「アフリカのマンガ」と聞いてどんなイメージが浮かびますか?
「世界三大マンガ」と呼ばれる、日本をはじめとしたアジアのマンガ、アメリカのアメコミ、フランス語圏のバンド・デシネならなんとなくわかるけれど、「ん?アフリカのマンガ?」と疑問符が浮かぶ方も多いんじゃないでしょうか。それもそのはず、これまでアフリカのマンガはほぼ日本に紹介されてきませんでした。そんな日本にとって未知の分野であるアフリカマンガの初の企画展が開催されていると聞いて、京都市と京都精華大学の共同事業である京都国際マンガミュージアムに行ってきましたよ。会場に満ちていたのは、アフリカマンガの多様な魅力と、文化の接点をつぎつぎに生みだしていくマンガという表現手法の力強さでした。
ミュージアムの入口
京都の繁華街、京都市営地下鉄「烏丸御池駅」から徒歩2分ほど、おおきな校庭が目をひく建物は、元小学校を改修して建てられたのだそう。入り口付近の前田珈琲の香りに惹かれつつ館内に入ると、ずらりと並んだマンガがお出迎え。
マンガにまつわるミュージアムは全国70施設ほどあるそうですが、研究機関として専門員が常駐する施設は片手の指に収まるほどしかないとのこと。マンガ関係の卒論を書くために国内外の大学生が訪れることも多いのだとか。江戸時代の戯画から現在の人気作、海外のものまで約30万点が収蔵されています。文化としてマンガを捉え研究・発信していく施設だからこそ、これまで機会の少なかったアフリカのマンガを紹介する今展は念願の企画だったそうです。
バンド・デシネスタイルで描くアフリカの物語
複製原画(デジタルプリント)がならぶ展示風景
足をふみいれると目を惹くあざやかなマンガたち。アフリカのなかでもフランス語圏の国をとりあげた今展では、複製原画のほか、手にとって読むことのできる雑誌やマンガの展示、アフリカの歴史やマンガをめぐる現状がわかるパネルなど、作品が生まれた背景とともにアフリカマンガの世界に入っていくことができます。
二部構成の第一部では、アフリカ出身作家によるバンド・デシネスタイルの作品がずらり。バンド・デシネは、「世界三大マンガ」のひとつである主にフランス語圏で発展したマンガスタイル。アフリカで「マンガ」といえばまずこのスタイルを指すそうですが、そこにはフランスによる植民地支配の歴史が関係しています。
旧宗主国の文化ということもあって、それまでアフリカに流通していたマンガの多くがアフリカ人以外の作家によるものでした。アフリカ人が登場するマンガはそれほど多くなかったようなのですが、ここで展示されているのは、そんな状況を反転させるかのような、アフリカ人が主人公で、アフリカの神話、歴史、日常などを扱った物語。アフリカの子どもたちが「自分の物語」として楽しめるマンガを増やしていきたいという思いで活動する作家もおり、もとは欧米のスタイルであったバンド・デシネが、アフリカのマンガとしてあたらしく生まれ変わっていく活況が伝わってきます。
複製原画のフィルムをめくると原語が
主に2000年代以降に発表されたアフリカのマンガ本。実際に手にとって読むことができます
マンガスタイルにこめられた表現へのスピリット
第二部の展示風景
つづいて第二部に入ると、がらっと絵の雰囲気が変わります。
日本のマンガに親しんできた立場からすると、どこかなつかしい絵柄……。そう、第二部では、日本のマンガスタイルが取り入れられたアフリカマンガが紹介されています。おおまかに比べれば、文章が比較的多く固定的なコマ割りが特徴のバンド・デシネにたいし、躍動感のあるコマ使いと、絵と文字が一体化したような特徴がみられます。
日本のスタイルがアフリカに取り入れられていった背景には、1990年代から放映された日本アニメの影響があるそうですが、とりわけ社会的ムーブメントとして盛り上がりをみせたアルジェリアではより深い理由があるようです。
アルジェリアマンガについての解説パネルを眺めていると、なんとテキストを書かれたご本人、筑波大学の青柳悦子教授が横でマンガをお読みになっているではないですか! アフリカ文学の翻訳も手掛けていらっしゃる青柳先生は、フランスや北アフリカ文学を専門にされています。うれしい偶然に感謝し、マンガをめぐるアルジェリアの事情についてお話を伺いました。
取材に協力してくださったみなさん。左から広報・中村浩子さん、京都精華大学国際マンガ研究センター特任准教授の伊藤遊先生、筑波大学教授の青柳悦子先生、司書・大谷景子さん
アルジェリアは1990年代前半から2000年代初めにかけて、「暗黒の10年」と呼ばれる内戦状態が続いていました。あらゆる文化活動が停止し、安全のために自宅にこもらざるをえなかったこの時期に、ちょうど放映されはじめたのが日本アニメ。内戦に関わるような政治色がないので危険視されず、盛んに放映されていたようです。夢や希望、冒険心、人と人との絆がテーマになることの多い日本アニメが、厳しい状況になか生きる人びと、とりわけ子どもたちの心をつかんだのではと青柳先生は言います。
まさにそうしたアニメを観て育った子どもたちが、内戦終結後の2008年に立ちあげたのが、日本式マンガの出版社、Z-LINK。日本アニメやマンガから手法を吸収しつつ、「100%アルジェリア製」をモットーにし、アルジェリア人が登場人物、アルジェリアが背景の、アルジェリア人によるマンガを次々と世に送りつづけています。現在はマンガ雑誌が65号、単行本が60冊を超える、アルジェリアのコミックス史で前例のない大きなムーブメントを引き起こしました。会場にはそんなZ-LINK社が手掛けたマンガたちがたくさん展示されていましたよ。
実際に見てみると、1950年代のアルジェリア革命(アルジェリア独立運動)について調べる宿題を出された主人公が、革命にかかわった祖父を訪ね、歴史を知っていくという内容がありました。内戦でさまざまな文化が奪われた中、親しみをもった日本のマンガ・アニメを吸収し、自分たちの物語を紡いでいることがみえてきます。
Z-LINK出版社から発表された、アルジェリア革命を題材にした『革命』(作:フェラ・マトゥギ)の複製原画と青柳先生
そのほか、セネガルで活躍するセイディナ・イッサ・ソウさんによる、セネガルにかつて存在したカヨール王国が舞台のマンガや、日本で活躍するマンガ家でカメルーン生まれ兵庫県育ちの星野ルネさんによる、文化の差異や固定観念に焦点を当てたマンガなど、それぞれの魅力がひかる作品たちが勢ぞろいしていましたよ。
ブリコラージュな文化のありかた
状況にあわせて柔軟に、けれど粘り強く自分たちの創意をはたらかせていくこと。その姿勢に、伊藤先生は「ブリコラージュの精神」と言葉を重ねます。「ブリコラージュ」とは、あり合わせのものや道具を使って、修繕したりあたらしいものをつくったりするという意味のフランス語。
お話を伺って感じたのは、「フランスの影響を受けたバンド・デシネ」、「日本の影響を受けたマンガスタイル」という捉え方はふさわしくないということ。あらゆる文化が他の文化と
混ざりあいながらつむがれてきたことを思い起こさせてくれる展示内容は、ブリコラージュ的な目線であらゆる文化を捉えるきっかけを与えてくれます。
今回展示された「フランス語や英語のアフリカマンガ」からは、国と言語と文化がイコールではないということも示されています。もちろんフランス語圏になった要因としての植民地支配の歴史や自国語の未来を考えていくことは重要です。しかし同時に、日本のマンガスタイルで描かれたアルジェリアマンガにアルジェリアの固有性を感じたように、言語や表現をブリコラージュ的に選び取った手段として捉え、そこにオリジナリティを見出していく視線も大事であると気づかされました。(今回の展示ではフランス語圏のアフリカ諸国のマンガが中心でしたが、現地の言葉でつくられたマンガも存在し、積極的に現地語でマンガ制作を行う作家もいます)
異なるものと異なるものがつながりあうネットワークの重要さは、この日開催されていたトークショーでも感じることができました。タイトルは「フランス語圏アフリカ諸国における日本マンガの影響:カメルーン人作家・エリヨンズの場合」。エリヨンズさんはアフリカマンガ文化を牽引する作家のひとり。アフリカンルーツの人が遭遇する偏見やハプニングなどをコミカルに描いた『エベーヌ・デュタの日常』が反響を呼んだそうです。マンガ制作だけでなく、国際マンガフェスティバルの主催や、フィギュア制作をはじめとしたトランスメディアへの挑戦など、幅広い活動を展開しています。
トークショーの様子。中央がエリヨンズさん
マンガ専門のメディアや出版社が日本ほど多くないアフリカでは、作家は兼業で自費出版をしたり、クラウドファンディングや電子書籍、SNSを活用したりなど、それぞれ工夫をしながら取り組んでいます。そのような状況のなか、マンガを志す人々がつながり、活動が促進されるネットワークをつくっていきたいというエリヨンズさんの言葉は頼もしく、今後のアフリカマンガの展望を照らすかのようでした。
これまで紹介される機会の少なかったアフリカマンガの世界に入り、マンガを起点に社会と表現をめぐる関係を考えることのできる本企画。会期は2024年2月18日まで。ぜひこの機会に足を運んでみてくださいね。