大阪の中心梅田からほど近く、ビジネス街の真ん中にある中之島。緑やバラ園があり、憩いのスポットとなっています。バラに目を奪われつつ、目的の場所へ。
中之島のシンボルである中央公会堂の目の前、京阪なにわ橋駅構内にアートエリアB1という施設があります。ここではさまざまな催しが行われ、その活動の一つとして、月に一度19:00~21:00に「中之島哲学コレージュ」が開かれています。
大阪大学コミュニケーションデザイン・センターが中心となって行われているこのイベントは、「哲学」と身構えてしまいそうな学問を日常的なテーマに落とし込んで対話します。
実際に体験すると哲学的な専門知識は必要なく、気軽に、しかし真剣な対話ができるイベントです。
今回のテーマは、「身近な人を葬送するために何が必要ですか?」というもの。身近な人が亡くなったときに、何気なくお葬式をイメージしますが、お坊さんは?お墓は?お葬式の規模は?でもそれってどこまでが必要なの?といったテーマについて話し合います。
開始10分ほど前に行ったのですが、すでに50人の席がほぼ満席。開始直前には追加でいすが用意されるほどでした。今回のテーマのせいか、来られている方の年齢層は少し高め。会社帰りか、スーツ姿の人もちらほら。
まず初めに、ゲストの浜渦辰二(大阪大学大学院文学研究科教授)さんが、実際に「家族葬」という、近親者のみが参加するとてもシンプルなお葬式を行った経験をお話ししてくれました。
実際に葬儀を行った様子の写真も紹介。花や故人の写真で祭壇を飾り、近親者9人のみのそのお葬式は、どこか和やかな雰囲気がありました。
そしてここからが本番。ゲスト、参加者の対話が始まります。「家族葬」を見た感想や、自分は葬式についてこんな意見がある、と幅広く意見を交換します。
意外?にも、「自分もこんな葬式でいいと思う」という肯定派が大半。私自身もそっちよりの意見だったので、むしろ反対派の「立派な人なら、立派な葬式がふさわしいと思う」や、「地縁との関わりで、ある程度の規模は必要」という意見が気になりました。
私も、「天寿を全うした人と若者の突発的な死で、葬式のイメージは変わるか」という意見を投げかけました。
そのような疑問を受けての、「どんな葬送が望ましいかは、関係性によって様々」という発言が印象的です。大々的な葬儀がふさわしい人も居れば、近親者で手早くやって欲しい人もいる。人それぞれというニーズの多様化が亡くなったあとにまで対応しているのかと思うと、なんだか不思議な気持ちになりました。
葬送という重たい感じのテーマですが、終わったあとには知的な運動?に対する心地よい疲れが。会社の帰りに居酒屋もいいですが、こんなイベントにふらりと参加するのも楽しいかも。
(こちらは過去の記事を転載したものです。)