アメリカの音楽文化といえば、みなさんは何を思い浮かべますか?ミュージカルやディズニー、クラシック、ヒップホップ…多様な音楽は、世界に影響を与える力をもっているといえます。このような、国の文化的な魅力や価値観を広く伝え、相手を魅了して味方にする力のことを「ソフト・パワー」というそうです(国際政治学者ジョセフ・ナイ提唱の概念)。
2023年6月24日、「音楽文化から見るアメリカの『ソフト・パワー』」と題したフォーラムが、明治大学大学院情報コミュニケーション研究科主催で開催されました。
講演会のテーマはこちら。
・『クラシック音楽』のアメリカ~冷戦文化外交からBLMまで
・ディズニー映画と音楽にみるアメリカ
クラシック音楽が文化外交やBLMにどう関係あるのか?ディズニー映画についてはなんとなくイメージはわくけれど、何か違った切り口があるのだろうか?そんな期待を胸に取材に訪れました。
今回のフォーラムは、音楽を通じてアメリカの文化や政治を学ぶ授業が学生からの人気が高いため企画されたそう。コーディネーター・司会は、明治大学情報コミュニケーション学部教授の清原聖子先生(写真左)
バーンスタインやヴァン・クライバーンにみる冷戦時の文化外交
フォーラムでは、まずハワイ大学アメリカ研究学部教授の吉原真里先生が「『クラシック音楽』のアメリカ~冷戦文化外交からBLMまで」について講演されました。吉原先生はとくにアメリカ文化史を専門としています。
冷戦時には、芸術文化においてもアメリカが優れていることを示す文化外交が行われていました。吉原先生がその例としてまず挙げたのは、指揮者、作曲家のレナード・バーンスタインの活躍です。
「ユダヤ系移民だったバーンスタインは、『ウエスト・サイド・ストーリー』をはじめ、これまでの伝統的な音楽ジャンルを越えたアメリカ的な音楽性を発揮していました。このことからニューヨーク・フィルの指揮者として米国公務省主催の世界ツアーを成功に導くなど、アメリカ冷戦外交の広告塔となりました。バーンスタインの台頭には、才能や素質に加えて、政治的な意図や画策があったといえます」
バーンスタインと聞くと、その輝かしい功績が次々に思い浮かぶほど、“偉大な音楽家”としてのイメージが強いですが、ここまでを聞くと、政府の広告塔としての活躍に目がいってしまい、彼の音楽の素晴らしさが霞んでしまうような、複雑な気持ちになってきました。
しかし、吉原先生は続けます。「バーンスタインは、政府が目論んだ枠にとらわれませんでした。パレスチナ地域での紛争を目の当たりにしたことをきっかけに、反戦・反核兵器を掲げてさまざまな活動を行ったのです」
なるほど、バーンスタインはその影響力を国家のために用いられただけでなく、むしろそれを経て築いた富と名声、影響力を大いに利用して、意思表示をしたのですね。具体的には、チャリティーコンサートを開催したほか、1989年にはエイズをテーマにした展覧会への全米芸術基金の助成金取り下げに抗議し、国立芸術勲章を拒否するなど、政府への抗議を実施したそうです。
吉原先生は、バーンスタインと日本人の交流を描いた著書『親愛なるレニー: レナード・バーンスタインと戦後日本の物語』(アルテスパブリッシング)も話題
また、その名を冠したコンクールで知られるピアニストのヴァン・クライバーンも、冷戦時に大きな注目を集めた一人だそうです。彼はモスクワで開催された第1回チャイコフスキー国際コンクールに23歳で出場し、優勝しました。その舞台裏では、審査委員長が第一書記フルシチョフに「アメリカ人に一番をあげてもいいのか?」と尋ねたエピソードも残っているそう。純粋に演奏の素晴らしさを競う場であるはずのコンクールで、このような会話が交わされたことから、芸術と政治的な情勢が切り離せない関係だったことがわかります。ですがフルシチョフは「そいつが最高なのか? それなら優勝させろ」と答えたそうです。クライバーンの演奏が当時の政治的な情勢を越えたことを証明しており、大きな意味のある優勝でした。
コメンテーターの佐藤彦大先生(写真左/東京音楽大学専任講師・ピアニスト)によれば、クライバーンが師事していた先生はロシアからアメリカに亡命しており、ロシア・ピアニズム(伝統的奏法)の系譜を汲んでいたそう。「アメリカとは対立していたが、そこに渡ったピアニズムがコンクールで再びロシアに戻ってきて、審査員や聴衆に受け入れられたのは素晴らしい」(佐藤先生)
吉原先生は、このコンクールでの経験からクライバーンが何を生み出したのかについても教えてくださいました。「クライバーンは“アメリカン・スプートニク”と評され、アメリカだけでなく世界中の市井の人々からも人気を博しました。そして、文化交流の場としての音楽コンクールとして、ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールを創設。今でもその運営は、個人の寄付や地域コミュニティの支えによって成り立っています」
2009年に優勝した辻井伸之さんをはじめ、日本からも毎回多くのピアニストが参加しているコンクールが誕生した背景にも、社会情勢が深く関わっていたのですね。
軍事・技術・経済だけでなく、芸術文化においてもアメリカが世界を率いる存在であることをアピールしていた冷戦時代。人気のある音楽家がその広告塔となっていたけれど、それだけに留まらず、芸術家個人の意思表明や、文化芸術の発展への貢献も見られ、文化芸術のあり方について考えさせられました。音楽が政府の意図として国内外に影響を及ぼしたり、聴衆の心を打ったりしたのは、音楽に言葉を越えた普遍的な力があるからだと感じました。
多様化するアメリカのクラシック業界
話題は冷戦時代から現代へ。社会的状況の変化に伴い、クラシック音楽界にもさまざまな変化が表れているそうです。特に、#MeToo運動やBlack Lives Matterを経て変わったのが、マイノリティや女性作曲家の作品の演奏機会の増加や、有色人種の演奏者が頻繁に登用されるようになったこと。
吉原先生は、アメリカのオーケストラでは、レパートリーや楽団員の人種に変化が見られると指摘します。従来のヨーロッパ作品に加えて、アメリカ発の音楽や黒人作曲家の作品など、演目が多様化し、楽団員にはアジア人が増加している傾向が見られるそうです。具体的には、2015年から2022年にアメリカのオーケストラが開催した演奏会で、女性や有色人種の作曲家による作品は4倍、存命の作曲家の作品は2倍も取り上げられるようになっているとのこと。人々が耳にする曲が急速に多様化しているのですね。
#MeToo運動やBLMでクラシック音楽界にも大きな変化が訪れている
受容する側はどのような反応をしているのでしょうか。吉原先生によると、「まだ始まったばかりなのであまり断言できないが、ここ数年の印象を見ると多様化は歓迎されていて、これまで関心を持たなかった人々がオペラなどを見にいくようになっています。これをきっかけにクラシック音楽に興味を持ってくれるのが理想的だが、そうならなくとも、これまでのコアな客層に少しでもリーチするという意味では意義がある」とのことです。
一方で、それに対する反動があるのも事実で、特にオペラにおいては顕著だといいます。「オペラには物語性があり、時代や国、人種、階級などが明白です。上演回数の多い『蝶々夫人』を捉え直すという流れが生まれ、アジア人の歌手や演出家などを起用し、演出や音楽の順番を書き換えるプロダクションもあります。それに対する聴衆の反応を見ると、素晴らしいと言う人もいる反面、プッチーニ様の音楽をいじるなんて言語道断という反応もありました」
賛否両論出るのは当然のことなので、長期的に見てどのような結果になるか、まだなんとも言えないそうです。これからどうなっていくのか注目していきたいところです。
プロパガンダ映画における音楽の役割とは?
次に登壇したのは、フェリス女学院大学音楽学部教授の谷口昭弘先生。「ディズニーの映画と音楽に見るアメリカ」をテーマに、さまざまな作品を例に挙げながら、ディズニー映画におけるアメリカを浮き彫りにしていきます。
もっとも印象に残ったのは、ウォルト・ディズニー・カンパニーがアメリカ合衆国財務省の支援を得て1943年に製作した『新しい精神』というプロパガンダ映画(短編アニメーション)。軍事資金調達のため、納税を促す目的で作られたそうですが、なんとドナルドダックが納税をするシーンが。ディズニーランドを「夢の国」と呼んで楽しんだことのある人にとってはなかなかショッキングな内容ではないかと思います。ドナルドのように納税しよう! と、まさかドナルドがお手本にされていたとは。夢の国どころか現実を突きつけてくるのです。
講演はディズニー作品の動画を交えながら楽しい雰囲気で進められました
また、この作品では《ヤンキー・ドゥードゥル》、《コロンビア・大洋の宝》、《アメリカ》などの愛国歌が登場し、ディズニーがいかに音楽を使ってアメリカを効果的に表したかにも注目すべきなんだそう。日本やドイツが劣勢になるシーンでベートーヴェン《運命》の「ジャジャジャジャーン」が流れるなど、音楽が観ている人にアメリカやアメリカ視点を印象づける役割を果たしています。
谷口先生によると「戦時中のプロパガンダ映画では、音楽もプロパガンダ独自の使い方をされており、印象づけるという効果を発揮している。音楽は画面上で起こっている感情を言葉以外で伝えるという作用も期待されている」とのこと。たしかに、無意識に印象的なシーンが音楽とともにインプットされることはよくあります。音楽がイメージを植えつける効果を活用して、プロパガンダとしての効果を高めているのですね。
さらに、ディズニー作品では最新のテクノロジーが取り入れられていることにも大きな意味があるそうです。代表例として挙げられたのは、『ピノキオ』に登場するノヴァコードという電子オルガンと、『ダンボ』に用いられたソノヴォックスというセリフと効果音を混ぜる装置。『ピノキオ』も『ダンボ』も小さい頃に観たことがあるお馴染みの作品ですが、このような最新技術が使われていることにはまったく気がつきませんでした。前半の話にも通じることですが、最新技術を盛り込むことで、アメリカがどの分野においても世界を率いる存在であることを世界中の観客にアピールするのに役立ったわけです。
講義後はディスカッションや質疑応答などが行われた
質疑応答の時間には、参加者から「ソフト・パワーとしての音楽の力というものが、どれほど大きな局面として政治を変える回路をもっているのでしょうか。プロパガンダの映画を見ると受容者層への影響はわかりやすいが、演奏家の主張などはどの程度伝わるのでしょうか」などの質問が寄せられました。
「政府主催のイベントに出ないというのは大きな意思表示ですね。政治的なものに参加しないというのもソフト・パワーの出し方の一つ」と谷口先生。吉原先生は、音楽そのものが政治を変える力を持っているのか? と考えると難しいし、冷戦のような事象の前では、バーンスタインの音楽が核戦争をやめさせられるわけではない、としながら「バーンスタインのような人物だからできたことは、彼の名声、発言力を行使して、政治的な影響を与えることはできたのです」
今回の講演会では、クラシック音楽とディズニーという二つの異なる観点からアメリカにおけるソフト・パワーについて学び、プロパガンダや政府の広告塔の具体例だけでなく、そこから豊かな芸術文化が発展することもある、また芸術家が意思表示をする術もあるということに気づくきっかけとなりました。