普段めったに出会うことのない希少な生き物たち。身近にいるはずなのに、誰にも振り返られなかった生き物たち――。そんな「文字通り珍しい生き物」「実は詳しく知られていない生き物」の研究者にお話を伺う連載企画「珍獣図鑑」。
研究者たちはその生き物といかに遭遇し、どこに魅了され、どんな風に付き合っているのか。もちろん、基本的な生態や最新の研究成果も。生き物たちと研究者たちの交流が織りなす、驚きと発見の世界に誘います。
第2回目は「ナメクジ×宇高寛子助教(京都大学大学院)」です。(編集部)
直接被害を受けたことは無くても、そのヌメッとしたビジュアルから「気持ち悪い」と嫌われがちなナメクジ。ところでナメクジのことどのくらい知っている?カタツムリとはどういう関係?と聞かれたら…答えに窮するという人も少なくないのではないだろうか。
実際、これほど身近なのに、日本での研究者は少ないという。
今回は、ナメクジの生活史を中心に研究する、京都大学大学院の宇高寛子助教にお話を伺った。
きっかけは受動的。だけど未知なる道の開拓は面白い
なぜまたナメクジの研究を?そう幾度となく訊かれてきただろう。さらに専門で研究しているとなると、よほどのナメクジ好きかと思いきや、「取り立てて好きなわけでもない」とクールなご回答。
「もともとは獣医になりたかったんですよ。だけど数学が苦手だったことに加え、勉強のために動物を殺すこともあると知って断念しました。結局は経済学部に進学したんですが、ちょうど編入学が流行りだした頃で。調べてみると生物系にも進めることがわかり、やっぱり生き物を研究してみたいと大阪市立大学の理学部生物学科へ編入したんです。昆虫の研究室に入ったところ、研究例も少ないし、飼うのも簡単だからと、卒業研究のテーマとして勧められたのがナメクジでした。
昔から昆虫や金魚、哺乳類を飼っていましたが、飼育がすごく得意だと思った記憶がなく、ナメクジへの嫌悪感もなかったので、自分に合いそうだなと。実際は簡単じゃなかったですけどね(笑)。飼育容器につく粘液は洗剤でも落ちにくいし、学生時代の研究室は冷たい水しか出なかったので余計に…。条件を変えて実験するため1,000匹ほど飼育していたので、冬場は地獄でしたよ」
「鳥の研究も考えたがフィールド調査がハードすぎて無理だと思った」と宇高さん
燃えたぎるナメクジ愛の持ち主だと予想していたので驚いた。とはいえ、消去法的な理由ではあったものの、20年近くも研究を続けているからには、のめり込む何かがあったはず。
「卒業研究のときは全然わかっていなくて、割と不真面目で…自分の論文は他の人と比べて薄かったんですよ。それで改心を(笑)。編入学で生物学を学ぶ期間が短かったのもあって、修士課程には進むつもりでしたからね。いざ真剣に向き合うと、きちんとデータも出るし、次の疑問もわいてくる。日本にナメクジの研究者が少ない分、参考にできる資料も古かったり、曖昧だったりするんですよね。だからこそ、自分が新しい発見をしていける面白さがありました」
研究室のナメクジたち
実はカタツムリの進化版? 近年、日本デビューした種も…
日本でナメクジを専門に研究している人はごくわずか。「調査対象にされることはあっても、本命はカタツムリという人もいる」とのことだが、そもそもカタツムリとの違いって?
「どちらも海の巻貝を祖先とする陸貝で、基本的には同じ構造。大きくは殻があるかないかの違いです。海から陸に上がってきた時点で別種だった可能性も否定できませんが、自ら入れないほど殻が小さいカタツムリもいますし、カタツムリが殻を退化させたものがナメクジだと考えるほうが自然でしょう。
殻の材料になる炭酸カルシウムは、海ならいくらでもありますが、陸上だと多く継続的に摂るのが難しい。退化させる利点はそこにあったんじゃないかと考えられます」
なるほど。あの質感、巻貝の中身っぽさもある。だから湿ったところが好きなのか。
「とはいえ肺呼吸なので、水に浸かりすぎると溺れます。ナメクジを飼育している農薬会社さんなどから、『すぐ死ぬんです』と相談されることがありますが、だいたいは水気が多すぎる。ジメジメは好きでもベチョベチョはだめなんです。
ちなみにナメクジの呼吸孔は、種別に関係なく体の右側についています。その近くにある生殖孔も右側。カタツムリの場合は左側にあるものもいますが、ナメクジはどれも右側。生息環境や行動なんかは意外に多様なんですけどね」
丸で囲んだあたりに小さな呼吸孔が空いている
そういえば、ナメクジに違いがあるなんて意識したことがなかった。日本にも何種類かいるんだろうか。
「現在、日本にいるナメクジは2つに大別できます。体の前3分の1くらいのところに継ぎ目のある外来種のコウラナメクジ科と、継ぎ目のない在来種のナメクジ科。外来種は移入してきただけあって、在来種よりも乾燥に強い傾向にあります。
現在最も多く見られるのが、70年ほど前から見られるようになった外来種のチャコウラナメクジで、日本全国、都会にも分布しています。それ以前に一般的だったのが在来種の、いわゆるナメクジ。今でも田舎のほうへ行くと見られますし、うち(京都大学)のキャンパスでも山に近いところには生息しています。
たまに年配の方から『子どもの頃に見たナメクジは灰色だったけど、気づいたら茶色っぽくなっていた』と聞くこともありますが、実は別の種類というわけです」
在来のナメクジ
チャコウラナメクジ。兜をかぶっているかのように、体の前方につなぎ目がある
確かに並べて見れば違う種類とわかる。しかし片方ずつ目にしただけでは、別種ものもとは気づけそうにない。
「もっと山のほうに行ってたまに見るのが、大きな在来種のヤマナメクジで、伸びると20cm以上になるものも。そのほか畑などでわずかに見られる、小さくて黒っぽい外来種のノハラナメクジもいます。
そして、近年になって移入してきたのがマダラコウラナメクジ。ヨーロッパが原産の外来種で、日本では2006年に茨城県で初めて発見されました。背面にマダラ模様があり、最大で15cmほどにまで成長します」
ヤマナメクジ
マダラコウラナメクジ。体の前方につなぎ目がある。右側面に呼吸孔も見える
生活史の研究成果が、駆除に役立った…心中は複雑?
宇高さんが長く研究テーマにしてきたのは、ナメクジの生活史。とくにチャコウラナメクジについては、光周期と温度が成長や性成熟におよぼす影響なども調べてきたという。
「ナメクジは梅雨の時季によく見かけるでしょう。だから以前は繁殖期もその頃だと考えられていましたが、研究の結果、最初に性成熟するのは秋頃だとわかりました。10月頃から3月頃までの間に卵を産み、気候が良ければ1~2カ月間で孵化するため、5~6月に多く現れていたのは未成熟な子どもたちだったわけです」
多くの生物同様、ナメクジも成長につれ淘汰されていくと考えれば、目にする多くが成体ではなかったという事実も頷ける。
「ナメクジは夜行性だから昼間に探しても見つけづらいんです。駆除をしたい農家さんたちは、目にするようになる梅雨時季に農薬をまいていたようですが、それはすでに産卵も終わって孵化した後なのです。そこで、性成熟する頃に農薬をまいたところ、翌年からほとんど出なくなったという喜びの声をいただきました。生活史を知りたくて進めた研究の成果が、効率よく退治するのに役立ったというわけです」
そうか、ナメクジは害虫だったか。…とはいえ、ナメクジが与える害ってなんだろう? やはり食害?
「ものによっては食べることもありますが、アブラムシやカメムシなど昆虫による食害のほうがよっぽど大きいです。ナメクジは不快害虫。居ること自体が害になるとされます。葉物野菜に一回入ると居続けてしまいますし、果物などに這い跡がつくと商品価値がなくなってしまう。農業における被害は深刻です。
ただ、一般家庭での被害は、やはり『気持ち悪さ』が大半。庭の花やハーブを食べるからとも言われますが、本当にナメクジが犯人かどうかわからない。跡がついていたって、カタツムリかもしれないのに。殻があるだけで、向こうは結構な人気がありますからね」
研究対象が嫌われ者だというのはなんとも複雑…なのではないかという気がするが、どんな気持ちなのだろう。
「まぁ、好きでも嫌いでもないですしね…。よく家で飼っているんですかと訊かれますが、愛玩はしません。解剖もしますし、ドライなビジネス上の関係です。ただ、いなくなると研究もできませんから。
キャンパス内でも定期的に採っているんですが、たまに敷地内の一斉清掃があるんですよね。普段あまり人がこないところは落ち葉が溜まっていたり、ブルーシートぐちゃぐちゃになっていたりと、ナメクジの生息に適した環境になっているんですが、それが清掃されてキレイさっぱりなくなるという、思わぬ採集地の破壊に遭うこともあります(笑)」
知ることでマイナスイメージがプラスになるのも魅力
とはいえ、ちょっぴりツンデレなような…。やはり多少は愛着をもっているでしょう。胸元のブローチ、モチーフはマダラコウラナメクジなのでは!?
「よく気づかれましたね! マダラコウラナメクジが交尾をしている様子です。欧米の人たちはナメクジに対して日本人ほど抵抗はないようですし、こういうものがアクセサリーになったりもするので、文化の違いを感じます。
カリフォルニアにはバナナナメクジをマスコットキャラクターにした大学があるんですよ。アメリカって、その地域に棲む生き物をシンボルにするところが多いですが、日本じゃまずナメクジは選ばないでしょう」
マダラコウラナメクジのブローチ。交尾の様子がモチーフ
確かにその発想はなかった。交尾シーンも神々しくアクセサリーにされているようだし…って、これが交尾??
「この青く飛び出している部分が陰茎です。マダラコウラナメクジは粘液を使って木の枝などにぶら下がり、体と陰茎を絡ませ合いながら降りてきて、交尾が終わると下に落ちるんです。大抵の種は交尾孔同士を近づけ、陰茎を少し出して合わせたらジッとくっつくだけなんですけど、マダラコウラナメクジはなぜか激しい。なんでそんな複雑なことをするのかは、まだわかりません。
バナナナメクジの場合は交尾の際に、相手の陰茎を噛むことがあって、ときどき傷のついている個体がいるそうです。雌雄同体とはいっても、他の個体から精子を受精して卵を産みますからね。傷つけ合えば精子をもらえないでしょうに、そんなことをする利点は解明されていないんですよ」
同じナメクジでも、こんなにも交尾行動に差があるとは。詳しく見れば、それぞれの種に個性があって面白そうだ。
「欧米にはオレンジや黒っぽいものや青っぽいもの、オーストラリアにはショッキングピンクや白っぽいものがいるなど、色もさまざまなんですよ。
何も考えていなさそうに見えますが、行動も種によって複雑だったり、嗅覚で餌の在りかを覚えるなど、比較的学習ができて賢かったりするんですよ。生活場所も含め、いろんな面で案外、多様な生き物だというのが魅力の一つ。
あまりよく知られていない分、お伝えしたときにイメージが変わりやすいのも、研究者としては面白い。案外かわいいんですねとか、案外複雑なんですねとか、頭に“案外”がつきますが(笑)。やっぱり興味をもってもらえると、うれしいですね」
バナナナメクジ〔撮影・提供:宇高寛子〕
「ナメクジ捜査網」で、日本における分布状況を明らかに
現在は、日本におけるマダラコウラナメクジの分布状況についても研究している宇高さん。全国的に調査するため一般の方々に協力を求めようと、2015年に「ナメクジ捜査網」というプロジェクトを立ち上げた。
「マダラコウラナメクジが継続して見られているのは、まだ北海道、福島、長野、茨城ぐらいです。なんせ研究者がいないので、どこまで広がっているのかわからない。だからWebサイトやSNSで呼びかけ、主にメールで目撃情報を提供してもらいましたが…送る負担が大きいですよね。そこで、撮った写真のアップロードと場所の入力だけで済むようなシステムを構築しようと、クラウドファンディングで支援を募集しました。おかげさまで目標金額を達成し、準備を進めています」
分布は年月とともに変化していくもの。新しいサイトでは、マダラコウラナメクジに限らず、あらゆるナメクジの目撃情報を集めたいという。
「実はほかの種の分布状況も、まだはっきりとはわかっていないんですよ。ヤマナメクジの分布なんて図鑑にも『北海道と本州』ぐらいアバウトに紹介されていますし、全国に分布するチャコウラナメクジも地域によって多い少ないがあるでしょう。長い目で見れば、さまざまな種の分布変化が見え、思わぬ種が見つかる可能性だってあると思います」
新奇なものに対する興味が研究へのモチベーションになることは多い。それゆえ逆に、身近すぎる生物は、意外と手がつけられていないこともあるのだという。
「分類学は生物学の基盤ですが、ナメクジはそれすらも曖昧です。実際、論文を読むと、この著者は書いてある学名とは違う種の話をしてるんじゃないか?と思うこともあるぐらいです。
このシステムが上手くいけば、研究者が少ない別の分野にも応用できるかもしれません。ぜひともたくさんの方にご協力いただき、日本のナメクジの分布や種構成がどのように変化するのかを明らかにしていきたいですね」
マダラコウラナメクジ
【珍獣図鑑 生態メモ】ナメクジ
陸に生息する巻貝(軟体動物門 腹足綱)のうち、殻が退化した種の総称。ナメクジ科、コウラナメクジ科などが含まれ、分類学的にはカタツムリの一種とも言える。上2本の大触角では視覚と嗅覚、下2本の小触角では嗅覚と味覚を得るが、夜行性で視覚は明暗がわかる程度。多くは嗅覚によって行動する。