「紙の電子ペーパー」という、「頭痛が痛い」みたいなタイトルが気になる。電子ペーパーとは、紙のように見やすく持ち運びが可能でありながら、電気的な手段でデータの表示や消去ができるディスプレイ技術のこと。大阪大学産業科学研究所・古賀大尚准教授が、紙にできないことができる電子ペーパーを紙でつくることに成功したと聞き、その不思議な研究の中身をうかがいに行った。
なぜ今、紙の電子媒体なのか?
電子ペーパーを使う代表的な端末としては、アマゾンのKindleなどが有名な電子書籍リーダーがある。ソニーもPDF文書を読み込み、タッチペンを使って手書きで書き込める電子ペーパー端末を出している。スマートフォンやタブレットでも同じようなことができるが、電子ペーパーはバックライトがなくて目に優しく、視認性も高い。薄く軽いのも特長だろう。
古賀先生は今回、紙製のディスプレイに、電子書籍リーダーと同じメカニズムで表示ができる基礎原理を確立した。ゆくゆくは紙でできたKindleのようなデバイスも実現可能な技術だ。しかし、そもそも紙はかさばるし重いしみたいなことで、電子媒体にとって変わられているはず。ペーパーレス化が進む中で、今なぜ、紙で電子媒体を作る必要があるのだろうか。
「次世代の情報媒体として、もっと軽く、折りたたんで運べるようなもの、つまりフレキシブルでウェアラブルなものに、というニーズがあります。紙という素材は、どこまで折り曲げても耐えるというフレキシビリティがあり、折りたたんでも電気を流し続けることが可能で、プラスチックやガラスに十分勝てるところまで到達しています」。
紙の可能性について語る古賀大尚准教授
紙の「記録」機能でなく、素材としての機能に着目したというわけだ。また、紙は、持続生産が可能な点も重要なポイントだと先生は言う。
「現在、電子デバイスは非常に普及が進んでおり、途上国にも行き渡るようになりました。今後さらに世界中にばらまかれていくであろう電子デバイスに、資源やエコの視点から見て、今のように金属や石油材料をいつまでも使い続けるわけにはいかないでしょう」。
しかし、紙の原料である木を伐採し続けて大丈夫なのか。森林資源は枯渇しないのだろうか。
「森林伐採が悪のように言われていますが、森林資源は計画的に使うと枯渇することもなく持続的に循環できます。木は年をとるとCO2を吸いにくくなってくるので、そういった木を切って使い、新しく植え直すという循環システムがむしろ必要とされています。木は世界中に普遍的にある再生産可能な植物なので、資源という面で圧倒的なアドバンテージがあります」。
さらに、紙ならリサイクルも可能だし、生分解性の点でもエコ優等生だ。どうやら、人類はペーパーレス化している場合ではないかもしれない。
カギを握る透明な紙と紙漉き技術
とはいえ、紙はプラスチックやガラスと違って透明じゃないし、もちろん電気も通さないし、電子ペーパーにはいかにも向いていなさそう。紙でできないところをどう乗り越えたかが、今回の開発のカギである。
電子ペーパーにはさまざまな方式があるが、取り入れたのはエレクトロクロミック方式という技術だ。
従来であれば、電気を使って消色状態と着色状態を自由に切り替えられるエレクトロミック材料のほか、ガラスやプラスチックなどでできた透明な電極、材料を固定するシールなど、さまざまな素材が必要だが、古賀先生が挑んだのは、これらを全部紙ベースで作ってしまおうという試みだ。
まず、透明な電極を実現するには、ガラスやプラスチックのような透明な紙が必要だ。普通の紙は白い(パルプ繊維が太く、顕微鏡レベルでは隙間ができているため、この隙間に入った光が反射したり散乱したりして光が透過しないので白く見えるのだという)。
これを、セルロースナノファイバーという普通のパルプ繊維の1/1000の細さの原料を使って作ると、隙間がなくなって光が透過し、透明に見える紙ができる。見た目は薄いビニールのようだが性質は紙のままで、折ることもできるしちぎることもできる。
これが透明の紙!同研究室の能木雅也教授らが開発した
メモリも紙を使って作ることで、軽くて折り曲げられ、再生可能なものに
電気を流すと色が変わるというエレクトロクロミック材料は、この透明な紙に薄く塗るのだが、ここにも独自の技術がある。伝統的な紙漉きの原理を、導電材料を塗るのにも応用。均質に塗ることに成功した。
ろ過をするようにして均質に塗ることができる
さらに、普通なら液体の電解質層も紙で実現する。水と油に続く第三の液体と言われるイオン液体を紙に塗り、イオン導電性を持った紙を作った。塗り方にも工夫をし、漏れもしないし蒸発もしない、電解質層が出来上がった。尚、この部分に使ったのは、白い紙。色の変わり具合が分かりやすいからだ。
(イルカのイラストが電気を通すと浮かび上がる)
こうして白い紙を透明な紙2枚で挟んだ3層の紙による、電子ペーパーの基本原理が完成した。
「電子書籍としてつくるのであれば、表示するディスプレイだけでなく、データ通信のアンテナ、メモリ、電源、電池などが必要です。そうした部材も、すでに紙ベースで開発済みです」
紙の電子書籍が登場する日も、そう遠くはなさそうなのだ。
デバイスを廃品回収に出す
「今までの材料の代わりに紙を使う、というつもりはありません。紙ならではの長所が感じられ、本当に使いたいと思ってもらえるようなものを目指しています」と古賀先生。競合のものと同じか、あるいは勝つぐらいの性能に加えて、紙の気持ちよい手触りとか、リサイクルしやすさなどのメリットがプラスされたものでないとつくる意味はない、ということだ。
「紙のデバイスを、新聞のように廃品回収に出すのもいいかもしれない。一生使うのでなく、使い捨てというか、リサイクルしてパルプに戻すといった使い方が紙らしい。紙ベースのメモリについては、土に埋め分解されたのもすでに確認しています」。
古賀先生は農学部出身で、燃料電池の原料である水素の生産や自動車排ガスの浄化を紙で行う研究に携わり、一部実用化につなげた経験を持つ。研究をしながら紙のすごさに気づき、紙の素晴らしさを伝えたいと考えるようになった。紙を対象にした幅広いアプローチを行っており、デバイスだけでなく、他にも医薬品をつくる紙などさまざまなテーマに挑戦しているという。
研究室にて学生に指導する古賀先生
「紙は、まだまだ大きなポテンシャルを秘めた素材です。ペーパーレス化という流れができているのは、用途や機能が限定されてしまっているからに過ぎません。紙は、人や環境に抜群にやさしい素材です。真に魅力的な機能を生み出して、新しい時代に不可欠なグリーンイノベーションに貢献したいと思います」。
起源はエジプト文明という歴史の古い「紙」は、現代までずっと情報記録媒体として使われてきた。しかし、ここへ来て、紙の新たな機能を見出す研究が盛んに行われだしているという。紙のリノベーションはどこまで行くのか、大いに期待したい。