前編(国境を越えた学者のこころ「メタセコイア物語」(前編))ではメタセコイア発見に隠された壮大な物語をご紹介いたしました。後編の今回は発見されたメタセコイアがどのようにして普及していったのかをお話します。
一時は絶滅していたと考えられ「生きている化石」と呼ばれるメタセコイアが全国各地で植えられている謎を解明します。
メタセコイアの普及
大阪市立大学杉本キャンパスのメタセコイア
田中記念館の側に設置されている看板は「メタセコイアと文化創造」の著者である岡野 浩氏と塚腰 実氏が執筆
これが「生きている化石」と呼ばれるメタセコイアです。成長するととても高くなり、円錐型の樹形部分が美しいメタセコイア。秋には紅葉を楽しむこともできます。では、なぜこんなにもたくさんのメタセコイアが植えられているのでしょうか。
メタセコイアが発見された際、胡博士はアメリカの植物学者であるチェイニー氏に調査の結果を報告し、そのときにメタセコイアの種子も送っていました。それをはじまりに、世界の研究者にメタセコイアが広まっていったのです。日本に最初に送られてきた苗木は、昭和天皇に贈られたものだそうで、今もまだ皇居で育成されています。
チェイニー氏は中国の原生地以外でもメタセコイアの保存を考え「中国に似た気候の日本でもメタセコイアの保存組織をつくって苗木を育成してほしい」と三木博士に申し入れをしました。三木博士はその申し入れに応えるべく、メタセコイア保存会を設立し、1950年に100本の苗木を受け取りました。(メタセコイア保存会の事務局は、大阪市立大学理学部附属植物園にありました。)
その100本のうちの1本が大阪府交野市にある大阪市立大学理学部附属植物園で、今も育成されています。
大阪市立大学理学部附属植物園に残る100本のうちの1本
看板を目印にみなさんも探してみてください
メタセコイア保存会を通し、全国各地へ領布されたメタセコイアは各地で挿し木などで増え続けていきました。
また、街路樹ではなく、学校の校庭にメタセコイアが植えられているのを見たことがある! という方も多いかもしれません。それにもちゃんと理由があります。1952年から1954年にかけて、大阪書籍が教科書を採択した学校にメタセコイアの苗木を寄贈する…という取組みを行ったからです。その数、なんと11,396本分!(当時のメタセコイア保存会の会計簿より推定された数です。この数は教科書採択数以外の数も含まれています。)
こうして普及を続けたメタセコイアは現在日本各地で確認できるようになりました。先ほど100本の内の1本が残る場所としてご紹介した大阪市立大学理学部附属植物園で、美しいメタセコイアの並木を見ることができます。四季に応じて美しい景色を楽しませてくれるメタセコイア。ぜひご自身の目でご覧になってください。
春のメタセコイア
夏のメタセコイア
秋のメタセコイア
冬のメタセコイア
メタセコイアだけじゃない!大阪市立大学理学部附属植物園の魅力
今回ご協力いただいた大阪市立大学理学部附属植物園はメタセコイア以外にも見所が満載です! 最後にその一部をご紹介しましょう。
・樹林型
まるで山の中を歩いているような気分になる樹林型エリア。日本の代表的な11種類の森の形(樹林型)を再現展示しています。そのことを意識しながら歩くと、より一層楽しめます。
・日本産樹木見本園
園内の坂を利用し、垂直分布に沿って樹林が植えられています。常緑樹が多く、冬でも緑が楽しめますよ!
・大クスノキ
大阪市立大学理学部附属植物園のシンボルツリーとなっている大きなクスノキ。なんと推定樹齢は100年! 真夏でも木陰が涼しいので休憩スポットとしていかがでしょうか。
・ヌマスギ
大阪市立大学理学部附属植物園の飯野園長がラッキースポットとして推しているのがこちらのヌマスギ。ぜひ探してみてください。
この他にも桜やツツジ、ユリノキなどさまざまな植物を観察することができます。季節ごとに見頃な植物をゆっくり見れるよう、園内に設置されているベンチの場所が変わるんだそう。また運が良ければリスを見かけることもあるのだとか。
お弁当などの持ち込みも可能なので、ご家族でのおでかけや、デートにもいいですよ~!