2024年の大河ドラマ「光る君へ」で再び脚光を浴びた『源氏物語』は、千年を超えて読み継がれる日本が誇る古典文学です。時代を問わず人びとを夢中にし、江戸時代の人たちもこぞって『源氏物語』を読んだそう。そんな江戸時代の『源氏物語』をテーマにした講演会が京都産業大学で開催されると知り、オンラインで受講しました。
『源氏物語』を大衆化した江戸時代の注釈書
受講した講演会は、「江戸時代の『源氏物語』—江戸の庶民は『源氏物語』をどのように読んだのか—」。講師は京都産業大学文化学部の雲岡 梓先生です。
この講演は、『源氏物語』の絵画や室町時代、江戸時代の写本といった希少な資料を京都産業大学ギャラリーで公開する特別展「源氏物語の世界 —よむ・みる・あそぶ—」の一環として、会場、オンラインのハイブリットで開催されました。
ここで説明するまでもなく有名な『源氏物語』。平安時代中期に紫式部によって書かれた五十四帖からなる長編物語で、絶世の美男子である光源氏を中心に、さまざまな恋愛の様相と苦悩を宮廷貴族の生活を背景に優艶に描いた作品です。
「現代語訳だけでなく、各国で翻訳されたり、漫画や映画になったりと『源氏物語』は今にいたるまで、多くの人々の心を魅了してやみません」と雲岡先生。筆者は国文学科に在籍していた学生時代、『源氏物語』を題材にした大和和紀さんの漫画『あさきゆめみし』で予習していたのですが、平安貴族の美しい描写にうっとりした思い出があります。
このように今私たちが『源氏物語』を手に取るときは、現代語に訳されたものが大半ではないでしょうか。しかし平安時代の文体は草書で、すべて古文で書かれています。講演会の冒頭に「古文で読解するのは難しいと思いますが、五十四帖すべて古文で読んだ方はいらっしゃいますか?」と、雲岡先生が聴講者に質問したところ、何名かが挙手されました。すごい。筆者は国文学科の学生時代、草書で書かれた古文を読むことには本当に苦労したので、尊敬しかありません。
今回の講演会は江戸時代の庶民と『源氏物語』がテーマですが、江戸時代の人たちは、古文を読みこなすことができたのでしょうか。
文字を読めるのは貴族をはじめ上流階級の人が中心だった平安時代から、武家社会に変遷するに伴って文字を読める人が増え、江戸時代は寺子屋の普及によって庶民の識字率も高まりました。とはいえ、江戸時代の人にとっても平安時代は約700年前とはるか昔のこと。古文を読むのは大変だったと雲岡先生は言います。そこで、登場したのが北村季吟(きたむらきぎん)という江戸時代の古典学者が記した『源氏物語湖月抄(げんじものがたりこげつしょう)』です。これは難解な古文の説明がなされた注釈書というもので、江戸庶民に大好評。「しかも『湖月抄』は作品研究の教本的存在となりました」と雲岡先生は説明します。
江戸時代の注釈書『源氏物語湖月抄』は、どのようなものなのでしょう。講座では『源氏物語』の第一帖「桐壺」の冒頭部をスライドで示して、雲岡先生が解説してくれました。
講演会資料をもとに編集部作成。注釈は文字サイズがほかより小さく記されている
右ページには「桐壺」の内容説明が現代文=江戸時代の文体で書かれています。左ページの下段は古文。漢字にはふりがなが記されています。上段が頭注と呼ばれる注釈部分。古語の意味などが記されています。
このスタイルは、現在出版されている古典の注釈書にも見ることができます。古典文学全集の中には、上段に頭注、中段に古文、下段には現代語訳で構成されているものがあり、『湖月抄』のスタイルと共通していることが伺えます。
江戸時代でもベストセラーとなった『源氏物語』ですが、そのきっかけは『湖月抄』だけではありません。「わかりやすさに加えて、木版印刷という書籍文化における革命が起こったことも、庶民に広まった要因です」と雲岡先生。板木に文字を逆さに彫って作るのは大変ですが、これが完成すれば後は刷るだけ。書籍の大量生産が叶い、庶民も手を出せる値段になったのでしょう。
講演会スライドより。講演会スライドより。 版下(文字や挿絵)を書く人、板を彫る人、墨を塗布して印刷する人の分業制で行われていたという木版印刷。板木は雲岡先生所蔵
好色物風に脚色された『源氏物語』が江戸時代に大ヒット
「『湖月抄』の刊行以降、俗語訳も次々と登場していきます」と、雲岡先生は『源氏物語』第二帖「帚木(ははきぎ)」を例に挙げられました。
描かれた光源氏の恋模様を簡単にいうと、17歳の光源氏は空蝉(うつせみ)という女性に出会い、契りを交わしますが、空蝉には伊予介(いよのすけ)という年老いた夫がいました。道ならぬ関係ながら源氏は空蝉に夢中になります。何度も会おうとしますが、空蝉は光源氏に惹かれながらも、その立場を思って拒絶。そこで光源氏は空蝉の弟を召し抱えて「私は伊予介より前に空蝉に出会っていた」と嘘をつき、弟に手引きをさせて空蝉との逢瀬を図ろうとするものの叶わなかったという内容です。紫式部はこのシーンを、若い光源氏が恋に盲目になったとして美しく描き上げました。
雲岡先生は、時代ごとに出版された第二帖「帚木」の現代語訳をいくつかピックアップし、光源氏が空蝉の弟に嘘をつく場面が作者によってどのように描かれているか比較しました。まず近現代から。『湖月抄』を参考にしたとされる女流歌人の第一人者・与謝野晶子版、現代語訳のベストセラー・瀬戸内寂聴版を見ると、表現が異なるものの内容は原作に忠実です。
ところが、江戸時代の俗語訳本はかなり脚色されているのです。とくに紫式部が触れていない男女の生々しい情況や性的な描写がほのめかされているといいます。浮世絵師であり文人でもある梅翁が訳した『若草源氏物語』では、「私よりも伊予介に性的な魅力があったから、空蝉は私を捨てて伊予介を選んだんだ」と光源氏が小君に語り、都の錦による『風流源氏物語』という作品には、光源氏と空蝉の逢瀬中に伊予介が踏み込んできたと記されています。現代なら原作を侮辱していると大炎上になりそうな……。
「こういった脚色の理由は、井原西鶴に代表される好色物が江戸庶民の間で爆発的にヒットしたからだと考えられます。さらに好色物だけでなく、滑稽物といったジャンルも支持されたことから、『源氏物語』のとんでもない脚色も江戸庶民に好評を得ていきます。
その結果、柳亭種彦(りゅうていたねひこ)の『偐紫(にせむらさき)田舎源氏』という『源氏物語』のパロディ作品も生まれました。
時代は平安時代ではなく室町時代、「応仁の乱」の頃。将軍の足利義正と妾の間に生まれた足利光氏が、好色を装いながら宿敵である山名宗全を滅ぼし、将軍の後見役となって栄華を極めるという内容です。登場人物は架空の人物に置き換えられていますが、足利義正は室町幕府第8代将軍の足利義政と桐壺帝、足利光氏は光源氏がモデルになっています。
柳亭種彦作、歌川国貞画,鶴屋喜右衛門『偐紫田舎源氏』(国立国会図書館所蔵)。「ARC古典籍ポータルデータベース」収録
「室町時代を舞台にしていながら、挿絵の光氏はちょんまげ、女性はおいらん風のファッション。光氏が女性とやりとりする恋文は和歌ではなく俳句と、江戸時代の世相や文化で描かれているのです」と雲岡先生。時代考証も事実関係も滅茶苦茶ですが、好色、滑稽、痛快のすべてを満たしたおもしろさから江戸時代に空前のヒットになったのだそう。徳川政権による安定と平穏が続いていた江戸。庶民は刺激を求めていたのかもしれません。
ただ、当時の第11代将軍である徳川家斉や大奥を思わせる設定、それを茶化すような内容だと噂されたことから、老中の水野忠邦が敢行した「天保の改革」の風俗取り締りによって、『偐紫田舎源氏』は制作中止・絶版処分に。「断筆を言い渡された種彦はショックから自害したのではないかという説もあります」
『源氏物語』にエンターテインメント性を求め、楽しんでいた江戸の庶民たち。作家の解釈や意訳のおもしろさはもちろん、根底にある『源氏物語』の普遍的な魅力がそうさせていたのでしょう。
最後の藩主が示した古典文学の価値
最後に雲岡先生は、越前丸岡藩(現在の福井県坂井市)の最後の藩主で、江戸時代末期から明治時代を生きた有馬道純という人物を取り上げました。
江戸時代、『源氏物語』はパロディとして庶民に親しまれただけではなく、教養として読むことや、作品を研究することも進みました。ただ、五十四帖からなる壮大な物語を読み進め、紐解いていくのは大変です。
「皆さん『須磨帰り』という言葉をご存知ですか? 光源氏が政治的に失脚し、須磨で隠遁生活を送っていた時の話が描かれる第十二帖『須磨』から、『源氏物語』は話が複雑化していきます。そのあと光源氏は須磨から都に帰ってくるのですが、そのことにかけて、『須磨』 の巻あたりで挫折して『源氏物語』を読むのをやめてしまうことを、『須磨帰り』と言います」
『源氏物語』の写本・版本の中には、前半は読書や研究の痕跡があるのに、「須磨」あたりからは手つかずというものもあるのだとか。昔の人も「須磨帰り」していたのですね。
しかし、有馬道純は違いました。道純が研究した『源氏物語湖月抄』を見ると、本文や頭注には赤字の書き込み、さらに枠外には江戸時代の国学者の学説がびっしり。奥書には「池内蓴の『湖月抄』を借りて、7年かけて書き込みを写して研究した」と記してあるのです。なんという探究心でしょうか。
「明治維新による廃藩置県によって、道純は藩主の立場を失います。新政府に恭順していたものの長く続いてきた藩の消滅には心痛めたでしょう。日本が新しい時代へ進み、近代化の中で古典が否定される風潮もある中、『湖月抄』の研究は『源氏物語』の雅やかな世界に没入し、古典の素晴らしさを見つめ直す、道純にとってこのうえない時間だったのではないでしょうか」
昨今、実用・実践主義が最重視され、古典は必要ない、役に立たないといった声も。「古典を紐解けば、自らを豊かにする教養が身につきます。道純のように心の支え、人生の道しるべにもなるでしょう。現代語訳版でも概説本でも構いません。『源氏物語』をはじめとする古典の世界の扉を開いてみてください」と雲岡先生は講演会を締めくくりました。
江戸時代の人も魅了した『源氏物語』。筆者は「須磨帰り」どころか、その前の帖から何度も挫折していますが、これを機に改めて『源氏物語』を読んでみようと思いました。皆さんも光源氏と宮中文化の雅な世界に浸ってみませんか。