こんな間近で蒸気機関車の走る姿を見ることができるなんて!日本工業大学の工業技術博物館にお邪魔した日は、蒸気機関車の永久動態保存のためにキャンパス内の軌道を走行する特別な日(不定期)。その雄姿を見ようと、子どもからおとなまで多くの人が集まっていました。
出迎えてくれたのは1891年に英国で作られ、日本に輸入され明治時代から昭和30年代まで日本鉄道、国鉄、西濃鉄道、大井川鐵道で活躍していたご長寿蒸気機関車。マニアじゃなくても感動です。この日本工業大学の工業技術博物館、「国で管理する博物館に」というお話しもあったとか。蒸気機関車も気になるし、工業技術博物館には何があるの?一気に興味が湧いてきました。
こんなに大きいのに、ここに展示されているのは収蔵品の一部とか。別の場所にも保管されていて、希望があればそちらの見学も可能。
エントランスを抜けるとオイルの香り…工業技術博物館は国内の大学附属施設としては屈指の広さを誇り、日本の産業発展に貢献してきた明治初期からの工作機械(機械を作るための機械:マザーマシン)など歴史的名機400点以上が展示されていました。
国の登録有形文化財に178点、近代化産業遺産に63点が登録。しかも展示品の約7割を動態保存しているというから驚きです。いまも稼働できるから、館内にオイルの香りが漂っていたんですね。
広い!国産初の飛行機を目指し日本工業大学の前身・東京工科学校で組み立てられた「日野式2号飛行機」(復元)などの歴史的価値の高い展示物が並ぶ。
館内は明治から昭和30年代まで実際に稼働していた「東京の町工場」も忠実に再現されていました。100年以上に渡って技術者たちに手厚いメンテナンスを受けてきた重厚感のある機械、それはいまも黒く美しい輝きを放っている。全身に衝撃が走るような大きな音と振動、古いんだけど精美な機械が目の前で動く姿は圧巻です。
工業技術博物館が自社の機械・製品を展示することの多い企業の博物館と異なるのは、時代やメーカーが違う機械を同時に見学できること。欧米から輸入した機械を見本に日本人技術者が独自に作りだした、そんな機械の進化もわかるんです。見応えたっぷりの工業技術博物館、代表的なものをご紹介しましょう。
昭和初期の典型的な町工場「植原鉄工所」
ここは「梅ちゃん先生」のロケが行なわれた知る人ぞ知る朝ドラ聖地! 1907年(明治40年)創業の「植原鉄工所」を実測に基づき工場建屋から忠実に復元、もちろん機械は当時のもの。5馬力の電動機1台で旋盤、枝ボール盤、型削り盤などが駆動される光景は迫力満点です。
日本初の近代的工作機械を製作「池貝鉄工所」
1889年(明治22年)に創業した「池貝鉄工所(現・株式会社 池貝)」の手回し動力装置付き旋盤。動力は人力で手回しによるフライホイール。五十年史の挿し絵をもとに復元されました。
国家プロジェクトとして開発された巨大ガスタービン
1978年から10年の歳月をかけて開発が行なわれ、日本のガスタービン技術の発展と普及に貢献したレヒートガスタービン AGTJ-100形。発電機と始動装置は外してあっても、全長21m!
明治時代に鉄道会社で使われていた車輪旋盤
走行による摩擦や損傷により真円度が悪くなった鉄道の車輪を取り外して加工する旋盤。イギリス製で1905年頃から1994年まで鉄道会社で長らく活躍。
昭和時代に小形歯車の量産に使われたホブ盤
国産機の出現が待たれていた時代、昭和初期に輸入されたスイスのミクロン社製(左)、戦前の浜井機械器具製作所(中央)、同じく浜井の足を箱形に改良されたもの(右)。精密ホブ盤の進化がわかります。
6種類の自動車用歯車を大量生産する6軸ホブ盤
メリーゴーランドを思わせる、直径3m、高さ3.3mの1959年(昭和34年)米国製の大型工作機械。産業設備の合理的近代化が進んでいた当時、本田技研工業が設置したうちの1台。6種類の自動車用歯車を1日5000個加工。
ガラス製水銀整流器
群馬・上毛電気鉄道の赤城変電所で電車への直流供給に使われていたガラス製水銀整流器。日本電池株式会社(現・株式会社GSユアサ)による1961年製造のもので、いまも青く美しい光を放っています。
初期の多機能工作機械:マシニングセンタ
1958年にアメリカでそれまでの工作機械の概念を覆す新しい発想から開発されたMC(マニシングセンタ)。当時、生産工場に改革をもたらし大きな反響を呼んだそうです。
博物館の方にお話しを伺っていると、たくさんの機械と技術が日本のものづくりを支えてきたんだなぁと、工作機械の素人にも感慨深いものがありました。明治から現代にいたる貴重な工作機械と歴史的価値の高い展示品、走る蒸気機関車を見学に日本工業大学の工業技術博物館へ、ぜひ足を運んでみてください。