琵琶湖といえば、日本で一番大きな湖。そんな琵琶湖が「深呼吸」していることをご存知でしょうか。なんでも、1年かけて行われる琵琶湖の深呼吸は、湖に住む生き物たちはもちろん、私たち人間にも関わる話なのだとか……?
そこで今回は、長年琵琶湖の生態を調査しておられる石川俊之先生(滋賀大学教育学部 教授)に、「琵琶湖の深呼吸」とはいったい何なのか、生き物にとってなぜそれが大切なのかをお聞きしました。
生き物は、周囲との関係の中で生きている
―― 石川先生のご専門は湖沼生態学とのことですが、どのようなことを研究されているのですか?
「生態学」というのは生物学の一分野で、生き物が周りの自然環境とどのような関係にあるのか、あるいはほかの生き物とどのように関わっているのかを調べる学問です。
小学校や中学校の理科の教科書に載っている、「どの生き物がどの生き物を食べているのか」という話も生態学の一つですね。私はそういった研究を、琵琶湖のような湖沼をフィールドにして行っています。
湖には本当にいろいろな生き物がいるんですよ。多くの人がまず思い浮かべるのはお魚でしょう。ミジンコやエビ、貝なんかをイメージする人もいるかもしれませんね。その中で私が専門にしているのは、湖の底に住んでいる生き物です。少し前までは、琵琶湖に住んでいる「スジエビ」というエビの研究をしていました。
今は、もっといろいろな生き物を研究対象として、「この生き物はどんな場所にいるのかな」「あの生き物はどんな餌を食べているのかな」というふうに、様々な角度から周囲との関係を探っています。
琵琶湖の生態調査をする石川研究室のメンバー
大きいだけじゃない!生き物から見る琵琶湖のすごさ
―― 琵琶湖の深呼吸についてお聞きする前に、そもそも琵琶湖とはどのような湖なのか教えていただけますか?
まず、琵琶湖が生き物にとってどのような湖かを考えてみましょう。私たち日本人にとって、琵琶湖といえば「大きい湖」ですよね。でも実は、琵琶湖にはもう一つ大きな特徴があります。それは、「非常に古くからある湖だ」ということです。
琵琶湖は、世界でも有数の歴史を持つ湖だと考えられています。日本列島に初めて人類が到達したのが数万年前だと言われているのですが、そのとき琵琶湖は、もうすでに現在のような形をしていたと考えられているんですよ。
―― なぜ琵琶湖は、そんなに古くから存続できているのでしょうか。
その秘密は、湖の成り立ちにあります。地球にある多くの湖は、川がせき止められたり、火山が爆発したあとに水が溜まったりしてできます。ほかに、氷河が地面を削ったあとに水が溜まることもありますね。このような一般的な湖は、だんだん土砂が堆積して、1万年程度で消えてしまうのが普通です。
いっぽう琵琶湖は、よく地震のニュースで聞く「プレート」の動きによってできた湖です。プレートが動いて山が作られたり、谷が作られたりするなかで、琵琶湖が生まれました。京都と滋賀の境目にある比叡山からもう少し北に行くと、比良山系という連峰があるのですが、あの山々がちょうど地面が動いてできた山の部分で、谷の部分にあたるのが琵琶湖なんですよ。
琵琶湖は、このように地質的な長い歴史の中で作られた水たまりなので、なかなか消えません。というのもプレートは、一回動いてそれで終わりではなく、少しずつ地球上を動き続けています。その動きによって少しずつ埋まったり、また深くなったりを繰り返しながら、人類の歴史よりも長い間、水をたたえている。琵琶湖は、そういう湖です。
―― なるほど。その歴史の古さが、生き物にとって重要なのですか?
その通りです。琵琶湖は非常に長い間、水たまりであり続けているので、古くからの生き物が琵琶湖で生き残ったり、そこで別の種に独自の進化を遂げたりするということが知られています。
つまり、琵琶湖にしかいない種がいくつもいる、というのが、生き物について見たときの琵琶湖の一つめの特徴です。たとえば、滋賀県の名物「ふなずし」に使われる「ニゴロブナ」という魚も、琵琶湖の固有種です。ほかには、「ビワマス」という魚が最近すごくクローズアップされていますね。サケの仲間で、上質な脂がおいしいと人気です。
琵琶湖の固有種ニゴロブナとそれを加工した「ふなずし」 (出典:[右]wikimedia commons / [左]Photo AC)
ビワマスのお造り(提供:Tatsuya Okuda)
そして実はこのビワマスから、生き物から見た琵琶湖のもう一つの特徴が見えてきます。ビワマスはサケの仲間なんですが、サケといえば、寒い地方に住む魚というイメージがありませんか?実際に世界の分布を見ても、サケの仲間はやっぱり冷たい水があるところに生息する魚だということがわかっています。
つまり、サケの仲間であるビワマスが住んでいるということは、琵琶湖には冷たい水があるということです。それが、生き物から見た琵琶湖のもう一つのキーワードだと思います。
―― 滋賀県は比較的気候が穏やかなイメージですが、琵琶湖の中は意外と冷たいんですね。
琵琶湖のある程度深いところでは、冬に水が一番冷えたときの状態のまま、ほとんど水温が変わらず一年が続いていきます。夏でも、水温は9℃を切っているはずです。
もちろん、ある程度深い湖であれば、琵琶湖でなくても冷たい水はあります。しかし琵琶湖はただ冷たいだけでなく、先ほども言ったとおり、長いあいだ湖であり続けています。つまり、「歴史の古さ」と「水の冷たさ」の両方があることによって、琵琶湖独自の生態系が成り立っているわけですね。そして、この水の冷たさが、「琵琶湖の深呼吸」にも関係しているんですよ。
「琵琶湖の深呼吸」はどのように起こるのか
―― 琵琶湖の深呼吸とは、簡単にいうとどのような現象なのでしょうか?
「呼吸」という言葉どおり、ガスの交換によって湖に酸素が供給される現象です。「深」と付いているのは、琵琶湖の深いところにまで酸素が行き渡るという意味ですね。この現象は、学術的には「全層循環」と呼ばれます。
ちなみに、「琵琶湖の深呼吸」という名称の発祥には諸説あるのですが、今のところは、滋賀大学で長きにわたって琵琶湖を研究された故・岡本巌先生がこの言葉を使い始めたという説が有力なようです。
「琵琶湖の深呼吸」とは、ガスの交換によって湖に酸素が供給される現象のこと
―― 素敵なネーミングですよね。でも、いったいどういう仕組みで深呼吸が起こるのでしょうか。
まず、ふだん湖にはどこから酸素がやってくるのかを考えてみましょう。その経路は、大きく二つしかありません。
一つは水面から、空気中の酸素が水に溶ける経路です。放っておいても酸素は少しずつ水に溶けますし、風が吹いて波が立つと、さらにたくさんの空気が水の中に入り、酸素が溶け込んでいきます。そしてもう一つの経路が、光合成です。水中にいる植物プランクトンが光合成をして二酸化炭素を取り込み、酸素を体の外、つまり水中に出します。
問題は、この二つの現象が両方とも、水面近くでしか起きないということです。まず空気中の酸素については、やはり水面近くにしか溶け込みません。
そして、水中の深いところは、暗いんです。光は、水中に入るとだんだんと吸収されていきます。深くなると暗くなるということは、プランクトンが光合成できなくなりますよね。琵琶湖で植物プランクトンが光合成をして酸素を作り出せるのは、だいたい水面から15〜20mぐらいまでの範囲だとされています。琵琶湖の一番深いところは103〜104mありますから、ほんの一部でしか光合成が行われていないことがわかります。
―― 琵琶湖では、浅いところでしか酸素が作り出されていないんですね。
はい。そして、深呼吸において酸素と並んで重要なのが、水温です。先ほど琵琶湖の深いところの水は冷たいと言いましたが、その温度はどうやって決まっていくと思いますか?
実は琵琶湖の場合、太陽光によって湖の表面から温められることが、水温を決める大きな要因の一つなんです。
琵琶湖の場合、暖かい地下水もそれほど深くまで到達していないと考えられており、火山性の湖ではないので温泉のようなものもありません。また、周囲の陸地の熱が湖底まで伝わるということも考えられません。
―― 湖面からの光でしか温められないということは、底ほど冷たいのでしょうか?
物質の一般的な性質からも、深いところは温まりづらいといえます。物質というものは、温められると膨張し、軽くなって浮くからです。
熱気球をイメージしてください。バーナーの火で空気が温められると、しぼんでいた気球がふくらんで空に浮かびますね。あれは、気球の中の空気が熱でパンパンになって、周りの空気よりも密度が小さいので、浮いていくんですよ。
つまり簡単に言うと、温かいものは浮いて、冷たいものは沈む。湖でも同じことが起きるんです。
―― だから、夏でも底のほうは水温が低いのですね。それがどのように深呼吸に関わってくるのでしょう。
先ほど説明したように、湖における酸素の供給経路は水面近くにしかないので、酸素がたくさんある水は、まず水面近くに集まることになります。そして気温の高い夏には、水面近くの水が温められるので、酸素を含んだ水は底のほうに沈んでいきません。ちょっと深めのところに酸素があったとしても、熱気球の例で説明したように、温められて水面近くに浮いてきてしまいます。
それでは、琵琶湖に冬が来たときにどうなるか。まず気温が寒いので、水面近くの水が冷やされます。ここでポイントになるのが、「水が冷たいほど酸素が溶けやすい」という法則です。ビールとか炭酸飲料って、ぬるいと早く気が抜けますよね。これは、温かい液体というのは、あまり多くの気体を溶かしておけないために起こる現象です。逆に、液体が冷やされると、たくさん気体が溶け込めるようになるわけです。
この法則によって、冬の寒さで冷やされた水面近くの水には、多くの酸素が溶け込みます。そして、冷たい物質は下に沈みます。この2つの現象が組み合わさることで、水面近くにある酸素入りの水が、湖の深いところまで沈んでいくんです。
―― あ! もしかして今、深呼吸が起きた……?
そのとおりです! こうして冬の琵琶湖では、風が吹くなどのちょっとしたはずみで、湖底まで酸素が供給されます。底のほうに酸素ポンプが入ってぶくぶくしているような状態です。
琵琶湖ではこのプロセスを通して、浅いところにある水が深いところにある水が混ざり合い、酸素濃度と水温が一様になります。この現象が「琵琶湖の深呼吸」、正式には「全層循環」と呼ばれるものです。
琵琶湖の深呼吸が起こる仕組み
生き物にとっての深呼吸の意味
―― 深呼吸の仕組みがわかると、生き物にとっての重要性もわかってきた気がします。
そうですね。深呼吸がなぜ生き物にとって大切かというと、温かい季節には、湖の深いところに新たな酸素が供給されないからです。
水槽で酸素ポンプの電源を切っても、魚はすぐには死にません。でも、酸素ポンプが切れたまま一週間放っておいたら、魚の命が心配になってきますよね。飼っている魚自身はもちろん、目に見えない小さな微生物も呼吸しているので、新しく酸素を供給しない限り、だんだん酸素の量が減ってしまうんです。
―― 琵琶湖では、酸素ポンプのスイッチが冬以外ずっと切れたままということですよね。水中の生き物は苦しくならないのでしょうか。
実は琵琶湖では、酸素の減り方がそこまで早くないんですよ。なぜかというと、先ほどお話ししたように、水が冷たいからです。
食べ物を冷蔵庫に入れたら長持ちしますよね。いっぽう、室温に出すと食べ物はすぐ腐ってしまう。なぜそうなるかというと、ほとんどの生き物は温度によって代謝が変わり、温度が高いと変化が早く、温度が低いと変化が遅くなるためです。人間はそれほど温度の影響を受けない生き物なんですけれども。つまり、琵琶湖の底のほうはいわば冷蔵庫のような状態で、生き物の代謝が低く、酸素があまり使われにくい環境です。
冬に深呼吸で供給された酸素を少しずつ使って、一年間なんとか酸素がある状態が維持され、そしてまた次の冬に深呼吸で酸素が入ってくる……琵琶湖は、このサイクルを繰り返してきたというわけです。
―― 冬季に起こる循環現象だけではなく、一年を通したサイクルこそが大切なんですね。
そういうことです。冬に湖底まで酸素が供給される現象だけを指すのではなく、そのあと少しずつ酸素が使われていく状況も含めて「深呼吸」と言っているのです。寒い季節に「ふっ」と一度息を吸って全体に酸素が行き渡り、その酸素だけでたくさんの生き物たちが生きながらえている。そういうイメージを持ってもらえたらいいなと思います。
最近、琵琶湖があまり深呼吸していない?
―― 最近、琵琶湖の深呼吸が起こらない年があったそうですね。
はい。2019年から2年連続で、琵琶湖の深呼吸が確認できない年がありました。滋賀県によると、琵琶湖全域で深呼吸が起きなかったというわけではないようですが、それでも深呼吸が起こりづらくなっているのは確かです。
その要因として考えられるのは、地球温暖化による気温上昇と、それによる水温上昇です。私が大学生の頃は、琵琶湖の湖底の水温は6℃だと習いましたが、今は8〜9℃ほどまで上がっています。深呼吸現象は水温の上下と深く関係しているので、冬に湖がしっかり冷えきらないと、深呼吸が起きなくなる可能性があります。
実は深呼吸現象そのものは、琵琶湖以外の湖でも一般的に起こることです。しかし琵琶湖はその水温から、ちょっとした環境の変化で深呼吸が起こったり起こらなかったりする湖だとされているんですよ。
―― そもそも、深呼吸の有無をどのように判定しているのですか?
現在、深呼吸の有無の調査は、滋賀県が水質調査と合わせて実施しています。「深呼吸した」と判定されるのは、湖面と湖底で水温と酸素濃度がほぼ同じになったときです。
酸素濃度の測定一つ取っても、さまざまな方法があります。化学分析をするか、センサーで測定するのが一般的です。ほかに、酸素があるときとないときで湖底の泥に含まれる物質の化学的な性質の違いを調べたり、酸素がないと生きられない生き物の痕跡を調べたりと、地質学的な調査方法を考えている人もいます。
―― 私たちが見た目で深呼吸の有無を判断するのは難しいということでしょうか。
深呼吸が止まった湖では、だんだん植物プランクトンが減ってきて水の透明度が上がるとは言われています。これについては正確なデータが取れていないので、事実といえるかはわかりませんが。
それと地元の漁師さんには、深呼吸についての経験知があるようにも思います。ある漁師さんが「比叡山や比良山に雪が積もったら、深いところでスジエビ漁をする」とおっしゃっていました。というのも、スジエビは冬になると深いほうへと移動するんです。これは、深呼吸によって湖底近くに新鮮な冷たい水があるからではないかと思っています。
石川先生の研究対象でもあった、琵琶湖のスジエビ
―― 深呼吸は生き物たちの行動と深く関わっていそうですね。このところ深呼吸が起きなかったことにより、実際に生き物に影響が出ているというデータはありますか?
今ちょうど採集をして、データを揃えつつあるところです。
私が特に注目している湖底の生き物たちは、一見すると酸欠に強いんです。というのも湖底の生き物は、水だけでなく泥も生活に使っているわけですね。潜ったり、中に住んだり。そうした生き物は、そもそも酸素がかなり低い状態を経験して生きてきているので、ちょっと水中の酸素が少ない状態でも、生き延びる能力を持っているということになります。
ただ、酸素が少ない状態がずっと続いていくと、そういった生き物たちも、やっぱり生き延びられなくなってしまうんですよ。
―― 長い目で見ると、やはり影響はありそうなんですね。
そうですね。生き物への影響を見るときにとても大切なのは、瞬間的な影響と長期的な影響を両方考えておくことです。
実際、酸素が不足している場所にも生き物はいます。しかし、じっと耐えているかもしれませんし、ちゃんとご飯を食べられていないかもしれません。次の世代に子供を残す量が減って徐々に数を減らしてしまう可能性も、考える必要があるでしょう。そういった状況をなんとか調べ上げて、近々学会でも発表しようと思っているところです。
また、比較的自由に水中を動ける生き物の場合、酸素がある環境を求めて移動することがあります。そういった場合に、移動した先で生態系が変わる可能性も考えなければなりません。私たち研究者は、こうした長期的な視点を持ち、継続的に研究する必要があると思っています。
琵琶湖の生き物のために、私たちができること
―― 琵琶湖の生態系を守るために、私たち非専門家は今、何ができるのでしょう。
まずは、琵琶湖の環境やそこに住んでいる生き物について興味を持っていただくことでしょうか。「もしかすると、あのおいしい魚が食べられなくなるかもしれない」といった身近な話題を入り口にして、琵琶湖への関心を持つ人が増えたらいいなと思います。
研究者にとっても、多くの人に自分たちの研究対象を気にかけてもらうことが非常に大事です。現実的な話になりますが、研究費もそういうもので決まる側面があります。「なかなか大きな成果は出ないけど、少し研究が進んだよ」ということを、たくさんの人に注目してもらえたらとても素晴らしいですね。
―― 深呼吸現象についてはニュースになることも多いので、興味深く見守りたいと思います。
そのとき、ニュースの受け取り方をちょっと工夫していただけると、さらにうれしいです。
例えば「深呼吸が起きなかった」と聞くと、「ある程度深いところは全部ダメになってしまった」とイメージされる方が多いでしょう。しかし私は、「酸素を含んだ冷たい新鮮な水が、どの範囲まで到達したのか?」「水深何mくらいまで、いつもの環境が保たれたのだろうか?」と、具体的に考えてもらうのが大切だと思っているんです。
―― そうやってとらえると、生き物への影響もより具体的に考えられそうですね。
はい。私は熱帯の湖に調査に行くこともあるのですが、水温の高い湖では、湖底にほとんど酸素がないことも普通にあります。そういう場所であっても生き物は、酸素がある場所で、賑やかに、豊かに生きています。琵琶湖でも、「全部の場所で深呼吸を起こせないんだったらもう諦めましょう」ではなく、「今残っている豊かな場所をいかに大切にしていくか」という考え方で、湖の環境やそこに住む生き物と向き合っていけたらいいですね。
―― 石川先生、ありがとうございました。2022年の深呼吸のニュースを、ドキドキしながら待ちたいと思います!