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  • date:2021.11.9
  • author:南 ゆかり

コロナ対策にも活用される「ナッジ」を大阪大学社会経済研究所のシンポジウムで学んでみた

コロナ禍が始まってもう1年半。もし、新型コロナウイルスを知らない頃の自分が今この瞬間にタイムスリップしてきたとしたら、スーパーのレジ前の床にラインが引いてあるのを見てどうすると思いますか? 足跡マークとかあると、たぶん立ち止まりそう。いや、周りを見回して、立ち止まっている人が多ければ立ち止まる、のかも。ラインなど無視して進めばいいのに、必ずしも人はそうしないで自分の行動を変えてしまいます。

 

人の行動変容を促す働きかけは「ナッジ」と呼ばれ、行動経済学をはじめ心理学や社会学、認知科学など様々な学問分野の知見に基づいて理論化されています。近年では公共政策に取り入れられ、日本のコロナ対策にも大いに生かされています。そんなナッジについてのシンポジウムがウェブで開かれると聞き、参加してみました。大阪大学社会経済研究所によって開催された「行動変容を促す:コロナ禍の1年半と今後の展望」です。ナッジの専門家と自治体でナッジを活用している実務担当者がパネリストになり、コロナ対策やその他の具体的な事例を通して、ナッジをどう社会に役立てられるかを話し合いました。参加者は400人近くにのぼり、この分野への関心が高いことをうかがわせました。

 

シンポジウムの内容に入る前に、ナッジについて少しご紹介しておきます。ナッジ(nudge)とは、「ひじでそっと押す」という意味。誘惑に負けやすいとか現状維持を好むといった人間の特性を理解したうえで、ひじをちょっとつついて、「良い選択ができるように人々を手助けする」方法論です。ナッジのコンセプトは、2008年、シカゴ大学のリチャード・セイラー教授とハーバード大学のキャス・サスティーン教授によって発表され、セイラー教授はナッジと行動経済学への貢献によってノーベル経済学賞を受賞しています。

 

ナッジは良い行動を促す仕掛けですが、仕掛けられる側から見るとあくまでもやらされ感なく、あたかも自分が選んだように行動できるところがポイント。成功例としてよく取り上げられているのは、アムステルダム・スキポール空港の男子トイレの小便器の事例です。床の清掃費が高くつくのを何とかしたいと、小便器の内側に一匹のハエの絵を描いたところ、多くの人がハエを狙うようになって飛び散りが減り、清掃費用が8割もコストダウンしました。

 

登壇者プロフィール

大竹 文雄 (おおたけ ふみお)

大阪大学感染症総合教育研究拠点 特任教授(常勤)・同大学大学院経済学研究科(兼任)。専門は、行動経済学、労働経済学。コロナ禍で行動変容を促す「ナッジ」をメディアでも数多く発信している。「ナッジ」についての詳しい解説はこちら

 

松村 真宏(まつむら なおひろ)

大阪大学大学院経済学研究科 教授。自覚的な行動変容を促す仕掛けの体系的な理解を目指す「仕掛学」の創始者。仕掛けによる行動変容理論の構築と科学的証拠の蓄積、企業との共同研究による仕掛けの社会実装、また小中高校生への教育・普及活動に従事している。「仕掛学」についての詳しい解説はこちら

 

髙橋 勇太(たかはし ゆうた) 

横浜市行動デザインチーム「YBiT」代表、NPO法人PolicyGarage理事、横浜市職員、保健師。2019年、専門や所属の異なる横浜市有志職員で横浜市行動デザインチーム「YBiT」を発足。国内自治体初のナッジ・ユニットとして、「ナッジ理論」を行政の現場で活用するための普及啓発や全国での情報シェア・連携に取り組む。2021年には、ナッジ理論とデザイン思考を駆使して、地方自治体から政策を変えることをめざすNPO法人PolicyGarageの発足に携わる。

 

花木 伸行(はなき のぶゆき)

大阪大学社会経済研究所 教授、行動経済学センター長。専門は、実験・行動経済学。研究テーマは「限定合理的な意思決定主体の相互作用のマクロ経済学的な含意」等。近年は、持続可能な社会の構築に貢献するべく、西條辰義氏らが提唱する「フューチャーデザイン」の基礎的な実験研究にも取り組む。

 

新型コロナ感染対策で見られたナッジの効果とは

シンポジウムではまず、大阪大学の大竹文雄先生が登壇。この1年半の日本における新型コロナウイルス感染防止対策を振り返りながら、ナッジの効果や導入の工夫について語りました。

 

新型コロナ感染防止政策のポイントは「自分のことだけでなく他人にとっても良い行動を起こさせる」ことにあると大竹先生。「行動規制を守らない人に罰金を科すのと、休業補償など補助金を出して規制を守るようにお願いするのとは、一見正反対の政策のようですが目的は同じ。このようにお金によるインセンティブを使って行動変容を促すのは、伝統的な経済学の考え方です。これに対して行動経済学では、金銭的なインセンティブでなくナッジを使って、自分だけでなく他人にも良い行動を促そうと考えます」と説明します。

 

感染対策で実際に行われた、ナッジを使った政策の具体例もいくつか紹介されました。たとえば、専門家会議が発信した「皆さんが三密を避けるだけで、多くの人々の重症化を食い止め、命を救えます」というメッセージもその一つ。「三密を避けましょう」と訴えるだけでなく、それが他人にどう良い影響を与えてられるのかという「利他的メッセージ」を強調しています。また、2020年のゴールデンウィーク前に発信された専門家会議の提言「人との接触を8割減らす、10のポイント」では、損失を感じるような表現を避け利得を感じるようなメッセージを使いました。たとえば「ビデオ通話でオンライン帰省」は、「帰省を控えてビデオ通話を利用しよう」をアレンジし、「できなくなる」という損失を感じさせないようにしたメッセージでした。

「できない」「やってはいけない」をなるべく感じさせないようなメッセージを工夫

「できない」「やってはいけない」をなるべく感じさせないようなメッセージを工夫

 

これら、ナッジを使った効果は本当にあったのでしょうか。大竹先生が行った実証研究によると、「三密を避けると人の命を守れる」というような利他的かつ利得を感じさせるタイプのメッセージは、実際の行動変容につながったことがわかりました。ただ残念ながら、繰り返し使うと効果が弱まってしまうそうです。また、「三密を避けないと身近な人の命を危険にさらす」という損失タイプのメッセージは、その瞬間の「感染対策したい」という気持ちはとても高めるのですが、実際の行動には結びつかないとか。大竹先生は災害避難の行動についての実証実験も行っており、その結果とも合わせ、「利得メッセージの方が行動変容の効果が長期的に続く可能性が高い」と語りました。失うことを恐れる気持ちより、何かが得られると期待する気持ちの方が長続きするというのは、何かちょっと前向きな面が出た感じがして、少しホッとされられました。

感染予防行動を促進するナッジメッセージについての実証研究を実施

感染予防行動を促進するナッジメッセージについての実証研究を実施

 

さらに、ワクチン接種の話題も出ました。ワクチンの接種意欲は、感染する人が増え、周囲で接種している人が増えると高まることが明らかで、それは、人が持っている「社会規範に従う」という傾向の表れなのだそうです。ワクチン接種率を引き上げるために、接種した人にお金をあげるというのはどうでしょうか。「行動経済学的には少し問題点がある」と大竹先生。社会のために接種したいと思っている人に「接種するとお金をあげる」という選択肢を示すと、「そんな目的で接種していると思われたくない」と接種率が下がる可能性があるというのです。感染対策でお客さんが減って困っている旅行業や飲食業の人を助けるために商品券を渡すということであれば、利他的な動機が損なわれないかもしれません。また行動経済学的には、プレゼントとしてもらうとお返ししたくなるという意識が働くので、それをうまく使えるかもしれないとも話します。「感染対策にとって、行動経済学的手法はある程度有効でした。でも限界はあります。慣れてしまうことや、効果にばらつきがあることには注意が必要です」とまとめました。

 

「何だコレ?」が行動変容につながる仕掛け

二番目に登壇したのは、「仕掛学」の創始者、大阪大学の松村真宏先生です。仕掛学とは、行動変容を促す仕掛けの体系的な理解をめざす学問。これまで楽しい仕掛けを生み出してきた松村先生は、研究成果を披露しながら「そそられる仕掛け」について考察しました。たとえば、「ゴミ箱にバスケットゴールがついていたら、ごみを捨てたくなるか」というアイデアを仕掛けにして実験すると、5週間の設置で、ゴミを捨てた人が257人から411人に増加したことが紹介されました。その他にもいくつかの事例が紹介されましたが、なかでも秀逸だと思ったのは、アンケートに協力してもらう仕掛けでした。記入したアンケート用紙を入れると自動的に紙飛行機を折り、飛ばして回収ボックスに入れてくれる機械を作って導入。これで、アンケートに協力する人が2人から89人になるという飛躍的な伸びを見せました。みんな、結構、生活に遊びを求めているんですね。

アンケート用紙で紙飛行機を折って飛ばしてくれるアンケート回収機を導入すると、回答者数が劇的に増加

アンケート用紙で紙飛行機を折って飛ばしてくれるアンケート回収機を導入すると、回答者数が劇的に増加

 

仕掛けをうまく使った問題解決の例も興味深いものでした。松村先生は、JR西日本と共同で大阪駅ホームの安全確保に挑戦。エスカレーターに人が集中し過ぎて危険な状態にならないよう、一定数の人を階段に誘導する仕掛けです。「大阪環状線総選挙キャンペーン」と銘打って、「福島か天満か。アフター5に行くなら、どっち?」という質問を床や階段を使って目立つように掲示し、階段を上ると投票できるようにしました。「この階段を使うサラリーマンが共通して興味を持つ」仕掛けのアイデアだったそうですが、確かににぎにぎしくて、「何かあるかも」と期待してちょっと階段を上ってみたくなる仕掛けです。平均気温35度という夏の暑い時期に1週間実施して、階段利用者が7%増加したという結果は、十分に効果ありと判定されました。

派手な色合いで、思わず階段をのぼってみたくなる仕掛け

派手な色合いで、思わず階段をのぼってみたくなる仕掛け

 

ナッジも仕掛学も、人がついそう考えてしまう思考とか、やってしまいがちな行動をわかったうえで、行動を変えていくための提案をしてくれる学問。とくに仕掛学は、ちょっと笑える楽しい仕掛けが多いのがうれしいところ。楽しさ、面白さに惹きつけられていくうち、知らず知らず良い行動を取れているなら言うことないですよね。

 

健診受診や口座振替を促進する自治体のナッジ

最後の登壇者は、地方自治体の業務にナッジを応用している横浜市職員・高橋勇太さんです。医療費が増大する中、多くの人に健診など予防行動をとってほしいのになかなか取ってくれない、という悶々とした思いを抱いていたところ、ナッジに出会って光が見えたそうです。地方行政にとってのナッジとは、「環境を整えたり、選択肢の提示の仕方を工夫することで、本人や社会にとって望ましい行動をしやすくする手法」だと説明する高橋さん。「選択肢の提示」という言葉を聞いて、そういえば、自治体から「〇〇のサービスを利用しませんか」というチラシを、よく受け取ることを思い出しました。読まずに捨ててしまったことが何度もありますが、人や社会がよくなるように設計されたサービスが使われないのは個人にも社会にとっても大きな損失です。コロナ対策もそうですが、行政とナッジは相性がよいことが納得できました。

 

横浜市では、1年半ほどの間に60もの事例にナッジを活用しているそうです。その中身も、省エネ行動の促進、ジェネリック医薬品の活用促進、健診の受診行動の促進、口座振替の促進、避難行動の促進、区民意識調査の回収率向上などなど、非常に幅広いのに驚きました。また、ナッジは費用対効果も高いそう。イギリスでは2010年、公共政策でナッジを推進するために世界初のナッジユニットが作られましたが、公衆衛生、消費者教育、エネルギー効率化など幅広い分野にナッジを活用した結果、2年間で運営にかかった経費の22倍の効果を出すのに成功したそうです。

 

意外だったのは、ナッジは体系化されているため導入しやすいというメリットです。高橋さんは、ナッジを実践する3ステップや、活用できるツールについて具体的に教えてくれました。

ナッジを実践する3つのステップ

ナッジを実践する3つのステップ

ナッジを活用するうえでよく利用されている、2種のフレームワーク。どちらも一般公開されている

ナッジを活用するうえでよく利用されている、2種のフレームワーク。どちらも一般公開されている

 

また、ナッジ導入でどの程度の効果が上がったのかも、具体例とともに紹介され、かなり説得力がありました。

 

高橋さんは、2019年、日本の自治体初のナッジの普及啓発、事例支援を行う「横浜市行動デザインチーム(YBiT)」を設立し、他の自治体でのユニット設立支援なども行っているそうです。全国の自治体は1700あるそうですが、行う業務には共通性があります。オンラインで全国の公務員の仲間とナッジについての研究会や情報交換をするようになり、いくつかの都市ではナッジユニットを作る動きも出てきたそうです。

 

こうして3人のパネリストの話を聞くうちに、「ナッジを知りたい、やってみたい」と背中を押された視聴者もいたのではないでしょうか。最後のパネルディスカッションでは、ナッジを導入する上でのヒントにつながる話も出ました。大竹先生は、「ナッジは、基本的にクリエイティビティはいらない。基本的な原則からチェックリストやプロセスフローに従って、いくつかのアイデアを自動的に出していけばいい」と説明。とはいえ、行動を妨げているボトルネックがどこにあるのか、いろんな仮説が考えられ、必ずしも効果が出る場合ばかりとは限らないとか。「やってみると、予測していなかったところにボトルネックがあるということがしばしば起こる」ので、事前検証で効果のあるものを探しながら実装していくといいそうです。松村先生も、「やってみないとわからないのは確か。特に仕掛学は、失敗を繰り返すのが大事」と話します。

 

予測通りにいかないこともあると聞いて、またホッとしてしまいました。行動を読まれてばかりだと、何となく悔しい気もします。その辺りも組み込んで、さらにナッジは進化していくのかもしれません。ナッジの可能性の大きさに触れつつ、今後は、行政からのメッセージを聞いてどのように感じるのか、行動するのかに注意してみるのも面白そうですね。

 

 

 

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