目の色も肌の色も、国籍も言語も、とてつもなく多様性に溢れているように見える人類。でも、実は生物学的多様性においては、皆同じ1つの種(しゅ)、ホモ・サピエンスです。ホモ・サピエンスとは、ラテン語で「賢いヒト」を意味する現生人類のこと。約20万年前にアフリカで誕生し、進化を遂げながら世界中へと拡がっていきました。
では、なぜネアンデルタール人やデニソワ人といった旧人類が存在したにもかかわらず、ホモ・サピエンスだけが現代まで生き残ってきたのでしょうか? 人類の進化を描いたイラストは何度となく目にしてきたはずなのに、肝心なその進化の過程は深く考えてこなかった筆者。そこで、名古屋大学と南山大学の連携博物館講座「大学博物館が語る、地球と人類のヒストリー」の第4回「なぜ人類はホモ・サピエンスだけになったのか:ヨルダンの遺跡調査」を聴講してみました。
「ホモ・サピエンス=賢いヒト」は間違いだった!
大阪・関西万博で話題になったパビリオンのひとつが、ヨルダンの砂漠体験。ワディ・ラム砂漠から運ばれた砂がパビリオンに敷かれ、裸足で砂漠の感触を楽しむことができました。
そんなヨルダンで、人類の進化の謎を解明しようと遺跡発掘調査を行うのが、今回の講座の講師である名古屋大学博物館・大学院環境学研究科の門脇誠二先生。門脇先生は函館で身近に縄文遺跡がある環境で生まれ育ち、現在は西アジア・中東地域で石器や土器、食料、装身具などの遺跡発掘調査を行っています。
門脇先生によれば、そもそも冒頭に紹介した「ホモ・サピエンス=賢いヒト」という語源には、大きな誤解が潜んでいるといいます。他の人類が滅亡し、ホモ・サピエンスだけが圧倒的に増加したのは、「賢いヒトだから」だという単純な説明で済まされてきました。背中が曲がり、毛で覆われた旧人ネアンデルタール人と、現代人に近い容姿をした新人ホモ・サピエンスを比較したイラストを見たことがある方も多いかと思います。
ところが2010年以降の研究から、旧人ネアンデルタール人と新人ホモ・サピエンスは共存・交雑していたことが明らかになってきたそうです。見た目や知能がかけ離れていたら、決して共存やましてや交雑などしなかったはず。つまり、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの間に大きな違いはなかったと考えられています。

7万年~5万年前まではホモ・サピエンスとネアンデルタール人は共存。5万年前~4万年前には、アフリカの地方集団でしかなかったホモ・サピエンスだけが分布拡大、存続した
「賢いヒト」だからホモ・サピエンスが生き残ったという単純な説明が通用しないなら、より一層「なぜ人類はホモ・サピエンスだけになったのか」という謎が深まります。
その謎を解くため、現在は次の3つ研究手法が用いられているといいます。まず1つ目は、生物学的属性に関する研究。骨の形態、脳の構造から運動機能、認知能力などを推測します。2つ目は自然環境に関する研究。堆積物、動植物の化石などから気候、地形、資源などを推測します。
そして、3つ目が門脇先生の専門分野でもある文化・社会に関する研究です。遺跡や石器、装飾品などから道具技術、食料獲得、居住行動、社会交流などを推測します。

あらゆる角度から研究が進められている
現代人とネアンデルタール人の脳の違いは?
ホモ・サピエンスとネアンデルタール人を比較するための手がかりとして、生物学的属性に関する研究では、化石頭骨から両者の脳の形態の復元・比較が行われているそうです。現代人とネアンデルタール人の脳の形態には、頭頂葉と小脳に違いが見られるとのこと。
頭頂葉は感覚情報の統合や数学等の知識、対象の操作などを処理する機能が備わっており、小脳は運動能力や知覚情報処理、記憶、注意、言語機能の役割を果たします。そのいずれも現代人の方が優れており、現代を生きる私たちが備えている学習能力や言語能力はホモ・サピエンスならではのものだと言えます。
最新の研究で明らかになったのが、この言語能力の発達に影響したのが鉛の存在だということ。近年でも公害などで人体に悪影響を与えると言われている鉛。その影響は遥か昔から存在しており、ネアンデルタール人が持つ言語発達に関連すると考えられる遺伝子は、鉛の影響を受けて言語発達が阻害されたと考えられています。一方で、ホモ・サピエンスが持つ遺伝子の型は、鉛の影響を抑える働きがあるのだとか。
「脳の形態に違いがあるのなら、ホモ・サピエンスが優勢だったのは明らかなのでは?」と思いましたが、それだけで結論づけるのはまだ早いようです。
ヨルダンの遺跡から出てきた石器を手がかりに歴史を復元
ネアンデルタール人とホモ・サピエンスが出会い、交雑が行われた時期は今から4〜5万年前だと言われています。では、なぜその時期に両者が交わり、その後、ホモ・サピエンスだけになったのでしょうか? そのタイミングで何が起きていたのでしょうか?
それを調べるうえで必要となるのが、歴史の復元。ここからが門脇先生の専門分野のお話です。門脇先生が発掘調査を行うヨルダンは、アフリカを中心に広がったホモ・サピエンスと、ヨーロッパを中心に広がったネアンデルタール人がやってきて交わる中間地点であったそうです。
門脇先生は2016年から毎年夏休みに南ヨルダンの遺跡へ渡り、発掘調査を行っています。調査を行う遺跡は、まさに『インディ・ジョーンズ』の世界。絶景ですが、作業はかなりハードなようで、「朝5時から車で移動し、6時頃から荷物を持って岩山を登ります。13時頃まで人の手と簡単な道具を使って遺跡を掘り、午後は宿舎で作業をしています。体力を使うので、調査期間は毎年痩せてしまうんですよ」と門脇先生。

ヨルダンの地図。空港から調査地に向かう途中には世界遺産のペトラ遺跡がある

壮大なスケール!横30km、縦20kmの範囲で調査地が広がっている
そんなハードな調査でわかってきたのは、まず石器が進化した時期。旧人と新人が共存していた7〜5万年前には、大きくて薄い形状をした「ルヴァロワ・ポイント」と呼ばれる石槍が狩猟に用いられました。石器と遺跡から出てきた動物を比較すると、新人と旧人に大きな違いはなく、両者に優劣がなかったからこそ、共存できたのではないかと見られています。
その後、5万年前には新人のみが存続するようになりますが、意外なことに、その頃も依然として大きな石器が狩猟に使われていたようです。変化が起きたのは、それから1万年ほど経ってから。新人が増加した4万年前以降にようやく石器の形状が変わっていきます。

新人・旧人が共存した時代にはない、石器の進化があった
石器は小さくなり、小さい石からでも作ることができるため、石材の節約が可能に。小さいので飛ばして使うこともでき、多様な道具の部品になります。さらに、以前の大きな石器と比べてメンテナンスも楽。まさに、「石器のイノベーション」だと門脇先生は話します。
貝殻交換で親睦を深めた新人たち
では、他にどのようなイノベーションがあったのでしょうか。実は、砂漠の遺跡からは海の貝殻とそれを加工したビーズも見つかっているそうです。小さな貝なので食料として運ばれたものではないと思われ、旧人と新人が両方いた時代には出てきていません。新人のみが存続した時代に遠隔資源を入手しているのです。

砂漠地帯にも関わらず、写真のような貝殻が発見されている
これは、移動範囲が広がったか、集団交流が発達した証とされています。この後の時代にビーズがさらに普及していきます。紐に吊り下げた時にカゴ形になるビーズが大流行し、貝殻だけでなく、歯や石までも加工されました。
ビーズは装飾に加えて、社会的アイデンティティや立場の表示、儀礼用品、お守り、交換品、情報伝達システムなど多様な役割を持ちます。「このことから、旧人が絶滅した頃、近隣集団とのビーズ贈与を通した社会交流が発達していたことがわかります」と門脇先生は言います。
石器の小型化を含め、その背景にあるのが、気候変動と狩猟動物の変化だそうです。旧人がいた頃には、牛や馬などの大型動物を食料としていましたが、4〜5万年前に大地が乾燥化し、捕獲が困難に。そこで、新人はガゼルなどの小型動物を多く狩猟するようになります。すばしこい小型動物の狩猟は大型動物よりも効率が低く、食料を得る「コスパ」は厳しくなっていました。だからこそ、社会交流網が発達し、相互扶助やイノベーションの共有が促進されたのではないかというのが、門脇先生をはじめとする研究者の見立てです。

発掘調査によって、道具技術、社会関係、食料調達の変化が明らかに
生物としての強さが生き残りの鍵に
気候や環境の変化が与えた影響は大きく、乾燥が進んだ土地では暮らしづらくなったため、4.7万年前後には新人はヨーロッパに進出。ブルガリア、ドイツ、イギリス、イタリアでも新人の拡散に伴った石器文化が発見されているそうです。その後、時間をかけて新人が拡散・増加していくわけですが、旧人がその路線から外れたのは、社会交流が活発になることで集団間の競争が生じたからではないかと門脇先生は考えます。
ネアンデルタール人が競争に負けたのは、門脇先生が先にふれたような脳や遺伝子の違いのほか、必要カロリーや移動性などの生理的機能の差なのか、認知機能や社会環境の違いによって社会交流網が狭かったことが原因なのか――。ホモ・サピエンスは「賢いヒト」という単純な考え方ではなく、多様な視点から俯瞰的に歴史をみる研究は続いています。
ヒントの一つとして、門脇先生は遺伝的多様性の違いを挙げました。ロシアのスンギルに埋葬されていたホモ・サピエンス4人は、3親等以上離れた関係だったそうです。彼らが同じ場所に埋葬されているということは、離れた血縁関係の者同士で婚姻がなされていた証と考えられています。一方、アルタイ山地やクロアチアのネアンデルタール人は、遺伝的多様性が低く、近しい血縁関係の者同士で婚姻関係を築いていたそうです。当然、遺伝的多様性が低いと、環境の変化に対応しきれなくなってしまうわけです。
人類の進化の過程が私たちに投げかけてくる新たな問い
門脇先生は「人類の存続に重要だったのは、協力行動や社会交流、それを促す社会認知能力。人類の生物学的多様性の現象は、それらの要因による淘汰かもしれません」と言います。
続けて、「人類の進化を研究することで、人間性とは? 競争は続くのか? どのような多様性促進が必要か? といった現代を生きる私たちの指針も見えてくるんです」と門脇先生は講座を締めくくりました。
実際、今回の講座は何万年も前の話を扱っているはずなのに、門脇先生のお話が進むにつれて、筆者は現代と未来の話を聞いているような不思議な感覚になりました。現代を生きる私たちも、他のコミュニティとの交流を避け、社会性を失うと退化してしまうのかもしれません。唯一生き残ったヒト属のひとりとして、これからの未来をどう生きていくべきなのか考えるきっかけを与えてもらった講座でした。