東京大学で10月21日、渡邉英徳先生と小泉悠先生の特別企画「東大で戦争と平和について考える ―東大と一緒!安田講堂親子スペシャル―」(主催:東京大学基金)が行われました。ウクライナ戦争がはじまった2022年以降、さらに今年10月7日に勃発したハマスとイスラエルの大規模衝突以降、「戦争」というテーマが心に引っかかっている人は少なくないはず。事前にもらったチラシには「先生と一緒に『今』『同じ世界で』起きている戦争を考えてみませんか」の文字が。なるほど、先生が一緒に考えてくれるなら……と申し込みをし、本郷キャンパスの安田講堂に向かいました。
「知らない人とけんかはできない」戦争が終わらないのはなぜ?
10月21日、東京大学でその名もずばり「東大で戦争と平和について考える」なるイベントが開催されました。22回目となる東京大学ホームカミングデイの企画の一環で、登壇するのは渡邉英徳先生(情報学環・学際情報学府教授)と小泉悠先生(先端科学技術研究センター専任講師)という、メディアでも活躍する二人の人気研究者。小学生以上の子どもを含む親子対象とのことで、会場にはたくさんのキッズも訪れていました。もちろん大人もたくさんいて、約700人の参加者で安田講堂の1階席はほぼ満席となる大盛況。
このイベントは単なる講演ではなく、それぞれの先生からの質問に対し、参加者がウェブサービスを通じてリアルタイムで回答するという双方向の仕組みで進みます。
まずは小泉先生から、「どうしてウクライナ戦争は終わらないのだと思いますか?」という質問が。
参加者はウェブサービス「Slido」を使って投票。自由回答や質問も可能。私の考えは「プーチン大統領を止める人がいないから」かなあ
投票結果は「戦争によってお金もうけをする人がいるから」という選択肢を選んだ人がもっとも多く、33%を占めていました。これを受けて小泉先生の解説は?
「確かに武器を作っている会社は儲かっているところもあります。例えば戦車って1両で3億円ぐらいするんですよね。でも僕はロシアにたくさん知り合いがいるんですが、国内の経済はやっぱり苦しいそうです。『自分の会社が倒産しちゃったよ』と言っている人もいて、たぶん今回の戦争は『儲かるから』という理由で続いているものではないと思います」
また、2割の票を得た「話し合いが足りていないから」という選択肢についても言及。「ちょっとこれを見てください」と小泉先生が会場に流したのは、男性コメディアンが楽しそうにはしゃいでいるテレビ番組の映像でした。ピンときた方もいるでしょう、これは現ウクライナ大統領のセレンスキー氏の過去の姿です。コメディアン時代のセレンスキー氏、笑顔がとってもかわいいのですよね。報道で見る現在の彼は、いつも眉間にしわが寄った険しい顔をしていますが……。小泉先生は続けます。
「これはロシアのテレビ局が10年前に作った番組ですが、ウクライナ人であるセレンスキーは普通に呼ばれて出演していました。実は彼はウクライナ語よりロシア語のほうが得意だし、ロシアとウクライナはこんなに近しかった。つまりお互いのことをとてもよく知っているんです。考えてみたら、僕たちも知らない人とけんかをすることはできませんよね。きっと話し合いもたくさんあったはずなのに、それでも今の状況を防げなかった。あるいは戦争になってからも、『こんなこともうやめよう』と言えない関係になってしまった」
投票が締め切られると、結果はスクリーンで示されます。プーチンがロシア国民の支持を集めているから、と考える人も結構いますね
この戦争が終わらないのはなぜなのでしょうか? 小泉先生は「一言でいえば、プーチン大統領がウクライナをロシアの一部だと思っていて、それがバラバラになったことに対して悔しい気持ちがずっとあるからではないか」と説明しました。この世に理不尽でない戦争なんてないとは思いますが、何たる理不尽。しかし小泉先生は、さらなる「理不尽」の可能性についても語ります。
「この戦争ではロシアがウクライナに攻め込んでいますが、過去には日本が、とくに悪くない他国を攻めて戦争しました。自ら戦争をしないのは大前提ですが、それでも日本が悪くなくても戦争に巻き込まれる恐れはある。その事態について、これまで日本ではあまり真面目に考えられてこなかったと思います」
まさかと思うような仲良しの友達ともけんかは起こる。戦争を防ぐためにはどうしたらいいか、そのためにどれぐらいのお金を使うのか、そうした具体的なことを誰かが考えておかなければならないと続ける小泉先生。「もしやってみたいと思ったら、ぜひ一緒に」と、未来の研究仲間になるかもしれない子どもたちに呼びかけました。
衛星画像には写らない戦争や災害の「ストーリー」を想像するために
ここで話者はバトンタッチ。はじめに、渡邉先生は、たくさんの兵隊が行進する写真を示しながら、「80年前の今日」についての話を始めました。
「1943年の10月21日は学徒出陣の日。大学生が公式に戦地に送られることになったのです。翌44年の10月には、レイテ沖海戦で初めて、神風特攻隊による攻撃が行われました。たった1年で事態はそこまで進んでしまった。先ほどの写真で行進していた学生の中にも、もしかしたら特攻隊として亡くなった人がいるかもしれません」
東京大学のXアカウントでのポスト。この一人ひとりが泣いたり笑ったりして生きていたことは、写真には写っていません
渡邉先生のXアカウントでのポスト。「戦争の資料」と言ってしまえばそれまでですが、「人が死ぬ瞬間の写真」でもあるわけです
そう聞くと、さっきは単に「たくさんの兵隊」と見えた写真が、なんだか急に違って見えてきます。それぞれの「彼」は大学では何を専攻していたのか、食堂の好きなおかずは何だったのか――。「ヒロシマ・アーカイブ」などの取り組みで知られる渡邉先生が重視しているのは、こうした「一人ひとりのストーリー」を伝えること。
「私たちは今、人工衛星の画像によって多くを知ることができます。ウクライナのマリウポリがどんどん壊されていく様子がわかる。一夜にして焼け野原になったガザを見ることもできる。でもそこには、その街で暮らしていた人たちの姿は写っていない。一人ひとりのストーリーを想像することはできないのです」
そこで始めたのが、ウクライナの3Dデータを活用した記録「ウクライナ衛星画像マップ」とのこと。現地で生活を続けるウクライナ人クリエイター・ヤロスラフさんとのコラボレーションで実現したもので、衛星画像には写らない地下のシェルターやガレキの一つひとつまでつぶさに見ることができます。子どもを含む11人が殺された地下室の画像では、子どもたちが描いたのであろう壁の絵や「ママ愛しています」の文字なども紹介され、見ているだけで胸が締め付けられました。
マップで見られるマリウポリの画像の1例。美しい劇場の「ビフォーアフター」が詳しく見られて、より切なくなります
渡邉先生も「毎日こうした映像を見ていると心が沈んでしまう」そう…。ですが、ガザの衛星画像から「少しいいことが起きそう」な兆候があることも教えてくれました。
「エジプト側のラファ検問所はずっと閉じられていて、支援物資を運び込むことができていない。10月17日の画像ではバリケードが設置されているのが見えます。それが10月19日には少しバリケードの前が片付けられて、さらに最新ホヤホヤの画像ではバリケードがなくなっているのがわかる。これは間もなく支援物資の運搬が始まるのではないかということ。食料や医療品が必要な人に届いてくれればいいのですが」
ここで渡邉先生から今日の2問目。「日常が戦争に変わったらあなたはどのような行動をとりますか?」という質問です。
結果はこちら。「逃げたいけどどこに?」「反対活動して弾圧されるのは怖いな」など、質問に答えるだけでもいろいろ考えさせられました
回答は「日本から逃げ出す」が最多に。しかし渡邉先生は「逃げることもできるけれど、大事なのは『その他』の選択肢だと思う」と言います。
「日常が戦争に変わってしまったとき、人は『自分にできること』の模索を始めるのだと思います。例えばヤロスラフさんは、自分の持つ技術を生かして戦禍を記録する活動を始めた。これが後世に残れば、戦争は嫌だという気持ちが受け継がれていくんじゃないか。こうした『もう一つ』の選択肢を考えてみてほしいのです。皆さんなら何を始めますか?」
最後に子どもたちからの質問に答えながら、小泉先生は「津波などの自然災害は止められない。でも戦争は止められる。どうせムダだと無気力でいないことが大切」と語りました。「なんで地球全体の政府を作って平和に暮らせないんですか?」という質問には、小泉先生が「ほんとにそうだよね。僕もそう思っていますが、人種や宗教の違いなどの難しい問題があって、なかなかそうはなれない。でも長い時間をかければ、いつかはできると思ってるんだよね。それが1000年後になるのか100年後になるのか、それは僕たち次第だと思います」と回答。また、渡邉先生は「争うのは人間の性で、世界政府ができてもその気持ちはなくならないかもしれない」と答え、次のように続けました。
「ひとつ思うのは、文字で書くとけんかになりやすいということ。SNSではどれだけ気を使っていても、必ず『何言ってんだ!』と言ってくる人がいます(笑)。でもデータやマップであれば文句を言われないので、もしかしたら言葉が災いしているのかも。未来ではもっといいコミュニケーションの方法を見つけてほしいですね」
キッズへの期待を込めて渡邉先生がこう締めようとすると、質問者からまさかの追撃が。
「言葉を使わないコミュニケーションはできないと思います。例えばテレパシーとかを使うとしても、それだって言葉を口に出さずに伝えることだから」
このキッズの発言に、小泉先生が「イカみたいに体をピカピカさせるのとかはどう?」と援護射撃しますが、相手も「体の表現だけじゃ細かいことは伝わらないと思う」と譲らず議論は白熱。会場は笑いに包まれ、小泉先生が「もしかしたら、言葉では細かいことが伝わりすぎるから揉めるのかもしれないね」と引き取って、その場は一区切りになりました。確かにイカは戦争しません。目指すか、イカ……。
ヘビーな話題から、一気に和やかな雰囲気になった質問タイム。子どもからの「なんでですか?」という言葉には特別なパワーを感じます
さて、帰宅後にテレビを見ていると、「支援物資を積んだトラックがラファからガザへ入った」というニュースが流れました。この日の参加者はきっとみんな、渡邉先生の話を思い出したことでしょう。戦地を知ろうと思えば知ることができ、少し先の予測さえもできる時代。関心を持ちさえすれば、遠い国のことも、決して手の届かないことではなくなるのだと感じました。
「平和へのメッセージマップ」で、平和のために今できることを
企画はこれで終わりではなく、こうして自分なりに考えたことを、さらに身近なアクションにつなげる機会も用意されていました。対談の参加者に渡邉先生が投稿を募った「平和へのメッセージマップ」。投稿は参加者のみとなりますが、閲覧は誰でも可能。さまざまな人の思いに交じって自分の投稿が地図上に表示されると、「自分の日常も『今』『同じ世界』を作っているストーリーの一つ」であることが感じられるはず。ガザは今何時なのかな。マリウポリって今日は何度かな。そんなことを考えるだけでも、この瞬間そこにいる人たちのストーリーが、少し浮かんでくる気がします。
ウクライナとパレスチナへのものが多めですが、メッセージは世界中に向けて投稿されています