「書道と俳句とカルテット」。
一見して、ふつうは混ざりあいそうのない意外な取り合わせですね。日本文化の書と俳句、そして西洋楽器で奏でる弦楽四重奏。この3つの異分野が融合するコンサートが開かれると聞いて、大阪樟蔭女子大学に行ってきました。

公演チラシ
「月冴ゆる -季語季音- 〜書・俳句・西洋音楽〜」と銘打たれた本公演は、フランスを拠点に活動する「ベドリッシュ弦楽四重奏団」による日本ツアーのひとつ。大阪・東京とめぐる公演のなかで、大学での開催はこの一回のみ。今回、ベドリッシュとコラボレーションする書道家で同大学客員教授の東野舜水(しゅんすい)先生のご縁で実現したそう。
弦楽四重奏という西洋音楽と、書道、そして俳句という日本文化が、舞台上でどんな掛け合いをみせるのか。おおきな半紙がひろげられて、いよいよ開演です。

会場は満席
書と俳句、音楽が呼応しあう瞬間
公演は「月」「鐘」「雪」「花」「旅」と、季節や人生を象徴する5つのパートからなる構成。はじめに金和子さんによる、日本語とフランス語の朗読が場に響きます。選ばれたのは山頭火、芭蕉、良寛らの句で、たとえば「旅」でよまれたのは山頭火のこちらの句。
やっぱりひとりはさみしい枯草
短い言葉に込められた孤独と、どこか解放への感覚がホールに静かに広がります。その声に導かれるように、東野先生が舞台正面で大筆を振るって書を力強くしたためていき、場が文字によって結ばれはじめたところで、弦楽四重奏の音色が重なりあいます。
そして、また金さんの朗読が、
やっぱりひとりがよろしい雑草
と、はじめの句と共鳴するようにして場に響きます。
「雪」では、山頭火の句「雪へ雪ふるしづけさにをる」のフランス語訳での朗読、書、ドビュッシーの音楽(プレリュード集 第1集より「雪の上の足跡」)。
「花」では、書は芭蕉の句「何の木の花とは知らず匂いかな」、音楽はラヴェルの弦楽四重奏曲。
季節や人生を象徴するそれぞれのテーマを呼び水に、句が朗読され、書が生まれ、音楽が流れていく。俳句になぞらえた「季語季音」というコンセプトのとおり、季節のうつろいが、香をまとった水蒸気のようにホール全体を満たします。

書き上げられた書は一枚一枚、学生たちの手でひろげられて会場にしめされます。下は、「旅」から生まれた書。
句の言の葉が波紋のようにひろがり、墨したたる筆が紙面を走り、弓が弦をなで――立ちあがっては波のように引いていった時間の痕跡のよう。

「旅 voyage」の書
出会いが生み出す景色
そもそもこのコラボレーションのきっかけは10年以上も前のこと。ベドリッシュ弦楽四重奏団のリーダーであるジャック・ガンダールさんが、書道パフォーマンスとのコラボレーションに興味を持っていたところ、ベドリッシュのメンバーでヴァイオリニストの長谷川彩さんがパリで東野先生のパフォーマンスがあるとの情報を掴み、ご縁がつながったのだそう。学生たちに生演奏を聴いてほしいという東野先生の思いと重なり、今回の公演が実現しました。
この日はコラポレーションの後に大阪樟蔭女子大学の学生や中高生からの質問を受け、アーティストたちが答える時間も。パリで行われたベドリッシュとの初のコラボレーションについて、東野先生は「事前にリハーサルに時間がかけられず不安がありましたが、自然とうまくいきましたね」と振りかえり、ベドリッシュメンバーは「リズムがあって短い俳句はエリック・サティの音楽と共鳴する」「山頭火の句からドビュッシーを連想する」と制作にまつわるエピソードを披露。こうした言葉をアーティストたちから直接聞くことができたのは、学生たちにとって貴重な体験だったに違いありません。

弦楽四重奏の楽器編成や、18世紀ハイドンの時代以来の歴史についてのミニレクチャーも
「伝統的な形式にとらわれず、もっと自由に、多くの人に演奏を届けたい」と語るベドリッシュは、これまでに日本の舞踏とのコラボレーションもしたことがあるとのこと。西洋楽器の調べで現れる舞踏の身体、どんな公演だったのか気になりますね。
「自分以外の何かと重ねることで、新しい景色が見えてくる」という東野先生の言葉通り、異なる何かが混ざり合う瞬間にこそ、新しい可能性が生まれると感じさせられた本公演。
表現は、何かと何かが出逢い、そこでの相互の感応から生まれるもの。そんな表現の源を、わたしたちの日常にも見つけさせてくれるような時間。この場を共にした学生や地域の方々それぞれに、新しい景色が見えていたはずです。

終演後のロビーに並んだ書