ゲゲゲの鬼太郎に京極夏彦の百鬼夜行シリーズ、そして今子どもたちに大人気の妖怪ウォッチなど。
現代でも妖怪は根強い人気コンテンツです。けれど、そもそも妖怪は普通なら目には見えないもの。なのに妖怪はいつころからこんなに身近になったのでしょうか。
その謎に迫るべく、国際日本文化研究センタ-所長で「妖怪学」の権威、小松和彦先生の講演「見えない『もの』を描く—妖怪画の起源—」に参加してきました。
京都市内にメインキャンパスを構える大谷大学。今回の講演はこの大谷大学大谷学会の春季講演会として開催されました。
会場に入ると、すでに多くの人が資料をめくりつつ待機中。学校の先生らしき方もいましたが、一般の方や学生とおぼしき人も多数いらっしゃいました。今回のプログラムでは大谷大学短期大学部の一色順心教授による講演があり、その後小松先生の講演が開催されました。
国際日本文化研究センタ-所長 小松和彦先生
小松先生の研究テーマは民間信仰や口承文芸学、そして妖怪学や妖怪画研究など。
小松先生が妖怪画の研究を始めたとき、まだこの分野について詳しく研究している学者はいなかったそうで、まさしく妖怪画研究の権威です。
参加者の中には「小松先生のことを以前から存じていて、今回講演があると聞き、(大阪から)聴講に来ました」という熱心なファンの方もいらっしゃいました。
そんな小松先生ですが、なぜ妖怪を研究しようと思ったのか。講演は先生の研究動機から。
「たとえば信貴山縁起絵巻※には帝の病を治すため、物の怪を打ち払う『剣の護法※』の姿が描かれている。なら、(同じ絵巻物に退治される側である)物の怪の姿も描かれているのでは?と思ったのですが、残念なことに物の怪の姿はない。なら、ぜひとも物の怪の姿も見てみたいと思った」
きっかけはとても些細なことのように思いますが、「見たい!」という好奇心でここまでの成果を残してしまうところに、先生のすごさを感じずにはいられません。
※信貴山縁起絵巻は平安時代に成立し、奈良県の信貴山朝護孫子寺に伝わる絵巻物の一つ。このお寺に住んでいたという命蓮上人という高僧にまつわる話が描かれており、「剣の護法」が登場するのは、命蓮上人が不思議な力でもって醍醐天皇の病を治してしまう「延喜加持の巻」。醍醐天皇が回復するシーンで命蓮上人の使いとして登場するのが、剣でできた衣をまとった神霊である護法童子、「剣の護法」です。
さらに、妖怪とはどういうものかについて、先生の説明が続きます。
「明治時代の物理学者であり、俳人でもある寺田寅彦の『化け物の進化』には、『人間文化の進歩の道程において発明され創作されたいろいろの作品の中でも『化け物』などは最もすぐれた傑作と言わなければならない』とあります。となりのトトロや、最近であれば妖怪ウォッチなど、人間のつくった妖怪はどんどん増えているし、いつの間にか、私たちは妖怪や、妖怪と呼ばれるものと一緒に生きています。信じる信じないは別として、妖怪が生活に浸透しているのです」
では、そんな身近な妖怪たちが私たちの前に見えるものとして登場するようになったのは、いつころなのでしょうか。
妖怪画のスライドと共に、これほどまでに妖怪が身近になってきた起源について、小松先生が話してくださいました。
「妖怪」?「鬼」?「物の怪」ってそもそも何? 見えないものを表現する。昔の人々の「物の怪観」
そもそも妖怪、あるいは鬼、あるいは物の怪とは何なのか?
今でこそ病気の原因はウィルスや細菌といった原因が明らかにされてきていますが、昔はすべて『鬼』や『物の怪』などが原因だと考えられていました。しかし、現代の私たちがそうであるように鬼や物の怪、あるいは神様といった存在は、普通の人たちには見えません。
「妖怪が絵として表現されはじめるのは12世紀ころから。神様はそれよりも早く8世紀ころから、彫刻や絵として表現されています。先ほどの『信貴山縁起絵巻』では、天皇が『剣の護法』を夢に見ます。神や物の怪は、まず天皇や霊能者といった特別な人の目を通して語られます」
つまり、普通ではない特別な人たちが夢でお告げを受けたり物の怪に出会い、さらにその人々の口から、さまざまな神様や物の怪の姿が語られていった、というのがはじめだとのこと。さらにその話を見聞きした誰かが、こうして絵や像として残していったようです。
神様の絵。手前の女房よりも奥の神様が数倍大きく描かれている。
「文献で確認できる限りでは、763年に満願上人が多度神の神像を刻んだという記事があるのが初出です。また、このころ描かれたものはほとんど貴族と同じ格好で、身体だけが妙に大きい。巨大な姿で描かないといけないという風潮があったからかもしれない」と小松先生。
全員人間に見えるが、1番左の僧は実は天狗だそう
「物の怪の姿を『蛇』として描いているものもあります。必ずしも鬼の姿をしているわけではないんです。お坊さんに化けた天狗など、コンテクスト(文脈・文献)によって物の怪の姿はさまざま。そのさまざまな絵を集めることで、当時の人たちの『物の怪観』を解き明かすことができます」
多種多様な妖怪のパレード。百鬼夜行の登場と現代の妖怪
さらに時代が下ると「百鬼夜行」の登場です。ここで描かれているものはこれまでの物の怪から変化が出てくるようです。
「このあたりからすべてのものが妖怪として描かれるようになっていきます。元道具であったり元鹿であったり、とにかくいろいろなものが人に手によって妖怪として描かれ、人によって妖怪がつくり出されていくようになります。日本人の面白いところは、元の形や特徴を残しながら妖怪を描くところ。これは江戸から先、現代の妖怪たちにも通じるところです」
これまでは鬼や神様など、一見して何かわからないものもありましたが、百鬼夜行に描かれる妖怪は、現代の私たちから見ても「あっ」と思うものが多くいます。この流れは現代私たちがよく見る妖怪の姿につながっているようです。
そういえば、ゲゲゲの鬼太郎のぬりかべや唐傘小僧、妖怪ウォッチに出てくる妖怪たちも何となく妖怪以前の姿が伺えるものがたくさんいますね。
「たくさんの妖怪は人がつくることができるし、現在もどんどん新しい妖怪がつくり出されているのです。このように起源を探っていくと、必ずしも単一ではないけれど、(どういうものが元になっているのかを)伺うことができます。こうして妖怪の多様化が進み、妖怪たちが無限に増える。このころの豊かな妖怪文化の成長が、現代にもつながっているのです」
最近さまざまな形で妖怪を目にする機会が増えていますが、妖怪文化がこれほど古くから、日本人の想像力の積み重ねでできてきたものとは思っていませんでした。今も増えている妖怪ですが、今回の講演のように、100年後くらいには「21世紀の妖怪観」というふうに、研究される日が来るのかもしれないなと感じました。