「オーディオアート」と聞くと、みなさんはどのようなものをイメージするでしょうか。メロディやハーモニーのある音楽とは異なり、ちょっと難しそうな印象をお持ちの方もいるのでは。私もそんなイメージを持っていた一人ですが、東洋学園大学で公開講座「オーディオアートの世界~電子音楽、サウンドコラージュ、フィールドレコーディング~」が行われると知り、実際のところはどのようなものか、視聴しました。
講師は電子音響音楽を専門とする音楽家で、日本電子音楽協会理事の渡辺愛先生です。
講座スライドより
意外に映像的、オーディオアート
渡辺先生によると、今回のテーマであるオーディオアートとは「録音された音」と「電子音楽」という二つの大きな流れが合わさってできたものだそうです。まずはサンプルとして、先生の曲を聴かせてもらいました。タイトルは『Tropical Travelogue』(2017年)。
どこからともなく響くホワンホワンという浮遊音、外国語の話し声、街中でおじさんが叫んでいるような声。クルマの音、クラクション、鳥の鳴き声、金属音、ピィーーンという電子音……。さまざまな音によってつくられた作品ですが、目を閉じて聴いているとまるで夢幻的な映画を見ているように、情景が目の前に浮かんでは消えていきます。
この作品は先生がマレーシアのペナン島に滞在し、島のあちこちでレコーダーを回して録った音を素材としたもの。ホワンホワンという浮遊音はシンセサイザーの音で、ペナン島で収録したフィールドレコーディングの音とともに使われています。
渡辺先生によると、このように録音された音とシンセサイザーの音を組み合わせて作られた作品が「電子音響音楽」と呼ばれます。わかりやすい呼び方だと「オーディオアート」。一方、シンセサイザーの音だけで作られた作品は「電子音楽」と呼ぶそう。渡辺先生の作品はメロディやビート、ハーモニーのようなものをあまり感じさせない実験的なものでしたが、例えばYMOやPerfumeなどメロディやハーモニーなどの要素がはっきりした作品も、広い意味で「電子音楽」だそうです。
新しい技術ができると、変わったことを考え出す人が現れる
こうした音楽の源流のひとつは録音という技術です。音声を記録し再生できるようになったのは、約150年前にエジソンらが蓄音機を開発してからのこと。録音がルポタージュや娯楽の新しい担い手となっていき、やがて音楽の鑑賞に堪えうる録音ができるようになると「録音技術を用いたアート、新しいクリエイションができないかと人々は考え出すようになったのです」と渡辺先生は言います。
ひとつの例として、ウォルター・ルートマンという人の音楽作品『Weekend』(1930年)が流れました。エンジン音にピアノやフルート、人の話し声、乗り物の音などが現れては消え、また別の音が現れ……。冒頭で聴いた先生の作品の原型に近いものを感じます。
音楽と呼ぶにはあまり音楽らしくない印象ですが、こうした作品は写真になぞらえて考えるとわかりやすいそうです。「写真という技術ができると、例えば写真を切り抜いて、畑の中にエッフェル塔が突っ込んでいるコラージュを作るなど、変わったことを考え出す人が必ず現れる。この録音技術についても、近いことがと言えると思います」
このジャンルの重要な作品が、フランスの国営ラジオ局に勤めていた音響技師、ピエール・シェフェールが生み出した『鍋のエチュード』(1948年)。こちらも講座で聴くことができました。
鍋を木でたたくような音や機械のうなり声のようなもの、人が何かを唱えているような音声が混ざりあい、やや不穏な雰囲気を醸し出しています。先に紹介してもらった『Weekend』と似ている気もしますが、なぜ “重要な作品”とされているのでしょうか。
「音の三大要素には高さ、大きさ、音色がありますが、その中でいちばんパラメータとして複雑なのが音色です。音色を音色たらしめる要因はいろいろありますが、その一つが、音が時間の経過とともにどのように変化するかを表したエンベロープというもの。
例えばピアノの音の形は立ち上がりがとても強く、だんだん減衰して消えていく。時間によるこうした変化が、ピアノがピアノらしい音色に聞こえる一つの要因です。変化として捉えることが大切なので、このうちコンマ一秒だけを切り取って何の音かと聞かれても、ピアノの音とは判断できません」
ピエールはラジオ局の一角でいろいろな実験を行った結果、ピアノの音が減衰していく終わりの方を切り取ってループさせるとフルートのような音がする、というように、音の切り取り方によってまったく違った音に生まれ変わることを発見。音が何からどう出ているかという文脈から切り離して、音を加工して作られたのが『鍋のエチュード』なのだそうです。
アメリカでラジオ放送が始まったのは1920年ですが、その草創期からこうした実験的な音響作品が放送されていて、ドイツ語でヘールシュピール(聴く遊び)と呼ばれていたとのこと。
「一般的には、パリーンと音がしたら、『あっ、何か割れた』などと思うんじゃないでしょうか。一方、シュピールのおすすめした聞き方は、このように音の原因や意味にできるだけとらわれず、物理現象としての音のなりたちを聴こうというもの。パリーンという音は、たとえば “高音で残響の多い単発音”となります」
まるで計測機器のような聴き方に思えますが、いろいろな音を切ったり貼ったりして遊びたくなる気持ちはわかる気がします。このように音を加工して再編成された音響作品は「ミュジック・コンクレート」とよばれ、またたくまに世界に広がっていったそうです。
シェフェールが提唱したのは音をもとの文脈から切り離し、完全に対象(オブジェ)として聞こうとする態度ですが、これに対し、ある時は音を物理的なとしてフォーカスし、ある時はもとの音のイメージを包み込む、両方の聞き方があっていいという音楽をめざしたのがリュック・フェラーリという人。このタイプの音楽もミュジック・コンクレートの一ジャンルとなっているそうです。
電子音響音楽に求められる“基礎力”とは?
音の素材の内容にとらわれないというならピアノの音でも、道路の音でもなんでもいい。なんでもいいなら自然や社会から発せられた音でなくてもいい。つまり「電子音でもいい」というわけで、電子音響音楽のもう一つの源流、電子音楽についても紹介がありました。
ラジオの開局と同じ年に発明された電子楽器「テルミン」、シンセサイザーだけでバッハの曲を再現したウェンディ・カルロス。そして講座の終盤には、電子音響音楽をコンサートで上演するための立体音響装置「アクースモニウム」の紹介がありました。
講座スライドより、アクースモニウム(立体音響装置)を操作する渡辺先生。コンサート会場に複数のスピーカーを配置し、それぞれの音量を調整する
講座スライドより。野外でのアクースモニウムの例
講座ではさまざまな作品やアーティストの紹介がありましたが、講座後に検索して聴いたドイツの作曲家シュトックハウゼンによる『少年の歌』など、一度耳にしたら忘れられない印象でした。
講座での質疑応答でも興味深いやりとりが行われました。その一つが、このジャンルでの「基礎力」とはどういうものか?というもの。通常の楽器演奏においては基礎的な演奏技術が必要とされますが、今回紹介されたような電子音響音楽(オーディオアート)で求められるベースとはどういうもので、何が評価の対象になるのでしょうか。
渡辺先生は「音楽は時間芸術なので、ある時間の中に音の様相をどう置くか、時間をどう操作するのかが評価の対象となります。たとえばある素材が作品の中で発展し、そこに突然裏切りの表現が生まれるとき、そのタイミングが絶妙というように、時間の中での音楽的なストーリーの作り方が重要。芸術的な価値のある作品を作るためにはいろんな人の曲を聞いたり分析したり、コンセプトを考えたりしてその感覚を鍛えることが基礎力となります」。
また、最終的には録音によって作品が完成するため、狙った音をうまく録る技術、音のクオリティはもちろん重視されるとのことです。
講座の前半で聴かせてもらった『Weekend』という作品は「映像のない耳のための映画」として映画館でも “上映”されたそうですが、今回の講座では、耳のための映画を聴く新しいチャンネルを自分の中に作ったような感覚があります。
近年はパソコンを使って手軽に音楽を作ることができるようになり、小学生にこうしたソフトを渡すと、自由に音をコラージュしておもしろい音楽を作るのだとか。そんな話を聞きながら、自分もちょっと体験してみたい気がした講座でした。