかもしれません。それゆえ『遊牧民は頻繁に移動するので最小限のもので暮らしていて家具も簡素である』という、彼ら自身がモノを持たないことに価値を見出しているかのような解釈が付与され続けてきたんです。

 

かくいう私も調査地に入るまではそういう話を信じていたので、実際にゲルで暮らし始めてからは周囲の人たちの私の持ち物に対する関心の高さに驚きましたね。

例を上げると、スーツケースを開けて中身をいじってたら背後から音もなく近づいてきて中に何が入っているのか覗き込んでいたということがありました。隣のゲルのおばさんが私のブーツをやたらほめてくれるなと思ったら、おもむろに試着を始めて『うーん、私の足にぴったり。あゆみは裸足で帰ることになるわね』と言われたことも。ほかにも、こちらの着ているTシャツを指して『そのTシャツ初めて見た!うちに置いてく?』と聞いてきたり。

事例を上げたらキリがないですが、このままだと身ぐるみはがされる!と思うくらい彼らのモノに対する関心の高さには圧倒されました」

 

こちらが持っているモノについて知りたい、譲ってほしいという周囲からの圧力がすごかったと。

 

「慣れるまではたしかにたいへんでしたが、しばらくすると彼らと我々ではモノやその所有に対する考え方、執着のあり方が根本的に違うんだということがわかってきました。

日本人の言うモノへの執着って、対象の占有を問題にしていると思うんですね。所有者の手元にそのモノがあるということが重視されるのが我々農耕タイプの社会だとすると、所有と占有が必ずしも結びついていないのが遊牧社会だと言えます。

 

遊牧社会でももちろん所有権は存在しますが、その一方で貸借か譲渡かをはっきりさせない『融通』が頻繁に発生します。これはあるモノを必要とする人がそれを持っている人のところに行き、交渉によって渡してもらうことなんですが、すぐに返却するのか、督促されるまで返さないのか、あるいは返却しないのかは当事者間の関係性や対象のモノによってケースバイケースです。

 

そもそも遊牧民はモノを交渉によって人の手から手へ移っていくフローとみなしています。そこで重要なのは所有者が誰なのかということではなく、必要になったときにそのモノが利用できるということなんですね。なので、遊牧民はモノの所有には執着しませんが、ことモノの利用ということになると並々ならぬ執着心を見せます」

 

なるほど……、我々日本人からするといまいちピンとこない価値観かもしれないが、ところ変われば常識も変わるというもの。しかしこの常識の存在に気づいてから、前述の持ち物に対する関心の強さについても腑に落ちたという。

遊牧社会で生き抜くために必要なもの、それは情報収集と交渉の力

「私が最初『身ぐるみを剥がされる!』と感じたくらいの持ち物への関心、あれはつまり交渉だったんです。日本人の感覚だと交渉というのはする側もされる側もそれなりの覚悟が必要だと思いますが、モンゴル人の交渉は本当にカジュアルで、ほとんど『とりあえず言ってみた』の延長です。そのやり方も、可愛くおねだりや泣き落としから高圧的なものまで相手やモノによってさまざまです。とはいえ、そういったスキルが一朝一夕で身につくわけではないのも事実です。モンゴルの子供たちは、自分の要求を相手に伝え、どういう条件を提示すれば上手くいくかということを実践形式で学んで育ちます。

 

で、面白いのが、こういったモノをめぐる交渉というのがモンゴル帝国時代から行われていたってことなんですよ。13世紀の半ばに帝国を訪れたフランスの修道士もモノをせがまれた様子をしっかりと記録してます。

 

そして、交渉スキルと同じくらい大切になってくるのが情報収集の力ですね。厳しい自然の中で生きる遊牧生活には臨機応変な判断力とそのための情報を集める力がそもそも必要不可欠です。例えば日中にゲルの扉を開けっぱなしにしておくのも、室内にいながら外でされる会話や人の行き来を把握しておくためです」

日中は開けっぱなしにされるというゲルの扉。風に乗って聞こえてくる外の会話は貴重な情報だ。さらに馬や車に乗って移動する音が聞こえてくれば、音の移動する方向やエンジン音の特徴などから誰がどこへ向かったのかがわかることもあるんだとか。まるで潜水艦のソナーのように、室内にいながら外部の情報をもたらしてくれる窓口、それがゲルの扉なのである。

日中は開けっぱなしにされるというゲルの扉。風に乗って聞こえてくる外の会話は貴重な情報だ。さらに馬や車に乗って移動する音が聞こえてくれば、音の移動する方向やエンジン音の特徴などから誰がどこへ向かったのかがわかることもあるんだとか。まるで潜水艦のソナーのように、室内にいながら外部の情報をもたらしてくれる窓口、それがゲルの扉なのである。

 

「情報が大切なのはモノを巡る交渉でも同じです。交渉のスタート地点は『誰のところに何があるか』という情報を得ることなので、機会さえあれば相手がなにを持っているのかを探ろうとしますし、逆に絶対に人に渡したくないものについては隠すという情報管理も行われます。

 

ここで話が最初に戻るんですが、ゴミの野焼きが問題になっているという話がありました。あれも、じつは情報管理の延長にある習慣だったんじゃないかと思うんです。捨てるだけならべつに燃やす必要はないはずです。なのにそんなことをするのは、そのまま放置すると断片的とはいえ自分たちの持ち物についての情報を晒してしまうことになるからじゃないかと。他人に拾われたり情報を晒すことを完璧に防ぐには燃やすという行為が必要だったんじゃないかと思うんです。ガラスや金属のような燃やせないものが増えた現代ではそれが環境問題につながっているわけですが」

 

話がつながった。

ゲルは人が集まる場所

最後に、ふたたびゲルの中に入って羊のくるぶしの骨を使ったモンゴルの遊びを教えてもらった。

モンゴル語でシャガイという羊のくるぶしの骨を使う。

モンゴル語でシャガイという羊のくるぶしの骨を使う。

床に転がし、上を向いた面によって「羊」「山羊」「馬」「ラクダ」という目が割り当てられる。おはじきみたいにしてルールにそってぶつけ合って遊ぶのだ。

床に転がし、上を向いた面によって「羊」「山羊」「馬」「ラクダ」という目が割り当てられる。おはじきみたいにしてルールにそってぶつけ合って遊ぶのだ。

 

ゲルを建ててから、人がやってくる機会が増えたと堀田先生は言う。訪問者は興味本位で「これはなんですか?」と聞いてくる人から、解体・設営を手伝ってくれる人までさまざまだ。

もともと遊牧民は自分のゲルにやってきた人を拒むということをしない。だから、自分以外に誰もいない草原で地平線にゲルを見つけた時の安心感はひとしおなのだ。そういう場所を日本にも作りたいと考えたのが、ゲルを建てた動機でもあるのだそうだ。

 

既製品を使わず、知り合いの遊牧民に材料から見立ててもらった思い入れ抜群のゲル。今はそこに新たなライフヒストリーが蓄積されていくことが、モノをテーマにした研究者としてうれしい毎日なのだそうである。

珍獣図鑑(20):草地に住む巣作り名人、カヤネズミ。保全のための奇策は川柳?

2023年8月1日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!


普段めったに出会うことのない希少な生き物たち。身近にいるはずなのに、よく知らない生き物たち――。そんな「文字通り珍しい生き物」「実は詳しく知られていない生き物」の研究者にお話を伺う連載企画「珍獣図鑑」。

研究者たちはその生き物といかに遭遇し、どこに魅了され、どんな風に付き合っているのか。もちろん、基本的な生態や最新の研究成果も。生き物たちと研究者たちの交流が織りなす、驚きと発見の世界に誘います。

第20回は「カヤネズミ×畠佐代子先生」です。それではどうぞ。(編集部)


町のネズミとぜんぜん違う、草地に適応したカヤネズミ

「ネズミ」と聞くと、都会の裏路地や下水溝の中を走り回ってゴミを漁る姿がまっさきに思い浮かぶかもしれない。多くの人がネズミに対してあまりよい印象を持っていない理由は、その不潔なイメージのせいだろう。しかしカヤネズミの生態は、そういう人間の生活にうまく取り入ったネズミたちとはずいぶん違うようである。

カヤネズミの「カヤ」は茅葺きの「カヤ」。

カヤネズミの「カヤ」は茅葺きの「カヤ」。

 

「まず住んでいる場所がぜんぜん違います。カヤネズミの『カヤ』は漢字で書くと『茅』となり、昔は茅葺き屋根の材料などに使われていたオギ、ススキ、ヨシなどの背の高い草、専門用語で高茎草本と呼ばれるグループの草のことです。そういう草が生えている草地で一生を過ごすネズミなんです」

草にからませてバランスをとるための長い尻尾。

草にからませてバランスをとるための長い尻尾。

草を掴むために180°開くようになった後ろ足の指。

草を掴むために180°開くようになった後ろ足の指。

そして、障害物に引っかかりにくいように小さくて体に沿うような形の耳。カヤネズミの体は草地の生活に最適化されているのだ。

そして、障害物に引っかかりにくいように小さくて体に沿うような形の耳。カヤネズミの体は草地の生活に最適化されているのだ。

 

「そういう生き物を草地性の生き物といいますが、カヤネズミも草地に適応した体を持っています。

大人のカヤネズミの大きさは頭から尻までがだいたい6センチくらいですが、尻尾は7センチくらいになります。この長い尻尾を器用に草に巻きつけて体を支えたりするんです。

さらに後ろ足の小指と親指が中三本の指に対して直角に開けるようになっていて、ものを握るのがうまいですね。これも草を掴んで移動するのに有利な特徴です。

体重がすごく軽くて7,8gくらい、骨の重さが体重に占める割合も5%しかありません。鳥と同じくらい骨をスカスカにしてまで軽量化することで草の上に無理なく乗れるんです。

それから、おもしろいのが耳ですね。世の中のネズミのイラストって、だいたい耳が大きく描かれてると思うんですよ。そういう大きな耳は地上を走り回るネズミの特徴で、たしかに音を集める上では有利なんですが、草地ではあちこち引っかかって動きにくいんです。なので、カヤネズミの耳は小さい上に顔の側面に沿うようについています。」

 

イソップ物語の「都会のネズミと田舎のネズミ」ではないけれど、草地に住むカヤネズミと街に住むネズミは別物のよう。

骨をスカスカにして耳も小さく引っかかりにくいようにして……聞いていると、相当ストイックに草地に適応しているようすが伝わってくる。どんなふうにして生活しているんだろうか?

草を編んで丸い巣を作る。

草を編んで丸い巣を作る。

 

「エノコログサ(ネコジャラシ)のようなイネ科の草の種子だったり、バッタのような昆虫などを食べて暮らしています。

一番の特徴は草を編んで巣を作ることですね。人間の握り拳くらいの大きさで丸い形をしています。外側は荒く編んだ草で作り、中には細かく裂いた柔らかい草を入れた二重構造になっています。さらに秋や冬になって気温が下がるとフワフワしたススキやオギの穂を入れて保温性を高めます。雨水が入ってきにくく、さらに中に詰めるものを加減することで冬は温かく、夏は風通しよく涼しくすることができる優れものです。ススキやオギの穂には種子がついているので冬場の食料にもなりますね」

 

す、すごい……!そんなに器用なネズミだったなんて!フワフワの布団兼食料にくるまれて冬越しするなんて、人間に例えると炬燵+みかんみたいな状態だ。うらやましい。

草地に適応したがゆえに、草地減少の影響をもろに受ける

カヤネズミの生活できる草地は減少する一方だ。

カヤネズミの生活できる草地は減少する一方だ。

 

草で巣を作り、草地でとれる種子や昆虫を食べて暮らすカヤネズミ。しかし現代では肝心の草地が減ってきていることで生息数が激減してしまっているようだ。

 

「日本はもともと森林の多い国です。温暖湿潤で木が育ちやすいから、洪水や草刈りなどによる植生の撹乱がなければ草地にも木が生えてどんどん森林に遷移していってしまいます。そんな地理的条件を反映しているのか、日本に生息する哺乳類で草地性のものはカヤネズミとハタネズミの2種類しかいません。

昔は茅葺き屋根の材料をとったりするために人里の近くに茅原が維持されていました。東京の茅場町のように、日本中にある『茅』がつく地名としてその名残を見ることができます。ほかに草地ができやすいのが、定期的に発生する洪水で植生がリセットされる河川敷です。

現代では茅葺き屋根のための茅原はほぼ残っておらず、河川改修が進んだことで河川敷の草地も縮小しています。

そんなわけで、国土に占める草地の割合は100年前の約13%から近年ではなんと1%以下にまで減少してしまいました」

 

なんと、草地がそんなに減っていたとは!

 

「草地に適応して生きているカヤネズミは他の環境では生きていけません。野外での寿命も平均1年程度と短い上に、昆虫のように飛んで逃げるということもできない。つまり今いる場所がダメになったときに一時的に遠い別の場所に避難して、環境が回復してから戻ってくる、ということができないんです。

生息範囲こそ北は宮城から南は鹿児島までと広いですが、生息が確認されている地域の8割でレッドリスト(絶滅が心配されている生き物のリスト)に記載されている状態です」

 

街で見かけるドブネズミ・クマネズミ・ハツカネズミみたいに別の環境に適応するということができなかったわけか。少ない草地になんとか生きていたのが、人間の生活の変化で生息地が減ってしまっていると。

 

「自然保護と言うとどうしても木を植える方向に話が流れがちですが、じつは森林の面積はこの100年でほぼ変わっていません。『本当に減っているのは草地なんだよ』というと驚かれることが多いですね。

草地がなくなるのは人間にとっても困ることが多いんです。たとえば河川の樹林化という現象です。これは河川改修などで洪水が起きにくくなったことで本来なら木が生えなかった河川敷や川の中州が森になっていく現象なんですが、木が水をせき止めてしまうため川の流量が増えた時にいっきに水位が上がってしまう原因になります」

 

河川敷や中州に木が繁茂しているところは見たことがある。木が生えるのは自然なことだと思っていたけれど、人為的な河川改修で川が氾濫しなくなったせいだったのか。

草刈りにひと手間かけることで、保全の光が見えてきた

生息地を刈り払う草刈りはカヤネズミの大敵。でも、やらないわけにはいけない事情がある。

生息地を刈り払う草刈りはカヤネズミの大敵。でも、やらないわけにはいけない事情がある。

 

草地と切っても切れない関係にあるカヤネズミ。しかし人間の生活圏の近くにあることが多い草地はその影響を受けやすい。長年カヤネズミの研究をしてきた畠先生だが、生息地が根こそぎ消えてしまうということを何度も経験したという。

 

「大学院にいたときはよく木津川でフィールドワークをしてたんですが、忘れもしない1年目の6月10日のことです。いつも行っている堤防ののり面に出たら、そこにあるはずの草地が残らず刈り払われていました。ほんの2日前までそこにカヤネズミの巣があって、中に赤ちゃんがいて観察していたんです。カヤネズミの赤ちゃんは生後3週間くらいで独り立ちするんですが、まだとてもそういうことができるような日数ではなくて、それがとてもショックでした。

そのときはまだ知らなかったんですが、木津川の堤防は年に2回、春と秋に草刈りが入るんですね。でもこれは堤防の定期検査をするために必要な作業だから、やらないという選択肢はないんです。

草刈り自体はやったうえで、もう少し生き物に影響を与えないやり方はないかを考えました」

定期的に行われる河川改修や堤防の検査のための草刈り。環境の保全とどう折り合いをつけるかが課題となってくる。

定期的に行われる河川改修や堤防の検査のための草刈り。環境の保全とどう折り合いをつけるかが課題となってくる。

 

それは悲しい。それで、どうなったのでしょう?

 

「一度にすべての草を刈り取るから逃げ場がなくなって全滅してしまう。そこで考えたのが、予定地を区分けした上で時期をずらして草刈りを入れて、生息地から追い出されたカヤネズミが逃げ込める草地を常に確保しておくという方法でした。

予定地をABCに分けて、まずAの草を刈る。Aの草がある程度回復したら次にBを刈る。同じようにしばらくしてからCを刈る。こうすれば追い出されたカヤネズミが隣の草地に逃げ込むことができると考えたんです。

幸いにも相談を持ち込んだ国土交通省の河川事務所から『2、3回に分けて刈るくらいなら協力できる』という回答が得られ、その年の春の草刈りを3回にわけてやっていただきました。結果、なんの対策もしなかったときに比べて巣の数が7倍になったんです」

 

すごい、効果てき面だ。

 

「この『分けて刈る』やり方は2013年に京都の桂川で河川改修工事があったときにも応用して、工事の前と後で巣の数が変わらないという結果を残しました。このときは、一部が灌木林になりかけていた草地がリセットされることで工事前よりもむしろよい草地になるというありがたい誤算もありましたね」

 

なるほど、適切なやり方で手を入れることで放っておくよりもよい結果が出ることもあるということか。

カヤネズミについて知り、調査に参加してもらうために立ち上げた全国カヤネズミ・ネットワーク

カヤネズミ観察会の様子。

カヤネズミ観察会の様子。

 

畠先生が研究と同じくらい力を入れているのが、自身が代表を務める全国カヤネズミ・ネットワーク(http://kayanet-japan.com/)だ。全国の有志が集めたカヤネズミ情報を集約するほか、カヤネズミや草地の生き物について広く知ってもらうための観察会や各種イベントを企画している。そこまでする原動力はなんなのだろうか?

 

「文系から理系に鞍替えして大学院に進んだ動機が、動物のために何かできるようになりたいという思いだったというのがまずあります。カヤネズミの研究は前任者の引継ぎという形で始めましたが、フィールドに通い詰めるうちに保全への思いは強くなっていきましたね。

これも大学院1年目のことですが、カヤネズミの子育てを調べるために通っていたオギ原が、翌年に再訪してみたら泥の山になっていたということがあったんです。地主の人と話してみたら『駅の工事で出た土砂を置く場所がほしいって言われたから、貸してあげた』って。でももっと悔しかったのはその次の言葉でした。『そんな貴重なネズミがいると知ってたら、貸さなかった』と言われたんです」

 

それは悔しいし悲しい。たしかに、環境保全は一部の有識者や愛好家だけが行動してもあまり意味がないのである。草刈りの時期をずらすのも、土砂の置き場を別の場所にするのも、行為自体はそれほど難しいことをしているわけではない。大切なのはより多くの人が自然保護のために「ちょっと譲る」ことだと畠先生は言う。

 

「農家の方が『カヤネズミは稲を荒らすから見つけたら駆除している』と言っているのを聞いて違和感をもったことがあるんです。私がそれまで田んぼに住むカヤネズミを観察してきた経験では、カヤネズミは稲の茎や葉を使って巣を作ることはあっても、お米そのものはほとんど食べないという印象を抱いていました。

そこで、彼らがいったい何を食べているのかをきちんと調べてみることにしたんです。糞に含まれるDNAを分析することで食べたものがわかるんです。結果として、米はほぼ食べていないことがわかりました。わずかに米が検出されたサンプルは休耕田からとってきたもので、つまり稲刈りが終わった後の地面に落ちている米を食べる程度なのではないかと。

そして米の代わりにたくさん検出されたのが、イネの敵である雑草の種子やバッタでした。

稲に巣を作ってしまうカヤネズミは一見すると邪魔者なのかもしれませんが、こちらがちょっと譲ってあげることで田んぼを作っている人間にとっても良いことがあるということがわかったのは大きな収穫でした。

カヤネズミについての正しい知識を多くの人に知ってもらうことが保全に繋がっていくという思いも強くなりました」

 

そういった経験から、全国カヤネズミ・ネットワークでは生息地などの情報交換以外にもカヤネズミについて知ってもらう活動をいろいろ試行錯誤しているという。中には遊び心のある企画も。

世界農業遺産に指定された静岡の茶草場(茶畑の横に植えられたススキ。細かく切って茶畑の地表に撒くことで茶の質が向上する)とそこに住むカヤネズミをあしらったイラスト。川柳コンクールの賞品のクリアファイル用に、カヤネズミ・ネットワーク会員のイラストレーターが描いてくれたんだとか。

世界農業遺産に指定された静岡の茶草場(茶畑の横に植えられたススキ。細かく切って茶畑の地表に撒くことで茶の質が向上する)とそこに住むカヤネズミをあしらったイラスト。川柳コンクールの賞品のクリアファイル用に、カヤネズミ・ネットワーク会員のイラストレーターが描いてくれたんだとか。

 

「カヤネズミと川柳をかけ合わせることで、カヤネズミは知らないけど川柳なら興味がある、という人にリーチしたらいいと思って企画しました。ほかにも、カヤ原カフェといってカフェの中にカヤ原を再現してみたり、動物園と企画展をしたり、手探りながらいろいろやっています」

 

もっと多くの人にカヤネズミについて知ってもらいたい。そう考えて行動する畠先生だが、カヤネズミの見た目の愛らしさゆえにSNS等で間違った情報が拡散されることがあるのを見て頭を悩ませることもあるのだそう。

 

「チューリップの花の中に入ったカヤネズミの写真がものすごい勢いで拡散されたときはほんとうに脱力しました。中には『うちの庭のチューリップにもカヤネズミが来るかも』なんて本気で言う人まで出てくる始末で。撮影者はこれはアートであって生態写真ではないと明言していましたが、そういう情報が抜け落ちてしまったんでしょうね。

カヤネズミが減っているのは生息地の草地が減っているからなのに、チューリップ畑に住むネズミだと思われるとそこまで理解が進まなくなってしまうんです。

正しい情報と保全のための知識を一人でも多くの人に届けて、実践してもらえるよう取り組んでいきたいですね」

 

【珍獣図鑑 生態メモ】カヤネズミ

カヤネズミ3

オギ、ススキ、ヨシなどの背の高い草地に生息するネズミ。草を編んで握り拳くらいの大きさの丸い巣を作る。イネ科の植物の種子や昆虫などを食べる。草に絡めるための長い尻尾、物を掴みやすい手の構造、軽い体と邪魔にならない構造の耳など、草地での生活に最適化した体をもつ。

え、イモムシの糞がお茶になるの!? 京都大学農学研究科で『虫秘茶』を試飲してきた

2023年6月20日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

「昆虫食」といえばどちらかというと代用食としてのイメージを一般に持たれがちだが、付加価値の高い嗜好品を生産するために昆虫に注目する人がいる。

 

植物を食べた蛾の幼虫の糞を茶として利用できないか?というのが、京都大学農学研究科博士課程に在籍する丸岡さんの研究テーマだ。名付けて『虫秘茶』。なんとすでに一部で商品化が始まっているという。

いったいどんな味なのだろうか?そして、植物の葉をそのまま茶にせずいったん虫の腸を通す意味とは?これはオンライン取材ではもったいないぞということで、試飲させていただくため研究室にお邪魔してきた。

イモムシの糞は清々しい良い香り

「どうぞ」と言って通された応接室では、机の上に黒いものが入った瓶が置かれていた。遠目には同じような黒い粒にしか見えないが、目を近づけてよく見てみると少しずつ色・形・大きさが違うようだ。

見せていただいた虫秘茶の数々。蓋に書いてあるのは、それぞれ餌になった植物と糞をしたイモムシ(蛾)の名前だ。

見せていただいた虫秘茶の数々。蓋に書いてあるのは、それぞれ餌になった植物と糞をしたイモムシ(蛾)の名前だ。

 

瓶の蓋に「サクラ モモスズメ」「クチナシ オオスカシバ」のように書かれているのは、それぞれ餌になった植物と、糞を出したイモムシの名前である。虫秘茶の味の方向性はおおむね餌になった植物の種類で決まるので、オオミズアオのような雑食(動物性の餌も食べるということではなく、ここではいろいろな種類の植物を食べられるという意味)のイモムシであっても、特定の植物だけを食べさせているのだそうだ。

 

蓋を開けておそるおそる香りを嗅いでみる。中国茶を思わせる濃厚な発酵臭に植物の爽やかな香りが尾を引く。とくにサクラ×モモスズメの虫秘茶からは桜餅と同じ独特な甘い香りがしたので驚いた。

どの瓶からも、いわゆる糞を思わせるような嫌な臭いはしなくて、なにも言わずに出されればウーロン茶やプーアール茶のような発酵茶だと信じて疑わないに違いない。

奈良在住の陶芸家である野田ジャスミン氏に『虫秘茶』をイメージして作ってもらったという茶器。

奈良在住の陶芸家である野田ジャスミン氏に『虫秘茶』をイメージして作ってもらったという茶器。

 

一通り香りを試した後に試飲させてもらうことに。

丸岡さんが

「これでいきましょうか」

と言って手に取ったのはクリ×オオミズアオの瓶だ。

オオミズアオの幼虫と成虫。とても美しい大型の蛾であり、幼虫の糞のサイズも大きい。(写真提供:丸岡毅)

オオミズアオの幼虫と成虫。とても美しい大型の蛾であり、幼虫の糞のサイズも大きい。(写真提供:丸岡毅)

急須に虫秘茶を入れ、80℃~90℃の湯を注いで50秒くらい抽出する。料理の専門家の意見も交えつついろいろな条件を試して、一番香りと味が引き立つ条件を探ったとのこと。茶器をあらかじめ湯で温めておくのは、中国茶のやり方を参考にしたテクニックだ。

急須に虫秘茶を入れ、80℃~90℃の湯を注いで50秒くらい抽出する。料理の専門家の意見も交えつついろいろな条件を試して、一番香りと味が引き立つ条件を探ったとのこと。茶器をあらかじめ湯で温めておくのは、中国茶のやり方を参考にしたテクニックだ。

クリ×オオミズアオの虫秘茶はルイボスティー似??

一口すすってみる。

「あ、美味しい」

という感想が口をついて出た。

 

味を言葉で表現するのは難しいけれど、あえて似ているものを上げるとすればルイボスティーが近いだろうか。渋みがほとんどない代わりに、後味にはおそらくクリの葉由来の独特の芳香が残る。茶としてのポイントを押さえた上でほどよく個性があるなという印象だ。

 

白状しよう。頭では大丈夫だと知りつつも、最初の一口を飲むまではどうしても心のどこかで警戒していた。イモムシとはいえ糞由来のものを口に入れることに拒絶感がなかったといえば嘘になる。味についても「まあ飲めなくはないけど、とはいえ普通のお茶の方がいいよね」程度のものであればしめたものだと思っていた。

 

飲んで賞味したあとだから自信をもって言えるのは、虫秘茶は普通のお茶と比較してもじゅうぶん美味しいということだ。

色はまさしくほうじ茶のそれ。

色はまさしくほうじ茶のそれ。

二煎目を抽出した後の茶殻。お湯に溶けてしまうようなことはなく、しっかりと形が残っている。五煎目くらいまでは味が出るという。

二煎目を抽出した後の茶殻。お湯に溶けてしまうようなことはなく、しっかりと形が残っている。五煎目くらいまでは味が出るという。

なぜイモムシの糞を茶にしようと思ったのか

試飲に満足したところで、いろいろ質問させていただくことに。

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――イモムシの糞をお茶にしてみようと思ったきっかけはなんなのでしょうか?

 

「もともとうちの研究室は生態学が専門で、昆虫と植物の関係などを調べているんですが、あるときリンゴの木につく害虫を研究している先輩がマイマイガを大量に捕まえてきてお土産にくれたんです。正直に言うとあまりいらなかったんですが、頂いたものなので近場でとれるサクラの葉を与えて飼っていました。そうしたら、その子たちのした糞からすごくいいサクラの香りというか、芳香がすることに気が付いたんです。それに糞が落ちた水が赤茶色に染まったりしてて、『あ、これお茶だな』と思って飲んでみたのが最初でした」

記念すべき一号虫秘茶はマイマイガ×サクラの組み合わせだった。(写真提供:丸岡毅)

記念すべき一号虫秘茶はマイマイガ×サクラの組み合わせだった。(写真提供:丸岡毅)

 

――そこで飲もうとするところがすごい。それでそのマイマイガ×サクラ茶が美味しかったと。

 

「美味しかったです。運がいいことに。今まで試したのはイモムシが20種、植物が30種くらいで組み合わせは70通りを越えると思いますが、当然中にはあまり美味しくないものもあるんです。もし最初にそういう美味しくないやつを飲んでいたら、その時点で興味をなくしていたかもしれない。

もともとはイモムシと寄生蜂の関係を研究していたんですが、最初の体験が強烈だったこともあってだんだんこっちの方が面白くなってきました。研究テーマを変更することについて指導教員の理解があったこともあって今に至ります」

「たぶん70通り以上のイモムシ×植物の組み合わせを試しました」という丸岡先生。「たぶん」というのは、50種類を越えたあたりから数えるのを止めてしまったからだという。実験室の机の上には糞を入れた瓶が大量に積み上げられていた。

「たぶん70通り以上のイモムシ×植物の組み合わせを試しました」という丸岡先生。「たぶん」というのは、50種類を越えたあたりから数えるのを止めてしまったからだという。実験室の机の上には糞を入れた瓶が大量に積み上げられていた。

 

虫の糞を使ったお茶自体は前例がないわけではない。中国南部や東南アジアでは伝統的に蛾の幼虫やナナフシの糞を茶にする地域があるという。ただ、丸岡さんが文献で調べた限りではあまり美味しいものではなかったようである。思いつきで飲んだ1回目で美味な組み合わせを引いたのは本当に運がいいことだったのだ。

 

――とくに美味しかったものや、逆に美味しくなかったものはありますか?

 

「イモムシの種類が味に与える影響ももちろんありますが、味の方向性は食べさせる植物で概ね決まります。いまのところサクラ、クリ、ヤブガラシを食べさせて出た糞がベスト3ですね。不味かったもので印象に残ってるのはミカンです。蛾ではないんですけど、アゲハチョウの幼虫にミカンを食べさせて試してみたことがあって、凄まじい青臭さでとても飲めたものではありませんでした。ミカン×マイマイガの組み合わせも試しましたが、アゲハの時よりは少しマイルドになったもののやはり美味しいとは言い難かったですね」

 

――柑橘の実の清々しさがお茶になったら美味しそうでしたが、残念な結果だったと。少し意外です。アゲハチョウの糞を試した話が出てきましたが、蛾以外の草食昆虫の糞も虫秘茶になるのでしょうか?

 

「ハバチという、葉を食べる蜂を試してみましたが、これは不味いとまでは言わないもののわざわざ飲むほどの価値を感じませんでした。チョウもいくつか試しました。ただとても不思議なことに、チョウと蛾には分類上の明確な違いはないにも関わらず、チョウの糞で美味しいと思うものに出会ったことはほとんどありません」

 

――これは不思議ですね! 素人考えですが、まだ判明していないだけで蛾とチョウでは消化器官に違いがあるのかも、とか思ってしまいます。

というわけで、飼育ケースの中のイモムシは蛾の幼虫ばかりである。「ナナフシも試してみたいんですが、たくさん捕獲するのが難しくて……。来年からナナフシの研究をしたいという後輩が研究室に入ってくる予定なので、糞を分けてもらえないか期待してるんです」

というわけで、飼育ケースの中のイモムシは蛾の幼虫ばかりである。「ナナフシも試してみたいんですが、たくさん捕獲するのが難しくて……。来年からナナフシの研究をしたいという後輩が研究室に入ってくる予定なので、糞を分けてもらえないか期待してるんです」

 

ブラックボックスな「イモムシ製茶工場」の謎に切り込めるのか……?

生の葉をそのまま乾燥させたものに湯を注いでも、味も香りも弱いただの茶色いお湯にしかならないという。やはり、噛み砕いて消化するというイモムシの働きが大事なのだ。では、イモムシの消化管の中では具体的になにが起こっているのだろうか?

モリモリと葉を食べるクスサンの幼虫。その腹の中では、いったい何が?

モリモリと葉を食べるクスサンの幼虫。その腹の中では、いったい何が?

 

「イモムシの消化器官は直線的で昆虫の中でも単純な形状をしている方なのですが、それでもその働きについては多くはわかっていないんです。細かく噛み砕いた葉を細菌や酵素の力を借りて発酵させるという、人間が発酵茶を作るのに似たプロセスがあることは間違いないと思いますが、具体的に何が何をしているのかということを調べた先行研究というのがほとんどないんですね」

 

――まったくのブラックボックスなわけですね。消化によって何がイモムシの体に吸収され、逆に何が葉の方に与えられているのかも不明であると。

 

「これについては明るい兆しもあって、じつは島津製作所と共同で成分分析をする目途が立ちました。糞の成分を調べることで、消化される前と後でどんな変化があったのかを把握できるのではないかと期待しています」

 

――それはとても興味深いですね! それに、食品として見たときもどんな成分が入っているのかわかっている方が安心して飲める気がします。

採集された糞。乾燥させた後はとくに加工などはせず、そのまま虫秘茶になる。

採集された糞。乾燥させた後はとくに加工などはせず、そのまま虫秘茶になる。

 

お茶会の席の会話を花開かせる、虫秘茶の力

当初は丸岡さん一人で楽しんでいた虫秘茶。現在はその魅力を全国に広めることに力を入れているという。2022年12月から2023年1月にかけて実施した資金調達のためのクラウドファンディングで集まった支援は、なんと目標額の300%!世間の関心が決して低くないということが伺えるというものだ。

集まった資金はなんと当初の目標額の300%以上!

集まった資金はなんと当初の目標額の300%以上!

 

――どういうシーンで飲むことを想定しておられるのでしょうか?

 

「一人で飲むのもいいですし、人が集まるお茶会などであれこれ言い合いながら飲むのも楽しいと思います。実際に虫秘茶を使ったお茶会を催したこともあるんですが、話題性の高さはすごいですよ。一口飲むやあちこちで感想の言い合いが始まって、初対面の人同士でも一瞬で会話に花が咲いたので感動しました」

 

――たしかに、共通の嗜好品を楽しむというのはコミュニケーションツールとして強いでしょうね。植物×虫の組み合わせで無限のバリエーションを作り出せる点も、飲み比べなどで話の広がりができていいと思います。

 

「我々の暮らす日本には北の亜寒帯から南の亜熱帯までバリエーションにとんだ環境があり、各々の地域には唯一無二の生態系が形成されています。その地域の植物と昆虫を使った、いわばご当地虫秘茶を生産することができれば、そこから消費者の関心を自然環境にまで広げていけるかもしれません。

それに資源の利用という点から見ても、樹木の葉というこれまで人間が使ってこなかった資源を使って新しい特産品を生産できるのは、大いに意味のあることでしょう。

自然環境に関心を持ってもらうため、そして生態系の産物を地域の振興に活用していくためにも虫秘茶を広めていきたいと考えています」

 

――なるほど、虫秘茶の利用は新しい嗜好品の発見に留まらず、自然環境や地域の振興という面でもとても意味のあることなのですね。

 

インタビューを実施したのは4月末、これから植物も昆虫も活動が活発になっていくという初夏の入口の時期である。

「虫秘茶になる植物や虫は身近に生息しているものなので、自分で採集して試してみる毎日です。これからの時期は採集に忙しくなります」

丸岡さんはインタビューの最後をそう締めくくった。

筆者も、虫好きのはしくれとして前のめりになりながら話を聞いた。

ちなみに、丸岡さんは定期的に虫秘茶を広めるためのお茶会も開催しているという。記事を読んで興味を持たれた方は、ぜひ試してみてはいかがだろうか。最初の一口を飲むには思い切りが必要かもしれないが、そこには生き物の神秘を舌で実感できる豊穣な世界が広がっているのだ。

ウンチや巣穴の化石から太古の生き物の生き様がわかる!ひょっとすると地球外生命まで?千葉大学の泉先生に生痕化石の可能性を語ってもらった

2023年5月25日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

化石をもとにした生き物の復元図は、時代とともに変化することが多い。恐竜の羽毛のような化石として残らない部分は、研究者の推測で補うしかないからである。それでも古生物の研究の第一歩は多くの場合、やはり化石から始まる。なんせ、古生物の直接的な痕跡は化石しかないのだ。

 

今回は、そんな化石の中でも“生痕化石(せいこんかせき)”と呼ばれる生き物の活動の痕跡が刻まれた化石について、千葉大学の泉賢太郎先生にお話を伺った。恐竜など花形の化石に対して、いわば陰にあたるような生痕化石。しかし、切り込み方次第では情報の宝庫となりうるブルーオーシャンだと泉先生は言う。

ウンチや足跡、さらには這い跡や巣穴まで化石になる

泉先生が研究されている生痕化石、これは化石の中でもとくに生き物の残した痕跡が化石化したものである。具体的には、生き物のウンチや足跡、這い跡、巣穴などだ。どれもすぐに消えてしまいそうなものばかりで、化石として残るなんてそれだけで驚きだが、いったい生痕化石とはどんなものなのだろうか?

 

「基本的には普通の化石の場合と同じで、海底や湖底などに残された生痕の上に砂や泥が積もっていき、最終的に地層の中に保存されたものです。ただ、骨や歯の化石のように明らかな異物が地層の中にあるという感じではないんです。たとえば海に棲んでいる無脊椎動物のウンチなんかは物質としては砂や泥で構成されるけれど、周囲の砂や泥と粒径や成分などが違うので、化石化した場合はウンチの部分だけ色や質感などが変わります。足跡・這い跡にいたっては砂や泥の上に描かれた模様なので、実際のところは、地層の中に残された構造を見ているといったほうがいいかもしれません」

日本国内の約2億4700万年前の地層から発見された海棲の脊椎動物のものと思われるウンチ化石。Nakajima & Izumi (2014)で発表した標本の一つ。この標本は現在、東京大学総合研究博物館に収蔵されている。(写真提供:千葉大学・泉賢太郎)

日本国内の約2億4700万年前の地層から発見された海棲の脊椎動物のものと思われるウンチ化石。Nakajima & Izumi (2014)で発表した標本の一つ。この標本は現在、東京大学総合研究博物館に収蔵されている。(写真提供:千葉大学・泉賢太郎)

 

「ウンチや足跡なんてすぐに消えてしまいそう……」という直感おおよそ正しく、地上のウンチはすぐに分解者によって分解されてしまうし、足跡だって雨が降ればたいてい消えてしまう。古生物と言われてすぐに想像するのはやはり恐竜だが、そんな具合だから、陸上動物である恐竜の生痕化石というのはまれにしか見つからないそうだ。

だが逆に、生痕化石が残りやすい環境や生物というのも存在する。

 

「生痕化石として残りやすいのは、おもに海底に生息する生き物由来のものです。水中で活動する生き物の中でもとくに水底に生息するもののことを専門用語でベントスといいますが、流れのない水の底というのは地層が堆積しやすいため、海のベントスの痕跡は生痕化石として残りやすいというわけです。

ベントスにはヒトデや貝類やゴカイの仲間など多様な生き物が含まれますが、中でもとくに出くわす頻度が高いウンチ化石は、堆積物食者(海底の砂や泥ごと摂食し、その中に含まれる有機物を吸収分して、残りをそのまま排泄するような食性)によるものです。なかなか一言で表す言葉がないのでウネウネ系の生き物という言い方をよくするんですが、そういう生き物のウンチはそれ自身がほぼ砂や泥なので分解されにくく、結果的に生痕化石として残りやすいんです」

現生のクロナマコとそのウンチ。ウネウネ系の体からひねり出されるウンチは、意外にもしっかりとした砂団子のようだ。(写真提供:千葉大学・泉賢太郎)

現生のクロナマコとそのウンチ。ウネウネ系の体からひねり出されるウンチは、意外にもしっかりとした砂団子のようだ。(写真提供:千葉大学・泉賢太郎)

ベントスのウンチ化石の一例。この生痕化石は、深海に生息していたユムシの仲間(おそらくボネリムシ類)によって形成されたものと考えられている。海底堆積物中に掘り込まれた巣穴の中に、堆積物でできたつぶつぶ状のウンチがギッシリと詰まっている。なお、生痕化石を作ったであろうボネリムシ類の本体の方は化石には残らない。(写真提供:千葉大学・泉賢太郎)

ベントスのウンチ化石の一例。この生痕化石は、深海に生息していたユムシの仲間(おそらくボネリムシ類)によって形成されたものと考えられている。海底堆積物中に掘り込まれた巣穴の中に、堆積物でできたつぶつぶ状のウンチがギッシリと詰まっている。なお、生痕化石を作ったであろうボネリムシ類の本体の方は化石には残らない。(写真提供:千葉大学・泉賢太郎)

 

ウネウネ系の生き物は巣穴化石やウンチ化石などの生痕化石を残しやすく、さらに、魚類や海棲爬虫類などと比べると、もともと生息している数も多い。したがって、地層から産出する生痕化石の数も多いのだ。「同種の生き物の化石が全世界で一つしか見つかってない」ということがざらにある古生物学にあって、この「標本が多数手に入る」ということのメリットは計り知れない。

では、実際にどういう研究をしているのか紹介しよう。

生痕化石×数理解析から古生物の行動の変化が見えてくる

「化石はもちろん興味ありますけど、化石マニアとかコレクター気質はないんです」

 

というのが泉先生の自己評価だ。研究室にも、化石や岩石のサンプルは置いていないという。

 

「逆に、最近は水槽を設置して現生のベントスを飼育しています。彼らの行動と水槽の底質に残される生痕を見比べることが、生痕化石から精度の高い生物学的情報を抽出するための手がかりになるのではないかと考えてまして」

 

地質学や古生物学の研究者といえば、洞窟のような研究室で大量の化石や岩石に囲まれているイメージがあっただけにこれは意外だ。

ここ最近で最も感心があることの一つは、数理モデルを用いた生痕化石の研究だという。

白い部分が糞の化石。そしてその中の黒っぽい斑点状の構造が、糞を食べるベントスによる糞食行動の生痕化石だ。(写真提供:千葉大学・泉賢太郎)

白い部分が糞の化石。そしてその中の黒っぽい斑点状の構造が、糞を食べるベントスによる糞食行動の生痕化石だ。(写真提供:千葉大学・泉賢太郎)

 

「これは最近発表したものですが、糞食行動(海底に堆積した糞を選択的に食べるという行動)が生痕化石として記録されることがあるのですが、このようなベントスの糞食行動が起こりやすい条件を数理モデルによる解明を試みたた研究です。このような化石は白亜紀(約1億4500万年前から6600万年前までの地質年代)以降の地層からだけ見つかっています。つまり白亜紀の前後で糞食行動の獲得を促すなにかしらの変化があったはずなのですが、それが何なのかを突き止めることが目的でした」

作製された数理モデルの概念図。A:糞食するときのベントスの行動、B:糞食しないときのベントスの行動。 糞は通常の堆積物と比べて多くの有機物を含むため、糞を食べることだけを見ればエネルギー的に有利だ。しかし、たとえばちっぽけな糞が堆積物中の深い場所に埋まっている場合を考えてみる。そういう状況では、糞までたどりつく間に消費するエネルギーが糞を食べて得られるエネルギーよりも大きくなって、トータルではエネルギー収支がマイナスになってしまうかもしれない。 A(糞食する場合)の方がエネルギー収支で有利になる状況であれば糞食行動するはずであるという仮定の下、いろいろなパラメータをの値を変化させながらAB両パターンのエネルギー収支を比較した。(図版提供:千葉大学・泉賢太郎)

作製された数理モデルの概念図。A:糞食するときのベントスの行動、B:糞食しないときのベントスの行動。
糞は通常の堆積物と比べて多くの有機物を含むため、糞を食べることだけを見ればエネルギー的に有利だ。しかし、たとえばちっぽけな糞が堆積物中の深い場所に埋まっている場合を考えてみる。そういう状況では、糞までたどりつく間に消費するエネルギーが糞を食べて得られるエネルギーよりも大きくなって、トータルではエネルギー収支がマイナスになってしまうかもしれない。
A(糞食する場合)の方がエネルギー収支で有利になる状況であれば糞食行動するはずであるという仮定の下、いろいろなパラメータをの値を変化させながらAB両パターンのエネルギー収支を比較した。(図版提供:千葉大学・泉賢太郎)

 

「堆積物中の有機炭素の濃度やその深度分布、糞の大きさ、ベントスの消化管断面積など、合計9つのパラメータについて数理計算を行いました。その結果、もっとも核心的な要素は糞のサイズだということがわかりました。海底に堆積する糞のサイズが大きくなったことが引き金となって、糞食行動を駆動するであろうということがわかったのです。そして、実際にこれまで記録された白亜紀前後の生痕化石を比較すると、この時期にベントスのウンチの化石が大きくなっているということがわかりました」

 

無数の生痕化石の記録を橋渡しする理論が見つかったわけか。これはすごい!

ここでさらに注目したいのは、この研究が個々の生き物がどうというよりはあくまでも行動や環境に焦点を置いているということだ。

 

「ベントスの代謝が大きいか小さいかというパラメータで比較もしてみたんですが、こちらはそれほど結果に影響しませんでした。つまりこれは、ある程度生き物の種類に関係なく成立する現象だということです。生痕化石ではその痕跡を残したのがどんな生き物だったかということは確証を持って語ることはできませんから、これは大きなポイントです。

数理モデルというツールを使って切り込むことで化石や地層が形成された当時の環境条件を紐づけることができたわけですから、今後の発展性にもかなり期待しています。こういう生痕化石が見つかったらここの場所はこういう環境だった、という指標のようなものが作れるかもしれません」

異分野との交流でわかった、既存の古生物学研究の限界と新たな可能性

生痕化石の可能性について熱く語ってくださった泉先生。しかし、研究者としての専門を生痕化石に絞った理由は、意外にも消去法的なものだったという。

 

「修士課程で大学院に入ったときに、指導教員からドイツの地層を研究しないかと誘われたんです。で、実際にドイツに行くということになって、しかしなにをやればいいんだろうと悩みました。卒業後に研究職に就きたかったので、なるべく個性というか自分のカラーが出るようなことをしたい。しかしそのドイツの地層はすでにめちゃくちゃ研究されていて、異国の地からやってきた大学院生がいきなり新規性のあるテーマを見つけるというのは難しかったんです。そんな状況で、ほぼ唯一ほとんど研究されずに放置されていたのが生痕化石でした」

ドイツでの地層調査の様子(写真提供:千葉大学・泉賢太郎)

ドイツでの地層調査の様子(写真提供:千葉大学・泉賢太郎)

 

生痕化石との運命的な出会いもあり、無事研究者として千葉大学に着任した。しかし「どのような生物種が作った構造かわからない」という生痕化石研究ならではのとらえどころのなさに悶々とすることもあるそうだ。

 

「古生物の研究というのはとにかく全体像が見えません。生痕化石なんかは、豊富に産出しているものもあるとはいえ、化石として残っているものはあくまで化石化しやすいものに限られます。そこには強烈なバイアスがかかっているんです。これは化石全般に言えることかもしれませんが、自分が見ているものが当時存在していたもの全体の10分の1なのか、それとも10000分の1なのかわからない。おそらく実際は、もっと低いでしょう。

さらにその痕跡がどんな生き物によって形成されたのかもわからない。なので、生痕化石は生物ではないですが、生物の命名法を準じて個別の学名をつけることが認められています。人間がつけた足跡であれば『ホモ・サピエンスの足跡』みたいに呼ぶことができるんですけど、それができないから苦肉の策として構造そのものに学名をつけるんです」

 

構造に学名を!たしかに、「何かしらの生き物がいてこういう痕跡を残した」ということだけがわかっている状態だと、そうするしかないわけか。

海底に生息していた二枚貝類の這い跡の生痕化石。より正確には、身をほとんど堆積物中に埋めた状態で海底を這い回っていたようだ。ただし生痕化石からより多くの生物学的情報を抽出するためには、似たような痕跡を残す現生の生物の研究などから推測するしかない。(写真提供:千葉大学・泉賢太郎)

海底に生息していた二枚貝類の這い跡の生痕化石。より正確には、身をほとんど堆積物中に埋めた状態で海底を這い回っていたようだ。ただし生痕化石からより多くの生物学的情報を抽出するためには、似たような痕跡を残す現生の生物の研究などから推測するしかない。(写真提供:千葉大学・泉賢太郎)

 

「これについては、どうしようもないので絶望している状態です」と泉先生は笑う。そんなことを強く感じるようになったのは教育学部という現在の職場に所属するようになったことも大きいようだ。

 

「教育学部に就職してからは生物学が専門の研究者と交流することも多いのですが、彼らと話していると古生物とは本当にわからないことだらけだなと実感させられますね。『色は?』とか『雌雄の違いは?』とか聞かれてもなにも答えられないことばかりですからね。個別の化石だけ見ていても埒が明かないと感じたことも、前述の数理モデルに感心を抱いた理由です。実は千葉大学に着任する前にポスドクとして在籍していた国立環境研究所で、生痕化石の数理モデルの研究に着手し始めたのですが、その当時はうまくいかずに、それが何年か後にようやく花開いてきた…という感じですね。

また、古生物の研究者が圧倒的に足りていないことも絶望の一因です。生命40億年間という歴史の時間的厚みがあるのに、古生物学者の数は生物学者より一桁くらいは少ないと思います。逆に言うと研究する意思さえあれば誰でも新しいテーマで研究を始められるので、誰でもウェルカムですよ」

 

なるほど、「わからないことだらけで絶望!」であると同時に、誰でもパイオニアになれるブルーオーシャンが広がっているというわけか。

さらに、そのブルーオーシャンはひょっとすると宇宙にまで広がっていくかもしれないという話を最後に教えていただいた。宇宙!いったい、生痕化石と宇宙がどう関係するのだろうか。

生痕化石の研究が地球外生命の発見に役立つ日が来る……かも!?

地層中や岩石中から、太古の微生物の化石(あるいは微生物の残した生痕化石)が発見されることもあるという。この写真は、ペルム紀の浅海堆積物中から産出するベントスのウンチ化石の中に奇跡的に保存されていた微石仏の化石。微生物を構成していた有機物は分解され、実際に化石として残っているのは、その際に微生物表面で形成されたであろう鉱物の部分である。(写真提供:千葉大学・泉賢太郎)

地層中や岩石中から、太古の微生物の化石(あるいは微生物の残した生痕化石)が発見されることもあるという。この写真は、ペルム紀の浅海堆積物中から産出するベントスのウンチ化石の中に奇跡的に保存されていた微石仏の化石。微生物を構成していた有機物は分解され、実際に化石として残っているのは、その際に微生物表面で形成されたであろう鉱物の部分である。(写真提供:千葉大学・泉賢太郎)

 

「近年、俄然注目が集まっている火星での生命探査にも、将来的にはもしかしたら、生痕化石から得られた知見が活かされるかもしれません。例えば、海底下にある1億年前にできた地層の中や、さらに深いところにある玄武岩の割れ目に埋まった粘土鉱物の中にも、微生物が生存していることがわかっています。このように、一見するとまさか生き物が住んでいるとは考えられないような極限の環境でも生命というのは存在できるんです。さらに、水中の玄武岩(に含まれる火山ガラス)においては、ごく微小な割れ目に沿って水が流れており、このような水の中にも微生物が生息しているようです。このような微生物は火山ガラスなどを浸食して、それによってできた凹みに別の鉱物が沈殿したりすることで、微小な生痕化石を作ります。であれば、たとえ惑星の表面には生命の痕跡がなくても、地下を掘って得たサンプルからは何かしら発見があるかもしれない。

 

持ち帰ったサンプルから地球外生命を探索するには、生命そのものを探す方法と生命の痕跡を探す方法の二通りが考えられます。前者はどうしてもコンタミ(意図しないものが混入すること。この場合、宇宙から持ち帰る過程でサンプルに地球上の生物やウイルスがついてしまうことや、もし地球外生命を持ち帰ることができていた場合、未知の生物やウイルスなどを地球にまき散らしてしまうこと)の危険性と隣り合わせがありますが、生命の痕跡であればそういう心配はありません。生命の痕跡を探す方法というと、生命活動に由来するであろう化合物を化学的に分析するようなものがイメージされることが多いが、もしかしたら地球外生命が作った生痕化石が見つかったとしたら、これが地球外生命の「最も直接的な証拠に近い証拠」になるかもしれませんね。

まだまだ構想の域を出ていませんが、そういう分野でも生痕化石から得られた知見が活かせるんじゃないかと、ワクワクしながら考えています」

 

地球外生命の探索とくればワクワクしない人はいないだろう。ウンチや足跡の化石に始まったお話が意外な飛躍を見せてくれたが、宇宙開発が盛んな昨今の状況を考えると、生痕化石の研究者が地球外から持ち帰られた石に生き物の這い跡を見つける日はそう遠くないのかもしれない。

 

 

ブックレビュー(1):「出動!イルカ・クジラ110番 ~海岸線3066kmから視えた寄鯨の科学~」

2023年2月21日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!


ほとゼロではこれまでさまざまな研究者の方にお話を伺ってきました。そのなかから「今、改めてこの話題を掘り下げたい」「あの研究の続きが気になる」といった研究にスポットを当て、研究者の著書を紹介していく書評コーナーをスタートします。

第1弾は、新種クジラの発見に大活躍した「ストランディングネットワーク」とは? 北大水産学部公開講座レポートで新種のクジラ発見の経緯やストランディングネットワークについて聞かせてくださった北海道大学の松石隆先生。2018年に刊行された著書『出動!イルカ・クジラ110番 ~海岸線3066kmから視えた寄鯨の科学~』では、鯨類を追って奔走するエピソードや研究成果がさらに詳細に紹介されています。(編集部)


 

2023年1月、大阪湾・淀川河口に流れ着いたマッコウクジラが世間を大いに騒がせたことは記憶に新しい。

「淀ちゃん」のように海岸に漂着したり、あるいは漁業者の網で混獲されたイルカ・クジラはストランディング個体、あるいは寄鯨(よりくじら)と呼ばれ、水中で一生を過ごす彼らの生態を知る上でこれ以上ないくらい貴重な研究材料だ。いつどこにやってくるかわからない寄鯨を確保すること。これは、鯨類の研究者にとってとても難しく、大切なミッションである。

「海岸に打ち上げられたイルカやクジラを見つけたら教えてください!」

「松石さん、たいへんだよ。これロングマンだよ。タ・イ・ヘ・イ・ヨ・ウ・ア・カ・ボ・ウ・モ・ド・キ!」

函館空港近くの浜に打ち上げられたクジラが、世界でもっとも珍しいクジラの一つであるタイヘイヨウアカボウモドキ(英名:Longman’s beaked whale)だと判明したときの興奮から本書は幕を開ける。

 

海洋には膨大な数のイルカ・クジラが生息しているが、そのうち死亡した後に陸地に漂着する、つまり寄鯨となるものは数千分の一だという。いつ、どこに、どんなイルカやクジラが漂着するかは天の采配であり完全に運任せなのだ。

漂着したタイヘイヨウアカボウモドキの測定記録。体の形がわかるような新鮮な個体はこれが史上初だったという。

漂着したタイヘイヨウアカボウモドキの測定記録。体の形がわかるような新鮮な個体はこれが史上初だったという。

 

そんな偶然の出会いを取りこぼさないために、研究者は労を惜しまない。松石先生らが立ち上げたのがストランディングネットワーク北海道(SNH)であり、寄鯨通報の専用電話・メール「北海道イルカ・クジラ110番」だ。この取り組みについては以前の記事で細かく伺ったため、そちらも読んでもらいたい。

 

知らせが入れば、北海道内であればたとえ遠方であっても可能な限り現地に出向いて、解剖その他の調査を行うようにしているという。中には、現地に到着したら鯨体の腐敗が進んでいたり、凍りついていて満足な調査ができなかったというような事例もあるけれど、「現地の人が我々の熱意を理解してくださって、次回も通報していただける」とあくまでポジティブだ。

「北海道イルカ・クジラ110番」パンフレット。

「北海道イルカ・クジラ110番」パンフレット。

 

本書の節々で語られる「現場」のエピソードは、読んでいるこちらが思わず「うへえ」と声を上げたくなるほど疲労感に満ち満ちている。

 

北海道は広い。そんな広い北海道を取り巻く3066kmもの海岸線に打ちあがる寄鯨は、人間の都合などまったく考えてはくれない。寄鯨情報が立て続けに入り、調査をはしごしなければならないこともしばしばだ。

あるときなど、北海道北端に近い利尻島にオウギハクジラが漂着した翌日に、今度は南端の襟裳岬近くに珍しいハッブスオウギハクジラが漂着したというから大変だ。松石研究室の院生の中には夜通し運転して北海道を縦断し、両方の調査に参加した人もいたというから驚きである。巨大で重たいクジラと格闘しながら運搬や解剖をするのだから、調査自体も重労働であることは言うまでもない。

 

そんな体を張った苦労と熱心な広報の甲斐もあり、北海道内での寄鯨の報告件数は1997年~2006年の年平均30件から、2007年のSNH設立をへて、2007年~2016年の年平均60件へと倍増したというからすごい。

寄鯨の漂着場所。意外とまんべんなく漂着しているようだ。

寄鯨の漂着場所。意外とまんべんなく漂着しているようだ。

 

発見される数が増えたことで種類も増えた。北海道の寄鯨の特徴はその種類の多さだ。漁業者の網に頻繁に混獲されるネズミイルカから、冒頭のタイヘイヨウアカボウモドキのような世紀の大発見まで、日本周辺に生息する鯨類の半分以上の種が確認されている。

 

新種が見つかることもある。2018年刊行の本書には鯨類の種数はヒゲクジラ亜目15種、ハクジラ亜目71種の合計86種と書かれているが、2023年現在はこれが91種まで増えている。鯨類の研究はまだまだ日進月歩しているのだ。そのことを、この本自身が証明しているようでおもしろいではないか。

増えた新種のうちの一つは、以前の記事でも紹介したクロツチクジラである。

回収されたイルカ・クジラが活用されるのは新種の発見だけではない。例えばハクジラ類が頭からクリックス音という音を出すメカニズムなどは、新鮮なサンプルが手に入らなければできない研究だ。

回収されたイルカ・クジラが活用されるのは新種の発見だけではない。例えばハクジラ類が頭からクリックス音という音を出すメカニズムなどは、新鮮なサンプルが手に入らなければできない研究だ。

 

本書では新種の発見以外にも回収された寄鯨が活かされた研究が紹介されている。

イルカなどのハクジラ類は頭から音を出し、その反射音を聞くことで見通しがきかない水中でも障害物を避けたりすることができる。クリックス音と呼ばれるこの音はイルカの種類によって異なり、カズハゴンドウらが出す「パッ」という音とネズミイルカのような小型のイルカが出す「チッ」という音の2種類が知られていた。

では、音の違いはどうやって生まれているのだろうか? その秘密を探るために寄鯨を使ったあまりに大胆な実験が展開され、見事答えにたどり着いたのである。詳細が気になる人はぜひとも本書を手に取ってもらいたい。

 

寄鯨の発見や回収はあくまで研究のスタートラインだ。だが、そこにはフィールドワーカーとしての鯨研究者たちの苦労と、喜びと、興奮が凝縮されている。

 

松石隆先生からのコメント

この本を出版した後も、毎年多くの鯨類漂着の報告をいただいています。2022年末で1107件1220頭に達しました。調査が継続的にできるように、ストランディングネットワーク北海道は2021年にはNPO法人になりました。2023年3月には、調査車両購入のためのクラウドファンディングを実施します。

ホームページには、最近の漂着事例、漂着した鯨類を発見したときの通報の仕方なども書かれていますので、興味のある方は、ホームページもご覧下さい。https://kujira110.com/

これからも、海洋生態系の頂点にたつ鯨類と人類のよりよい共存のために、活動を続けて参ります。

 

名古屋大学と南山大学の博物館連携講座で学ぶ、快適な洞窟暮らしの始め方

2023年1月26日 / 体験レポート, 大学を楽しもう

原始時代の生活というと、なんとなく洞窟暮らしを想像する人は多いと思う。これはフィクションの影響も大きいのだろうが、実際、日本でも縄文時代には洞窟や岩陰を住居として生活していた人たちがいたようである。

でも、具体的にはどんな生活をしていたのだろう?

そんな疑問に答えてもらうべく、名古屋大学博物館・南山大学人類学博物館連携講座・第3回「岐阜の縄文人に学ぶ洞窟・岩陰での暮らし方-九合洞窟と根方岩陰-」をオンラインで聴講した。

s-DaichiKato

加藤大智先生(南山大学大学院人間文化研究科)

 

前半の講義をしてくださるのは南山大学大学院の加藤大智先生だ。岐阜県高山市の根方岩陰遺跡(ごんぼういわかげいせき)を例にとり、どんな資源をどれだけ使っていたか、またそれが時間の経過とともにどう変化してきたのかを整理することで洞窟生活の実態に迫る。

廣瀬允人先生(木曽広域連合・埋蔵文化財調査室)

廣瀬允人先生(木曽広域連合・埋蔵文化財調査室)

 

後半は木曽広域連合・埋蔵文化財調査室・廣瀬允人先生による九合洞窟遺跡(くごうどうくついせき)の紹介だ。洞窟・岩陰を「物件」と呼ぶ廣瀬先生の講義を通して、居住に向いた洞窟選びのコツを教えていただく。

この講義を聞けば、明日文明が滅んでもとりあえず住居の確保には困らないかも......!?

長期間にわたる生活の跡が残る根方岩陰遺跡

「縄文時代の住居というと教科書にも載っている竪穴式住居を思い浮かべることが多いと思います」

加藤先生はそう切り出した。たしかに、竪穴式住居は有名だ。ただ、現代でも持ち家・賃貸論争があるように、あえて竪穴式住居を建てない(建てられない)選択をした人々がいたというところから、今回の話が始まるのである。

自分で一から作る住居と比べて洞窟・岩陰が優れているところは、それこそ賃貸物件のようにすでにあるものをそのまま使えるということだ。

岐阜県内の判明している洞窟・岩陰遺跡は約20か所。今回主に紹介する根方岩陰遺跡は高山市の郊外にある。

岐阜県内の判明している洞窟・岩陰遺跡は約20か所。今回主に紹介する根方岩陰遺跡は高山市の郊外にある。

 

●地図はこちら(Google マップ)→ 根方岩陰遺跡

 

根方岩陰遺跡は南山大学が1963年に発掘調査した遺跡だ。発掘前の段階で上に公民館を建てるための工事が入ってしまったため、縄文時代中期より後の層は失われている。さらに層の堆積が不安定であるなどの問題はあるものの、縄文時代の飛騨地方の生活がどのように移り変わってきたのかを知るための貴重な資料であることに変わりはない。

発掘調査時の様子。昔のことなので写真も白黒だ。画像のちょうど真ん中あたりにもともとの地面があったため、岩の色がここを境に上は黒っぽく、下は白っぽくなっている。

発掘調査時の様子。昔のことなので写真も白黒だ。画像のちょうど真ん中あたりにもともとの地面があったため、岩の色がここを境に上は黒っぽく、下は白っぽくなっている。

 

「地層というのは深いところほど古く、浅いところほど新しいわけですが、根方岩陰遺跡では深度220cm位のところを最深部としてそこから上を便宜的にPhase1~Phase5に分けています」

 

具体的には新しい地層から古い地層に向けて

Phase1(縄文時代前期初頭、今から約7000年前~6000年前)

Phase2(縄文時代早期末~前期初頭、約7000年前)

Phase3(縄文時代早期末、約7500年前~7000年前)

Phase4(縄文時代早期後半、約8000年前~7500年前)

Phase5(縄文時代早期中葉、約10000年前~8000年前)

と分けられる。一番地面に近いのがPhase1である。

4000年以上という長期間にわたって使われてきたことで、層ごとの出土品の違いを見ることでこの時代の生活の変遷をたどることができるそうだ。

道具類や動物の骨、さらに貝製品が出土。そこからわかることは?

出土した動物の骨や歯や角。最も多く狩猟されていたのは、今日でも生息数が多いシカとイノシシだ。

出土した動物の骨や歯や角。最も多く狩猟されていたのは、今日でも生息数が多いシカとイノシシだ。

 

いずれの層からもたくさんの動物の骨が出土した。全期間を通じて盛んに利用されていたのはシカとイノシシで、ほかにもクマやカモシカのような大型動物からサル、さらにムササビやウサギといった小型のものに至るまで、幅広く狩猟対象にしていたことがわかったという。

 

「ほかにも食物の加熱などに利用された土器、狩猟に使われた石鏃(せきぞく。矢じりのこと)や獣を解体したり革をなめすのに使うスクレイパー、粘土や貝でできた装身具なども出土しました。こうした多くの家財が出土していることからも、短期的な滞在ではなく長期間そこに住んでいたことがわかります」

 

なるほど、狩猟の途中の仮住まいなどではなく、本格的にここに定住していたというわけか。

出土した石器の材料として利用されていたのが下呂石、チャート、黒曜岩。それぞれ産地から根方岩陰遺跡までの距離が異なるため、利用のされ方にも違いがあるという。

出土した石器の材料として利用されていたのが下呂石、チャート、黒曜岩。それぞれ産地から根方岩陰遺跡までの距離が異なるため、利用のされ方にも違いがあるという。

 

「堆積岩であるチャートが根方岩陰遺跡周辺でも入手できるのと違って、火山岩である下呂石や黒曜岩は離れた場所でしか産出しません。つまり、前述の貝製品が海岸地域から運ばれてきたのと同じように、他地域の産物が流通していたということです」

 

これはすごい!縄文時代といえば地産地消で生活していたイメージがある。しかし、実際はこの頃すでに物のやりとりをするためのネットワークのようなものがあったというわけだ。

入手経路の違いは使い道にも反映されているようで、近場で手に入るチャートは大きな石器、逆に最も遠くから運んでこなければならなかった黒曜岩は小型の石器に使われていたことがわかっているのだそう。またPhase4やPhase5の層からはほとんど出土しなかった黒曜岩が、Phase2やPhase3の層からはスクレイパー類や石鏃として見つかるなど、時期によって利用される石の種類にも差が見られる。

出土品の点数はPhase2でピークを迎える。Phase3で動物の骨類ががくんと減少している原因としては、約7300年前の鬼界カルデラの噴火に伴って放出された鬼界アカホヤ火山灰が影響している可能性が考えられる。鬼界カルデラは薩摩半島(鹿児島県)南方約50kmにある海底火山だが、その噴火によって九州地方の縄文文化に壊滅的な被害を与えただけでなく、飛散した火山灰の痕跡を日本列島のほぼ全域に見ることができる。

出土品の点数はPhase2でピークを迎える。Phase3で動物の骨類ががくんと減少している原因としては、約7300年前の鬼界カルデラの噴火に伴って放出された鬼界アカホヤ火山灰が影響している可能性が考えられる。鬼界カルデラは薩摩半島(鹿児島県)南方約50kmにある海底火山だが、その噴火によって九州地方の縄文文化に壊滅的な被害を与えただけでなく、飛散した火山灰の痕跡を日本列島のほぼ全域に見ることができる。

 

「出土品の数はPhase5で最も少なく、そこから増えていってPhase2で最も多くなります。このことから、Phase5の段階では短期間の利用に限られていたのではないか、そこから時代が進むに従って季節的な利用、さらに定住へと拡大していったのではないかというのが私の推測です」

 

最後に、加藤先生は洞窟・岩陰での暮らし方として

・身近な資源(動植物、チャートetc)を利用すること

・流通品(黒曜岩、貝製品etc)を利用すること

が大切だといって講義をまとめられた。一見相反する指針のようだが、身の回りのもので自給しつつ、遠くから運ばれてきた物を積極的に受け入れることで、縄文文化が洗練され、発展してきたのだろうという印象を受けた。

最後に紹介された洞窟の3Dモデルを構築する技術を見て「あ!」と思った。先日ほとゼロで紹介したバイオフォトグラメトリ(http://hotozero.com/knowledge/kyushu-univ_bio-photogrammetry/)と同じ技術(むしろこちらの地質学的な利用の方が本家)だ。

最後に紹介された洞窟の3Dモデルを構築する技術を見て「あ!」と思った。先日、本サイトで紹介したバイオフォトグラメトリ(http://hotozero.com/knowledge/kyushu-univ_bio-photogrammetry/)と同じ技術(むしろこちらの地質学的な利用の方が本家)だ。

 

縄文人も悩んでいた!物件選び選びのアレコレ

動物考古学を専門とする廣瀬先生。遺跡から発掘された動物遺存体(動物の骨・歯・角などの遺物)を自分で解析することも多いという。そんな先生は洞窟・岩陰を物件と呼ぶ。我々が家やマンションを選ぶときと同じように、縄文人にも居住地選びのこだわりがあったのではないかというのが廣瀬先生の見解だ。

 

「みなさんは物件を選ぶときにどういうことを重視されるでしょうか?間取り、見た目、陽当たりなどでしょうか?ここでは岐阜の縄文人はどういった基準で居住に使う洞窟・岩陰を選んでいたのか、長良川流域の遺跡群を例に考えていきます」

濃尾平野の北側、長良川流域に連なる5つの遺跡群。ただし、東の端にある鹿苑寺岩陰はほとんど調査されていないため今回は除外する。

濃尾平野の北側、長良川流域に連なる5つの遺跡群。ただし、東の端にある鹿苑寺岩陰はほとんど調査されていないため今回は除外する。

 

「九合洞窟、岩井戸岩陰、渡来川北遺跡、港町岩陰の4つの遺跡です。あまり遠く離れた遺跡同士だと条件が違い過ぎるため比較しても意味がないのですが、これらは狭い地域に隣接してあるため好都合でした」

 

手始めに洞窟・岩陰についてそれぞれ開口部の方角を調べたところ、それぞれ南向き、西向き、北向きであることがわかったのだそう(渡来川北遺跡は洞窟や岩陰ではなくオープンな立地の遺跡)。見事にバラバラだ。

九合洞窟遺跡内部を前述のフォトグラメトリで3D化したもの。こうした3D化は内部の空間を直感的に把握するのにとても役立つのだ。その反面、とにかくたくさん写真を撮らないといけないので「2回現地に通ってようやく完成しました」とのこと。

九合洞窟遺跡内部を前述のフォトグラメトリで3D化したもの。こうした3D化は内部の空間を直感的に把握するのにとても役立つのだ。その反面、とにかくたくさん写真を撮らないといけないので「2回現地に通ってようやく完成しました」とのこと。

 

前述の遺跡群の中で、九合洞窟遺跡はもっとも早い縄文時代草創期から利用されていたことがわかっている。

「縄文時代早期に利用され始めた岩井戸岩陰、港町岩陰よりも開始時期が早いこの九合洞窟遺跡に注目することで、縄文人の洞窟・岩陰選びの基準がわかるのではないかと考えました」と廣瀬先生。

 

本州・四国・九州で見られる多くの洞窟・岩陰遺跡は、圧倒的に南向きが人気。

本州・四国・九州で見られる多くの洞窟・岩陰遺跡は、圧倒的に南向きが人気。

 

ここで、本州・四国・九州各地の洞窟・岩陰遺跡の開口方位をまとめた円グラフが提示された。結果は一目瞭然、圧倒的に南向きが人気だ(全部で41ある遺跡のうちの22、実に53.7%。この割合は南西や南東を含めるとさらに増える)「南向きの物件に住みたい」この嗜好は、この1万年ほど変わっていないと見える。

やはり、九合洞窟は日当たりを意識して選定されたんだろうか?南向きではない岩井戸岩陰や渡来川北遺跡は、他によい場所がないからしかたなく使っていたということ?

イノシシの骨が決め手になった!

九合洞窟遺跡の調査は名古屋大学が実施した1950年の第1次調査と1962年の第2次調査の計2回。第1次調査で掘った場所は攪乱(後世の人間の手で遺跡が乱され、出土品の年代がわからなくなること)が激しかったため、発掘された動物遺存体は70年に渡り未整理の状態だった。

 

次に廣瀬先生が注目したのが、60年以上前に行われた九合洞窟遺跡の調査の結果である。この調査では土器は多く出土したが石器の出土は比較的少なかった。また洞窟内で石器を製作した形跡もない。そこで利用されたのが先生の専門でもある動物遺存体だ。

 

「第2次調査で見つかった動物遺存体は数が少なくデータとしては満足できるものではなかったため、未整理の状態で保管されていた第1次調査の出土品を利用することにしました。これまでは攪乱の影響を受けていると考えられていましたが、当時の報告書等を精査した結果、最深部から出土したものについてはその限りではなくデータとして使えると判断したためです」

 

何十年も前の調査で得られたデータを分析し直すなんて考えただけで気が遠くなりそう……。しかし何千年も前のことを調べる考古学者にとっては、そのくらい朝飯前なのかも。

保存されていた動物遺存体はイノシシとシカの骨を中心に様々な生き物を含んでいたが、廣瀬先生がとくに注目したのがイノシシの下顎骨。イノシシの子は決まった季節にしか生まれず、さらに歯の状態を見ることで生まれてからの時間の経過が推測できる。よって、下顎骨を見れば1年の内のおおよそいつ死亡したか(この場合はいつ狩猟されたか)がわかるのである。この個体は冬に狩られたと推定された。

保存されていた動物遺存体はイノシシとシカの骨を中心に様々な生き物を含んでいたが、廣瀬先生がとくに注目したのがイノシシの下顎骨。イノシシの子は決まった季節にしか生まれず、さらに歯の状態を見ることで生まれてからの時間の経過が推測できる。よって、下顎骨を見れば1年の内のおおよそいつ死亡したか(この場合はいつ狩猟されたか)がわかるのである。この個体は冬に狩られたと推定された。

 

「冬に狩られたイノシシが出土したわけですから、この洞窟は少なくとも冬場は利用されていたことになります。そうすると、やはり気になるのは陽当たりです」

 

そこで、冬の南中高度(太陽が真南にきたときの地平線との角度)を調べて洞窟内の日光の差し込み方をシミュレーションしてみた。するとどうだろう。洞窟内の遺物が集中して発見された場所(=日中に人が集まって作業していた場所)には陽が当たっていたことがわかったのである。ここに至って、縄文人が九合洞窟を選んだ理由を探る謎解きにもようやく筋道だった解釈がつけられた。彼らは日当たりのよい場所を求めていたのだ。

西向き、北向きの岩陰は日差しを避けるのに向いている。

西向き、北向きの岩陰は日差しを避けるのに向いている。

 

「じゃあ、西向きや北向きの岩陰はなんに使われていたんだということになりますが、こちらは逆に日差しを避けようとしていたのではないかと考えられます。実際、これらの遺跡の中で遺物が集中している場所は、南側の壁際のような昼間でも日光があたらないところでした」

 

縄文時代早期に入り気候が温暖化していく中で、避暑など利用目的が多様化していったのではないかというのが廣瀬先生の解釈だ。縄文時代の人々は決して場当たり的に居住地を選んでいたのではなく、目的に応じて吟味していたのである。

 

「もし住む洞窟を選ぶなら、季節や目的、居住する人数や標高などいろいろ考えて選ばないといけません」

先生はこのように結論を述べた後「他の話は忘れても構わないんですけど、これだけは覚えて帰ってほしい......」と前置きしてから「洞窟の中で絶対に焚き火をしないでください。最悪一酸化炭素中毒になって死んでしまいます」と言われた。

たしかに、これだけいろいろ説明された後では、洞窟に住んでみたいという気持ちがないといえば嘘になる。ただ、物件選びはあくまで新生活のスタートラインにすぎないのだ。実際に生活する段になれば、さらに多くのノウハウが必要になることは間違いない。そのあたりを縄文人がどう解決していたのか、これからの研究で明らかにされるにちがいない。

キャプチャ13

 

もし洞窟居住文化が今日まで存続していたら......という設定で先生方が作った資料。遊び心があっておもしろいと思うと同時に、「西暦2000年台初期の人類が洞窟で生活していた証拠」として未来の考古学者をおおいに困惑させてくれそうでワクワクするのだった。

もし洞窟居住文化が今日まで存続していたら......という設定で先生方が作った資料。遊び心があっておもしろいと思うと同時に、「西暦2000年台初期の人類が洞窟で生活していた証拠」として未来の考古学者をおおいに困惑させてくれそうでワクワクするのだった。

 

永遠に美しく! 九州大学発の3Dデジタル新技術でもっと身近になる生物標本の世界

2022年11月29日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

生き物の情報を末永く保存するための標本は、生物学の研究にとって不可欠なものだ。

昔から研究者たちは標本作りのためのさまざまな手段を考え出してきた。カラカラになるまで乾燥させる、保存液に浸ける(液浸)、樹脂に封入する、最近では生体組織に含まれる水分をそっくり樹脂に置き換えてしまうプラスチネーションという技術も使われるようになった。

 

そんな標本技術の歴史に新たな1ページを書き加えたのが、九州大学・持続可能な社会のための決断科学センター・特任准教授の鹿野雄一先生だ。生き物の姿形を3Dのデジタルデータとして保存することで現物標本の弱点を克服する、バイオフォトグラメトリという技術についてお話を伺った。

ナマモノである生物標本には様々な制約がある

バイオフォトグラメトリについてお話を聞く前におさらいしておきたいのは、従来作られてきた生物標本のナマモノゆえの限界の数々だ。

たとえば、下の写真を見てもらいたい。

鮮やかな体色のオスのオイカワ

青や赤の美しい婚姻色(繁殖の時期にだけあらわれる、異性にアピールするための体色のこと)が出たオスのオイカワ

ホルマリン漬けにより退色したオイカワの標本

しかしホルマリン浸けの標本にするとこの色は消えてしまう

 

あんなに綺麗だったオイカワが変色してなんとも残念な色に……。ホルマリン浸け標本が重要であることは間違いないけれど、これを見ても生きているオイカワの姿を想像するのは難しいだろう。

このように、生き物の姿を保存するとは言いつつ、従来の方法では経年劣化による変色や風化は避けられない。他にも、害虫やカビを避けるために厳重に管理しないといけないことや、それゆえに貴重な標本はなかなか公開できないといった制約があるのだ。

生き物の生前の姿を(ほぼ)そのまま記録!

そんな制約を解消することが期待されているのが、バイオフォトグラメトリによる3Dデジタル標本だ。

百聞は一見に如かずということで、早速見ていただこう。(マウスで右クリックしながら動かすことで、360度あらゆる角度から観察することができます)

 

 

そのほか、3Dコンテンツのプラットフォーム「Sketchfab」で多くの生き物のデータを公開中
https://sketchfab.com/ffishAsia-and-floraZia

 

筆者は初めてこの標本たちを見たとき、「これはすごい!」と思った。

CGで作られた動物はこれまでにも見たことがあったけれど、こっちにはなんだか生々しさのようなものが感じられたからである。その秘密は、本物の生き物から直接形と色のデータをとってくる作り方にあるようだ。

 

「物体の写真をいろいろな角度から撮影して、専用のソフトウェアで合成して3Dモデルを構築するフォトグラメトリという技術の応用です。標本化したい生き物を糸で吊るして、回したり自分が動いたりしながらとにかくいろんな角度から写真を撮る。そしてそれをソフトウェアで処理する。やってることとしてはこれだけなんですね。地形や遺跡といったものを記録するために以前から使われていた技術なんですが、これを生き物に応用していろいろな種をモデル化したのは僕が初めてです。実を言うと、バイオフォトグラメトリという言葉も論文を描くときに思いついた造語なんです」

糸で吊った生き物の写真を、とにかくいろんな角度から撮る。カメラと糸とデータ処理用のパソコンさえあればできるので、採集したその日のうちに宿で済ませてしまうこともあるという

糸で吊った生き物の写真を、とにかくいろんな角度から撮る。カメラと糸とデータ処理用のパソコンさえあればできるので、採集したその日のうちに宿で済ませてしまうこともあるという。

 

これは意外、技術そのものは前からあったのか!つまりは発想の勝利だったと。

 

「そう、意外とだれも思いつかなかったんです。ただ着想さえあれば誰でもできるかと言うとそうでもなくて、とにかく撮影が難しい。写真を撮りさえすればよいというわけではなくて、綺麗なモデルを生成するためにカメラやソフトウェアの癖とか標本の状態とかいろんなことを考えながらやっています。そして今のところそのマニュアルは未整理の状態で僕の頭の中にあるだけです」

 

まさに職人芸。最新技術であるバイオフォトグラメトリだが、製作の過程は大昔からある剥製や昆虫標本と同じように人間の技によって支えられていたのだ。どんなコツがあるのだろうか?

 

「とにかくいろいろなことを考えながらやっていますが、あえて一つ上げるなら速く撮ることですね。魚類や両生類は表面が乾燥すると見え方がどんどん変わっていくし、植物なんかも萎れてしまいます。ソフトウェアにアップロードできる写真の上限が500枚なんですが、これを2分くらいで撮ってしまいます」

 

2分で500枚ということは、1秒に4枚強撮らなければならない計算になる。ゆっくり思案しながら撮影していられないのは当然だ。ネタの鮮度が落ちる前に完成させる、その極意はまるで寿司職人のよう。鹿野先生も同じように感じていたらしく「実は日本的かなと思っています」と言っておられた。

劣化せず場所も取らない3Dデジタル標本

こうして作られた3Dデジタル標本は、データさえきちんと保持されていれば作ったときの状態のままいつまでも置いておくことができる。最強の保存性をもっているのだ。

 

オイカワ ♂ Pale Chub, Zacco platypus by ffish.asia / floraZia.com on Sketchfab

上で例に出したオイカワも、フォトグラメトリを使えばこの通り。

 

インターネットを通じて誰でもアクセスできることも大きな強みである。当初、博物館などからオファーが来ることを期待していた鹿野先生だったが、予想に反して寄せられた反応の多くはエンタメ界隈からのものだったという。

 

「たくさんの問い合わせなどをいただいていますが、そのほとんどはAR(拡張現実)やVR(仮想現実)を使ったエンタメ業界からのものでした。たしかにとても相性がいいと思うんです。デフォルメしたものではない、限りなく現物に近い生き物を手軽に鑑賞できるようになるので」

 

都会にいながら生き物の観察会ができるようになるかもしれないというわけか。実現すればとても楽しいにちがいない。入口はエンタメかもしれないが環境教育につなげていくことができそうである。

決して完璧な存在ではない3Dデジタル標本

現在までに約800種を標本化したという鹿野先生。ここからはひたすら3D化の作業を進めていけばいいのかというと、どうやらそこまで単純な話でもないようだ。バイオフォトグラメトリを使った3Dモデル化に向いた生き物とそうでない生き物がいるという。

 

「ソフトウェアとの相性でモデル化のしやすい生き物の筆頭が魚とカニ、逆に苦手なのはクモです。クモは意外と体が柔らかく、エタノールで固定しても形を2分間さえ保つことが困難で、色もすぐに変わりやすいんです。それから、小型のエビのような半透明の生き物は今の時点では不可能ですね。糸で吊って撮影するという特性上柔らかい生き物も苦手で、だからクラゲなんかは絶対無理だと思います。トンボやセミの透明の羽も以前は再現できなかったんですが、こっちは透明にしたい部分を先に白く塗っておいて、あとからパソコン上で透明化する処理を施すことで克服できました」

クマゼミの透明な羽に白い絵具を塗っているところ

透明にしたいパーツを白く塗ってから撮影し、パソコンに取り込んでいったん3Dモデルを構築、それからテクスチャデータと呼ばれる色情報を格納したファイル上で白い部分に選択的に透明化処理を施す。

 

こうすることで、少なくともクマゼミのような部分的に透明な生き物であれば再現できるようになった。

 

「ただ、さっきも言ったように全身が透明だったり半透明だったりするような生き物にはこの裏技は使えません。見る方向によって見え方が変わるような生き物は苦手なんです。ここらへんは、ソフトウェアが改良されてなんとかなるかもしれないという話はありますが、どうなるかは未知数ですね」

 

生まれたばかりのバイオフォトグラメトリはまだまだ成長期にあるのだ。

また、バイオフォトグラメトリによって生き物の外見についていかに詳細な情報が得られたとしても、それだけで生き物を再現したと考えるのは早計だと先生は言う。

 

「ぼくは、3Dデジタル標本というのは正確には2.5次元+RGB(色情報)だと思ってるんです。表面的には生き物の姿を再現できていたとしても、CTスキャンのように内部の情報が残るわけではないんです」

病院でおなじみのCTスキャンだが、生物学の世界でも古参だ。X線を当てることで場所ごとの固さの情報を読み取るため、骨や内臓といった生き物の内部の情報を立体的に把握することができる。写真はCTスキャンで撮影されたヤマメ。

病院でおなじみのCTスキャンだが、生物学の世界でも古参だ。X線を当てることで場所ごとの固さの情報を読み取るため、骨や内臓といった生き物の内部の情報を立体的に把握することができる。写真はCTスキャンで撮影されたヤマメ。

 

「DNAの情報を読むためには体組織の標本が必要だし、バイオフォトグラメトリが表面の色を保存できるといってもやっぱり細かい質感とかは現物を見ないとわからないですよ。だからどの標本化の方法が優れてるとかではなくて、相互に足りない部分を補完し合うようなものなんです。乾燥もしくは液浸した現物の標本、DNA情報、CTスキャンデータ、3Dデジタル標本が揃えばほぼその生き物の情報を網羅できるので、将来的にその4つをセットで保管できればいいとは思います」

フィールドこそが原点

物珍しさもあって新しい技術はもてはやされがちだけれど、古い技術と併用されてこそ真価を発揮するということだろうか。そしてそれらの技術を総動員しても、野外で観察する生き物から得られる情報量には及ばないのだという。3Dデジタル標本の技術を開発したとあって技術屋気質の人物を想像していたが、実は生粋のフィールドワーカーであるというのが鹿野先生のおもしろいところなのだ。

かつては断崖絶壁に生育するランやシダなどの植物をテーマにクリフエコロジーの研究(断崖に生育する植物などの研究)もしていたという鹿野先生。断崖絶壁をロープで降下しながら植物を調査する作業はとても危険で、「今は運動能力と集中力が落ちたので止めました」とのこと。

かつては断崖絶壁に生育するランやシダなどの植物をテーマにクリフエコロジーの研究(断崖に生育する植物などの研究)もしていたという鹿野先生。断崖絶壁をロープで降下しながら植物を調査する作業はとても危険で、「今は運動能力と集中力が落ちたので止めました」とのこと。

コロナ禍が始まる前は東南アジアや中国を中心に淡水魚を研究していた。

コロナ禍が始まる前は東南アジアや中国を中心に淡水魚を研究していた。

 

バイオフォトグラメトリの着想もそうしたフィールドでの採集から得られたものなのだそうだ。

 

「石垣島で調査をしたときにタイワンコオイムシという水生昆虫を発見したんですが、これがじつは日本国内では56年ぶりに確認された、もう絶滅したと考えられていたとても珍しい昆虫だったんです。そのまま博物館に納めてしまってもよかったんですが、せっかくだから自分でもデータを撮りたいと思って、最初はCTスキャンにかけようとしたんですね。でもそのときたまたまCTの機械が壊れてて、どうしようかと考えてるときに、そういえばフォトグラメトリっていうのがあったなと思いついたのが始まりです」

 

56年ぶりの昆虫を見つけてしまうのもすごいが、それをきっかけにしてさらにバイオフォトグラメトリを作ってしまったのも驚きだ。

現在、肝心の学術分野がバイオフォトグラメトリに寄せる反応はまだまだ。対照的にエンタメやメタバース界隈から熱烈なラブコールを受けていることは上でも書いたとおり。これについて鹿野先生は「しばらくはエンタメ中心で使ってもらうのでもいいかなと思っています。科学・学術の分野というのは意外と保守的なものだから」と前向きな様子。具体的には、モデルの映画への出演依頼やAR・VRイベントの開催など、いくつかの企業から話があるそうだ。

バイオフォトグラメトリ、この新技術が今後どう社会に浸透していくのか目が離せない。

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