日本のマンガやアニメを愛好する海外の人は多いですが、今から100年以上前にも、西洋が日本ブームに沸いた時代がありました。浮世絵の模写を残したゴッホや、日本風の橋がかかった池を描いたモネなど、19世紀西洋の画家たちが日本の美術に強い関心をもち、その影響を受けたことはよく知られています。
では、音楽は? この頃、音楽にも日本ブームというものはあったのでしょうか。
『19世紀西洋音楽が描く「日本」』というテーマで京都市立芸術大学伝統音楽研究センターのオンラインセミナーが行われると知り、拝見しました。
講師をつとめるのは同センター特別研究員の光平有希先生です。
講師プロフィール
光平 有希さん 京都市立芸術大学伝統音楽研究センター特別研究員、国際日本文化研究センター総合情報発信室特任助教。音楽療法史、東西文化交流史、日本表象西洋楽曲(ジャポニズム音楽)を研究テーマとする。
19世紀~20世紀にかけて出版された楽譜(シートミュージック)の出版地や出版社を調査中(左から2人目)
こんなにあった! 日本をイメージした曲
「日本をイメージして西洋で作られた楽曲といえば、どのような音楽を思い浮かべますか?」と最初に光平先生が問いかけました。
日本の長崎を舞台にしたオペラ《蝶々夫人》でしょうか‥。オペラに全くくわしくない私も、特に有名な劇中歌〈ある晴れた日に〉は、知らず知らずのうちに耳にしていました。また、ドビュッシーの交響詩《海》の楽譜に、北斎のような絵が使われているのも見たことがあります。
資料(楽譜2点) 個人蔵
《蝶々夫人》も《海》も、オーケストラの演奏による大曲ですが、実はその100年くらい前から、日本を題材にしたピアノ曲や歌曲がサロンや家庭などで愛好されていたそうです。
所蔵:国際日本文化研究センター
上の写真は「シートミュージック」とよばれる一枚刷りの楽譜です。日本でいうと江戸時代の終わりから明治時代にかけてのものですが、この頃に日本をテーマにした曲がこれほど多く作られていたとは驚きです。
今回はこの中からピアノ用に編曲されたものを主に紹介いただくのですが、それまでにも宣教師などとして来日し、日本の音楽に接していたヨーロッパ人はいました。彼らは日本の音楽にどのような印象をもっていたのでしょう。
音楽にすら聞こえなかった? 宣教師と日本の音楽との出会い
キリスト教伝来期の16世紀、日本で約30年間暮らしたポルトガル人宣教師フロイスの日本音楽評は、下のような具合です。
さんざんな言いようですが、フロイスが生まれた16世紀のヨーロッパはオルガンを中心とした教会音楽が隆盛を誇った時代。「自らの聴覚文化にない音色に大きなカルチャーショックを受けたのでしょう」と光平先生は説明します。
17世紀末に、オランダ商館の医師として日本に滞在したドイツ人ケンペルも、笛や太鼓のお囃子について「味気なく、他愛ない」「歌い方はいかにも下手」と辛辣極まりない言葉を残しています。
西洋音楽で育った耳に日本の音楽がまったく異質なものだったことは分かりますが、「そこまで言わなくても」というけなしぶりです。
日本の音楽を採譜していたシーボルト
オランダ商館の医師として19世紀に来日したシーボルトは、その著書『日本』の中で日本の楽器を精密な図版で紹介しています。
所蔵:国際日本文化研究センター
シーボルトは自分のピアノを日本に持ち込むほどの音楽好きだったそうで、日本で耳にした音や音楽を採譜し、それをもとにした作品づくりをドイツ人の作曲家に依頼しています。そこで生まれたのが作品集《日本の旋律》です。
実際に一部の演奏を聞かせていただいたところ、モーツァルトかハイドンの小品のような明るく軽快なピアノ曲でして、特にわかりやすく日本の旋律が織り込まれている感じではありません。
ただ軽快な中にもやや哀愁を帯びた節回しがあり、そこにほんのりと和のフレーバーが漂っていた気がします。
西洋音楽の手法で表現されていますが、日本の音楽が西洋に伝えられた最初期の例として、歴史的な意義は大きいのだそうです。
シートミュージックの時代
《日本の旋律》は、冒頭でも少し登場した「シートミュージック」と呼ばれるもののひとつです。
所蔵:国際日本文化研究センター
シートミュージックが欧米で量産された19世紀から20世紀初頭は、それまで貴族や教会のためだった音楽を中産階級の市民も楽しむようになった時代。シートミュージックに現れる「日本」は、一般の人がどのように日本をみていたのかを知る手がかりとして、おもしろい資料なのだそうです。
先ほどの《日本の旋律》を下地にして作られた〈日本の舟歌〉という曲もあります。作曲したのは、ピアノの教材でおなじみのバイエルです。
所蔵:国際日本文化研究センター
こちらの演奏も聞かせていただきましたが、「日本の伝統的な音階やリズムは認められず、タイトルにのみ日本が表象されているイメージを抱きます」と光平先生。私も同感でした。
バイエルが 〽 ハァ~ ドッコイ~ ドッコイ~ という雰囲気の舟歌を作っていたら大変面白かったんですが、バイエルが日本の舟歌を実際に聞く機会はなく、作曲の参考にした曲も日本の旋律をそれほどわかりやすく再現していないので、無理もありません。
あのベートーヴェンが<ジャポニカ・ワルツ>?
バイエル〈日本の舟歌〉の10年ほど前に出版された〈ジャポニカ・ワルツ〉という曲には、ベートーヴェンの名が堂々と記されています。
「おお、あのベートーヴェンが日本を題材にワルツを!」と思いたいところですが、発売時期や作風などから、本人によるものではないと考えられています。「楽譜の出版社が買い手の目を引くためにベートーヴェンの名前をつけ、キャッチ―なタイトルにして販売促進を期待したのでしょう」とのこと。
販売促進を期待して日本をタイトルに入れるというのもおもしろい話です。シートミュージックは商品としての色合いが非常に濃く、最新の事件やイベント、スポーツから社会問題まで、世間のさまざまな関心事が曲の主題になったそうで、西洋の人々の好奇心や想像をかきたてていた「日本」もその一つだったということのようです。
脱・「タイトルだけ日本」
ここまで見てくると、日本の音楽は「見かけだおしの販促ツールか」と嘆きたくなりますが、何といっても日本がまだ鎖国していた時代のことです。手に入る情報が非常に限られている中、一般の人が日本に強い関心をもち、「日本」を感じさせるタイトルの楽譜を買い求めていた状況がうかがえます。
開国前後を境に、この状況は一変。ちょんまげ姿で欧米を訪問した幕末の使節団、万国博覧会への参加、堰を切ったように流入した美術工芸品、欧米各地で興行した日本人の芸人一座等々による空前の日本ブームを背景に、日本の伝統的な音階を用いたオペラ『黄色い王女』(サン=サーンス作曲、1872年)や、日本の当時の流行歌が使われた喜歌劇『ミカド』(1885年)など、日本の音階や旋律を取り入れた作品が現れるようになります。
ちなみに『ミカド』は、日本を舞台に当時のイギリス政府を風刺したドタバタ喜劇で、ロンドンで初演され、672回ものロングランを達成しています。
『ミカド』の劇中歌をアレンジしたピアノ曲〈ミカド・ポルカ〉の楽譜 所蔵:国際日本文化研究センター
『ミカド』の約10年後には、ピアノ曲集《日本楽譜Nippon Gakufu》が出版されます。
作曲したのは、いわゆる “お雇い外国人”で、東京音楽学校で教鞭をとるかたわら日本音楽の研究にも熱心に取り組んだディットリヒというオーストリア人の音楽家です。日本のメロディに西洋的な和声を組み合わせ、日本の音楽になじみのない西洋人にも違和感なく受け入れられるようアレンジされています。
ディットリヒ作曲《日本楽譜Nippon Gakufu》 所蔵:国際日本文化研究センター
演奏を聞かせていただくと、聞きなれた〈さくらさくら〉のメロディが時折はっとするような新鮮な響きに彩られていて、新しい音楽が生まれているという印象を受けます。
そして20世紀
日本をイメージした音楽は、この後どのように変遷をとげていくのか。20世紀初頭の流れについても紹介いただきました。
オペラ『蝶々夫人』(プッチーニ作曲)の初演は1904年。〈さくらさくら〉〈君が代〉〈お江戸日本橋〉〈越後獅子〉〈かっぽれ〉などのメロディが織り込まれています。
この頃には日本の旋律や邦楽理論、文化的背景などの情報が大量に流入。プッチーニも劇作家ベラスコの脚本による『蝶々夫人』の芝居を観て感動し、オペラ化に向け日本の楽譜を収集するなど研究を重ねて作曲したそうです。
日本の詩歌もさまざまな言語に翻訳され、1910年代以降は俳諧や和歌をテーマに据えた作品が多く発表されます。
歌曲《3つの日本の抒情詩》(ストラヴィンスキー作曲、1912~1913年)も、そのひとつ。ストラヴィンスキーが「万葉集」「古今和歌集」の紀貫之らの和歌に感銘を受けて作曲したものです。
この曲はセミナー終了後に聴いてみたのですが、「異文化との接触が、長い時間をかけてこういうところに到達するのか」という感慨を抱きました。どこにも日本のメロディは見当たりませんが、たしかに日本だ、と言いたくなるような何か。
「日本の文化を咀嚼し、新しい表現方法として作品に落とし込むというジャポニスムの流れ、作品の特徴がこの時期にはよく見られます」と光平先生が解説してくれました。
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オンラインセミナーで紹介いただいた曲の中から特に印象に残ったものをピックアップしてご紹介しましたが、「この時代に、日本をイメージした曲がこんなにもたくさんあったのか」ということが、やはり一番印象に残っています。浮世絵を皮切りにブームを招いた日本の文化や風俗は、当時の西洋の人たちにとって相当衝撃的だったのかもしれません。
参考情報
一部の曲については、下記サイトにくわしい解説が掲載されています。(一部音源あり)
○国際日本文化研究センター「日本関係欧文史料の世界」(ライブラリー:図書6ページ・7ページ)
https://kutsukake.nichibun.ac.jp/obunsiryo/book