ほとんど0円大学 おとなも大学を使っっちゃおう

  • NEW
  • date:2025.11.25
  • author:ほんま あき

関西大学の「泊園書院開設200周年記念シンポジウム」で、江戸時代の“大阪ナンバーワン”の学問所や学びを感じてきた

2025年10月24日・25日の2日間にわたり、関西大学梅田キャンパスで「泊園書院開設200周年記念シンポジウム-泊園書院から関西大学のルーツをひもとく」が開催されました。泊園書院(はくえんしょいん)は江戸時代に大阪にあった学問所で、シンポジウムのチラシには“大阪ナンバーワンの学問所”の文字が。なぜ、大阪ナンバーワン? そもそも江戸時代の学問所にはどんな役割があったのだろう?と気になり、初日に参加しました。

 

かつて大阪に優れた人材を続々と輩出した学問所があった

シンポジウムは関西大学学長の高橋智幸先生の挨拶で幕を開け、泊園書院は関西大学の学問的なルーツの一つであり、「今の大学の学びや人材育成に示唆を与えてくれる」と紹介しました。同大に設置された泊園記念会の会長でもある文学部教授、吾妻重二先生は、「泊園書院は大阪ナンバーワンの学問所であり、関西大学と深いつながりがあります。どんな学びがあったか、多くの人に知ってほしい」と語ります。ここでも、「大阪ナンバーワンの学問所」という言葉が聞かれました。その理由が明らかになったのは、続いて行われた泊園書院を紹介するビデオ上映でのこと。

 

 

ビデオ上映には、関西大学OBで落語家の林家染太さんが登場し、落語家ならではの軽やかな語り口で、泊園書院の歴史や院主の人物像、学びの内容、門人たちについてひもといていきます。

 

 

泊園書院は、幕末の文政8(1825)年に藤澤東畡(とうがい)が大阪に開いた私塾、いわゆる学問所です。東畡の長男の藤澤南岳(なんがく)、孫の黄鵠(こうこく)と黄坡(こうは)、さらに黄坡らの義弟である石濱純太郎によって継承され、昭和23(1948)年に閉鎖されるまで約120年の間に学んだ門人は1万人以上にも。ちなみに、通天閣を命名したのは藤澤南岳だそう。当時の大阪で泊園書院が一目置かれていたことが伺えます。

 

 

シンポジウムのタイトルには「泊園書院から関西大学のルーツをひもとく」とありますが、両者をつなぐのは人です。というのも、大正時代に関西大学の付属教育機関である専門部で黄坡と石濱純太郎が講師を務め、のちに関西大学の教授として教育や研究に携わってきました。泊園書院閉塾後、石濱氏らが蔵書などを関西大学に寄贈したことをきっかけに東西学術研究所が設立され、それが関西大学の東洋学の基礎となっているそうです。

 

 

ところで「大阪ナンバーワン」の泊園書院では、何を学んでいたのでしょうか。泊園書院で教えていたのは漢学です。漢学には朱子学や陽明学といった学派がありますが、ここでは江戸時代中期の儒学者である荻生徂徠(おぎゅうそらい)が確立した徂徠学を取り入れていました。徂徠学は儒教の経典だけでなく、歴史や文学、政治、経済などを学び、さらに芸術も愛する自由な学風が特徴なのだそう。身分や性別に関係なく多くの人たちが学び、伊藤忠商事・丸紅創業者の伊藤忠兵衛や政治家の陸奥宗光、日本女子大学校初の女性校長になった井上秀など、近代日本を支えた錚々たる人材を輩出しました。門人の多さやその優秀さから、「大阪ナンバーワンの学問所」と評されたといいます。

門人の名簿(門人録)に記された赤い矢印部分には、伊藤忠商事と丸紅創業者である初代伊藤忠兵衛の名前と出身地である近江の文字住所があり、「伊藤忠兵衛が泊園書院で学んだと考えられることがわかる」と吾妻先生

 

 

門人たちは、政界や官界、実業界、文芸関係だけでなく、医学や化学のいわゆる“理系”に進んだ人も多くいたという話もあり、個人的には意外な印象を受けました。徂徠学は学際的な学びであり、現代でいうリベラルアーツの大切さをあらためて感じました。

 

基調講演では書物を巡る不思議な話も

基調講演には、東京大学大学院総合文化研究科准教授高山大毅先生が登壇。泊園書院の学びの根幹を成したのは、荻生徂徠による徂徠学であることは先述したとおりですが、この徂徠に関わる資料が徂徠の子孫によって寄贈されたのが東京大学なのです。徂徠を中心に江戸時代の思想史を専門としている高山先生の講演テーマは「徂徠研究の大先輩―泊園書院と徂徠学」。高山先生は、徂徠学を追究した泊園書院の初代院主の藤澤東畡を大先輩のように感じることがあると話しました。

 

 

徂徠学は、泊園書院が開かれる前の18世紀末には流行遅れだったものの、東畡は蘭学などの新たな学問に乗ることなく徂徠学を教えています。実は現代でも徂徠学を研究する学者は珍しいそうで、その点でも高山先生は東畡と自身の姿が重なるのだとか。

基調講演で東畡の徂徠研究について語る高山先生

 

「いま東京大学に寄贈された『荻生家史料』の整理に取り組んでいるのですが、徂徠の自筆資料と、印刷して世に出た刊本とでは違いがあると気づきました。考察しなければと思っていたら、実はすでに東畡が気づいて歩んでいた道だったのです。東畡の偉大さに改めて気づかされました」

 

 

東畡は掛け軸や手紙など、徂徠の墨跡があると聞けば九州にも見に行くほど、徂徠学の追究に熱を入れていたといいます。その巧みな墨跡を賞賛するだけでなく、自筆資料の調査や分析まで行って、2種類以上の刊本や写本を比べて違いを確かめる校合を行い、異なる点は『徂徠集』に細かく注釈として書き入れていたといいます。そうして東畡が校合した『徂徠集』は、高山先生にとっても非常に気になる存在でした。

 

 

ところが、東畡は晩年になってそんな大切な『徂徠集』を紛失してしまったそうです。長い年月をかけて心血を注いだものをなくすとは、東畡は大いに悲しんだことでしょう。「しかし、この話には続きがあります」と高山先生。東畡の門人である中谷雲漢が記した『雲漢集』によると、雲漢の弟子である久保松子厳(くぼまつ しげん)が江戸で『徂徠集』を買ったら、偶然にも東畡がなくした『徂徠集』だったというのです。その後、その『徂徠集』は久保松から南岳に贈られました。

 

 

東畡門下の雲漢、そして彼の弟子である子厳が徂徠を巡る縁によってつながり、そして失った書籍が長男の手に戻るとは!そして現代、高山先生が東畡校本『徂徠集』の行方を追っているというこの展開。なんともドラマティックではないでしょうか。

 

 

「東畡校本『徂徠集』は最終的には南岳の元に戻るので、泊園書院から関西大学に寄贈された所蔵品のなかに伝存しているのではないでしょうか。多少の疑問は残りますが、筆跡や書き入れの内容などから見て、泊園書院にある『徂徠集』が東畡校本『徂徠集』である可能性は高いといえます。『徂徠集』をデジタルアーカイブで公開していただければ、喜ぶ研究者は多いかと思います」

 

琴の生演奏と対談で、当時の学問所の雰囲気に触れる

泊園書院では文芸にも親しみ、東畡らも琴を嗜んでいたことから、シンポジウムでは中国由来の七弦琴(しちげんきん)という古琴の生演奏も行われました。演奏は関西大学東西学術研究所非常勤研究員の山寺美紀子先生です。古琴の演奏家であり研究員でもある山寺先生は、文献に基づいて当時の演奏法を導き出したといいます。

 

 

現代の中国ではスチールの弦を用いるそうですが、今回は特別に当時と同じく絹の弦を使って、かつての音色を再現。中国語による弾き語りを交えて「帰去来辞」「三才引」「漁樵問答」の3曲が披露されました。絹の弦が奏でる音は柔らかく、どこか揺らぎ感のある独特のもの。東畡や南岳も楽しんだであろう古琴の音色に浸り、貴重な時間を過ごすことができました。

 

 

シンポジウム初日の締めは、泊園記念会名誉会長で関西大学名誉教授である藪田貫先生と高山大毅先生による対談です。吾妻先生の進行のもと、「大阪の私塾がはぐくんだ知の力-泊園書院の学びとは」をテーマに、大阪の私塾の特徴や時代背景、学びの様子などについて意見が交わされました。

写真右から藪田先生、高山先生、進行の吾妻先生

 

まず話題にあがったのが、当時の大阪の学術事情。江戸時代の教育機関には、諸藩が師弟の教育のために設立した藩校がありますが、大阪は幕府直轄地のため藩校がなく、代わりに学問所が多く開かれたといいます。現在、大塩平八郎について研究しているという藪田先生は「漢学者でもあった大塩平八郎は、大阪で町奉行所の与力を辞めた後に洗心洞(せんしんどう)という私塾を開きます。他にも大阪の私塾はいろいろありますが、江戸から来た武士にとっても大きなインパクトがあったのでは」と語ります。また、東畡が、出島があり蘭学の中心地として栄えた長崎に遊学していたことに触れ、京都に近く、瀬戸内を通って長崎とも行き来しやすい大阪で私塾が発展したのは自然な成り行きだといいます。

 

 

高山先生は、その土地が持つ特性に注目。泊園書院が開かれる少し前の江戸前中期において、学者は都である京都に集中していたため、「井原西鶴のような文学者はいましたが、いわゆる固い学問分野では大阪の学者は少なかったと思います」と話し、さる研究者の言葉を引用し、大阪は素人とプロの境があいまいで、武士も町人も学芸の世界で遊んでいると表現しました。

 

 

また、藪田先生は、幕府に対する反乱、大塩平八郎の乱を東畡が目撃していたことを紹介。東畡は知人に、事件に関する手紙を送っていたといいます。さらに、大塩平八郎の乱に関わった15歳の少年が泊園書院で学ぶことを許したというエピソードも。「その少年はまったく異なる学派の人物を師事していたのですが、東畡は引き受けたのです。泊園書院の伝統につながる豊かな精神性、大阪の学問の自由さを感じます」

 

 

藪田先生の話を受け、高山先生も「泊園書院の包容力には考えさせられることがある」と語ります。泊園書院が教えていた徂徠学は、個性と社会性を重視する学派。「泊園書院の根底には、その人の長所を引き出して、いろいろな人材を認めようとする徂徠学の考え方があると思います」

 

 

その他、当時の出版事情や運輸ネットワークも話題に。大阪の出版社は、漢学者の本でも一般向け・学者向けなどとニーズに合わせて“いいとこ取り”をして分解して出版していたそうです。また、兵庫県中部から香川県に手紙を送ろうとすると、通常は2ヵ月かかるところ、いったん大阪の書店を介すると10日で届くなど、興味深いエピソードが次々に飛び出しました。

シンポジウムは事前申込制で、早々に満員になるほどの人気

 

ビデオ上映、講演、古琴の演奏、対談と盛りだくさんだった今回のシンポジウム。漢学といえば中国の古典を学ぶだけというイメージがありましたが、徂徠学はもっと自由な学びだったと知りました。武士も町人も、男性も女性も、いろいろな人がいろいろなジャンルについて学んでいた泊園書院の雰囲気に、少しは触れられたような気がします。

RANKINGー 人気記事 ー

  1. Rank1

  2. Rank2

  3. Rank3

  4. Rank4

  5. Rank5

CATEGORYー 新着カテゴリ ー

PICKUPー 注目記事 ー

BOOKS ほとゼロ関連書籍

50歳からの大学案内 関西編

大学で学ぶ50歳以上の方たちのロングインタビューと、社会人向け教育プログラムの解説などをまとめた、おとなのための大学ガイド。

BOOKぴあで購入

楽しい大学に出会う本

大人や子どもが楽しめる首都圏の大学の施設やレストラン、教育プログラムなどを紹介したガイドブック。

Amazonで購入

関西の大学を楽しむ本

関西の大学の一般の方に向けた取り組みや、美味しい学食などを紹介したガイド本。

Amazonで購入
年齢不問! サービス満点!! - 1000%大学活用術

年齢不問! サービス満点!!
1000%大学活用術

子育て層も社会人もシルバーも、学び&遊び尽くすためのマル得ガイド。

Amazonで購入
定年進学のすすめ―第二の人生を充実させる大学利用法

定年進学のすすめ―
第二の人生を充実させる …

私は、こうして第二の人生を見つけた!体験者が語る大学の魅力。

Amazonで購入

フツーな大学生のアナタへ
- 大学生活を100倍エキサイティングにした12人のメッセージ

学生生活を楽しく充実させるには? その答えを見つけた大学生達のエールが満載。入学したら最初に読んでほしい本。

Amazonで購入
アートとデザインを楽しむ京都本 (えるまがMOOK)

アートとデザインを楽しむ
京都本by京都造形芸術大学 (エルマガMOOK)

京都の美術館・ギャラリー・寺・カフェなどのガイド本。

Amazonで購入

PAGE TOP