ほとんど0円大学 おとなも大学を使っっちゃおう

SNSで話題急騰中の分類学者が、社会に向けて貝類の情報を発信し続けるわけとは?!福田宏先生インタビュー〈後編〉

2021年12月21日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

話題の貝類分類学者・福田宏先生のインタビュー。前編では貝の研究を始めた経緯や軟体動物多様性学会の歴史について伺いました。

後編では、貝類の保全や軟体動物多様性学会公式Twitterの内幕に話を進めます。

*前編はこちらです。

逃げられない貝類はまさに“炭鉱のカナリア”である

――ヤシマイシンの話で思ったんですが、日本には、というか世界全体では全部で何種くらいの貝がいるものなんでしょうか?

 

これはですね、人によって推定値の振れ幅が非常に大きいんです。現生の貝類についていえば、世界中で記載されているだけで7万~10万種と言われています。まだ見つかっていないものを含めると10万種超えは間違いないでしょう。日本では、今のところ記載されているのが7000~8000種ですが、最終的には1万種を超えるでしょうね。隠蔽種(形態で見分けがつかないため同一種だと考えられていたが、実際にはそうでない種のこと)が予想以上に多いと、研究していて感じます。

 

――世界の貝の1割くらいが日本で観察できると考えると、国土面積のわりに貝に恵まれていますね。

 

そうなんです。南北に長くて、亜寒帯から亜熱帯まで全部そろってるから。海の貝だと、北太平洋の主要なグループはおおむね、日本の排他的経済水域の中で見ることができます。陸貝がまた面白くて、国土の面積のわりに種分化が異様に著しい。これも島国ならではの特徴だと思います。

 

ユーラシア大陸全体に同じ系統が分布しているようなグループでも、日本でだけ特異な種分化をしていることがあります。急峻な地形と、大陸から隔絶された島国という環境によるものでしょう。

移動能力の低い貝類は、島嶼などの隔絶された環境では外部の個体と交配ができなくなるため、特異な種分化をする傾向にある。(福田先生作製の講演資料より転載)

移動能力の低い貝類は、島嶼などの隔絶された環境では外部の個体と交配ができなくなるため、特異な種分化をする傾向にある。(福田先生作製の講演資料より転載)

 

――移動能力が低いから、隔絶された環境だと複雑な種分化が起こると。

 

陸貝や淡水貝はとくに、極端に言えば隣の山や湖は別種っていう世界ですから。それから孤島は固有種の数も比率も跳ね上がるんです。陸貝や淡水貝だけじゃなくて、海の貝でもそういうことが起こります。海はつながってるんだから分布が広いだろうと思ったらそうとは限らず、例えば卵からプランクトン幼生を経ずに、親と似た姿の子どもが生まれてその場で成長する「直達発生」という発生様式を持つ種がたくさんいるんですが、こういう種はなかなか遠くまで広がってゆけません。実際に、たった一つの浜にしかいない種とかもいるんです。

 

――生息範囲の狭い種がたくさんいるということは、それぞれの種は絶滅しやすそうにも思います。

 

特定の浜や山にしかいない種なんか、その場所がなくなれば即絶滅ですから。そして、そういうことがじゃんじゃん起こっているというのが現実です。地球上の生き物は計算上では1時間当たり、低く見積もっても3種程度絶滅しているとされていますが、おそらくそういったごく狭い場所にしか生息していない生き物がどんどん消えていってるんです。

 

――このインタビューの間にも5種くらい絶滅したことになりますね。すごいスピードだ……。

 

日本国内だと、例えば離島の陸貝なんかは非常に弱いですね。小笠原諸島が世界遺産に指定されましたけど、ニューギニアヤリガタリクウズムシっていう強力な捕食者が入ってきちゃって、固有の陸貝はほとんど壊滅状態です。これは、今世紀に入ってからの話です。ほんの数年で絶滅した種が続出しているんですね。沖縄県の大東諸島なども同じです。

沖縄県南大東島産、2015年11月12日福田撮影。 主に陸貝を捕食するニューギニアヤリガタリクウズムシの侵入によって、小笠原諸島や南西諸島に固有の貝類は絶滅の危機に追いやられている。

沖縄県南大東島産、2015年11月12日福田先生撮影。
主に陸貝を捕食するニューギニアヤリガタリクウズムシの侵入によって、小笠原諸島や南西諸島に固有の貝類は絶滅の危機に追いやられている。

 

それから、温暖化の影響もあります。地表が異常に乾燥しちゃったりして。与那国とか大東など南西諸島の離島に行くと、森の中がカラカラに乾いてて、10年前に行った時には陸貝がたくさんいたような場所が、今行くとごくわずかしかいないということが起こっています。とくにここ数年は環境の悪化が加速しているように感じます。

 

――貝を見ると環境の変化がわかるんですね。

 

こういう話をするときによく「貝は炭鉱のカナリア」だと言うんです。環境が悪化すると、他の全生物に先駆けて貝がいなくなるんですよ。他の生物ももちろん環境の変化は受けますが、移動能力が高くて別の場所に逃げられたり、もともと分布域も生息可能範囲も広い生き物は遅れて影響が出てきます。貝類はデリケートで、しかもその場からすぐ逃げるということができません。

 

生息する貝類の状況を調べると、だいたいその場所がどういう状態かっていうのがわかります。現在の状況も、過去の来歴も含めてですね。一番わかりやすい例だと、手つかずの原生林なんかは種数も多いし希少種もたくさんいるのに対し、都市の真ん中の人間がかく乱しつくしたような場所だと、ごく少数の外来種しかいない。しかもその間にはたくさんのグラデーションがあって、それを見ることで個々の場所の環境の状態を、高い解像度で評価することができます。環境省や都道府県が希少種の生息状況を調査して出しているレッドリスト・レッドデータブックは、もちろん貝類以外にも言えることですが、そういう地域ごとの特異性を明示する目的でも編集・発行されているものです。

 

――なるほど、移動能力が低いおかげで細かく種分化したけれど、今度はそれが徒となって絶滅が加速しているんですね。

実際に貝類の減少が環境の悪化と紐づけられている例というのはあるんでしょうか?

 

一番わかりやすく示してくれるのが岡山県で、この県は貝類の絶滅種数で全国ダントツトップです。さらに、母数に対する絶滅種数、つまり絶滅率ではトップどころか、2位の東京都の7倍です。なんでこんなことになったかというと、岡山県の自然破壊の歴史の長さと規模の大きさを反映しているんです。

 

7世紀以前に渡来人がたたら製鉄という技術を日本に伝えて、特に岡山県の山間部(吉備地方)で盛んだったんですが、製鉄に必要な火力を得るためには大量の薪を燃やさないといけない。それで、岡山県の南半分の木は全部伐採されてしまったんです。江戸時代の初期には県南部の山は大半が既にはげ山で、当時熊澤蕃山(くまざわ・ばんざん)という人がこれを戒めて、今で言うSDGsに通じる、資源の持続的利用を主張した記録が残っています。自然植生が壊滅したわけですから、その時点でその地域に本来いたはずの陸貝はほぼ全滅していたと考えられます。現在この地域で陸貝を調査しても、どんな過酷な環境でも生き延びられるような種だったり、西日本の広域に多産するような普通種しか見つかりません。

 

その上、植生がなくなったことで、雨が降るたびに山の土砂が川を通じて瀬戸内海に流入するようになりました。その結果、土砂がどんどん堆積して水深は浅くなり、海岸線が前進していきます。

 

その陸地化した海岸を土地として利用するために、奈良時代くらいから本格的に干拓事業が始まりました。今の岡山市や倉敷市の中心部があるところはもともと全部海の底だったんですが、1000年以上かけて人間の力で陸地化してきたものなんです。当然、そこにいた海の貝は全滅するわけです。

 

――そんなに昔から……!環境破壊というのはなにも近代以降に始まったものではないんですね。

 

それでも戦前までは、児島湾の奥の方にわずかながら本来の干潟の貝とかがわずかに生き残っていたんですが、それも1959年に完成した堤防で閉め切られて、淡水化して全滅しました。さらにそのあとの高度経済成長期には、公害問題に見舞われます。まずいことに、岡山県は瀬戸内海の一番真ん中に面しているから、外海との水の入れ替わりが乏しいんです。そこに工業・生活廃水を大量に垂れ流したので、いつまでも汚染が滞留してしまった。

 

さらに、コンクリート需要を満たすための海砂の採取です。海底から砂を取ること自体がたいへんな環境破壊なんですが、海底にすり鉢状の深い穴をたくさん掘ってしまったことで、太陽の光が届かないスポットをたくさん生み出してしまいました。すると穴の底で硫化水素などの有毒な物質が発生して、嵐で海が荒れるたびにそれが外へ湧き上がってきます。そして穴の外の生き物も死滅する。そんな状況が20年くらい続いたことで、岡山県の海の貝は大打撃を被ったんです。

 

日本でこれまでに起こった環境破壊の、あらゆるパターンを詰め込んだ状況です。岡山県は日本の環境破壊の縮図と言えます。そして、その直接的な影響が、貝類の大量絶滅へ露骨に反映されてるんです。

岡山県の海岸線の変化。干拓と堤防による内湾の淡水化によって自然の海岸はほとんど失われてしまった。

岡山県の海岸線の変化。干拓と堤防による内湾の淡水化によって自然の海岸はほとんど失われてしまった。

 

――中国地方は比較的自然が豊かなイメージがあったので、意外でした。

過去の貝類の種数とかはどうやって調べたんでしょうか?

 

僕が生まれた1965年に亡くなった、岡山県在住の貝類収集家に畠田和一(はたけだ・わいち)という人がいたんですが、その人の死後に長いこと所在不明になっていた幻の大コレクションが、山奥の公民館の物置に放置されていたのが2010年に発見されたんです。中身を見たら、過去に岡山県内では一切の文献記録がなかった種が大量に含まれていました。最近50年間の県内では破片すらも一切見つからない貝たちなので、それらの大半は1960年代以降に絶滅したことが確実視されます。そのコレクションが、ちょうど2010年に岡山のレッドデータブックを改定した直後に見つかったんです。なので、2020年の改定ではそのデータを全て入れて、大幅に情報量を増やし、全面的に書き直しました(詳しくは岡山県版レッドデータブック2020 を参照)。

 

――アマチュアの収集家の仕事というのはすごく大事なんですね!

 

そう、そのコレクションがなければ、過去の具体的な状況はまったくわからなかったんです。

畠田和一氏と氏が生涯をかけて収集したコレクション。在野の収集家の残したコレクションによって、岡山県の過去の貝類の分布を知ることができた。

畠田和一氏と氏が生涯をかけて収集したコレクション。在野の収集家の残したコレクションによって、岡山県の過去の貝類の分布を知ることができた。

保全には市井の人の協力が不可欠。鍵はSNSでの情報発信だ。

――ほっておくと貝類だけではなく生き物の種数というのは減っていく一方のようで、生き物が好きな人間としては悲しい限りです。他方で、自然環境や生物多様性を保全することの重要性がこれから先どんどん高まっていくことは間違いなさそうです。

福田先生が運営しておられる軟体動物多様性学会の公式Twitterアカウントでも、よく保全についての話題が出てきますが、情報発信することで保全に関心を持つ人を増やそうと始められたのでしょうか?

 

実を言うと、最初の動機はうちの会で出している雑誌と、論文の宣伝のためだったんです。

 

2020年の岡山県レッドデータブックの改定の時に、その対象種の一つだったベニワスレという二枚貝について調べてたら、出てくる資料がことごとく、標本の写真と種名がちぐはぐなものばかりだったんです。というか、ワスレガイ属の分類自体がでたらめだと気づいた。どの図鑑を見ても、載ってる貝と使ってる学名の組み合わせがまるで違うんです。ベニワスレ自体は江戸時代の古文書にも出てくるくらい昔から知られてたんですけど、誰も正しい学名はつけてなかったんです。結局、ベニワスレは新種でした(詳しくは『「忘れ貝」可憐な新種とそのゆくえ 万葉集・土佐日記にいう貝たちの「もののあはれ」と「鎖国の名残」』を参照)。

 

おりしも、コロナ禍の緊急事態宣言下で大学にも行けなかった時期です。県境を越えての調査も一切できませんでした。そこで、使ったのはネットや図書館を通じての文献調査と、それから日本各地の博物館に収蔵されている標本を郵送で貸してもらいました。ちょうど、博物館の方でも開館できず、存在意義すら問われていた頃だったので、「ぜひとも研究に使ってくれ」と言って積極的に協力してくれた館が多かったんです。自宅で写真を撮ってノギスでサイズを測ったりして、その論文が今年の7月に出たんですが、例のオーストラレイシア軟体動物学会と共同刊行しているMolluscan Researchに掲載されたので、うちの学会としても広めるべきだし、個人的にも自信作だったので、できるだけアピールしたいと思いました。

 

今は論文を評価するのに、オルトメトリクス(Altmetrics)という指標があるんです。この指標は、SNSでのシェア数なんかをもとにして、その論文が社会に与えた影響が数値化されます。そこで、軟体動物多様性学会でもTwitterを始めて、雑誌と論文の宣伝をしてもいいかとうちの役員会で提案したら、「まあいいんじゃない、好きにすれば。炎上には気をつけなさいよ」と会長以下の皆さんから正式にお墨付きをもらえたので、会の広報戦略とともに、半ば役得狙いで雑誌と論文の宣伝をするために始めたんです。

Twitterを始めるきっかけになったという貝、ベニワスレ。左上のAはベニワスレのホロタイプ(Holotype, 新種を記載する論文の中で基準として指定される世界でただ一つの標本)だ。

Twitterを始めるきっかけになったという貝、ベニワスレ。Aはベニワスレのホロタイプ(Holotype, 新種を記載する論文の中で基準として指定される世界でただ一つの標本)だ。

 

――そうだったんですね!Twitterにそんな影響力があるとは知りませんでした。

 

オルトメトリクスはつい最近広まった評価基準なんですけどね。Twitterとかウィキペディア、ネットニュースなどに論文のURLを含む記事が載ったらポイントがついたり。その公式HPには、「この値が20を超えると、同時代に出たほとんどの論文よりも優れた社会的影響力があると考えてよいでしょう」と書いてあるんです。だからワスレガイ論文も最低でも20は超えたいなと思ってたんですけど、狙い通り、ここまでの最高値は135に達しました。

 

それで味をしめて、4年前に発表したサザエの論文の紹介も改めてTwitterで呟いてみたわけです。その結果、サザエ論文は今の時点で945で、シドニーにいるMolluscan Researchの編集長だけでなく、雑誌の版元の、ロンドンの出版社からも高く評価してもらいました。できればこのまま4桁までいかないかなと期待してるんです。最近は影響力のものすごい論文は5桁だったりするから、それに比べるとささやかなものですけどね。

 

――すごく伸びてますね!なるほど、それで一般の方にもわかりやすいような発信の仕方をされてるんですね。

 

最初の1ヶ月ほどは、曲がりなりにも学会公式だからということで、お堅い感じで運営してたんです。個人的な見解はできるだけ避けて、淡々と論文紹介するとか、会の広報にとどめていました。しかし、ターニングポイントになったのが、8月に広島県竹原市のハチの干潟というところに、液化天然ガス火力発電所の建設計画が持ち上がってからです。ここは現在の日本では、自然分布のカブトガニの健全な生息地としては最東端に相当する干潟で、他にもいろんな希少種が生息している貴重な場所なんです。瀬戸内海全体では、僕が生まれて初めて見た秋穂の海に匹敵する素晴らしい干潟と言われています。しかし、今回はあろうことか、事前の環境影響調査すらしないまま、いきなり工事に突入しようとしています。

 

これはなんとしても計画を見直してもらわねばということで、軟体動物多様性学会としても他の4つの学会(日本貝類学会・日本魚類学会・日本生態学会・日本ベントス学会)の保全担当機関とともに現地の環境保全に取り組み、情報発信していくことになったんですが、現地の貝類の重要性についてしっかり解説するためには、自分の知っていることを書くしかないわけです。ハチの干潟の貝類相についての信頼できる詳しい文献はこれまでに存在しないので、引用もできず、しっかり解説するためには自前のデータを披露するしかなかった。しかも、これまでほとんど記録のない種とか、僕しか見たことのない未記載種までいて、そういう種こそが重要なので、結局、独自の見解への言及を避けて通れなくなったんです。それに、外部の方に関心を持ってもらうためには、やっぱりフォロワー数も積極的に増やさないと効果は薄い。そこからです、自分が知ってる貝の情報を、思い切って大っぴらに流すようになったのは。生物多様性の保全で特に大切なのは、個々の種や場所の固有性・特異性の重視だと僕は考えています。だから、他の誰もが知らずに見過ごしていた重要な情報を、今までにない形で積極的に世に知らしめるのは意味があるだろうと、方針転換しました。

貴重な干潟の生態系が残るハチの干潟。 「広島県竹原市「ハチの干潟」の生物多様性の保全に関する要望書」(日本貝類学会多様性保全委員会・軟体動物多様性学会自然環境保全委員・一般社団法人日本生態学会中国四国地区会・一般社団法人日本魚類学会・日本ベントス学会自然環境保全委員会, 2021)より転載。

貴重な干潟の生態系が残るハチの干潟。
「広島県竹原市「ハチの干潟」の生物多様性の保全に関する要望書」(日本貝類学会多様性保全委員会・軟体動物多様性学会自然環境保全委員・一般社団法人日本生態学会中国四国地区会・一般社団法人日本魚類学会・日本ベントス学会自然環境保全委員会, 2021)より転載。

 

――私もフォローしていますが、Twitterを見ていなければ一生目にしなかったかもしれない情報がたくさん流れてくるので楽しませてもらっています。とくに貝の肉抜きの話はとてもおもしろかったです!

一つの貝から殻と中身の両方の標本を作るには、貝を煮て、途中で切らないように引き抜くしかない。その技術、名付けて”肉抜き”。巻貝を食べなれている日本人には「なんだそんなことか」というような話だが、欧米の学会で発表した際は大技術革新だと天地がひっくり返るような大騒ぎだったらしい。

一つの貝から殻と中身の両方の標本を作るには、貝を煮て、途中で切らないように引き抜くしかない。その技術、名付けて”肉抜き”。巻貝を食べなれている日本人には「なんだそんなことか」というような話だが、欧米の学会で発表した際は大技術革新だと天地がひっくり返るような大騒ぎだったらしい。

 

肉抜きというワードは、それまでにも貝の標本の話をするときにちらほら出てきてはいたんですが、普通の人はそんなこと言われてもわからないだろうなとあるとき気づいて。一度ちゃんと解説しておこうかなという、ほんの思い付きだったんです。まさかあれがあそこまで拡散されるとは夢にも思いませんでした。こういう話を思いがけずたくさんの人が面白がって読んでくれているのを見ると、これまでは研究者として、一般に向けて情報発信する努力をあんまりしてこなかったなっていうのを実感します。Twitterももっと早く始めればよかった。

 

Twitterというフォーマットも自分に合ってますね。140字に納めようとすると無駄がどんどん省かれて、自動的に推敲を強いられながら書く感じがあるからスマートな解説になるんですよ。今度から論文の草稿もTwitterで書くと効率的かもしれない。

 

――Twitter論文、読みやすくてよさそうですね!

 

これからも貝の話ばっかりになりそうですけどね。結局僕は、貝を通してしか外界と関われないし、人と知り合えないんですよ。今日も、貝の話をしていたからこそ、このインタビューの機会をいただいたわけですから。最初は、子どもの頃に拾った貝殻を大切にしていただけですが、それを元手に思ってもみなかった方向へ展開してここまできたんです。つまり、貝は私にとって世界への窓口なんです。

 

――「貝は世界への窓口」とまで言い切る福田先生。こちらが質問したらしただけ興味深いお話を聞かせてくださるので、ついつい記事も長くなってしまいました。今度はどんな知られざる貝の世界を教えてくれるのか期待しつつ、インタビューを締めたいと思います。

本日はお時間とっていただきありがとうございました。

SNSで話題急騰中の分類学者が、社会に向けて貝類の情報を発信し続けるわけとは?!福田宏先生インタビュー〈前編〉

2021年12月16日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

「でんでんむしむしカタツムリ♪」と歌にも歌われているカタツムリ。街中に限定すると、以前と比べて見かける数が減ったように感じるのは筆者だけだろうか?実はそれ、身近な環境の変化の表れかもしれないのである。

 

「その地域の環境変化を知るうえで、貝類は“炭鉱のカナリア”なんです」

そう主張するのは、貝類の分類学を専門とする岡山大学の福田宏先生だ。軟体動物多様性学会公式Twitterアカウントの中の人としてつぶやき始めるや、瞬く間にバズりツイートを連発して一躍生き物クラスタの時の人となった福田先生。もちろん、これまでに海から陸まで数多くの新種の貝を記載してきた分類学者としても一流の存在だ。

 

そんな福田先生に、貝類との出会いから新種の見つけ方、さらに「貝類が“炭鉱のカナリア”」とはどういうことなのか、インタビューを行った。

 

インタビューは前後編に分けて掲載します。前半は新種の生き物を見つけるということ、福田先生と貝類の出会い、さらに先生が所属する軟体動物多様性学会について伺いました。

新種の生物は自宅の庭にいるかもしれない

――先生のこれまでの研究を見ていて私が一番衝撃を受けたのは、日本人なら誰でも知っているあのサザエが実は新種だったというものでした。まさに盲点というか、そんなことってあるんだという感じで。

以前ほとゼロで分類学(http://hotozero.com/knowledge/tokyouniv_taxonomy/)を取り上げた際にも、このサザエのエピソードが登場した。サザエの学名にはこれまでTurbo cornutusが使われてきたが、実はこれは中国沿岸に生息するナンカイサザエに当てられた学名であり、それとは別種である日本のサザエは発見から現在に至るまで学名が存在しない状態であったことが判明したというものだ。これを発見した福田先生は、新種としてTurbo sazaeを記載した。詳しくは『驚愕の新種! その名は「サザエ」 〜 250年にわたる壮大な伝言ゲーム 〜』(https://www.okayama-u.ac.jp/tp/release/release_id468.html)を参照。 写真は山口県萩市見島産サザエ(多田武一氏採集、西宮市貝類館所蔵、福田先生撮影)。1955年、雑誌『夢蛤』82号で、黒田徳米博士と吉良哲明氏により「日本一の大サザエ」と認定された個体。

以前ほとゼロで分類学を取り上げた際にも、このサザエのエピソードが登場した。サザエの学名にはこれまでTurbo cornutusが使われてきたが、実はこれは中国沿岸に生息するナンカイサザエに当てられた学名であり、それとは別種である日本のサザエは発見から現在に至るまで学名が存在しない状態であったことが判明したというものだ。これを発見した福田先生は、新種としてTurbo sazaeを記載した。詳しくは『驚愕の新種! その名は「サザエ」 〜 250年にわたる壮大な伝言ゲーム 〜』を参照。
写真は山口県萩市見島産サザエ(多田武一氏採集、西宮市貝類館所蔵、福田先生撮影)。1955年、雑誌『夢蛤』82号で、黒田徳米博士と吉良哲明氏により「日本一の大サザエ」と認定された個体。

 

――先生はサザエ以外にもたくさんの新種を記載されておられますが、これまで何種くらい記載されてこられたんですか?

 

今(2021年11月)の時点で45種です。それとは別に、死ぬまでにやらないといけないのがまだ150種はあるかな。

 

新種というのは発見しただけではだめで、生物学的に存在を認めさせるためには記載論文を書いて学名をつけないといけない。近縁の種のどれとも違うということを示さないといけないんです。その論文執筆のための作業がなかなか進まなくて、20歳の頃に見つけて大騒ぎしてた貝がまだ論文化できてなかったりしますね。外国産の標本と直接比較するのが難しかったり、いろんな事情で完成できないものが多いんです。

 

――45種類!新種なんて一つ見つけただけでも大騒ぎなのに、すごい数ですね!なにか発見のコツがあるんでしょうか?

 

45種なんて大した数じゃないです、これまでには1人で1000種以上新種記載した人だっていたんですから。新種というとアマゾンの奥地とか極地とか深海とか、辺境に行かないと見つからないと思われてるけど、まったくそんなことはない。これが広く勘違いされていることだと思います。

私が小学校1年の夏休みまでに集めた標本は229種あったんですが、50年近くたって調べなおしたら、その中の3種が未記載種でした。

 

――小学生の時点で新種を......!?ていうか、229種も集めてる時点ですごいですね。

 

一つは先ほど出てきたサザエ。二つ目はクサイロクマノコガイ。クマノコガイという貝は瀬戸内海産のものと日本海産のもので明らかに外見が違うんです。なのに、なぜかこれまで同じ種の地域差に過ぎないと決めつけられていました。僕は当時そう言われてずっと納得できなかった。ところが、最近になってDNAを調べた人から聞いたらまったくの別種だという結果で、それ見たことか!と思いましたね(詳しくは『またしても、新種と知らずに食べていた!-食用海産巻貝類「シッタカ」の一種、クサイロクマノコガイ-』を参照)。

 

もう一つの新種はカタツムリだったんです。これは実家のすぐ前の崖で、保育園時代に見つけたものです。崖の下にいつも同じ殻が落ちていて、図鑑で調べても、似たようなのはあるんだけど完全に一致するものが載っていない。これもDNAを調べることで、これまで記載されているどのカタツムリとも違うということがわかりました。チョウシュウシロマイマイといいます。この和名は私がつけたのですが、学名の種小名(学名は属名と種小名の二つで構成される)は私のフルネームを付けてもらって Aegista hiroshifukudai になりました(https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/13235818.2015.1023175を参照)。

 

これはとても象徴的なことで、保育園児や小学生の行動圏内にいるような生き物でも、何百種類か集めればそのうちいくつかは新種であるということが大いにあり得るんですよ。

 

福田先生が保育園及び小学校2年生の時に採集したバイの標本。ラベルはどちらも直筆。当時の標本は今も現役だ。 【左】1972(昭和47)年1月23日(小学校入学の直前)、山口県下関市彦島西山海水浴場(母の実家の裏)。「西」が正確に書けていないが、種名の同定は正しい。 【右】1973(昭和48)年6月18日、山口県長門市仙崎漁港水揚げ(実家近くの鮮魚店で購入)。

福田先生が保育園及び小学校2年生の時に採集したバイの標本。ラベルはどちらも直筆。当時の標本は今も現役だ。
【左】1972(昭和47)年1月23日(小学校入学の直前)、山口県下関市彦島西山海水浴場(母の実家の裏)。「西」が正確に書けていないが、種名の同定は正しい。
【右】1973(昭和48)年6月18日、山口県長門市仙崎漁港水揚げ(実家近くの鮮魚店で購入)。

 

――身近にいるのに誰も記載論文を書いていない生き物がたくさんいると。

 

結局、分類というのは人間の都合ですからね。人間の意識があまり及んでいないところに新種は潜んでいます。サザエなんか日本人なら誰でも知ってるのにそれが新種だった。これはネットで論文や文献を漁ってて気づいたんです。新種は家の周りを探索したり、ネットで調べものをすることで見つけられるんです。

 

現代では形態で区別できない生き物でもDNAを見ることで別種にできるし、そういう意味では新種発見のハードルは下がってますね。その地域の生き物を集めて丹念に調べれば、新種は必ず見つかると思います。

貝と向き合い続ける姿は、まさに「三つ子の魂百まで」

――小学1年生の時点で何百種類と貝を集めておられたとのことですが、福田先生と貝の出会いって何だったんですか?

 

はっきりとは覚えてないので、これから話すことは全て両親から聞いたことや、残っている写真とかの証拠を見せられて知ったことです。

 

まず、3歳くらいの頃は貝じゃなくて交通標識が好きな子供だったんです。

 

――交通標識……?一時停止とか駐車禁止とかの、あれですか?

 

そう、教習所でもらう冊子にいろいろ載ってるあれです。私は言葉を発するのが非常に遅かったので親は心配してたんですけど、街に連れて行くといつも特定の場所で奇声を上げて騒ぎ出したそうなんです。それで、どこで騒ぐのかを調べたら標識の立ってる場所だった。その後、親が見せてくれた交通法規集に載ってるのを全部覚えてしまって、「軌道敷内通行可」とか「指定方向外進入禁止」とか正式名称をすらすら口にしてたんですが、それこそが僕が生まれて最初に発した、明瞭な言葉だったらしいです。それを誰がどう聞きつけたのかもはやわかりませんが、九州朝日放送のテレビでトニー谷が司会していた「ど素人天狗ショー」に出場させられて入賞し、北海道と東京へ旅行にいったことはかすかに覚えてます。

 

標識に惹かれた理由なんですが、決められたフォーマットの中で枝分かれしていろんな種類が作られてるでしょ。ああいうのが好きなんですよ。同一性と差異が同居しているような。

交通標識。

交通標識。たしかに、色と形でうまく分類できそう。

 

――なんだか分類学者の片鱗が見えてきました。そこから、どう貝類に移っていったんでしょう。

 

僕の実家は島根・広島との県境に近い山口県の山奥で、うちの父は開業医をしていたんですが、父が行くまでそこは無医村でした。そんな山奥ですから、集落から出る機会がほとんどない人もたくさんいたんです。そこで、父親が思いついたのが、診療所の待合室に海水魚の水槽を置くことだったんです。

 

5才くらいの、保育園児のころです。1970年代初頭の、瀬戸内海が公害で一番汚かった時期です。それでも、山口県の秋穂(あいお)というところの、比較的汚染が進んでいない海に魚や替えの海水を取りに父親と車で通いました。実は、これは全くの偶然ですが、この秋穂は、のちに「現代日本最高の干潟」とまで称えられるほど生物多様性の高い場所でした。父親が作業をしている間、危ないからその辺で遊んでろと言われて、勝手に砂浜で貝殻をひろったりしてたんです。

 

――出た!貝殻!

 

ある時、突然僕が貝殻を親父に見せて、名前を口走るようになったらしいんです。親は不思議に思って調べたら、もともと家にあった子供向けの貝図鑑を勝手に読んで覚えちゃってたんですね。どうやらその名前がかなり正確らしいぞと気づいた父が、保育社の「原色日本貝類図鑑」とかの大人向けの図鑑を買ってきてくれて、そこから一気に貝にはまりました。半年くらいで、どのページに何が載っているか全部覚えてしまいました。

 

――一歩間違えたら貝以外のものにはまっていたような気もしますね。

 

貝の前は標識にはまっていたわけですからね。その後も漢字を覚えるのにのめり込みました。たくさんのいろいろな形や読み、意味、来歴を持つ漢字がそれぞれ部首にグルーピングされる点が生物の分類と共通なので。講談社の「大字典」をクリスマスプレゼントにもらって飽きもせず眺め、小学校4年までに漢字練習帳に全ての字を書き写したりしてました。画数の多い複雑な字や、日常でまず使われない字が特に好きでしたね。おかげで今でも旧字体はほぼ全部読めるし、無意識に書いてしまいます。貝殻と標識と漢字は、僕には同じものに見えるんです。

 

次に転機になったのが、山口県と県教育委員会が主催する夏休みの自由研究のコンクールです。当時は山口県科学振興展覧会と言ってましたが、今もサイエンスやまぐちと名前を変えて続いています。入賞すると本人だけじゃなくて地元の学校長や教育委員会にとっても名誉なんですけど、小学1年生の夏休み明けに、さっき言った229種の貝の標本を出したらいきなり入選(三等に相当)したんですね。それで町の教育長と校長、親が色めき立っちゃって、とにかく貝集めに集中しなさいということで、それ以降は「貝の採集に行く」といえば公認欠席扱いだったんです。

 

――現代では考えられないくらい自由ですね。

 

貝集めさえしてればいいのでそれは楽だったですよ。まあ、じきに楽しいだけではなくなりましたが。自分以上に親と教師が過度にエキサイトしてしまって、貝集めを強いられるという感じになっちゃったので。貝集めは楽しかったけど、大人の調子のよさみたいなものも知りましたね。

 

――今大学でやっておられるのとさして変わらない状況に、小学生の時点でなっていたというのはすごいです。

 

貝類の分類で有力な業績をあげている研究者というのは、ほとんど例外なく、子供の頃から貝が好きで、そのまま研究者になった人です。最初から遺伝子を使って進化の解明に的を絞りたいとか、行動や生態を調べたいとかなら全く別ですが、ひたすら野外で採集して標本を集め、分類するのを生業にしたいなら、大学4年で研究室に入ってから始めるのでは残念ながらかなり不利なんです。小学校の時からやってる人と比べたら、その時点で15年近いキャリアの差があるわけですから。

 

結局、私は小学校1年の夏休みの課題が完成できないまま、今も続けているんです。そして、おそらく一生終わらせることができずに死ぬんだろうと思っています。呪縛です、完全に。

(2018年7月23日、岡山県津山市、久保弘文氏撮影)

フィールドで貝類を観察する福田先生(2018年7月23日、岡山県津山市、久保弘文氏撮影)

 

――なんだか分類学者というものの業の深さのようなものを見た気がします……。子供の頃から貝が好きだった人が研究室に入ってくるというのは、やはり珍しいのでしょうか?

 

極めてまれですね。子供が生き物と触れ合う機会も、以前より減っているように思います。先日も中学生が学校のカリキュラムの一環で研究室に見学に来たんですけど、生き物の標本作りとかをしている人は身の周りで見たことがないと言ってました。昨今は動物愛護の観点から生き物を殺して標本にすることが敬遠されたり、外来種や希少種の扱いを間違えてSNSで炎上する事件が頻発したせいで、子供を生き物に触れさせない方が無難だという予防線、あるいは同調圧力があるように感じます。

 

ただ注意したいのは、そういう何らかの圧力は、形は違えど昔から一貫してあったということです。昔はSNSも生態系保全の問題もなかったけど、その代わり「そんな銭にならんことやってなんになるんだ、道楽はほどほどにして働け」という冷たい目がありましたね。「貝集めなんか暇人の趣味だ、仕事になるわけでもない」とか、何千回言われたかわかりませんよ。それが今は「生物多様性」とか「SDGs」というお題目のもとに、なんとなくみんな納得した気になっているわけで、時代は変わりましたね。

 

いずれにせよ、生き物の採集にのめり込むことを歓迎しない風潮というのは、いつの時代もずっとあるんだけど、結局はそういう様々な障壁を突き破っていける人だけが生き残れる世界なんです。だから、今の子供たちがあんまり生き物の採集や標本作りをしないこと自体については、あんまり心配とかはないですね。

ハイレベルなアマチュアの集う場所、同好会は未来の研究者の揺り籠だ!

――福田先生が所属しておられる軟体動物多様性学会について教えてください。

 

貝や昆虫のような小さな生き物は、種によっては非常に限定された場所にしか生息していないため、生息地の近くに住んでいることが、研究上のアドバンテージになりうるんです。条件がそろえば、在野のアマチュアが職業研究者以上の成果を挙げることだってできるんです。

 

そういう、ハイレベルなアマチュアが集まるのが同好会や談話会と呼ばれる組織で、子供から大人までいろんな世代・立場の同好の士が自由に参加するので、この分野の貴重な教育機関としても機能しています。その点は、大学ではできないことを代行しているわけですね。

 

貝類の同好会・談話会は日本各地にあるんですが、その中の一つだった山口貝類談話会(のち山口貝類研究談話会)という団体が軟体動物多様性学会の前身です。1988年創設で、その頃20歳そこそこだった私も創立会員の一人です。軟体動物多様性学会に改称した今でこそ国際学会として活動していますが、当時は山口県出身者と在住者に限るという会員資格を設けていたこともあり、会員が30人もいないような小さな集まりでした。

 

――とてもローカルな集まりだったんですね。それがどうして、軟体動物多様性学会という全国区の学会に変わったんでしょうか?

 

創立後8年経った1996年、会誌「ユリヤガイ」の発行が停滞していたので、私が地元から編集を依頼されたんです。「好きなようにしていい」と言われたので、当時大学院生で時間の有り余っていた私は、本当に好きなようにさせてもらいました。まず、会誌を英文や新種記載も掲載可能な「The Yuriyagai」にして、査読制を導入し、世界中の著名な研究者約20人と直接交渉して常任査読委員に就任してもらいました。それと国内には、うちとは別に日本貝類学会という、1928年創設で会員数も700人を超える、貝類学関係の学術団体としては世界最大規模の老舗学会があるんですけど、これの年次大会を2000年に山口市へ誘致して、うちの会のメンバーで開催を支えました。

軟体動物多様性学会の前身は山口貝類談話会という小規模な団体だった。左が会誌「ユリヤガイ」3号、右が当時大学院生だった福田先生がテコ入れして刊行された4号。

軟体動物多様性学会の前身は山口貝類談話会という小規模な団体だった。左が会誌「ユリヤガイ」3号、右が当時大学院生だった福田先生がテコ入れして刊行された4号。

 

ところが、これは全くの偶然なんですが、貝類学会大会の少し前に大きな事件があったんです。山口県の上関(かみのせき)というところに原子力発電所の新規立地計画があるんですけど、1997年にその予定地の目と鼻の先の、八島という島で新種の貝を発見したんですよ。しかもただの新種ではなくて、巻貝の進化の大きな分岐点にあたる、ミッシングリンクに相当する種だったんです。ウミウシとカタツムリの仲間を合わせて異鰓類という大きなグループなんですが、問題の新種はその一番根元の共通祖先に近いんです。しかも当時は世界全体でもわずかしか記録がなく、北半球の太平洋全体で初めての発見で、そんなものがよりによって原発予定地のすぐそばで見つかったと。

左:(2〜8)ヤシマイシン(9)ヒメシマイシン 八島で、そして追加の調査によって原発建設予定地内でも発見されたTomura yashima。この貝がいなければ、その後の貝類の進化は今とはまったく違っていたかもしれない。維新であり革命であるということで、和名はヤシマイシン(カクメイ科)と命名したのだそう。 右:Winston F. Ponder 博士と福田先生(シドニー、2005年3月、Julie M. Ponder 氏撮影)。

左:(2〜8)ヤシマイシン(9)ヒメシマイシン
八島で、そして追加の調査によって原発建設予定地内でも発見されたTomura yashima。この貝がいなければ、その後の貝類の進化は今とはまったく違っていたかもしれない。維新であり革命であるということで、和名はヤシマイシン(カクメイ科)と命名したのだそう。
右:Winston F. Ponder 博士と福田先生(シドニー、2005年3月、Julie M. Ponder 氏撮影)。

 

その貝にはカクメイ(革命)科ヤシマイシン(八島維新)という名前をつけました。なぜならその貝の祖先がこの世に現れなければ、その後に出現したはずのウミウシやカタツムリなどは、一切この世に存在しなかったかもしれないんです。1999年後半には、原発計画の是非とこの貴重な貝の保全をめぐって、山口県を二分する途轍もない大騒ぎに発展しました。

 

それで、同じカクメイ科に属する貝を世界で最初に発見したオーストラリアのウィンストン・ポンダー(Winston F. Ponder)という、「史上最強の貝類学者」と言われるものすごい人がいるんですが、せっかくだからこの人を前述の貝類学会の山口大会に呼ぼうということになりました。実際に欧米からポンダーふくむ4名の、我々の分野では超有名なスーパースターと呼べる研究者たちを招聘して実際に研究発表もしてもらって、そのまま原発予定地での貝類相調査に一緒に行ったり、山口県庁に予定地の環境保全を求める申し入れもしたんです。

 

そんなことがあって、ポンダーとも非常に懇意になりました。私が学位論文で取り組んだテーマと、ポンダーが学生時代以来最も得意とする分類群が大きく重なっていることもあり、それから20回以上シドニーに呼ばれて、今でも共同研究を続けています。連れ立ってオーストラリア東海岸を採集して回り、ケアンズからアデレードまでの海岸線約3000kmを、車で完全走破しました。

 

ポンダーはオーストラレイシア軟体動物学会というオーストラリアとニュージーランド両国合同の学会を長年率いていたんですが、もともと両国とも人口が少ないから会員数も非常に少なくて、たった60人ほどしかおらず、常に存続の危機にあったんです。逆にうちは山口県限定なのに、その時点で倍の120人くらい会員がいました。そこでポンダーが、学会誌モルスカン・リサーチ(Molluscan Research)の刊行だけでも共同でやらないかとサシで提案してきたんです。こちらとしては願ってもないことですよ。もともとは山口県ローカルの泡沫団体だったのが、突然「史上最強の貝類学者」と共に、正真正銘の国際誌を発行できるようになったんです。いわば草野球チームがそのままでメジャーリーグ参入を認められたも同然です。そんなわけで、こちらも相変わらず山口県限定を標榜するのはいくらなんでも無理があるということになって、2009年に山口貝類研究談話会を改称して軟体動物多様性学会にしたんです。

 

――なんとも壮大な話で驚かされます!


後編では、貝類の保全や軟体動物多様性学会公式twitterを始めた動機について伺います。
*後編はこちらです。

 

珍獣図鑑(14):交尾は生涯一度きり。なのに10年以上産卵を続ける女王アリの秘密にせまる

2021年11月2日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

「地球上の全人類の重さと全アリの重さはほぼ同じ」というトリビアを聞いたことのある人は多いと思う。この話が本当かどうかはさておき、この世界には途方もなくたくさんのアリが今も暮らしていることは間違いない。

 

今回は、そんな膨大な生息数を支えるべくせっせと産卵を続ける女王アリの生態について、甲南大学の後藤彩子先生にお聞きした。後藤先生が研究材料として主に使っているのが、日本で普通に観察できるキイロシリアゲアリ(通称:キイシリ)だ。

後藤彩子先生。

後藤彩子先生。

社会性昆虫の社会性ってどういう意味?

アリやハチが他の昆虫と大きく違うところといえば、それらが仲間と高度に協力し合って生活する社会性昆虫だということだろう。でも、彼らの社会と我々人間の社会はずいぶん違っているように見える。アリやハチが社会性昆虫と呼ばれる所以はなんなのだろう?

 

「ややこしいのですが、社会性昆虫の社会性は人間のそれとはずいぶん違います。我々にとって社会性があるとかないとかいうとき、ほとんどはコミュニケーション能力が問題になるわけですけど、昆虫に社会性があるかどうかを判断するうえでのキーワードは『繁殖分業』です。つまり子孫を残すための仕事(繁殖)とそれ以外の仕事がグループ内で分業できていれば、その昆虫は社会性昆虫だと言えます。

 

アリの社会では、繁殖を女王アリとオスアリ、巣の維持や幼虫の世話などの仕事を働きアリ(繁殖能力のないメスアリ)が担当することで、しっかりと分業が成立しています」

キイロシリアゲアリの女王アリと働きアリ。女王アリは働きアリよりも体が大きく、体格からして繁殖(産卵)に特化しているのがわかる。同じ種のメスアリが女王アリと働きアリに分化する仕組みは諸説あるが、よくわかっていないそうだ。

キイロシリアゲアリの女王アリと働きアリ。女王アリは働きアリよりも体が大きく、体格からして繁殖(産卵)に特化しているのがわかる。同じ種のメスアリが女王アリと働きアリに分化する仕組みは諸説あるが、よくわかっていないそうだ。

 

なるほど、アリやハチの巣で産卵できるのは女王アリ・女王蜂だけというのは有名な話だけれど、それこそが社会性昆虫の定義だったのだな。

 

「繁殖分業ができてさえいれば社会性昆虫と言えるわけですから、逆にそれ以外の要素は同じアリ科の昆虫の中でも種ごとにかなり違いがあります。女王アリが子育てのために働きアリのように巣の外に餌を探しに行く種であるとか、女王アリが働きアリよりも大きい種もいればほぼ同じ大きさの種もいます。

 

また一つの巣の中でも状況によって仕事のしかたが変わってきます。通常、働きアリは『齢間分業』といって年齢によって従事する仕事が違います。若いうちは巣の中で主に幼虫の世話なんかをするんですが、年をとると巣の外での食料探しといった、より危険な任務につくようになります。この巣から実験的に若い働きアリを取り去ってやると、年をとった働きアリがそれまで若い働きアリが従事していた仕事までこなすようになるんです。環境が変化しても柔軟に対応するんですね」

 

働きアリというと、同じ仕事だけを延々と繰り返しながら生涯を終える生活のメタファとして使われることもあるが、さにあらず。人間でも難しいライフステージに応じた転職を、アリたちは自然にやっているということなのか。

キイロシリアゲアリはどこにでもいる普通種。しかしその生態はとてもユニーク

そんなに多種多様なアリの中から、あえてキイロシリアゲアリを研究対象に選んだのはなぜなのだろう?

 

「日本ではどこにでも生息している普通種であるということと、女王アリが大量に採集できること、飼育が比較的簡単であることで選びました。実験ではたくさんの女王アリが必要なので、この点は大きなアドバンテージです。また、この種は一つの巣にたくさんの女王アリがいるという特徴があります」

 

一つの巣にたくさんの女王アリが!そんなこともあるのか。

 

「このキイロシリアゲアリの生態はとてもユニークなんです。キイロシリアゲアリの繁殖は晩夏の蒸し暑い夜に女王アリとオスのアリが一斉に巣から飛び立って交尾するところから始まります。結婚飛行と言って、アリの生涯で交尾をするのは実はこの時だけなんです。結婚飛行が終わると、オスのアリは死んでしまって、女王アリは適当な場所に降り立って羽を落として巣作りを始めます。ここまでは他のアリと同じなんです。

 

ここからが面白くて、多くのアリが一匹の女王から巣をスタートさせるのに対して、キイロシリアゲアリはその場に居合わせた複数の女王アリが協力し合って巣作りを始めるんです。巣を作り始めたころというのは、守ってくれる働きアリもおらず非常に危険な時期なので、他の女王アリと一緒になることで生存率を上げていると考えられます」

キイロシリアゲアリの女王アリとオスアリ。結婚飛行の名の通り、巣を出て飛び回って交尾相手を探すため、羽をもった羽アリだ。彼らと違って繁殖に関わらない働きアリには羽はない。

キイロシリアゲアリの女王アリとオスアリ。結婚飛行の名の通り、巣を出て飛び回って交尾相手を探すため、羽をもった羽アリだ。彼らと違って繁殖に関わらない働きアリには羽はない。


たしかに、一匹よりは大勢で集まって巣作りをした方がなにかと都合はよさそうだ。しかし同じ種のアリとはいえ赤の他人である。同居しているうちに互いに鬱陶しくなって、女王アリどうしで喧嘩にならないのだろうか?

 

「複数の女王アリで巣作りをするアリは他にもいくつかいます。でも、そういった協力関係はたいていは巣作りの初期段階に限られます。巣が大きくなって働きアリの数が増えてくると、抗争のようなものをへて女王アリの数は減っていき、やがては一匹を残すだけになるんです。キイロシリアゲアリのすごいところは、巣が大きくなってもなぜか女王アリどうしの喧嘩が起こらないことなんです。

 

どうしてそういうことが可能なのかはわかりませんが、キイロシリアゲアリは血縁関係のない個体に対する寛容さみたいな性質を備えているのかもしれません。うちの研究室でも膨大な数の女王アリを飼育していますが、一つの巣に何匹も女王アリを入れておけるのでスペース的に助かっています」

 

一つの巣にたくさんの女王アリがいるというキイロシリアゲアリの特徴が、女王アリをたくさん使う研究に最適だということがわかった。でも、そんなにたくさんの女王アリを使ってどんな研究をしているのだろう?

女王アリの寿命は、なんと10年以上! しかも交尾するのは生涯を通じて結婚飛行のときだけ

「さきほど少し話が出てきましたが、女王アリとオスアリが交尾をするチャンスは、巣を飛び出して結婚飛行をするそのときだけなんです。そして、女王アリの寿命は実は10年を超えるくらい長いんですけど、その生涯にわたって産卵を続けます。つまり、体内で10年以上にわたって精子を使用可能な状態で保管していることになるんです」

女王アリの寿命はすごく長い。そして、貯蔵された精子を使って生きている限りずっと産卵を続ける。

女王アリの寿命はすごく長い。そして、貯蔵された精子を使って生きている限りずっと産卵を続ける。

 

女王アリってそんなに長生きなのか!そして、小さな体に一生分の精子を、使える状態で保管している。まさに生命の神秘としか言いようがない。

 

「他の生き物では、オスの精子は体外に出た瞬間から弱り始めるものなんです。それが他人(メス)の体内で、しかも10年以上にわたって使用可能な状態でキープされるというのはすごいことです。そのメカニズムが解明できれば、現在では液体窒素などを使った極低温環境でしか保存できない人間や家畜の精子や、他の細胞の保存方法の改良にも応用できるかもしれないと期待しています」

 

「それ、なんの役に立つの?」という質問は研究の世界ではナンセンスなのかもしれないが、具体的に応用できそうな道筋が見えているということはやはりよいことだ。そんな精子の長期間貯蔵のメカニズムだけれど、解明の糸口は見えているのだろうか?

 

「精子は女王アリのお腹の中にある受精嚢という全長0.3mmくらいの器官に貯蔵されます。そこで、受精嚢の中で精子がどんな状態でいるのかを調べてみたんです。すると、当然他の動物の場合と同じように泳ぎ回る精子が観察できるものと思っていたんですが、なんと精子が動いていない状態だったんです。

 

さらに調べると、精子はオスの体から出た時点ですでに不動であるということがわかりました。多くの動物では、精子は他の精子と競争するためなるべく速く泳いで卵子に到達する方向に進化してきたとされているため、この精子が動いていないという結果は意外でした」

交尾によってオスから受け取った精子は受精嚢という器官に貯蔵され、必要な時に受精嚢管を通して取り出して使われる。 アリやハチの生殖では、オスになる卵は精子を使わない単為生殖で生まれてくるのが一般的。なので、精子が使われるのはメスになる卵を産むときに限られる。女王アリによるそうしたオスとメスの産み分けのメカニズムも、受精嚢に秘められた不思議だという。

交尾によってオスから受け取った精子は受精嚢という器官に貯蔵され、必要な時に受精嚢管を通して取り出して使われる。 アリやハチの生殖では、オスになる卵は精子を使わない単為生殖で生まれてくるのが一般的。なので、精子が使われるのはメスになる卵を産むときに限られる。女王アリによるそうしたオスとメスの産み分けのメカニズムも、受精嚢に秘められた不思議だという。

受精嚢にため込まれた精子の様子。細かい線に見えるものが全て精子だ。0.3mmほどの小さな器官に、生涯使う分の精子が貯蔵される。

受精嚢にため込まれた精子の様子。細かい線に見えるものが全て精子だ。0.3mmほどの小さな器官に、生涯使う分の精子が貯蔵される。

 

なるほど、動いている状態よりも動いていない状態の方が劣化しにくいというのは、たしかに一般的な経験則からも納得しやすいかもしれない。精子の長期保管メカニズムには、貯蔵する側の女王アリの体だけではなくて、貯蔵される精子の方にも秘密があったわけか。

 

「それから当然、女王アリの受精嚢の側にもなにか秘密があるはずだと考えて研究を進めています。受精嚢でどんな遺伝子が働いているかとか、受精嚢内の化学的な環境はどうなのかとかいったことを調べています。ただ、こちらの方はまだよくわかっていません。最初、砂糖漬けや塩漬けのような感じで精子を保管しているのかという仮説を立てていたんですが、これはハズレでした」

 

一口に受精嚢の環境と言っても、調べなければいけないことはたくさんある。こういうところで、女王アリを大量に用意できるキイロシリアゲアリの利点が光るわけだ。

飼育しているアリは約20種類、女王アリだけで数万匹!

アリに関する各種研究テーマに取り組み、趣味でもアリを飼育しているという根っからのアリ好きの後藤先生。いったいどれくらいの数のアリを飼育しているんだろう?

 

「女王アリだけでも数万匹はいますね。うちの研究室ではキイロシリアゲアリの精子貯蔵以外にもいろいろなテーマに取り組んでいるので、アリの種類も20種類以上になります。

 

そうそう、若い女王アリと高齢の女王アリで体内の環境に変化があるかどうかも調べたいと思っていて、長期飼育にも挑戦しています。キイロシリアゲアリの女王アリで最高齢のものは、今年で10歳ですけど、やっぱり年がいくごとに数が減っていくのでもったいなくてなかなか実験には使えないですね」

 

やっぱりすごい飼育数! 維持するだけでもすごく大変そうだ。それに実験用とはいえ、10年も飼育したらなにかと愛着も湧いてしまいそう。

後藤先生の研究室の、アリの飼育室の様子。膨大な数なので、普通に飼育するだけでも管理がたいへんだ。

後藤先生の研究室の、アリの飼育室の様子。膨大な数なので、普通に飼育するだけでも管理がたいへんだ。


「世話はたいへんです。なので餌やり等が効率的にできるように飼育ケースの形や餌を入れる容器を工夫したりしています。ほかにも、これはアリ飼育家の間では有名な方法なんですけど、土の代わりに石膏を使っています。土と比べてカビや病気のリスクが抑えられるし、水を含むので保湿にもなる上に、石膏は白いのでアリの観察もしやすくなります。餌には蜂蜜やメープルシロップなどの糖類と、ミールワームなどの動物性タンパク質を主に与えています。

 

毎日観察していると、アリにも個性のようなものがあることがわかって面白いですよ。同じ種のアリでもコロニーによって餌の好みに違いがあったりとか」

飼育には石膏を使う。たしかに、茶色い土を背景にするよりも観察がしやすそうだ。

飼育には石膏を使う。たしかに、茶色い土を背景にするよりも観察がしやすそうだ。

 

アリが好きなればこそ、毎日の世話も苦にならないということか。そんな公私ともにアリ一筋の後藤先生が、アリの研究を始めたきっかけは何だったのだろう?

 

「子供のころから虫は好きでしたが、あまり運動神経のよい方ではなかったので、空を飛んだり素早く動いたりしないアリはお気に入りの観察対象で、夏休みの自由研究にも取り組んでいました。高校に入って生物学の知識を学ぶようになると、有性生殖でメスを、精子を使わない単為生殖でオスを作るアリやハチの繁殖方法を知って衝撃を受けました。研究対象として本格的に興味を持ち始めたのはそのころからだったように思います」

 

小学生のときから抱き続けてきたアリへの探求心と感動が、今の研究を進める原動力になっているのだそうだ。女王アリの謎だけでなく、アリにまつわるいろいろな不思議を解き明かすためにそのまま突き進んでもらいたいものだ。

【珍獣図鑑 生態メモ】キイロシリアゲアリ

日本では簡単に観察できる普通種のアリ。体の大きさは女王アリが8mm、働きアリが2~3mmくらい。9月頃の夕方に女王アリとオスアリが一斉に巣から飛び立ち、灯火等に集まって交尾する『結婚飛行』を行う。複数の女王アリが集まって一つの巣を作る多女王制をとる。近年では体の色が似ているためか特定外来生物であり強い毒をもつヒアリと間違えて駆除される悲劇も起きているが、よく観察すればヒアリとはまったく違うことがわかる。

珍獣図鑑(13):意外にも子煩悩!? 特別天然記念物オオサンショウウオの個性的な生態にせまる!

2021年9月30日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

特別天然記念物にまで指定されているオオサンショウウオ、しかし依然として謎なところも多く.....

両生類としては並外れて大きな体と、まるで沈思黙考しているかのように水底にじっとたたずむ姿で人を惹きつける生き物、オオサンショウウオ。最近では京都水族館が商品化した原寸大のぬいぐるみがSNSで話題になったりと、注目される機会も増えてきているようだ。その存在感は日本の文化にも少なからぬ影響を与えてきたようで、たとえば太宰治の『黄村先生言行録』は身の丈が一丈(約3m)あるオオサンショウウオに憧れた老人がひどい目に会う話である。

 

一丈は大げさにしても、オオサンショウウオが何年くらい生きて、どのくらい大きくなるのかはやはり気になるところ。西川先生、実際のところ、どうなのでしょう?

 

「じつは最大でどのくらいになるのかを確かめるのが非常に難しくて、今研究してるところなんです。野外で見るのは最大で130センチくらいですね。飼育下ではまれに150センチくらいまで育つのもいます。

 

年齢も今調べてるんですが、55年とか飼育した記録が残ってますから、60年は生きるだろうということがわかっています。ただ、自然環境下ではほとんどが60歳までには死んでると思いますけどね。長生きなのは100歳とかまで生きてるかもしれませんけど、時間スケールが大きすぎてちゃんと確かめられてないのが現状です」

西川完途先生とオオサンショウウオ(撮影:田邊真吾)

西川完途先生とオオサンショウウオ(撮影:田邊真吾)

 

なるほど、長生きする生き物について調べようとすると、我々人間の寿命が研究の制約になってしまうのだ。

 

「60年も生きられたら、研究者も現役を退いてますよね。何世代かでやろうというのでマイクロチップを埋めたりもしてますけど、それでもやっぱり結果が出るのに50、60年かかります。

 

他の方法でよくやるのは、指の骨を切って薄い切片を作るんですよ。それを植物由来の染料で着色すると年輪ができて、それで推測するという方法です。でも誤差がかなりあるし、オオサンショウウオは特別天然記念物なので文化庁の許可をとるのがたいへんだとかの問題もあります。

 

ほかに、オオサンショウウオに限らず生き物の細胞が正常に成長や分裂するためにはDNAのメチル化と呼ばれる現象が必要なのですが、DNAに蓄積したメチル化の量から年齢を推定しようという試みも進めています。うまくいけば血液から年齢がわかるようになる、夢のような話なんですけどね」

 

いろいろ障害があるけれど、新しい技術でそれを克服しようとすることが研究の醍醐味かもしれない。ところで、日本に生息する他種のサンショウウオはいずれも手のひらサイズだ。どうしてオオサンショウウオだけがこんなに大きいのだろう?

 

「まず、オオサンショウウオは生まれてから成熟するまで、外鰓(がいさい:体の外に飛び出したエラ)がなくなる以外は体の形があまり変わりません。頭でっかちな幼児体型のまま大人になるんです。同じ両生類でもカエルなんかがオタマジャクシと親で全然形が違うのとは対照的です。そして、そういう幼い特徴を残したまま成熟する生き物は、一般にゆっくりと成長し、体が大きくなる傾向があるんですね。

 

ただ、どうしてオオサンショウウオがそういう戦略をとったのかはわかりません。他の例でメキシコサンショウウオに代表されるアホロートルというのがいるんですが、彼らは幼形そのままで成熟します。これはカルデラ湖という外界から隔絶された、天敵もいない安定した環境に適応した結果だとされています。ずっと水の中で安全に暮らせるなら、わざわざ変態して陸に上がる必要もないというわけです。オオサンショウウオも、どこかの時点で安定した河川の環境に適応する必要があったのかもしれません」

生まれたばかりのオオサンショウウオはだいたい3~4センチくらい。成長するにつれてどんどん大きくなるけれど、カエルのように劇的に体の形が変わったりはしないのだ。(撮影:田邊真吾)

生まれたばかりのオオサンショウウオはだいたい3~4センチくらい。成長するにつれてどんどん大きくなるけれど、カエルのように劇的に体の形が変わったりはしないのだ。(撮影:田邊真吾)

オオサンショウウオの生息地は、西日本(愛知県以西)を流れる河川の中流から上流域だ。東日本に分布していない理由については、まったくわかっていないという。

オオサンショウウオの生息地は、西日本(愛知県以西)を流れる河川の中流から上流域だ。東日本に分布していない理由については、まったくわかっていないという。

意外にも子煩悩!? オオサンショウウオの育児は父親がメイン

体の形がほとんど変わらないまま成長するオオサンショウウオ。どうやって繁殖するんだろう?

 

「成熟して繁殖できるようになるまで15年ほどかかります。これだって、他の両生類と比べると格段に遅いですね。それで、8月末が繁殖期でですね、その時期になるとオスはおしりの、肛門の周りが膨らむし、メスだとお腹が卵でぱんぱんになってきます。

 

まずオスが川岸にあるよさそうな洞穴を見つけて中を掃除して、そこにメスがやってきて卵を産んで、オスが放精します。一つの穴に複数のメスがやってきて、先にいたメスの産んだ卵を食べてしまうこともあるし、スニーカーといってコソ泥みたいなオスがやってきて横から受精させようとすることもあるので、オスは巣穴を守りますね。だから、普段は基本的にはおとなしい生き物なんですけど、繁殖期の巣穴にちょっかいをかけると噛みつかれたりしますよ」

オオサンショウウオの大きな口。写真ではわかりにくいが、ちゃんと歯も生えている。噛まれると大けがをすることもあるから要注意だ。

オオサンショウウオの大きな口。写真ではわかりにくいが、ちゃんと歯も生えている。噛まれると大けがをすることもあるから要注意だ。

 

なかなか熾烈な争い!産卵後はほったらかしなのかと思ってたけど、ちゃんと卵を守るのか。しかもオスが。これは意外だ。

 

「卵が孵化するまでの1か月間はずっと尻尾を振って、新鮮な水を供給します。それから、これは岡田純博士の研究でわかった事ですが、巣の中をいつも嗅ぎまわってて、腐ってカビが生えたような卵があったら、ちぎってパクッと食べちゃうんですよ。そうしないとカビが全部に広がっちゃうじゃないですか。そのためにオオサンショウウオの卵は紐みたいになってるんじゃないかと、僕は睨んでるんですけどね。

 

孵化した後もオス親は2か月くらいはずっと一緒にいます。だから合計で3か月くらいは一緒にいることになりますね。カニとかカメとか魚とかが食べに来るのを追い払ったりとかもするし、それからおそらく親の体から出る粘液の効能で殺菌とかもしてるんじゃないかと思います。そういう巣穴から親を引き出すと、子供は全滅するということがわかっています。

 

体外受精する動物で、しかもオスがここまで手の込んだ育児をするというのはかなり珍しいですね」

オオサンショウウオの卵塊。産卵数は700~1000個だという。特徴的な形で、筆者は「ちぎりパン」みたいだと思いました。実際、カビが生えたりしてダメになった卵があると、他の卵に病気が移らないように親オオサンショウウオがちぎって食べてしまうのだそう。(撮影:田邊真吾)

オオサンショウウオの卵塊。産卵数は700~1000個だという。特徴的な形で、筆者は「ちぎりパン」みたいだと思いました。実際、カビが生えたりしてダメになった卵があると、他の卵に病気が移らないように親オオサンショウウオがちぎって食べてしまうのだそう。(撮影:田邊真吾)

 

なかなか手の込んだ育児をするオオサンショウウオ。ひょっとして、頭が大きい分だけ犬や猫と同じくらい知能が高かったり?

 

「たしかに頭は大きいですが、脳は小さいので知能というほどのものがあるかどうかは疑わしいです。ただ記憶力であったり、個体ごとの性格の違いみたいなのはある気がします。

 

例えばこんな例があります。梅雨明け頃になると田んぼの水を減らすために川に放出するんですけど、そうすると田んぼで繁殖したドジョウやオタマジャクシが川に流れ出てくるんです。そこを狙って集まって来るオオサンショウウオがいて、もしかしたら毎年同じ個体が来てるかもしれません」

 

うーむ、さすがに哺乳類と比べるのは酷というものか。しかし一年に一度のことを覚えていられるとなると、オオサンショウウオはなかなか侮れない記憶力の持ち主ということになるぞ。

チュウゴクオオサンショウウオとの交雑阻止は喫緊の課題。しかし解決には人間の都合による障害が。

外見も生態も個性的なオオサンショウウオだが、一部の河川では外来のチュウゴクオオサンショウウオの侵入・交雑によって日本在来種が存亡の危機に立たされているとか。ではブラックバスやマングースのように「外来種なので駆除しましょう」となるかというと、そう単純な問題でもないようだ。

 

「もともと日本でも中国でもオオサンショウウオを食べたり、ペットにしたり、薬にしていた歴史があるんです。それが日本では1952年に特別天然記念物に指定されたことで文化財保護法の対象になって利用できなくなったので、代わりに中国から輸入されたのがチュウゴクオオサンショウウオです。これが野外に放流されて、遺伝的にも日本のオオサンショウウオと近いので、交雑が進んでしまったんですね。

 

問題をややこしくしているのが、日本では厄介者のチュウゴクオオサンショウウオも、国際的にはワシントン条約でオオサンショウウオ属という属レベルでの保護の対象になっているということです。日本には種の保存法という法律があって、これはワシントン条約に準拠することになっています。外来生物だからといって駆除することができないんです」

チュウゴクオオサンショウウオとの交雑個体たち。今のところ前述の問題で駆除することができないので、これ以上野外で生息域を広げないように捕獲された個体は隔離されている。チュウゴクオオサンショウウオは体の扁平さや、体表の模様・イボの形に特徴があって、成体であれば日本のオオサンショウウオと見分けるのは容易なのだそう。ただし交雑個体を外見だけで識別するのは困難。

チュウゴクオオサンショウウオとの交雑個体たち。今のところ前述の問題で駆除することができないので、これ以上野外で生息域を広げないように捕獲された個体は隔離されている。チュウゴクオオサンショウウオは体の扁平さや、体表の模様・イボの形に特徴があって、成体であれば日本のオオサンショウウオと見分けるのは容易なのだそう。ただし交雑個体を外見だけで識別するのは困難。

 

とはいえ、オオサンショウウオは前述の通り飼育下では何十年も生きる生き物。終生飼育するとなると並大抵ではない負担がかかることになる。しかも、その数は年々増えていくのだ。

 

「現状でも全てを終生飼育するというのは現実的ではないので、特別な許可をもらって一部の交雑個体を研究や標本の材料にしています。もちろん自然に寿命で死んだり、病死したりする個体もいますが、全て標本にしています。年齢にしても健康状態にしても、研究するためには標本とそこから得られるデータが必要ですから。あとは、各地の水族館に引き取ってもらったり、教育のために使ってもらったりしています」

 

研究材料には事欠かないというのが不幸中の幸いということだろうか。しかし法律や対策の整備が急務ということは変わらなさそうだ。

 

「交雑個体に関しては、法的な扱いが明確になるように国内法を改正することが必要だと思います(現在は遺伝子鑑定までして交雑個体と判明しない限りは、日本のオオサンショウウオとして扱われるので、交雑個体の生息する河川の個体だからと触ったり持ち帰るのは違法行為になる可能性がある)。ただ、文化財保護法は文部科学省の、種の保存法は環境省の管轄なので、なかなか制度の整備が進まないというのが実情なんです。

 

ただ現実は待ったなしの状態で、場所によっては9割以上が交雑個体なんていうところもありますよ。そうなると、もう交雑個体を残らず捕獲するということは難しいので、いかにそこから拡散させないかということが重要になってきます。雨が降って増水すると上流や下流に向かって移動しますから。分水嶺を越えて自力で移動することはできないというのが唯一の救いでしょうか」

 

なにかと前途多難な様子。しかも、在来種の方のオオサンショウウオは文化財保護法で厳重に管理されているので、巣穴の前にカメラを設置するだけでも許可を取るのがたいへんだとか。西川先生が、そんなややこしい境遇のオオサンショウウオをあえて研究対象に選んだ理由はなんだったのだろう?

 

「もともと私は九州の出身で、淡水魚が好きだったんです。ヤマメやアマゴやイワナみたいな渓流魚がとくに好きで、それであるとき釣りにいった川でサンショウウオの卵を見つけたんです。これがほんとに美しくて、そこからサンショウウオに興味をもち始めました。

 

それと、学部時代は経済系の学科に振り分けられたんですが、卒業論文のときに『生き物のことを何かやりたい』と先生に言ったら『生物保護法のことを書いたらいいだろう』と言われたんです。そのとき勉強したことが、オオサンショウウオに関する法律や制度の問題を考えることにつながってきているんです」

オオサンショウウオの分布や生息状況、交雑種の侵入の状況などを調べるには定期的な調査が欠かせない。各地で調査観察会が行われており、一部は事前に申請することで一般の人も参加することができる。意外に市街地の近くにも生息しているので「こんなところに!」と驚く人もいるとか。(写真は日本オオサンショウウオの会 山口大会での様子)

オオサンショウウオの分布や生息状況、交雑個体の侵入の状況などを調べるには定期的な調査が欠かせない。各地で調査観察会が行われており、一部は事前に申請することで一般の人も参加することができる。意外に市街地の近くにも生息しているので「こんなところに!」と驚く人もいるとか。(写真は日本オオサンショウウオの会 山口大会での様子)

かつては今よりももっと近かった人とオオサンショウウオの距離

京都市内を流れる賀茂川では、大雨が降って川が増水すると岸に打ち上げられたオオサンショウウオが発見されてSNSを賑わせるのが夏の風物詩になっている。さらに特別天然記念物に指定される前は食用利用されていたように、とくに山間部では身近な存在だったのだろうか?

 

「戦後の食糧難の時代とかは結構食べてたと思うんですよね。今でも田舎に行くと『こうやって食べてた』みたいな話を聞くこともあるし。井戸に入れて飼っておいて、結婚式の時に食べたという人とお会いしたこともあります。岡山の方にオオサンショウウオのお祭りがあるんですけど、供養のための物だったと思いますね。食用としてかなり重要だった地域もあるんでしょうね」

 

どんな味なんだろう......山椒の香りがするからサンショウウオという名前がついた、なんていう話を聞いたこともあるけれど。

 

「魚肉と鶏肉の中間だ、なんていうふうに聞いたことはありますね。僕は食べたことがないんですけど、あっさりしててササミみたいだと言われたこともあります。

 

山椒の香りは......しませんね! 怒ったときに出す粘液が刺激臭を発するのは事実です。傷についたりするとちょっとヒリヒリしたりもして。でも決して山椒の臭いとは思わない。何人かに聞いてみましたけど、山椒みたいだという人には会ったことがありません。

 

山椒の木のごつごつした感じがオオサンショウウオの体表に似てるからとか、昔山椒のことをハジカミと呼んでいたのが転じてハンザキ(オオサンショウウオの別称)になったんだとか、口が半分裂けてるからハンザキだとか、名前については本当にいろんな説があります」

 

名前の起源にいろいろな説があるのは、それだけ古くから人々の生活に寄り添ってきたからだともいえそうだ。生物学だけでなく、文化的な面でもオオサンショウウオには興味深いことがたくさんあるのだ。特別天然記念物となった今では食べたり捕まえて飼ったりはできないけれど、今後も末永くお付き合いいただけるよう保全と研究が進んでほしいものだ。

【珍獣図鑑 生態メモ】オオサンショウウオ

有尾目オオサンショウウオ科オオサンショウウオ属。愛知県以西を流れる河川の中・上流域に生息する。飼育下では体長150センチ、寿命は60年に達することもある。メスは川岸の洞穴などに数珠状の卵塊を産みつける。産卵直後の卵から生後2か月くらいまで、オスの親が付きっ切りで世話するという特徴がある。近年、人為的に移入されたチュウゴクオオサンショウウオとの交雑が問題になっている。

田舎の昔話だけじゃない。関西学院大学の島村先生に聞いた、『ヴァナキュラー』で始める身近な民俗学

2021年8月5日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

日本でもっとも有名な民俗学研究といえば、柳田國男が岩手県遠野地方(現在の遠野市)を訪れ、その地域の伝承をまとめた『遠野物語』で間違いないだろう。民俗学にまったく興味のない人でも、その名前は聞いたことがあるのではないだろうか? そのせいか、私たちが民俗学にたいして抱く印象はどうしても「田舎の伝承を調べる学問」というものになってしまいがち。

 

そんな従来の民俗学のもつイメージを、「ヴァナキュラー」という言葉で払拭しようと試みるのが、関西学院大学社会学部の島村恭則先生だ。

 

「『遠野物語』のような研究は民俗学のごく一部なんです。民俗学は本来もっと自由で、カジュアルで、普段の生活で見聞きするものも研究対象にできてしまう学問です」

そう語る島村恭則先生にお話を伺った。

民俗学は覇権主義に対抗するための盾だった

基本的なところから質問させてください。民俗学とはどういうものなのでしょうか?

 

民俗学は18世紀末のドイツで始まった学問です。当時のヨーロッパはフランスやイギリスを中心とした啓蒙主義(非合理的な古い考えや習慣を打破し、科学や理性を重んじる考え方のこと)の時代でした。近代化が比較的遅れていたドイツでは、その影響を受け、流れに乗り遅れるなという掛け声のもと、自分たちの土着のことばや文化を軽視したり否定したりするようになってしまいました。

 

これに対して「いやそれはおかしいだろう」と主張したのがヘルダーという人です。外国のものを取り入れるのもいいけど、もとからあった自分たちの文化も大事にしなくちゃいけないだろうと。彼は最初、ドイツの民謡を集めていたんですが、これが同じような境遇の国々にも広まっていきます。ロシア語の浸食を受けていたバルト三国やフィンランドなどですね。それが各地に広がる過程で、民謡だけでなく民話や祭りや衣食住、その他いろいろなことを記録に残すようになりました。

 

純粋な興味本位で始まったものかと思ってました! 自分たちの文化を守るための運動だったんですね。

 

啓蒙主義や覇権主義(フランスやイギリスなど大国が強大な権力を拡張させようとすること)への対抗ですね。なので、ヨーロッパで民俗学が盛んな国というのはどちらかというと小国だったり、大きな国の中でも例えばフランスのブルターニュ地方とか、イギリスのスコットランド・ウェールズ・アイルランド(19世紀当時。後にイギリスから独立)のような周縁的な地域でした。

 

調査対象が人間の生活であるところやフィールドワークを中心にすえているところが、素人目には文化人類学と似ているような気もします。

 

たしかに、やっていることだけを見ると似ているかもしれません。ただ、文化人類学のほうは、もとはといえば、イギリスやフランス、アメリカなどの強大国が、植民地主義を背景に、非ヨーロッパ圏の人びとの文化を調べることから始まった学問。一方、民俗学のほうは、啓蒙主義や覇権主義に対抗する文脈の中で、自分たちやその周囲の文化に着目して始まったわけです。出発の地は、ドイツやその周りの弱小国。ちなみに、そういうこともあって、東ヨーロッパの小国など、現在でも民俗学が盛んな国では文化人類学はそれほどでもないということが少なくないです。

 

こういうと、日本には民俗学も文化人類学も両方あるんじゃないの?と思われるかもしれませんが、これは文明開化といわれるような急速な西洋文明の流入期と、その後よその国を植民地化していた時期の両方を経験したという歴史を反映しています。

 

なお、二つの学問は成立過程が違うというだけで、対立しているわけではなく、重なり合っていたり、協業関係にあったりしていますので、くれぐれも誤解のないようにお願いします。

江戸のヒマ人たちが作り上げた、近代以前の民俗学の系譜

先生の著書を拝読したのですが、そこで紹介されていた研究テーマは、喫茶店のモーニング文化、大学キャンパスの都市伝説、子供を躾けるためにお母さんが考えたお化けやおまじないなどなど、「え、そんなのが民俗学なの、というか大学でやる研究になるの!?」というようなものも多くて驚いてしまいました。誰もが当事者として見聞きしたことのあるものからスタートする研究が多くて。

(左上)午前中限定でコーヒー+軽食のセットを格安で提供する「モーニング」メニュー。誰が考え出したのか、またモーニング文化の盛んな地域には共通点があるのだろうか? (右上)ある家庭では、新品の靴をおろす際にわざわざ靴底などに落書きする『儀式』が必ず行われるという。聞き取りをするうちに、少なくない家に同じような『儀式』の習慣があることが明らかになった。どうしてそんなことをするのだろうか? (下)関西学院大学に代々伝わる『関学七不思議』。「大事な試合や試験の前に神学部の学生に出会うと、うまくいく」「時計台の前庭の芝生には、どんなに晴れた日でも常に湿っている一角が存在する」etc。あなたの通っていた(通っている)学校にもこんな伝承がなかっただろうか?  これらの研究については、島村先生の著書『みんなの民俗学 ヴァナキュラーってなんだ?』(平凡社)に詳しい。

(左上)午前中限定でコーヒー+軽食のセットを格安で提供する「モーニング」メニュー。誰が考え出したのか、またモーニング文化の盛んな地域には共通点があるのだろうか?
(右上)ある家庭では、新品の靴をおろす際にわざわざ靴底などに落書きする『儀式』が必ず行われるという。聞き取りをするうちに、少なくない家に同じような『儀式』の習慣があることが明らかになった。どうしてそんなことをするのだろうか?
(下)関西学院大学に代々伝わる『関学七不思議』。「大事な試合や試験の前に神学部の学生に出会うと、うまくいく」「時計台の前庭の芝生には、どんなに晴れた日でも常に湿っている一角が存在する」etc。あなたの通っていた(通っている)学校にもこんな伝承がなかっただろうか?
これらの研究については、島村先生の著書『みんなの民俗学 ヴァナキュラーってなんだ?』(平凡社)に詳しい。

 

「合理的でないもの、覇権主義でないもののための学問」というのが、歴史的経緯をふまえて私が見出した民俗学の定義です。その範囲で面白いものは何でも調べてやればいいと思っています。

 

さきほどドイツで生まれた民俗学が世界に拡散したと言いました。明治時代の日本にもそれが入ってきましたが、実はそれ以前にも、民俗学という名前はついていないにしろ、それに近いことは行われていたんです。江戸時代の都市部なんかではとくに盛んでした……ヒマ人が多かったのかもしれませんね。江戸幕府公認の学問は朱子学(儒学)でしたが、そうした正統派の学問にはカテゴライズできないけれどなんか面白いなと思ったこと、役には立たないしお金にもならない市井で見聞きしたことを熱心に調べた記録が随筆という形でたくさん残されているんです。

 

例えば「どこそこの子供が失踪して、数か月後に元気に帰ってきた」とかそんな話がひたすら書かれている。で、彼らはまたそれを研究しちゃってるわけです。この話と似た内容の言い伝えがどこそこにあって、そこにはこういう法則性があるのではないか、とかね。

そうした随筆の数々は『日本随筆大成』というシリーズにまとめられて刊行されているという。

そうした随筆の数々は『日本随筆大成』というシリーズにまとめられて刊行されているという。

 

めちゃくちゃ面白いヒマの潰し方ですね! まさしく大人の自由研究だ。そして先生の研究はその流れを汲んだものであると。

 

もし彼らが現代に生きていたとしたら、私の研究と同じようなことをしたと思いますよ。最近話題になったものだと、新型コロナウイルスの感染拡大に関連して流行ったアマビエやアマビコのような、疫病の発生とかかわって出現する怪物についての話も随筆として残されています。こうした随筆は、民俗学にとって宝の山です。

『ヴァナキュラー』で民俗学についた間違ったイメージを退散すべし

市井を歩いて気になったものを深掘りするという点で考現学に近いような気もしますね。こういう民俗学なら、現代でも積極的に参加してみたいと思う人が多そう。どうして「民俗学は田舎の風習を調べる学問」というイメージが定着してしまったのでしょうか?

 

日本の近代民俗学のはしりと言えるのは柳田國男ですが、彼自身や周囲の研究者は江戸の随筆については把握していたし、それらを研究してもいました。明治生まれの人間から見れば江戸時代なんてついこのあいだのことなんで当然です。

 

ただ同時に、柳田は弟子たちに、文献研究よりも、農村・山村・漁村に直接出向いての聞き取り調査が最優先だと教えました。これにはもちろん理由があって、江戸時代の随筆というのは圧倒的に都市部で書かれたものが多かったんですね。でも、調べてみると紙に書かれたものになっていないだけで似たような話は僻地にもたくさんある。それを知っている人が残っているうちに、記録しておかないといけないと考えたんだと思います。

 

この「とにかく現地に行って農村・山村・漁村の伝承を調べなければ」という話が時代が下るにつれてだんだん一人歩きを始めて、やがて出発点であったはずの「市井のことなら好奇心に任せて何でも調べよう」という部分が希薄になっていきました。

柳田國男(1875~1962)出典:Wikipedia

柳田國男(1875~1962)出典:Wikipedia

 

もったいないですね。そこが一番面白そうなところなのに。してみると、先生の研究は民俗学のエッセンスを取り戻そうとする運動でもあるわけですね。

 

そうなんです。そこで私が引っ張ってきたのが『ヴァナキュラー(Vernacular)』という概念なんですよ。

 

『ヴァナキュラー』は、20年くらい前からアメリカの民俗学界隈で使われ出した言葉です。英語圏ではもともと民俗学の研究対象のことをフォークロア(Folklore)と呼んでいたんですが、このフォークロアという言葉が一般的な英語話者の間では「田舎で古くから伝えられている風習」としてだけ受け取られていた。でもアメリカの民俗学というのは、都市をフィールドとした研究を盛んに展開していました。ストリートミュージシャンとか、地下鉄の落書きなんかを対象にした研究がたくさんあるんです。それで、そうした民俗学の実態を正確に表現できる言葉はないかとなったときに、アメリカの研究者たちが使い始めたのがヴァナキュラーです。

 

ヴァナキュラーは直訳すると「俗な」というような意味の形容詞です。日本語の「民俗」とほぼ同じですね。わざわざ民俗をヴァナキュラーと言い換える必要はないといえばないのですが、フォークロアと同じように民俗という言葉にも「田舎で古くから伝えられている風習」のようなイメージがなきにしもあらずなので、一新するためにもありかなと。言葉の意味的にも「合理的でないもの、覇権主義でないもののための学問」という私の提唱する民俗学の定義ともぴったりですし。

 

なるほど。ヴァナキュラーという言葉は日本ではまだまだ馴染みがないですが、民俗学の一番魅力的な部分を知ってもらうためにも積極的に使っていきたいですね。

ヴァナキュラー的思考で退屈知らず、その極意は……

今取り組んでおられるテーマは何ですか?

 

これは民俗学のいいところなんですが、複数のテーマを同時進行することができるんです。気になったことをとりあえず書き留めておいて、「機が熟したな」と感じたときに引き出してくる。おかげで研究でスランプになったことがありません。常に興味を引く何かをストックしておけるので、退屈せず楽しく暮らすことができますよ。

 

それはそれとして。今一番力を入れているのは、沖縄県那覇市についての研究です。大学4年生のとき、宮古島に数カ月間住み込んで宗教儀礼に関する調査をしたことがあるんですが、それ以来沖縄について見聞きしたことがずいぶんと貯まってきました。来年(2022年)は沖縄返還50周年という節目の年でもあり、それらを一冊にまとめて出版する予定です。

 

那覇というのがまた、面白い街です。琉球国から日本国沖縄県へ、戦前のモダン都市から戦後の焼野原へ、そして、アメリカ占領期を経て再度日本に返還され……現在では激動の歴史を反映したように「迷宮都市」と呼ばれるほど雑然としているところもあります。かと思うと「京の着倒れ、大阪の食い倒れ」ならぬ「首里の着倒れ、那覇の食い倒れ」なんていう価値観が残っていたりする。首里の一帯は琉球王朝の士族、首里城勤めの気位の高い人たちが住んでいた土地で、今でも「首里に住んでいる人はステータスが高い」などといわれているんです。

那覇市内の景観1

那覇市内の景観

那覇市内の景観

 

ぜひ読んでみたいです。そして、民俗学をやってたら一生退屈しないというのも素晴らしいですね! 街の風景や日常の生活からヴァナキュラー的なものをすくいとるにはどうすればいいのでしょうか?

 

基本的には直感なんだけど、その直感の正体をいくつかに分けてみると、まずは物語を感じさせるもの。家と家の間の路地裏なんかでも、同じ物はこの世に二つとなくて、そこを覗いているとそこにしかない物語を感じますよね?  あるいは、ロードサイドにあるショッピングモールなんかはどこに行っても同じようなものがあるけれど、それだってそこを舞台に唯一無二の物語が展開されている場であるはずです。これらは生活感のあるものと言い換えてもいいかもしれない。

 

次に合理的には割り切れないもの。都市伝説や怪談なんかは言わずもがな。「縁起物」ってありますよね。関東だったら「酉(とり)の市」の熊手、関西だったら「十日えびす」の福笹。おめでたい飾り物です。自分で商売している人の中には、毎年あれを5万円とか10万円くらい使って買ってきて店やオフィスに飾る人がけっこういる。サラリーマンにはない発想。「なんでそこまでするんですか?」と聞いてみると、「こういうのをケチると商売がうまくいかなくなる」「縁起物だからね」という答えが返ってきます。

 

人間ってときに合理性からはみ出したことをしてしまうことがあります。そういうものがヴァナキュラーになりやすいです。

浅草・酉の市で売られている縁起物の熊手。毎年、これを数万円分買う人もいる。「どうしてそんなことを......?」という疑問から研究がスタートする。

浅草・酉の市で売られている縁起物の熊手。毎年、これを数万円分買う人もいる。「どうしてそんなことを……?」という疑問から研究がスタートする。

 

興味をひくものを見つけたとして、アプローチのコツなどはありますか?

 

以前はどうだったのか、過去を掘り下げてみることです。そうすると、そのものが今の状態に至った経緯が見えてきます。それから、他の土地に似たものを見つけて比較してみること。そこに共通するものがあれば、ある種の法則性みたいなものが発見できて話のスケールが膨らむし、違いを見出すことができれば個別性について議論することができます。

 

あと、これは特に大事なことなんですが……

 

はい。

 

気になったこと、思いついたこと、調べたことはとにかくノートか何かに書き留めておくことをオススメします。私がこれまでつけてきたノートを先日数えてみたら、150冊を越えていました。これが私のネタ帳であり、民俗学者としての資産ですね。

島村先生の研究ノート。現在はモレスキンのものを使っているとか。各ページには、見聞きしたことが図解も交えてびっしりと記録されている。

島村先生の研究ノート。現在はモレスキンのものを使っているとか。各ページには、見聞きしたことが図解も交えてびっしりと記録されている。

 

150冊! すごい数ですね。

 

江戸時代の随筆なんかも、基本的には整理されず聞いた順番に書きつけてあるので、書いた本人にとってのネタ帳的なものだったのかもしれません。当時は互いに書いたものを見せあって情報交換をしたりもしていたようです。その記録を編集してまとめた曲亭馬琴という人もいます。

 

そうそう、情報交換といえば、かつてはどの国でも民俗学の雑誌上で読者同士が情報交換するコーナーが盛んだったんですが、南方熊楠(1867~1941 民俗学者、博物学者)はほとんど毎回このコーナーに投書していました。雑誌の発行元がロンドンだったので、シベリア鉄道経由で数週間かけて送ってね。今ではインターネットがあるから、そういうことをはるかに少ない労力でできますね。

 

 

 

調べものをするにはかつてないほど恵まれているといえる現代。ヴァナキュラーな視点を意識して街を歩いてみてはどうだろうか。ひとたび好奇心のドミノ倒しがおこれば、世界を見る解像度がグッと細かくなるはずである。

動物を糧に生きる。北海道大学・山口未花子先生に聞いた、カナダ・ユーコン先住民の今

2021年6月1日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

ご先祖様をずっとたどっていくと、われわれはみんな狩猟採集民だった。そのころ人間は何を感じ、どんな生活をしていたのだろうか?

 

そんな人間と自然のプリミティブな関係について研究しているのが、北海道大学文化人類学研究室の山口未花子先生だ。山口先生のフィールドである北米ユーコン準州の先住民の集団では、さまざまな野生動物から肉や皮を得る生業が残っているという。彼らは小さなリスからヘラジカやカリブーのような大型哺乳類、また時によってはオオカミにまで狩りの対象を広げるというのだ。

 

筆者は『北方先住民族の狩猟と毛皮』と題してYouTube上で行われた講演会で山口先生の研究について知った。雄大な森や川に囲まれた土地で、人と野生動物がよりそうユーコン先住民の暮らしは、なんて魅力的なんだろう。もっと詳しく知りたいと思い、お話を伺った。

人間と野生動物の濃密な関係を求めてユーコンへ

大学では動物生態学を専攻されていたそうですが、なぜ文化人類学者として狩猟採集民を調査するようになられたのでしょうか?

 

子供のころから動物が好きで、大学ではノウサギの冬場の土地利用について調べていたんですが、里山で現地の人の話を伺いながらフィールドワークするうちに、ある1種類の動物についてというよりは人間も動物も一緒くたにしたその地域の生活史みたいなものに興味が湧いてきました。でも、動物生態学の手法だとそういう数値化できない部分はどうしても余計なものとして削ぎ落されてしまうんです。

 

そこで、大学院から人類学に専攻を変えました。人類学って、決められた研究手法みたいなものがないんですね。自由度が高くて、余計なものをどんどん付け加えることができるんです。調査対象に狩猟採集民を選んだのも、そこには人間と野生動物の濃密な関係が残されていると考えたからです。

山口さんも一目見てその雄大さに息をのんだというカナダ東部ユーコン準州の光景。ユーコンには8つの言語グループからなる14の先住民自治政府があり、人口4万2千人のうちの25%を占めている。

山口さんも一目見てその雄大さに息をのんだというカナダ東部ユーコン準州の光景。ユーコンには8つの言語グループからなる14の先住民自治政府があり、人口4万2千人のうちの25%を占めている

 

狩猟採集民の中でもユーコン先住民を対象にされた理由はなんですか?

先住民が暮らすカナダ北西部ユーコン準州は、北方なので植物由来の食料が利用しにくい分、野生動物への依存が大きいのに、人々は動物を家畜化するということをしていないんです。人間と動物の濃密で初源的な関係が残っているんですね。この地域は今でこそ定住化が進み、狩猟採集とそれ以外の生業が併存する混合経済と呼ばれる状態に移っていますが、第二次世界大戦の頃に外界とつながる道路ができるまでは森の中をテントをもって移動する遊動生活をしていました。それで狩猟採集だけに頼った生活の記憶を持つ人が残っていたんです。

 

群れで行動する動物がいないのも大きな特徴です。私が調査に入ったのはユーコンの南部でしたが、もう少し北の方にいくと数万頭のカリブーの群れがいる地域もあります。そういう土地では自然とカリブーに大きく依存することになります。あるいは大量の鮭が遡上してくる地域でも同じです。

 

なるほど、同じ物ばかり狩って食べている地域もあるんですね。生活する分には便利なんでしょうけど、少し単調な気もしますね。

 

ええ。たくさんの種類の動物を利用している地域の方が面白いと思ったのも、ユーコン南部の先住民を研究対象に選んだ理由です。

狩猟採集文化を受け継ぐユーコン先住民の社会は”超”個人主義。でも、日本人と似たところも

現地ではどんな調査をされたんでしょうか?

 

先住民の自治政府は65歳以上のメンバーを「古老」として認定しているんですが、その古老の一人に弟子入りしました。具体的には、ボートで移動してライフルでヘラジカを仕留める狩猟に同行したりしました。

猟場で古老と焚き火を囲む。移動中はなかなかゆっくりと話ができないため、こういう時間はいろいろ教えてもらうのに貴重だったそう

猟場で古老と焚き火を囲む。移動中はなかなかゆっくりと話ができないため、こういう時間はいろいろ教えてもらうのに貴重だったそう

 

弟子入り! なんだかすごく厳しそうなイメージがあります。

 

カナダ政府や自治政府から調査の許可をとるまではたいへんでしたけど、狩猟の同行自体は意外にすんなり許してくれましたよ。古老たちも町にいるときよりずっと楽しそうで和気あいあいとしていますし。

 

ただ、一番困惑したのがですね。

 

はい。

 

狩猟採集を基本としてきた彼らの社会は個人主義がすごく強くて、それゆえ約束という概念が希薄なんです。たとえば、これは古老とは別の人なんですけど、「山岳地帯のカリブー猟に同行させてください」と頼んでOKしてもらえたはずなのに、しばらくたってから、あれどうなったのかな?と思って聞いたら「あ、もう行っちゃったよ」って。

 

他人との約束よりも、自分の気が向いたタイミングやしたいことが優先されると。日本人とはだいぶ違いますね。逆に、日本人と似てるなと思ったところなんかはありますか?

 

自然や動物にある種の人格を認める感覚は、人間と自然を対立したものとしてとらえるキリスト教的な自然観よりは日本人に近いと思います。

 

それに、風貌もわれわれに似ています。北米先住民はモンゴロイドとルーツがかさなりますから。友人が都会で子供を病院に連れて行ったら、虐待の嫌疑で警察を呼ばれたなんていう話もありました。ヨーロッパ系カナダ人の医者が蒙古斑を知らなくて、殴られてできた痣だと思ったんですね。それを聞いて「日本人にも蒙古斑があるよ」と言ったら喜ばれたりもしました。

 

ユーコン先住民と日本人の共通点は蒙古斑だった......

 

そういう外見的なシンパシーもあって「家の孫と結婚しないか」なんて誘われたこともあります。ただ、人類学で長期のフィールド調査をやってる人だとだいたい一度はこういう誘いを受けるみたいで、学会で集まったときに盛り上がる話題の一つだったりします。

 

「人類学者あるある」だ。

もっとも重要な動物であるヘラジカには特別な葬送儀礼が施される

ヘラジカの解体。ヘラジカは現生する北方の偶蹄類でも最大級の動物であり、体高は3mほどにもなるという。

ヘラジカの解体。ヘラジカは現生する北方の偶蹄類でも最大級の動物であり、体高は3mほどにもなるという

 

ヘラジカの肉は他の動物、たとえばカリブーやビーバーやウサギなんかと比べて特別な食べ物という扱いだそうですが、やっぱりヘラジカは美味しいですか?

 

美味しいです!

 

カリブーの肉も食べましたが、ヘラジカのほうがコクのある味で美味しいと感じました。ユーコンの人たちも同じ意見で、特に内陸の先住民100人に聞いたら99人くらいはヘラジカが一番好きだと答えると思います。

ヘラジカ肉を煮たもの。

ヘラジカ肉を煮たもの

 

いいなあ、一度食べてみたいものです。そうそう、狩った動物にほどこす”送り”の儀式があるそうですね。

 

私の弟子入りした古老は狩ったヘラジカを解体するときに、まず気管を切り取ってそばにある木の枝に吊るしていました。人によって少しずつ違って、後ろ足の大腿骨とか舌の先を切り取って森に残してくる人もいます。

 

どういう意味があるんでしょうか?

 

基本的には全て再生儀礼です。肉や皮は贈り物として人間が受け取るけれど、魂は森に返してやる。そうすることで、しばらくすると魂がまた肉と皮をつけて、ヘラジカになって戻ってくるという考え方です。狩猟は動物を殺す行為ではあるけれど、命の循環を根本的に断ち切ってしまうような行為ではないんですね。

解体に際して、切り取った気管をそばの木の枝に吊るす。

解体に際して、切り取った気管をそばの木の枝に吊るす

 

ユーコン先住民の動物観や死生観が反映された行いなのですね。

 

動物を解体するときにはまず目玉をくり抜くというのも決まっていました。気管を森に残す儀式は大きな動物にしかやらないんですが、これは肉を食用にする動物すべてに対して行われる行為です。

 

なんで目玉をくり抜くのかというと、動物の種類ごとに集合意識みたいなものがあって、目玉を通して見たものを共有していると彼らは考えているんですね。目玉をつけたまま解体すると、仲間の体が切り刻まれるところを集合意識に見られてしまう。これは非常によくないこととされています。

ヘラジカは皮まであまさず利用する

肉や皮はヘラジカからの贈り物であるという話が先ほど出てきました。肉は食用として、皮はどのように利用するのでしょうか?

 

まず、1か月から半年ほどかけて、皮を鞣し(なめし)*ていきます。

*動物の皮を柔らかく、また腐敗しないようにして、衣服の製造などに利用できるよう加工すること。鞣す前のものを皮、後のものを革と区別する。

 

この地域の伝統的な鞣し方は脳しょう鞣しといって、獲物の脳や脊髄を使って皮を柔らかくします。

 

【カスカ流・皮鞣しの工程】

① 木枠に皮をぴんと張って肉と油を除去

② 脳と脊髄を水と混ぜて皮に塗る

③ 燻す

④ ②で使った水につけて柔らかくする

⑤ 皮を破らないように注意しながらスクレイパーでこする。

⑥ ④と⑤をひたすら繰り返す

⑦ 乾いてもパリパリにならないようになったら完成!

ナイフやスクレイパーを使って皮を鞣す。この写真は、木枠に張った皮から余分な肉や脂をナイフで取り除いているところ。

ナイフやスクレイパーを使って皮を鞣す。この写真は、木枠に張った皮から余分な肉や脂をナイフで取り除いているところ

工程が進んで”革”の状態に近づいたもの。

工程が進んで”革”の状態に近づいたもの

 

若い人たちは鉄でできたスクレイパーを使うことも多いんですが、古老世代に言わせると鉄製の道具は皮を破ってしまうのでよくないそうです。彼らは石を割って自作したスクレイパーを使います。

 

ものすごく根気と体力がいりそうです......

 

はい。私も手伝いましたが腰とか腕がすごく痛くなります。でも現地ではおじいちゃん・おばあちゃんほど皮鞣しに熱心なんですよ。若い世代は工場に委託して鞣してもらったり、場合によっては皮を森に放置してきちゃったりすることもあるんですが、それは伝統的な動物観からするとすごくいけないことなんです。

それに、手鞣しした革は工場で鞣した革よりも通気性がよく丈夫になるようです。

ヘラジカの革でつくったモカシン(北米先住民が伝統的に作ってきた一枚革から作る革靴)。

ヘラジカの革でつくったモカシン(北米先住民が伝統的に作ってきた一枚革から作る革靴)

押し寄せる変化の波

革は製品にして売ったりもするんですか?

 

本来は自然から得たものを換金することに抵抗があるんですが、最近は「加工したものならいい」というふうに考え方が変わってきたようです。鞣した革も売ることがありますが、生皮を売ることは今でもありません。

 

先住民の社会は、本来は”贈与”によって結ばれているものなんです。財産をため込むということはしないし、必要なものはみんなでシェアします。というのも今でこそ一家に一台冷凍庫がありますが、自然の状態では肉なんて1週間もすれば腐りますし、遊動生活では持ち運べる物も限られていますから。人に物を無償であげたり、もらったりすることの方が自然なんです。

 

貧富の差の生じにくい平等な社会なんですね、本来は。

 

難しいのは、お金が入ってくるとそういうことができなくなるんですよ。彼らも自然からとれたものは肉でも薬草でもシェアするんですが、お店で買ったものは、親族はともかく他人に無償であげたりはしないみたいです。定住化して貨幣経済に組み込まれていく中で、どうしてもお金の面では差が出てきています。

贈与を基本にする先住民社会も、少しずつ貨幣経済寄りの考え方に変わってきている。

贈与を基本にする先住民社会も、少しずつ貨幣経済寄りの考え方に変わってきている

 

貨幣経済のほかに、北方の暮らしは地球温暖化の影響なんかも受けそうです。

 

ものすごく影響が出ています。ユーコン南部で一番大きなのは、河川洪水です。昔は全然そんなものなかったのに、2010年くらいから始まって、2、3年に1回は集落が水浸しになる被害が出ます。

 

個々の狩猟採集者はものすごくよく自然のことを観察していて、「川のこの中州に生える植物が、昔より高く生長するようになった」とか「日照りが強くなってベリーのブッシュが枯れてしまった」とか、彼らの目線でも温暖化の影響は顕著にとらえられています。

 

狩猟採集技術の継承などはできているんでしょうか?

 

若い世代は学校にも通わないといけないし、狩猟採集のための膨大な技能を全部習得するには時間が足りないようです。

 

それに、先ほども述べたように「自分がそのときやりたいと思ったことをやる」というのが基本姿勢なので、本人がその気にならないことを無理矢理学ばせるわけにもいきません。古老たちも「若いやつらは伝統的なやり方を学びたがらない」とか愚痴るんですけど、本人が教えてくれと言ってくるまではなにもしないんです。

 

そんなわけで、狩猟、道具作り、薬草集め等々、全部を一人でできるジェネラリストというのは、古老たちの世代がほぼ最後なんじゃないでしょうか。

手製のかんじき。自然から得たものだけで作ることができるが、そのためには知識と技術が必要だ。

手製のかんじき。自然から得たものだけで作ることができるが、そのためには知識と技術が必要だ

 

ただ、都会に出て定住した人たちの子供の世代が、自分たちのアイデンティティを先住民のコミュニティに見出すという流れはあるようです。そういう人たちがユーコンに戻ってきて伝統を継承しようと頑張ったりとか。

 

明るいニュースが聞けてうれしいです。最後に、山口さん自身が調査を通じてユーコン先住民的な考え方や感じ方をするようになったことはありますか?

 

カナダから日本に戻ってきて2、3日は人の多いところにいるのが耐えられないようになりました。カナダで森の中を歩いているときは、身体感覚が拡張されるというか、些細な変化だとか動物の痕跡なんかを逃さないために五感を研ぎ澄ました状態で周囲を観察するように自然となってるんです。その状態で人ごみとかに入っちゃうと、もう気持ち悪くて......。帰国してしばらくすると感覚が鈍化して慣れるんですけどね。

 

日本で普通に生活するということが、人間のもつ野生の感覚を抑えつけることで成り立っているということでしょうか。山口さん、今回はお時間とっていただきありがとうございました。

 

 

狩猟採集民の社会には、全員でモノを共有することや自然へのシンパシーなどなど、現代日本では希薄になった感覚が色濃く残されていた。反面、先細りしていく伝統的なライフスタイルや格差の拡大などの問題は日本社会にもおおいに通じるところがある。

 

地球上に残された数少ない狩猟採集の文化が今後どう変化していくのか、見守っていきたいと思う。

 

自然は想像力の源だ! 研究者が語る、発光生物と漫画・アニメ・特撮の世界の光るキャラクター

2021年4月15日 / 大学の知をのぞく, この研究がスゴい!

前回の記事では、大昔に絶滅したホタルの光を現代に再現するプロジェクトについて話してくださった発光生物学研究者の大場裕一先生。余談として、漫画やアニメなどに登場する『光るキャラクター』収集をライフワークにしているという意外な一面も披露してくださいました。

 

発光するキャラクターとして有名なものというと、背鰭の光るゴジラや蛍光色の血を流すプレデターなんかがまっさきに思い浮かびます。こうした架空のキャラクターと現実の発光生物を見比べていったところ、フィクションを凌駕する発光生物の多様性が見えてきました。聞き手は怪獣と生き物に目がないライターの岡本です。

 

 

――大場先生の関心が、現実の発光生物から光を出すキャラクターに広がったきっかけを教えていただけますか?

 

キノコや昆虫から魚まで、あらゆる光る生き物の研究をしています。すると講演会などで必ず「人間は光るんでしょうか?」とか「○○の仲間で光る生き物はいますか?」と聞かれるんです。そういう時に「いや人間は光りません」とだけ答えていてもつまらない。

 

いろいろ調べていると、フィクションの世界では本当にいろいろな生き物に光を放つ能力が与えられていることに気づきました。それらと、実在する発光生物を比べたらとっても面白いと思ったんです。

発光生物研究者の大場裕一先生

発光生物研究者の大場裕一先生

僕らはみんな、実はうっすらと光っている

――光の巨人ウルトラマンや目から光線を出すスーパーマンなどなど、人型の光るキャラクターは多いです。人間の光ることに対する憧れを反映してるのかなとも思うんですが、人類が進化して光る能力を獲得することは難しいですか?

 

まず、目は光を受容する器官なので、人に限らずどんな生物でも目から光を出すと何も見えなくて困ってしまいます。猫の目は光るじゃないか、と思われるかもしれませんが、あれも実は外から入った光が目の奥で反射して見えているだけで、それ自体が発光しているわけではないんです。

発光生物が光る理由は、仲間内でコミュニケーションを取るためだったり敵を遠ざけるためだったりです。人間には言語や便利な道具がありますから......。今のような世界が続くかぎりでは人間が発光する力を獲得することはないと思います。

正義のヒーローは光りがちだが…

正義のヒーローは光りがちだが…

 

――なるほど。当然のような、なぜか少し残念なような。

 

ただですね。実は我々人間を含めた生物はみんな、目に見えないくらい微弱な光を常に出しているんです。バイオフォトンというんですが。

 

――ほ、ほんとうですか!?

 

バイオフォトンというのは、基本的に人間の眼には見えないくらいの弱い可視光なんです。見えないのに可視光ってのも変ですが。400~700nmくらいの可視領域の波長なんだけど、弱すぎて人間の眼には見えない光っていうのが、生物から常に出てるんですね。

 

――私も実は発光生物だった......。しかし見えないということは目的があって出てる光ではないですね。

 

そうです。代謝の副産物として出ています。特殊な装置を使うと観測することもできて、サーモグラフィみたいになるんですけど、熱とはまったく違うもので光子がちゃんと出ている。で、たぶん何の役にも立ってない。

 

アニメの中だと、精神力や怒り、強さなんかを強調するための表現として「光る」ということを使ってることがよくあります。例えば、『ドラゴンボール』の主人公もスーパーサイヤ人になると光り始めますよね。バイオフォトンも似たような文脈で解釈されることがあるんです。以前たまたま読んだスピリチュアル系のサイトでは、人間の出すオーラなんかと同一視して説明されていました。科学的には完全に嘘なんですけど、それだけ我々人間が発光能力を特別視しているということだと思います。

 

――バイオフォトンの話はとてもロマンがありますが、「見えないものだ」ということはしっかりとおさえておきたいですね。

ひょっとして光ることに意味はない!? 光ることの意味を調べるのはすごく大変 

――光るキャラクターについて大場先生にたずねた時に、真っ先に挙げていただいたのが『ウルトラQ』(1966年に放送されたウルトラマンの前身となる特撮番組)に出てくるカタツムリのような貝獣ゴーガでした。『ウルトラQ』にはナメゴンというナメクジ型の光る怪獣も出てきます。

 

ナメゴンみたいな光るナメクジは見つかっていませんが、光るカタツムリは存在します。

ヒカリマイマイといって、タイとかマレーシアとか、あとフィジーにも生息していて、口のところが点滅しながら光ります。

口の部分が光るヒカリマイマイ

口の部分が光るヒカリマイマイ

 

――この写真だとガラス板に載せたカタツムリの裏側から撮影してますけど、上から見ても光ってる口の部分が見えるんでしょうか?

 

これが不思議なところで、実はほとんどわかりません。這ってるところを普通に上から見ても光は見えないんです。しかも、直径3cmくらいの大人になるとあんまり光らないんですよ。1cmくらいの小さいやつがしきりに光ります。カタツムリは雌雄同体とはいえペアじゃないと繁殖できないんですが、大きくなると光らないということは交尾の相手を探すためではない。なんでだろうと。

 

――それは......謎ですね。

 

これについて僕のたてた仮説があります。ホタルの幼虫はカタツムリを食べるんですが、このヒカリマイマイはホタルに食べられてる状態に擬態してるんじゃないかと思うんです。ホタルには毒があるので、ホタルの幼虫に食いつかれてるカタツムリは鳥とかが食べたがらない。実際、ホタルはカタツムリを捕食中でもぴかぴか光ってることがありますから。それを真似してるんじゃないかと、まだ想像の段階なんですが。

 

――なんてトリッキーな! 本当だとしたらとても面白いですけど、実証するのはすごく大変そうですね。『ウルトラQ』のゴーガは殻全体光ってましたが、ヒカリマイマイが光るのは口の一点だけです。全身から光を出す生き物っていうのはいるんでしょうか?

 

うん、少ないですね。ほとんどの発光生物は一部が光ったり、光るものを吐き出したりするんですけど、全身が光る生き物は実はほとんどいません。それでも例えば、発光キノコには全身が光るものがいます。

ヤコウタケ

ヤコウタケ

 

――光るキノコというと......ツキヨタケとか?

 

ツキヨタケは傘の上側は光らないですね。ヤコウタケとか、白一色の発光キノコはだいたい全身が光ります。それ以外だと、ヒカリボヤっていうホヤとか、そのくらいですね。全身が常に光るっていうのは、発光生物にとってあんまりメリットがないんだと思います。

 

そうそう、松本零士の『銀河鉄道999』の「ホタルの町」という話は、光り方によって人間の身分が可視化される話でした。

 

――あ、知ってます!その星では体全体が均一に光る人ほど偉いという話だったような......。

 

体の一部しか光らない人や、不均一な光り方しかできない人は逆に身分が低かったりしてね。最後は「光り方なんかで人の価値は決まらない」という鉄郎の主張でオチがつくんですが。全身が光るという性質は、貴賤とはまったく関係ないにしろたしかに希少ではあります。

 

――さきほど例に挙げていただいたヤコウタケがあえて全身を光らせることにはどんな意味があるんでしょうか?

 

虫をおびき寄せて胞子を運んでもらうんだとか、毒を持ってることをアピールしてるだとか、いろいろな説がありますがどれも決定打に欠ける気がします。人間の食用にはすすめられませんが虫なんかには普通に食べられてますし。そもそも光ることに意味はないんじゃないかという話も出てきています。

 

――え、そうなんですか! 先ほどのバイオフォトンの話のときも思ったことですが、意味もなく光るのもありなんですね。

 

なんらかの化学反応で光ってることは間違いないんです。消化とか、なにかしらの機能の副産物として光が出ちゃって、光そのものにはメリットもデメリットもないと。人間は光ってるものに意味を求めがちなんですけど、案外そんなもんかもしれません。

 

――「光り方なんかで人の価値は決まらない」という鉄郎の主張と似てますね。光ること自体に意味はないと。

 

あ、なんかいいですね。「人は見た目じゃないよ」ていう単純な主張かと思ってましたけど、そこまで深読みするとなかなか面白いですね。

発光能力は深海や地中でこそヒカる

――光線(ビーム)を出して敵を攻撃するキャラクターはとても多いです。攻撃のために光を使う生物は実在するのでしょうか?

光は攻撃手段になるのか?

光は攻撃手段になるのか?

 

自己防御のための毒とかを出すときに光も一緒に出すやつはいますね。連合学習というか、攻撃と光を関連付けることで敵から忌避されやすくしてるんじゃないでしょうか。

 

『ウルトラマン』に出てきた怪獣ザラガスのように、目くらましのために光を使う生き物もたくさんいます。ホタルイカの腕なんかがそうです。体全体はぼや―と光ってるんですけど、腕先はフラッシュ的にぴかっと光って目くらましになります。

 

――たしかに、ホタルイカは以前生きてるやつを見たことがあるんですが、結構強く光ってました!

 

ほかにもウミホタルなんかは吐き出した液が光りますね。あとミミズの仲間にも、傷をつけると発光性の体液を出すやつがいます。敵を驚かしたり、敵が光る液に気を取られてる間に撤退するためじゃないかと言われています。

光で天敵の目を眩ますホタルイカ(上)、光る液を分泌するウミホタル(下左)、ホタルミミズ(下右)

光で天敵の目を眩ますホタルイカ(上)、光る液を分泌するウミホタル(下左)、ホタルミミズ(下右)

 

――ハリウッド映画のプレデターみたいですね。光を出すとかえって目立って別の捕食者が寄ってきたりはしませんか?

 

あり得ますね。ただ、そんなこと言ってられないくらい差し迫った状況であることが多いので。夜光虫とかプランクトンなんかで、小エビに襲われたときに光るのがいます。こいつらが光ると襲撃者である小エビの姿が写し出されて、その小エビを狙ってイカとか魚が集まってきて、結果的にプランクトンは生き残ることができる。そういう話もあります。

 

――ははあ、敵の敵を光で召喚するんですね!おもしろい! しかしこうして見ると、発光能力をアクティブに使っている生き物は深海や地中に住む生き物が多いですね。

 

周りが真っ暗なので、我々から見ると微弱な光でも十分敵を驚かすことができますからね。それに暗い中で不意に敵と遭遇するので、敵との距離がとっても近いことが多い。逆に、陸上で敵を驚かすために光を使う生き物っていうのは知りません。哺乳類・爬虫類・両生類・鳥類で発光する生き物も見つかっていないですね。

 

――あーなるほど、周りが暗いからこそ光る力が発達したと。怪獣が地底や海底からあらわれがちな理由を見た気がします。

 

深海は隠れる場所がほぼないので、見つからないために光を使うやつもいます。海の中って上から太陽の光が降り注いでいるので、自分の下に影ができちゃうんですね。そこで、体の腹側を光らせて自分の影を弱め、海面からくる光の中にうまく溶け込むんです。カウンターイルミネーションと呼んでいますが、このタイプの発光生物って深海には非常に多い。

 

そうそう、フジクジラという小型のサメなんかは、腹だけじゃなくて背中にある大きな棘のすぐ横が光っていて、棘を目立たせることで「自分はこんなに怖いやつなんだぞ!」というアピールまでするんですよ。背びれが光るって、なんかゴジラに近いですね。あるいは武器を光らせるっていう意味だと、電気で角が光るウルトラ怪獣ネロンガとか。

フジクジラ。海底では背びれの棘を目立たせるように発光するという

フジクジラ。海底では背びれの棘を目立たせるように発光するという

 

――すごい、まさに光らせたもん勝ちの世界ですね! そしてゴジラみたいなサメ。以前、『シン・ゴジラ』の幼態のモデルになったとされるラブカという深海サメが話題になりましたが、やはりゴジラはサメなのか......。

光るメカニズムは省エネ一択 

――電気で光る怪獣ネロンガだったり、放射性物質のチェレンコフ光を出すゴジラだったり、特撮の世界ではいろいろな発光のメカニズムが考案されてきましたが、現実の発光生物にも発光のための多様なメカニズムがあるんでしょうか?

 

発光メカニズムはいろいろな生物で別個に進化しているんですが、実のところメカニズムとしては基本的にすべて、酵素を使った化学反応で光を出します。

 

――意外です。電気とかは使わないんですね。

 

電気を作る生き物自体は、デンキウナギなんかがいます。でも、光は出ないんです。ピカチュウの10万ボルトみたいに見えたら面白いですけど。

 

電気ではありませんが、テッポウエビがハサミを打ち合わせて衝撃波を出すときに、ソノルミネッセンスといって人間の目に見えない微弱な発光を伴います。例外はそれくらいでしょうか。

 

――たしかに、考えてみるとエネルギーを電気に変換して、そこからさらに光にするというのはとても効率が悪そうです。

 

我々人間はそれをやってるわけですけどもね。化学反応を使った発光メカニズムというのは、とても省エネなんです。

 

そうそう、省エネといえば、自分ではエネルギーを使わずに発光バクテリアを取り込んで光る生き物もいます。チョウチンアンコウなんかがそうですね。

 

――チョウチンアンコウ、そうなんですか!

 

あの提灯は背びれの一番前の棘が変形したもので、先端に発光バクテリアを格納できるようになってるんです。増殖したものを次世代に受け渡してるんじゃないかという仮説もあります。

 

――秘伝のタレ的な......。

 

それとつながるフィクションの話だと、手塚治虫の『ブラック・ジャック』に火の鳥が出てくるセルフオマージュ的な話があります。「光る鳥がいるぞ!火の鳥だ!不死鳥だ!」と大騒ぎになって、撃ち落としてみたら発光バクテリアに寄生された鳥だったという話です。

「火の鳥」の正体は発光バクテリア…?

「火の鳥」の正体は発光バクテリア…?

 

――実際あり得るんでしょうか?

 

人間の傷口に発光バクテリアが繁殖して闇夜にごく薄く光って見えたという記録もありますから寄生されること自体はあるかもしれません。ただ、遠くから見てわかるほどの光を出すのは難しいでしょうね。江戸時代の文献にゴイサギが光るとまことしやかに書かれたものがあるんですが、これなんかも夜行性のゴイサギの胸に生えた白い羽毛が月の光を反射して光って見えたというのが真実だと思います。

 

――真実ではないけど、ウソとも言い切れない、絶妙に想像力を掻き立てるところをついてきましたね。 

そして探求は続く 

――最後に、これは私の個人的に好きな怪獣なんですが、『帰ってきたウルトラマン』に出てくる電波怪獣ビーコンです。

 

ビーコンという怪獣は知らなかったので画像検索してみたんですが、とてもかわいいですね。

 

――目が3つあって、左右の目が赤く、真ん中の目が黄色く光ります。こんな感じで違う色の光を出す生き物はさすがにいないですよね?

 

いや、いますよ。

 

――発光生物に不可能はないんですか......。

 

南米の鉄道虫という昆虫なんですが、これは頭が赤く、体側が黄緑に光ります。赤い光が前照灯、緑の光が車窓の光に見えるから、鉄道虫。

南米に生息する昆虫、鉄道虫(イラスト:編集部)

南米に生息する昆虫、鉄道虫(イラスト:編集部)

 

――きれい。そしてしゃれた名前だ。

 

頭のところだけが赤く光る理由は、まったくもって不明です。

それとこれは我々のグループが発見したんですが......実はホタルの卵と蛹も、色は似ていますが2種類の光を出してるんです。全身から出す光と、成虫で尻の先になる部分から出す光と。

 

――ホタルの光には2種類ある、という話は前回の記事でも詳しく教えていただきました。卵や蛹の出す光の方が、ホタルの先祖『原型』の光により近いはずだと。

 

不思議なことに成虫になると体の方の光は消えてしまうんです。もともと一つしかなかった光る遺伝子が重複して二種類の光を獲得したと考えられているんですが、両方が今日にいたるまで機能を損ねずに残っているということは、なんらかの利点があるはずだと考えています。

 

――「蛍の光」に新しいニュアンスが加わる日が来るかもしれないわけですね。これは気になります。

ヘイケボタルの蛹。尻の先が光るだけでなく、全身からぼんやりと光を放っている

ヘイケボタルの蛹。尻の先が光るだけでなく、全身からぼんやりと光を放っている

 

 

フィクションと実在の発光生物の間には、ワクワクするような相似がたくさんありました。ただ、作り手が科学的な事実をふまえて創作をしていたかというとそれはわかりません。現実とフィクションが別々に進化して、結果的に同じところに行きついたと言えるでしょう。

それほどまでに、生き物の出す光は人間の想像力をかき立ててやまないのです。

RANKINGー 人気記事 ー

  1. Rank1

  2. Rank2

  3. Rank3

  4. Rank4

  5. Rank5

PICKUPー 注目記事 ー

BOOKS ほとゼロ関連書籍

50歳からの大学案内 関西編

大学で学ぶ50歳以上の方たちのロングインタビューと、社会人向け教育プログラムの解説などをまとめた、おとなのための大学ガイド。

BOOKぴあで購入

楽しい大学に出会う本

大人や子どもが楽しめる首都圏の大学の施設やレストラン、教育プログラムなどを紹介したガイドブック。

Amazonで購入

関西の大学を楽しむ本

関西の大学の一般の方に向けた取り組みや、美味しい学食などを紹介したガイド本。

Amazonで購入
年齢不問! サービス満点!! - 1000%大学活用術

年齢不問! サービス満点!!
1000%大学活用術

子育て層も社会人もシルバーも、学び&遊び尽くすためのマル得ガイド。

Amazonで購入
定年進学のすすめ―第二の人生を充実させる大学利用法

定年進学のすすめ―
第二の人生を充実させる …

私は、こうして第二の人生を見つけた!体験者が語る大学の魅力。

Amazonで購入

フツーな大学生のアナタへ
- 大学生活を100倍エキサイティングにした12人のメッセージ

学生生活を楽しく充実させるには? その答えを見つけた大学生達のエールが満載。入学したら最初に読んでほしい本。

Amazonで購入
アートとデザインを楽しむ京都本 (えるまがMOOK)

アートとデザインを楽しむ
京都本by京都造形芸術大学 (エルマガMOOK)

京都の美術館・ギャラリー・寺・カフェなどのガイド本。

Amazonで購入

PAGE TOP